先斗町でJAZZを

桜木 武士

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先斗町歌舞練場の前にある、古い雑居ビルの一階にBAR魔女花はある。
俺が初めて魔女花で飲んだのは、二十歳の時だった。当時の俺は少し稼げるようになった左官職人で、若さに任せて毎晩飲み歩いていた。
とは言っても、二十歳のガキが稼ぐ金などたかが知れている。京都一の歓楽街である祇園で遊ぶには程遠く、もっぱら若者が集まる木屋町で遊んでいた。鴨川を挟んで東側に祇園があり、西側に先斗町、木屋町がある。木屋町は飲屋街だが、先斗町はお茶屋が並んでいて若者が遊ぶような店はない。
その日、俺は竜介と二人で、夕方から木屋町で飲んでいた。晩飯ついでに居酒屋で飲み始め、ガールズバーとキャバクラをはしごして、最後は安いカラオケスナックですっかり出来上がっていた。
帰るつもりで店を出た俺と竜介は、静まり返った先斗町をふらふらと歩いていた。京都のお茶屋に電飾看板はない。それに日付けが変わる頃には店も閉まっている。歌舞練場の前に差し掛かると、向かいにJAZZと書かれた古く小さな電飾看板があった。
「ちょっと健次。あれ見てみ。おしゃれな店あるで」竜介が俺の肩に腕をまわして店を指差した。
「おー。ほんまや。JAZZやって」
俺たちの声は、静まり返った先斗町の細い路地に響いていた。
かなり年季の入った雑居ビルの一階に、古い木製の扉があり、横にはオレンジ色に灯る照明が、入口をやわらかく照らしていた。照明のすぐ下の壁面には銀色の銘板が埋め込まれていて、黒字でBAR魔女花と書かれていた。
時計を見ると四時だった。客の心理として、初めての店には入りづらいものだ。ましてや、この時間だ。しかし、すっかり出来上がっている俺たちには関係なかった。
「入るやろ。健次」
「当たり前やんけ。JAZZやで、JAZZ」
もはやイケイケ状態の俺は、古い木製の扉を勢いよく開けた。重めの扉はギィと音を立てた。同時にカランコロンと優しい鐘が鳴った。
店内は木製の扉、カウンター、壁にいたるまで深いオーク色で統一され、床にはレンガ調のタイルが敷き詰められていた。年季は感じるものの、隅々まで手入れが行き届いていて清潔感があった。
ダウンライトも光量が適度に絞られており、上品な大人のムードを演出していた。BARやJAZZとは縁のなかった俺は少し圧倒されると同時に、セピア色の外国映画の世界に入り込んだ様な気分になった。竜介も同じ様に感じたのか、無言で店内を見回していた。
「いらっしゃいませ。お二人?」
カウンターの中から、マスターらしき男が笑顔で対応してくれた。
「そ、そうです。まだやってますか」
店内には客の姿はなく、聴いた事のないJAZZというジャンルの曲だけが響いていた。
「どうぞ、どうぞ。お好きな席に」
俺と竜介は言われるまま、十席程あるカウンターの中ほどの席を選んだ。
「お飲物は何になさいますか」
おしぼりを置きながら、マスターが笑顔をくずすことなく言った。こういう店での飲み方が解らず、竜介を見ると目が合った。竜介も同じ思いの様だった。
「とりあえずビールもらえますか。竜介もビールでええやろ」
「そ、そやな。とりあえずビールやな。こういう場合」
何度も大きくうなづきながら竜介も同意する。
「マスター。お店は何時までやったはるんですか」
ビアグラスに注がれたビールを、一気に飲み干してから笑顔のマスターに聞いた。
「五時までは必ず看板つけてます」
マスターが笑顔のままで答える。年令は四十代半ばくらいだろうか。黒髪に軽いパーマをかけている。中肉中背でがっしりとした体格だ。
白いシャツにネクタイ、エプロンが可愛く、違和感がなかった。
「ほな、もう終わりですやん」竜介も勢いよく飲み干してから言った。
「五時までに入ってくれはったら、多少は大丈夫ですよ。七時までは困りますけど」
「七時までは俺らも無理ですよ」そう言いながら隣の竜介に目で同意を求めた。竜介も大きくうなづいた。
「私は長岡に住んでましてね。阪急で帰るんですけど、七時まわると通勤ラッシュで大変なんです」
俺と竜介のグラスにビールを注ぎながら、マスターは顔をしかめた。満員電車の不快さを感じて、俺も顔をしかめた。竜介を見ると同じ顔をしていた。
「そやけど、京都から長岡方面は混んでないんとちゃうんですか。逆は解りますけど」
「そう思いますでしょ。それがそうでもないんですよ。大阪に行く客が結構いやはるし、阪急沿線は大きい会社に工場が多いんですよ。キリンもサントリーもあるしね」
「なるほど」俺と竜介は大きくうなづいて納得した。
「何か曲のリクエストあれば言って下さいね。曲のリストもありますから」
カウンターバックの酒棚と並んでLP盤のレコードが並んでいる。かなりの枚数だ。
はいと返事をしたものの、JAZZの曲なんか知らんしと思いながら曲名リストをめくっていると、聴いた事のあるメロディーが流れ出した。
「この曲知ってますわ。よく流れてますもんね」
「うん。知ってる、知ってる」
俺がそう言うと竜介も相づちをうった。
「そうでしょ。サッチモは有名やし、CMとか映画でも使われてますからね」
「サッチモて言う歌手ですか」
竜介がグラスのビールを空けて聞いた。
「名前というか愛称です。黒人のジャズミュージシャンでね。サッチモて言うのは、日本語で言うとガマグチみたいな意味かな」
「ガマグチ?」
「そうそう。口元がね、ガマグチみたいやから」
そう言うと、マスターは笑った。
俺たちの様なJAZZの事はもちろん、飲み方も知らない一見のガキに対して、愛想よく丁寧に接客してくれるマスターに俺は親しみを感じた。
サッチモを聴きながら、ビールを数本空けた。やけに静かになった竜介をみると、首をポッキリと前に倒して夢の中へ旅立っていた。
時計を見ると六時を少し過ぎていた。
「マスター、遅くまですんません。おあいそお願いします」旅人を揺り起こして会計を済ませた。
「また、寄せてもらっていいですか」
「是非是非。気使わずにいつでも来て下さい」
マスターが笑顔で扉を開けてくれた。カランコロンという優しい鐘の音がマスターの心を表してるように感じた。

2

「いらっしゃいませ。おー、健次君。まいどまいど。お二人?」
「うん。二人」カランコロンと鐘の音を鳴らせて店に入ると、カウンターの中ほどの席に先客が三人いた。いつものように、一番奥の席に美奈と並んで座った。マイルスデイビスが流れている。先客のリクエストだろうか。俺も好きなアーティストだから気分も高揚した。
「お飲み物はどうしましょ。健次君はいつものでいいかな。彼女は何にしましょうか」
マスターがおしぼりとコースターを出しながら、笑顔で聞いて来た。
「うーん。何しよかなー」美奈が甘えた声で首を少し傾げた。
「マスター、任せるし、飲みやすいカクテル作ったって。ええやろ。マスターのカクテルおいしいで」マスターのカクテルは客には評判で、俺が連れて来た女たちにも受けが良かった。
「俺のボトルはまだある?」
「大丈夫。ストックもあるから」酒棚から迷う事なくボトルを取り出しながらマスターが言った。美奈に嫌いな果物などはないかと聞いてから、手返しよくシェイカーを振り始めた。美奈の前にカクテルグラスが置かれた。注がれたのは薄いオレンジ色のカクテルだった。
間をおかず、俺の前にもロックグラスが置かれた。酒はバーボンウイスキー。JAZZにはバーボンが似合う。
美奈に向いて小さく乾杯と言った。
「めっちゃ、おいしい」美奈が目をくりくりさせながら言った。
美奈は祇園のクラブ「LEON」のホステスだ。年は二十歳。短大生で、週に三日店に入っていた。店では人気がある子だ。確かに可愛いし、スタイルも抜群だった。俺にとっても、ど真ん中のストライクだ。
この時、俺は二十五歳になっていた。左官職人を続けて一年前に独立して会社を興した。社員は二人。現場の手配や段取りをする、工事部長の藤田勝と経理、事務担当の青木玲子だ。
社員ではないが、現場で作業する職人と見習いが、十人程在籍している。大半は俺が現場で育てた奴らだ。中学生の頃からの後輩達もいる。なので会社にしてからも、職人達は俺の事を健次君とか親方と呼んでいる。仕事が忙しく、職人が足りない時には、俺も一緒に現場に出ることもあった。
仕事は順調だった。顧問税理士の守田の評価もまずまずで、売り上げも増えているし、利益率も高いとの事だった。だが会社に金が残らない。理由は簡単で、俺が使い過ぎているだけだった。守田が会社に来ると、いつも使い過ぎを指摘された。親子程年が離れている俺の事を、守田はいつも親身になって考えてくれた。
ただ俺は何度指摘されても、使い過ぎをあらためる気はなかった。朝早くから、汗とセメントまみれになって頑張って来たのも、無理をして会社を立ち上げたのも、高級車を乗り回し、毎晩祇園でかっこ良く遊ぶためだから。
祇園には、三日に一度は飲みに出ていた。馴染みの店も増えてきた。同伴も気前よくしてやった。有名ホテルのステーキハウスや鮨屋、祇園町の割烹料理の店などにも顔が知れるようにもなってきた。
毎日のように、あちこちの店の女の子から電話がかかってくる。店が終わった後も、女の子を何人も連れて飲み歩いていた。
今日は店が終わってから美奈だけを連れて出た。俺にとって美奈は特別だった。性格も良かったし、夜の女の子特有のすれた感じも全くなかった。
美奈もアフターで嫌々付き合ってる訳ではなさそうだった。それどころか、俺に気があるように見えた。
「健次君は何のお酒飲んでんの?」
美奈が少し首を傾げて聞いてきた。
「JTSブラウン」美奈の視線を横顔に感じながら、俺はロックグラスの氷をカランと鳴らした。
「JTSブラウンをおろしてんのは、俺だけやで。この店で」マスターに、サッチモをリクエストしてから俺は言った。
「これだけあんのに、このお酒は健次君だけなん」美奈は店内を見回しながら、少し驚いた様子だった。
確かに美奈が驚くのも無理はない。カウンターバックの酒棚だけじゃなく、客席の後側の壁も酒棚になっていて、びっしりとボトルが並べられている。
本数にすればかなりの数だ。この店はボトルを流さない。何年でも置いてある。俺も初めは客席数の割に、多過ぎるボトルの数に驚いた。
その事よりももっと驚き感心した事は、誰のボトルがどこの棚にあるのかを、マスターが全て覚えている事だった。日頃から古いボトルから新しいボトルまで手入れをしているのだろう。
銘柄はワイルドターキー、フォアローゼス、アーリータイムス、ジムビームなどなど。
俺も初めはターキーを飲んでいたのだが、ある事がきっかけで”JTSブラウン”を飲むようになった。友人から勧められて観た映画“ハスラー''の影響を受けたのだ。
'' ファースト・エディ”として知られる若きハスラー、エディ・フェルソン。自分こそが最強のハスラーだと信じるエディは、15年間不敗という伝説を持つビリヤードプレイヤー、“ミネソタ・ファッツ”相手に真剣勝負を挑む。一時はファッツ相手に大幅に勝ち越すエディ、一昼夜を超える死闘の末、酔って憔悴したエディはファッツの強靭な精神力の前に完敗する。
ゲームの序盤戦から、勢いに乗り勝ち続けるエディ。勝利を確信したのか、ボトルごとラッパで飲み始める。そして、惨めな逆転負けをする。カウンターでバーテンに酒を注文するシーン。
「何にしますか」
「JTSブラウン」
鳥肌がたった。カッコ良かった。最高だった。店に来て、マスターにその話をした。次に店に来た時、ボトルが空いたので注文すると”JTSブラウン”が出てきた。マスターの粋なはからいだ。
それからバーボンは”JTSブラウン”しか飲まない。その話を美奈に熱く語ったのだが、ふーん、へーと気のない相づちを打つだけだった。
エディのカッコ良さは、男にしかわからないのだ。
俺も美奈もそこそこに酔って、気分も良く話も弾んだ。タイミングを見計らい、マスターに曲のリクエストをする。”サラ・ヴォーン”の”ララバイオブバードランド”。
「はい。わかりました」そう言ってマスターが笑顔で応える。
”バードランド”とは”チャーリー・パーカー”のニックネーム”バード”にちなんだNYCの名ジャズクラブ。スタンダードナンバーであるこの曲はたくさんのアーティストによって歌われていて、それぞれの良さがあるのだが、中でも俺が好きなのは”サラ・ヴォーン”のこの録音だ。
俺は女の子を連れてこの店に来ると、ラストに必ずこの曲をリクエストする。
会計を済ませて店を出ると少し肌寒かった。十月も半ばを過ぎて、朝晩は冷える日が増えてきた。
「さむーい」美奈はそう言って腕を絡ませてきた。美奈の髪からいい香りがする。たまらなく愛しくなって完全に惚れたと自覚した。
時計を見ると午前三時前だった。先斗町を抜けて木屋町に出ると、まだまだ人も多く、賑やかだった。三条通りを越えて、御池通りの京都ホテルに入った。
美奈と体を寄せ合って、歩く京都ホテルまでの道程はやけに短く感じた。最上階のツインの部屋を頼んで部屋に入ると、京都タワーが蠟燭のように美しく光っていた。京都の夜景がこれほど美しいとは思わなかった。
この日から美奈は俺の女になった。

3

あれから二年が過ぎた。長いような短いような二年の間には色々な事があった。この間の大きな出来事と言えば、やはり結婚をした事だろう。
美奈とではなく、中学校の同級生、由子とだった。
美奈とは真剣に付き合っていた。両親にも挨拶を済ませて、婚約もしていた。美奈の母親は、あまり乗り気ではなかったようだが、父親は俺の事を気に入ってくれていた。
父親は、京都に本社がある上場企業の開発部長を経て独立起業した経営者だ。現在は全国に支店を置くまでになっていた。
初めて両親と食事をした時も、俺の会社に出資をするから、会社の規模を拡大してはどうかとも言ってくれた。
恰幅のある身体つきで貫禄充分だった。人間として男として、立派なな人だし尊敬もできた。何よりも楽しい人だった。
俺と父親が、楽しそうに話しているのを美奈は嬉しそうに、母親は少し不機嫌な様子で見ていた。
それほど高いものではなかったが、婚約指輪とペアリングも買って美奈に渡した。美奈の喜ぶ姿を見て、絶対に幸せにすると心に誓った。
美奈は大学生だったので、卒業を待って結婚の準備をする事になっていた。なので就職活動もしていなかった。俺との事がなければ、父親の会社に就職する予定だったようだ。
俺の会社も順調で売上げも倍近くなり、社員も増えた。全てが順調に進む中、俺はただ一つ心配事があった。それは美奈の母親に嫌われてるのではないかという不安だった。
あれから幾度となく食事もしたし、美奈の家に行き泊まって帰ることもある。当然顔も合わすし話もするのだが、何故か愛想がない。ある時美奈に聞いてみた。
「お義母さん、俺のこと嫌がってはるんとちゃうか」
「アハハハ。そんな事気にしてたん。健次君て結構神経細かいねんな」
美奈はあっけらかんと笑っている。
「俺は真面目に聞いてんねんで」
「アハハハ。ウケるー。ごめんごめん、怒らんといて」美奈は涙まで流して笑った。
「ママが何で愛想ないかて言うたらなー」
やっと笑うのをやめて美奈は話し出した。

お義父さんの会社は順調で忙しく、家に帰ってくるのは一ヶ月に一度あるかないかだ。本社は京都にあるとはいっても、本社機能は東京にあり、近々本店所在地も東京に移すらしい。
なので現在はほぼ東京での生活で、部屋も一等地の高級マンションを購入したばかりだ。お義母さんからすれば、単身赴任で高級マンションを買うのもおかしいとなる。服のセンスや香水まで変わったので、お義母さんは女がいると感じていた。
そんな時に決定的な出来事があった。お義母さんの友人が、東京でお義父さんと若い女が一緒にいるところを目撃してしまったのだ。
当然、お義父さんは否定したのだがお義母さんは信用していない。それから夫婦仲は冷えきっている。そんな中、一人娘の美奈が結婚するとなると広い家にお義母さんは一人で住むことになる。
どこの馬の骨だかわからない女に夫を寝取られ、俺に大事な一人娘を取られるのだ。寂しくないわけはなかった。その上お義父さんと俺が、気が合い仲が良いことが余計に気にいらないらしい。

「ママ可愛いとこあるやろ。拗ねてるだけやねん」
にっこりと笑って美奈が言った。
「美奈は親子やから笑い事やけど俺は気にもなるで」
「大丈夫やて。そやから、健次君の事が嫌いていうのんとちゃうねん」美奈は私に任せてと言わんばかりの目で俺を見て力強く手を握ってきた。
「了解。そやけどお義父さんもやるな」
「そやろ。健次君とよう似てんねん」美奈はそう言って俺の手をつねりながら口を尖らせた。

美奈はバイトも辞めて大学や家の用事以外は、俺の部屋に居て家事やマルチーズの茶々丸の世話をしてくれていた。俺は相変わらず、仕事の付き合いや接待と言いながら祇園で飲み歩いていた。女遊びもしていた。ただ美奈の事は愛していたし真剣だった。美奈と一緒にいることが幸せだった。
なのに何故と訊かれれば、本気と浮気を一緒にするなと答える。俺に言わせれば本気と浮気は天と地の差なのだ。
なので美奈が部屋で待っている時は、遅くなっても必ず帰った。女と飲みに行ってもそれ以上はなかった。その思いは美奈にも伝わっているという確信があった。美奈は頭もいいし感もいい。その上プライドが高くて気も強かった。その美奈が何も言わないのが何よりの証拠だ。
そんな日々がある日を境に一変する。
その日俺は営業と打ち合わせの帰り、現場に顔を出して普段の慰労を兼ねて職人達を夕食に誘った。地元の焼肉屋でたらふく食べて飲んだ後、行きつけのスナックに顔を出した。スナックPEPEは中学の時の同級生で原田由子の母親が経営している店だ。
由子も手伝っている。カウンターとボックス席がひとつの小さな店だが、地元の人間が気軽に寄れる繁盛店だった。由子とは中学の時に付き合っていたのだが、俺の浮気癖が原因で振られた。それからも悪びれることもなく連絡はしていた。
そんな関係だから、由子の母親は俺の事を健次と呼び捨てで俺もおばちゃんと呼んでいた。
「いらっしゃい。あら、健次。久しぶりやな」
おばちゃんがカウンターの中から言った。
「五人やけど大丈夫?」客はカウンター席に三人ほど座っていた。
「ボックス使てんか。ちょっと狭いけどな」おばちゃんがそう言うと、由子がテーブルにセットし始めた。
「由子。久しぶりやな。元気やったか」
「ほんまに久しぶりやな。忙しいんやろ」そう答えた由子は俺と目を合わせず笑う事もなかった。
「何やねん。どうしたん、気分悪いの?」
「何でもない」由子は少し酔ってるようだった。
「ちゃうねん、健次。由子ちょっと酔っとんねん」カウンターの中からおばちゃんが言った。
「由子、かまへんから座っとけや。酒作るんは自分らでやるさかいに」隣に由子を座らせて、テーブルに酒の用意をする様に職人達に指示をした。
「うぃっす」職人達はカウンターに出されるボトル、アイス、ミネラルウオーターをバケツリレーの様にテーブルに運んでいる。
グラスが行き渡り、俺はグラスを上げた。
「乾杯!」
「うぃーす」職人達もグラスを上げた。
「うち、ビール飲んでええ?」由子が言った。
「ビールでもシャンパンでも飲んだらええけど大丈夫か」由子はあまり酒が強くない。おばちゃんが言ってるくらいだから、今日はそこそこ飲んだのかも知れない。
「おばちゃん、由子がビール飲む言うてるけどかまへんか」
「まだ飲むんかいな。これ最後にしときや」おばちゃんはそう言うと、カウンターの上にビールを一本置いた。
「これ最後にしとき言うてるで。そんな仰山飲んだんけ」
おばちゃんからビールを受けとった俺は、ビアタンにビールを注いで由子に渡した。
職人の努がブルーハーツの”リンダリンダ”を歌っている。
「別にそんな飲んでへんで」隣の由子がふてくされた様に言った。
「まぁまぁ。酒は体調によって回り方が違うさかいな。あんまり無理すんなよ。ホステスは不規則な生活やからな」
「どの口で言うてんねん。毎晩祇園で遊んでるんやろ」
「仕事の鬼と言われてる俺をつかまえて、一体誰がそんな事言うとんねん」
「みんな言うてるわ。うち祇園にもいっぱい連れおんねんで」
「接待や接待。仕事取るんも大変やねん」
そう言って由子のビールを一気に飲んだ。
「あー。健次がうちのビール飲んだ。もう一本や」
「あほか。ぼったくりか、この店は」
由子が笑った。酔ってはいるが気分は良くなってるようだった。二人で近況報告や昔話に花が咲いた。美奈との事は黙っていた。
「それより由子。そろそろ結婚して店あがれや。俺は中学の時から、結婚すんのは由子やて決めてるさかいな。由子は考えた事ないのん。健次と結婚したいわって」俺はいつもの調子でおちゃらけた。
「考えてる」由子は小さな声で言って俺に身体を寄せた。そして俺の手を強く握った。
由子には会う度に結婚しようと、軽い気持ちで言うのが挨拶がわりになっていた。そして、いつも「浮気するさかいに嫌や」と返されていた。
なので、今日の意外な対応に俺は戸惑ってしまい、どう答えていいか判らなくなった。
「えっ。ちょっと待って。やっぱり飲み過ぎとちゃうか」
「飲み過ぎとちゃうわ。マジで言うてんねん」
そう言うと由子は更に俺の手を強く握った。
職人の努がヘタクソな歌を歌っている。ブルーハーツのロマンチックだった。

先斗町でJAZZを

先斗町でJAZZを

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2019-10-13

CC BY-ND
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