ヨモギの国の河童

     一

 さっきまで、私は公園の草の上でお姉ちゃんと、四つ葉のクローバーを探していた。すぐ近くに高い木があって、そこより奥に行ってはいけないと言われていたんだけど約束破っちゃった。だってうさぎがいたんだもの。かぼちゃの帽子をかぶったうさぎが背すじを伸ばして座って、じっと私の方を見てた。それで近づいたらあっという間に逃げちゃった。しばらく走ってたらお姉ちゃんを見失って、それで山の奥にいることに気づいたの。正面の太い、大きな木の前にその白いうさぎが座ってた。また近づいたら、今度は木の大きなうろの中に入っちゃった。私も追いかけて入ったんだけど、とても大きかったからなんだよね。そしたらずーっと下に落ちていって、今も穴に落ちつづけてる。もうとっくに怖くなくなっちゃった。
 穴にそって円くて長い長い棚があって、そこに置いてあるものはどこかで見たような気がして。
 ためしに、棚に手をのばして、何かつかんだ、と思って見たら桜の葉の塩づけのびんだったり、壊れた和傘だったり。「手がふさがってたらこけたときに手をつけないから危ない」って先生がいうからびんは下に落としちゃった。下の人、当たったらごめんね。「痛っ、」って聞こえたのはきっと気のせいだ、たぶん。今は和傘をひらいてパラシュートみたいに上に向けてて、そしたら落ちるのがゆっくりになった。
 まだ続くのかな、と思っているとすぐ終わった。怖かったから丸まっていると茶色の柔かいものの上に落ちた。見回すと、ここは大きな筒状の空間。また「痛っ、」ってきこえた。和傘をとじてそこから下りたら、その茶色くて長いものが曲がってこっちに顔を向けた。
「あ、百足さん」と思わず私が言った。
「おや。誰だい、君は」
「はじめまして、私はヨモギといいます。三十郎から百足さんのことは聞いてます」
 百足さんにはチョコの妖怪事件でお世話になったという。三十郎の勘違いだったけど。
「そうかね、君がヨモギちゃんか。今お茶をいれるから、そのきのこの上にかけてなさい」
 テーブルといすみたいにきのこが置いてあった。百足さんはいすに掛けそうもないから来客用かもしれない。円テーブルが一本といすが四本。
 一番座面の高いきのこに座って待っていたら、百足さんがミルクティーとかぼちゃパイを持ってきてくれた。
 机のきのこの天板の上がとげとげしているから、端に向かって低くなる「かさ」の上に置くと落ちないか心配。だけど案外とげが滑り止めになっていたりして。
「パイを食べて大きくなりすぎてはいけないから、ちゃんとミルクティーも飲みなさい」と言われて飲んだけど、パイをおかわりしちゃった。だっておいしかったんだもん。
 おかわりを持ってきてくれたときに百足さんが何か言いかけたんだけど、私の話しかけるタイミングと同時だったから百足さんが遠慮しちゃった。
「このきのこ案外使いやすいですね」
「でしょ。上から落ちてきたんだけど使いやすくて。でも私は椅子は使わないけどね」と言って百足さんは笑った。百足が笑うって変かもしれないけど事実笑ってた。
「調べてみたら机はシロオニタケモドキ、椅子はテングタケというらしいの」
 机はうす茶色の厚いかさに、下の方がふくらんだ太い柄がついていて、かさには茶色のとげとげがあって、柄には茶色のストライプ。椅子はこげ茶色の薄いかさに白い水玉、白い柄は細くまっすぐで途中にえりまきみたいなのがついてる。
「ふーん。鬼に天狗ってなんか面白い。……あの、帰りたいんですけどどっちに行けばいいかわかります?」
「それなら、あっちにドアがあるから、そこを通って先に行ってみたらいいよ」
 次の空間に出て、ドアを閉める。前を見ると、階段があってその下にさっきのうさぎがいた。
「きゃー。うさぎさん!」
 思わず飛びついたけど、その子は逃げなかった。私が抱きついて背中をなでても、されるがままになっていた。それで、ゆっくりこの場所を見てみたら草原だった。草がきらきら光ってておだやかな風が吹いてる。でも、何かへんだな、と思ったらうさぎちゃんがどんどん小さくなっていった。今ではもう手のりサイズ。……あれ、私が大きくなってる?
 気づいたら、またうさぎを見失った。ここはどこだろう。
 すると向こうから大きな叫び声が聞こえた。少し先は砂浜、目の前は海。うさぎは犬かきしてもう水の中。水上には大きなにんじんが浮かんでいてその上には猫又さんが座ってる。白い猫の姿だけど尻尾の先が二つにわれてるから猫又さんのはずだ。猫又さんはにゃあにゃあ叫んで助けを求めている。うさぎがにんじんをかじりだしたのだ。
 それにしても、大きくなった私からするとずいぶん小さい。ためしに裸足になって海に足をつけてみたらひざ下くらい深くなったところで猫又さんのすぐ近くに着いた。それから猫又さんとにんじんとうさぎをてのひらに乗せて、砂浜へ歩いた。ふたりともびっくりしてたから岸に着くまで無言だった。
 砂浜に下ろしてやると猫又さんはみるみるうちに猫耳の人の姿になっていった。ドレス姿でティアラを冠っている。女王さまみたいできれいだ。
「助けていただいてありがとうございます。何とお礼をしていいやら」と猫又さん。
 そんな言葉を聞いていないかのように、うさぎは自分の身体の三倍もあるにんじんをもりもりかじっている。
「いえ、そんな。あ、そうだ、家に帰る方法を教えてくれませんか? 穴に落っこちて迷ってるんです」
「それなら、ミミズクさんのところに行けば何とかなるかもしれません」
 私と猫又さんはミミズクさんのもとへと歩いていった。草原に入り、倒した金属の円柱形の管である百足さんの家――とはいっても床板があるから床は平ら。その証拠にさっき階段を下りた。そういえば、さっき落ちた穴と同じようなパイプみたいなものはなかった――を越え、草原に接した森に入った。木々は大きくて、薄暗い場所。ずんずん歩くとどんどん暗くなった。
 猫又さんは一本の木の前で立ち止まると幹をノックした。その木の前にはヤコウタケが生えていて緑色に光っていた。すると、ギイという音をたててドアがひらいた。年老いた、猫又さんと比べると割合大きなミミズクが出てきた。といっても私と比べるとかなり小さい。
「待っておったぞ、ヨモギちゃん。女王さま、連れてきてくれてありがとう。それにしてもヨモギちゃんは旅をして大きくなったようじゃの。お茶をいれるから飲みなさい。直に小さくなる」最後は微笑して言った。
 やっぱり猫又さんは女王さまだった。
「女王さまはお入りください。ヨモギちゃんはちょっと寒いが待ってておくれ」と言うとミミズクさんは家に入っていった。
 暫くして出てくると手に――というよりも翼に――小さなマグカップを持っていた。
「どうぞ」さし出されて飲むと、量は少ないけど暖かくておいしいレモンティーだった。コップを返した途端、急に体が縮んだ。ちょうど出てきた猫又さんの肩くらいの背丈になった。
 家に入るなり、ミミズクさんは家の中に一本だけあるヤコウタケにとまった。
「さて、これから戦いじゃ。仕度は出来ておるか?」
「もう、始まるのですか?」
「えっ、戦いって誰とですか?」
「赤猫の女王とじゃよ。こちらにおられるのは白猫の女王さまで、隣国の女王と争っているのじゃ」
「あのひと、前にコーカスレースで負けたのをまだ根にもってるみたい」(※1)
「コーカスレースって何ですか」と私が聞こうとしたその時ノックの音がして話が中断された。
 誰も返事をしないうちにドアが開いた。赤猫だと思って私はすぐ、家の隅に凭せてあったほうきを取って、入ってきたひとに殴りかかった。
 ごん、という音と同時に「あいてっ!」の声。入ってきたのは雨降小僧。
「痛いです。いきなり殴るなんてひどいですよ!」
「ごめんなさい。悪気はなかったんです」と私は頭を下げて謝った。
 顔をあげると、下駄に着物姿できのこを笠(かさ)みたいに被った雨降小僧が赤面して立っていた。
「あ、あの、大丈夫です。はい。気にしないでください」少しもじもじしていたが、ふと顔をあげて猫又さんの方を真顔で見ると「赤猫さまがお呼びです。森の端の草原で待っている、と」
 猫又さんは「わかりました」と言って私たちを行くように促した。
 さて、草原に着いてみると赤猫の女王が待っていた。彼女も猫又である。
「来た。でも遅い! 死刑! もう五分も待ってんのよ。首が十センチ伸びちゃったじゃない!」
 むしろ、雨降小僧が五分で森を往復したのはすごい。それなのに、怒りっぽい赤猫はまだ怒ってる。
「小僧も白猫もどいつもこいつもみんな遅い。みんな死刑! おい河童、なた持ってこい!」
「はーい」と猫又の後ろの川から河童が出てきた。右手でなたをぶんぶん振り回している。
 怖かった。でもあえて頼んだ。
「なた、貸して」「え」
「いいから」と私はなたを借りたが、もとよりどうする予定もなかった。そうこうしているうちにも赤猫の機嫌は悪くなるばかり。もう、どうにでもなれ、と上に向けて持っていたなたを下に向けて、「なたをひっくり返したらたなになる」と言った。急になたが重くなったから地面に下ろすと、立派な棚になっていたのだから不思議なものだ。
 今や赤猫は逃げ腰である。私はポッケから、とっておいたかぼちゃパイを出して食べた。私は大きくなって、二本足で立っている赤猫の胴体を摑んで捕まえた。両後ろ足を持ち逆さ吊りにした。「赤猫の女王をひっくり返しても、うおょじのこねかあになって意味がわからないから赤猫は消える」
 口からでまかせだった割に効果てきめん。赤猫は猫の姿になったと見るやすぐに消えちゃった。
 一瞬周りが静かになったけど、私がミミズクさんに「あの、どうやったら帰れますか」と訊いたら同時にみんな騒ぎだした。河童は「僕はぱっかにされてしまう」、雨降小僧は「僕はうぞこだ」と。ミミズク氏まで怖がって「わしは屑耳にされてしまう」といい、白猫さんは「私は……えーと、何だっけ?」と考え込んだ。そんなわけでみんなパニックになってしまい、てんでばらばらに逃げだした。
 草地にひとり残された私はしばらく呆然としてたけど、気づいたら寂しくて泣いちゃってた。
 すると天から「ヨモギ。……ヨモギ、起ーきーろ。起きろ!」と声が聞こえた。起きてるんだから起き方なんて知ったこっちゃない。
 と、思ってたんだけど起きてみたら視界が霞んでて、その霞みが取れていくとともに夢の記憶が霞んでいった。そうだ、いけね。昼寝中だった。但し、そうは言っても平日だから夕方である。目の前にお姉ちゃんが立っていて「ヨモギ、ご飯できたよ」と言った。
 私はベッドからダイニングまで歩きながら、アリスならどうして帽子屋やチェシャ猫が出てこないんだろう、と不思議に思った。

(※1)コーカスレースにはルールがないので誰でも勝ちを名乗れる。よって、この言は噓らしい。

     二

 カチューシャの上でぴんと立った耳、三本の爪の生えたふわふわの茶色い手袋、袖とすそにこげ茶色のストライプの入ったレモンイエローのワンピース。今夜はハロウィーン。私は今年、オオカミに化けている。オオカミというと赤ずきんみたいだけど、今日はそっちじゃなくて狼男の方。ん? 男じゃないから狼人間か。ふふふ。まあどっちでもいいや。とにかく今日はお菓子がもらえるんだもの。早く準備して出かけよう。
「お姉ちゃん、準備できた?」
「まだ。もうちょっと待って」
「はーい」
 今日は三十郎は仕事で夕食後すぐ出かけていった。夕食中の電話だったのでお母さんは「ものを嚙みながら電話に出るのはよくない」ってあとで注意してた。そんなわけで去年同様三十郎はついて来ず二人だけで近所を回ることになった。たぶん三十郎も仮装に見えるから親戚とか言ってごまかしたら大丈夫そう、と言おうとしたけれど今日はダメだった。
 もうそろそろお姉ちゃんの準備もできてきたころだから出発しよう。

 私たち二人は家を発ってタケくんの家に向かった。タケくんは中学生になったので学校ではもう会えない。だからこんな機会があると嬉しいのだ。
 ところで私はタイツをはいてるけど、お姉ちゃんは素足で寒そうだ。もう外は暗いから。
 しばらく歩いていると、正面の空中から小さな物が向かってくるのが見えた。立ち止まって見ていると、はじめはぼんやりしていたけどどうやらミミズクらしい。私たちの前で止まると話しかけてきた。
「ヨモギちゃん、サクラちゃん。大変だ。三十郎がさらわれた」前に三十郎が話していたミミズク氏のようだ。
 私たちは顔を見合わせたが、お姉ちゃんが訊いた。「どういうことですか?」
「三十郎に今日仕事が入っていることは知っておるだろう? 猫又さんが依頼したんじゃが、店で客に配る予定だったかぼちゃパイが突然消えたそうなんだ。それで三十郎が調べに行って、猫又さんから話を聞いて外に何か手がかりが落ちていないか調べようとしたところ――とくに最近のハロウィーンは治安が悪くなるのう――町に出てきた鬼やらつくも神やらの仮装集団がそのとき押し寄せて三十郎は流されていったのじゃ。
「それで、何か私たちに手伝ってほしい、ということですか?」
「そう。つくも神たちが人間のいる世界に出てくるかもしれないから三十郎が混じっていないか、もし近くを百鬼夜行が通ることがあったら見ておいてほしいんじゃ」
 ミミズクさんが翼の先でブロック塀をトン、と叩くと黒い穴があいた。
「では、わしは今から妖怪の町へ行くのでな。目を凝らして探しておくんじゃぞ」
 ミミズクさんが穴に入ったあとも、穴はそのままだった。
「どうする?」とお姉ちゃん。
「私は探すべきだと思う。とりあえず行こう」と私は言って穴に飛びこんだ。
 入ってから、お姉ちゃんの「ヨモギ、待って!」という声が聞こえた。

       ✽

 ヨモギが穴に入るのを止めようとしたけど遅かった。正直、私はこの穴に入るのが怖いのだ。前に三十郎が「妖怪は、妖怪の世界と人間のいる世界を行ったり来たりできるんだ。でも、人間が妖怪の世界に行って帰ってきたということは一回も聞いたことがないよ」と言っていた。ヨモギを助けたい、でも私はそこに入ることができなかった。
 穴が閉じていくのを見て、涙がこぼれた。暫く塀に向かって立ちつくしていると、突然後ろから声をかけられた。

       ✽

 穴から出ると意外にもそこは明るくて、前にミミズクさんが立っていた。小さな庭みたいなところだ。
「こら。ダメじゃないか。……しかし、わしも、こっちの世界に来るなとは一言も言っておらんかったな。仕方ない。ついて来なさい」
 ここは何やら建物の裏のようだった。勝手口らしい戸を目指して跳ねるミミズクさんに訊いた。
「あの、ミミズクさん。どうやってここに来れたんですか? 前に三十郎は、妖怪の町への出入り口は決まっていると言ってたんですが」
 ミミズクさんはキッと振り向くと「おぬしはなかなか鋭いな。わしはある特殊な任務を持っているのでの。他の妖怪と違うんじゃ。しかし、これ以上は言えんぞ」と言って、黙って勝手口に向かった。ミミズク氏もやっぱり妖怪なのか。
 勝手口を開けた先は小さな部屋で、右と正面に扉があった。右の扉はロッカー室とあったが、ミミズクさんはそれには目もくれず、ノックして正面の扉を開けた。
「やあ、こんばんは」
「あら、ミミズクさん。こんばんは。来るのなら連絡してくれたら良かったのに」
 笑顔で迎えてくれたのは猫又さんだ。でも私を見て、「あれ、こっちのオオカミさんは……」と言うと、ミミズクさんとひそひそ話を始めた。
 ――ねえ。ミミズクさん。そんなことしていいの?
 ――うん? ま、まあいいんだ。
 ――本当に? いいよ、黙っといてあげる。
 丸聞こえ。何となく、私をここへ連れてきたのはミミズクさんだろうと思った。
「わかった。……ところで、三十郎のことなんだが、サクラちゃんに人間のいる世界での捜索を頼んでおいた。行く前にも捜したがまだ見つからん」
「また話そらしたね。まあいいですよ。話は飛ぶんだけど、あのあと意外なことにかぼちゃパイが返ってきたんです」
「ふうん。それは意外じゃの」
「でも、戻ってきたとはいえ、誰かに毒を入れられたりしていたら危ないからまだ切ってないんですよ」
 私は、気になったので訊いた。「猫又さん、ここ防犯カメラありますよね」、店の入り口を指差した。
「あー、あれね。あるけど今壊れちゃってるの。そうだ、君の名前をまだ聞いてなかったね。私は江(え)ノ(の)頃(ころ)珠(たま)。でもみんな猫又さんって呼んでるから猫又さんでいいよ」
「私はヨモギっていいます」
「そっか、よろしくね」
 握手をしたら、猫又さんの肉球はひんやりしてて触り心地がよかった。

       ✽

「あの、サクラちゃん。……遅いから心配したんだけど大丈夫? それに、ヨモギちゃんは?」
 振り向くと、いたのはタケくんだった。学校では呼んでくれたとしても苗字だ。久しぶりに下の名前で呼んでくれたのは正直嬉しかった。
「サクラちゃん、大丈夫?」
「うん。でも、ヨモギが……」と、話しにくいけれどタケを信用して打ち明けてみることにした。タケは優しいから妖怪たちを捕まえて見せ物にしようなどと絶対に思わないだろう。
「なるほど。……この状況を変えられるようなひと、誰か知っていたりする?」
「確実に会えるとは限らないんだけど、大百足さんならもしかしたら手伝ってくれるかも」

       ✽

 店内の左奥から水の勢いよく流れる音が聞こえた。上にWCと書かれたドアが開き、中から切れ込みの入った和傘を頭に被った男の子が出てきた。その子は私くらいの身長で、紺色の着物に下駄という姿だった。店内にかっぽんかっぽんと音が響く。
「あ、ミミズクさん来てたんですか。こんばんは。あれ……こちらは?」
「こんばんは。三十郎の家のヨモギです」
「そっか。ヨモギちゃん。あれ、でも人間って来ていいんですか?」
 私にはよくわからなかったのでミミズク氏が代わりに説明した。ついでに私が猫又さんに雨降小僧のことを聞いてみると、雨師さまが妖怪(ひと)と話す練習にとアルバイトをさせているとのことだった。
 続けて猫又さんが言うには、パイがなくなったとき店に出ていたのは雨降小僧で、猫又さんは不在だったという。
「雨降さん、パイがなくなったとき何か見たり聞いたりしなかったんですか?」
「それが、……そのときちょうど妖怪の子供たちがぎゃーすかはしゃぎながら僕に寄ってきてトリック・オア・トリートと言うのでレジの裏に隠してあったお菓子の箱を出して一人一人に配っていて、暫くパイから目を離してしまっていたところだったんです。そのあと猫又さんが帰ってきて、パイがなくなったことを報告すると、さっそく猫又さんが河童さんに電話で依頼しました。それから店番を交代して、僕は自宅に帰りました。
 けれど河童さんは来たのに、前で話してるときにお祭り騒ぎの鬼とつくも神の集団に押し流されてどっか行っちゃったんです」
 雨降小僧が話し終えると、猫又さんが話を継いだ。
「店番を交代したあと、私はレジの前に立っていました。暫くして、窮奇(かまいたち)の宅配便屋さんが荷物を持ってきてくれて――そうそう、あの人仕事は早いし、ガムテープまで切ってくれるからありがたいのよね――、荷物を出して眺めてたんです」
 猫又さんはレジの後ろの棚まで歩いていき、ガラス製の果物模様の壺を頭の上に持ち上げた。
「これ。なかなかいいでしょ? 三千円でどうかな?」
「あー、猫又さん、今宣伝しないでください」と恥ずかしそうな雨降小僧。
 私は少し笑ってしまった。でも、すぐ静かになった。見回すと、ミミズクさんが天井を見て真面目な顔をしている。
「ふむ。パイが戻ってきたのは?」
「壺を眺めるのに夢中になっていて気づかなかったのですが、そのときだと思います。
 外で騒いでるひとがいっぱいいて物音が聞こえにくい状況だったのです。また、そのあとはヨモギちゃんとミミズクさんが来るまでお客さんが来なかったものですから」
 神妙な顔でミミズク氏が訊く。「ドアベルはどうしたんだね?」
「それが、今朝ネジが外れちゃったんです」
 猫又さんはレジの横に置いてあったドアベルを振ってみせた。

 誰も、見ていないし聞いていない。なにが起こったんだろうか。

       ✽

「あのー」「こんにちはー。誰かいませんかー?」
 私はタケくんと一緒に、神社の本殿の回り縁の下の穴にささやきかける。反応なし。
「こんにちはー! 川流三十郎の家のサクラです」ちょっと大きな声だったかも。
「三十郎って誰だ?」と真っ黒な穴から、小さなかすれた声が聞こえた。
「帰ろう?」とタケくん。
「まって。探偵の、三十郎です」
「家族というと、人間だね?」「はい」
「ここは人間の来るとこじゃないよ。まあお茶飲みに来るくらいならいいけどさ」
「あの、三十郎が行方不明なんです」
「また事件の捜査中なのかい?」「はい」
「それは心配だね。お上がり。取って食ったりはしないから」
 それって、言われるとなかなか恐ろしい。食べられる可能性もあるんだから。
「ほら、そこの男の子も」
 入ると、中は意外と明るい洋室だったから驚いた。細長い部屋だけど。

       ✽

 台の上にパイが載っている。冷めて、もう湯気は立っていない。けれどおいしそう。ちなみに、台は木の長机に、白地でクローバー柄のテーブルクロスをかけたもので、足の先は少し出ている。
 何か手がかりがないか、みんなと手分けして探す。特にパイの載った台の中心に。
「毛が落ちてます!」と雨降小僧。「赤くて短い毛です!」
「赤い毛のあるひとは結構いるからね。今日だけでも三人は来てたかな」と猫又さん。
「ほう。誰だね?」とミミズクさん。
「それを言ってもいいけど、パイが消えたのも戻ったのも見てない間だからね。役に立つかな?」
「まあ、とりあえず言ってみなさい」
「髪の毛を染めた小雨坊さんとー……」
 私はそれをぼんやり聞きながら、何かないかなあ、と台の下を覗きこんだ。小さな白い粉が落ちていた。ふっと頭の中を何かが通りぬけた。

 パイをどこかに持っていって、元に戻す意味は?
「あ。思いついちゃったな」
「え」三人そろって驚いている。
「まだ仮説だけど」
「聞いてもいいかな?」と猫又さん。
 私は、みんなにレジの前に集まってもらった。

     三

「まず、パイをどこかに持っていって、もとに戻したということを考えたんです。でもふつう食べ物を盗んだら食べちゃって返さないでしょう? もとの場所に戻るなんて危なすぎます。私だったら絶対食べちゃって返しに行きません。
 じゃあ、どうして一度なくなったパイが返ってきたのか。
 もし違うパイだったとしたら? けど違うパイだったらふつう違うって気づきますよね。それに気づかないってことは、同じ見た目で、同じ作り方で作れるひとがいるってことです。ここで考えたのは猫又さんの家族じゃないかってことなんです。……でも知らないから、違ってたらごめんなさい」
「なるほどね。実は、妹が近所にいるよ。桃っていうんだ。でも最近あまり会ってなくて。ちょっと気まずくて顔を出してないのかも。
 ヨモギちゃん、それ合ってると思うよ。すごいね。ありがとう」
「えへへ」
 自分でも、こんな難しいこと考えたのははじめてでびっくりした。
「そうだ、ハロウィーンパーティーを百足さんの家でやるんだけど、来ない? これだけ妖怪(ひと)がいるからきっと楽しいよ」
 私はうなずく。「でも連絡いれないと」
「きっと河童さんがそろそろ来るだろうから伝えてもらえるはずだよ。……そうだ、桃も呼んであげよ」
 猫又さんはレジの台の裏から携帯を取り出し、文字を打ち始めた。
 すると、大きな音をたてて扉が開いた。
「わー。ごめんなさい! 遅くなりました」
 お皿の回りの毛が乱れていて、息が荒い。
「じゃあ、三十郎もそろったところだし、みんな行こ」と私が言うと、みんな口々に賛成した。ただ三十郎だけはよくわかっていないようで「え、事件は?」と目を泳がせてる。
「解決!」私は笑って、頭に付けるようにピースした。
 メールを打ち終わったらしい猫又さんが近づいてきた。
「ヨモギちゃん」
「はい」
「これ、お礼にあげるよ」猫又さんは白い帽子を持っていた。
 猫又さんは私のカチューシャを外した。そして私に、その猫耳の付いたハットをかぶせてくれた。白い布に薄茶色の耳と黄色い造り物の花がついてる。
「これで、君も私の妹だよ。ちいさな探偵さん」
 私は頰がすこし熱くなるのを感じた。「はい!」
「じゃあ、行こうか」猫又さんは手を差し出した。私も手を伸ばして手をつなぎ、そして歩きだした。
 取り残されぎみの三十郎を引きつれて、私たちは大百足さんの家へと移動した。
 もちろん、三十郎に携帯を貸してもらって、お母さんと、今日巡る予定だった家に連絡した。

 商店街の路地を入ってずっと奥に進んだところに百足さんの家がある。筒型で、円い方の面に扉がついている。庭は広くて、いろんな花がきれいに咲いていた。
 おしゃれなこげ茶色の扉を開くと、中には古い木の家具や花柄の壁紙などがあってかわいかった。
「ヨモギ! バカ!」お姉ちゃんが走って泣き笑いしながら抱きついてきた。
「ごめんなさい」
「ヨモギちゃん、無事でよかった」お姉ちゃんの肩越しにタケくんを見た。心臓が止まるかと思った。でも嬉しいからお姉ちゃんには内緒で、にーっと笑う。
「ほんとは助けに行こうと思ってたんだけど、百足さんに止められちゃった……ミミズクさんと猫又さんがいるから大丈夫だって。……でも、無事でよかった」
 お姉ちゃんは少し体を離した。「さて、食べよっか」
「うん」
 百足さんとあいさつしたりして、食卓に着く。部屋に置かれた長机にはいろんな料理が並べられている。そして真ん中にはかぼちゃパイ。そうして、私たちは夕食を食べだした。
 ノックの音。「はーい」百足さんが出る。
「こんばんは。江ノ頃珠の妹の桃です」
 顔を覗かせたのは、猫又さんよりもいたずら好きらしい笑い方をする赤い猫又だった。といっても夢とは違って、桃色に近い。
「桃、久しぶり!」「あ、お姉ちゃん!」二人は軽く抱き合った。
 向き合うと、猫又さんは笑いながら首をかしげた。
「で、このたびのパイの件はどういうわけ?」
「姉ちゃんにはなんでもお見通しだなぁ」
「そんなわけないよ。今日はこの子に教わったんだもん」と言って私に、桃さんに近づくよう促す。
「へぇ。君が見破ったのか。よしよし」頭をぽんぽんなでられた。
「で、どういうわけだったの?」と猫又さん。
「あ、失敬。小豆とぎのおかみさんに頼まれてかぼちゃパイを届けたあと、姉ちゃんの店に行ったらパイが置いてあって、おいしそうだったからつい一口食べちゃって。それで小僧くんにばれたら後々(あとあと)めんどくさそうだから――だって姉ちゃん秘密主義だから妹がいることなんて周りに言ってなさそうだし――、どうにか返そうと思って、店を出たんだよ。それから、小豆とぎのおかみさんに頼みこんでパイを返してもらい、姉ちゃんがガラス壺に夢中になっている隙をうかがって入って置いてきたわけ。きれいに焼けたでしょ?」
「あんたってほんとにお騒がせものだね」「へへへー」
 私も笑う。そしたら、いつのまに後ろに来てたのかお姉ちゃんがいて、「ヨモギもお騒がせものだよ」と言って笑った。
 そのあとは、桃さんも含めてみんなで夕食を食べた。
 デザートのかぼちゃパイのあと、疲れた三十郎は机で居ねむりしてたけど、肩を叩いてみた。
「ねえ、三十郎?」「ほぇ?」
 そうして玄関の姿見のほうへ来てもらう。
「似合ってる?」鏡の前で、私はくるっと一周回って見せた。頭の上には猫又さんからもらった帽子。
「うん。食べちゃいたいくらい可愛い」と、三十郎。ねむそうだけど笑ってる。
 私も笑ったのだけど、お姉ちゃんは「もう。本当に食べないでよ」とまじめにつっこみを入れた。「私の可愛い妹なんだからさ」
 お姉ちゃんは近づいてきて、もう一度私の背中に両手を回した。三十郎が笑っているのが肩越しに見えた。

ヨモギの国の河童

ヨモギの国の河童

河童探偵4作目です。ハロウィーンの話です。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-10-22

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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