これはもはや自傷行為

田宮優月


人物
 白鳥徹 松永和真


以下、【】内は章のタイトルであり、()内は具体的なト書きである。
   前述意外のものは役者のセリフである。


【前説という名の導入という名の前説】

本日は、『これはもはや自傷行為』にお越しいただきまして、誠にありがとうございます。

開演に先立ちまして、お客様にご案内申し上げます。
一点目。携帯電話、音のなる電子機器は、お切りください。マナーモードにされていても、振動音や画面のバックライトが他のお客様のご迷惑となる場合がございます。必ず、電源からお切りください。
二点目。客席での、飲食・喫煙はご遠慮ください。
三点目。場内での許可のない写真・動画の撮影はご遠慮ください。
四点目。上演中に体調を崩された方は手をあげてお知らせください。スタッフが対応いたします。
五点目。非常の際は、スタッフが誘導いたしますので、慌てずに指示に従ってください。
六点目。いかなる場合においても、私自身が話している内容を全て本当だと捉えないでください。それによってあなたの心がどうなろうが、僕には知ったこっちゃございません。
七点目。え? どういうこと? 携帯電話の電源切らなくてもいいってこと? みたいな人の揚げ足とるようなこと書いたアンケートは、こうします。あらかじめ、ご了承ください。
 
最後に。お客様にご協力いただきたいことが一つ。
私の合図とともに、目を閉じて、良いと言うまで目を開けないでください。
では、いきますよ。さん、はい。

ご協力ありがとうございます。
もう目を開けて良いですよ。何も見えないと思いますけど。
目を頑なに閉じなかった心のひん曲がった人間はわかったと思うんですけど。まあ、目を閉じても閉じなくても、目の前って真っ暗になるんですよね。
もとい、なるようにしたんですよね。
自分の意思で、目をかっぴらいて全てを見ていようが、目を頑なにつむって何も見ないで自分の感覚だけで生きていようが。
結局なにも、変わらない、ん、です、よ。


【午后の授業】

「ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」

目の前にあるのはホワイトボードにバカみたいな字で書かれた

天文部

の文字。

天文部。

はて。なぜそんなところに俺が、
バスケ部に入って女子たちにわーとかきゃーとか言われる日常を送るはずだったのに。


【ずぎゅんて音が聞こえた気がした】

春も麗、十五歳の僕、白鳥徹(しらとり とおる)は桜並木という名の毛虫ロードをひたすらに歩いて目指すは中学時代そんなに勉強もせずに入れた私立高校。

すれ違う女の子に

『あの人はあり、なし、なし、なし、無理、なし、なし、なしキモ、死ね、あり、あ、え、え、チョーかっこいいんですけどぉ!』

とひよこのオスメス判別師のごとく判別されること矢の如し。
ちなみにお前は……あ……笑。

自分の意思で目を閉じていたら、いつの間にか入学式は終わって教室で恒例の自己紹介。
と。

あ。

いま、目があっ、

『海野です。純文学が好きです。』
『純文学ってどんなのですかー』
『純粋な芸術性を求めてつくる文学』
『……は?』
『夏目漱石とか、宮沢賢治とか、太宰治とか。部活は、適当に楽なところに入るつもりです。』

ずぎゅん。

「え?」

ずぎゅん。
と、何かに落ちるような音が聞こえたけれど、今それに踏み込んだら俺のこれから始まる華麗なる青春劇はこのたった三分程度の何かで終わってしまう気がしたので、踏み込まないで、頭の中から綺麗さっぱり消し去ることはできなさそうだったので、頭の隅に追いやることにしましたとさ。

「白鳥徹です」
『え、まってまじかっこよくなぁい?』『わかるわかるぅ』
「中学の時はバスケやってました」
『バスケ部とかやばー。』『それなぁ』
「高校でもバスケ続けるつもりです、これからよろしくお願いします」
『え、バスケ部のマネージャーしよかな(笑)』『え? その顔で?』『え?』『まじタピオカ~』

決まった。俺の華麗なる自己紹介が。最高だ。さすが俺。

と。いうのも。人間が人間としてどのレベルで生活できるかは、他人からの評価で決まるものだ、というのが十五年間生きてきて俺が導き出した一つのこの世の理りだ。
自分が実際にどれほどちっぽけな人間だろうがなんだろうが、他人からの評価が高ければ自分にはそれと同等の価値がつく。そして俺を知らない人間は、その俺に貼り付けられた価値を見て俺という人間がどんな人間かを想像する。つまるところ、「自分を価値のある人間に見えるように」仕向けるのが、失敗せずに、痛い目見ずに、他人に見下されずに生きていく上で大切なことなのだ。

そんなこともわからない人間は、わざとグレて教師や親に嫌われてみたり、自分が陽の当たらないところで生きる人間であることを隠さずに気持ち悪がられたり。ほおら、言わんこっちゃない。

『しゅ、趣味はアニメ鑑賞でごわす、フヒ、フヒヒヒ』

気にすることではない。
こんな男、どうせ俺のこれからの青春に関わる人間ではないのだ。脳みそから消去、と。
おお、今度はできた。
さて、やっとこれで俺の輝かしいバスケ部での活躍が見られる。と思ったのもつかの間。


【言い訳めいびー】

こうして物語は冒頭へと戻ってくるわけでした。
自分でも正直、何がどうなってこうなってんだか全くわかりません。
初夏も半ばに入り、もうそろそろ夏になろうともしているこの時期。本当なら俺はバスケ部で唯一の一年生レギュラーとして先輩と同輩の期待を一身に背負い仲間と鼓舞しあいながら、インターハイ全国優勝を夢に掲げ、まあそんなのを夢のまた夢として掲げている学校なんていくらでもあるわけで、結局県大会止まりででも俺たちが三年になるまでには全国行こうなと肩を抱いて慰め合うそんなそこそこの青春を手にしていたはずなのに。

なんで天文部なんかに入ってんだ? 俺。

「高校は、勉強に専念しようと思ってさ」

いやいや。それなら部活自体はいるなよ。

「バスケ部のレベルが低すぎて(笑)」

だめだ。他人を蔑んで自分をあげるのは俺の美学に反する。

「入学式の日に ずぎゅん ときてしまった人が入部届けに『天文部』って書いていたのが見えてしまって、そうしたら反射的に俺も『バスケ部』の文字を『天文部』に書き換えていました」

なんて。真実。
流石に、言えない。言ってはならない。この白鳥徹ともあろう男が、あんなクラスの輪から一人離れたところにポツネンと存在しているような明らかにメンヘラ臭のするやばそうな女に一目惚れ、して、しまった、だ、なんて。

「俺、賢治の宇宙観が好きなんだよね。
文章まわりくどいし、話も結局何が言いたかったんだ、ってのもあるし。『銀河鉄道の夜』とか、ラストただの夢落ちだし。でも、賢治の考えてる宇宙が、なんか好きなんだよね」

これだぁ。
白鳥徹という人間のキャラクターを完璧に守り、かつ言い訳がましくない。そして宮沢賢治の物語の中に宇宙観を見出してしまうという知的っぷりもアピールできてしまう。完璧ではないか。

『え~何それかっこいい~』

そうだろうそうだろう。はっはっはっ。


【鳥を捕る人】

しかし。
問題点がただ一つ。
あの海野、とかいう頭の片隅に追いやった女、全く俺に興味を示さない。
完璧で塗り固められたこの俺を。全く認めようとしない。
俺に興味を持って認めてくれる人間は周りに五万といる。そんな俺に興味を示してくれないような。
うん?
示してくれないような?
示さないような馬鹿な女、放っておけばいいのだ。
と、頭では理解しているのに。どうしても気になってしまう。
海野という女の存在も、あいつがなぜ俺に興味を示さないのか、ということも。
どうして。
俺に対する評価は俺自身への評価でなく、すでにある俺自身への評価に対しての評価だということに気づいているのか。
そんなはずがない。
俺とあいつが交わす言葉は挨拶程度。
こちらから何か話を振らないかぎり、海野から俺に話しかけてくることなんて一切ない。
そう。
俺は、あいつの前で墓穴の堀りようがないし、本性を出しようがないんだ。
俺の顔面が好みじゃないのか。
それとも、手の施しようがないほどのクズ男がタイプなのか。
要するに、俺が海野の好みの男の条件に一切当てはまらないのか。
それにしてもだ。
だからと言ってここまで完璧で塗り固められた俺に一ミリたりとも興味を示さないことがあるだろうか。
もう一年生のころからずっとだぞ。
気がつけばもう二年生も終わりかけ。
ある日のことでございました。

長い睫毛に縁どられた目が特徴的な女子生徒が一人、窓際で本を読んでいた。何度も読み返されている証に、ページの端は皮脂を吸って黒ずんでいる。刺すような冬の西日が、彼女の右半身を照らしていた。紙どうしの擦れる音が、棚にこれでもかと押し込まれた本に吸い込まれていく。あまりにも殺風景なこの部屋を見て、部室だと思うものは少ないだろう。ただ、ホワイトボードに大きく書かれたこの部屋に不釣り合いな「天文部」という丸い字を見なければ、の話だが。
紙の擦れる音と彼女の唇からもれる微かな息づかいだけが部屋に響いていた。
少し時が経って彼女が長い息を吐いたと同時に、
俺が唾を飲み込む音が室内に響いた、ような気がした。

しかし彼女はその音に気付いていないのか、文字の羅列から視線を外さない。いや、気づいているけれど気に留める程でもないので無意識に無視している、と言った方が良いかもしれない。

(すっ、と軽く空気を吸い込んで横開きの扉をゆっくりと開ける。俺の滑らかな動きとは相反して、扉の開く音は一瞬にして彼女と部屋が作り上げていた静寂を壊した。)
耳を塞ぎたくなるような音にも眉一つ動かさずに開けた扉を閉める。)

「誰の本?」

実に183日ぶりの
「おはよう」
以外の言葉を海野に投げかけた俺の心臓は、窓際にいる彼女にまで聞こえてしまいそうなほど高鳴っていた。

「『変身』――カフカ?」

『そう』
と、小さく頷いて肯定する彼女を見て、

ああ、なんで彼女の周りにいる俺以外の男は彼女のこのなんとも言えない空気感に飲まれてしまいそうにならないのだろう。

 (彼女は窓の外を眺める。四角い枠は深い青と赤に染まっていた)
「宮沢賢治、なんで読まないの?」

『それ、二年前にも訊かれた』

鬱陶しそうに答える姿ですら、目を惹かれてしまう。

「答えてくれないんだ」

「マリヴロン」

 呼ばれた彼女の眉がピクリと動く。しかしそれ以上の反応は見せないで、再び本の世界へと戻って行く。

「マリヴロン」

彼女は深いため息をついて、不満気な表情を見せてくる。
マリヴロン。
俺が彼女につけたあだ名。
由来は、宮沢賢治の『マリヴロンと少女』から。

「目、腫れてるけど。何かあった?」  
「ああ、あれだ。振られたんだろ」
「図星か」

『……ええ』
『白鳥は、また、彼女ができたらしいね。おめでとう』
『騒いでたよ。みーんな。良いねぇ、人気者のイケメン君は』

「何それ。嫌味?」

『もちろん』
 
「別に、本気で好きなわけじゃないから」

ちがう、ちがう。俺が言いたいことはそんなことじゃあない。

「マリヴロンの彼氏だった人だって、きっとそうだよ。そこまで好きじゃなかったんだろ、マリヴロンのこと」

ちがうだろう。いや、違うことはないんだけど。でも、違うだろおい、俺。なんで、なんでこのタイミングでそんな言葉を出してこれるんだよ。

『だったら何?』

しばらくの、静寂。
とか、なんとか。どこの演劇の脚本のト書きだよ。

いつの間にか強くなっていた風が隙間から入りこみ、神経に刺さるような音を立てている。窓は赤く染まり、部屋全体を飲み込もうとしていた。
 彼女の手が、黒いスカートを握る。
『わかってた。あの人が、『良い子』の私が好きだったことくらい。わかってたよ』
『別にそれがおかしいとも思わない。――私には理解できないけど。でも、理解できないのはお互い様らしいから。私は白鳥が理解できないし、白鳥にも私を理解できない。人間ってそういうものらしいよ』

「何ソレ」

『彼氏、だった、人に聞いた話』

今まで見た笑顔という笑顔の中で一番綺麗な笑顔。笑顔という言葉は彼女のこの表情のために作られ、今という今まで受け継がれてきたんだと確信してしまうほど、完璧な表情。

完璧?

完璧って、なんだ。人に作られない完璧なんて、そんなもの、あるものか。あってたまるものか。

『だから私は宮沢賢治を読まない。わかる?』


いや、意味わかんないし。
何?「だから」って。何も「だから」になっていない。それでも。
それでも ああ、そうなんだ と思わず頷いてしまいそうなほどに彼女はやはり完璧で。
いや、だから完璧ってなんだよ。彼女が彼女として存在するだけで完璧だなんて。
じゃあ俺がこの十六年間必死こいて作り上げて守り続けてきたものは一体何だ?
くだらないプライドの塊なのか。
違う。彼女が完璧、なのは、そう。それは俺が彼女を「完璧」だと思っているからで、彼女自身はなんら「完璧」ではないのだ。そうだ。そういうことならなるほど。俺の「完璧」の定義は間違ってなんかいない。

『じゃあね、白鳥』

「待って」
の、一言が、口から滑り落ちて、何年も整備されていない腐敗目前の床にするりと滑り落ちていった。

俺は、とんでもない人に恋をしてしまったのかもしれない。
今まで作り上げてきた自分を全て、なかったことにされてしまうような。
恐怖。
と、同時に、

あは。
あはははは。はははははははは。あははははははは。あっはっっはっっはっはっはっはっは。
あはははははははっはははh。

あーあ。

『変身』。青年がある日起きたら虫に変身している。彼は人間に戻ることがないまま一生を終えてしまう。

「そんなこと、あるわけないのにな」

と、口に出してみたはいけれど、どうにもこうにも

「そんなこと、あるわけない、わけがない」


【ジョバンニ】

と。まあ、長い長い長い長い海野がどういう人間で俺がどういう人間かということを赤裸々に暴露するエピソードを語り終えたところで、閑話休題。
あ、ちなみに、海野とマリヴロンは同一人物です。

海野に心をギタギタにされながらも、俺は高校生ライフを充実させていた。
彼女がいる間も常に他の女とそれとなく連絡を取り続け、その時の彼女に飽きたらなるべく傷つけないように別れ、そしてそれとなく連絡を取り続けていたおなごから告白されるように仕向ける。
これが、簡単なように見えて案外難しいのだ。

女が途切れない=女ったらし
と思われてはいけない。
そんな風に思われてしまったら俺がせっかく今まで苦労して作り上げてきた 白鳥くん という好青年キャラが台無しだ。
そうならないように。

好きなアーティストは女子受けも良いback number
好きな作家は宮沢賢治
得意科目は数学と音楽
好きな女性のタイプは、「うーん、好きになった子かなあ」

こんな感じで日々キャラクター作りに勤しんでいるわけだ。

『優しくて、勉強も運動もできて、音楽の才能もある、みんなから憧れられる王子様』

この前転校してきた女が、俺をそう評していたらしい。
俺と、ちっとも話したことないくせに。
なんなら俺はその子の顔すら知らないのに。
苗字だけ、部室の前をちらりと通りかかった時に聞いたことがある。

宮沢。

ありがちな名前だ。

いやな予感がする。
俺が「好きなフリ」をして生きている作家と同じ苗字。
おまけに俺はその宮沢のことは全く知らないのに、あいつはなぜか俺のことを知っている。
名誉なことじゃないか。
俺の今までの生き方が間違っていなかった証拠だ。
等身大の自分で生きていたら、こんなことなんてなかった。
他人に評価してもらい、その評価を背負って生きているからこそ、俺は相手を全く知らないのにむこうは俺のことを知っている、というちょっとした有名人みたいなことがおこるんだ。
そう。
これは全く嫌なことではない。
今日も海野は可愛いし、
彼女は相変わらず鬱陶しい。
そんな毎日が、卒業まで続く


【ガラクタの羽つくる】

と思っていたのもつかの間の間。
春も麗な高校三年生。の、春から初夏へと移り変わる何とも言えない微妙な時期。
宮沢とかいう女の、身の上話を聞いた。
正直、糞食らえだと思った。

『私は、人に作ってもらった羽なんか、母に見せたくありませんでした。私は、たとえ見た目が悪くても、自分で作った羽を見てもらいたかった。母が私のことを思って、寒い日でも、わざわざ外で吸ってくれる煙草の箱を、使いたかった。
でも、小学三年生の私には、そんなこと、大人に向かって言えませんでした。私が一生懸命に作った羽は、先生に一度も「作品」ときちんと呼ばれることなく、残飯の臭いが酷いゴミ箱に捨てられてしまいました。私は、今でも自分で作った、ガラクタで出来た羽を、心の中で大事にしています。』

なんて。
なんてお涙頂戴の自己満足悲劇のヒロイン気取り実際は単なる現実逃避以外の何物でもない。
そんなことを、他人によくも堂々と発表できるな。
なんだ、こいつ。
 ガラクタでできた羽?
なんだ、それ。
 人に作ってもらった羽なんか。
なんか?
人に作ってもらえるだけありがたく思えよ。

恐怖。

はあ?

怖い。

何が。

俺が作り上げてきたものが全て否定されてしまうのが。

こんなやつに否定されたところで何になるんだよ。

海野は?

何で、今その名前が出てくるんだよ。意味わかんねえ。

『理解できないのはお互い様らしいから。私は白鳥が理解できないし、白鳥も私を理解できない。人間ってそういうものらしいよ』

それがなんだよ。全然、全然今の話と関係ねぇじゃん。

『きっと、成績優秀でいつも周りに沢山人がいて何一つ不自由なことなく生きている白鳥君にはわからないですよ。』

わからないからなんなんだよ。
別に、そんな、たった一人や二人から評価されなくたって、俺の評価にはちっとも影響しないんだ。だって、俺を評価する人は周りの俺への評価を見て俺を評価するんだから。

じゃあ。

じゃあ、この二人からの俺への評価が、他人に降りてしまったら?

絶対にない、話ではない。


【もしもの話をしてみたら案外もしもの話じゃないような気がして
もしもがもしも起こってしまったらどうしようって心配になる】

心臓が口から飛び出しそうだ。そんな。大丈夫。
今まで作り上げてきたものがそんな簡単に壊れるわけがない。
本当に?
海野とあの話をした次の日から、なんだかもう一人の部員の俺を見る目が変わった気がする。
海野と話しをした次の日から、なんだか周りの女が俺から少しずつ距離を取り始めた気がする。
海野と話しをしたその日から、彼女の俺への態度がより一層面倒臭くなった気がする。
そうして昨日、俺は彼女を振った。
でも、いつもみたいに次に告白してくる女が

いない?

いない。
そんな。ええ?

そもそも。
転校生が来たのは、海野とあの話をした日、だった。

いや。
いやいやいや。
そんな。これは単なる俺の現実で、そんなどこかの誰かが創作した推理小説でもないのに。そんな、海野が企んでただなんて。
海野は僕がどうやって生きてきたか、あの二年間で全部見抜いていただなんて。
そんなこと、あるはずがない、あってはならない。
だって世界は僕の思い通りなんだから。
全部、全部僕の、僕の、

でも、海野は、僕のことを好きになってくれなかった。

とりあえず、
もう一人で一人で考えていることに耐えられなくなって学校のだれもいない廊下に一人で突っ立っているのが耐えられなくたってひたすらに目的地もなく走り出してみたんだけど、いざ走ってみるとどうしようもなく海野に会いたくて会いたくてたまらなくなって今どこにいるかもわからないんだけどそれでも勝手に僕の足は前に前に前に前に進むので僕の体も勝手に前に前に前に前に進んで学校裏の丘をひたすらにひたすらに走って草をかき分けてつまづいて転んで土が口にはいって気持ち悪くなって胃に入っていたいちごのアイスを草むらの上にとりあえずぶちまけて、ああこんなところ人に見られたら俺の人生おしまいだなぁと思いながらも体は前に前に前に前にさらに丘を上に上に上に上に駆け上がって、甘い香りがして、甘い香り? そう、人工的な甘い香りが僕の鼻腔をくすぐる人工的な甘い香りに紛れてなんだかどこかで嗅いだことのあるような清廉潔白が汚れてしまったような匂いが、いやどんな匂いだよっ僕自身も思うんだけど、でも本当にそんな感じの匂いがまたふぁあって、ふぁあって僕の髪を顔を首を肩を胸を腰を太ももを足首を撫でるように駆け抜けてその匂いに向かってひたすらにひたすらに走っていたらいつの間にか視界が開けてその先にいたのは

「マリヴロン」

に、会いたくて会いたくて走っていたはずなのに、実際に呑気にいちごのアイスを片手に食べながら丘の上から学校を眺めている

「マリヴロン」

を目の前にして見たらもう、もうさ、なんて言えば良いか全然わからなくて。俺はこんなにボロボロなのに

「マリヴロン」

は完璧って。とにかく完璧って感じで。風になびく髪の毛とか人よりも少し長めの足とか細くて白いその二の腕とか少し眠そうで目つきの悪い長いまつげに縁どられた目とか頬におちるまつ毛の影とか夕日に照らされて黄金色に光る顔の産毛とかアイスを食べている薄い唇とかたまにのぞく少し並びの悪い歯とか。
人からどう思われるとかもう全然関係ないみたいに突っ立ってアイス食ってる彼女はもうまさに完璧そのもので、もうぜんっぜんわけがわからない。
わからないからとりあえず

「マリヴロン」

って名前を呼ぶことしかできないんだけどぜーんぜんこっち向いてくれないのな。どこ見てんだよ。そこに誰がいるんだよ誰のこと思いながらそんなところ見つめてるんだよ。
もう、無視。虫。ムシ。俺、虫になった? ってくらいに

「マリヴロン」

って、ああ、やっと振り返ってくれた。良かったあ、俺、グレゴールみたいに蜘蛛になってなかった。
って安心している場合じゃなくて、俺はこの人に、この人に、何、を、言いに来たんだっけ。
って困惑してる俺を、

「マリヴロン」

は、微笑んでるみたいな無表情みたいなそんなよくわからない聖母みたいな表情で見つめてくるもんだから、

「ほんと、完璧だよなぁ」

とかなんとか全然関係ない本心が口からつるりと出てしまった。
それでも全く顔色ひとつ変えずにアイス食ってる海野にだんだんだんだん腹が立ってきて文句の一つや二つ言ってやろうと思ったんだけど

おもったんだけどさあ。
気が付いたら海野の顔が目の真ん前にあって
あ、もう。

どうでもいいや

って、初めて
初めて

どう思われても良いや

って

この人になら、どう思われてもいいや

って思って
思って
気づいたら

「マリヴロン」

は目の前からいなくなっていて制服にべっとりとついた人工的な甘い香りと微かに唇にのこる完璧な香りだけが
不完全な僕にまとわりついていた。



これはもはや自傷行為

2019年秋に書きました。
『カムパネルラを待ちながら』な、白鳥くんのお話でした。そちらも合わせて読んでいた抱ければ幸いです。

これはもはや自傷行為

  • 自由詩
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2019-10-20

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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