つくって、こわして、さびしさがうまれる

 ケーキを切り分けたときの、さびしさに似ているけれど、すこしちがう気もする。だれかが住んでいた家が、いまは、だれも住んでいないとわかったときの、家のなかの、からっぽの部屋を想い、さびしい、と感じるのとは近しくも遠いような、そんな曖昧さ。まるで、いま、家のひとは外出していると思わせる、家具のたたずまいや、しまわれなかった調理道具たち、行き場のないさびしさが、そこには漂っている。静かに、息を潜めて。
 ライオン、と呼ばれるどうぶつと邂逅したときのぼくは、まぎれもなく子どもだった。(邂逅、と言い表すと、ライオンは、ちょっとちがうな、と首をひねるのだけれど、ぼくは、出逢い、より、邂逅、の方が、しっくりくる、と思ったので、邂逅、としている。かたくなに)
 ライオンとは、いまも、週二で遊んでいる。
 遊んでいる、といっても、放課後、ごはんを食べに行ったり、カラオケや、ゲームセンターに行くくらいである。ライオンは、アルバイトをしているので、週二しか遊べないのだが、ぼくは、それが、ときどき、すごい、いやだな、と思う。おとうとと、いもうとが、たくさんいるから、すこしでも家計の助けになりたいと、じぶんの学費をアルバイトでかせいでいる、ライオンは、りっぱだと思うのに、でも、いやだな、という気持ちは、なかなかぬぐえない。ライオンと、遊ぶ時間が減るのが、いやなのか、ライオンが、遊ぶのをがまんしてアルバイトをしているかもしれない、と想像してしまうから、いやなのか、ライオンだけ一歩先に進んでいるような、勝手においてけぼりの気分になっている、なにもしていないじぶんが、いやなのか。週二でじゅうぶんじゃん、と言い聞かせるのに、週二じゃ物足りない、と、ライオンといっしょに過ごしていると強く思ってしまうのだから、実に難儀である。
 街は、オートメーション化が進んでいる。
 確実に、着実に。
「生きづらいな」
と言ったのは、ライオンである。週二のうちの、ある日曜日を、ぼくとライオンは、ふたりで、ぼくの部屋で過ごしていて、ぼくのおかあさんがつくったチャーハンを食べて、スーパーマーケットで買ってきたチーズケーキ(値引き品)を一切れずつ食べて、つめたいお茶を飲んで、ごろごろして、ときどき、ライオンのたてがみを撫でて、お返しにとばかりにライオンが、ぼくの髪を撫でて、そんなことを、うだうだとしていて、オートメーション、などという現実とは、無縁のようであるが、こういうことができるのも、なんでもかんでも自動化しているおかげなのだと、テレビのなかのえらいひとたちは、語る。ライオンは、そういうのがぜんぶ、生きづらいのだと、ぼやく。ライオンのアルバイト先も、機械が仕事をすることが増え、にんげんやライオンの働き手が、減っているのだという。
 とくに、仕事ができないとみなされた者や、上司に気に入られていない者は、真っ先にこれだ、と言って、ライオンが、じぶんの首を切るような真似をして、ぼくは、ひえっ、と、情けない声を発した。
(べんりになるということは、かなしいことなのか)
 ぼくは思った。
 思って、ライオンの長いしっぽに、そっと触れた。縋るように、でも、やさしく。
 さびしいのと、かなしいのとが、どっと押し寄せてきて、泣きたくなった。ライオンと、もっと遊びたいのだけれど、ライオンは、家族のために働かなくてはいけなくて、でも、オートメーション化によってライオンの仕事がなくなってしまったら、ライオンの生活は、家族は、ますますべんりになってゆく街から、つまはじきにされてしまうのではないか、という恐怖も、あった。
 もともとあった形が、失われる。
 細かく切り分けられて、形を変えてゆく。
 そこにいるはずのものが、いなくなっている。
 こつぜんと、いなくなっている。さっきまでいたような気配を、うっすらと残して。
 ぼくは、ぼくの手に、うでに、ゆるゆるとまきついてくる、ライオンのしっぽを、愛しく思う。はなれたくない、と思う。はなしたくない、と思う。それから、社会のことを、すこしだけ、うらむ。

つくって、こわして、さびしさがうまれる

つくって、こわして、さびしさがうまれる

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-10-28

CC BY-NC-ND
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