楽園みたいね

 しんじゃわないように、せんせいが、不老不死ののろいにかかればいいのにって、祈ってる。海が、ずっと、青いように、せんせいは、ずっと、せんせいでいてよ。ぼくだけの、とは言わないから、さ。
 真昼にみる月ほど、不安なものはない。のろいは、でも、所詮はのろいだから、せんせいを、くるしめることになるかもしれない。おわりのない、一生を、せんせいは、いまのすがたかたちのままで、家族や、友だちや、ぼくたち教え子が、えいえんのねむりにつくのを、みていなくてはいけない。いや、みていなくても、いい。目を背けても、いいと思うんだ、その権利が、せんせいにはあって、親しいひとたちが、うしなわれてゆくのを、指折りかぞえていてもいいし、みてみぬふりをして、だれともなにもなかったみたいに、生きていてもかまわない。ぼくは、せんせいが、いまの、せんせいの、いのちと、肉体と、精神と、諸々の、せんせい、というにんげんを、存在をつくりあげている、細胞や物質なんかが、しなないで、ずっと、かわらないでいて、と思うばかりなので、じぶんも、せんせいと生きたい、とか、あわよくば、せんせいの一部になりたい、なんて欲は、うすいほうであるから、せんせい、安心してね。
 日曜日の、十五時。
 いつもの植物園にて、熱帯雨林コーナーの、湿度が高く、蒸し暑い気候につくられた、透明なドームのなかで、せんせいとふたり、みつめる極彩色の、花たち。
 楽園みたいね、と思い浸る、ぼくに、せんせいがむけるまなざしは、みんなにむけられるそれとおなじ。ぼくらは永久に、まじわらない平行線。
 まっすぐに、歪みなく。

楽園みたいね

楽園みたいね

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-10-31

CC BY-NC-ND
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