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蛙鳴蝉噪

メタ・サイエンス・フィクション・ラブ・ストーリー

 私は星川明(ほしかわあきら)が大嫌いだ。
星川の声が嫌いだ。顔が嫌いだ。性格が嫌いだ。匂いが嫌いだ。存在が嫌いだ。とにかく全てが嫌いだ。
視界に入っただけでも脳がストレスという非物質を作り出す程に。
学校では星川が隣の席であるがゆえに余計である。これまで何度か席替えが行われたがことごとく隣は星川であった。
担任に抗議したりもしたが、「そういう運命だ。諦めるんだね」と一蹴され抗議は失敗に終わった。
思い返せば小さい頃からこうだった。
星川とは認めたくはないが幼馴染というやつで小さい頃から私の近くには必ず星川がいた。
まあ、ろくな思い出がなかった気がする。
文化祭も修学旅行も、授業でのペアでも常に星川とセットであった。まさに生き地獄である。
極個人的な考えだが星川との間に幼馴染という綺麗な言葉を使いたくないので先ほどの発言を撤回したい。
私が求めていたのは腐れ縁という言葉だった。
星川の話をしていたら気分が悪くなってきたのでここで割愛する。
思考の中から星川を消し去ると同時に、放課後担任に呼ばれていたことを思い出す。
もしかすると私の抗議を受け入れてくれる気にでもなったのだろうか。
いや運命だと決めつけるような人がそんな聞き分けの良いはずがない。それに若干深刻そうな顔をしていた。
つまりこういう場合、私の成績や素行の話か星川関係の話の二択となる。そしておそらくそれは後者である。
このような場面においてより悪い予想の方が当たりやすいのを知っていた私は、憂鬱な気分のまま職員室へと向かうことになった。


「現在進行形で君達二人はバグに侵されている」
 先生から発せられた言葉の突拍子のなさに一瞬思考が停止する。
ゆっくりと一つ一つの単語を整理し意味を組み立てていくが途中で行き詰まる。バグとは何のことだ。
私が理解できるのを先生は待ってくれているようだが、こちらとしては一切理解できない。
「あの、言っている意味がよく分かりません」
先生はまぁ仕方ないといった顔で話しはじめた。
「まず大前提として、この物語は君達二人のラブストーリーであるはずだったんだ。
しかしストーリーラインが素晴らしい物語を用意しようとして様々なものを取り込んだ結果、一緒に異物(バグ)も取り込んでしまったらしくてね。
主人公である君達にまで影響が出始めているんだ」
「君達二人って、私と誰ですか」
反射的に私は聞いてしまったが、やはり聞かなければよかったとすぐに後悔した。
「君と星川だよ。この物語の主人公は君、早瀬希(はやせのぞみ)と星川明。
そしてこの物語はその主人公である君達によって繰り広げられるラブストーリーなんだよ」
私は勢いよく先生の机を叩く。
「なんで星川となんですか!私たちがどんな仲なのか良くご存じのはずですよね。それにそんな説明では理解なんて到底できません」
先生は後頭部を掻きながら言う。
「一応この世界が物語だっていうことは証明できなくもないんだけどね。それで君が納得できるかはまた別だと思ったんだが」
「証明してみてくださいよ」
私は自分の柔らかい手に力を込めて固くする。
証明できなければ私の鉄拳が先生の顔に風穴を開け、二度とこのような冗談を言えないようにするだろう。
「では君のクラスメイトの名前を一人でもいいから挙げてみたまえ。もちろん星川以外で」
「そんなの簡単です。えっと」
私は少したじろぐ。そうは言ったものの何故か誰一人として名前を思い出すことができない。
しばし沈黙が流れた。
勝ち誇ったような顔で先生がこちらを見ている。殴られたいのか。
「そら、思い出せないだろう。それはこの物語上では君のクラスメイトには設定がないからだ。所謂モブと呼ばれる存在。
設定されていないならそれを知る術はない。逆に言えば設定さえされれば誰だってこの物語に登場できる。脈絡さえあればね。
それでは一つ。ほら、君といつも話をしている親友のことは思い出せるかい」
先生がそう言うと、唐突にその親友と呼ぶべき人物が頭の中に浮かんできた。
確かにそのような子がいたような気がする。それでも顔や風貌、名前などの細かな事は思い出せなかった。
「ほらどうだい。さっきまでは全く思い出せなかったのに、僕が言った瞬間にそれらしい記憶がでてきただろう。
ちょっと設定を追加させてもらった。この際だから教えておくと教師っていうのはこの物語内での僕の配役なだけであり、
本来は物語に異常が出た際にそれを修復するために動くことのできるエージェントなんだ。だから多少の無茶はできる。
それでも、設定を追加するのはあまりしてはいけないんだけど」
私の拳を固くしていた反論の材料が手元からするりと抜け落ちると鉄拳は再び柔らかな手へと戻り、同時に溜息が漏れる。
「信じられないけど信じるしかないんでしょうね、こんな事をされたら。
ただそれでも星川とのラブストーリーという点だけはどうしても納得がいきません。
私は星川が大嫌いだし、星川も私のことは大嫌いなはずで、こんな二人がラブストーリーなんか繰り広げられるはずないじゃないですか」
「そう感じるのは君達がバグに侵されているからであって本心じゃない。本来ならば君達は相思相愛のはずだからね。
それに覚えがあるだろう。どんな時でも必ず君のそばには星川がいたし、星川の隣には君がいたことを。
どれだけ嫌おうが二人は常に同じ場面にいたことを」
「それに関しては確かにそうですけど、なら今はどうなんです?今は私と先生の二人だけじゃないですか」
先生は椅子に思い切りもたれ掛かる。
「それは人間には必ず一人の時間が存在するからだ。家族、親友、恋人、夫婦どんな関係であろうとね。
それに星川と一緒に来いなんていったってどうせ一緒には来ないだろう。だから今日は別々に呼んだんだ。
君との対話を終えた数秒後に星川が来るようになっている。もちろん星川にも全く同じ内容について話すことになるんだけど」
「そうだとして、私たちになにをしろっていうんですか」
先生の顔が引き締まる。最初からその表情で話してもらいたかったものだ。
「現状バグがどの箇所で発生しているのかが解っていない。だから君達にも手伝ってもらいたいんだ。
まあ手伝うといってもこの物語は君達の物語だから、君達は普通に生活していればいいだけなんだけど。
その中で少しでもおかしいと思った事を教えてくれれば、僕はその箇所を調べる。
それでバグが修正できれば一件落着大団円。この物語はハッピーエンドのラブストーリーに元通りだ」
私の眉間には知らずのうちにしわが発生していた。
「私達がおとなしく協力すると思います?嫌いな相手とくっつけられようとしているのに」
先生は顔色一つ変えずに言う。
「君達がどんなに互いを嫌おうとラブストーリー基準のストーリーラインは君達二人をくっつけようとする。
こればっかりはどうしようもなくてね。たとえ物語の主人公っであろうがそれに逆らう事は不可能だ。
なんたってストーリーラインの改変には限界がないからね。例えば君が彼から離れそうになる。
他の登場人物を好きになったりとかね。まあありえないんだが。そうするとストーリーラインがそれを阻むために形を変える。
極端な話その登場人物は消されるだろう。初めからそんな人物などいなかったのだと言わんばかりに。
いやそれどころか二度とそんなことが起きないようにその他の人物という異物をすべて排除してしまい、
この学校には生徒が君達二人しかいないっていう話にだってなりかねない。
君が抗議しに来たときに諦めるように言ったのはそのためだ」
噛み締めた歯が軋み、音を立てる。
「というわけで話は終わりだ。どうせ納得なんてしないだろうからここらで切り上げるとするよ。
あと数十秒で星川があっちのドアから入ってくる。君は反対側のドアから出ていくといい」
私はそそくさと星川が来ないといわれたほうのドアへと向かう。
「早瀬」
先生に呼ばれて仏頂面で振り向く。
「君達の協力を期待しているよ」
先生が微笑みを寄越す。
私はそれの受け取りを拒否してドアを勢いよく開けると、目の前にはドアを開けようとしている星川が立っていた。
星川の顔を見るや否や私は大きく舌打ちをしてその場を去った。
「なんだあいつ」
星川は変なものでも見るような目で走り去っていく早瀬を眺めていた。
それを見た先生は苦笑して呟いた。
「ラブストーリーの矯正力とは恐ろしいな」
先ほどまで早瀬の立っていた位置に星川がやってくる。
「先生、話ってなんですか」
先生はさっきと全く同じ調子で話し始める。
「現在進行形で君達二人はバグに侵されている」


 自分の部屋に戻ってきた私はおもむろにベッドに体を投げ、枕に顔を埋める。
口から漏れ出したものが溜息へと変換され枕に吸収される。
今日聞いた情報量があまりにも多すぎたので整理する。
まずこの世界は誰かしらの作った物語であって、しかもラブストーリーであった。
そして困ったことにこのラブストーリーの主人公は自分であり、絶望なのはその相手が星川だということだ。
さらに現在そのストーリーもとい主人公の私と星川がバグに侵されているらしい。
それ以外にも何か言っていた気がしたがほとんどが頭から流出してしまっていた。
整理して改めて考えてみたが相変わらず信じられない。が、一応証明されてしまった手前信じざるをえなかった。
息をするために枕から顔を離す。
「どうしても嫌だ」
おもわず口から言葉が飛び出す。どうしても星川とくっつきたくはない。
たとえ天地が逆さまになろうが、私と星川以外の全人類が滅びようが絶対に嫌だ。
星川から逃れるために私の脳は今までにないほど高速回転する。
そして逃げ道を必死に探していた脳がある一つの考えを思いつく。
先生の言った話だと私はこの物語の主人公だ。そしてそれがラブストーリーときてる。
つまり、どんな状況になろうと私が死ぬことはないだろうと考えた。他のジャンルだったらこうはいかないだろう。
それならばできるだけ遠くのほうへ逃げてしまおう。星川のいないところまで、たとえそれが地の果てだったとしても。
制服から外出用の服へと着替え貯金箱から全財産を引き出す。
女子高生の全財産などたかが知れているが、それでもないよりはましだ。
玄関のドアを開けると遠くに夕日が見えた。
とりあえず電車に乗ればなんとかなるだろう。
私がこの物語を変えてやる。


「まさかここまで改変されるとは」
 私は赤くて丸い果実が実っている木が生い茂る森のど真ん中で正座させられていた。
「ストーリーラインからは逃げられないといったはずだが」
蛇の姿をした元教師役のエージェントという回りくどいものに説教されている。
 遡ること数時間前、星川から離れるために家を出た私は住んでいる街の隣の隣街まで赴いていた。
ここで私は初めてストーリーラインによる改変というものを目の当たりにする。
最初は気のせいだと思っていたが、徐々に強まっていく違和感に思わず足が止まる。
なんというかとても乱雑に、至る所に壁が生えていたのだ。
住宅と住宅の間、横断歩道のど真ん中などそれはもう普段の生活に支障が出るレベルで壁がそこかしこに生えていた。
私を星川から離れさせないようにするための妨害である。
しかし、壁の高さはせいぜい一メートル六十センチほどとわずかに私より高い程度であったので、私はその壁を根性でよじ登った。
その際、人に見られたら生きていけないような恰好で登っていたが幸い人が近くを通ることはなかった。
壁の上り下りを繰り返し、ここはそういったテーマパークだったかという思いが発生しかけた直後、目指していた駅にたどり着いた。
電車に乗るためにホームに向かった私に第二の妨害が立ちはだかる。
いくら待っても電車が来ない。そこまで田舎ではないのでさすがに二時間も待たなければいけないのは異常だった。
しびれを切らした私が時刻表を確認しにいくと、そこにあったのは白紙の時刻表。
というより白紙の時刻表はもはや時刻表ではなくただの紙である。
しかしここまで来たのだから諦めるわけにはいかず、歩いて隣の隣街まで向かうことにした。
その道中でも妨害は続いた。
唐突に迷路が現れたり、ゲリラ豪雨が発生したり、
数Ⅱの問題を解かなければ開かないドアがあったりなど、以外にもレパートリー豊富な妨害であった。
それを何とか乗り越えてもう少しで隣の隣街に着くというところで、
妨害しても止まらない私に腹を立てたのかストーリーラインが強行手段に出た。
歩いてると急に通りを歩いている人達の動きが止まった。
止まっている人達は古いビデオのように所々がぶれたりしていた。
驚いてその場で止まってしまうと、風景が、時間が恐ろしい速さで逆行していく。
しばらくして何もないまっさらな時空間になったところで逆行が止まる。
そこから地面に草原のテクスチャが貼られ、突如一本の木が現れる。
次に赤い果物が空中に現れ、ゆっくりと木の枝に近づいて行き一つのオブジェクトになった。
キーボードを叩く音が聞こえ、それが止むと木はいたるところに生えており、草原は一瞬で森へと変化していた。
目の前で起きた出来事が理解できず、その場にへたり込んでいると目の前に一匹の蛇が現れた。
 そして今に至る。
「この世界に存在するものに添わなければ僕は存在できないんだ。今回はたまたまこの役があったからよかったものの。
手続きが面倒なので今後はこのようなことのないように。さて元の話に戻そう。
こんな人類起源の話よりも、現代の学生の話のほうがラブストーリーにしやすいだろう。
早瀬、僕の苗字をおぼれているかな」
「えっと、芒原ですよね」
こちらの返答にうん、うんと頷く蛇を好奇の目で見守る。
「そう、僕は芒原だ。それじゃあその物語内での僕の役は?」
「教師で私たちの担任です。ってなんの質問ですか」
先生は何かを説明するとき腕を組む習性があったが、蛇の体である今では腕を組む習性はとぐろを巻く動作に変換されていた。
「現状、君が星川から離れようとしたことで、他の登場人物は全て消えてしまった。
この場合、僕が元の教師役に戻るためには君達二人の認識による再設定が必要でね。
よし、後はそこら辺を歩いているであろう星川の認識だけだ。僕は星川を探してくるので君はここを動かないように」
そう言うと先生役に戻ろうとしている蛇はくねくねと細長い体を揺らしながら、草むらの方へと入っていった。
幸い星川は近くにいたらしく、突然現れた蛇に驚いた声が草むらの方から聞こえた。
数分後、星川とともに見慣れた人物が草をかき分けて戻ってきた。
戻り際に先生は果物を一つもぎ取ると笑いながら言った。
「禁断の果実だらけのこの楽園でも、二人をくっつけるには力不足だったらしい」


 蝉の鳴き声が頭の中に軽い振動を起こしている。
茹だるような暑さの中、私と星川は夏休みの補習という名目で先生とバグについての討論を繰り広げていた。
「星川がバグの根源なんじゃないですか」
暑さにより溜まった鬱憤を晴らそうと私は悪態をつく。
星川は窓際の席で頬杖をついて外を眺めたままで動かない。
「そういうことを言うもんじゃないよ、早瀬。君は知らないだろうけど、実は星川の方がバグによる汚染度が低いんだ。
だからどちらかというと君の方が根源に近かったりする」
「私の方が星川よりも汚染されている?冗談じゃありません、一体どういった根拠でそれを言っているんですか。説明してください」
私は今までにないくらい険しい表情で言う。
先生は星川の方に一瞬目を向けて様子を伺ってから言った。
「君にバグの説明をした後に星川にも同じ説明をした。そのあと星川が言ったんだよ。
『確かにあいつの事は嫌いだけどさ、可哀そうだなとも思うんだよ。毎日毎日嫌いな奴とくっつけられようとして。
ならせめて俺は少し我慢しようかなって思って生活してたんだ』ってね。君は星川を毛嫌いしてしまう。仕方のないことだけどね。
でも星川は多少我慢することができた。だから君の方がバグの汚染度が高いと思ったんだ」
それを聞いた私は不貞腐れてそっぽを向く。
どうしようもない屈辱感と我慢できない幼稚さを正面からぶち当てられた。
というかこんな話をされて星川は恥ずかしくないのかと思った瞬間、窓側から大きな音がした。
驚いてそちらを向くと、星川が机に頭をぶつけたらしくゆっくりと頭をあげるとおでこをこすった。
「おはよう星川」
先生は星川の頭にチョップをかます。
どうやら居眠りしていたことに気付いていたらしい。
私は呆れて溜息をつくと再びそっぽを向いて目を閉じた。


 芒原はディスプレイを眺めながらキーボードを打ち込んでいる。
「現在のバグの進行度は役六割ってところか。このままじゃ不味いな」
ここ数日、早瀬、星川からのバグかもしれない報告は全て宛てが外れていた。
二人の仲は日に日に悪くなっており、謎の再設定が起こる頻度も多くなってきている。
ディスプレイには様々なオブジェクトや場面、人物の名前が打ち込まれており、
それらに対するコンピューターの返答として全ての項目に非検知と表示されている。
芒原はエージェントとして様々な物語に関与しなければいけないため、
一つの物語にいつまでも居座ることはあまりよろしくないことであり、
処理しなければならない物語はまだまだたくさん残っていた。
芒原は唸り声をあげながら考える。
そもそも今回のバグによって影響の出ているものは主人公の二人とこの物語である。
この物語はラブストーリーであるにも関わらず二人は互いを嫌い合っている。
バグに侵されたストーリー部分は私たちに無茶を要求したり、ラブストーリーという物語の根源を変更してしまうこともあった。
この間は唐突にSF小説へと変更され、僕たちは宇宙を漂うコロンビアという巨大なコロニーに強制的に移動させられた。
さらに無茶な要求も同時に発生したことにより早瀬と星川は急遽迫りくる異星人を殲滅し、
あまつさえその異星人の拠点を壊滅させられる羽目になった。
何とかそのストーリー間のバグを修正し終える頃には星一つ無くなっていたが、
本当はラブストーリーなので特に気に病むことはなかった。
最近では特にこういったことが多く発生しており、バグの進行は止むことはなかった。
何か見落としているものがあるのではないだろうか。
ラブストーリーとそれに関係するものを崩壊させうるバグ。
発見しづらい箇所に根付いていると思われるバグ。
それが存在しうる場所、時間、場面。
ふと芒原の頭に一つの考えが降りてきた。
芒原がディスプレイの項目にとある場所と時間を打ち込み、エンターキーを押す。
機械はゆっくりとその情報を処理していく。
ディスプレイに映し出された結果を見た芒原は勢いよく立ち上がるが、何かに気付くとすぐにまた椅子に腰を下ろす。
「そうか、この場面か。過去のいくつかにも足を運んだがこればっかりはすでに確定していると思っていたし、
現在の二人から聞くこともないわけだ。あぁやっと見つけたっていうのに、処理に機能を割いていたから侵入に気が付かなかったよ。
さて、私はどうなってしまうのかな」
芒原はいつの間にか部屋全体を覆っていた黒い靄のようなものに問いかけた。


 ここ数日、先生の事を見ていない。
他の先生に聞いてみても返答はわからないというものだった。
私が芒原という人物を先生として認識しているので、まだ芒原の設定がこの物語に残されているはずである。
しかし今まで必要とされていなかったが故に設定されていなかった他の先生が設定されているということは、
芒原という人物がこの時間、空間に先生として存在していないことを表していた。
バグの修正に行ってしまったのだろうかとも思ったが、
バグの修正は別に先生が情報さえ持っていればバグのある現場まで赴かなくても修正できるのを私たちは知っている。
「ひょっとしてバグに巻き込まれた?」
一見能天気そうにみえる先生だが、そのようなへまをする人ではなかったはずだと思う。
そう考えるとさすがに心配になってきた私は、何か手掛かりを探すために学校中を徘徊した。
様々な場所を散策したが、一向に手掛かりは見つからない。
とぼとぼと廊下を歩いていると向こう側から星川が歩いてくる。
聞こえないように小さく舌打ちをして、下を向いて顔を合わせないようにして早歩きですれ違おうとする。
「早瀬」
星川とエンカウントする。
くそ、と思いながら嫌そうな声でなによと返す。
「お前も芒原を探してるんだろ。見つかったか?」
星川と一緒されるのは大変不名誉だと思ったが、実際探していたので反論ができない。
私は黙って首を横に振る。
「やっぱりか。なあ、職員室の芒原のパソコンって調べたか?
もしかしたら何か手掛かりがあるかもしれないから、ちょっと見に行かないか」
「なんであんたと一緒に行かなきゃいけないのよ」
「俺たちはこの物語の主人公だろ。こういうときは二人一緒じゃないと何かを発見できないかもしれない」
この返答に「いいえ」と選択してもおそらく星川は「はい」を選ぶまで全く同じセリフを吐き続けるだろう。
今は先生を探さなければいけないので、嫌々ながらも一緒に見に行くことにした。
「失礼します」
 職員室には誰もいなかった。
芒原の机に行き、PCを立ち上げる。
幸いロックはかかっていなかったので二人で閲覧する。
デスクトップには配布用のプリントの画像データや授業の資料など教師らしいものが並んでいた。
めぼしいものはないと視線を落とすとタスクバーに実行中のソフトウェアがあることに気が付いた。
アイコンをクリックしてディスプレイに表示された情報に目を通す。
「これって」
言い終わる前に鈍い衝撃が体を駆け巡り、私の意識はそこで途切れた。
「失礼します」
ドアが開き、星川が職員室の中に入ってくる。
星川は床に倒れている早瀬を見つけると急いでそばに駆け寄る。
「おい、早瀬!しっかりしろ」
職員室のドアが勢いよく閉まる。
星川がドアの方を見るとそこには自分にそっくりな、というよりも自分が立っていた。
現状それはドッペルゲンガー等とは処理される事はなかった。
「もしかして、お前がバグなのか」
星川の言葉にもう一方の星川は反応するように顔を歪め、突如黒い靄のように変形した。
黒い靄は襲い掛かるように星川達の方へ向かってきた。
「くそ、ここまでか」
星川は守るように早瀬を抱きかかえ、黒い靄に飲み込まれた。


 眼を覚ました私が最初に目撃したのは胸板だった。
ゆっくりと顔を上の方へ向けると、そこには星川の顔があった。
突然のことに驚いて、星川の体を突き飛ばす。
星川の体は勢いよく転がっていき、電柱にぶつかって止まる。ぶつかった衝撃で星川も目を覚ました。
「痛った。あれ、俺なんでこんなところで寝てたんだ」
私は気を静めるために深呼吸をしてから立ち上がると星川も同時に立ち上がった。
「ここは」
あたりを見渡す。
そこは二人のいつも通っている通学路から少し離れた場所で、
夕焼けに照らされている通路には星川がいつも乗っている自転車が倒れていた。
ここには一度も来たことはずなのに、何故だかその風景に見覚えがある。
ふと何かを思い出す。
それが自分の記憶に根付いたものなのか、最近目撃したものか或いはこれから目撃するものだったかは思い出せない。
でもそうだとするときっと。
「ねぇ」
私は星川に尋ねる。
「今日の事、これから起こる事覚えてる?」
星川は私の後ろを見つめたまま動かない。
何かあるのかと私は振り返る。
そこには黒い靄が蠢いており、目がないはずなのにこちらと目があったような気がした。
それと同時に靄から目が離せなくなり、体が硬直する。
全身から冷や汗が噴き出し、本能がやばいと告げている。
次の瞬間、黒い靄がこちらに向かってきた。
星川は急いで自転車を立てて乗ると私に促す。
「早瀬、乗れ!」
星川に呼ばれたことで体の自由が利くようになり、促されたように自転車の後ろに乗ると星川が勢いよく自転車を漕ぎ出す。
私は確認するために後ろを振り向く。黒い靄は少しずつ距離を詰めてきているようだった。
「星川、近づいてきてる」
星川は一層強く漕ぎ出すが、それでも距離が離れずにじりじりと近づいてくる。
靄が近づくほど、何故か星川への嫌悪感がここぞとばかりに表へ出ようとする。
酷く強く、次第に抑えられなくなっていく。
私の手が勝手に星川の首へと回り、力を込め始める。
「早瀬、何を」
星川は驚いて一瞬漕ぐのを止めかけたがすぐにまた漕ぎ出す。
私は涙をこらえることができずに泣き出してしまう。
「ごめん星川。でも、自分で自分を止められない」
私の手はさらに力強く星川の首を絞め、星川の意識が薄れていくのを感じとる。
だが星川は何かを思い出したらしく、気力を振り絞り私に問いかける。
「早瀬、思い出せ。もう一人の登場人物の名前を」
登場人物。私の頭の中にある一つの名前が現れる。
それは酷く懐かしく感じ、自然と口から零れ出す。
「すすき、はら?」
微かに私の手に込められていた力が緩む。
星川は笑顔を繕い問い続ける。
「そうだ。そしてこの物語の中での芒原の役は」
星川の問いで記憶の片隅に追いやられていたある人物を思い出す。
一見能天気そうにみえるが、私たちの事を親身に考えてくれるあの人物を。
背後まで迫った靄が私の首に絡みつこうとしたと同時に、私は大きな声で答える。
「私たちの、先生!」
「修正項を補足。ただちに修正を開始します」
「やれ」
回答に応えるように少し低めの女性の声と聞き覚えのある男性の声が聞こえた。
次の瞬間、靄が壁にぶつかったように仰け反り、悶えるようにその場で蠢くと靄の内部から光が溢れ全体を覆いつくす。
靄は抵抗するようにのたうち回るが、光に完全に包まれると次第に小さくなっていき蒸発したような音を出して消滅した。
星川がブレーキをかけて止まり、肩で息をする。
「これ外してくれない?」
私は星川の首に手を回したままだったことに気付き、すぐに手を離す。
「ごめん、星川。苦しかったでしょ、大丈夫?」
謝ると星川は笑いながら大丈夫だと言ってくれた。
「それよりもさっきの声」
「やあ」
星川が言い終わるまえに聞き覚えのある声が割り込む。
声がする方を振り返ってみるとそこには先生が見慣れた姿で立っており、こちらに微笑みを寄越している。
「君達のおかげで何とか戻ってくることができた。バグの根源を発見できたのは良かったけど侵入に気が付かなくてね。
設定を消されかけていたんだ。それにしても星川、よく認識による再設定を覚えていたね」
「正直、一か八かだったんだけどな。
二人が認識できているということは設定されうるということ。
この場面に直接呼ぶことができるんじゃないかと思っただけだよ」
「でもその機転のおかげでバグを修正することができたわけだ。ありがとう。
さて、問題も解決できたことだし今日は疲れただろう。ゆっくり休んでくれ。
送っていこうとも思ったが邪魔になるだろうから、僕はこれで失礼するよ。じゃあまた明日学校で」
そう言って先生は夕日に向かって去っていった。
「帰ろっか」「帰ろう」
二人同時に言った事に、私と星川は顔を見合わせて笑う。
星川は自転車を再び立て、私は自転車を挟んで星川の隣に並んで歩き始める。
しばらくの沈黙ののち、私は口を開く。
「ねぇ」
今二人のいるこの場所はラブストーリーの根源だった。


 芒原が学校の裏口で煙草を吸っていると、早瀬と星川が芒原の方へやってきた。
「あれ先生、煙草なんて吸ってましたっけ」
「教師役の芒原は吸わないよ。でもエージェントとしての芒原は吸うんだ」
芒原はポケットから携帯灰皿を取り出して煙草を入れた。
「先生、この学校を辞めるんですよね」
早瀬が芒原に尋ねる。
「離任という設定でね。もう君達の物語に教師は必要ないだろう。
本音を言うともう少し君達のやりとりを見ていたかったが、元々私はこの物語の登場人物じゃないからね。
エージェントとして派遣されただけで、教師というのはこの物語内で動くために必要だった役柄だ。
でももし君達が私がいなくなった後も、私を先生だと思ってくれるのなら私はとても嬉しい。
改めて、卒業おめでとう」
芒原は早瀬、星川と握手を交わした。
「さて、最後の挨拶も済んだことだし、それじゃあ私はそろそろ戻るとするよ。
最後に君達の卒業祝いとして些細だがプレゼントがある。目を閉じてもらってもいいかな」
言われるままに早瀬と星川は目を閉じる。
芒原は優しい声色で言った。
「私の仕事を手伝ってくれてありがとう。
君達二人は私の誇りだ。末永く幸せに暮らしてくれ。
それじゃあ、またいつか」
言葉が途切れると、強い風が吹いた。
風がやんだ後に早瀬と星川が目を開けると芒原の姿は無く、辺りを見渡すとそこが学校ではないことに気が付いた。
二人にとってとても大事な場所。
そこは二人がバグに追いかけられた場所であると同時に、二人が恋人になった場所であった。

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今二人のいるこの場所はラブストーリーの根源だった。

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2019-10-18

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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