晴天、蜂蜜を。

夫を殺そう。そう決意したのはある晴れた日。この世に悲しい事なんて何もない。そんな、顔で空が唯いるから

夫を殺そう。そう決意したのはある晴れた日。この世に悲しい事なんて何もない。そんな、顔で空が唯いるから私は夫を殺したくなった。私の生活は石ころに蜂蜜をかけた様なものだ。何も無い、凡庸な私に夫は蜂蜜を掛けてくれる。この状態を幸せと言うのだと思う。自分以外の人生を送った事が無いので、比べようは無いけれど。
「ただいま」
夫が言う。
「おかえり」
私も返す。噛み合っているはずなのに、ずれていると感じるのは私だけなのだろうか。夫はこの不自然に気づいていないのだろうか。そもそも何が不自然なのだろうか。
「今日はね。空が綺麗だったの。」
「そうだね。綺麗な空だった」
会話は続いていく。私が喋り掛け続ければ、夫はずっと、永遠に相槌を打ってくれるだろう。仕事にもいかず、ご飯も排泄も風呂も放棄して、唯ここにいてくれる。ならば夫を殺す為に私は喋り続ければ良い。そうすれば夫はいずれ餓死してしまうだろう。それとも、私の言葉が養分になって夫を生かすのだろうか。
「ねぇ。僕を殺したい?」夫が何でもない風に言う。事実何でもない事なのだろう。だか、夫が私にする質問の唯一だった。
「貴方を幸せにしたいのよ。」
だから。だから、だから何なのだろう。この言葉の次は?
「僕はもう幸せだよ。だからね。だから君の話を聞かせて。何でもいい。君の話を」
夫の言わんとしている事が分かった。
「生クリームよりね、蜂蜜の方が好きよ。でも、蜂蜜は少しベタベタする。それも好き。」
私は喋り続けた。何年も。何十年も。不思議と話が途切れることは無かった。呼吸する事が当たり前のように言葉が出てきた。夫の相槌が、酸素になって、私は喋る。そうしているうちに何百年もたち、夫は死んだ。夫の顔も声ももう思い出せない。

晴天、蜂蜜を。

晴天、蜂蜜を。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-10-23

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