四枚羽
少年期って何なんでしょう。
チャンスを拾った。電車の通り過ぎた踏切は、遮断機が上がると同時に砂浜に変わっていた。銀色に反射する海はきっと蒼い。線路を駆け抜けた騒音は、波音となって帰ってきた。一歩と三歩飛び出した足はそこへ降り立つ。埋もれかけた欠片を拾いあげ、表面を砂がなんの摩擦もなしに落ちていく。太陽が透き通るほどのオレンジだ。指の腹で優しくなでると、尖った星は痛くはなく滑らかだった。目にかざせば向こうに俺が立って見えた。
高校生なんて人生で一番摩訶不思議な日々を送るもんだと、そういうものだと思っていた。けれどそんなものは一向に姿を見せる気配はなく、ましてや絶妙に叶えられそうな日常だってそうはいかないのだった。
ベッドの上でオレンジ色の欠片をかざしながら、夕立の音に耳をすます。これをなぞれば俺が現れる。鼻の先からつま先まで、まるで同じな分身体。現にこうして机の前の椅子に座り、こっちをにやけた顔で見てくるのさ。とんでもない超常現象だ、ドッペルゲンガーなんてものじゃない。夏の幻覚、はたまた蜃気楼の一種か何かだろうかと疑いたくなるほどだ。お前がどうしてここにいるのか、そんなことは聞いてもわからないし、それは聞かなくてもわかるけど。しかしこの止まない疑問符と驚きを無視さえすれば、俺がすべきことは単純だ。並列した時間を持つ自分がいるというアドバンテージを活かすこと。
寝っ転がってゲームをしている間、アイツには勉強をさせておいた。何か言葉を躱そうかとも思ったけれど、わざわざする必要もないし、第一話し声が家の中に響くのもマズいから。お互いの効率を考えて、アイツは嫌がる様子一つ見せず勉学に勤しんでいた。有難いもんだ、最高の相棒とはまさに自分自身だね。夕立が開け放した窓から匂いを運ぶ。欠片を握る右手は額に置かれ、ベッドの上で懐かしいまどろみを覚えた。
寝返りをうつのをやめてから随分時間がたった気がする。そろそろ肩や背中が凝ってきて目覚めの時間だ。ボーとする瞼と、目の奥が重い感触はいつも通りだった。けれど、机の上に置かれた欠片だけはカーテンを閉め切った部屋の中でもほんのりと、べっこう色だった。
夕飯をとった記憶はあるし、風呂に入った記憶も。勿論、今パジャマでいることがもう一人の俺のお陰であることは一目瞭然だった。朝食が終わったらまた呼んで礼でも言うか。
シャリシャリしていて、あまり水分のないリンゴとこれまたパサついたトーストを咀嚼する。呑み込むまでやたらに時間がかかるんだ、これ。ミロを溶かした牛乳を飲めばもうすっかり今日一日はなにも食べたくない気分になってしまった。
夕べはお前に色々と世話を掛けたから、今日は俺の番だと面倒ごとを引き受ける。そうでなくとも記憶は共有されているのだが、お前とは対等でいなければいけないと思った。折角の夏休みなのだし、存分に羽を伸ばしたらいいさと。そう言ったら迷いなく電話をかけて、朝っぱらから出かけていった。そんな潔い行動が果たして俺には出来ただろうかと、ほんの少し疑念を抱いた。
この日俺は一日中柄にもなく机に向かい宿題や、化学の復習なんかに終始していた。自分の集中力のなさに驚きつつも、そろそろ指が痛くなってきたなと言うところでもう一人の俺が帰ってきてくれたのが嬉しかった。表情だけでわかった。友人の家でトレーディングカードゲームに興じた後、隣町の森林公園に繰り出したんだ。そう、“実に充実した一日だった”んだ。外では蝉がせわしなく求愛のコーラスを奏でている。いい加減机に向かうのも馬鹿らしくなった。折角自分が二人もいるのだし、つまらん違和感を抜きにして俺は俺とカードゲームを始めた。
消灯時にもう一度欠片をなぞるとアイツは消えていった。風呂に入ったのはこっちだけど、向こうの方を汲むことも出来るらしい。都合のいい分身だ。室外機がうるさいからと、夜はエアコンをつけられずなかなか寝付けない。しょうがないから扇風機を回して睡眠時の熱中症だけでも防ぐことにしよう。姿を消したアイツはこの結晶の中にいて、橙色に包まれているのだろうか。それだけがわからない。翼の生えた目覚ましをセットして、今日を終える。
夢の中でソファの上にいた。粗大ごみで路肩に出されたソファの上に。お前はそれを見て、つまらなそうに目を背けた。それじゃあなと言うように、キラキラした方へ......帰っていく。
足先が冷え、腕は痺れて目が覚めた。鼓動が早鐘を打っている。危うく扇風機の風で低体温になりかけていた。だからあんな酷い夢を見たのだと合点をいかせる。ハッとして、目覚まし時計を見やれば、長針の先に欠片があった。それをつまむとジンジンと跳ね返ってくる温かみがあった。
シリアルに牛乳を注ぎ、四等分にされたオレンジを齧る。たまにはアイツも朝食を取りたいのだろうか、まあ俺が食べたくないだけでもあるのだが。
午前八時に起床したけれど、両親は仕事に出ていて気が楽だ。アイツには適当に課題を進めたら後は好きなようにとだけ伝えて遊びに行く。一緒にいたって変な感覚に襲われて、俺の居心地が悪くなるっていうのもあるけれど。時間はたっぷりあるんだ、何をしようか迷うっちゃうねホント。
手始めにチャリを漕いで古本屋、ゲームショップへと足を運ぶ。買わないくせに本を手に取ったり、パッケージを眺めるだけで楽しいものだ。これを編み出したことによって半端な時間や、やることがない時に効率的に暇をつぶせるようになった。費用対効果が完璧に元の取れるやり方として重宝している。娯楽の乏しい街だからこうでもしないと退屈が支配しそうになるんだ。だけど、俺は本当に暇を潰すようなことをしていいのかと、こんな浪費を続けていいのかと、心の奥ではそう思っていた。そうはいってもいくら仲のいい奴とだって、流石に何百時間と遊んだゲームは飽きるし、知り尽くした街にもやっぱり新鮮味を憶えないんだ。仕方のないことなんだ。
午後一時を過ぎて、ミニバスの頃の友人達と市の体育館へバドミントンをしに行った。クーラーのないアリーナは酷い蒸し暑さで、一時間もラリーをすれば皆へとへとになってしまった。
「無駄に三時間もとるんじゃなかった」
と新谷が言う。
「いやでも、サウナに入っているみたいで痩せる気がするわ」
「新村、それ多分水分が出ただけで本質的には痩せてないぞ」
俺もついこの間まで、ダイエットってそういうものだと勘違いしていたんだけどさ。
「でも質量が減ったんだから、痩せたってことでいいんだよ」
「それがまかり通るならこの世に肥満なんて言葉は無いのさ」
言われたそばからポカリスエットの缶を傾けて、最後の一滴まで搾り取ろうとしている。絞るなら肉を絞れ、肉をとツッコまれながら。
「はぁ?別に俺はそんな太ってないから。体重が重いだけだから」
「ふぅん、じゃあ後でコーラ奢ってやるよ」
なけなしの小遣いでさ。
「マジ! あ、じゃあゼロカロリーのやつで」
「そういうこった」
新谷に笑われて、不貞腐れていたから減塩ポテチも奢ってやった。
運動したおかげで夕飯が久しぶりに快く喉を通った。その後すぐにボーっと椅子にもたれ掛かって、パソコンを覗き込んでいるとアイツが寄ってきた。今日はどうだったんだと、口に出さずとも伝わったようで、すぐさま自慢げに記憶が伝わってきた。午前中いっぱいは図書館で自習。午後になったら蔵木とまるで知らない街のカードショップに漁りに行ったらしい。あいつとは十年来の付き合いだが、そんなとこへは行ったことがなかったなと少し羨ましく思った。一体目の前の自分はどういうわけでそんな行動力があるのかと、やっぱり疑問だった。
久しぶりに早く起きて身体を動かすことにした。昨日の疲れはあまり残ってはおらず、近くの公園でぶらぶらとジョギングをしていると、両手の指では数え足りない程の野良猫たちが集会を開いていた。あずまやのベンチに座ってそれを眺めていると、猫たちもソメイヨシノの根元からじっとこちらを見つめてきた。確かこういう時、目を逸らしては敵対の意志アリとみなされるという話を思い出したので、睨むわけではないがそのままの視線を維持することにした。やがてあちらも慣れたのか、気にせずまた顔を突き合わせて密談の様な無言のコミュニケーションを取っていた。
湿った朝の空気を吸い込んで、軽く吐息を漏らす。ポケットから欠片を取り出して、手の内で転がしてみる。アイツもついでに起こしたのだが何処へ行ったのだろう? 俺の蒼い方ではなく、中学生の時から乗っていた錆びた銀色のママチャリに乗って。荷台のない自転車に乗って早朝から意気揚々と、十歳の子どもじゃあるまいし。夏休みに浮かれすぎだ。熱に浮かされた気球の如く舞い上がるだなんてさ、重い物を抱えてはとてもじゃないけど出来っこない。ラジオ体操を始めるために老人が集まってきたところで帰ることにした。
玄関の扉を開けた時、アイツが何をしていたのかが一目でわかった。大きめな虫かごにはカブトムシのつがいが一対入っていた。
両親に二人の俺が帰ってきたことがバレていないのを確認し部屋へ戻る。小学生の時、夏になると父の車に乗せられて虫取りに言った山に行ってきたのだという。よくこんな短時間で行けたもんだと感心したが、アイツは大した距離ではないと言った。けれど道中の景色がもう随分変わっていて、十字路のコンビニも無くなっていたことなどが驚きだったという。俺の方が色々驚き尽くしだと、そういうこともアイツは分かるのだろう。
今日は俺が自習をする番だから机へ向かっていたのだが、アイツはベッドの上で漫画を読んだり、ネットサーフィンをしたりと暇というものを満喫していた。思えば、あいつが昨日今日と出歩き、見知らぬものを見てきた間、俺はこうして一つのところにとどまって閉鎖的活動に終始していた。それはなんだか凄くもったいないことをしているようで、まるで自分だけ冒険へ連れて行ってもらえないような気分になった。
アイツとポーカーをしながら、さしもの怪異現象も慣れてしまえばやっぱりただの日常と変わらないのだと気づいてしまった。何故だろう、あれだけ待ち望んだ不思議なことですら満足には至らない。それどころか自分の心がどんどん分からなくなっていく。俺がフルハウスを出した時、アイツにフォーカードを魅せられ負けたから?
アイツは昨日捕まえてきたカブトムシのかごを開け、霧吹きをかけた後昆虫ゼリーをやっている。日曜なので両親がまだ起きてこないし、二人で見ていても問題は無いだろう。ひとしきり見た後満足して部屋へ戻った。カブトムシがケースを上ろうとする甲高い足音が聴こえ懐かしい気持ちになっていた。
今日はアイツが留守番だから俺も何か遊ぶとしよう。そう思って電話をしてみたが蔵木はバイトで遊べなかった。なんだかやることもないし、諦めてゲームでもすることにした。しかしそうはいったものの、折角の夏なのに部屋に籠っていることが果たして正しいものかと焦燥感が止まなくなる。ここに居ちゃいけないはずなのに、こんなことしていては駄目なはずなのに。冷房の効いた部屋の中、ベッドの上で身動きが取れなくなっていった。
夕飯の席に着いた時、やっぱり俺の食欲は無くて、それが今日一日の充実度を端的に表していた。もうアイツに勉強させておくのも面倒になって、結局夜になる前に欠片の中に戻してしまった。それを机の上に置いておくと、無性に叩き潰してやりたくなった。
今日は朝から雨が降っていた。月曜日の雨は学校がある日なら、俺に一週間を耐えきる力を与えてくれた。それは今だって同じことで、俺が部屋にいる理由を与えてくれるのさ。二人で分担したおかげで終わり切った宿題は通学鞄にしまい、英語の復習を始める。共有される記憶のおかげで、この夏休みかなり安定して勉強が出来ていた。だからなんなく問題集を解き進め、久しぶりに勉強ができるという実感を味わっていた。アイツはというと、髪を切りに行っていた。前髪はただ今目にかかるほどになっているが、それでも切りたいという気は起きなかった。けれど母にうるさく言われて、重い腰を上げたというわけだ。昔から髪を切りに行くのは嫌だった。理容師に、なるべく今と変わらないようにしてくれと頼んだら“もっと短くしろと言われたら、またすぐ来てね”と言われた。俺はそれ以来そこの床屋が好きになったのだが、程なくして移転してしまった。アイツは髪を短くしてくるのだろうけど、俺たち二人のどちらの髪型も好きな時に選べるはずだからまあそう心配はしていない。まあでも、やっぱり散髪は嫌いだ。
なかなか短髪になって帰ってきたアイツに労いの言葉を伝え、少しカードゲームをする。お互い心は読まないということを不文律にして戦うと、期待値通り勝率は五分五分となった。そんな勝負ものべ七回目にさしかかったとき、アイツは蔵木と遊ぶからと出て行った。濡れた靴は俺も履かなきゃならんのだろうかと少し憂鬱になった。
十八時半を過ぎた頃帰ってきた。俺ももうすっかりペンを持つ手が浸かれていた頃だった。記憶を探るにどうやらまたお馴染みのゲームをしていたらしい。もう何度も何度も遊んで、やり尽くしたほどの物なのにどうしてお前はそこまで楽しめるんだ。お前を見る度苦しくなる。そのうち缶バッチを刺したキャップ帽を被って出てきそうで。お前は俺なのに、違うところなんかあるはずがないのに。えらく不思議なものに思えた。
熱帯夜、眠れない中で、いや眠らない中俺は考えていた。アイツにできることならば俺にだって出来るのだ。だから明日の早朝から蔵木とサイクリングに出かける。それもウンと遠くへ、どこまでも。俺にだって不思議な世界はあるのだから。
雨が上がった後の朝は蒸していて、活気に満ち溢れていた。予定よりも早い三時五十分には蔵木は家の前に来ていた。お互い欠伸が止まらない中、線路に沿って走り始めた。シャーコシャーコとペダルを回す音だけが街道へ響いていく。始発がまだ来ない線路は、ただの風景となることに終始していた。漕ぐたびに移ろいゆく景色と共に、東の空も赤らんでくる。Supersonicのイントロを口ずさみながら、二人は信号を無視して走り続ける。
しばらく漕ぐと市街地に入り段々と住宅が増えてきた。その建物も一軒一軒が高く、高層住宅のようなものも増え、明らかに自分たちの住む田舎町とは様相が変わってきた。閑静で寒色の多い風景は、整然とした近未来的印象を植え付けられた。
出発から三時間程漕ぎ続けて、そろそろ尻も痛くなってきたところでコンビニへ入り休憩を取ることにした。メロンパンとビタミンジュースを飲むのは最高に美味かった。蔵木は眠気覚ましにコーヒーとカロリーメイトをほおばっていた。俺にしては苦にならない朝食だった。そらはまだ少し青白いながらももう明るくなっていて、店内のエアコンの風がするたび夏を実感する。駐車場にはカラスがたむろしていて、自転車の前かごに入れてある水筒が狙われないか心配になった。
休憩を終え、再び自転車に乗る。カラスたちは物欲しそうな目でこちらを見てくるが、構っている暇はない。六段変速の一番重いギアに変え、体重を乗せゆっくりと漕ぎだす。静止摩擦力に打ち勝った後はすいすいと進む。ハンドルを左右に倒しながら、立ち漕ぎで加速していく。
あれからさらに三時間は走り続けた。途中道が途絶え石段を自転車を担いで上がったり、斜度が二十%もありそうな坂を下ったりもした。俺の勝手な想像とは違って、都会の方が起伏に富んだ地形でカルチャーショックを受けた。いや、まあ文化ではないのだけれど。そのため平地ばかりで走りやすいと思っていた予想が外れ、思った以上に疲労を感じながら走っている。信号待ちで止まったところで、ふといつまでたっても仮の目的地につかないことを口にした。スマートフォンの地図機能を使ったところもうあと十kmもないはずなのだけれど。まあ気にせずこのまま進むかと、引き続き線路に沿っていくことにした。
おかしい、明らかに走行時間に対して目的地に近づくのが遅すぎる。さらに一時間も走っているのだが、直線距離にしてまだ四km弱しか進んでいないのだ。どうしたものかと、もうすっかり日差しの照り付ける交差点で二人して困り果てていた。しかしこうなったところで他の行き方を考えるのも面倒なので、やっぱり今のままで前進することにした。
それから一時間半もかけ、ようやく目的地にたどり着いた。そこはコンビナートのある人口入り江で、少しばかりの砂浜にはかなりの数の海水浴客がいた。自転車を降りて、テトラポットに沿って歩く。木陰には背の高くない野草が生え散らかり、ビニールシートをひいて寝そべる人達の姿があった。木々の切れ目にはパラソルを立てて本を読む人や、肌を小麦色に焼こうとしている人もいた。テトラポッドの上に乗り、落ちないように飛び移る。波のぶつかる下の部分にはフジツボがびっしりと張り付いていて、一瞬かなり動揺させられた。藏木はそれを靴のかかとでガリリと剥がしていた。座ると潮風で濡れた感触と、コンクリートのざらつきが伝わってきた。
手を掃って立ち上がり、ポケットからディジタルカメラを取り出す。高い視点から何枚か撮影すると、港の向こうの橋やビルが映りなかなかの出来栄えとなった。しかし自分の視野よりも画格は狭く、アングルを変えてもうニ、三枚取ることにした。
「後で俺にもくれよ、その写真」
「うん。印刷して渡すよ」
再び自転車のところに戻って、浜辺まで転がして歩く。人口の入り江だけあって迫力には少し欠けるのだが、それでも十分俺には新鮮だった。水平線が見えるより先に、湾を塞ぐトンボロのような工場が立ち並んでいた。帽子も被らずそこに立っていると、急に全身の熱を感じた。俺はアイツより凄い冒険が出来たのだろうか?この後どれだけ進めばアイツに勝てるのだろう? 今頃何をしているのだろう? そんなくだらないことばかりが思考を締めていった。駄目だ、もうこれ以上は。暑くて立っていられない。靴を脱ぎ、砂がはいらないように靴下は自転車のハンドルにそれぞれ被せる。木陰がある砂地の上に寝そべり、ぼんやりと額の上に手を置く。蔵木もそれにならって、いや疲れたのかやっぱり腰を下ろしてぼんやりと黄昏ている。
理想が二人を遠ざけていく。二人を分かつ理由なんてなにもないのに。お前はまた荷台のない自転車に乗って白いイメージに消えていく。友達に会いに行くのだと言って。俺とお前は離れていく。
木陰から横目に海を見る。眩しさは痛みになるほどではなかった。飛行機が苦にならない騒音を立てながら去っていく。
「あれ何処から来たんだろうな」
蔵木がそうつぶやく、
「......俺の知らない何処かでしょ」
そう返す。
額に当てた左手がぶらりと下がり、欠片が滑り落ちる。すーっと心地良い感触を立てて、砂となり靴の中に溜まっていった。カモメが一羽飛んでいく。俺の目の届かぬ所へと。
夕暮れ涼しくなり始めた風を編んでいた。午後二時には帰路を辿り始めたのだが、帰宅まではまだまだある。夕立を浴びて摩擦の減ったタイヤは心地良い音を奏でている。変なグラデーションになった空がやけに印象的だった。坂を下り、市街地に入るとホームタウンの匂いがした。楽しげなアイツが羨ましかった。だから今日が何曜日かわからないような生活なんて、本当は欲しくないのかもしれない。だからといって想像した新学期はもっと憂鬱なものだった。アイツに倣って俺も少しは楽しみたいものだ、休暇ってやつをさ。くだらないように思えた出来事の全てが、後になって悪くないような気がした。そんなことに気づいたり、気づかなかったり。定まらない自分の心にすら。薄暗くなった住宅街の道路には、まだ明かりが点いてはいない。とどまるように一匹羽ばたいて、俺の横を過ぎていく。何色だったかは憶えていないけど、それはきっとトンボだったのではなかろうか。
四枚羽
青春って何なのだろう?