痴女の一生

夜邘/Yau

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私が初めて「おんな」というものを意識したのは二十をむかえようとする頃であつた。艶めかしい風貌をした人妻に心奪われたのである。

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そのおんなは隣家に住んでいた。
私はそれまではそのおんなを何も特別に思つたことなどなかつた。しかしいつもと違う派手な衣装をまとう姿を見たときまるで大きな鉄の塊が心にのしかかつたように体がその場に束縛され一度も感じたことのない欲望に呑まれた。そうしてそのおんなに心をとりつかれたのである。
私は後にこのおんなが痴女であることを知つた。
亭主が勤めに出ると素朴な顔を隠すようにして化粧を塗つたくり胸元の開いたドレスを着て街へ出かけて行つた(この格好と普段とはめつぽう違う大胆な素振りが何とも言えぬ高揚感を覚えさせ私はこれを見るために二階の洋間の窓際でそう上手くもない三味線を弾いていた)。きつと他の男の家にでも行つていたのだろう。亭主が帰つてくるころには化粧を落とし流行の過ぎた着物を着て晩飯の準備をしている。素知らぬ顔をして亭主と話すおんなを見て私は魅惑ばかりを感じていた。時に己の家に男を連れ込むこともあつたが毎度男の面が違つた。おんなは二十七になつたばかりであつたけれど亭主はすでに五十を過ぎていた。そんな亭主のくたびれた装いに嫌気が差したのか誘う男は己より歳の若い者ばかりであつた。そのため私もそのおんなと色つぽいひとときを過ごせるのではないか。まだ青かつた私はそんな淡い期待を胸に抱きその時に備え常から身なりには気を使つた。朝昼晩と風呂に入り髭はきれいに剃り上げた。爪が少しでも伸びれば切りそろえ髪はきつちりと整えた。友人に潔癖男などというあだ名を付けられるほどだつた。しかし私の欲望が満たされることはなかつた。
その人妻が自殺したのである。

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私は隣人として葬式に参列した(あの時の一風変わつた焼香の香りは今でも覚えている)。亭主を見てみると手に握られているハンカチがしずくが滴るほど涙で濡れていた。私は思つた。この男はどれほど鈍感で純粋なのか。きつと己の家内が痴女であることを知らないのだ。そしてこれからも知らずに生きていくのだろう。私は深く深呼吸をしながら棺の中を覗いた。そして眠るような穏やかな顔をして納棺されているおんなを見て私は驚いた。こんなに美しいおんなだつたのかと。私はそれまでおんなはブスだと思つていた。ただ妖艶な雰囲気と意地の悪い微笑を武器に男を引き付ける才を持ち合わせているだけのおんなだと認識していた。しかし実際は違つた。いやそうではない。この女は死体になつたために美しくなつたのだ。しかもこれより先の人生で私はこのおんなに触れることもできないのだと思うと美しさは増す一方であつた。それはまるで「美しいおんな」を目に焼き付かせるように。

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なぜおんなは死んだのだろうか。
生きていたころの女の罪の数々を知つている私にとつておんなの死は不思議で仕方がなかつた。複数の男と淫らな関係を持つことで日々の不満を払拭しおんなであることの快感を得ていたあのおんながどうして自らの死を選んだのか。私にはあの男たちに向けられた艶らしい笑顔が生きる喜びを具現化しているようにも思えた。あの官能的な日々から二十年経つがおんなの死というものは未だ謎なのである。

        5

己は痴女でした。
それはもうどうしようもないおんなでした。しかし皆様にはわかつていただきたいのです。おんなはいつまでもおんなであり続けたいものだということを。嫁にとついだからといつて派手な格好をしてはいけませんか?少しくらい他の男の人と遊んでみてはいけませんか?己は若く美しいあいだにしかできないことをしたかつたのです。だから己は男の人たちが喜ぶ言葉を云つて接吻をしてひとときだけの至極の快感を得ていたのです。若い男をこの張りのある体で翻弄したのです。ああ!なんて痴痴しい!どうしてこんなおんなになつてしまつたのでしょう!
しかしこのような素晴らしい日々もいつかは消えゆきます。老いたおんなはみすぼらしい。ですから己は痴女を過ぎ哀れ人となつてしまうまえにこの世をお暇します。皆様もどうかおんなには気をつけてくださいまし。
それではごきげんよう。

痴女の一生

痴女の一生

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2019-10-12

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