Dream trip
夢世界で戦う男子コンビの物語。
0.序章
俺には奇妙な力というか、特技がある。それに気付いたのは高校をやめた時からなのだが。
ある場所を強くイメージすると、頭に鈍痛がやってきて、やがて眠ってしまう。そして、気がついた時には目的地に必ず着いているのだ。
そんな俺、竹永佐理が萩尾隆一と出会ったのは、小学校の頃からだ。萩尾の家庭はかなり複雑だった。彼の母親は、水商売で生活費を稼いでいた。そして父親は酒乱だ。酒の金欲しさに自分の子供を、イカれた科学者達の集う研究室に売った。それがあいつだ。
あいつはそこで、怪しい人体実験をやらされ続けた。何度も死にかけた。その結果、身体は一定時間、原型を留めることができなくなった。いいように言えば、液体や粘土のように、自由に変化させる事ができるようになった。内臓を一部切りとっても、死なない体に。
俺は自分の力をけっこう便利に思っているが、萩尾はそういう経緯があるので、自分の身体のことをあまりよく思っていないらしい。二人とも捨てられたもの同士、いわば社会不適応者というわけだ。萩尾の母親が死んでから、萩尾のアパートに居候している。
1. 依頼
萩尾が生活費をどうやって手に入れているのか、前から気になっていた。同棲するうちに、その訳はすぐわかった。その怪しい研究室経由で、かなり危ない仕事をまわしてもらっているのだ。その代わり、仕事の時は依頼者に、期限付きで生活費のすべてを保証してもらっているらしい。 俺はあいつに養われ続けるわけにもいかないし、萩尾と組んで仕事をする事にした。
これが、案外効率が良かった。俺が人目を引いているうちに、萩尾が事をすませて、闇に消える。俺は気分が悪いとか何とか言い、席を外し、トイレでもどこでも眠る。俺の体はもちろん萩尾が回収している。目覚めれば部屋に帰っているというわけだ。これなら証拠も、足跡も残らない。
でも、今回の依頼者は、いつものヤクザどもと違う。かなりの偉いさんらしい。
「君達のことはよく聞いているよ」
「あ~、それはどうも。で、俺達は実際何をすれば?」
「話が早いな。実は私の孫娘が誘拐されたのだよ。警察に知らせれば殺すと言われている」
「あ~、よくある話…いや、よくわかりました。お嬢さんを連れ戻せばいいんすね?」
「そういう事だ。ただし、くれぐれも外へ漏れないようにしてもらいたい」
「あ~、その辺は問題ないすよ。相手に見覚えは?」
「大体はわかっているのだが。今ひとつ確定しない」
「え~と、それじゃ犯人はどうします?警察につきだしますか?それとも……」
「かまわん、好きにしたまえ。孫を誘拐したんだ。殺されても当然だよ」
「そうすか。じゃ、それなりに。で、報酬は?」
「話に聞いた通り、仕事の間は、近くのホテルを予約してあるよ。そこで、何でも取り寄せてくれたまえ。出来ることはさせてもらうよ」
「ありがとうございます。ではお孫さんのわかるものと、向こうと落ち合う場所の、景色がわかるものをください。写真か何か。それだけは必要なんで」
「わかった、用意しよう」
「あ~、その、犯人達からもう一度連絡があるまでは俺達、ここに?」
「これがホテルの鍵だ。そこで待機してくれたまえ。警備の者はいるか?」
「あ~その、せっかくなんですが、警備は遠慮しとくっす。よけい邪魔…あ、いや、目立つとアレですし」
「そうか。くれぐれも孫を頼んだぞ」
「はい、必ずお嬢さんは無事にお連れしますよ」
それから、俺達はホテルでしばらく待機していた。さすが金持ちの用意するホテルはいつも豪華だ。全室オーシャンビューのスイート室。
でかい冷蔵庫に派手なベッド。大理石の風呂にトイレ。テレビやパソコンはもちろん、生活する上でのあらゆる物が事足りる。
「別にここまで頼んでないのにな」
「(にやりとして、アイルランド直送の生ギネスを、なめるように飲む。)」
「これでイイ女でも連れ込めたら最高だな」
「(孫娘、ここで、喰っちまうか?という素振りをする)」
「ばーか。するかよ、いくらなんでも」
突然、部屋のFAXが鳴り響く。
「お、きたぜ。おい住所、ここだとよ。お前先に行くんだろ?」
「(メモに目を通し、細面のアゴを上げる)」
「へー、藤代美樹か。けっこうかわいいな?」
「(写真を見て、一瞬赤くなり、すぐ目をそらす)」
「じゃ、孫娘は俺がなんとかして連れて帰るわ。お前、犯人を処理な」
「(軽くうなずくと、霧状に変化し、去る)」
「さて、と」
俺は画像を脳裏に刻み付け、赤い上等のソファに深く沈み込む。ほどなくあの頭痛が、やって来る。
「……ここか」
意識が先に場所について、体が後から降りてくる。俺は今、かなり高い所にいた。白いアラビアンナイトの塔ような建物の頂上部分だ。
いきなり玄関に現れると不審者すぎるかと思ったので。写真を見て、なるべく高い所をイメージしておいた。
「よっ、と」
降り立った広い玄関の壁には、白い石膏の彫刻柱が、ずらりと並んでいる。外装は古めかしいが、内装は意外に近代的だ。
ここは少し前まで、株式の交換や取引をする場所だった。今はIT化が進み、取引はパソコンで交わすので、小部屋ですむ。だからこんなに広い場所が、ぽかんと残ったのだ。すでに新しい店舗がいくつか入っている。全体はまだ改装中で、小さな声やサイレン銃の音なら、工事の音で簡単にかき消されてしまうだろう。
犯人は、ここの3Fの隅にある喫茶店に、女を連れてきていると言う。金はその時に交換というわけだ。俺はさっそく約束の場所へ向かった。
喫茶店の中は薄暗く、カウンターには店員が、ぐるぐる巻きにされて眠っていた。簡易のついたてで仕切りがしてあり、中が見えないよう細工をしている。真ん中あたりに数人の黒スーツを着た男たちがいた。女もいる。まだ若い。店員と同じく、さるぐつわをされ、縛られている。
「取引にきたぞ。女を返せ」
「待っていたぞ。一人か」
「そうだ。人数は条件のうちにはなかっただろ」
「金はどこだ。見たところ手ぶらのようだが」
「心配するな。ちゃんと用意してある。それより、女は無事なんだろうな」
「ははは、見てのとおりだよ。ちょっと大人しくしてもらっているがね」
「よおし、じゃ交換だぜ」
「先に金だ。この机に耳を揃えて置いてもらおうか」
「あ~、その、だから、金はだな……」
もちろん、用意してきたわけがない。なんとか時間をのばすのが俺の役目なのだから。だがこのあたりで、たいがい、あいつが来るはずだ。
ガタ、ガタガタ……。そばにあった大きな有田焼の壺が、突然に揺れ出した。
つぼの中から透明なジェル状の体で、あいつがしずかに現れた。
まず、取引に応じていた男の後ろにいた数人の男たちが、音もなく倒れる。その横で、サイレン銃をかまえた二人が2発、放つが通用しない。あいつは弾をジェル状の身体で受け、跳ね返す。残りをかまわずつぼで殴り倒し、持っていた武器を俺に投げてよこす。
「あ~、悪いな、おっさん」
あっという間の出来事で。話をしていたはずの男が、目を見開いたまま、崩れ落ちた。あたりは血の海だ。
2.困ったお嬢様
「さて、と。あ~、大丈夫か?」
女は凍りついていた。縄を切り、さるぐつわを外しても、まだ震えている。
俺の横で萩尾が、ぬるりと体を変化させて、人間の姿に戻る。
「あ~、ほら、こいつも俺もさ、大丈夫だから。あんたのじいさまから頼まれたんで、助けにきたってわけ。ほら、これが依頼書。ここにあんたのじいさんのサインがあるだろ?」
とりあえず、と手をさしのべると……。
ぱしっ、と手をはたかれた。
「一人で立てるわ。あなた達なんてひどいことするの!」
だから女はコワい。相手が無害だとわかると、態度が豹変するのだから。
「え、でも殺らないとこっちが……」
「言い訳はいいわ。それより、これからどうすればいいの」
「やつら仲間がいる、来るぞ」
「あ~、追ってこねぇうちに逃げるとすっか」
萩尾はすぐに姿を変えて、その場を去った。ここからはまた別行動だ。
いつもなら人気のない場所を探して眠り、一人で戻るのだが。今回は彼女がいる。手間だが、物理的に移動するしかない。
「じゃ俺達も行くか」
「ちょっと行くって、まさか走って?」
「あ~、ちょっと今は俺の力を使えないんで。とりあえずここを出ようぜ」
「あなた夢渡りでしょ?知ってる。私はね、‘増幅器’なの。私がいれば眠らなくても力が使えるわ」
彼女はいきなり俺の手を細い二の腕に押しつけた。しっかりと柔らかい。
そこには刺青の跡のようなものがあった。
「エッチな顔してんじゃないわよ、早く移動先をイメージしてよね。手は放しちゃダメよ」
俺はまぁ、一発その通りにしてみるかと思い、ぷにぷにした二の腕の感触をひそかに楽しみつつ、とにかく意識を集中した。
力を使う時には、夢の中に霧のトンネルのようなものが現れる。いつも一人でそこを通る。意識だけが時間や空間の差を超えられる。そうして、後から体を自分に引き寄せる。
今はいつもと違い、体も同時に飛んでいる。驚いたことに、彼女も一緒だ。
「びっくりした?私、あなたみたいな人、結構知っているの。おじいさまに言われて、助けてあげているのよ。だから、たまによくない奴等にも狙われるの」
「へぇ、俺だけかと思ってたよ、こういうのは」
「おじいさまも‘夢渡り’よ。この力を科学的に調べてみたんだって。そしたら、一定の遺伝子を持つ人たちだけに起こる現象だって事がわかったらしいの」
「ふ~ん(ぷにぷに)」
「それで、私には残念ながら‘渡る力’はなかったんだけど、おじいさまが自分の遺伝子を一部、私に移植することに成功したのよ。それが、この跡」
「へ~(ぷにぷに)」
「やめてよ、くすぐったいでしょ!それに手、放したらあなた、帰る体がないわよ」
「そうなのか?便利なのか不便なのか、よくわかんね~なお前」
「足手まといですいませんね~、もうすこしでお別れですからっ」
べっ、と舌をだす。よく見ると、彼女は色白で、目がくりっとしていて、肩までのウェーブが可愛らしい。
まぁ、俺はもう少し色気があるほうが好みだが……。
ドシッ。
その時、この霧のトンネルではありえない衝撃音がした。ふいに霧がゆらいだ。
「なんだ?!」
「追っ手がきたわ」
「ありえないだろ?ここは俺だけの……」
「さっきも話したでしょ?夢渡りはたくさんいるのよ!ここは確かにあなたの結界だけど、他人の結界に入り込める奴もいるんだからっ」
ドシッ。
もう一度鈍い音がして。次の瞬間、薄い人影が現れた。
「わたし以外の夢使いは、死ね」
相手は顔をフードで隠している。声は中年の男のようだ。
「きゃ!」
相手の体のどこからか、白い煙のような球体が投げられた。俺は反射で彼女を引き寄せた。
ヒュー、ドスッ、ドスドスッ。
恐ろしいスピードで、白い球体が彼女の頬をかすめて通り過ぎた。
「何だよこれ?誰だ、あいつは!」
「知らないわよ!何でも私に聞かないでっ」
白い煙の球は次々に飛んで来る。二人は必死でよけるしかない。
「もう着くぜ」
俺の意識は先に部屋へ着いた。体も。
だが、彼女の体は来なかった。
こちらへ降りる寸前に、手を離してしまったのかもしれない。あの白い二の腕の、青いアザを。手を伸ばす彼女が見えたような気がした。
3. 痛恨のミス
「ちっ、(ミスっちまったな……)」
俺は苦い気持ちで目覚めた。痛恨のミスだ。こちらへ戻る瞬間に、彼女の青いアザから手を離してしまったらしい。今は自分の身体だけが部屋にある。
ほどなく、萩尾が霧状の姿から人に戻り帰ってきた。意外にも、彼女の体を抱えていたのでほっとした。
「すまない、俺……」
「いい。追っ手は始末した。現場に戻ったら、彼女の体が残っていた。意識がない。」
「むこうで、ありえない事が起きたんだ。移動中に。誰かが攻撃してきやがった」
「彼女は一応ここに置こう。相手がわからない以上、依頼主に伝えるしかない。」
「あ~、仕方ねえよな」
仕方なく、その日、依頼主のところに状況を話にいった。
「……と、いうわけで。申し訳ありません。お嬢さんの意識はまだ戻っていません」
「そうか。まあ起きた事は仕方がない。少しは覚悟はしていたんだよ。今までにも、危ない目に合わせてしまったことがあるんだ。私こそ、孫にはすまないと思っている。
しかし、まだ嫁入り前のだいじな体が無事なだけでも、ありがたい」
「(……処女か)」
彼女がいればケリを一発、くらわされただろう。初対面で男の面をひっぱたく女だ。まだ怖い物しらずというわけだ。
「とにかく、これはわたしが原因だ。孫から聞いたかね?じつは私も、‘夢渡り’なのだよ。もう力は使えないがね」
「あ~、聞きました。俺も最初は驚いたんですけど」
「そうだろうね。この‘力’を持っていても、口に出さない人がほとんどだ。君とこうして話ができるのをわたしも不思議に思うよ」
「あの~こんなこと依頼主に聞くのも、アレなんですが。これからどうすれば……?俺達より、あなたのほうが状況に詳しいみたいなんで。情報をください」
「奴等は孫の能力が目当てだと思う。‘増幅器’の」
「あ~、お嬢さんからも聞いたんすけど、‘増幅器’って何者っすか?」
「‘増幅器’は、私達の会社独自の技術で生み出した人間のことだよ。‘増幅器’と一緒にいる夢渡りは、いつもよりも力を高められる。
他人の夢や結界に入り込んだり、いいように操ったりもできるようになるんだ」
「あ~、やはりお嬢さんも?」
「そうだ。まだ実験段階のときに、彼女に私の遺伝子を移植した。今ではそのことを、後悔している」
「そうすか。あ、それと、相手に覚えがあると前に言われましたよね?」
「断定はできないが。三年前、会社の関連会社がちょっとした事故を起こしてね。‘増幅器’の情報が外部へ漏れた事があるんだよ。その頃から、ずっと孫も狙われているんだ。本当に孫には申し訳ない気持ちでいっぱいだ」
「あ~、じゃ、まずは漏らした奴を探さないと、どうにもなりませんね」
「ここにリストがある。これなんだが」
依頼主は、外部へ情報を漏らした可能性のある人物のリストを手渡した。
さっと目を通すと、一人は独身の男、一人は老人、一人は女だった。
「ほとんどの人物は身元を調べたんだが。まだ3名だけ残っている」
「おい、この女」
「あ~、決まりだな」
「知り合いか?」
「あ~、それほど親しくはないんですが。俺達の能力を知っている人物です」
「孫が心配だ。さっそく頼む」
「はい、必ず」
この女には見覚えがあった。俺が初めて萩尾の通う研究所に連れて行かれた時、最初にお茶を出してくれた人だ。‘夢渡り’の能力について、上司へ補足もしてくれた。この三人の中で、今回の事に関わっているなら、彼女にちがいない。萩尾もそう感じたらしい。
俺達は一度部屋へ戻った。
「俺、もう一度彼女の意識を探しに行くわ。おまえ、ここで彼女の体を見張っていてくれ」
「わかった」
彼女はいま、眠っているように見える。早めに意識を取り戻す必要がある。
もしこのまま意識が戻らなければ、植物状態か、最悪の場合は死に至ってしまう。身体は、魂が離れると長くは保てないのだ。
俺は到着地点を一応、この部屋にして、睡魔に身を任せた。
ほどなく、朱鷺色の霧のトンネルが現れる。これを「結界」と呼ぶことも。自分自身がこれを作り出していることも、彼女に会うまで知らなかった。
「ここよ!」
霧の中で声がした。にわかに周囲の色が暗く変化していく。突然、数メートル先に黒い檻(おり)が現れた。
中に、彼女がいる。
「気をつけて!罠をしかけているみたいよ」
俺はかまわず、檻についた鍵をなんとかこじあけて、彼女の手をひいた。
「早く出ようぜ」
くっくっと笑い、今まで彼女だった人間の顔が、見る間に変わった。油断した。長いストレートに切れ長の目。あの研究所の女だ。握っていた女の手がゆらめく紫の炎に変わった。たちまち、俺の体中に這い上がる。あっと言う間に、紫色の炎は全身を包んだ。
熱い。意識がだんだんなくなっていく……。
「くそっ……、(まだ、彼女を見つけていないのに……)」
その時だ。
どこからか、声がきこえたのは。
(あなたが傷つくのはもう見たくない……)
その瞬間、体にまとわりついていた熱い空気が、消えた。白い蒸気のようなものが、俺の周りを丸く取り囲んだ。身体は冷され、紫色の熱い炎は、見る間に研究所の女へ移っていった。女が顔を覆い、何か叫びながら消えていく。
俺はわけがわからず、思わず白い蒸気に触れた。すると声がまた、さら大きく、はっきりと聞こえた。
「大丈夫ですか、佐理さま……」
白い蒸気がたちまち、か細い女の姿をとった。
腰よりも下に伸びた、絹糸のような髪。なんとその色は、白銀だ。驚くほど光沢がある。羽織(はお)っている薄い着物よりも、白く光っている。瞳は薄い朱鷺色をしている。帯も同じ色だ。日本で普通に生活していれば、ありえない色彩だ。俺は恐怖さえ感じて、少しうろたえた。
「あ~、ども、その、ありがとうっす」
「お会いしとうございました」
「あ~?失礼なんですが、名前きいてもいいすか?」
「私の名前をお忘れなのですか?」
泣きそうな顔をされても困る。むしろ、泣きたいのは俺のほうだ。
「くすくす、嘘です。私達、夢族に名前はとくにないのです。でもね、佐理さま。あなたがいつも、素敵な呼び名をくださるじゃないですか。」
「あ~?それはたぶん人違いだと……」
「私、素敵な呼び名をくださる方を、自分のご主人様にすると、そう決めているのです。その方が、決まっていつも佐理さまなのですけれどね。」
「いや、その……俺、初対面すけど……?」
「とぼけちゃ嫌ですわ、佐理さま!」
不思議な女は、薄い着物からのぞく華奢な腕を親しげにからませる。朱鷺色の瞳は、艶っぽく潤んでいる。
同じ色の帯は、ふわふわと長く伸びて、この霧のトンネルと同化している。足元はよく見えない。そういえば、ここの霧も同じ色だった。彼女は、誰か前に会った人物を俺と間違えている。こちらが違うと言っても、聞き入れない。
「以前は朱鷺、白露などの名前を戴きました。さあ佐理さま、次は私にどんな呼び名をつけてくださるのですか?」
「どんなって……。前と同じでいいすよ」
「同じ呼び名ではつまりません。別のを戴かないと。ここをお通し出来ません」
「え?あ~、まァ、白いから……ましろ……『真白』っていうのはどうっすか?」
「真白…、まぁ素敵!さっぱりして。分かりやすい。それに響きが綺麗。うん、私、それに決めました」
「(分かりやすい、が少々引っ掛かる)あ~、良かったすね。じゃ俺先を急ぐんで……」
まだ美樹の意識は見つかっていない。早く探さなければ。気ばかり焦る。
俺は、霧のトンネルの中を掻き分け、ただやみくもに、探していた。ここがどんなところか、意識して通ったことはなかった。
というかどこを見ても、一面が霧の海なのだから。
「佐理さま?なにかお探しなのですね?」
「あ~、ちょっと人探しで」
「私もお手伝いいたします」
「あ~、でも顔わかんないっすよね?」
「さっき細くて小さくて、猫みたいにき~き~泣き叫ぶ女性を見ましたけれど?」
「それっす!その人、どこで?」
「こっちですわ」
真白に手を引かれて、霧の海を一定の方向へ進んでゆく。
ふと、霧が晴れて、開けた場所に出た。
一面の花畑。その真ん中に、大きな黒い鳥かご。藤代美樹は、その中にとじこめられていた。必死でこじ開けようとしているらしい。
「ここよ!遅いわねっ」
「お前、本物だろうな?」
「佐理さま、大丈夫です。この方は人間。幻影ではありませんわ」
「当たり前よ!その人だれよ?早くここから出して!」
俺は美樹に注意しながら、かごの入り口を軽く蹴って、衝撃を与えた。頑丈そうな鳥かごは、けっこう簡単に壊れた。
中から彼女を引き出すと、鳥かごであったものは、黒い砂粒になって、風に散った。
黒い鳥かごが、だんだん消えてゆく。藤代美樹は助けたと思うと、急に脱力感に襲われた。めまいがした。美樹は何か言おうとしたが。その身体は薄青い光を帯びて、急速に消えていく。現実世界へ、戻ってゆくのだ。
「がんばりましたわ、佐理さま」
真白が微笑んでいる。目の前がぐらぐらになり、そのまま俺は気を失った。
4.目覚めた時には
「……っ」
「起きたか。」
目覚めた朱鷺には部屋に戻っていた。あいつが俺の傍らにいた。
いつもより無茶をしたせいか、まだ頭痛が残っていた。
「無理するな。彼女は無事だ。」
「す……まねえ。時間食っちまって……」
「大丈夫だ。お前こそ、大変だったな。」
その時だ。
誰もいないはずの、台所から黄色い声がした。
「隆一クン?たまご使ってもいいのかな?」
「(赤面する)……かまわない。」
「隆一クンだぁ?お前、いつの間に?」
藤代美樹だ。俺より先に意識が回復したのだろう。元気なやつだ。
男ムサいこの部屋の、どこにあったのかしれないエプロンをつけ、フライパンで何か作っているらしい。
ここ最近、嗅いだことのなかった手料理の匂いが漂う。
「(赤面のまま)か、彼女が勝手に作ると言い出しただけだ。」
「ほ~ぉ。ま、俺はあんなガキ趣味じゃねぇえし」
「客人だ、手を出すわけがないだろ。」
「へいへい」
「お待たせ~☆ってアレ?あんた起きてたの?」
「起きてちゃ悪いかよ」
「そんなこと言ってないでしょ?今すぐたべられる?」
「あ~、ま、食べらないこたぁないけどよ」
「じゃ、用意してくるわ」
ちゃぶ台に、どんっと置かれた料理は。
形の悪いオムレツに、ちょい焦げたソーセージ。何の野菜が入っているのか、よくわからないサラダ。やけに黄色いスープ。どこから出してきたのか、漬物。
「あのな~。もっと胃に優しいモン作れんのか?」
「文句言うなら食べなくていいわ」
「食事を作ってもらったんだ、少しは感謝しろ。」
「そうよねぇ、隆一クンはやっぱり物わかりいいわぁ」
「あ~、アホで悪ぅございました」
「黙って食べろ。」
何だ、この雰囲気は。それにこの女、少しは俺に感謝しているんだろうか。手料理とはいえ、やはり大企業のお嬢様の作るものには期待できなかった。
いつも食事はかわいいメイドさんか誰かが運んでくれるのだろう。萩尾が作ったパスタのほうが、よほど美味い。あいつも、彼女が自分で作ると言い出したので、
男として気を使ったのだろうか。
サラダと焦げたソーセージはどうしても受け付けなかったが、崩れたオムレツと、やたら黄色いスープ(後日、かぼちゃのポタージュと判明)だけは意外にイケた。
5.謎は深まり……
三人して黙々と食事する最中に。ついでのように美樹が俺に言った。
「意識、戻してくれて、ありがとね」
「あ~、最初に失敗したのは俺だから。怖ぇ目させて悪かったな」
「ううん。でもさ、あの女のひと、私の能力をねらっている割には、やけに優しかったよ?」
「は?優しかった?」
「うん、鳥かごに入れる時も、『ごめんね、こんなところに。終わったらすぐに出してあげるから』って」
「なんだよそれ?攻撃したのはあっちだぜ?」
「……。(スープに口をつけながら、少し考えこんでいる)」
「でしょ?なんっか違和感を感じたのよね。普通なら、私の意識を完全に消して。それから、‘夢渡り’の遺伝子を埋め込んだ、この身体を奪いに来るんじゃないの?」
彼女は‘夢渡り’の遺伝子を持つ祖父から、その現象を起こすと言われている細胞の一部を、自身の二の腕に移植されている。
自分であの霧のトンネルのような「結界」は作り出せないが、他の‘夢渡り’と一緒なら夢の中を渡ることができる。
しかも、一緒にいるパートナーの‘夢渡り’の力は増大する。他人の夢をコントロールすることも可能になるのだ。
それ故に、‘増幅器’と呼ばれている。
今までにも彼女はこの業界の連中に、何度となく拉致されたらしい。頭のイカれた奴らは、まずは彼女の命を絶ち、そこから身体を好きにしようとするやつばかりだったのだ。今回、こんなに事が大人しく済んで、逆に違和感を感じたらしい。
「思ったんだけど、最初に私が縛られたときの相手と、結界で襲ってきた奴らとは、別モンなんじゃないの?」
「(カップを置き)……同感だ。」
「あ~?別モンてどういうことだよ?」
「ほら、結界の中にいたオヤジ声のひと、『わたし以外の夢使いは、死ね~』とかなんとか言ってなかった?でもほら私は‘夢使い’じゃないもの」
「‘夢使い’?あ~、‘夢渡り’じゃなくて?」
「‘夢使い’っていうのは、私みたいな‘増幅器’と、‘夢渡り’の能力をいっぺんに両方使えるような、スゴイ人のことよ。
もしかしたら、あんたのことをそう思ったんじゃないの?」
「は?じゃ俺が狙われたのか?」
「確定はできないけど。そう思うのよ。」
Next Time ……→
6、追われる夢渡り
翌日から、かなり危ない目にいくつか遭った。
一度目は昼間。歩道を歩いている時に、明らかに信号が赤の斜線から突然車が突っ込んできた。軽く当たられ、胴を打った。ナンバーは外していた。
二度目は夜。美樹の祖父宅からの帰りだ。暗い公園を横切るとき、車のすれちがいざまにヒュッ、と音がして。
俺が咄嗟にしゃがむと、数秒前立っていた後ろの木にボーガンの矢が数本刺さっていた。前と違う車だったが、やはり内側はカーテンで隠され、ナンバーは取り外していた。
三度目は、萩尾の部屋にカミソリ入りの手紙がきた。ご丁寧に『夢使いハ、みんな死ネ』という脅迫状つきで。
その日、美樹の荷物持ちでスーパーからの帰り道、部屋へ戻る直前に鉄筋が降ってきた。すぐさま美樹をかばったのは言うまでもない。どれも、一歩間違えば危なかった。
なぜ移動に「夢渡り」を使わないのか。それには二つの理由がある。当然だが、あれを使うには「眠る」ことが必要で。
仕事の時には、時間も場所も選ばずに、すぐさま「眠ら」なければならない。訓練していなければ人間、そうしょっちゅうは眠れない。
自分自身で睡眠をコントロールする必要があるわけだ。それにもう一つ。あれは、精神的にもかなり疲労するのだ。
ずっとあのトンネル内にいると、どこからが夢空間でどこまでが現実なのか、区別がつかなくなりそうだ。普通の神経の持ち主なら、長時間いると多分、気が狂う。だから俺は、あれを使うのはよほどの時にして、普段の移動はできるだけ身体を動かすようにしている。
7、闇の記憶
それでも、やはり夜は疲れるので寝る。
知っている人も多いと思うが、睡眠には脳と身体を休めるために、レム睡眠とノンレム睡眠とがある。
俺の場合はそのレム睡眠を仕事に使っているわけだから、たまには熟睡したい。
眠ると。やはり最初はあの朱鷺色の霧が包むトンネルに出る。重力はさほど感じないが、上下左右の区別はつく。俺は、そのトンネルをうつうつと歩く。
「佐理さま……。お会いしたかったですわ」
ふわっと霧が人型になり、真白が現れる。朱鷺色の瞳がそっと近づく。
俺の顔や腕に、羽のように白い髪やすべすべとした頬をすり寄せてくる。
いつもなら嫌でもないが、現実世界でかなり疲労しているこの身体には、ちょっとばかりうっとうしい。
「真白……か。すまないっす、今俺すごくしんどいから」
「佐理さま……お疲れなのですね?それは、いけません。どうぞこちらへ……」
もういまさら、邪険にするのも可哀想だし面倒臭い。
身体に絡みつく白い衣の誘いに、俺はただ身を任せることにした。
だんだんと、あたりが暗くなり。ついに周囲が見えないほどの闇になる。
突然、真白が俺の身体からすっと離れ、名残惜しそうに消えていく。
「ここからはご一緒できません。彼女のもとで、どうぞごゆるりとお休みください」
闇の中。冷たい風と共に、黒光りするピアノが一台、突然姿を現した。
弾き手には黒髪の少女が一人。うつろな瞳で、小さな旋律を奏でている。
ぽつりと足先に、水を感じたかと思うと。ピアノを中心に、冷たくて澄んだ水が溢れ出し、広がった。
波紋はやがていつの間にか、球体になり、俺をすっぽりと包み込んでいた。呼吸は問題ない。
その中は疲れた身体に心地よく、暖かな内海の流れに浮かんでいるような温度で。
どこか懐かしくて、優しい感触。自分というものをすべて、放りだしたくなるような感覚。
その独特の浮遊感に、俺の意識はゆっくりと、深く飲み込まれていった。
8、二つのリスト
「やっぱり、狙われているのは私じゃなくてあんただと思うわ」
晩飯を食べながら、美樹が心配そうに言う。自分も護衛されているというのに、まるで自覚がない。
萩尾は、俺のほうを心配そうに見た後で、一応美樹に念を押す。
「まだ君が狙われていないという確証はないんだ、油断するな」
「わかってる。学校から帰って夕方までは、ずっとあのホテルに居たらいいんでしょ?」
「そうそう。ここへは夜だけ、買い物に行くときは必ず、俺か萩尾に言う約束っすよ」
「あ~あ。私は監禁少女か~?」
「護衛までつけてもらえる身分で、贅沢いうんじゃないっす」
「これは君の、身の安全のためだ。すまないが辛抱してくれ。」
「いやん隆一クン、美樹でいいってば。奥さんになったつもりで、耐えてみせるわっ」
テレビのニュースからは、最近よく起きている連続殺人事件の経過と、その遺族が泣くシーンが流れている。
被害者は年配の金持ちやら、まだ若いか弱そうな女、頭のよさげな男、というふうに年齢も職業も顔立ちも、てんでバラバラだ。犯人はまだ捕まっていないらしい。
「もしかして、あの人たちみんな、『夢使い』だったりして……」
美樹の言葉が妙にしっくりきて、笑えない。彼らに、見た目での共通点は、ないのだから。
全員、夢渡りやら予知夢をする者やら、なんらかの「夢」に関する能力を持った者だとすれば。証拠もなにもないが、その理屈が俺にはすんなりきてしまう。
その時、電話が鳴った。
「はい、萩尾です……あ、おじいちゃん?うん美樹だけど。佐理ね、ハイハイ」
「かわりました、竹永っす」
「ああ、佐理君。いつも美樹の護衛をありがとう。それで、聞いたかね?例のニュースは。私はどうも気なってね、知り合いの刑事に色々と聞いてみたのだよ。すると、ちょっと驚くことがわかったものでね」
「驚くこと、っすか?」
「ああ。君、私のかわいい孫を狙っている者達のリストがあっただろう。今出せるかね?」
「はい、ここにあります」
「そのリストの人物は、三年前、私の小会社の事故から、(増幅器)の情報を外部へ漏らした可能性のある者達だったね」
「はい。独身男の青田和郎と、老人で富山喜一。それと女が仁科桂子っすね」
「そこでだ、佐理君。今朝のニュースの被害者の名前を、覚えているかね?」
「ええと、被害は……あっ」
「そうなんだ。あの青田と、富山君が殺られていたのだ。私も驚いたよ。青田は大学時代に予知夢研究会に入っていたと聞いていた。
富山君は私と同期でね、やはり彼も『夢渡り』だったよ。私の会社を辞めた後、日本酒の輸出入で大儲けしたそうだ。残りの若い女性は、どうやら仁科ではなかったがね。
しかし、心理学の専門家で夢について深く研究していたようだ」
「そうっすか。全員が『夢』に関係してたってことっすね」
「その通りだ。二つのリストがほぼ重なったわけだよ。私の美樹を狙う人物は、二人消えた。あとは佐理君、君たちは仁科桂子にだけ注意してくれればよい。
しかし、彼女に加担する者もいるかも知れないからね、油断は禁物だ」
「なるほど。了解しました。大事なお孫さんは続けて護衛いたします。ご安心を」
「しっかり頼んだよ。それから、私の所にも妙な脅迫状が来たよ。君にも来たのじゃないかね。私はもう引退したというのに、相手はよほど追い詰められているのだろう。
君は現役の『夢渡り』だから、十分気をつけてくれたまえ。私に出来ることなら、何でも協力するつもりだよ」
「ありがとうございます。まぁ、無茶はしないつもりっす。夜はこの部屋に戻っていますが、昼間は引き続き、萩尾とあの豪華なマンションで待機させてもらうことにします。
では失礼します」
電話を切った後、萩尾が珍しく口を開いた。
「おい、仁科桂子って……。研究所の女と同じ人物じゃないのか」
「まじか?あの女、たしか名前は……」
「高木桂子、だ。」
Next Time ……→
三沢環という人物と出会うのはいつも唐突だった。名前は、後で知った。
最初は、どしゃ降る雨の駅前で。
まず彼女の外見が、何というか、妙に見覚えがあった。腰まである真っ直ぐの黒髪と、透けるような白い肌。ひらひらのロングスカートを揺らしながら、オロオロと空を見上げていた。
彼女と限り無く近いものを、知っている気がした。その親近感からか、俺は思わず声をかけてしまった。
「あ~、大丈夫っすか?傘は?」
「あの、ないんです」
「今からどこまで?」
「すぐそこの、ホールまでなんですけど……」
「俺もそっち通り道っす。相傘で良かったら入っていきますか?」
「え……でも……いいんですか、そんな」
「いいっすよ。いまは俺、暇なんで」
それから二度目は。夜中にコンビニへ買物に行った帰りである。
どうせ部屋に戻っても、萩尾と美樹がいちゃついているので、(正確には、美樹が一方的に、なのだが)
俺としては、寄り道の一つもしたくもなり。
公園のベンチで、夜風ごしにチリヌードルと、ホットサンドを食っていた時。
「む、迎えが、きますから……私」
「いいじゃんかよ~、いまから俺たちと遊ば……」
「お、お断りします……」
目の前の茂みからそんな会話を聞けば、かなり食いづらい。
しかもその声に聞き覚えがあれば。かなり放ってはおけない。
見れば案の定。いつぞやの黒髪の彼女が三人の野郎にからまれており。
「悪いっすね。迎え、いま来たんで」
「なんだぁ?ケンカ売ってんのかコラぁ」
「ガキはそこでおとなしくラーメン食ってな」
ガキ。
人間、それぞれに言われてしまうとキレる言葉がある。俺の場合はその二文字。
ビッシャアア!!
「あ?う、ああああ~っ!!」
俺はそいつに熱いチリヌードルをぶっかけた。そいつは熱さでのたうちまわる。次に、隣から殴りかかってきた奴の足をかけて投げ、向こう脛を蹴りつけて立てなくする。(多分、複雑骨折くらいにはなっている。)残りの奴は、頭や顔を思いっきり殴りつけ。勢いで倒れたそいつをさらに蹴りつけ湿疹させる。最後に起きかけた例の二文字をほざいた野郎を再び踏みつけて地に沈める。そして、隙をみて彼女の手ひいた。
歩道橋を渡り終えた所で彼女は足を止めた。目の前にでかくて黒い車が止まった。
中にはロマンスグレーの運転手と、後ろにグラサンに黒スーツの男達が三人いる。これが彼女のお迎えらしい。美樹といい彼女といい。どんなお嬢様だ、まったく。
「あの、私ここで……あの二度も……ありがとうございました!」
「いいっすよ。俺のこと、覚えていますか?」
「はい……あの……雨のときに助けていただいた……」
「今夜はまた、なんでこんなところに?」
「ピアノの、帰りです。前の時は発表会で」
「あ~、そうっすか。でも迎えを待つなら、今度から店屋に近い方がいいすよ?」
「今度からそうします。あの、私は三沢環と申します。あなたのお名前は……」
「あ~?竹永佐理っすけど」
「竹永佐理さま……たいつか、きちんとお礼に参ります」
「いいすよ、気にしなくても。んじゃ」
少し油断した。萩尾の部屋を、誰もかもに知られては困るのだ。でもまあ、住所までは聞かれていないし、わかるわけがないと思い、その夜はそのまま帰った。
翌日、驚いたことに、三沢環が萩尾の部屋に訪ねてきた。花束と菓子折を持って。
「あの、突然伺ってしまって……申し訳ありません」
「いや、いいすけど。なんでここが?」
「あの……私わかるから……いえその……それより、どうしても礼が申し上げたくて。あのこれ、つまらない物ですが」
「あ、どうも。中、寄ってきます?」
「いえ、いいんです!私のほうがお世話になったんですから。本当にありがとうございました。失礼致します。」
「はあ……」
彼女はなんだか慌ただしく立ち去った。
その後、美樹の質問攻撃にあったのは言うまでもない。
Next Time ……→
9.美樹のワガママ発動
「ぜぇったい行くからねっ!!」
また始まった。美樹のワガママは発動したのだ。これがはじまると、誰も止められない。
依然として誘拐犯の黒幕もはっきりせず、命を狙われているかもしれないのに外出すると言って聞かない。
「明日の船上パーティーには、あの有名な天才ピアニスト少女も来るのよ!? 」
「だめだ、いまの状態では人手の多いところは狙われやすい。残念だが中止してもらう。」
「もうチケットも買っちゃったのよ?この日のために、一ヶ月も前からドレスを用意していたのよ?」
「はぁ……。アンタの気がしれんっす。殺されるかもしれないんすよ?」
「俺たちがいるから絶対に安全ってことはないんだぞ。」
「わかってます。自分のことぐらい自分で何とかできるわ!それにね隆一君、あの時狙われたのは佐理だと思うのよ?」
「移動する前に誘拐されていたのを忘れたのか?あいつらの仲間かもしれないんだぞ。」
「どちらが狙われたのかはっきりするまでは、外出は禁物だ。」
「天才ピアニストが来るんだから、きっと警備は万全よ?」
「んなモンわからんだろうが。俺らの苦労を少しは考えろっす。」
「これは君のためなんだぞ。」
「い~~~や~~~でっす!絶対に行きます!!」
青春まっ盛りの乙女が、遊びにも行けず軟禁状態で、つまらなくて淋しいのはわかる。天性のお嬢様気質がそうさせるのか何なのかは知らないが、無防備にもほどがある。
それでいて、自分では「自分のことなら自分で守れる」と思っているのだから、始末におけない。
だが俺たちも、アパートの部屋にじっとして彼女の子守りをしている暇はない。他にも仕事は山ほどある。
日中は色々と調べに出かけるので、美樹は自然と部屋で留守番という毎日が続いているのだ。俺たちは、美樹を誘拐した黒幕を割り出すために、しょっちゅう出かける。美樹の祖父にもらった犯人のリストから、萩尾は例の研究所に、仁科桂子の情報を探しに行った。
俺はまず、最近気になっていた連続殺人犯のニュースから、亡くなった二人の夢使いである、美樹の祖父の友人だという青田と富山の身元調査へ乗り出した。(美樹の祖父からもらったリスト情報とさしてちがいはなかった。)それと、狙われたけれど死ななかったという心理学者の女のところへ、事情を聞きに行った。
「ええ、たしかに。私は夢について心理学的な研究をしています。それと……。」
「それと、何っすか?」
「あの、信じてくださらなくても結構ですが私、患者さんの夢の中に直接入って治療するんです。」
「やっぱり。じつは、俺も、というか今回の事件の被害者は全員、入れたんすよ。その、夢の中に」
「え……、じゃあ、私が事件の前の晩に見た夢の中の登場したタカギさんも、実在人物……。」
「タカギ?高木という女を夢にみたんっすか?」
「はい、まぁ……。なにか私のことを妹さんと勘違いしているようでしたが。」
「妹と勘違い……。その女は高木桂子という名前でしたか?」
「さあ……。フルネームまではわかりません」
「どうもっす。ありがとうございました。」
高木桂子の妹の存在以外は、予想していた通りだった。ただ、心理学者の女の格好が、妙にあの夜中に助けたお嬢さん三沢環に似ていたところが気になっただけだった。しかし、萩尾の方は仁科が研究所を辞めており、足取りが途絶えてしまっていた。
10.夜中の出来事
今晩も夜食を買いにコンビニへ出る。なんのかんのと言いながら、晩御飯を終える時間には美樹の機嫌もよくなって。萩尾とまたいちゃいちゃしているのだ。あいつも、難しい顔をしながら、まんざらでもないらしい。あまりに甘い空気すぎて、ついていけない。
いったい、あの雰囲気の中で俺はどうしていればいいというのだ。
いかんいかん。仕事のことでも考えようと、頭を冷やしに散歩に、この所よく出る。
いつもの通り、調理パンとホットコーヒーを持って、横の公園へ寄る。街灯の下にあるベンチに座って食す。
「うふふ……こんばんは、竹永佐理さま……。」
振り向くと、三沢環がいた。どこかがおかしい。突然現れて、何処から来たかもわからなかった。輪郭がぼやけて見える。そして、なにか妖艶な、とでも言うような雰囲気を身にまとっている。隣にふわりと座る。
「こ、こんちわっす。どうも。」
「今夜はこれを渡しに来ました。私の最後の記念日に。」
「最後の?」
「くすくす、いいからお受け取りになって。」
花びらのような薄い手が、そっと俺の手を包み込む。彼女の白い手にはまるで生気がなく、冷たい。
渡されたのは、折りたたんだ金色のチケット2枚と、小さな銀灰色の布袋が、ひとつ。
「これは……何すか?」
「私からのプレゼントです。助けていただいたお礼ですわ。その小さなものは水晶です。『夢ノ石』といって、霊験あらたかな石です。代々、私の家に伝わるものですが、私にはもう必要ない代物です。あ、私の家は夢見の一族ですのよ。あなたもそうでしょ?これはきっと、あなたのお役に立ちますわ。」
「あ、それはどうも……っす。気を使わなくてもよかったのに。」
「いえ、これは私のためでもあるのですから。これで、現実空間への未練もなくなりました。」
「何を言ってるんすか?」
「くすくす、夢渡りの佐理さま。私は明日、花嫁になるのですわ。暗闇の花嫁にね。うふふ……」
「は?環さん?」
「もう他人のためにピアノを弾かなくていいんです、私。明日のパーティーが済んだらもう私、この世とはおさらばですわ。」
「この世とおさらば?って!!っちょ……っと……!?」
「その『夢ノ石』は夢渡りにしか使えません。夢空間の中であなたを守り、念じれば思うままに姿を変えるでしょう。私も使っていましたのよ。
でも私はもうすぐそれがなくともずっと、夢空間にいられるようになるのです。ピアノと共に、永遠にね……。」
「疲れてるんじゃないっすか環さん?迎えは?」
「うふふ……大丈夫ですわ佐理さま……私はいたって機嫌がよいのです……では明日、お待ちしております。さようなら。」
「え、ちょっと環さ……ん!?」
街灯の明かりがいきなり消えた。そして。
今までそこにいた彼女が、フワリと目線の高さまで、浮かび上がった。そのまま、空中をスキップするようにして、植え込みのほうの闇に消えてしまった。あまりのことに、ほんの数秒ほど放心してしまった。すぐわれに返り、すぐに後を追う。追ってみたが。もうどこにもいなかった。
一応、彼女にもらった水晶は布袋に紐をつけ、首から下げてペンダント状にして、その晩は寝た。いつものようにあの霧のトンネルを歩いていると。
急にあたりが真っ暗になり、ピアノ音が聞こえはじめ。目の前には黒々と光るピアノが現れる。やはり三沢環が、恍惚の笑みを浮かべながら弾いている。やけに涼しい風が吹くと思ったら、横には真白がいた。
「真白か。彼女は……」
「あの子ですか?私はどこのだれか存じませんが、このところ居着いているのですよ。もうすぐ私たちの仲間になりますわ」
「仲間?どういうことだ、彼女は人間だぞ?」
「もちろん人間ですわ。でも、それもあと少し。あの子は過去の人物に愛されているのです。ピアノを弾いている間は、その人が手に宿り一体となるのですわ。
彼女はそれに夢中なのです。私がみたところ、現し世に帰るよりもその人とここに居たいのでしょう。じきにあの子の魂はこの世界と同化します。」
「同化するだと?環は、もう元の世界には戻れないと?」
「彼女に戻る意思がないかぎり、私にはどうにも出来ませんわ。」
「それじゃ彼女、死ぬつもりなのか?」
「いいえ、佐理さま。ここには、死はありません。ただ止まっている長い長い時間があるだけです。
けれど、人間が長い間この世界にいると、魂がまるで水を求める種子のように、根を降ろしてしまうのですわ。
そのようにしてここに居着くようになった人間を、私はときどき見かけます。」
「現実では意識が無い状態……。」
「はい。魂のない入れ物は、そのうち朽ち果てることになりましょう。」
「そんな……。死ぬのと同じじゃないか……それなら……」
妙なことに巻込まれてしまった。三沢環がこのまま夢空間の住人になるってことは、現実空間には意識は戻らないという意味で。そのうち身体だけが朽ち果ててゆくというのだから、やっぱりこれは自殺行為に限り無く近い。彼女の周りの人間は、きっと、死んだと思って処理するだろう。このまま放っておくのは人間として間違っているように思う。
「真白、俺は彼女を帰らせたい。どうしたらいいんだ?」
「わかりました、佐理さま。では、なんとかいたしましょう。佐理さまの胸に光るそれがあれば、どうにかなるかもしれません。」
「これか?(水晶の入った布袋を差し出す)」
「はい。そのご神体を袋からお出しになって、手の上でしばらく念じてみて下さい。俺の願うものになれ、と。」
「やってみる。俺の、願うものに、なれ……」
数秒もしなかった。ある丸みを帯びた水晶が、勝手に水アメのようにぐーんと伸びる。それは俺の手の上で信じられないくらい大きく膨らみはじめ、縦に長くなり。ひとつ形をとって色づいてゆく。あっというまに、柄に土の鈴がついた剣になった。俺は無我夢中で、トロンとした目でピアノを弾く環に向かって必死に剣を降る。土鈴の音色が、いちだんと大きく空気を震わせる。その波動で、彼女はわれに帰ったらしい。
しゃりん。
「ん……、佐理……さま……?あの……こんばんは。」
「こんばんは、じゃないっすよ!なにやってるんすか。変なピアノに心を奪いとられてんじゃないっすよ。ほら、帰るっす!」
「いやですわ、放し下さい!変なピアノなんかじゃないわ!私の彼と交わるための、大切なものです。彼がここへ降りてくるのよ!今やって来るところだったんですよ!
邪魔をしないでください。私は……、私は帰りたくありません。放して……いやよ、いやったらいや……です……。」
りぃいいん、しゃりん。
彼女が再びピアノに集中しないように、一応、土の鈴を鳴らし続ける。
もう片方の手で、彼女の二の腕を強引につかみ。(あ、美樹より細い)とか思いつつ、俺は現実空間へ飛んだ。
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11.パーティー当日
三沢環をひとまず現実空間に戻した、次の朝。
昨晩環からもらったチケットを美樹に見せると、やはり例の船上パーティーのゴールドチケットだった。美樹は祖父に頼んだのだろう。同じものを持っていた。美樹の祖父、藤代氏は大企業の現役社長だ。そのため、いくつかの役員もかねており、今回のパーティーはその役員たちとの個人的な会合だった。
「なんでゴールドチケットなんかもらえたの?これは、主催のおじいさまと、ゲストの天才ピアニスト少女の知人にしか配れないものなのに。」
「さあな、彼女もそのどちらかなんだろ。」
「俺たちの分のチケットまでそろったのか……これで美樹を止める口実がなくなってしまったな。」
「え!!じゃあ隆一クン、行ってもいいのね?ね?ね?」
「ただし、俺たちのそばから離れない事が条件だ。」
「約束するわ。隆一クンの、そばから絶対はなれません!もう嫌といっても、絶対はなれませんっ!」
「オレは無視かよ……、ったく。でも服装はどうすんだ?美樹はともかく、うちにはそんな着飾るようなもんは……」
「アンタはどうでもいいんだけど、私と隆一クンの格が下がるといやだし。二人分のタキシードをおじいさまに頼んであげる。」
「それはありがたいことで、お嬢様。」
「まぁ、これも必要経費のうちには入るだろう。美樹、その船に個室はあるか。」
「あるわよ。遠くから来るお客様のために。」
「一部屋、確保してくれ。俺たちに何かあった時には、いったん、そこに避難して待機するように。」
「わかったわ。」
12. 船上にて
旅客船マリー・クルーズ号は、大勢の客が乗っていた。午前中は気持ちよく晴れ渡り、甲板で立食パーティーが行われた。
午後からは、屋内のダンスホールで天才ピアニスト少女によるピアノ演奏が催される。
演奏前、ダンスホールには客達がぽつりぽつりと席につき始めた。
年配の夫婦や親子連れ、着飾った女性たち、エリート風の青年の集団。やがて並べてあった椅子はすべて満席になる。彼らに笑顔で挨拶しながら、俺たちは常に美樹を監視していた。
しかし、特にこれということはなかった。心配していたほどでもなかったのかと、正直少し安堵していた。それから、美樹があまりひっぱるので演奏がよく聞こえる位置に移動した。黒いグランドピアノ正面の、半分ほど後ろの席だ。
「おまえ、そんなにこのピアニストが好きなのか?」
「ピアノ曲が好きなのよ。それに、テレビでも噂の天才ピアニスト少女でしょ?いい音を聴き逃すともったいないわ。」
「噂ってなんだ。」
「隆一クン知らないの?いつも一緒にテレビ見てるじゃない。
ほら、若干16歳で国際ピアノコンクールに優勝して、プロになったんだけど、美少女なのにテレビ嫌いで、コンサート以外では絶対に顔を見せないっていうひとよ。」
「いや、あまり興味が無かったから、気にして見てはいなかった。」
「美少女……なのか。」
「佐理、アンタはそういうトコにしか反応できないの?ほんっとドスケベね。」
「うるせぇ。そういうなつかしい響きで呼ぶなバカ」
ジリリリリリ。
ベルが鳴り、始まりのアナウンスが流れた。豪華なシャンデリアは消え、ほの明るい間接照明だけになる。
ステージの上にまず司会役の女性が登場したあと、スポットライトが照らす中を、コツコツコツと進んできたのは。
白い光沢のあるドレスに身を包む三沢環だった。
彼女はピアノの前でぺこりと一礼する。艶のある黒髪が揺れる。顔をあげる時、一瞬だけ目が合った。微笑む。
「本日は、お招きにあずかり、大変光栄に思います。どうぞ、私の音楽をごゆっくりとお楽しみください。」
会場内に、どっと拍手が沸きあがった。やがて、どよめきは、すうっと静まっていく。
演奏が始まった。
始めは彼女の顔もおだやかで、ピアノの音色も、柔らかに降る春雨のようなものだった。
曲名は知らなかったが、周囲を見渡すと、観客は皆、目を閉じて聞き入っているようだった。美樹もウットリと萩尾にもたれかかって聴いていた。
だが、音楽はだんだんと変わってくる。力強くなってきた音楽に、皆の目は覚め、感嘆の声がひそひそと漏れた。照明は対照的に少しずつ暗いものになる。あのか細い指であんなに早い動きがくり出せるものかと驚いた。まるで両腕が三人分あるかのようだ。
さらに曲調は激しくなった。静かに聴いていた赤子が急に泣き始めた。若い母親がそそくさと退場する。全体の雰囲気が、なんとなくソワソワとしてきた。弾いている環の顔はだんだんと、夢でみた時のようになっていく。酔ったような半笑いで、瞳はうつろ。頭が不自然にフラフラとしている。音楽は力を増した。
恐ろしいほど複雑で、大音量になっていく。ピアノ一台であそこまで出来るのかと思うほどになっていた。観客も、環のことが心配になってきたのか、ザワザワとしはじめた。
「おい、彼女の様子、ちょっとおかしくないか……」
「ああ。さっきからどうも気になっている」
そのうちに、照明の加減か何なのか、ピアノを弾く環の周りで、青白いスパークが数回、起きた。
観客が数人、驚きの声を発した。しかし、演奏中ということもあり、先ほどの若い母親以外、誰も席からは離れない。そのうちにスパークの回数は増え、閃光も大きくなってきた。
小さな子ども達が、びくっとしておしゃべりを止めた。いまや、彼女とピアノの周りを、雷のようなものが取り囲んでいる。
「なんだ、あの光は。佐理、わかるか」
「何でも聞くなよ、オレにもわからん。けど、ちょっと彼女がヤバイのは、わかるぜ。」
「あれ、パフォーマンスなんじゃないの?」
「それにしては、やりすぎだ」
「夢のなかで見たのと同じような顔つきになってる。彼女、あの時もなんか、おかしなこと口走っていたな……」
「おかしなことか、なんだそれは」
「彼氏が降りて来るとか。真白も、なんとか言っていた。彼女は過去の人物に愛されている、となんとか」
「え、じゃあ、なにかにとり憑(つ)かれているってこと?」
「ありえなくもない、な……何か起きそうな気がする、美樹は個室に……」
「私、思い出した。……たしかこの曲は……『魔王』……」
ズダン。
閃光の煌きが、最前列の座席を直撃した。座っていた老人が崩れ落ちる。その横にいた老婦人が悲鳴をあげた。その声と同時に、照明が、全て消えた。
観客席は、せきを切ったようにパニックに陥った。泣き叫ぶ子ども。髪を振り乱す女性たち。我先にホールから逃げようとする人々のぶつかり合う音、殴りあう音、グラスの割れる音、何事かをわめきちらす声、声、声。
ズダン、ズダダダン。
連続して雷が観客席を打ちすえた。次々に椅子を引き裂き、床を割り、人が倒れていく。会場を飾っていた花々が散り飛ぶ。彼女は、狂ったように高笑いをつづけながら、ピアノを引き続ける。
何度目かの雷鳴と同時に。突然、美樹が崩れた。反射的に萩尾が抱きとめた。
「おい!美樹、どうした?」
「なんでだ?光はあたってないぞ」
反対側から、何人かの男がなだれ込んできた。数人が美樹の両足をつかみ、を引っ張って行こうとした。
暗くて顔も見えなかったが、そいつらの頭をめがけて、とっさにオレが蹴りをくらわして防いだ。
「ちっ、混乱に乗じてさらう気だったのか。美樹は無事か?」
「眠っている。くそっ。さっきの雷鳴の時に催眠薬の矢を打ち込まれたらしい」
「ちょっと、そこ出血してんじゃねえの?」
「ああ、いま止血している」
「くっそ、早めに部屋に閉じ込めてりゃよかった」
美樹の左腕、透けたショールに血が少しにじんでいた。すぐに萩尾が押さえたので、大事にはいたっていないようだ。
その間も、パニックは収まらない。環はピアノを引き続け、閃光はとまらない。防犯サイレンが稼動して、けたたましい音がなり響き始めた。避難をうながすアナウンスが聞こえる。
このまま、逃げ惑う人々の中にいては、危険だ。
「佐理、とにかくあの少女を止めるんだ。俺は美樹を個室へ連れて行く。」
「ああ、わかった」
「部屋をロックしたら、襲った奴らを探してみる。そのあとできるだけ援助にくる」
「オレは美樹の次かよ、ま、期待しないで待ってるぜ」
「早く行け、気をつけろよ」
「へいへい」
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13.格闘
逃げ行く人々とは反対方向に向かって、佐理は走っていた。
パーティーの迎賓たちは、すでに救命着をつけて、避難用のタグボートに乗り移っていた。
誰もいないダンスホールはまるでハイジャックに襲われたようになっている。床には亀裂がいくつもできていた。ちょうど中央部分にあった豪華なシャンデリアが落ちて、見るも無残に飛び散っている。割れた皿やグラスの破片があたりにぶちまけられている。
椅子やクッションが裂けて羽が舞い、踏まれてぐちゃぐちゃの食べ物の上に落ちていた。ステージに飾られていた花々は黒焦げになり、花瓶は粉々になっていた。
それでも、三沢環はまだピアノを弾いていた。
長い黒髪を振り乱し、顔には半笑の表情を浮かべながら。何事かのうわごとをつぶやきながら。
ピアノから出ている電流のようなものが彼女をびっしりと取り巻いているので、なかなか近寄れない。
「ちっ(うるさくて聞こえねぇ)」
稲妻はまだ時々発光して、そこらの調度品を傷めつづけている。佐理機会を待ちつつ、そのうわごとに集中してみた。
「これで……これでいいのね…愛しいひと…私のモーツアルト…魔王……?……あなたを魔王と呼ぶ……の……?……いいわ、愛しいあなた……私の魔王さま……」
環は、なにかと会話をしているらしい。激しい電流に包まれているので、こちらからは見えないが。
それもなにか、尋常ではないモノと、会話をしている。それはわかった。そいつが環を死に追いやろうとしている。
本当に死んでしまう前に、まずあの雷の中に、自分が死なずに入るにはどうしたらいいのか……。ぎりぎりまで近づきながら、必死に考える。
「……もう……我慢できないわ……私をあなたと……ひとつに……して……」
電流が大きく盛り上がった。やばい、これは多分、かなりやばいのではないのか。
直感に任せて、その辺にある折れた金属製のパイプ椅子を持ち上げて、ピアノに向かって、思い切り投げつけた。
ガッシャン!!
椅子はみごとピアノに命中し、大きく二つに割れた。明らかに環ではない、ギャーという悲鳴が聞こえ。
その衝撃で環も床に崩れ落ちた。取り巻いていた電流が、ふたたび集まり、ひとつの型を取り始める。
「わたしの邪魔をするのは誰だ?」
佐理の目前に、恐ろしい形相の女が現われた。宙に浮かんでいる。金色の短い巻き毛が逆立ち、赤い瞳は怒りに燃え、裂けた口からは炎の舌が覗いている。激しい電流は、女の内側で紫色のバラの花づるに変わり、主人に巻きついていた。見た目は子どもの背丈ほどしかないのだが、この表情と浮かんでいるという事態からして、明らかにこの世のものとは思えない。
彼女はすぐ、佐理に気付いた。
最初の電撃が、襲う。
「小僧、余計なことをしてくれたものだ」
「彼女を、かえせ。化け物野郎」
「失礼な小僧だな。しかし、なぜ娘をかえさねばならぬ?あれは死にたがっているのだぞ」
「そんなわけないだろう。おまえがそそのかしてんだろうが。」
「いいや、あれは死にたがっている。わらわは手伝ってやっておるだけだ。あれの好きな
男の幻を見せて逝かせてやろうとしているだけ」
「うるさい、彼女はかえしてもらうぞ」
「ほう、面白い。だがそれは無理というもの」
「さあてな。無理かどうかやってみるさ」
「バカな男だ。あの無礼な娘のために死ぬというのか。いよいよ面白い」
ドクンドクン……、ドクン…。
さっきから胸元の水晶が脈打っているような気がしていた。今なら夢世界の中でなくても、もしかしたら使えるかもしれない。
佐理は布袋を握り、水晶に意識を集中させてみた。
(オレの……俺の願う……ものになれ)
水晶は空中に飛び出て膨らみ、水あめのようにぐんと、伸びた。
すぐさま固まって、あのときと同じ、柄に土鈴のついた剣の形をとる。
それを手にとったとき、二度目の電撃が落ちた。
バリバリ、バリバリッ!
危なかった。かろうじてよけた。というか、剣が反射させたのだ。それが、化け女の紫のバラを散らせた。
「よくもわたしのバラを傷つけたな。許せぬ、小僧」
女が白い片手をすくっとあげた。異常な風が、周囲の地面から陶器やガラスの破片を巻き込んで円を描き、手のほうへ集まる。
電流がそれを取り巻き、女が腕を下ろすと。それは、うなる竜巻となって、佐理めがけて疾走してきた。
とりあえず、走った。
だが逃げても逃げても、それは追っかけてくる。女が笑っている。
「いいざまだ。逃げるばかりでは死んでしまうぞ、小僧」
差がどんどん詰まってゆく。一度急接近したので、剣で跳ね返し、軌道をずらせた。その間も女の放つ電撃が何度も横を抜けた。船が激しくゆれているので、うまく走れない。よろめく人間を壁際まで追い詰め、竜巻はふたたび、確実に目標をロックした。
ドサッ、ドスドスドスッ。
もうこれまでかとおもったとき。
何かが佐理に覆い被さった。電撃と、たくさんの陶器やガラスの破片が、それに次々と突き刺さった。萩尾だった。約束どおりに助っ人をやりに来たのだ。いまはジェル化して、すっぽりと佐理を包んでいる。彼の前では、たくさんの陶器やガラスの破片も意味を成さない。衝撃を吸収してしまうのだから。彼は身震いをして破片を振り落とした。電撃のほうは効いているのかどうか、佐理にはよくわからなかった。
「何をしている、動け佐理。なんだ、あの化け物は」
「おう、あ、ありがとよ。さな。オレもよくわかんねぇけど、あれが環を操っているのだけは間違いないぜ」
「なら早いうちに始末しておこう」
「そだな」
Next Time ……→
13 格闘(続き)
数秒間の会話のうちに、巨大に膨れあがったバラのツルが、絨毯ごと巻き込んで、萩尾の足元をなぎ払う。
「化け物とは失礼だねぇ、そこのお前。わたしにも名前はあるんだよ」
「お前の名など聞いてはいない」
「つれないねぇ。同じ異形の者どうし、仲良くしようじゃないかえ?」
ドゴッ!!
次の会話を許さなかった。萩尾が折れたテーブルを化け女に投げつけたのだ。
「いけ、佐理」
「あいよ」
女がひるんだ隙をついて、佐理は一気に距離を縮めた。
金髪に、裂けた口の正面に立つ。水晶の剣を脳天から降りおろす。
「さいなら、お姉さん!」
バシィイイイイイ!!
大きな赤い瞳が、一瞬問い掛けるように見開かれ。化け女は、断末魔の悲鳴をあげて、砕け散った。
環とピアノを包んでいた電流も、嘘のように消え去った。彼女は、髪を振り乱して、座ったままうつむきに気を失っていた。
14、脱出
「きみたち、何をしているんだ!?」
突然、知らない声が響いたと思ったら、この船のキャプテンらしい人だった。忘れていたが、俺たちは今沈みかけた船の上だ。その人が船室にいた美樹を見つけて背負ってくれていたので、わりと助かった。萩尾はまだ体の半分が、ジェル状から固定していないため、とっさに俺の後ろに隠れて移動しなければならなかった。(今回は負担が大きかったらしい。)気を失った環は、俺が背負っているのだ。
ズズズ、ズズズズ……
豪華客船が、悲鳴をあげている。
俺たちは、立ったまま、身体が斜めに傾いていた。ダンスホールは甲板に直に続いていたので、急いでそこに出た。
「もうほかにいませんね?急いでください!!」
キャプテンのよこした救命具をつけ、往復してきたボートに、全員で飛び乗る。小船は全速力でその場を逃れた。
ゴゴゴゴ、ゴゴゴゴゴゴ……
背後で船が、巨大な渦に飲み込まれて行く。
船長が、くやしげな、悲しそうな表情をしてうつむいていた。
Next Time ……→
15. その後
あの船上の一夜から帰って。翌日は日曜だったので、三人(俺と萩尾、学校が休みの美樹)は家にいた。
それぞれに痛手を受けていたので、しばらく休んでいた。寝転がって新聞を見ると、黒焦げになった船の写真が載っていた。
船会社は、あの事故を「急な天候の変化で起きた雷の直撃」という事にしたらしい。
船上でぷっちん切れしていたお嬢様、三沢環はあの後、意識が戻らず病院に搬送され、今も入院している。
萩尾は、俺をかばってあの変な女妖怪が放つ薔薇の鞭から出る電撃を、まともに受けた。それが相当キツかったらしい。
あの夜からずっと、風呂場から出てこない。いつもは仕事がすむと、俺たちはバラバラに家路につくのが習慣になっていた。
だが、あの時は萩尾がなかなか固体に戻れずに苦労していたので、付き添って帰った。そもそも、俺をかばっての事だし、放心状態の美樹には任せておけなかった。
美樹にとっては、このような状態を見るのは初めての事で。
右肩から腕、右脇腹をすぎて腰のあたり、右太股くらいまでが、まだゲル状から戻れずにドロドロとしている萩尾を見て、さすがに驚愕していた。一言も口きかず、ただ目を見開いて、震え立っていた。目から涙がつつー、と出ているのに、ふきもしない。もっと泣きじゃくるかと予想していた俺には、なにか拍子抜けた気分さえしたが。
まばたきもしないまま硬直していたので、萩尾を支えつつ、そっと背を押してやった。
「おい、帰るぞ。」
「……里の…バカ…」
「あ?」
「どうするの……いちくんが……んだら…隆一君が死んだら、どうしてくれるのよ?!」
「あのな!縁起でもないこと言うな。こいつは死なない。俺が絶対に死なせない。こんな事はな、よくあるんだよ!」
「でも……ほんとうに?……大丈夫、なの」
「まぁ、全く元気なわけじゃないけどな。けど、こいつは死なない。身体の半分は化学物質に作り替えられてるんだ。
そりゃ、こいつ自身じゃないから、はっきりとは言えない。でも死なない。俺が必ず元にもどす」
「そんな…気持ちだけで、どうにかなるもんなの?」
「あ~、も~。だるいなお前は。じゃ俺が死んでいれば良かったのか?ならいまのお前はなかったんだぞ」
「だって…まだ……まだ、治らないよ……」
「だから。大丈夫だって。いつもはとにかく連れ帰って、育ての親、あの研究所に電話するんだよ。で、どうにも無理そうなら迎えに来させる。そういう手筈になってるんだよ」
「そうなの……ひっく」
「お前さ、手、空いているだろ。平気なら反対側から支えてくれよ」
「うん」
前にも言ったが、萩尾は幼少から研究所と呼ばれる科学実験室に引き取られた。というか、売られたのだ。
そこでハムスターや猿と一緒に、ありとあらゆる人体実験の被験者にされた。萩尾が死にかけると、研究所はその高度な技術を使って問題の部分を切り取り、ゲル状の物質で埋め合わせた。通常の人なら身体の一部をそんなものに代えられたら、拒否反応を起こして死ぬか、手術自体に耐えられないが。
萩尾の体は、水のように従順で、ケタ外れた体力があった。手術を重ね、結局は身体の半分以上がゲル状物質になってしまっている。
とてもひどいダメージを受けた場合のために、研究所は萩尾に「保存剤」と「蘇生剤」という2種類の粉末薬を持たせている。
ゲル状から液体にまで変化してしまった場合、粉末薬をかけると固定化が早まる。あいつは「保存剤」を俺にも預けている。
自分の分で足りないときは、俺がかける。今回もそうした。それから帰って風呂に「蘇生剤」をいれて、一日中浸かる。
そうしてゆっくりと、人間として必要な細胞を蘇生させるのだ。
相棒が戦闘不能だし、風呂が使えないので、することもない。コンビニでも寄ろうと、俺は重い腰をあげた。もう外は暗くなっていた。
考えてみれば、今までの仕事とは少し違っていたのだ。俺はいつも夢のなかで人ならざる物を相手にしてきたが、萩尾は現実の人間が相手だった。あいつにとっては、今回の相手は人間外で。攻撃も人間の行うような代物ではなかったのだ。受けたダメージは今までの経験になかったものだったはずだ
ベンチに腰かけて調理パンをかじる。
あいつは今、ものが食えないし飲めない。痛いという感覚はないらしいが。幻痛、という言葉をきいたことがある。
事故なんかで腕や足を無くした人たちだ。無くした後で、あるはずない自分の腕の先が痛むという。
もしかしたらあいつも、そんなものに苦しんでいるのではないか。そんな事を考えると、うしろめたさで、なかなか食い物がのどを通っていかない。
「(無理させちまったな…、すまなかった)」
あの時の美樹みたいに、俺は密かに、泣いた。
16.夜中の執事
「竹永佐理様ですね」
暗闇から、誰かが声をかけてきた。すぐに目をぬぐい、頭をあげると。いつぞや見たことがある、藤代邸の執事だ。
小柄な初老の男で、いつもスーツを着ている。頭はロマンスグレーで、きちんとセットされて。顔にはいつも優しい微笑み。
悲しくもそれに、少し癒された俺は、営業モードになる。
「あ、どうもっす」
「この度はお疲れ様でした。お嬢様のわがままを聞いてくださり、とても感謝しております。しかし、そのためにあのような大事故になり、ご友人が大変な御怪我をされたとか。」
「ま、こういう仕事していたら仕方ないことっす。それよりお嬢さんが無事でなによりっす」
「それで、ご友人の萩尾様は病院へ通われているのですか?」
「いや。あいつの怪我は病院行って治るような種類のもんじゃないんすよ。ま、薬もあるし、2、3日ほど家で安静にしていれば、たぶんなんとかなるんで。」
「そうですか。通院費もこちらで持つようにと、社長から言付かって参ったのですが。それは良うございました。」
「ま、正直そんなにいい状態じゃないんすけど。まぁ、通院費はいいっす」
「それで竹永様、美樹さまの事なのですが」
「はあ」
「萩尾様が休養を取られているなら、護衛のほうが手薄となりましょう。その間はひとまず先に今までの分を前期分として区切り、お支払いしておきますので、美樹さまをお預かりしたいのです。」
「いいっすよ、あいつは勝手に…、いや失礼、お嬢さんは泊まりに来て頂いていますが、たしかにいまは戦力がないんで、藤代社長のもとにいたほうが安心でしょう。」
「はい、私も同感です。ではさっそく、今夜お迎えに参ります」
「ああ、よろしくっす」
今夜、というのはえらく早いような来もしたが。ま、命を狙われている娘を持つ親心、というわけか。
ま、やかましいのがいなくなって、俺はちょうどいい。かなりの期間に及んだので、謝礼もそこそこあるだろう。
プラス、藤代社長の好意で生活も保証つきだったのだから、いまさらそれ以上たかる気もしない。
護衛の仕事は、いつまでもキリがないので、居座ると金銭の事でやっかいになりがちだ。
ある程度の効果があれば、期間を決めて区切りをつけたほうがいいのかもしれない。
だが。もうひとつ飲み込めないのは、なぜ藤代社長が、俺たちに美樹を任せたのか、だ。
あれほどの財閥なら、通学にはシークレットサービスでもなんでも雇って、後は自宅の豪邸に閉じ込めておくのが一番なんじゃないかと。それではだめな理由が、多分あるんだろう。ま、それは俺たちには関係ない。少なくとも、いまのところは。
17.やっかいな物の怪
執事が去って。
やはりいつまでも持っていても、もったいないので惣菜パンを無理やり食べた。
あたりは人通りがなくなり。冷たい夜風がさあっと吹き渡る。
「そうそう、全部お食べよ。お前の食べる姿はなんだかいいねえ……。」
いきなり声がしてビクっとした。こんなふうに聞こえてくるのは、人間じゃない。いまは誰もいないのだ。
パンの包装紙で隠れていた胸元の水晶が、細かに振動している。
あの薔薇の妖怪のような気がする。なにせ、現実空間で出くわした化け物は、今のところ、彼女だけだから。
クスクスクス……。
ベンチの背後から噛み殺したような笑い声がした。俺は身を硬くして、かまえた。
「わらわのことを、女と認識しているのかえ。かわいい奴よのう。お前、女に不自由でもしているのかい。」
どこからともなく、半透明のイバラのつるがベンチに這い上がり、巻き付いてくる。俺は、なぜか動けない。
「ふふふ…今夜はなにも、取って喰らうわけじゃないよ。そうさ、わらわはあの時の物の怪よ。
でもせっかくお前が女と認識しているようだから、やはりおなごの姿に化身するとしようか。」
すっと、闇の中から一人、小さな細身の女性が現れた。身体には薄いシルクを着て、マフラーかなにかのように、イバラのつるを幾重にもまとっている。肩上までの金髪ウェーブに、白い肌、怪しく光る紫の瞳。
「なんで……(お前がこんな所にいるんだ)」
「佐理どのよ。そなたについてきたのだ。わらわはそなたが気にいったのじゃ。あの時の一撃は、見事であったぞ。」
俺は無言を決めこむ。うまい事を言いながら、いつ襲ってくるかもわからない。
「わらわは今まで、あのような目におうた事はなかった。いつも人間の世界とは少し距離を持ち、あのような淡ノ国のなかで、たった一人ぽっちで過ごしていたのじゃ。時々に人間がフラフラと迷い来たが、そなたとあの男のように強い者とはでくわさなかった。」
「…………。」
「お前と逢うてからじゃ。どうしたわけか、自由に動きまわれてのう。大変愉快じゃ。べつに悪さはしておらぬ。」
彼女ら妖怪たちは夢空間のことを、淡ノ国と呼ぶらしい。
「それにしても、あの連れの男は、なんじゃ。人間の匂いが薄いが我らとは違う。わらわから見ても、奇妙じゃのう。」
「……、お前には関係のないことだ」
「やっと話したな。わらわの言霊縛りを、やはり崩したか。期待どおりの面白い小僧よ。このまま黙っておれば、つまらんので、縛りをきかせて、魂を吸い喰ろうたかもしれんものを。」
「脅しに乗るかよ」
「ほほほ、その勝ち気なところがまたかわいらしゅうて、よいのだ。決めた。わらわはそなたと暮らすぞ。」
「は……あ!?なにをわけのわからん事を……。」
「気にするな。ただついて行くだけじゃ。なにか助けがほしれば、力にもなろう。今時の人間には、わらわは見えぬ。食事も風呂も寝床の世話も必要ないぞよ。」
「そういう事じゃなく……」
「べつにどうという事もない。わらわが、ただ決めたのじゃ。では、必要な時は、いつでも呼ぶがよいぞ」
ややこしい物をかかえてしまった。とはいえ、彼女が消えると同時に、身体に巻き付いたイバラのつるも消え、変な感覚も消えた。水晶も振動を止めた。時計を見ると、20時を少しまわったようだ。そろそろ萩尾も、回復しているかもしれない。
18.帰宅後のこと
帰ってみると。もう美樹の姿はなかった。あの執事が連れ帰ったのだろう。えらく素早いことだ。おまけに、部屋の中はすっかり片付けてある。
美樹の持ち込んでいた私物も、全部消えていた。美樹も、よくアッサリと承知したものだ。今までだって、あの執事が何度も迎えに来てきたが、頑固に断っていたのに。
萩尾を探したが、テレビの前にはいなかった。寝ているのかもしれない。風呂は戸を開けてあり、カラで。
外から帰って寒かったので、そのまま服を脱ぎ、俺は風呂へ直行した。電気をつけ、ざっとシャワーをかぶると、すぐ湯船に浸かった。湯は人肌でちょうどいい。
その時。湯が急にとろみを増した。なんだか葛湯のなかに入って掻き混ぜられたような感じがした。
頭がぐらぐらして、ゆっくり目を開けると、そこに素裸の萩尾がいた。
「うわ!なんだお前、いたのか!電気くらいつけて入れ!」
「……。」
忘れていた。今回はこいつ、完治に時間がかかったのだろう。入る時には電気をつける余裕もなかった、というわけか。
まだ意識がハッキリとしていないのか、人の姿に戻ったばかりの萩尾は無表情である。俺にはその目が時々、爬虫類か何かのように見える時がある。
「もう平気か?」
「……このとおりだ。心配したか」
「まあな。それよりすまなかった、俺が早く避ければよかったのに」
「あれは仕方がない」
「美樹はあの執事が連れてったのか」
「執事?気付かなかったが。美樹はどうした」
「なに!?」
しまった。執事と会ったとき、身分を証明するものもなにも、確認しなかった。部屋は萩尾が風呂にいたので、美樹はノーマークだった。もしかしたら、あれは偽物かもしれない。急いで風呂をあがり、ひとまず先に、藤代社長に電話をかけた。
Next Time ……→(ただいま執筆中。。。)
Dream trip