無剣の騎士 第2話 scene13. 極光
(1) タイトルの「極光」とはオーロラのことですが、作中では別のものを意味する言葉として使われている……という設定です。本作品では一体どんな意味なのか、想像しながらお楽しみください。
(2) 以前にも書いたとおり、この物語では固有名詞以外にカタカナ語(外来語など)をなるべく使わないという縛りを設けているのですが……今回は思いきり英語を使ってしまいました。詳細を知りたい方は「交渉術」でググってください。
亡き国王マクシミリアンの妹、アンナ・ステラム・セシリア・シャーロッテ・プロ・アストリア。彼女は王族でありながら政治への参加を拒み、脈玉の研究者に転身したという異色の経歴の持ち主であった。
政治と無関係とはいえ、王族ゆえの権威は捨て切れるものではない。本人がどう考えようと、周囲はどうしても特別扱いしてしまう。若い頃はそのことに不満を抱いていたアンナだったが、そのうちに自身の権威を研究のために利用するようになった。勿論違法なことはしなかったが、例えば普通の研究者では有り得ないほどの研究予算を獲得したり、稀少な実験材料を入手したりしていた。その意味で、彼女はアストリアの歴史上、最も恵まれた脈玉の研究者だったといえる。
お蔭で彼女は、それ以前の研究者達がやりたくてもできなかったことやそもそもやろうとすら思わなかったことを行なえた。そして、幾つもの新発見を重ねてきた。
「故に、叔母上の研究成果を応用すれば、古来の兵法書には記載されていない戦術も可能になるのだ」
「理屈は分かりましたが……本当にあの実験の通りうまく行くんですか?」
メルキオがエドワードに問う。
「それに、敵が持っている脈玉入りの武器を一箇所に集めた上でその中心に行くなんて、一体全体どうやったらそんな状況を作り出せるのか……」
難しい顔をして尋ねるメルキオに対し、エドワードは
「なに、そう難しいことではない」
と、いつものように事もなげに答えた。
「余が囮になればよいのだ」
* *
交渉術の分野に、対照的な二つの技法が存在する。
一つは、Foot-in-the-door。相手が確実に承諾するであろう小さな要求から始めて、徐々に要求を大きくしていき、遂には目的の要求を承服させる――という技法だ。
もう一つは、Door-in-the-face。最初に突拍子もないほど大きな要求を出し、相手が拒否したら、妥協するように見せかけてより現実的な要求をすることによって、本来なら通りそうもない要求を通してしまう――という技法である。
コンラートが使ったのは後者だった。アストリア側から海戦前に話し合いの場を持ちたいとの要請があったのに対して、普通なら有り得ない条件を出したのだ。話し合いを行なうのは両軍の中間地点ではなく、リヒテルバウム海軍の中心に位置する船上で、しかもその船はリヒテルバウム側が用意する……と。
コンラートとしては、場所が中間地点になったとしても、ともかくリヒテルバウムの船にエドワードを乗せたかった。こちらの陣地にさえ招くことができれば、あとはどうとでもできる……。
そう考えていたものだから、最初の無茶な条件に応じてもよいとの返事が届いた時には流石に耳を疑った。
「本当に、こちらの船隊に囲まれた位置でよいと……?」
「はい。ただし、護衛のため一隻ではなく三隻で向かうとのことです」
「そうか……」
コンラートはしばし黙考した。
幾つもの状況を想定してみたが、いくら考えてもこちらの有利は揺るぎそうにない。護衛艦を含めた三隻に搭乗可能な最大人数を計算してみたところ、こちらが所持している脈玉入りの武器の数より少なかった。つまり、どう転んでも抑えきれるということだ。
アストリア側の真意は読み切れないけれど、このままの条件で話を進めましょう、とコンラートは進言した。
「アストリア側としては、たとえ不利な条件でも、とにかく一度協議したいということなのでしょう。前回の敗戦で相当追い詰められているのかもしれません」
* *
こうして、アストリアとリヒテルバウムの会談が取り決まった。
場所はリヒテルバウムの戦艦、甲板の上に設けられた席。戦艦のすぐ隣にアストリアの護衛艦三隻が停泊しているのを除けば、周囲を取り巻いているのは全てリヒテルバウムの船団である。一方のアストリア海軍は、リヒテルバウム海軍からある程度離れた位置にいた。例え矢を射たとしても届かないほどの距離であった。
そして、これら全てはリヒテルバウムの司令官達にとって笑いを堪えきれないほど理想的な状況といえた。エドワードを暗殺し、護衛艦三隻の兵士達を脈玉入りの武器で抑え込めば、残りのアストリア軍は投降せざるを得まい――。
会談の参列者は、アストリア側からは、総司令官エドワード、外務大臣ケネス、護衛としてリチャードおよび数名の近衛騎士達。リヒテルバウム側からは、海軍大将エーベルシュタイン、外務大臣ヴュールバッハ、そして数名の海軍将校達だった。
「此度の会談に快く応じて頂いたことに、まずは感謝を申し上げる」
「こちらこそ、わざわざ我が軍の戦艦へ御足労頂き感謝いたす」
弱冠の国王と、老歳の軍人。奇妙な組み合わせの二人が、今回の会談の中心人物である。何も知らぬ者が見れば、経験豊富で老獪な軍人の方が、若輩の青年より有利に思えたことだろう。
リヒテルバウムとしては、相手に無条件降伏を要求。もし応じないなら武力で制圧する、というのが基本姿勢だ。そもそも譲歩する理由がない。(蛇足だが、これくらい単純明快でなければエーベルシュタインに交渉役は務まらないだろう、というコンラートの隠れた配慮でもあった。もしもアストリアが応じればよし、そうでなくとも元々交渉を成立させる気がないのだから、細かく考えるだけ無駄という訳だ。)
それに対してアストリアは、休戦協定の再履行を求めた。協定を一方的に破棄したのはリヒテルバウムである。道義的責任は言い逃れできない。
「貴国は正義に悖ることなど行なわない、不正を許さない国であると、我々は信じています」
「そ、それはもちろん」
エーベルシュタインは冷や汗をかきつつこう答えるのが精一杯だった。
「であれば、我が国から不正に輸入なさった脈玉入りの武器をご返還願いたい」
「な、何の話ですかな……?」
これにはエーベルシュタインだけでなくヴュールバッハも焦った。脈玉入りの武器を密輸入していることがアストリアに見抜かれているかもしれないとは思っていたが、まさかこの会談の場で暴かれるとは思ってもみなかったのだ。
ケネスが口を開いた。
「ふむ。何のことか分からないと仰るようなら、詳細にご説明いたしますが。こちらには、証拠も証人も揃っておりますゆえ」
この辺りで、リヒテルバウム陣営の焦りは頂点に達した。議論でこの敵に勝つのことはできない、とようやく――それはあまりにも遅かったが――悟ったのだ。
追い詰められると、時に信じられないような行動に出てしまうのが人間というものである。もうどうしようもないと感じたエーベルシュタインは、コンラートから授かった作戦一切を無視し、とんでもない行動に走った。
「エドワード、覚悟!!」
周囲の人間が止める間もなく、彼は剣を抜いてエドワードに斬りかかった。味方ですら反応できない程の、一瞬。
「――――!」
耳をつんざくような激しい剣戟の音が響いた。
それでも微動だにせず、相手を見据えたままのエドワード。
彼の目の前にはエーベルシュタインの剣と――その斬撃を受け切った、もう一本の剣。
「陛下! 今のうちに!」
リチャードであった。こと剣の腕にかけては、アストリアで彼の右に出る者は居ない。
エドワードは軽く頷き、そして敵陣営をねめつけた。
「交渉は決裂だ! エーベルシュタイン!」
言うが早いかエドワードは椅子が倒れるのも気に留めず立ち上がると、船べりに向かって駆け出した。そこへ味方の船から帆綱が投げ込まれ、それを片手でしっかりと掴む。と同時に帆綱が巻き上げられ、エドワードの体を勢いよく引き上げた。そのまま、振り子のように宙を滑空したエドワードは、みるみるうちに帆柱の上にある見張り台へと到達した。通常そこに居るはずの見張り役は居らず、代わりに待ち構えていたのは……。
「遅かったじゃない、エド君」
浄めの脈玉の付いた指輪を嵌めたアンナであった。
「予定通りに行かぬのが戦というものなのですよ、叔母上」
そう言いながらエドワードは自身の持つ浄めの脈玉を取り出した。そして、二人揃って脈玉の覚醒状態を発動させる。
「さあ、世紀の大実験の始まりよ! 刮目なさい!」
* *
リヒテルバウムの人間からしてみれば、何が起きたのかすぐには理解できなかった。エドワードに逃げられた時点で作戦は失敗。次善の策としては、たった三隻のアストリア勢に周囲から総攻撃をかけることだったのだが……すぐさまその号令を出す者はおらず、皆ただあっけにとられてエドワードの動きを目で追っていた。
それは他の船でも同様で、リヒテルバウムの兵士達は揃ってアンナとエドワードを見上げる形となった。
そしてアンナが大実験の開始を宣言した次の瞬間、
「――――っ!?」
帆柱の上からとてつもなく強い光が降り注いだ。まるで小さな太陽がそこに出現したかのようなまばゆさであった。
「ま、眩しい……」
光が収まるまで、数秒くらいだっただろうか。光を直視してしまったリヒテルバウム軍の者達は、目が眩んでしばらくまともに動けなくなった。
どうやらその僅かな時間は、エドワードが周辺状況を確認するのに十分な長さであったらしい。
「脈玉入りの武器を所持しているのは、周囲の五隻のみだ! 総員突撃!」
エドワードの号令を聞いてやっと我に返ったエーベルシュタインも、慌てて号令をかける。
「敵は三隻だけだ! 脈玉を使え! かかれ!」
こうしてリヒテルバウムの兵士達も攻勢に出た。アストリアの護衛艦を囲む五隻に配備されていた、脈玉入りの武器を携えた精鋭達である。
――ところが。
「脈玉が反応しません!」
剣に嵌め込まれた脈玉はどれも銀色のままで、戦闘時の赤色にできた者は一人もいなかった。
「何だと? 何故急に……!?」
「分かりません! ついさっきまでは問題なかったのですが……!」
リヒテルバウム軍は大混乱に陥った。
「まさか……!」
ヴュールバッハははたと気づき、エドワードの方を見上げた。
「先程の光のせいか!?」
* *
時間は少し遡り、脈玉の研究所でアンナがあの実験を行なった時のことだ。
アンナとエドワードが各々の宝に嵌め込まれた浄めの脈玉を発動させ、やはり同様の強い光が発生した。メルキオら近衛達は当然、その光にたじろいだ。
「い、今の光は……?」
「これが、浄めの脈玉のもう一つの特徴――“共鳴″よ」
そう言ってアンナは解説を始めた。
聖なる脈玉同士は発動時、互いに影響を与え合う。そして、力が力を増幅させ、足し算ではなくまるで掛け算のような強大な威力を発揮するのだ。
今回の実験の場合、初期化がほんの一瞬で終わるようになる。しかも、光が届く広い範囲において、だ。
この最新の研究成果を応用しようと考えたのがエドワードだった。リヒテルバウムの持つ脈玉入りの武器を全て初期化できれば、そしてその上でアストリア側が脈玉を発動できれば、戦局は一気に逆転する――。
* *
「先程の光のせいか!?」
あの王太子が、目眩しの為だけにあんなことをしたとは思えなかった。理屈は分からないが、あの光によって脈玉の力が封じられたとしか考えられない。
「しかし、それならばアストリア軍も条件は同じ! 脈玉が使えなくなるということではないか!」
ヴュールバッハは声が届かないのを承知の上でエドワードに向かって叫んだ。
「叔母上、浄めの脈玉がそろそろ落ち着いたと思うのですが……」
エドワードは、自分の脈玉の光が収まり、完全に平常状態に戻ったのを確認して、アンナに声を掛けた。一方のアンナは、光の効果がどの範囲にまで及んだか忙しく距離を測っては、せわしなく記録を取っていた。実験の記録はできるだけ早く正確に残すのが彼女の主義なのだ。
「あ、ああ。そうね……」
エドワードに言われてやっと彼女は手を止め、自分の脈玉とエドワードの脈玉を順に観察した。
「確かに、もう大丈夫ね。防護布を外しても構わないって、伝えていいわよ」
「承知しました」
アストリアの兵士達には、アンナの研究所で特別に作られた覆いが配布されていた。この布には、浄めの脈玉から発せられる光線を遮断する特殊加工が施されており、脈玉に被せておけば初期化を免れるという代物であった。この布でできた覆いをアストリアの兵は全員、剣の脈玉部分に装着していたのである。
リヒテルバウム側の脈玉が発動しないということは、彼らの持つ武器は脈玉が付いていないも同然である。そして、アストリア側のみ脈玉が有効であれば、三対五程度の数の不利は簡単に覆せるのだ。
この後、アストリア軍がリヒテルバウムの五隻を制圧し、残りのリヒテルバウム軍が戦意を喪失して投降するまでに、さほど時間はかからなかった。
結果、アストリア海軍は被害を最小限に抑えつつリヒテルバウム海軍に勝利し、その上、脈玉入りの武器を取り返すことに成功したのだった。
* *
「それにしても、凄い光でしたね……」
まだいくらか目が眩んだままらしく、目をしばたたかせながらメルキオが実験の感想を述べた。
「そうね。人工的な光でこれほど強い輝度のものは、今のところ他に存在しないからね」
「それほどですか……」
メルキオは言葉を失った。
「元々、聖なる脈玉はその玉光ゆえに讃えられることも多いのだが……」
エドワードの呟きを耳にして、アンナはくすりと微笑んだ。
「それならこの光、名付けて『極光』とでも呼ぼうかしら」
無剣の騎士 第2話 scene13. 極光
⇒ scene14. につづく