大学の授業で書いたシリーズ
星新一のショート・ショートを読み漁っていた頃の、授業中に書いた小さなお話たちです。
「だから……。」
ボクは穂積.M.クライトン。大学生、一人暮しのしがない青年です。そんな僕ですが、人には言えない、重大な秘密がひとつあるんです。去年の春に彼女が出来て、季節はあっというまに、もう冬になってしまいました。来年の春がやってくる前に、僕はこの秘密を、同棲しているも同然の、この彼女にうちあけようと思っているんです。そう、今日こそは。
「ただいま、初音。」
「あ、おかえり穂積。」
「あの、僕の重大な話、聞いてくれる気になった?」
「だからなんなのよ?重大な話って。」
「そう言うなよ、ずっと前から僕は話そうかどうか、ずっと迷っていたんだから。」
「で、決心がついたのね?んじゃ話してよ。」
「うん。実は僕、人間じゃないんだ。」
「は?今なんて?」
「だから、僕は人間じゃないんだよ、つまり、人造人間、ドクタークライトン博士の造った、アンドロイドなんだよ。」
そこまで一息に言い終えて、僕は下げていた視線をあげて、彼女を見た。その瞬間、顔面にお茶の飛沫が飛んできた。初音が飲んでいた最中に吹きだしたらしい。
「ぶぁあははは!!ちょっとあんた、大丈夫?そんなとんでもない冗談よく言えるわね?」
「だから。冗談なんかじゃないよ、初音。僕は真剣に話しているんだよ?僕は政府に極秘に造られた、世界で最初のアンドロイドなんだ、クライトン博士の亡くなった息子の身代わりとして、この世に作られたんだ!!」
そのあたりで、彼女の顔つきが次第に変わってきた。
「穂積、そんなあきらかな嘘を私に言って、楽しんでるのね?ひどいわ、もう、あなたなんかしらない!!さようなら。」
そう言うが早いか、彼女はさっと立ち上がり、泣きながら、玄関をダッシュで出て行ってしまった。
なんてことだ、ひどいのは初音のほうじゃないか。僕は真実をうちあけたのに。本当に、食事だって、今まで一緒にできなかったのは、石油オイルしか飲めないからだし、夜も同じ部屋で寝ないのは、耳の穴とヘソに充電器をさしこまなくちゃいけなかったからだと言うのに。
あ、そろそろ充電をしなければ。彼女を追いかけたいけれど、ここは仕方がない。
そして俺が石油オイルを片手に、充電器を指しこんでいる最中に、玄関のチャイイムが遠慮がちに鳴った。
「もしも~し、クライトンさん、精神科の診察に伺いました~。」
<終わり>
「茨姫ピンチ。」
あたしは悪魔の塔の魔女だ。文句のある奴は言うがいいさ。そういう奴をたちまちひどい目にあわせるのが、あたしの趣味なのさ。
ある日あたしが小悪魔たちをこき使っている時、忠実なる家臣の灰銀カラスがこんな報告をしてきたんだ。
「ご主人様、あのふざけた王の国はどこか様子がおかしいですぞ…。」
なんだって?あぁ、誕生パ―ティ―にあたしを呼ばなかった、あのふざけた王の国の様子がおかしいだと?ふん、あいつの娘はたしか紡ぎ車の針を刺して殺してやったはずだが。塔の最上階からその方角を見渡すと、なにやら濃い霧がたちこめてよく見えないと着ている。これはなにかあるね……。
紫の水晶でよくよく見ると、その霧にはなにやら魔法がかかっているようだった。まるで何かを隠していますよ、とでもいうように。
こういうバレバレなことをやるのはたいてい老いぼれの弱小妖精の仕業にきまってるんだよ、まったく奴らも馬鹿なもんだ。以前も、あのふざけた王の娘をあたしの目からくらまそうと森の中で育てていたみたいだったが、あれだってちゃあんとわかってたのさ。大体、夜の森の闇を支配しているのは誰だと思ってるんだろうね。そうとも、このあたしさ!娘が育つのを放っといたのは、どうせ十五になったら殺すことに決めていたし、他の悪事に忙しかったからだったのに、あいつらはしっかり自分達で隠し育てたつもりだったんだ。
あたしはまず忠実なる家臣の灰銀カラスに、もっと詳しくなかをみてくるように言いつけた。
「しかし、あの霧には邪悪なるものが入れないようにしていると思われますが……。」
灰銀カラスの奴が、珍しく口を返してきた。
「そんなもの、おまえの知恵でなんとかしな!もし死んでも生き返らせてやるさ。死を司っているのはこのあたしなんだよ?ふん、あんな老いぼれ妖精の魔法だ。こっちが本気になれば破れないわけないよ。わかったらさっさと行きな!」
思った通り、うまいこと灰銀カラスは中へ入り込んだ。なに、国中に詐欺師や囚人、悪徳代官なんかがごろごろとうろついてるんだ、そいつらの邪な心を、綱渡りのように渡っていけばいいだけなんだから、わけもない。
灰銀カラスの報告によれば、なにやら王国の人間という人間が、眠りこけているらしい。そしてあのふざけた王の娘を殺した塔には、びっしりと茨がはびこっていて、いかにも何かあると言った感じだったらしい。奴が悪魔の風に化けて茨の隙間から入り込んでみると、殺したはずのあの娘が、きれいに飾りたてられて健やかな寝息をたてていた、というじゃあないか!あいつら、よくもやってくれたね!!さては死の呪いをあいつらの老いぼれ魔法で眠りの呪いにやわらげでもして、あたしに見つからないように、国ごと眠りにつかせたってところか。
はん、あいつらのやることなすこと、このあたしにはバレバレだってことが全くわかってないみたいだ!まあいいさ。そっちがそう出てくるならば、こっちも次の手を打とうじゃないか!悪名高い魔女ってのは執念深くできてるってことを思い知らせてやる……。
王国中の人間が眠っているということは、今頃は全員夢の国の中にいるってことだ。あのふざけた王も含めて王国中の全人間を、恐怖の悪夢漬けにするっていうのも悪くないが、それは後でゆっくりするとして、ここは娘一人に的をしぼるとしよう。ふん、ただ悪夢を見せるだけじゃあつまらないからね。もっと後々にも残るような、ひどい目にあわせてやらなきゃあ、腹の虫もおさまらないってもんだ。
そうしてその晩あたしは寝ないでいろいろと考えた挙句、一つのある名案がうかんだ。夢の中であの娘を恋に陥れるんだ。自分から夢の中を抜け出せないようにしてやるのさ。そうすれば万が一娘が眠りから解放されて、王子と結婚しても、心の隅には夢の中の恋人が残り、愛しさはだんだん成長して、王子の愛をも超えてしまうだろう。そうして自ら眠りの世界へ逆戻りしたら最後、もう二度と帰ってこられなくなるってわけさ。
老いぼれ魔法の条件は、「愛する王子のキス」なんだから、王子より愛するものが他にできてしまったら、もう誰にもおこせなくなってしまうんだからね!もちろん恋人役には夢の国の門番さ。奴らは子供の心しか持ってないから、まず、「大人にしてやる」と言って恋心を植えつける。娘の顔もしっかり焼きつけとくのさ。そうして二人を引き合わせれば、夢に溺れているあの娘もすっかり恋に落ちてしまうって寸法だ。
まあ、あの娘も不幸だね!父王のせいでこのあたしにひどい目にあうんだから。でも同情する気は全くないがね。あれだけ美しくて、澄んだ声を持ち、富や男にも恵まれて、今までちやほやされてんだ、ここらで運の使い終わりなんだよ、人生そんなに甘くないんだ。この物語の創り主も(別に義理立てするわけじゃあないが)このことを思い知らせるに、あたしをこの世に存在させたんだからね……。
☆
かくて数年後、茨姫は王子のキスによって目覚め、王国中の人間が、魔女の趣味の悪夢から解放され、結婚の宴は夜昼となく続けられたのだが…。魔女の第二の呪いが効きはじめた、姫の微妙な心境に、気付いているものは、今のところ誰もいない。
☆FIN☆
「じいやん。」
この人はうちの近所に住んでいる人で、みんなから「じいやん。」と呼ばれている人だ。
町内のお祭りなどがあった時には必ず真中のやぐらの上でおはやしの横笛を吹くじいさんで、毎朝家のまわりをものすごい勢いで掃除している。目のコンタクト(?)は最新のものらしく、ズームアップができたりするらしい。それでどんなごみも見逃さないのがじいやんの自慢らしい。それから、両肩についている鎧(?)は戦争中に生きてきたじいやんのとても大事な宝物らしい。
朝いつも学校の行きしに、じいやんの家があるので、私は声をかける。
「おはようございます。(じいやん。)」
「おやおや、高原さんとこのお嬢さん、おはようさん。」
じいやんの目がズームアップするためにジーっと動いた時、私は気持ち悪くなって、挨拶もそこそこに早々と立ち去ることが多い。
昔、じいやんの家の前あたりで、缶蹴りをして遊んでいたら、ものすごい剣幕でおこられた事がある。でも、根はとてもやさしいじいやんなのだ。
「学校は上手くいっとるかね?」
「はぁ、まぁまぁ…。」
「そうか、このへんにあんまりゴミを落とさないでおくれよ。」
「は、はい………。」
それだけ言うと、また自分の家の周りの落ち葉を、猛烈なスピードで掃除し始めるのだ。
私はその隙にいつもダッシュでその場を逃れたと思った。確かにそのつもりだったのに、次の信号のところに何故かまたじいやんがいた。
「あれ?じいやん…?」
「あぁ、お嬢ちゃんハンカチ落としとったよ、はいこれ。」
「ほんとだ、ありがとうございます。」
じいやんはハンカチを渡すと無言ですたすたと戻って行った……。
しかし、あの人、いったい何でできているのか?
いや、むしろ人間ではないのだろうか?
もしかして、あるいは………?
☆
そういえば、じいやんの家の前はどの季節でもかならず何かの葉っぱが落ちているはずなのに、(春には桜の花びら、夏に松の葉、秋はどんぐり、冬はサザンカやひいらぎの実など) じいやんの家の周りはいつもちりひとつない。あそこの庭にはまだまだとんでもない植物がたくさん植わっているのだろう。想像もつかないような……。
あの家もじいやんの存在も、実は我が町内の謎なのである。
ときどき夜中にじいやんはマラソンをしていて、外でラーメン屋のチャルメラが鳴ると、
「おかあちゃ~~~ん!!!」
と、ものすごい大声で叫んだりする。この前も私が寝る前に雨戸を閉めるときに聞こえてきて、ビクッとしてしまった。あれだけは、マジでやめてもらいたい。
<終わり>
火曜日
何故かどうしてかは置いといて、始まりはとにかく夜だった。
災害警報が鳴り響く中、私は夜中に近所の大きなスーパーの前の坂を知らない人たちと一緒に逃げ走っているらしかった。
車道には、パトカーや救急車なんかが、やっぱり同じ方向のもっと先に向かって走っている。
妙に生熱い空気が坂の上のスーパーの向こうからしてくるな、と思ったら突然、ものすごい溶岩の流れがどっと押し寄せてきて、あっという間にスーパーを飲みこんでしまっていた。その真っ赤な溶岩の津波はこちらのほうへ、シューシュー言いながら、だんだんこっちへやってくるのだ。
「~~~っ!!」
私は、逃げる。
どんどん、どんどん、逃げる。
まわりの人たちも、何事かを叫びながら逃げる、逃げる…。
☆
気付けば三宮かどこかの地下街のなかにいる。
溶岩はここまで流れてくるはずはなかったけれど、人々は混乱した様子で、たくさんの人々がひしめき合ってざわめき立って、ただでさえ狭い地下街の通路はぎゅうぎゅう詰めになっていた。私はひとりで家族を探そうと思ったが、何故だか止めてしまう。それから、
この人々の狂乱した雰囲気をひとりだけ冷ややかに見ている。でもやっぱり心細くなってきたその時、背後で誰かが私に声をかけた。
「おーい、ヤナセさんじゃないか?」
振り向くと、同級生だったヒビノ君がいた。彼は犬を連れていた。この大災害の中、別段驚いた風もなく、ただちょっと散歩にきただけだ、というような格好をしている。顔はまあまあだが、頭はよくて、大きな耳が特徴的な、なんとものんびりした声の持ち主だった。
「大丈夫かい?」
「私は平気」
「今頃こんなところにいると危ないよ?」
「それを言うんだったら、あんたも危ないじゃないの、はやく逃げるわよ!?」
まだ遠くでサイレンの音が鳴り響いていた。
私がヒビノ君に話しかけると、紅い紐に繋がれたヒビノ君の犬は突然ワンワンと吠えはじめた。
これでも、私は犬が超苦手だったので、少し顔がこわばってしまった。体が動かない。
「こいつ、めずらしいなぁ、嬉しがってるよ」
「え、私にぃ!?」
ヒビノ君が言うには、この犬はどうやら私に懐いているらしい。そう考えるとなんとなく、少しかわいくも見えてきて、私は犬の目線にあわせるようにして横にちょっとしゃがみ込んだ。そっと首を撫でてやると、舌でペロペロされそうになった。けれどさすがにそこまで許すと、舐められた部分に真っ赤なカユ~イじんましんができてしまうので、思わず顔を背けてしまった。体がもともと犬を受け付けないのだ。でもこの犬のおかげで、なんだか元気が戻ってきたので、顔をあげてヒビノ君にとりあえずお礼を言うことにした。
「あははは、この犬可愛いね」
「そうかい?こいつ、外で拾ったんだよ」
「へぇ、じゃあ名前は?」
「それがまだ、なんだ」
「それじゃ私が決めてあげるよ!」
「そう?助かるよ」
☆
「う~ン…。」
しばらく私はいくつかの名前を思い浮かべたうえ、ヒビノ君の犬に名前をつけた。避難中にのんびりと。
「ヒビノ君の犬なんだから、”ヒビジ”っていうのはどうかな?」
「うん、いいね、その名前。もらい!!」
こうしてこの犬の名前は”ヒビジ”になった。
ヒビノ君が私に気付かれまいようにと、ぼそりと言ったフレーズは、私の地獄耳にはちゃあんと聞こえていた。
『自分のこ、子供の名前にしようっと』
☆
そもそもなんで私はあんな所にいたのだろう?
溶岩が流れ出そうな火山なんか、この近辺にあったっけ?
ヒビノ君と犬は、あの時の私と、なんの関係があったの?
すべてが謎、すべては謎、謎のままで……。
意味があるのか、ないんだか。誰が見せるのか、夜に見た、火曜日の夢。
<終わり☆>
借金願書
おまえとよく飲みに行ったあの店で、俺がやけ酒を飲んでいた時、ある男が話しかけてきて、こう言ったんだ。
「新しい職をお探しですね?」
俺は果たしてその通りで、金になる仕事ならなんでもやるぐらい切羽詰っていたものだから、つい、その男の誘いに飛び付いてしまったのだ。 そいつは葬儀屋の店員らしかったので、俺は会場の整理でもやらされるのだろうと、軽く思っていたのだが、それはまったくの見当違いだったのだ。
そいつは俺にある一枚のリストをよこしてこう言った。
「そこに書いてある人物の殺しに、一役買っていただきます。それがあなたの新しいお仕事です、よろしく。」
「冗談じゃない、そんな恐ろしいことができるものか。この事はなかったことにしてくれ。」
「それはできませんなぁ、仕事がほしいといったのはあなたでしょう?それに内容を知られた限り、お受けしていただくほかありません。それ以外の選択でしたら…あなたも死んでいただきます。」
俺は逃げ出そうととっさにドアをさぐったが、もう遅かった。履歴書も、酒屋ですでに渡してしまっていたので、ここから逃げたところで、必ず追ってくるだろうことは明らかだった。とりあえず取っ手を握って回してみたが、しっかりとロックされているらしかった。
そいつは淡々とした口調で俺に殺しの手順を説明し、それから一時間後にはやつの仲間と友に、もっと上の上司の指示どおりにある有名な会社の社長夫妻が依頼してきたある男を殺しにいかねばならなくなった。そう、あと30分しかないのだ!!
それが誰の名前か教えてやろうか?それはまぎれもなく、お前の名前なのだ!!俺はお前を殺すことなど絶対に出来ないと、やつらに当然訴えたさ!!すると奴らはこんなことを言ってきやがったんだ。「そうですか、その男はあなたの友人だったんですか。そうですね、逃れる道はありますよ。あなたがその友人の宅に連絡して、そうですね、借金してください。そのお金を私どもが依頼料金としていただきましょう。そうすれば、この夫妻を自己に見せかけて、亡き者に致しますよ。ちょうど夫妻からは前金も半分いただいていますし、ことらとしても儲け分が増えて都合がいい。
そう言うわけなのだ。お前としても、ライバル会社のあの夫妻がいなくなれば、ちょうどいいだろう?
それに俺はお前を殺さなくても済むし、俺の命も保証するとむこうは言っている。俺は最後の希望を託して、今このメールをお前に送る。頼む!!あともう15分しかない、どうかこのメールに気付いてくれ!!
<終わり?>
風船事件
「よし、これで完成じゃ。」
ある天気のよい穏やかな午後、自宅の研究所で、M博士はまた奇妙なガスを発明した。
また、 というのは、彼が学会でも数少ない優秀なガス発明家だからである。
「もう部屋にはいってもよろしいぞ、二人とも。」
奥の部屋から二人と呼ばれた、正確にはミケ猫一匹と助手ロボット一体が中へ入ってきた。
「オツカレ様デス、ドクター。」
助手ロボットがテーブルの上に緑茶が入った湯のみをコトン、と置いた。
ミケ猫が博士の元に駆け寄り、慎重に話しかけた。
「今度の新作はどんなものですか?」
「うむ、これじゃ。」
博士は新作ガスのサンプルの入った、栓のしてある試験管を二人に見せた。
(彼はとある理由から、常に彼らのことをきちんと人扱いするのであった。)
☆
博士はもうすでに、驚くほどたくさんのガスを発明してきた。例えば、吹き付けるとどこからでも毛が生えてくる、「毛根ガス」、吸い込むと必ず大阪弁になる「大阪ガス」、焼きそばを食べた気分になる、「焼きそばガス」、どんな時でも顔筋を強制的に笑顔にさせる、「ご機嫌ようガス」など、この他にもなんらかの形で人の役に立つ(?)ガスを発明するのが彼の喜びであった。しかし、ある時そんな彼の努力を全くコケにするような新聞記事が、ご近所に出まわったのである。
第三面のその記事の見出しはこうだ。
「ガス発明家のモジャリゲニス博士、おならの改造も出来るのか!?」
この記事に激昂した博士はそれからというもの、人のためになるガスの発明をパッタリとやめて、今日の今日まで研究所に一人でこもって、社会に復讐するために、このガスの研究とその開発に取り組んでいたのである。
もちろん、研究途中でのアクシデントも多少あった。その一つが”ナットウ事件”である。
ある日、博士が実験段階の途中で、換気のためにちょっと窓を開けたその時、窓から彼の飼っているミケ猫のナットウがいきなり中に入ってきて、部屋をめちゃくちゃにしてしまった。そして、まだ試作品段階であったこのをガスを吸い込んでしまったのである。驚いて博士はナットウを取り押さえようとしたが、ナットウはそれをひらりとよけて、窓の外に出ていってしまった。そしてまたこの時、丁度窓の外を通りがかっていた青年と、ぶつかってしまったのである。
☆
「このガスを使えば、ワシの計画も成功するし、きみの願いも叶うっちゅう訳じゃのぉ。」
博士は試験管の中の、妖しげな煙の揺れ方を見ながら、目の前のミケ猫にそう言った。
「すみません、僕がぼんやり歩いていたせいなのに・・・。」
「いやいや、ワシが不用心に窓を開けたのがいけなかったんじゃよ。・・・・・・、オホン、ところでじゃのう・・・。」
博士はっさりげなく本題に入った。
「すまんがな、手始めにこの新作ガスを、駅前あたりでバラまいてほしいんじゃが・・・。」
「ええ、その位ならお手伝いしますよ。」
ミケ猫の了承を得て、博士はその方法を次のように述べた。
「まずゴム風船にこの新作ガスを詰め込んでじゃな、きみがポンズちゃん(助手のロボット)と一緒に駅前の広場へ行って、それを配ってくれればいいんじゃよ。このガスはじきにゴムを浸透して町中に広がるはずじゃ。」
「あの・・・、そうすると僕もそのガスを吸い込んでしまうのでは?」
「いや、その心配はないんじゃ。」
博士はミケ猫になにかの液体の入った小瓶を手渡した。
「これはガスが体内にまわらないようにする薬じゃよ。これを飲んで行けば大丈夫じゃ。」
「そういうことですか、わかりました。」
☆
というわけで、計画は次の日に決行されることとなった。気になるこの新作ガスの効き目だが、博士の作ったラベルにはこのように記されていた。
「記憶変換ガス」 <効能>吸入すると様々な記憶障害を起こす。副作用として、吸入時に一定以上の衝撃を受けると、その対象物の記憶が自分のそれと変換してしまう。
つまりこのガスをまけば、副作用の効果も含めて町中がパニックに陥ることはまず間違いないのである。ちなみに、ミケ猫は別日に微調整したこのガスを吸引し、精神病院へ強制入院させられている”ナットウの記憶”を持つ自分に、体当たりしに行ったという。
<終わり>
「妖精の女王サヴァ」
この絵はまさに彼女だ。月光の下、荒野で踊り狂う妖精たちの、女王サヴァ。
これはイギリスやアイルランドの妖精伝説によく出てくる彼女についての描写だ。そして、今見うけられる彼女は多分、幾代目かの女王サヴァであろう。
その証拠に、身にまとう暗闇のドレスと、その上に着込んだ昆虫の殻よりは少し重いであろう鎧には時の花の模様が縫い付けられている。幾重にも重なっているのは、この鎧が主を代えるごとに生長していることを意味している。その度に彼女は生まれ変わり、次の女王としての時を過ごす。常春の国の女王は、けして死ぬことはないのだ。その代わり、数千回、数万回と赤子に戻ってはまた生長を繰り返す。
彼女を他の妖精と区別するのは、その生きる鎧と共生しているところだ。赤子の時は今頭の上にかぶっておられる時の花の蕾のなかで眠り、少女の時はそこに縫い付けられている、月光の糸と蜘蛛の糸とで織られた花帽子をかぶっておられるはずである。手に持つ銀の扇は妖精たちの国を治める彼女の象徴でもあり、成人されるまではその体内に収まっているのである。
鎧は女王とも生長するのだが、一代にひとひら分のひだを作る。我々人間の単純な考えからいくと、今一番広がっているひだの部分が下から4枚目にあたるところから、“四代目”と認識するかもしれないが、彼女達は永遠の時を繰り返し生きているのである。ひとひら分のひだが女王のどれだけ分の時を示しているかなど、人間には推測できる余地すらないのである。
したがって、彼女が何代目のサヴァなのか、我々が知ることはできないのである。人が修行してなり得るという仙人でさえ、彼女の鎧のたったひとひら分も生きてはいないだろう。そう、我々が彼女を目の当たりにするのはまず無理なのだ。それは「月明かりのある、ひとけのない所(荒野や川岸)にさえ行けば、少なくとも彼女の手下くらいには会えるんじゃないかな?」という一部のおろかな連中の抱く妄想である。彼女達の暮らす常春の国は、もはや地球上には存在しない。存在してたまるものか!地球やら別の惑星やら、そういった次元の話ではないのだ。
そこへどうしても行く、と言うのなら、手段がまったくないわけでもない。例えば、ここから何万kmも離れた異国の地の、草原の沼地から入るか、高層ビルの屋上から思いきって飛び降りるか、古めかしい映画館の裏口のドアから行くか、そのどれかにするといいだろう。私なら、どこか知らない外国の地の、謎めいた図書館の閲覧室の、あの妖しい本棚の中で眠っている、埃まみれのあの革表紙の本の扉から行くだろう。
そう、いつかバスチアンという少年が、本当にあのあたりへ出掛けたように。
<終>
大学の授業で書いたシリーズ