庭に花束を届けに来た人(三部作) 第一部 レアル・ロンド

日南田ウヲ

「レアル・ロンド」

 黒い木炭を握りながら白い画用紙の表面へ線を入れていくと、いまでも私は先生と出会い過ごした日々を思い出す。
 終戦を少年の頃に迎え、東北から大阪へ出てきた二十歳そこらの私は、当時或る美術学校の生徒だった。
 自分が描いた絵はいくつかの有名な絵画団体の公募展や国の主催する展覧会に入選することも度々あり自分の絵を描く才能について有頂天になっていた。私は本当の意味で当時、天狗になっていた。
 蝉が鳴き始めた夏のある日、私は大阪の肥後橋界隈の呑み屋に友人と入った。
 店内は仕事帰りの労働者で溢れ、彼らの汗の臭い、酒の香りや焦げた鶏肉の臭いと白い煙が入り混じって漂っていた。
 その日、私は市内のN美術館で見た絵画展について友人と議論をしていた。
 絵画展に並んだ作品について実にくだらないといった言葉を言いながら友人に息を巻いて話していたことを覚えている。そしてその店に飾ってあった一枚の絵を指差し、君、あれもそうだと言った。
「どうだ、あそこの絵をみてみろよ、あの絵はじつにくだらない。作品の中に潜む真実が見る人に迫ってこない。まるでルノワールのような真似をして、それに自分自身が愉快になっているだけの唾棄される作品だよ、所詮、ほかの仕事を持ちながら安定した収入を得ている人が描く甘ったれた絵だ。絵画はその中に真実を伴わなければならない。そう、絵画における真実とはね、画家の内面にある苦悩や私的な問題を叙情詩のように紡ぎあげて出てくる純粋な塊だと思う。それが見る人に塊としてぶつかってはじめて絵画として社会の中に存在できるものなのだ。あれは絵画じゃない、唯の壁の飾り物だよ。看板だよ」と私は言った。
 友人は、私のそうした口舌にやりきれなくなったのか、やれやれといった態をして風に当たってくるといって席を外した。
 私は一人になり、店内の雑踏の中でコップに残った麦酒をぐるぐる回し、背を丸めながら頭を掻いたりして友人が帰ってくるのを待っていた。すると友人がいない空いた席に見知らぬ男が座ってきた。
 私は顔をあげその男をみた。男は大きな黒縁のメガネをかけぼさぼさの髪をしており、背中に麻で出来たリュックを背負い、脇に画板を挟んでいた。
 放浪者の様な態をした男は私に「失礼ですが、先ほどあなたが友人と話しているのが聞こえましてね、最初声があまりにも懐かしい僕の昔の知り合いに似ていたものですからその友人かと思い暫く遠くで見ていました。やがて違うと分かったのですが、その・・どうやら絵のことについてお話を友人とされているのがわかり、僕も恥ずかしながら絵を描くものですからまた暫く興味を持ちながら聞いていました。お尋ねしたいのですが・・あなたは、絵を描かれるのですか」と、言った。
 私は、男を見ながら「そうです。将来は画家として良い作品を描きたいと思います」と、言った。
 男はそれを聞くと「そうですか、それはとても素晴らしい夢ですね。もしよければ、僕の絵を見ていただけませんか、いえ、勿論ただとはいいません、見ていただける御礼に麦酒を一杯おごらせていただきます」そう言うと男は店の女の子に言って、麦酒を持ってくるように言った。
 男は、自分の画板から一枚の画用紙を私に渡した。画用紙は少し黄ばんでいて、あまり品質の良いものとは思えなかった。私は彼に言った。
「私は若いですが、最近いろんな美術展や大きな公募展に入選もしています。ですので、実力もあると自分では思っています。だからはあなたにとって厳しいかもしれませんが、ありのままの感想をいいますよ」「結構です。才能のある方に言っていただく言葉は、僕にとってかけがえの無い大事なものですから」と、男は眼鏡についた曇りを取りながら、そう言った。
 私は、男の絵を手にとってそっと開いた。
 見るとそれは素描であり、黒い木炭で描かれていた若い女性の裸婦像だった。
 絵はぐいぐいと引かれる線に所々指でこすられた痕があり、そのため画用紙の表面が磨かれて、艶めかしい程の光沢を放っていた。私は描かれたモデルの持つ若草のような匂いを確かに鼻腔で嗅いだ。
 嗚呼、絵には生命力が溢れていた。
 そして裸婦の瞳は紛れもなく絵を見ている私をじっと見つめていて、その視線は私の心臓を貫き、それだけでなくその貫かれた穴に私の言葉を連れ込んで、声を奪った。
 私は声を失った。
 麦酒の底に揺らぐ自分が叫んでいた。
 店内の中の猥雑な言葉は私の鼓膜の振動から離れ、自分だけの心臓音が静寂の中に聞こえた。
 黄ばんだ画用紙の中で、裸婦はまさに呼吸をしてこの世界に存在していた。
 私は今まで同期の学窓仲間達でこれほどの素描を見たことが無かった。
 私は絵を暫く手に持ちながら、暫く顔を上げることが出来なかった。
「先生、麦酒ね」と、言う女の声が聞こえた。
「なかなかいい絵ね、滝先生。今日はスケッチの帰りですか。そうそう今度またモデルになってあげるわ。今度は前よりうまく描いてくださいね」と声が続いた。
 私はそのときはっとして顔を上げ、うまそうに麦酒を飲む男の顔を見た。
 私はこの時目の前にいるこの人物が、画家の滝次郎先生だと知った。

 戦後の美術界にあって、滝次郎は異色の存在だった。画業については捕虜だった拘留先の欧州で始まり、そのためその活動の場所も多くが欧州だった。
 風貌は傍若無人ぶりであるが、知性的な顔立ちをしており、その瞳の奥底に青い憂いを漂わせ、その作風はLa vie en bleu(青の中の生命)といわれ、またその構図もひとつの形に嵌らず、新しい時代と未来への息吹を感じさせていた。
 欧州での活動後、ピカソ、マティス等の沢山の友人を得た後、日本へ戻り、自分の故郷の大阪に居を移してから自分の作品を少しずつ世に送り出しては、多くの議論を巻き起こした。
 滝先生と出会ったあの晩から数日後、私は滝先生の所を訪問した。
 先生のアトリエは中ノ島の路地を入った小さな通りの袋小路にあった。
 滝洋画研究所と看板が出されその建物は青く茂る鬱蒼とした木々に囲まれ、壁が所々朱色のレンガがはがれて所々中の基礎が見えていた。
 入り口の扉の前には大きなずんぐりとした黒猫、(その猫をミロと皆言っていた)が一匹いて私が来てもその場所を動こうとする気配はなく、ずっと寝ていた。
 私はミロを起こさない様に静かに扉を開け室内に入った。
 室内の奥にまた扉があってそこから明かりが漏れていた。
 人影で明かりが揺れているのが分かり、私は静かに室内をのぞいた。先生は数人に混じってモデルを立たせデッサンをしていた。
 私は先生に黙礼をすると静かに後ろのほうの椅子に座った。そこで視線を動かして絵を描いている人々を眺めた。
 一人ひとり見つめてゆくとそれはさまざまな人達だった。
 歳を召したご婦人や半纏をまとった中年の職工の男性、キャバレーで働いている風の女性や、そのほかにも私より歳の若い学生や、手をなくした軍人服を着た老人など、多様な顔ぶれの人がいた。
 私も美術雑誌や新聞で先生の洋画研究所のことは耳にしていた。
 私がそうした記事で知っているその研究所の理念は、身分、職業に関係なく絵画の真実を学ぶものを仲間として、真実のロンド(舞踏)を皆で踊る、と確か記事にはあった。
 私がそう思いながら、人々を眺めていると先生が「休憩しましょう」と、言ったのが聞こえた。私は立ち上がり先生のほうへ進んだ。
 先生は私に「よく来てくださいましたね、相馬一平君といいましたね。ようこそ、僕の研究所へ。将来の偉大な画家さんに来ていただくのは、当研究所としては光栄の極みですよ」と、少し皮肉を含みながら、最後に大きな声で豪快に笑い僕を赤面させた。そして僕を先ほど眺めていた人々に紹介してくれた。
 ひと通り紹介が終わると私は先生の横に座り、イーゼルにかけられた描きかけの裸婦デッサンを見た。
 その絵は黒い木炭の線だけで裸婦が描かれているだけなのに、モデルの息遣いだけでなく、この空間に存在する意味や生命の賛歌や、そしてとても詩的なものを私に感じさせた。
 絵を見ている私の顔を見ていた先生は、私の肩に手を置いて「君も描くでしょう、さぁ用意してください」と言った。そういわれて私は黒いコンテをとりだし、席に座った。
 モデルが私達の前に立つと時間が止まったかのように、その肉体の動きも止まった。
 私は精神を集中してモデルを見た。
 そして肉体を脳裏に記憶しては、それを正確に画用紙に描いていった。ただ描きながら心が緊張しつつあった。
 自分よりはるかに有名で実力のある画家が傍にいて、私はいま絵を描いている、だが・・このあとで自分の絵をここにいるすべての人々がみたらどう思うだろう、きっと一笑にされ、自分の自信と描いた絵が木っ端微塵になってガラスの破片の雨となって降り注ぐ、そしてそれで自分が終わる・・心を自分の苦しい叫び声が捉えて離さなかった。
 自分を守りたいと思う心からくる緊張だった。私は自分の握るコンテを見た。
 黒く汚れた指に握られた塊に、私はそのとき映るはずもない自分の姿が見えた。映る自分は怯えてはいなかった。
 ただ嗤っていた。
 嗤われる自分がそこにいて、時計が動く音が聞こえ、時が動いているのが分かった。
 先生の「はい、終わり」という太く響く声と、手を叩く音が聞える。私はコンテを握り締めたまま、モデルが動くのを眺めていた。
 手には今まで絵を描いたときにはかいたことのない汗が吹き出ていた。先生が私のほうにやって来て作品を見た。
「よく描けていますよ、心がでていますね。おそれというか、張り詰めた緊張がよく伝わります。それがきっと君のこの瞬間の真実なのでしょうね」
 私は自分の絵を見た。そこに描かれている絵を見て、私は泣き出しそうな気持になった。
 そこには何も描かれていなかったのだ。先生はそれを私の真実の絵として評価したのである。

 その夏の間、私は先生のところでひたすらデッサンに励んだ。そのため洋画研究所に通う他の人々との交流も出来始めた。話をするとほとんどの人が学校で正規の美術教育を受けた人達ではなく、ほぼ美術については無学に等しい人達だった。
 だが絵画に対する情熱は高く、私もそうした人々に混じりながら多くのことを学び、今までに感じたことの無い情熱と熱心さのなかで日々過ごしていた。
 先生はそんな人々の真ん中にあって太陽のように人々を照らしていた。皆太陽の下の向日葵のように元気一杯に咲いていた。私はそんな日々の中でデッサンに没頭し、ひたすら自分の技術を磨いて行った。
 しかし、時折見る先生の絵と自分の絵が決定的に違うものをいつも感じないではいられなかった。それを知りたいような、できれば知りたくないようなそんなことを思いながら日々研究所に通い続けた。
 そんなある日私は先生の研究所で一人デッサンをしていた。
 陽光がかすかに入る場所を選びセザンヌの絵のように丁寧に色彩をあわせて静物を描いていた。
 すっと部屋の中を風が流れるのを感じた私は、視線を風が流れたほうに向けた。
 視線の先の部屋の影の中に濃い人影があるのが分かった。私は先ほど出かけた先生が戻ってきたのか思い「先生、もうおもどりですか」と、言った。
 人影はゆっくり私の前に現れた。
 それは先生ではなかった。私よりいくつか若い女性だった。
 長い髪を三つ編みにしており、麦わらの帽子をかぶり白いワンピースを着ていた。
「あ、これは」と、私は言い席を立った。
 女性は黒く大きな瞳を私に向けて、口に手を当てて少し驚いた顔をして私に声をかけた。
「次郎おじ様かと、おもいました。あんまりに一生懸命な姿がおじ様に似ていたもので」
 それで私はこの人が先生の姪にあたる凜子さんだとわかった。
 先生はこの凜子さんを迎えに先ほど近くの駅まで出かけたとこだったからである。
 私は先生が先程、あなたを迎えに行かれたところだと言うと、凛子さんはそれではここで次郎おじ様が戻るのを待つほうがよさそうだといって私の傍に来て描いている絵を見た。
 そして私の顔をみて「絵を描くの、あなた本当に好き?」と言った。
 私はその質問に驚いて、一瞬黙ってしまった。
 先生はやがて駅から汗だくで戻ってこられ「すまない、行き違いになった」と凜子さんに言って笑って、私を凜子さんに紹介した。
 私は改めて自分の名前を言って会釈をした後、再び絵を描く作業に没頭した。
 先生は姪の凜子さんと少し離れたところに椅子を置いて二人腰掛けながら話を始めた。
 話は時折笑いが含まれ和やかで、先生の声だけでなく凜子さんの透き通るような声音も気持良く部屋に響いた。描きながら時折私の視野の中に凜子さんが入ってきて微笑だ。
 その微笑がとても心地よく私はとても心が微笑みの温かさで満ちていくのを感じた。
 先生の所から帰るその夜、私は月を眺めていた。
 そして中ノ島にかかる石造りの橋のオレンジ色の街灯の下でとまって川面を見て思った。
 私は先生のところに通い始めて、心の中で自分の描く絵と先生の描く絵とに大きな隔たりがあるのを実は感じていた。
 私の絵はもしかしたら世間一般の人に比べれば上手いかもしれない、しかし先生の絵は上手だというものではなく、絵とはこうしたものだという存在意義を持っていた。
 そこに存在すること、ただそれのみの理由を常に見る人に訴えていた。
 私の絵は確かに過去にいくつかの賞をとるほどだったが、それは先生の絵の前ではまったく駄目だった。
 むしろ先生のような画聖の領域に入るための才能が無いことに失望していたので、今日の凜子さんの言葉はまるで氷柱のように私の心を突き抜けた。
 川面に映る自分の姿と自分の才能が揺らいで流れて行くのが分かり、溜息がオレンジに染まった。

 秋の頃になると私はすっかり自分の絵が描けなくなっていた。
 夏の頃には失うことが無かった情熱がすっかり失われてしまったが、それでも先生のところには通っていた。
 絵画への情熱が無くなってしまったその心の穴を埋めるように私は良く小説を読むようになった。
 きっかけになったのは凜子さんから借りたヘッセの小説だった。
 私はそれを夏の終わりに読んだ。ヘッセを読みながら、時折中ノ島の橋の上で立ち止まり、考えたりしながら私は思索を重ねるようになった。
 文字が少しずつ階段になって行き、私はその階段を上がり始めた。
 その先のフロアには常に彼女がスカートの裾を風に靡かせて居た。
 読み終えた本を凜子さんに返すと、代わりに今度はサガンやツルゲーネフ等の小説を貸してくれた。私は橋の上でまた本を閉じては思索を重ね、変わり行く大阪の街の風景を見た。
 自分でも海外の作家だけではなく、日本の作家の小説を沢山読むようになっていた。そしてそのうち自分で小説を書くようになった。以外に面白く、自分の思索の先にともる言葉をかき集める作業に没頭した。
 昼は先生のところで絵を学び、夜は小説を書いた。
 あるとき先生が私の絵を見て「一平君、最近の君の絵の中には感情の重量が感じられる。それは思考の先に釣り下がる雫が落ちて広がって、それが作品全体の重さになっているように思う。凜子は君に何かを感じたようだといったが、あの子の直感が当たったかもしれないね」と、言った。
 私は先生にそういってもらったことに少し喜悦し、自分の世界に入りながら小説を書き始めた。
 秋の終わりの頃、小説の募集があり私は応募した。
 結果は入選だった。
 それを受け取った日に、私は枯れる銀杏並木の通りの中で、先生と一緒に歩く凜子さんを見た。向こうは気づかなかったが私は会釈をしてその場所から離れた。
 私はそれを機に少しずつ絵画から離れていった。
 それからも私は先生のもとに通いながらデッサンをした。先生はそんな私に何か言うわけではなく、また私も先生と一緒に椅子に座りながらデッサンをした。
 秋が暮れ、冬がそこまで来ていた。
 私は凛子さんとふたりで歩くことが多くなり、先生の過去のことを聞いたのはちょうどその頃だった。
 それは先生の画業にとても深くつながっている話だった。

 先生は戦時中戦闘機に乗っていた。
 戦時には度々偵察のために基地を出て南方の空を飛んでいた。
 第二次世界大戦の末期のある日、先生は闇夜に同僚機と共にフィリピン洋に向けて出撃した。
 南方の空に出撃する連合軍の艦隊の偵察が目的だった。もし空で敵機と遭遇した場合は、撃墜することも今回の軍事行動には含まれていた。
 その時先生は二人乗りの戦闘機に乗って出撃した。
 撃墜する操縦桿は多久島という軍隊でも一緒だった美術学校の同期生が握っていた。
 先生は出発の際、多久島の肩を軽く叩き手を握った。すべてを彼に委ね、戦闘機は空へ飛び立った。
 戦闘機は隊列を整えながら闇夜を進み、途中旋回運動を取った。
 その時自分の乗った戦闘機が同僚機の跡に続いて行かず、自分たちの機が隊列から離れていくのを知った。
「どうした、多久島、皆と離れて行くぞ」
 先生は多久島に言った。
「操縦桿が動かないようだ。無線も通じない。隊長機もこちらに気づかないようだ」
 多久島から返事があると、先生はすぐさまベルトのロックを外し、足元においてある落下傘を手にとった。
「多久島、このままでは機が墜落するのを待つばかりだ。いっそのこと不時着して爆破する前にここから飛び降りよう」
 そう言ったとき東の方角で明かりが見えた。
 雲の壁に反射したのは爆発して燃える炎の赤い光だった。
 先生と多久島はそちらのほうを見た。
 そこでは他の同僚機が敵機の襲撃を受けて燃えていた。五分も経たないうちに一機、また一機と同僚機が空から地上へ炎につつまれ落ちて行った。
 やがて空は暗闇になった。自分たちを乗せた戦闘機は静かに雲の中に入り進んで行った。
 多久島は先生に言った。
「もしあのままついて行ったら俺たちは死んでいたかもしれない」
 そう言うと先生は言葉もなく黙っていた。
「なぜ、戦争を始めたのだろう、俺もお前ももし戦争がなければ自由に好きな絵を描いて暮らせていけたのだろうに、皆戦争に負けると知っているのに、空へ飛び立って、さっきみたいに打ち落とされて死んで行く、犬死じゃないか」
 先生は多久島に向かって「多久島、それは言ってはいけない。時代なのだ。俺たちはそうした時代に生まれたのだ」と、言った。
 二人の間に静かな時間が流れた。
「滝、俺は思うよ、お前のような素晴らしい才能がこんなことで消えてしまうのは惜しい。初めてお前の絵を東京の美術学校で見たときに思った。俺以上にすごいやつがここにいるって。お前は美術界にとって必要な人物だと」
 先生は黙って多久島の姿を見た。
「だから滝、お前はここで死んではいけない」
 そう言うと戦闘機は左に曲がり始めた。
「おい、多久島!」先生は多久島へ叫んだ。
「すまない、滝。操縦桿は故障していたわけでもない、無線も俺が電源を切った。今日、空で敵機と遭遇するのを離陸前に知った。そしておそらく全滅するだろうと思った。生き残る、それしかないのだ。滝、お前だけは。お前の才能が惜しい。もし恨むなら俺を恨んでくれ。非難はすべて俺が受ける」
 そう言うと戦闘機はスピードを上げ進んだ。
 眼下には真っ黒な海が見えていた。先生にはどこへ行こうとするのか分からなかった。
 戦闘機からはやがてエンジンの音が消えた。コックピット内は静かな静寂が流れ、ただ風の音だけが聞こえた。ゆっくりと、ゆっくりと風を受けながら戦闘機は秋の木々の葉のように、下へと降りて行った。
 空に上る陽の光が地平線に見えた。二人とも無言でその光を見た。
 眼下には青い海が見えた。
 そして目を細めると沢山の小さな島々が見えた。
 朝の檸檬色の光が波を照らし、美しい珊瑚礁郡を照らし出した。多久島が先生に言った。
「滝、この先はおそらくタヒチ島に近い場所だ。あのゴーギャンがいた場所だよ。俺は彼の絵を、雑誌でしか見たことが無い。滝、俺は生きている間に彼の強い色彩を網膜に焼き付けたい、と願っている」
 声が流れ、先生はコックピットの窓越しに外へ目を遣った。先生には眼下に見える海は自分の憧れるイタリアの海を思わせた。
「多久島、俺も生きている間にスペイン、フランスを回り美術館であのダ・ヴィンチの絵画をみたい。いや、それだけじゃない画壇で活躍している同世代のやつらと自分を競い合いたい、いや真っ正直に向かい合って自分が持つ総ての力を出して真剣勝負をしてみたい」多久島は微笑んだ。
「滝、おまえならできる。お前のもつ才能ならきっとどんなやつらにお前は負けやしない」先生は空へと上がる朝陽に手をかざした。
「多久島、賭けるか」
「何をさ?」多久島は言った。
 戦闘機は高度を下げ海面が見えるところを飛行しつつあった。穏やかな波の音が二人の会話に溶け込んでくる。
「僕と彼らのどちらが勝つかだよ」
「滝、お前何を賭ける、俺はお前を生かすために自分で軍の命令に違反した。命を、まぁ勝手に賭けたのだがね」
 ふふ、と笑う声が響く。
「賭け品としてそれ以上のものを出してもらわないと」
 先生は、成る程と言って少し考えた。
「じゃ俺が彼達に会ったとき僕の絵を見せよう。彼等がもし僕の絵に賞賛の気持を与えてくれたら僕の絵の裏にサインをしてもらうよ。そうすれば才能があるのだと言う証拠になるだろう。多久島、それでどうだ」
「才能を認め合うもの同士が相手の絵の裏に相手の才能の豊かさを認め、その証拠にサインを書く。昔の道場破りが勝ったらその証拠に看板を持って返るのと同じだな」
「そうさ。多久島、僕は必ず有名になるよ。命を削ってでも素晴らしい絵を描く。そして世界の名だたる画家達のそんなサインの入った絵を君に送るから、君がそれを売ればきっと大金持ちになる」
 多久島の笑い声がコックピット内に響いた。
「有名になれよ、そうしないと唯の紙切れだ。そいつを俺に送ってくれ。沢山お前の絵を売って金を稼いで豪邸に住むようにしよう」
 そして左手の人差し指と中指を立ててVの字を作り先生に合図を送った。
「ただそれだけじゃ足りないな、滝。まだ先が見えないお前の将来へ賭けるには先にお前から頂きたいものがある。それを担保にしてこの勝負をしよう。もちろんお前が厭でも頂くぞ」
 その指に銀色のソケットが紐に吊り下げてあった。先生はそれを取った。
 ソケットを空けると一枚の紙があった。丁寧に折りたたまれた黄色の紙に女性の顔が合った。
 先生はその絵を見た。
 朝陽に照らされたその絵をみて先生は思わず、叫びそうになった。
「多久島、これ妹のせつじゃないか。いつ描いたのさ」
「滝、もし戦争が終わって命、もう一度せつさんに会えれば、俺はせつさんと結婚したい。どうだろう、だめだろうか」
 先生は頬に涙が伝わるのを感じた。その涙は手にした絵に落ちていった。
「ありがとう、多久島。僕のほうこそこの戦時中だ、いつ命を落としてしまうかもしれない。もし再びせつに会えたら、どうか幸せにしてやってほしい。妹も多久島のことがすきだ。良かったよ」
 再び多久島の左手が見えた。
 今度はVの字が大きく開いて親指一つだけになった。笑い声と輝く朝陽が、二人を包んだ。
 その直後、機内に爆発音が響いた。戦闘機は砲撃を受けた。
 コックピット一面に赤い血潮の薔薇が咲き、ぐらりと揺れた後、戦闘機はそのまま落ちていった。
「多久島・・!大丈夫か!!」先生はそう言って多久島の腕をつかんだ。
 多久島は血に染まる腕で先生をしっかりと掴んだ。
「これを・・せつさんに・・渡してくれ。滝、お前は生きるのだ。俺の分まで・・俺はこのまま、・・逝く・・」
 荒い声がガラスを叩いた。口から大量の血が吹き出ていた。
「多久島・・!何を言うのだ、傷は浅いぞ、生きるぞ、生きるのだ、こんな時代に負けてどうするのだ。おい・・多久島、声を出せ・・!」
 多久島はもう一度先生の腕を握り手のひらにそっと銀のソケットを置いた。
「滝・・お前の将来を見たかった、せつさんの未来を祝福しているからな・・さようなら、・・さようなら・・愛しい人達よ・・」
 戦闘機は波の厚い壁にぶつかり、一気に潜って行った。
 先生は息を大きく吸い込みガラスを突き破った。ガラスは外れ先生の体は浮いた。
 しかし先生は手を漕ぎ沈みいく戦闘機めがけて懸命に漕いだ。
 戦闘機は海底へと速度落とさず沈んでいった。
 それでも先生は漕いだ。その視界から戦闘機が消えても先生は漕いだ。
(待て、戻れ、戻るのだ、多久島・・!!共に同じ時代を生きるのだ・・君はせつと一緒に!!)
 先生はいつもまでも、いつもまでも耳に海の静けさが響くまで、漕いだ。
 やがて戦闘機の沈んだ先から最後の一つの泡が先生の頬にぶつかって潰れた。
 それで先生は意識を失い、やがて体が浮き始め太陽の輝く世界へ先生の身体は戻って行った。

 季節が過ぎ冬になった。
 私は翌年の春に凜子さんと結婚することになった。
 先生は冬の間、欧州をめぐる旅行に行っており春に戻られて私がその旨を伝えたところ非常に驚かれ、いつもの大きな声で私の肩を叩きおめでとうと言ってくれた。
 先生は南仏を回りまたスペインのマジョルカ島を回り、ミロなどの旧友達と会ってきたと言った。
 私は先生が欧州を遊歴中に描いたデッサンをいくつか見せた。先生はそのひとつひとつにコメントをつけてくれた。
 私は地方の新聞に自分の小説を寄稿しており、その合間を縫って絵を描いていてとても絵に集中できている状況ではなかったので出来上がるデッサンには不安を持っていた。
 しかし先生は私の絵が以前にも増して、より自然で透明度が高く不純物が取り除かれた純粋なものになっていると言った。
 私は先生にもし旅行中に描かれた作品があれば見せて欲しいとお願いをした。
 先生は席を離れるとバッグの中からスケッチブックを持ってこられ私に一枚の絵を渡してくれた。
 私はそれをイーゼルにかけて眺めた。薄い青地の紙の上に、絵が描かれていた。
 黒く肩までかかる髪にブラウスを着て胸元に聖教徒の証明であるロザリオが吊り下がっていた。少しだけ右を向いて外を見ている瞳が、画面の外から私の心を見ているように感じた。
 モデルの人生の中にどこか悲しい時代があれば、その悲しい時にきっとこんな表情をしていたのだろうと、私は思った。
 同じモデルの絵は他にも数枚あった。
「僕はスペインに渡り、彼の地を徒歩で歩いた。街の名前を忘れたが、夕暮れ時になっても一軒の宿も見つからず困ってね。そしたら目の前に教会が表われて、そこを訪ねた」
 先生はそこで煙草に火をつけた。
「青い夕暮れ時に異郷でランプに照らされた教会の扉が、僕には魂が還る場所の門(ゲート)のように思えた。そこで僕は扉をノックした。そしたら中から一人の修道士が現れた。深くフードをかぶりきっと夕餉の祈りをささげていたのだろうね、まるで僕を神の元に迷い込んだ羊のように招き入れてくれた。僕は多少スペイン語ができるので、旅人だが宿を見つけることができないので困っているから、申し分けないが宿を貸してほしいと言うと頷いて中に入れてくれた。その招き入れてくれた人物がフードを取るとその絵の女性だった」
 私は再びその絵を見てスペインの青い夕暮れを思った。
「僕は彼女に自分が日本の画家であることを告げ、今晩のお礼に一枚の絵を描かせてほしい、そしてそれを受けとってほしいと言った。彼女は微笑んで、私の前のオーク材の黒い椅子に座ってくれた。僕はスケッチブックを取り出したとき、ふとパブロが青の世界は青春の影だ、と僕に言ったことを思いだした。僕が捕虜として南仏のある場所にいたとき彼と会ったのだけど、そのとき僕に言った言葉を何故か思い出した。僕は、直感的に南仏で購入した青地の画用紙を取り出した。そして描いた」
 先生はゆっくり煙草の煙を吐き出して、黒縁の眼鏡を外して部屋を見た。
「絵を描くとき、僕の心は広がり、やがて思い出や自分の得た経験がもつ記憶の世界の果てまで行く。そこまで行くと自分の手がね、色を掴んで戻ってくるのだ。そして自分の心をその色彩が包む、僕はそのとき青い世界にいたのだよ、それは青春の影の世界だった。そうなのだ、一平君、そのとき僕は青春の影にいたのだよ」
 先生は私の名を呼んで部屋に差し込む光を眺めていた。私は先生の頬に涙が流れているのをみた。暫く私はそこを動くことが出来なかった。
 先生の青い青春の影の中に居るこの絵の女性を静かに見つめていた。
 私はその夜、自分の部屋を訪ねてきた凜子に今日の先生のことを話した。
 凜子は私にそう、と呟いて「きっと次郎おじさまは会ったと思う」と、言った。私は少し要領を得ない顔で凜子に向かいあった。
「それは、どういうこと」私が言うと凜子は髪留めを取りながら私に言った。
「この髪留めは、次郎おじ様から五歳の誕生日にもらったの。でも本当は次郎おじ様の娘に渡されるものだった。娘の名前はイザベラ、私の少し歳の離れた従姉妹になるのだけど、スペインの内戦でお母様と一緒に爆撃に遭って亡くなった。だから私がもらったの」
「先生に娘がいたのか」
 私は先生と夏以来親しくもなり、またこれからは家族として過ごしていくのだが、その件については初めて知った。
 おそらく先生の一族の方でもごく一部の者しか知らない事実だと思った。
「次郎おじ様は、フランスで捕虜として収容されていた頃、週に一度教会へ行くことができた。そのとき次郎おじ様はスケッチをしたりして過ごしていたみたい。その教会には年頃の娘がいた。それがイザベラのママだったの。二人は終戦まで週に一度教会で会っては色んな話をするようになったの、スペイン語を少しずつ覚えながらもし戦争が終われば自分は画家として活動したいということも。少しずつ二人は会ううちにお互いに愛を感じるようになった。そして終戦を迎えて二人は結婚をすることになったのだけど、戦後はまだそうした敵国同士の男女が結婚することを理解する時代ではなかった。激しい反対にあい二人はそれをかなわない恋だったと理解して次郎おじ様はフランスを離れた。そのとき、自分は画家として再びあなたの前に現れると言って・・」
 私は凜子が話す内容に耳を傾け、そのときの先生の心情を思った。かなわぬ恋と理解して異郷を離れる心はきっと明るさも、また暗さも無いまさに青い世界だったに違いない。
「その後、日本に帰ってきて五年がたった頃、一枚の写真入の手紙が来た。次郎おじ様の絵を或るサロン展の会場で見て手紙を出してきたの。そしてその手紙には子供のイザベラの写真が入っていた。イザベラの妊娠は次郎おじ様が日本へ戻った時にわかったので、連絡も当時は取れなかった。だからイザベラのママは一人で生んで育てていたの。そして内戦の爆撃で亡くなったのが間違いだったと知ったのは二年ほど前。ミロ氏からの手紙で知ったのよ」
 私は先生の青春の影に触れた。それは濃い翳だった。
 幾つもの青という青が混じり、そして深い層のようになっている海の底の光の届かない翳だと思った。
 先生はスペインの見知らぬ街に娘がいることを恐らく知って尋ねた、そこで自分の青春の残したものを知った。
 数日後、私は凜子から先生がイザベラに自分が描いた絵と金額が書かれた小切手を同封してスペインに送ったことを聞いた。

 先生はいくつかの作品を油彩、パステル、水彩等で描き世の中に発表して行った。
 また若い芸術家達や洋画研究所に通う人々との交流をしながら自分の年齢に関係なく多くのことを日々学んでいるように見える姿は、常に私に感動を与えてくれえた。
 私も小説を書きながら、先生のところに通っていた。私は長い間、着色をすることがなかった。
 先生に出会った夏以降、殆どデッサンに明け暮れそれ以上のことはしなかった。
 それはどこか色彩について表現の手段として興味を失っていたこともあったし、またそれ以上にデッサンの持つ即興性や変化に対応できる魅力に衝かれたということが原因だった。
 先生は私にシャガールのようには出来ないといった。
 私のキャンバスや画用紙の中に赤と青は同時には存在しない、と言った。
「青はすべてを世界の彼方まで薄く包むが、赤は私にとってあのコックピットのガラスに広がった多久島の鮮血なのだ。その多久島の鮮血を薄く青く世界の彼方に包むことが僕にはできない」
 先生は続けて言う。
「薔薇を描くことがある。そのときどうしてもその朱に染まる花弁があのときの僕を呼び起こす。多久島のあの鮮血と飛び散る肉片の臭い、そして朝の青い海面に落ちて行く自分達の生命の輝きのはかなさ・・・」
 先生は首下から吊り下げられた銀色のソケットを取り出し、まわし始めた。
 そこから一片の紙が出てきた。
 それは古びた紙でところどころ色が変色していた。先生が私にそれを渡した。
 そこに一人の女性の絵が描いてあった。
 それが以前話を聞いた先生の妹せつさんだと私は分かった。
 そして絵には拭き取られてはいるが赤い血の染みが所々あった。絵の後ろに短い言葉が綴ってあった。

 朝露のように輝く君へ。
 今日の一日の始まりに君の声を聞き、
 今日の終わりに君の声を聞く一日はどんなに素晴らしいことだろう。
 生命が一番輝く夏に君に遭えた奇跡を感謝しつつ、
 いつか星になってあなたを見守ろう。

 最後に日付があった。
 私は再び描かれた女性の顔をみた。それはどこか眼差しが凜子に似ていた。
 それを見ていた先生は私に「今の凜子はせつの若い頃にそっくりだよ。君がその絵をみて思うのも分からなくない。だから一平君がもしかしたら多久島の生まれ変わりで、僕には時代を超えて妹をもらいにきたのだと思ったよ」先生はそう言うと今度はアルバムを持ってきて私に古い写真を見せてくれた。
 戦闘機の前に二人の若い青年が立っていた。
 一人が先生であり横に莞爾と笑う青年がいる。
「これが私で、横にいるのが多久島だよ」
 私はその青年の顔をみた。そのアルバムにも写真があった。一枚一枚めくって多久島氏の顔を見て行く。
 どこか私に良く似ていた。
 私はあまり笑うことはないが他の顔はよく似ていた。
 アルバムの最後に絵があった。自画像だった。どこか哀愁が漂い、とても先ほどの莞爾と笑う青年からはほど遠く見えた。
「一平君、君は東北が実家だったね。多久島もそうだった。私は実は絵を描く才能は遺伝性があること信じていてね、それに君は知らなかったかもしれないけど外見が多久島に似ているし、もしかしたら君と多久島がどこか繋がりがあるのではと思ってね。君が最近書いている小説の主人公の探偵の気持になって調べてみた。結果、どうやら多久島は君の叔父だったということがわかった」
 私は話を聞いて真に驚いた。
 私の父はそうしたことは一度も私にはいわなかった。
 当時戦時中であった為、親類が戦争に行き亡くなったことがあるという程度の話は聞いていた。それだけだった。
「僕が一平君に声をはじめてかけたのも実はよく多久島に似ていたからなのだ。そう思えば本当に不思議なことだ。この事実にもまた驚いている。多久島は相馬家から多久島家に幼児の頃に養子に出されていたのだね。だから君のご両親が知らなくても不思議はないのだ」
 私は心の動機を抑えつつ叔父の血がついた部分を指でなぞった。
 純粋な思いが今時代を経て私の心を支配して行くのが感じられた。私は暫く黙った後、ゆっくりと言葉を選びながら先生に言った。
「先生、青色はいつまでも世界の果てまで届く色とおっしゃいましたね。きっと多久島さん、いえ叔父のこの血の雫をのせて世界の果ててまで行って、やがてせつさん、いえ凜子と私を出会うように導いたのでしょう」
 私はそう言って先生のほうを見た。
 先生はそうかもしれないと言って私の膝に手を載せた。
「君達の結婚がもしかしたら僕のこのわだかまりを解消してくれるかもしれない。もしかしたら僕はまたひとつ自分が探している真実を見つけることが出きるかもしれない。自分の真実に迫った一枚の絵を描けるかもしれない」
 先生はそう言うと膝に置いた手を自分の顔の前に持って行き両手の平を暫くじっと無言で眺めていた。

 私は春に凜子と結婚した。それまでの間、私は東北の実家に行き先生の言われたことを確かめることが出来た。
 確かに多久島良平は私の叔父、相馬良平であり父の兄だった。
 生まれて生後まもなく多久島家に養子に出されていた為、父も私がその話を切り出すまで思い出すことも無かった。
 養家で良平は育ち十八になると地元の学校から東京の美術学校に行った。そこで先生と出会った。
 私は多久島家に行き、応対に出られた良平氏の妹の裕子さんに会って話を聞いた。
 最後に私と似ていますかと聞いた。
 裕子さんは叔父の若い頃を知っておりそれを思い出して私の顔をみて兄に似ているようだ、と言った。
 それを聞いた後はお辞儀を正しくして家を出た。
 大阪に戻り私は凜子にもこのことを話した。
 凜子は話を聞くと「そう」と言って、黒い睫毛で目を伏せて私に唇を重ねた。それだけでもうそれ以上のことを私は話そうとは思わなかった。
 結婚後、私の生活は忙しくなっていった。自分の小説が売れて行くたびに絵を描く時間は少なくなって行き、先生と会う時間も少なくなっていった。
 ただ凜子が時折先生の研究所を訪れたりしてその近況は知っていた。
 ある日、凜子が戻ってくると私に先生が珍しく赤を使った作品を描いていると私に言った。
 私はその話を聞いて、両手の平を注意深く見ている先生の姿を思い出した。
 私は、すぐに家を出て自転車に乗り夕暮れ時の中ノ島界界隈を進み先生の研究所へ向かった。研究所ではモデルを囲んでデッサンが行われており、先生は研究生達と一緒にいた。
 私は先生に黙礼をして、奥のほうへ腰をかけた。
 そしてデッサンが終わるまで静かにそこに座っていた。
 先生の「はい、終わり」という声がして研究生が席を立ち始めるのと同時に私は先生の下へ歩いていった。
「一平君、久しぶりだね。元気だったかな」
 先生はそう言って煙草に火を付けた。
「ええ、暫くこちらにお伺いできなくてすいません」
「いや、仕事があって忙しいのはいいことじゃないか。それに凜子から聞いたけど、子供が出来たってね。おめでとう」
 そう言って先生は煙草の煙を吐いて微笑んだ。私は少し照れて、ええ、と言った。
「先生、実は妻から、いえ、凜子から聞いたのですが、今新しい作品を描かれていて、それが赤を中心にした色彩の絵と伺いしました」
 先生はそうそう、と言って立ちあがって私を隣の部屋に連れて行った。
 その部屋は電気がついておらず沈みゆく夕陽が照らす薄暗い部屋だった。部屋の真ん中にイーゼルが置かれ、絵に布がかけられているのが分かった。
「一平君、こちらへ来てごらん」
 そう言って、絵の正面へ移動したので私もそこへ移動した。
 そして布をゆっくりと取っていった。
 薄暗くなる部屋に差し込む夕陽がその絵を照らしていた。
 私はそこで夕暮れのオレンジ色に染まらない赤を見た。
 赤い裸婦だった。
 幾層もの深い青色に下塗りされたキャンバスの上に赤で裸婦が描かれ、その裸婦の生命の息吹が私の肉体の輪郭を撫でていった。
「先生」と、私は言って先生の顔を見た。
 暗くなる部屋で先生の目が、輝いているのが分かる。
「群青が深い海に思えます。そして赤い裸婦はそれに引き込まれないようにこの世界に留まりたい生命に見えます。弱弱しく、悲しく、何かに対して後悔しているように見えます。そう、先生、大変失礼ですがこの絵は先生のまるで心の告白のように思えます」
「告白・・?」
「そうです、懺悔のように見えます。すまない、と言っています。先生は生き残ったことに多久島さん・・いえ、叔父に懺悔をしているように見えます。朝陽に染まる美しい青い海の海底に沈みゆくあの戦闘機の中で、先生の網膜に残った生命の血しぶきが、先生ご自身の肉体と魂に宿り、心のなかで今までいえなかった友へ、すまないと声に出していっています。戦闘機のガラスを割ってご自分だけが生きるために行かなければなら無いその行為の罪悪感を先生は告白しているのです」
 私は自然に頬から涙が出てくるのが分かった。
 今までセザンヌ、モネ、ドラクロワ等沢山の古今の名作を見て泣くこともなかった私は始めて先生のこの作品の前で泣いていた。
 先生はゆっくりとポケットから煙草を取り出して火をつけた。
 そして静かに煙を吐いた。
「そうだね、これは僕の告白だと思う。あの時以来僕はあの海の底に多久島を残して生きている。深い海の中で彼の魂はいつまでも漂い続けている。僕は生き、偶然の導きで一平君に出会い、運命の流れが再び僕の心の閉ざした壁を壊した。すべてをもう一度僕は思いだし、僕は自分の課題に向きなおした」
 私は涙を拭きながら煙の向うに見える先生の姿をみた。
 そこには年老いた一人の人間がいて、画聖といわれた滝次郎はいなかった。
 一人の人間がいた。ロダンの彫像のように。
「僕は生きた。多久島は死んだ。その死はあの青い海の中で静かに僕の隠された財宝として残っている。僕は生きるこの世界にそれを告白しなくてはならない。僕をこの世界に生かせるため亡くなった海の底にいる友人の魂のことを。そして友を残した自分がここにいることを、この社会が僕を画家として認めるのなら、それを認めさせなければならない」
 私は先生の言葉を聴きながら絵をみた。
 暗くなった部屋にぼんやりと浮かぶ裸婦が次第にはっきり映ってきた。その顔はどこか西洋的な貌をしていた。
 もうひとつ先生の告白があった。
 私は顔こそ知らないがそれが先生の亡くなった奥様であると、思った。
 生命の儚さを多久島と妻とに思いを込めたのだろう。先生はいまここで真実のロンド(舞踏)を躍った。美しく、多久島とそして妻と亡くなった人々と。
 私は観衆の一人として、そこにいた。いつまでも続くこの時間に私は心が締め付けられていた。

 先生が亡くなりもう数十年以上たった。
 私も今年で七十を超えた。世間では私は小説家として成功を収めることが出来た人生だった。
 妻は去年、病気のためこの世を去った。
 一人残った私は書斎で時に一人先生の絵に目を遣ることが多くなった。
 そしてごく自然な形で私は黒い木炭を手に取り絵を描きはじめた。
 線を入れ、こすり、また引きそしてこする。もう何年も描いていなかったのに私の感性が心を動かし腕を動かせた。
 もう誰も私の絵について語ってくれる人はいなかった。
 先生の回顧展が夏に行われたが、訪れた人は先生の色彩の美しさや構図の見事さなどに賞賛の声を送っていたが、先生の真実に誰も触れるような言葉は聞くことが無かった。
 先生の洋画研究所はその後、大阪の都市開発のため壊された。
 通っていた多くの研究生たちはその後、自分で絵を学び個展を開くなどして先生と学んだあの頃の気持を持って絵と共に生きていることを、たまに電話をしたりしながら聞いている。
 絵を再び描きはじめた私は現在、大阪で若い芸術家が主催しているクロッキー会に時折通いデッサンをして先生との日々を思い出している。
 そこでは若者が自分の芸術を模索するため日々モデルの肉体と精神の格闘をしており時折「あれはモディリアーニの真似事で魂が入っていない」「ピカソからもう学ぶものはない」といった若いみずみずしい言葉が私の耳に入ってくる。
 そのたび私は先生に会った夏の日のことを思い、一人愉快な気持ちになる。
 あの銀のソケットは私が先生の形見の品として大事に持っている。その中には先生が持っていた絵はもう入っていない。
 多久島氏の絵は先生が永遠の眠りについたとき、先生の肉体と共に棺の中に入り火葬された。
 銀のソケットは空になった。
 ある時、私はそれをクロッキー会場で床に落として転がしてみたいと思った。
 転がった先で、誰かが拾い上げるだろう、そのときもしかしたら先生の魂がその人に乗り移るかもしれない、私が先生や妻と出会った運命があるように、それを信じてみたいと思ったからだ。
 そしてついに私はそれを床に落とすと静かに目を閉じた。
 そしてイーゼルに架かった画用紙に頬を寄せながら、私は誰かが拾い上げるのを聞いた。

庭に花束を届けに来た人(三部作) 第一部 レアル・ロンド

庭に花束を届けに来た人(三部作) 第一部 レアル・ロンド

終戦が過ぎ年老いた私は黒い木炭を握りながら白い画用紙の表面へ線を入れていくと、いまでも先生と出会い過ごした日々を思い出す。先生の名は滝次郎、それは私の愛すべき友人であり、誇れるべき人であった。この小説は戦後、青春時代を過ごした自分への僅かばかりの経緯と芸術へのオマージュで書かれている物語である。そしてそれは二部作、三部作へと続く長編小説である。

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更新日
登録日 2019-10-24

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