蜜と月

千(アンデル)

  1. わたしのお父さん
  2. 彼女がアロハに着替えたら
  3. パンドラの箱
  4. スイム
  5. 居場所
  6. 訪れ

わたしのお父さん

先生、わたしずっと皆にも先生にも秘密にしてましたけど打ち明けます。先生にだけ言いますね。わたしのお父さん、普通に会社勤めをしてるって今までは嘘ついてましたけど、お父さんは、わたしのお父さんは、救世主なんです、実は、ほんとはそうなんです。

お父さんは、まだ子供だった頃に異世界とかいうわたしにはよくわからないけどそういうところに迷い込んで、そっちで今の職業を得たとか何とか自分で言ってます。最初は近所の子供達数人でがやがやと英雄ごっこ感覚で、ってこちらの子供は向こうの世界の魔法やら何やらに適正があるとかで、ほんとにあっちじゃ英雄扱いだったそうなんですけども、まあそれでこっちとあっち行き来しながら、放課後や休みの日なんかに、冒険だったり救世だったりをやっていたそうなんですが、でも段々と、よく晩御飯時に外で遊んでたりすると誰かのお母さんがごはんよーって呼びに来たり、自分からもう帰らなきゃとか言い出す手のかかんない子がいたりして、一人減り二人減り、日が暮れて、気が滅入って、そうやってほんとうに、段々と後ろめたいような寂しいような雰囲気になっていきますけども、そんな風にして、お父さん達の英雄ごっこも人数が少なくなっていったって、そうお父さん言ってました。勉強が忙しくなった子やら気まぐれを起こした子やらが、刷毛の先が抜け細ってくようにして、少しずついなくなっていったって言います。

お父さんは才能があったらしくて、友達や何かや向こうの偉い人たちからも天才だ救世主だってもてはやされてたそうです。そりゃ悪い気はしなかったそうですが、それで潮時を逸してしまったのかも知れないとは言ってました。お父さんとお母さん、それからお父さんと特別仲の良かった立花のおじさん、その三人でしばらくはあっちに通ってたそうです。あちらの世界の人たちはほんとに困ったことになっていたそうですし、お父さん達のことを心底頼りにしていたらしいです。自分達が必要とされていて、世界のために役に立てるんだったら、もうしばらくは、実生活を多少犠牲にしてでも、でき得る限り、どこまでも一緒にやっていこう、って、そう三人で話し合って決めたそうです。

それでも高校生になる前には、お母さんは向こうに行くの止めたって言ってました。女の身にはきつくなったって話です。立花のおじさんも高校の卒業後には家業を継がなきゃならないことになって、あっちには行けないようになったって言います。どうにか引き止めようとしたお父さんとはけんか別れみたいになったそうです。それからは何年間も、偶々道で会ったりした時でも、お父さんとおじさん、お互い口も利かなかったみたいです。お父さんは、後から考えてみれば、立花のおじさんへのあてつけも手伝ってたのかも知れないとは自分でも言ってましたけども、自分だけはいつまでもあっちの世界のために働こうと誓ったそうです。あちらの世界に骨を埋めようと、真剣に考えたみたいです。いっそ永住しようとすら一時は思い切ったそうなんですが、両親や友人達、生まれ育った懐かしい土地のことなどを思うと、やはりこちらの世界への未練は断ち切れなかった、とかなんとか、何かの時に語っていました。

そのうちに、世の中よくできたもので、こっちの世界では職もなく収入もないお父さんを助けようと後援会が作られたんだそうです。この会には立花のおじさんや、お父さんのむかしからの友達の人たちも入ってくれてます。まあお金のほとんどは会長の山本さんっておじいちゃんが出してくれてるんですが、この人もやっぱりむかし、子供の頃にあっちの世界へ行ったことのある人だそうで、お正月なんかに内に遊びに来てお酒を飲みながら、君のお父さんはみんなの夢の続きを見せてくれる大事な人なんだって言って、お父さんを褒めてくれます。山本さんが言うには、あまり知られていないことなんだそうですが、よくよく探してみれば、世の中にはお父さんのように異世界とかで大人になってもがんばっている人が何人かはいて、それぞれにやっぱりその人の後ろ盾になってあげている人たちがいるとのことです。お父さんがお母さんの実家に、娘さんを下さいって挨拶しに行った時、異世界で英雄をやってますじゃ話にならん出直せって、それはそれはやっかいな揉め事が起こったそうなんですが、その時も山本さんが助けになってくれて、どうにか縁談が纏まったんだそうです。お父さんは、あの人のいるほうには足を向けて寝れないって、毎晩のように、おやすみの代わりみたいにして唱えています。

お父さんは、向こうのことばかりに掛かりきりになり過ぎて、こっちじゃ何の役にも立たない人間になってしまった、って、たまに自分でも嘆いたりなんかしてます。お母さんも、けんかの時になんかは、そんなようなことがつい口から出てしまうみたいです。わたしも、お父さんは何の役にも立たない人だなって、思ってました。でも最近はまたしばらく仕事が落ち着いてきたとかで、お父さんはわたしとキャッチボールなんかをして遊んでくれます。お父さんはなかなか遊戯巧者で、相手をしてもらうと面白いです。それにどんなに忙しそうな時でも、お父さんは、やっぱり、どこか楽しそうに見えます。自分にはこれしかできないし、結局好きでやってる、それにどんな仕事でも、誇りを持ってやればりっぱなものになるよ、って、お父さんはいつだか誰かに、ちょっと言い訳でもするみたいにして話してました。会の集まりなんかでは、お父さんのあちらでの冒険の話を、会の人たちは皆みんな、子供みたいに目を活き活きとさせて、他の世間のことなんかはその時だけはまるっきり忘れてしまったみたいにして聞いています。お母さんも、そんな時にはお父さんの姿を憧れるような表情で見つめているんです。お父さん自身も嬉しそうに得々と話します。お父さんは、たぶん幸せ者です。以前はわたし、お父さんの仕事ってばかばかしいだけものだとか考えてたんですが、今は何だか少し、夢のある良い仕事なんじゃないかなって気がしてきているんです。

どうなんでしょう? 先生、これってただ情に流されて、わたしそんなふうに感じてるってだけなんでしょうか?

彼女がアロハに着替えたら

彼女がアロハに着替えたら、そこはハワイだった。

「どうしたのよ? 狐につままれたような顔してさ」と、波に足を洗わせながら、彼女が年寄りのようなことを言う。

さっきまで、彼女の部屋だった。気まぐれに購入したアロハで、さっそくファッションショーを、という所だった。

説明を求めてみれば、「何がどうなった? って、新婚旅行でしょう? ハワイでしょう? じゃあやっぱり、アロハでしょうよ!」とのたもうばかり何ら要領を得ない。

しばらく浜辺で遊び、パラソルの陰でトロピカルなものを飲み、「なるほどハワイは比較的湿度が低い」と納得したりなどし、何やら海外旅行の効用のひとつとも考えられる俗世離れしたような気分にもなった。なにげなく彼女に「今年は何年だっけ?」と尋ねると、「平成……年よ」という答えが返ってくる。どこにやら消えたぼくの2年間。

二人で楽しくキラウェアや風の何とやらなどを観光し、ホテルへ戻った。すばらしきかな蜜と月。就寝時間となって、彼女がわざわざ持参してきたいつものパジャマに着替える。すると、そこはどうやらぼくたちの新居であるらしいのである。

ハワイはどうであったか? というようなことをぼくが聞くと、彼女は「楽しかったね」と微笑んだ。

その晩、ぼくらはおやすみのかわりに「アロハ」を交わした。

パンドラの箱


パンドラが箱を開けると、中から少し小さな、箱を持ったパンドラが出てきます。
 
その小さなパンドラを、だまし、すかし、滔々と因果を含めて箱を開けさせると、やはり、さらに小さな、箱を持ったパンドラが出てきます。
 
それを何度も繰り返します。いつまでも、どこまでも、箱を持ったパンドラが出てきます。
 
箱とパンドラの大きさはあまり変わらないくらいですので、縮小率はある程度ゆっくりとしています。
 
15人のパンドラと15個の箱がそろったあたりで、初期のパンドラたちは少し可笑しさがこみ上げてくるのを感じて、目を見合せ微笑を交わします。
 
最初のパンドラはちょっと気になったので自分の背のほうを確認しますが、自分よりも大きなパンドラなんていうものはそこにはいません。少しがっかりしつつも、やはり私が最初のパンドラなんだと安心します。
 
半日ほどその手順を続け、もうそろそろいいでしょう、と大勢のパンドラたちは話し合います。それぞれの箱に帰ろう、と。
 
「わたしはどこに帰ればいいのよ?」そう言って、最初のパンドラが議論をまぜっかえします。

スイム


 夢の世界の水が枯渇してしまったので、僕は恋人を連れて、傍目にはピクニックにでも見えるような普段着的な装備で、干上がってしまい、僅かな水が怠け者の蛇のように這って進むだけの川床を、あるかなしかの水源を求めるという、そんな自覚すら持たずに旅をする。諸所で出会うのは大陸式のスマートな線で造られた、朽ち果てかけた、蔦をまとった仏像。存在感は薄く、背景の一部、といったようなもの。二連の水車に行き当たったり、恋人と彼岸此岸に別れてしまって、丸木を渡して橋を作ったりしながら進む。
 昔の夢では、水は世界のうちに、漫々と湛えるようにあった。たとえば広大なデパートの、天上にある小さな遊園地まで続くかと思われる螺旋階段、その一段を誤って踏み外せば、そこは怪魚の遊ぶ海、または湖だった。泉にかかる橋を渡ろうとして、途上、頭の上をイルカくらいの大きさのものが踊り跳んだこともある。ある丘で友人との待ち合わせに遅刻して出向いたこともあるが、丘は一面に湧く水で溢れかえっていた。くるぶしか、ひざくらいまでを水に洗わせながら、僕は友人達からお説教を食わせられていた。丘の廻りは遠浅の浜辺で、人を襲う鰐が待ち構えていた。荒れる海岸を、その砂浜を、車で移動したこともある。そこは正式な国道で、他に道などはなく、皆平然と車を高い波にさらわれる危険を冒して、時には波に姿を完全に隠してしまうほど、水を受けながら、交通している。世界を廻れるほど巨大な客船が、右か左か、僕がどちらにどの程度留まるかのバランスひとつで、転覆してしまうという憂き目に合ったこともある(その船の甲板上は確か水族館のようなものになっていた)。船の縁や舳先を、僕は大忙しで移動して廻った。どちらかの縁で、暗い海面がほんの鼻先まで迫るようなこともあった。草の繁生した水面を魚にうるさく纏いつかれながら泳ぎ、遠い水上住居を目指したことも、川を、毛のふさふさした怪物を連れて、その怪物の首につけた縄を手にして泳ぐ紳士風の男性を横目に、しっかりと縄を持っていてほしいものだと少し願いながら、泳ぎ遊んだこともある。世界が海に変わってしまう兆候さえあった。人が鯨になる奇病が流行した。イルカサイズの鯨で、政府が高いビルを作り、長方形の透明な小さな海に入れて、眠った鯨たちをそこで保管していた。今年の三月くらいであっただろうか、僕は海岸の岸壁に住まう部族のひとりで、遠いところから小舟に乗って帰ってきた巫女風の少女を出迎えた。岩場に舳先を入れた舟に向かって僕は手を差し伸べた。落ちかけた太陽が、海上から何もかもを黄金色に彩ってくれていた。
 現在、夢の世界の水が枯渇してしまっていて、僕は恋人を連れて、あるかなしかの水源を探すべきなんだと思う。水はいつだって、恐ろしくて懐かしい。

居場所


……それでわたし、『居場所がないなぁ』って感じてたわけなんですけど、つまりやっぱりそういうことなんでしょうか、これって? ええ、聞き分けが良すぎるとはたまに言われます。しかしここ、ほんとうにどこなんでしょうね? 出て行けそうなドアも見当たらないし、というか、わたしさっきまでは確かに自宅に居たんですけれど。あなたもこの部屋に着いたばかりなんですね、といっても時計も電話も煙草も一式忘れてきてしまったので、どれだけ時間が経過したかについても確かなことは言えないって、いえいえそんなことはお気になさらずに。やはりあなたも『居場所がない』と感じているうちにここにいたんですか、いったいどういう状況で? わたしと似たような状況ですか、恥ずかしながら……って、いえ、ほんとうに、気にしないで下さい。ではやっぱりここはどこでもないところってことになるんですね。なるほど、そうですね、『居場所がない』って感じた人のための場所ということになるのかも知れませんね。わたしたち、これからどうしましょうか?

実はけっこうほっとしてます。何か変に解放された感覚、というか安堵でしょうか? ありますよね。得体の知れない非常識な存在に誘拐か何かされたんじゃないかっていう可能性もありますけど、なんだろう? なんていうか肌に触れてくる雰囲気が違うっていうようにも思います。すごく気が楽だし、条件さえ許せば、ずっとここにいたいような。もういいんでしょうか、どこにも居なくても。お役御免、厄介払い、されたってことで、もう戻らなくても。まあ実際、そうのんきなこと言ってられないのかも知れないですけど。残してきたみんなはどうしてるんだろう、ってどうしても考えちゃいますよね? わたしが急に居なくなって、驚いて探したりしてるんでしょうか? 確かにあなたが言うように、人間が忽然と消えちゃうような、そういう不思議な話って世の中にはなかなか出回っていないですから、きっとこのままあっちには帰れないんだろうって感じがするし、代役なんかももしかすると立ってるのかもですね、それとも実はこっちが本体から分離した幽霊みたいなものに過ぎなかったり、もしくはもとから何にもなかったことになってるか。たぶん自然に進行してるんでしょうね。そういうふうに考えると少し寂しいですけれど。すみません、そうですね、わたしたち、考えが少し悲観的過ぎるのかも知れないですね。

ひとつ気にかかることがありますね。わたしたち二人でこの部屋の定員いっぱいだったら良いですが、同じような人はわたしたち以前にも当然たくさんいただろうし、ここは新規に分り振りが始まった部屋だっていうことにもなるのかも知れない。三人目が来たりしたらちょっと嫌、というか、なんでしょう、わたしまたも立つ瀬がないというようなことになりそうな予感がします。あなたはむしろ新しい人はわたしと話が合いそうな気がしてるって、そうおっしゃるんですか? まあ、そのことは一旦忘れましょう、気持ちが暗くなるだけですから。話を少し戻しましょうか。もしかしたら過去この部屋に居た人たちがみんな、最後のひとりも含めて全員『ここにも居場所がない』と感じたのかも知れないです。そういうふうに考えると、何だか奥深いものがありますね。でも、そうだとしても、この部屋が現にあったわけですから、ええ、きっと今以上に悪くなることはないかなって、そうやって楽観していても良いような気がしています。

訪れ


 友人が何やら引越したとかで、その新しい住まいにお邪魔することとなったわけなのである。
 
 小さな公園である。3月で、まだ冬も、ズボンの裾を踏まれてでもいるらしく、どうにも動けず、立ち去りかねているといったところ。水の供給を絶たれた小ぶりな噴水、泉の残骸、それぞれに古びた、ベンチ、シーソー、ブランコ、などなどが、佇むようにあるのみで、まことに寂しいばかりである。
 まだ花をつけていない桜の木が、天井にできたひび割れのようにも見える枝を、公園の狭い空間いっぱいに覆いかぶせている。その桜の木の根元近くの地面、金属製の、サビのきた蓋を開いて、友人が顔を見せる。「ようこそ。まあ入れよ」と、こちらを招く。
 
 縄造りの梯子を降りると、部屋は六畳ほどの広さで、かろうじて足元は(湾曲した部屋に合わせて作られたと思しき)畳敷きであるが、あとは壁面から何からすべて土がむき出しである。天井部の中央からは照明が吊り下がっていて、出入り口となる梯子付近のスイッチと連結しているという。手動でもオンオフが可能であるらしく、長い毛糸のひもが継ぎ足してある。壁面には空調が取り付けられており、室内はわりあい暖かい。小さなテーブルを囲むようにして据えられた座布団のひとつに落ち着くよう勧められる。お茶が沸く。客用の湯飲みがダンボールから出てくる。「まだ片付いてなくてね」といい訳じみたことを聞かされる。
 
 部屋の奥には三つの洞がある。訊ねると、「ひとつはまあ押入れとキッチンが一緒になったみたいなもんだよ。もうひとつはどこに繋がってるのか、大家さんも誰も彼もみんな知らない。あとのひとつはお隣さんのとこへ繋がってる」
 ひとつの機会だから紹介しとこうか、と友人は自分自身に聞かせるみたいに言って立ち上がる。そしてこちらの都合などは訊かずに洞のひとつへ声をかける。お茶をいれましたよ、よかったら一緒にどうですかとかなんとか朗らかに言っている。
 
 奥のほうで返事があって、暗いところから着物姿の女性が出てくる。手には盆、餅が乗っている。「お茶請けにと思って」と、会釈しながら。
「こちらは」友人が女性を示して、「お隣に住んでる桜の精れ……」と言いかける。
「やめて下さいよいやですよもう。わたしはそんな精霊なんて柄じゃあないですよ」と、笑って、「こういったら自分のことでも、まあ何ですけれど、わたしのことは、化け物とか、妖怪なんかの親戚みたいなもんだっていうふうにでも思ってて下さいよ」
 いやいやはははなかなかそうは、と友人はなおも朗らか。お隣さんに席を勧め、「そしてこっちが僕の友人の」と、こちらの身の上を。
「ああ、ではむかしっからのお友達なんですねえ」と桜の人は感心したように言う。友人は一度「キッチン」と呼んだ洞に消え、中から水を流す音や、食器の触れ合う音が聞こえる。湯飲みを手に戻ってきて、お隣さんにもお茶を淹れる。
 
 お茶を飲み、茶請けを食べ、この部屋の来歴、代々の居住者、部屋にまつわる言い伝えじみたものなどについて雑談する。別れ際に「今年は新しい人も来て住んで下さってるから、わたしも張り合いが出ます。わたしが花をつけたら、ぜひあなたも見に来て下さいね。ええ、きっとですよ、その時は」と、桜の精。答えて、ええほんとうに、待ち遠しいですね、きっときれいな花になるんでしょうねえ。

蜜と月

蜜と月

ぼくとあなたと蜜と月とその他すべてのものごとについてのあれやこれやに関する短い読み物をいくつかまとめています。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2019-10-14

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