乙女



「お前の頑張りを誰が見てるだろうか
お前の我慢を誰が理解しようか
お前の苦しみを誰が語ってくれようか
お前の笑顔の裏にある本性を誰が疑おうか

お前の心はどこにあろうか
頭か
胸か
お腹か
腰か

お前は何に温もりを感じるか
お前は何に悲しむか」


「これって、誰に向かっての文ですか」



ペンを動かす手を止めて、声のする背後を振り返る。お盆に湯呑みをのせた背の高い男が立っていた。

「お前」
「お前って、もしかして俺ですか」
「まあ、お前だ」

少しの沈黙のあと、原稿の横に湯気立つお茶が置かれた。歪んだ湯呑みは、名のある師によって作られたもので、桁は予想よりも2つ多い高級なものだ。
その湯呑みに、タバコのヤニだらけの唇を触れさせることが美しく背徳的で好きだ。

「貴方です」

男は、いつものようにすぐには部屋を出て行かなかった。

「貴方が見てください
貴方が理解してください
貴方が語ってください
貴方が疑ってください
俺の心は、貴方のところにあります。
温もりも悲しみも全て貴方です。」


歪んだ湯呑みは名のある師が作った。
そのおかげでイビツであっても価値がある。
湯呑みが、自分は出来損ないであると感じていても評価するのは世間で、評価されるのは作った師だ。

「俺の答えは、全て貴方です」

名のある師は、この湯呑みを失敗作と言った。
理由は、歪みが美しくないからだった。しかし、世間の平凡な目で見れば、素晴らしい品にしか見えない。
世間の平凡な、疑わない目で見ればの話だ。


「…お前、可愛そうなやつだ」

手を伸ばして、お盆を持つ着物の裾を引っ張ると、男は簡単に跪いた。
大儀そうな表情をしているのに、目は水溜りのように濡れていた。
灰皿に放っておいたタバコを口に含み、煙を男の顔に吹きかける。男はうっとりと体を震わせた。


「そのタバコを俺の首に押し付けてください」


微かに火の根のあるそれを、浅黒い首に押し付ける。所有印が、痛々しくじんわり広がった。男は非情に嬉しそうだ。

タバコをまた口に含み、今度は宙に煙を吐いた。ゆらゆらと、壁に貼ってある紙にまで煙が拡散していく。

男は焦ったそうにして、タバコをやめない手を制し、体を膝の上へ乗せてきた。肩に手を置かれ、籠めた熱の視線が、タバコの火より熱い。

「貴方に虐められたいです」
「そんなことを言うな」
「貴方に虐めて欲しいです」
「重い。どけ」
「虐めてください。お願いします。」

男は、みっともなく、胸に額を擦り付けてくる。そして、服越しに熱を孕ませた。
鬱陶しくなって、タバコを後ろ首に押し付けると情けない声を上げた。


「お前の親が今のお前を見たら、殺してしまうだろうな」

抜け殻のような惚けた顔の男の首根っこを掴み、床に振り落とす。
男は顔ごと地面に打ち付け、顔こそ見えないがおそらく泣いていた。

「お前は純だな」
「そんなことを、言わないでください」
「喜んでしまうことを悲しむお前は、それだけで美しい」

土下座する後頭部に煙を吹きかけた。
男は、顔を見せない。
髪の毛を掴み、無理やり起き上がらせて、歪んだ唇に食らいついた。
血の味を残して、口から離れると、男は涙を浮かべ、頬を赤らめ、餌を待つ雛鳥のように口を開けたままほうっとした目をいつまでもやめなかった。

「今何を思ってるんだ」

床を這って、嬉しそうな恥ずかしそうな、切ない雰囲気を纏っていた。
この男は、乙女なのだ。
私を求める、ただの歪な乙女だ。

「……もう一度してほしいです。貴方にしてほしいです。」
「なぜだ」
「あいしてます」

名のある師が作った価値ある失敗作。
そんなものを、私はヤニで汚すのだ。
それは、背徳的で、悲しかった。

乙女

乙女

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-10-21

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