想って、祈って、泣いて、

あおい はる

 車の窓からみえる街のあかりが、にじんでいるのは雨のせいで、濡れたガラス越しに映る世界の、歪みとか、膨らみとかを、なんとなく空しいと感じるのは、質量のかんけいではなくて、たぶん、表面上のものだと思いながら、シフトレバーにある先生の手に、じぶんの手を重ねる。夜。二十二時は、尊いね。先生が、そこにいることだけでも、世の中、というのは捨てたものではないと思うのだけれど。
 たとえば、はちみつ色の月の夜は、先生のための夜だ。
 都会は眠らないし、先生は月の光を浴びて、より一層、うつくしくかがやくし、皮膚を削れば、先生の内側は虹色に瞬いているし、あからさまなラブホテルの雰囲気がひどく愛おしく思える。先生、と呼ぶと、先生は、ぼくはもうきみの先生ではないよ、と微笑んで、でも、ゆきおさん、となまえで呼ぶと、先生は照れながら、やめてくださいよお、と言うものだから、やっぱり、先生は、先生でいいんだと思う。フレンチとか、イタリアンとか、大学生になっても、どうにもこうにも、ぼくにはしっくりこないので、先生との食事はもっぱら定食屋、もしくはラーメン屋、ときどき、回転ずしであるけれど、かまわない、ぜんぜん。先生が車でないときは、居酒屋も。でも、お酒を飲むと、ぼくも、先生も、わりと、羽目を外しがち、であることが判明したので、ほどほどにしている。ぼくは、泣き上戸で、先生は、笑い上戸で、ふたりとも、世間一般の成人男性よりはやや薄れているかもしれない、性欲、なるものが、むくむくとわいてくる、ので、とつぜん、ものすごく、むしょうに、したくなったり、する。はちみつ色の月の夜の先生は、肌に触れると、ぽろぽろと、鱗粉みたいなものがこぼれて、それが、魔法の粉みたいにきらきらしていて、きれいだ。
「ぼくは、いつか、消え失せる者なのです」
 したあとに、いつも、先生は、しんみりと言う。
 いつか、消え失せる者。という存在のことは、すこしだけ知っていて、高校の図書室にあった、なんらかの本で読んだのだけれど、読んでも、ちんぷんかんぷんで、ただ、世界には、そういうひとがいる、ということだけを覚えていて、それで、先生が、そうなのだとわかったとき、ぼくは、でも、やっぱり、よくわからなかったし、いまも、わかっていないし、ほんとうに、先生が、いつか消え失せるのか、と想うと、信じられなかったし、信じたくなかった。
 ただ、ぼくらの街にある博物館の、ある一角に、消え失せた者たちの肖像、なるものが飾られていて、そこに、中学のときの陸上部の先輩らしきひとが、絵画となっているのを偶然みつけたとき、現実を、受け入れなくてはいけないのだと思った。先生も、いずれは、絵画や、写真、彫刻になるかして、博物館に飾られるのか、と想像したときの空しさに、雨に濡れた街の歪みは、似ていた。
 先生、好きです。
 シフトレバーをにぎる先生の手は、つめたい。
 ぼくもです、と答える先生の吐く息は、微かに生温かい。

想って、祈って、泣いて、

想って、祈って、泣いて、

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
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