嫌いな食べ物

嫌いな食べ物

 我が食卓にグリーンピース入りの食事はない。
 正確には食材として使用されたケースが一度もない。
 理由は不明。
 気になり一度母に尋ねたことがあるが、
嫁いできた頃だから四十年以上前、その時から使っていなかったらしい。
 真相に近づきたいところではあるが祖父が他界し祖母は認知症が進行、
長期入院中の今となっては知る由もない。

 アオエンドウ不在の理由。
 可能性として考えられるのは、代々作ってこなかったから。
 うちは元々専業農家だった。
 それゆえ食卓に上がる野菜は、家の裏手や近所の山にあった畑から収穫した分で十分足りた。
 間に合っているのなら買い足す必要はない。
 自然の恵みが食卓へ直送、時をおかず新鮮なままで。思えば贅沢な環境だ。

 その流れを定年退職した父が引き継ぎ、実家敷地内の畑で野菜や果物を育てている。
 それも山の土地が売られ裏の農地も半分手放し縮小したからこそ。
 一人で維持管理するなら目の届く範囲でないと。

 話を戻そう。
 たまの外食時にもお目にかかれなかった、
そんな僕がグリーンピースと出会ったのは小学校入学後、給食の席だった。

 夕食で絹さやの味噌汁が出ると、ポサポサしておいしくないと感じていた。
 今思えばそれは予兆だったのかもしれない、きっとそうだろう。
 
 実は口に入ったその瞬間、未知との遭遇で感じた印象は記憶にない。
 どんな味だったか、全く覚えていない。もしかしたら吐き出したのかもしれない。
 今となっては真相は闇の中。
 ただ舌に合わなかった点は間違いなく、相当まずく感じたのだろう。

 それ以来、僕はグリーンピースを一切食べなくなった。
 正確にいうと噛まなくなった。
 味覚を発動させんがために丸呑みを選択。
学校給食が提供される小中九年間一貫して全て飲み込んできた。

 とはいえ料理内に隠れ潜む緑色した丸いブツ。その総勢は一見して計り知れない。
 ビーフシチューやカレーの場合など特に。その点、グリーンピースご飯は分かりやすかった。
 茶や白一色に映える一点の鮮やかな緑。彩りとしては悪くない。
 ならばいっそ洋食におけるパセリのように、
付け合わせとして控えめにいてくれたらいいものを、きゃつらときたら……

 飲食に伴い自然発生する唾、それのみで喉へ押し込むのは、
特に発育成長期の小学校低~中学年の身にはきつい作業。
 そこで発達途上期の脳みそを振り絞り考え抜いて編み出した技が、
名付けて垂直落下式牛乳落とし!
 食材同士を相まみえさせ、苦手を得手にて相殺する苦肉の策。

 当時は「お残しは許しまへんでー!」な風潮が厳しかった。
 またグリーンピースだけ取り除き、ティッシュに包み持ち帰るなんて高等な技術、
不器用な僕は持ち合わせていなかったし、考えつきさえしなかった。
 それにもし閃いたとしても、担任に見つかり叱られる可能性に怯え及び腰となり、
それでも意を決し実行したところでポロポロ床にこぼす失態、想像に難くない。

 刺せば味が染み出すフォークはご法度。
 箸やスプーンで一粒すくい口に入れるや否や、
ガラスの瓶よりウシの乳汁投入。胃の奥底までフリーフォールさせる。
 全てを飲み尽くしたその先に見えるのは、半分にまで減ってしまった牛乳。
 何だかむなしくなった。

「まとめて飲み込んじゃえば?」そういう意見もあると思う。
 しかし円陣を組む敵の姿を目にすれば、僕は怖気づき躊躇しただろう。
 かといって強引に詰め込み口の中がパンパンになれば、
皮は次々と破裂し汁がにじみ出す。その後待ち受けるのは大惨事……
 また好き嫌いに関しても当たりの強い時代だったため、
担任に気づかれたら、よく噛んで味わうよう強いられたに違いない。
 小さな粒からコツコツと。
 これしかなかった、仕方なかった。

 高校へ進学し昼食が母お手製の弁当となったことで、
義務教育卒業まで続いた緑と白の戦争は終結を迎えた。

 四十の坂を上り始めた今でも、僕はグリーンピースを口にできない。
 大人となり味覚に変化が生じたことで、食べられるようになったかも。
 そう思う日も少なくない。
 とはいえ、恐怖感が好奇心を凌駕しているのが現状。

 無理する必要はないし必要がない。
 だったら嫌いなものは嫌いなままでもいいんじゃない?
 でも……
 葛藤は続いていく。

嫌いな食べ物

嫌いな食べ物

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-10-30

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