ピアノばっかり

月らくだ

ピアノばっかり

ピアノばっかり

「ねえ、ピアノばっかり弾いてないで、私にもかまってよ」と彼女が言う。
 僕はその時、バッハのパルティータ四番の第二楽章を練習しているところだった。ヘッドフォンをはめたまま、「金魚の水なら替えたよ」と大きな声で言った。彼女は僕のヘッドフォンをはぎ取ると、左耳を引っ張って、「金魚の水を替えろなんて言ってない。私にかまってって言ったの」
「ああ、ちゃんと取り替えておいたよ」
「は?」
「だから、君の下着だろ?昨日破けたやつは捨てて、ちゃんと新しいのを買っておいた」
 彼女はますます強く僕の耳を引っ張って、「そのうち、耳がなくなるよ。いいの?」
 僕が、よくない、と言うと、彼女は耳から手を離し、僕の膝の上に乗って、「じゃあ、かまってよ」
「何がしたいの?」
「あなたは何がしたい?」
「僕はピアノの練習がしたい」
 彼女の指が敵機を追う戦闘機のように僕の耳にかかったところで、「したかったけれど、もう十分したから、今度は君にかまいたい」と言い直した。
「じゃあ、何する?」
「君がしたいこと」
 彼女は天井を見つめながら少し考えた後で、僕の膝から下りて、部屋のカーテンを開け、窓を全て開け放った。マンションの七階の窓から、少し冷たい夕暮れ時の風が入り込んできた。
「それで?」と僕が訊くと、彼女は振り返って満面の笑みを浮かべながら、「セックスするの」と言った。
「セックスするために、窓を開けたの?」
「世界中の人達に見てもらうの。私達のセックスを」
 僕は何と言えばいいのかわからなかったから、テーブルの上にあったウィスキーを一口飲み、ピーナッツを口に放り込んだ。彼女は僕の手からグラスを奪って、それを一息で空けた。そして、僕の耳元に吐息をかけながら、「もう、濡れてるの」と言った。
「僕は勃ってない」
 もし僕が彼女の敵だったら、一番に撃ち落とされていただろうと思う。彼女は僕を椅子から引きずり下ろして、絨毯の上に倒れた僕の顔に馬乗りになりながら、「このまま窒息したいの?」と言った。
「したくない」
「じゃあ、言うこと聞きなさい」そう言いながら、彼女は股間を僕の顔に擦りつけた。
「どうすればいい?」
 彼女は少し考えた後、「そのまま舐めて」
「ジーンズの上から?」
「そう、ジーンズの上から」
 それで仕方なく、僕はジーンズの上から彼女の股間を舐めた。
「もっと、息を吐いて」
 どうしてもあの早い旋律のところが上手く弾けないのだ。た、た、たん、たた、と、とん、たららら。
「殺すよ」と彼女が言った。そして僕の鼻と口を股間で塞いだ。
「ぐ、ぐ、ぐ」
「今、何か違うこと考えてたでしょ?」
「考えてないよ」僕はのしかかる彼女の股間から口をずらして言った。
「私、今、気持ちよくいけるんだったら、このままあなたを殺してもいいのよ」
 僕は彼女の情欲に満ちた視線に心震わせながら、「わかった。わかったから、とりあえずジーンズを脱げよ」
 彼女は腰を浮かせて僕の顔を跨ぎながら、ジーンズを下ろした。白い花柄模様の下着が見えた。それからジーンズを脚から抜き取り、放り投げた。
「どうしたい?」と彼女は僕を見下ろしながら言った。
 僕はもう一度彼女を怒らせてみようかと思ったが、次は本当に殺されてしまうかもしれないと、思いとどまった。
「パンツを横にずらして」
 彼女は下着の縁に指をかけると、顔を赤らめながらそれを横にずらした。愛液が垂れてきそうな性器が見えた。
「なんだか、恥ずかしい」
「君が始めたんだろ?」
「でも、なんだか、すごい興奮する」
 僕は彼女の充血した性器をしばらく眺めた後、「オナニーしてよ」と言った。
「えええ、このまま?」
「そう、このまま」
「パンツは?」
「脱いじゃだめ」
 それで彼女は少し躊躇ったが、右手でパンツをずらしながら、左手でぎこちなくオナニーを始めた。
「うん、いい眺めだよ」
「変態」
 愛液が、ぽたぽたと垂れて、僕の顔にかかった。僕はそれを指ですくって舐めた。彼女の左手が小刻みに動いた。
「もうだめ、いきそう」
「もう?」
「あ、だめ」
 彼女は僕の上に倒れ伏して、荒い吐息を吐いた。僕は彼女の髪を優しく撫でてあげた。
 彼女はそれで満足してしまったらしく、もうセックスを求めてはこなかった。僕は、それはそれでよかったので、彼女の額に優しくキスをして、好きだよ、と言った。彼女は目を閉じたまま、満足そうに微笑んだ。


 僕は再びヘッドフォンをして、パルティータ四番の第二楽章の練習を始めた。彼女はキッチンに立って、夕食を作り始めた。
 ねえ、あなた、…食べれたっけ?と彼女がキッチンから訊いた。
 僕はよく聞きとれなかったが、ああ、大好きだよ、と応えた。

ピアノばっかり

ピアノばっかり

男と女の日常を描いた掌物語です。 (過去作品はこちらから → https://slib.net/a/24408/)

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • 成人向け
更新日
登録日

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted