世紀の発明
「ついに、完成したぞ」
博士の声からは、ここに至るまでの苦労と研究が成功した喜びを感じることができた。
若々しかった博士の黒髪が白髪になり、肌が乾燥して皺だらけになるまで彼が続けていた研究というのは、割れないシャボン玉作りであった。最初の頃は、金持ちだった親の遺産を使い多くの助手を雇った。しかし、なかなか成果は上がらず次第に、助手に給料を払うことができなくなった。そのうち雇っていた助手を全員辞めさせることにしたが、その中にも可能性を信じ、金はいらないから手伝わせてくれ、と言う熱心な若者もいた。しかし、どれだけ時間をかけても失敗続きの実験に、一人また一人と研究室に来なくなり、つい一ヶ月前に最後の助手も辞めてしまった。
そんな博士の悲願が達成し、あとはシャボン玉の中に人が入っても割れないかどうかを確認するだけだった。今まで、辞書と同じくらいの石や錆びた鍋、壊れた自転車などをシャボン玉の中に入れたがどれも割れずに、今も広かった研究室の場所を取り続けている。
かつての熱心な助手に実験台になってもらい、同時に成功を伝えようとも考えたが、博士は長い間研究に没頭していたため、外部との連絡手段を持っていなかった。こうなったら、自分で試すしかないと博士は腹を決めたが、あることに気がついた。理論上は絶対に割れないこのシャボン玉の中に、自分が入ったらどうやって出るのか。
危ないところだった、と博士はいつものように寂しく呟き、絶対に割れないシャボン玉を割れる薬を作り始めた。
シャボン玉を割る薬の開発は、三週間とこれまでの研究に比べると、断然早く出来上がった。
そして、ついにその日が訪れた。
「この実験に成功したら、世間に公表するぞ。これで、私も認められる」
博士は、自分自身に言い聞かせた後に、先の自分の人生を予想した
「はい、このシャボン玉は決して割れることはありません。それを活かしてシャボン玉の中に荷物を入れ、小型の人工知能と強力な風を起こせるファンを取り付ければ、人工知能にプログラムした所へ、自動でこのシャボン玉を送り届けることができます。そうすることで、人手不足の多発している運送業者の負担も減らせるので、大いに役立つでしょう」
誇らしげに記者の質問に答えている自分の姿が目に浮かび、興奮も次第に高まってきた。
「では、実験を開始する」
力強く呟き、シャボン玉を作る装置に乗った。装置、といっても非常に簡単な作りで、大きなお皿の中をシャボン玉の溶液で満たし、伸縮する輪の大きさを人が入っても、余裕のある大きさにし大皿の中に置く。その輪に博士が立ち、スイッチを押すと自動で輪が上へ行き、縦にシャボン玉の膜が張る。博士の体がシャボン玉の膜に入りきると、また自動で輪が縮みシャボン玉の上の部分が閉じる。そして、閉じた部分に軽く跳ね頭突きをすると、大皿と接していた部分が浮き、下の方も閉じる。
完全にシャボン玉が出来上がったとき、博士は感情の高ぶりを抑えることができなくなった。年甲斐もなく、シャボン玉の中で飛び跳ねても、透明な球体は上下に揺れるだけだった。
そして、シャボン玉が割れないことを確認した後、外へ出ようと思い薬の入った白衣のポケットの中に手を入れた。だが、右ポケットに入れたはずの薬がない。少しばかり戸惑ったが、感情が昂っていたため左右を間違えたのだろう、と思い今度は左ポケットを探した。けれど薬はなかった。白衣のポケット、ズボンのポケット、全て探したが結果は同じだった。
慌てふためきながらも、一度冷静になろうとシャボン玉の外を見ると、自分の机の上に薬があることを発見した。最後の希望を信じ、薬を取りいこうとシャボン玉に体当たりしてみた。けれども、自分の身体が柔らかい薄皮に弾き返され、尻もちをつくだけで、一向に前には進まない。ならばと、力を込めて殴ってみてもシャボン玉はただ振動を全体に伝え、揺れるだけだった。
つい数分前までは、希望に満ち溢れた世界で一番美しい球体であったものが、今では哀れな老人を一人閉じ込める透明な檻へと姿を変えてしまった。博士は、ついに外に出ることを諦め、誰かが助けに来ることを待った。
研究熱心な博士を心配して、訪れた元助手の数名が研究室の扉を開けた時には、埃を被った机と、その少し奥に干上がった博士の遺体を閉じ込めたシャボン玉が、不気味に研究室に漂っていただけだった。
世紀の発明