ものわずらい
もの
公衆電話を探しているのだが見つからない。普段電話を携帯している時は、まったくそんな存在を意識したりなんかしないものだから、どこにあった、ということがすぐに思い浮かんでこない。昔ながらのたばこ屋さんなんかの店先にはあってもよさそうなものだけど、イメージに反して設置されていなかった。時代が変わったんだなぁと実感する。
駅まで歩いて、やっと一台の公衆電話を見つける。受話器を取ろうとするが、めったに使わないものだから、どこがそうやらちょっと見当がつかない。
「ここですよ」そう言って、逆の手でもう片方を示す。
「どうも」つい、言葉が漏れてしまった。まずいかな、といったような表情が見て取れたのだろうと思う。
「いいんです、別に。誰にも言いませんから」と、こちらを気遣って、そういうことに自分は関心を持っていないというふうな言い方をしてくれた。
用件は、ほんとうにどうしようもないくらいどうでもいい日常の瑣事の極みのような連絡事項で、すぐに伝え終わった。しかし、そうは言っても一分か二分くらいはかかったわけで、僕はその通話の間の慰みに、公衆電話を観察していた。
年齢は僕と同じか、少し若いくらいだろうか。もし彼女が人のままだったら、今頃はきっと大学にでも通っていたのだろう。比較的長めの黒髪の、清潔さはまったく損なわれていなくて、駅の人の管理が行き届いていることを感じた。通話中も退屈そうに辺りに目をやるといったことはせず、かといって通話者の会話にゴシップ的好奇心から聞き耳を立てようとするでもない、職業的潔癖と使命感を持とうと努めていることが見て取れる真剣な瞳で、僕と通話相手とを繋ぐ電波がそこを通ってでもいるみたいに、ただ正面の虚空の一点だけを見つめていた。
ほんとうに人間味のある、近頃見ないような良い電話だと思った。駅や近隣の人たちからよほど大切にされているのだろうと僕は想像した。
「ご利用ありがとうございました」と彼女。
「ご苦労様」と僕は言った。
うわさ
「……で、その後四月くんの行方はようとして知れないんだって」
「よう……?」
「うん? まあ、そういううわさよ」
「そうなんだ。それっていつ頃の話?」
「たぶん二ヶ月半くらい前かな」
「日数でいったら?」
「さあ、もう80日ちかくになるんじゃない?」
「ちゃんとした日付けとかわかる?」
「変にこだわるわね。確かメールで聞いたんだけど……。ああ、あった」
「どれ?」
「これに『ちょうど一週間前』って書いてあるから、たぶん×月×日とかだと思うよ」
「そうなんだ、残念。75日はとっくに過ぎてるんだ」
「まあそうね。ん? ちょっとあんた、どこに電話かけてるの?」
「おまわりさん」
「あ、なるほど。そっか、しまったなぁ……。ねえ、見逃してよ」
「人のうわさは75日以降はしちゃいけないことに、法律でなってるでしょう?」
「うん、そうね」
「ほんと残念だけど、友達にはちゃんとしててほしいから」
「わかったわ。わたし、きちんと罪を償ってくる」
「良かった。あ、おまわりさん来たみたい」
「じゃあ、しばらくお別れね。たまには会いにきてね」
「うん。手紙も書くから」
「さようなら」
「さようなら。またね」
夜は暗くていけないのか
「夜は時間の無駄だった」
連合議会がある時そんな方針を打ち出した。
「歴史のうちの半分ほどの時間を我々は無為に過ごしてきた。これは不合理に過ぎる」
「夜を照らすため無駄に消費されたエネルギーの総量について考えてみてほしい」
「暗さは犯罪や国家への反逆、その他うしろめたい行為の助長にもつながった」
「生活のリズムの固定化や時差の発生など、人類にとって不利益しかもたらさない」
……云々と、当時の連合議長は夜の不必要性について半ば憤慨して語ったという。
人口の極端な減少傾向や、温暖化による海面の上昇および気候の変動などによる環境の悪化、
居住可能地域の極所限定化とそれに伴う人口の集中、
当時それらは既に行くところまで突き進んでしまっていたので、
夜をなくすことによって起こる弊害については、今更考慮する必要も意味もほとんどなかった。
惑星運行に影響のない軌道に、地球を囲むようにして、
月の模型のような、しかし反射率は格段に高い、
幾つかの巨大な凸面鏡が配置され、
地球の、本来夜となるべき側を照らすための第二の太陽が構成された。
つまり、地球から夜がなくなった。
以後数百年、深刻なトラブルはほとんどなかったものの、
時折、ひとつの世紀に一度くらいの割合で、
第二の太陽として機能するそれぞれの鏡の操作系に何らかの異常が生じ、
鏡が地球を照らすことを中断するという事態が起こった。
中断は毎回、平均して三日間ほど続いた。
訪れた夜は、転倒転落事故や、各種交通機関の混乱、
火災、停電、などなどを惹き起こした。
異常の原因が明らかにされたことはなかった。
中断の間だけ、人々は夜というものを体験するのだった。
遠いむかしに廃止され、知識としてのみ理解していた、
『太陽光が大地によって遮られる、地球の影の中にいる時間』を、それぞれに楽しんだ。
子供ははしゃぎ、大人も、夜の纏う静謐なムードや、星や月やの優しい光に酔ったりなどした。
自分達も、そこらに転がっている小石も、みんな、自分だけの夜を持っている、ということを知った。
人々は「夜は暗くていけないのかな?」と考えた。
百物語
百の物語が今夜の催しの為に集まったみんなの口から滞りなく語られて、確かに中にはふざけたような、笑い話のようなものも多かったし、どちらかと言うと、百物語というよりは百者騙りと呼んだ方が相応しそうなくらいではあったけれど、それも言わばご愛嬌、バリエーションとして許容されるべきものだとみなが思っていた。
「……というわけで、百物語はこれにておしまい」そう言って、話を終えた是山が最後の蝋燭を消そうとその小柄な身を伸ばした。そのまま期待するような表情で「では消しまーす」
灯が消された。部屋は真っ暗。
雰囲気が変わり、借り受けた古い公民館の窓は風でがたがたと鳴り、屋根に細かい木の実や固い葉が打ち付けられているような音がした。
「灯りつけて」と是山の声。僕はライターで手近に用意していた蝋燭に灯を燈した。
暗い表情と纏っている雰囲気のせいで、実際の年齢よりはだいぶ年取って見えるといったタイプの、白装束を着た女の人が、僕と是山の間に座っていた。彼女の長い黒髪は垂れて、畳にまでとどいている。薄暗い部屋の中で、その姿は青白い燐光を発しているようにも見えた。
「恨めしいです」と彼女。静かにどよめく会場。
「ようこそお出で下さいました」と、少し戸惑いながらも是山が歓迎の辞を述べる。幽霊の彼女はちょっとばかり不機嫌そうに是山を視界に入れた。「やっぱり、御気に召しませんでした?」
「よくそんな質問ができますね」と幽霊の人。
そのねめつけるような視線にたじろいで、身を逸らしながら是山が「ううぅ、申し訳ないです」
「最近は、百物語をやろうなんて人たちはとんといないものだから、私も最初期待して、胸を躍らせて聞いていました。でも、あなたたちはふざけたような、やくざな話ばかり……」
「お気持ちお察しします」と是山が頭を下げる。釣られて辞儀していた僕に是山が小声で「お茶、お出しして」
立ちかけた僕を制して幽霊が言う。「あ、できればお酒のほうが……」
「ああ、これは気がつきませんで」是山が慇懃に受ける。
もともと打ち上げのために用意していたものがあったので、そのまま余韻もなく、雪崩れるように酒の席となった。
「実際、聞いてて楽しかったんです」と、酔いの勢いにまかせて、幽霊の人は白状する。「さっきも言いましたけど、最近は百物語をやろうって考える人たちもいないし、その気持ちだけでも嬉しかったんです。でもやっぱりだんだん欲目ってものが出てくるじゃないですか。もっと真面目に、真から怖い、恐ろしい、髪毛の逆立つ、血の凍る、怖気がするようなまっとうな、やくざなものではない怪談、呼び出される私が気持ちよく出て行けるようなムードを作ってくれるもの、それをこちらとしてはどうしても期待してしまうじゃないですか」言って、ぐいっとコップに注がれたものを飲み干す。叩くように置かれた器に、僕は魔法の液体を注ぎ足す。
「でも、それでもやっぱり皆さんの話は楽しいものでしたよ。最初のお話、犬と人間が立場を交換するお話なんて、とっても不気味で皮肉で、思わず感心してしまいましたし、それから宇宙人に誘拐されるお話も手法がメール体っていうのが斬新で、オチも間抜けで面白い。
わたしは古い人間でコーヒーってあまり飲まないんですが、タリーズ・コーヒーの謂れがそんな私同様に古くて日本に起源を持つものだっていうのは知りませんでした。新三郎さんとジュリエットさんのお話は、聞いていて、私自身もまだ生きていた頃を懐かしく思い出しました。
友人の皮を剥いでしまうお話も、人間って恐いなとつくづく感じましたし、人体模型のような友人が笑いながら現れるっていうのもグロテスクです。声を掛けられる度に即座に振り向いちゃうお話もありましたね。普通の怪談だったら振り向くことのタブーや恐怖感に主眼が置かれそうなものですが、「わっ、と振り向く」って勢いよく何のためらいもなしに振り向いちゃう度に、思わず笑ってしましました。
それから自転車レースのお話なんて、まるで我を忘れて、手に汗握って聞き入ってしまいましたし、百物語が終わった後に何が起こるか、っていう二つのお話も奇想に富んでいて、幽霊である私自身もなるほどなるほどと、納得しました。
お守りの少女に助けられるお話も、その少女の存在が独特でとても楽しめました。嘘を吐き通しで生きていくことについてのお話しは、まだ生きていた頃の苦労を思い返して、幽霊のわが身の苦労の少なさを有り難く感じたりもしました。
妖怪の格についてのお話しはとてもコミカルで面白いものだったし、最後の記録媒体の中でだけの存在にされてしまうお話は、まるで生きたまま幽霊よりも果敢ない存在にされてしまうようで、聞いていてそら恐ろしいものでした。
とにかく、色々不服を言ってしまいましたし、まっとうな百物語だとは確かに呼べないのですけれど、ただそのことにさえ目を瞑ってしまえば、とても良い百物語だったって、私はそう思います」
「良かったです、そう言ってもらえて!」是山が、こちらも酔いが手伝ったのか、涙ながらに「色々至らないところもあったでしょうけど、幽霊さんに喜んでもらえてほんとに良かったです!」
「いえ、こちらこそ、まずはお礼を言わせてもらうのが本当でしたね」幽霊の彼女は立ち上がり、身を正して「皆さん、今夜はほんとうにありがとう」
夜も更け、丑三つ時にはまだ及ばないものの、宴もたけなわとなった頃、「そろそろ私はお暇します」と、幽霊さんが出し抜けに言った。「あんまり楽しすぎて、何だかこのままでは成仏してしまいそうなので」
名残は惜しいけど、そう言われては仕方がなかった。ぼくらは「また次の夏に」と約束し、別れのムードを破らぬよう律儀に暗闇へと千鳥足で消えていく彼女の背中を見送ったのだった。
入道雲より
みなさんこんにちは。はじめまして。わたしは四月くんの恋人で三月っていいます。なぜか今回わたしがみなさんに、わたしと四月くんのなれ初めとかいうものをお話ししないといけないそうなんですが、人前で話すのって緊張するし、何だか気が重くって苦手なんですが、どうにかがんばってお話ししてみようと思います。
自分がまだ幼稚園児だったころのことって、みなさん憶えていますでしょうか? たまに見かけるちっちゃなちっちゃな子供達、自分も昔はあんな小さな生き物だったっていう事実に、時々わたしは新鮮な気持ちで驚いちゃったりします。その割りに、不思議と色々な出来事なんかはしっかりと憶えているものです。
幼稚園時代。そう、ひとつの時代でした。わたしたちはみんなコヨミ先生のことが大好きでした。中でもわたしと四月とは本気でした。ふたりは心の底からコヨミ先生をお嫁さんにしたいと考えていたのです。わたしと四月の反目ぐあいはなかなかのもので、コヨミ先生はいつも手を焼いていました。というか、よく泣いていました。わたしたちがいがみ合っていることに心を痛めていました。優しい、そしてきれいな人だったのです。
遠足や運動会、その他のイベント事でも常にわたしと四月とはコヨミ先生を奪い合って戦いました。幼稚園のクラスの中で派閥のようなものを作って争うようにもなりました。お互いに、コヨミ先生の関心を独り占めしようと必死になっていたのです。今から思えば、それが先生の優しい心をますます傷つける事態になっていたことに、わたしたちは全く気が付いていなかったのです。
私たちのいがみ合いは段々とエスカレートしていき、ある時とうとう決闘にまで発展しました。誰もいない忘れられた砂場で、わたしと四月は力のかぎり戦いました。たましいとたましいの熱いぶつかりあいです。ほんとうにながいながい戦いでした。どちらも、なんど倒されようと、少しくらいはおでこやどこかが赤くなろうと膝をすりむこうと、そんなことにはぜんぜん無頓着でした。
それでもいつしか、ふたりは力尽き、ともどもに地面へ倒れました。ふたりは涙ながらに、息も絶え絶えに、コヨミ先生への想いを語り合いました。わたしにも四月にもお母さんがいないということと、ふたりともコヨミ先生のことが大好きだということがわかりました。わたしたちはお互いをはじめて認め合ったのです。そこでふたりは目的を改めて、コヨミ先生にはふたりとものお母さんになってもらおうということにしました。わたしと四月とはいつか結婚をして、それで三人で家族になろうということに決めたのです。
その際にわたしたちはお互いを讃える歌を贈りあいました。わたしから四月に贈った歌は恥ずかしいので省略しますが、四月からわたしに贈られた歌はこういったものでした。
入道雲よりきみがすき あかいサンダルよりきみがすき 夜のありよりきみがすき おだんご おもち クッキー ケーキ まっかなジャム むらさきジャム チョコレートのとけた あったかいパンよりきみがすき どうぶつえん のらいぬ パンダ ネコのこども おさかな めだか かえる みどりいろ きいろ まるいすずめ つばめ よくしらない ちっちゃなとり テレビのなかの おおきな海 かいじゅう ロボット ロケット 塔 まあるい月よりきみがすき
大人になった四月は、ふらふらしてるし、生活力ないし、いっつも夢見てるようなことばっかりしか言わないし、の甲斐性なしで、わたしは時々もうほんとうに嫌気がさしてしまったりもするんですが、コヨミ先生のお宅へ遊びにいって、幼稚園時代とこの歌のことを思い出させてもらうとやっぱり、なんていうか「まあ、いいかな」という気持ちにいつもなってしまうのです。まるで呪いですね。
騙されたのは誰だ
彼が僕に語ったところによれば、その女は度々彼の部屋へ「どうか一晩宿を所望できないでしょうか?」といって訪れてくるのだそうだった。女は彼にその細い声で秘密めかして、いつも己の身の上を語るのだという。「わたし、いまはこんな姿をしていますが、実はきつねなんです」そういって、身をくるりとひるがえして、「ほら、しっぽが見えるでしょう、ね」と尋ねるらしい。もちろんしっぽなぞ見えないのだそうだ。彼が曖昧にうなづけば、彼女は我が意を得たというように微笑んで、翌朝は跳ねるようにして部屋を出ていくのだそうだった。
その女がきつねでないことを証明するのに、僕たち人間は多少手間を要することになるけれども、彼にとってそれは造作もないことなのだそうだ。「同族が化けたものであればすぐにわかる」と彼は確信を持っていう。「雰囲気や佇まい、纏っている空気、テレビの画面越しであろうと写真に撮られたものであろうとわかる。直接に会って、わからないということはありえない。どれだけ長い間人群れに紛れ込み、自分がきつねだということをほとんど忘れるほどであろうと、その仮の姿にどれだけ馴染みきっていようと、同じきつねが見て、その化生のほころびを見逃すということはない」という。
彼女が実際のところどういう目的を持った何者であるのか、ということは彼にもわからなかったが、自分をきつねの化けた姿だと思い込むほどの変わり者であれば、その非常識な嗅覚を持ってして、彼の存在を嗅ぎ付けるということもありえなくはないだろう、と彼は投げやりに結論する。どちらにしろ彼女の存在によって彼が窮地に追い込まれるという可能性は考えるのもバカバカしくなるほど低いし、今のところ放っておくくらいしか良い対処の仕方を思いつかないしするので、しばらくはこのまま様子を見ることにしているのだそうだった。
ある日、昼日中に珍しく女が彼を誘いにやって来て「出かけましょう」と言ったらしい。彼もその日は休日で暇というわけではないけれども特段やるべきこともない、というところだったので、考えもなく彼女の誘いに乗った。二人で公園に行き、いなりや油揚げなど、きつねが好みそうなものが詰め込まれた、彼女お手製の弁当を食べ、それから近くの稲荷神社に参拝した。その間に彼女は、今度は人間としての彼女の、仮の身の上を彼に語ったのだそうだった。それは何の代わり映えもしない、平凡で退屈で、どこかで聞いたことのあるような、どこかで聞いたことのあるものと中身をそっくり入れ替えにしてもあまり不都合なさそうな、ごく当たり前でまっとうなものに彼には聞こえた。それは、人間らしい人間として生きていこうとするきつねの彼にはとても羨ましいものに感じられた。
「占いは好き?」と彼女が尋ね、きつね憑きの巫女がやっている近頃流行りの店だとかにも入ってみた。どうやら似せ者ではなかったようで、うっすらとだがきつねらしい雰囲気がし、彼らが占いの部屋に入ると巫女の老婆から「うちは人間相手に商売をしてるから」と、ご本家の関係者はお引取り願いたい旨を丁重に告げられた。前払いしていた料金と、菓子折りなど持たされ店外へ案内されたという。女は自分の主張が認められたと思ったようで、それを嬉しがっていた。彼自身も、少し楽しい気持ちになったらしい。
久しぶりの電話で以上のことを聞いた。電話を掛けに街まで出る場合、僕は一応もとの姿に戻ってからにする。面影は変わったし、近在にはもはや誰も僕に気付く者などはいなくなったので、その点ではあまり過敏に心配する必要もない。今では遠くの街で暮らしている、僕の家族達もみんな元気にやっているそうだ。ぼくらが入れ代わったのが小学校の低学年の時で、その頃の僕の友人達とはもうほとんど連絡がとれていないことを彼は残念そうに話すが、僕はあまりそんなことは気にしていない。
こちらからは、族長が亡くなって、直系の子孫である『彼』、つまり僕にお鉢が廻ってきた、そのことを心苦しく思っている、ということを彼に相談した。責任ある立場になり、もし僕の正体が見破られるようなことがあれば、穏やかに暮らしているきつねたちの心をかき乱すことになりかねない。「そのことについては心配しなくていい」と彼は言ってくれた。「きつねの化けの技術が人間には決して見破られないように、人間の化けの技術がきつねに見破られてしまうということもありえない。それに君ほどきつねのことを心から愛している人間もいない」と。
僕はただ、子供のころの縁日で買ったきつねのお面を、ずっと被り続けているだけだ。きつねたちがそんな僕の滑稽な姿を憐れんで、騙されたふりをしてくれているのではないかという不安は、やはりいつまでも消えることはない。
煙突からの手紙
町内会長さんがぼくにふうせんをわたして「しっかりな」という。その顔はやさしく笑っている。ふうせんは、もしものばあいのかえのぶんもふくめて幾つか。それから小さめのボンベ。これにはガスが入っている。
おねえさんからは手紙を受け取る。「お願いね」と、やっぱりわらって、ぼくの手をにぎる。ぶんぶんとふる。じぶんが煙突にのぼれないから、そのかわりにじぶんのきもちだけでもつれていってもらおうっていうふうに、しっかりと、ちからいっぱい。
見物の人たちも、ふだんのような気ぜわしい顔はしていなくて、みんなの目や頬や、立っている足も地面も、なんだかゆるんでいるように見える。たまにとんでくるやじも柔らかい。
むかしから高い木なんかには神さまが宿るんだって会長さんはいう。そういう神さまが住んでいる木はご神木とかいうらしい。ぼくがこれからのぼる煙突には、他の神さまよりもずっとずっと高いところに住みたいと考えた神さまが住んでいるんだっていう。
煙突がいつ作られたのかはだれも知らないのだけれど、よほど古いもので、いつその神さまが煙突に降りてきたのかもこれまただれも知らない。煙突の天辺には小さな社がある。鳥居は少しはなれた道路ぞいにある。名前は煙突神社っていう。おばあちゃんなんかは「えんとつさま」ってよんで、朝晩おがむ。おがんではむやみにありがたがる。根元には燃やすものを入れる窓なんかは開いてなくて、煙突はそのまま地面にもぐっている。それでもむかしから、煙がでているのを見たという話はたくさんあって、すべて良いことがおこる知らせだったのだとかいう。
ちゃんとした神社としては認めてもらえないから、神主さんはいないのだけれど、町内のみんなはえんとつさまを大切にしている。今日みたいなお祭りの時は会長さんやみんながとりしきる。何でもない日もお守りやお札をみんなで手作りしたりしている。
戦火にも風雨にも負けずに立っていたのだそうだけど、去年はかいしゅう工事とかで、しばらく幕がかけられていた。まだサビのない手すりは、日をはね返してチカチカ光っている。にぎるとちょっとあたたかい。ぼくはみんなにおじぎをして、煙突をのぼる。
秋晴れで、雲も高くうすく伸びていて、ちょうど午をまたいだ日差しは、空気の中を透き通って、やさしく照っている。煙突を高く昇ればだんだんに町はちいさくてきれいなものになっていって、町をとりまいている山の緑色、空のうす青い色、陽の黄色。まるで夢を見ているみたいになる。
手すりを上まで上り切ると、はなの先に小さな社が出てくる。社は、煙突の開いた口をめぐってる縁に、風で飛んでいってしまわないように、大きな銀色のボルトでうち止めてある。ぼくは縁にすわって足をぷらぷらさせながら、手を二回打つ。その音が、煙突の底のほうへ、空洞のなかをあちこちぶつかりながら落ちていく。ぼくは何か投げ込んでみたくなって、ポケットをあさる。アメがでてきたので、包みを開けて放ってみる。壁にあたらないように、まっすぐ落とす。耳をすましてみるけど、いつまでも何の音もかえってこない。
手紙は一度、社の小さなとびらを開いて、中に納める。その間にふうせんをじゅんびする。12年ごとに、大人たちはクジを引いて、手紙を出す人を決める。子供はクジで手紙を運ぶ役を決める。今年はおねえさんとぼくだ。ガスのいっぱいにつまったふうせんははやく飛び立ちたいって急かすけど、手すりに紐で結び付けて、すこし待っていてもらう。手紙を取り出して、しんちょうに紐の先に結わえる。
ぼくがはなすとふうせんは自由になって、煙突よりも高い空に飛び出した。しばらく見上げ続けていると、そのうち雲よりも高くなった。もう空に打たれた点にしか見えない。下を見るとみんなも、やっぱり点をながめて、そっちを指差したりしている。その中でお姉さんだけが、こちらを見上げて手を振ってくれている。ちからいっぱい、もうほんとうに、ちぎれるくらいにせいいっぱいに手を振ってくれている。だからぼくも負けないくらいにりょう手を振って返事をする。だいじょうぶ、手紙はきっと神さまが、空の上にいる人のところまで届けてくれるんだから。
ものわずらい