仮面たちの舞踏会
華族出身の浦賀佳実は、中学の同窓会で冴えない格好の菊田翔と出会う。化けの皮を剥いでやる、と菊田から暴言を吐かれながらも誘われるがままに「仮面舞踏会」という名の不思議な世界へと吸い込まれてゆく。誰でもが持つ二重人格という人間の性を問い詰めた令和の問題作。
第一話 再会
「君の化けの皮を剥いでやるよ」
シャネルのオートクチュールで浦賀佳実は中学校の同窓会に出席した。神宮外苑イタリア料理店「シチリア亭」で長テーブルに着席するなり、隣の菊田翔に耳元でこう囁かれて浦賀佳実は目を見張った。菊田にふざけた様子はなく窓際の席から外を眺めている。小路に並ぶ黄金色の銀杏に夕陽が照りつけ、令和の秋も終わりを告げようとしていた。佳実は卒業して40年たった今でも、凛とした美しさは変わっていない。男子組も虎視眈々と佳実の隣席を狙っていたのだが、いつの間にか菊田が横に座っていたのが不思議といえば不思議だ。
「ねえ菊田君、もしかして私のことをバカにしているの?それとも私が絹の靴下だってわけ?夏木マリのヒット曲、あれは昭和ですからね」
菊田は大きく頷いて佳実に向き直った。
「あぁ、それだよ、末田(佳実の旧姓)。自分で分かってんじゃねえか」
佳実の家系は伯爵や公爵を生んだ元華族。今日でもその家風は保たれ一族には叙勲者もいる。東京千代田区麹町に屋敷を構える浦賀家で、佳実は警視総監の夫をよく扶け、二人の息子を人並み以上の学校に進学をさせ、家をしっかり守ってきた良妻賢母の鑑。口にこそ出さないが、自分ほど模範的な婦人はいないと密かに自負しているのだ。もちろん華やかな生活ばかりではない。旧華族であるがゆえの苦労もあれば悔しい思いもしてきた。しかし浦賀家に嫁いだ女として、それを乗り越えることこそが責務でもあり誇りでもあると歯を喰いしばって生きてきた。何も知らないくせに菊田の「化けの皮を剥いでやる」という暴言は、いかに同窓会という懇親の場でも許しがたいと思ったが、ここで菊田ごときを相手に逆上しては浦賀家の沽券にかかわると思い、グッと飲み込んだ。
「あら、それはどうも。確かにお化粧で化けの皮も厚くなってきたことだし、何かおススメがあったら菊田君に紹介して欲しいわ。ねえ恵子」
佳実は中学時代はそれほど親しくしていなかった隣席の恵子に話しかけた。それをきっかけに、佳実と恵子、それに同じテーブルの女子たちが一斉に化粧品の論評を始め、もう菊田の入り込む余地はなくなっていた。もともと女子たちは男子たちを蚊帳の外にする傾向がある。欠席した女子たちの噂話や孫たちや嫁の話、それに更年期の話など男が入りにくいネタばかり。男子たちは仕方なく消費税アップとか日韓関係など地味な話をボソボソとするのだ。
ひとしきり女子会の花が咲いたところで、佳実は化粧室へ席を立った。重く大きな扉を開き中へ進み鏡を覗くと、厚く塗ったファンデーションが少し崩れている。パフで軽く手直しながら思わずクスクスと佳実は苦笑いした。菊田君、ウソはついてないわね。これじゃ本当に化けの皮だわ。まるで妖怪ベムだ。さっきまでの菊田への反感は少し薄らぎ、今度は逆に彼をからかってやろうというイタズラ心が佳実に芽生えていた。ユニクロの紺パーカーにジーンズ、それに薄汚れたナイキの運動靴でこの店にやってきた菊田、いくら男子とはいえもうちょっとまともな格好で来てほしい。きっとあまり経済的には豊かでない生活をしているのだろう。よし、ちょっといじめてやるわ。
席に戻ると菊田の姿が見えない。あれ?どこへ行ったのかと恵子にたずねたが、たった今部屋を出てったよとの答え、なんだお手洗いにでも行ったのかと佳実は気にもかけず今度はテーブルの男子たちに話しかけた。
「ねえ、男性諸君。そろそろ定年だよね。何か退職後の計画している?」
佳実の一言で男子たちは救われた。男同士でネタも途切れがちだった空気に、佳実から話を振ってもらえたから、小学校の教室で生徒たちが「はい!」と先生に向かって手を挙げるような競い方である。なんだ、男子たちも話好きなんじゃないの、佳実は心の中で笑った。
菊田が席を立ってから、かれこれ30分が経過していた。お手洗いにしては長すぎる。幹事の沖田に聞いても「いや、俺も知らないよ」とのこと。せっかく菊田に逆襲してやろうと鼻息を荒くしていた佳実は、何だか肩透かしを食らった気分だ。もしかしたら急用ができて消えたのかもしれない。このままじゃ終わらせないわよ、という意気込みもあって、もう一度宴席の重い扉を押して廊下に出た。ゆっくり見回すと思いがけず菊田が扉近くのソファで誰かと携帯で話をしていたのだった。佳実は虚を突かれたので、そのまま手洗いに行く振りをして歩を進めたところで、背後から菊田の声がした。
「あれ?30分前にトイレで、また行くのかよ?」
振り向くと菊田がソファでニタニタしてこちらを見る姿があった。
「いいえ、ちょっとラインのチェックにね」
落ち着いて佳実は答えた。本当は菊田を探しに来たなどと口が裂けても言いたくない。
「そうか。でもラインならトイレじゃなくてここですればいいよ。俺も仕事の電話がようやく終わったところだから」
「あら、そう。それじゃここで。ところで立ち入ったことを聞くけどさ、菊田君のお仕事って何かしら?同窓会まで来て電話連絡とは随分とお忙しいのね」いつのまにか佳実もソファに並んで座っていた。
「あぁ、不動産関係の仕事だよ。」
佳実はあぁやっぱり、とほくそ笑んだ。中学の頃からパッとしないダサイ男の子だった。今じゃ辺鄙な土地で薄汚いアパートでも斡旋しているのだろうと想像した。さっきパーカー姿の菊田から「化けの皮を剥いでやる」などと失礼なことを言ってきた仕返しをしてやりたい気分、ザマアミロだわ。ここから佳実の逆襲は始まる筈だった。
「そういえばアメリカ大統領もその昔不動産で大儲けして、マンハッタンにタワーまで建てたんですってね。まさか菊田君も六本木ヒルズ辺りに住んでたりして」
初めて菊田は真横を向き佳実の瞳を覗き込んで、ちょっと呼吸を置いてから言った。
「末田、お前、おれのこと調べたのか?俺の住所なんてお前は知らないはずだがな。この招待状にも俺の住所が書いてあるよ。いや実はな、これをお前に今日渡したかったんだ」
今度は佳実が驚いた。訝しがりながらも手渡された漆黒の紙に薄紫の文字で書かれた怪しげな招待状、果たして菊田の言うとおり会場はヒルズだった。そして表には意味不明の言葉。
“ようこそ仮面舞踏会へ”
「何これ?ご家族は?」
自分でも分かっている。ヒルズに住んでいるなら相当な資産家だ。しかも中学の時はさえなかった男がなぜそんなのし上がり方をしたのか。華族出身の佳実から見れば侮蔑すべき成金だ。
「俺はずっと独身だったよ。毎週ヒルズ最上階のパーティールームで仮面舞踏会を開催しているのさ。俺はそのコーディネーターってところだよ。参加者はそれぞれ仮面をつけてやって来る。衣装も自由、年齢国籍性別も問わない」
「なによそれ?まさかあのいやらしい乱交とかしているやつ?」
「あはは、末田、お前もまんざら嫌いではなさそうだな。ウチのはそういう下品なやつじゃねえよ。仮にも六本木ヒルズ、もうちょっとマシなことをしているさ。ただちょっと仮面着用というところが変わっているが、ここが大切なポイントなのさ」
乱交などとはしたない言葉を吐いてしまって後悔しながらもなぜか菊田の話に飲み込まれてゆく。仮面舞踏会って何よ?そもそもなんで仮面着用なの。そんな淫靡ないやらしい世界なんか、私は生まれてこのかた踏み入れたことがないし見たこともない、いや、侮蔑してきた。それに夫の信夫は日本国の警察官トップとしてそういう風俗・秩序の乱れに目を光らせている。そんなの令和のダダイスム、堕落主義だわ。
「ちょっとな、仕事が入っちまったんでこれで失礼するよ。今日は末田に会えてよかった。この舞踏会、来るか来ないかはお前次第だ。だが百聞は一見に如かず、来てみて嫌ならもう来なくても全然かまわんぜ。あ、それに初回出席者は無料だよ。」
菊田はそのまま階段を下りて消えてしまった。みすぼらしい格好で現れた菊田、150万円で作ったスーツ姿で扉に残された佳実。そして手渡された一通の招待状。この招待状が佳実の人生を180度変えることになってしまうとは、彼女は思ってもいなかった(続く)
仮面たちの舞踏会