金木犀を連れて

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金木犀を連れて


その人は、暖かな日差しと金木犀の香りを連れてやってきた。

そんな詩的なことを言いたくなるほど、それは僕たちの街に突然現れたビッグニュースだった。


暑い夏の終わりを告げるように、土砂降りの雨が数日降り続いた。久々に顔を出した太陽はぎらぎらした日差しを忘れていて、ロンジュンはなんだか拍子抜けしたのを覚えている。
まだ夏のうちにやりたいことがあったのにな、なんて思いながら渋々学校へ行くと、いつもより騒がしい教室。

「なに、なんかあった?」
席にカバンを下ろしながら隣の席のジェノに尋ねると、ジェノは「知らないの?」と逆に聞いてくる。
質問に質問で返すなよ、とムッとしながら「なんのこと?」ともう一度尋ねるとジェノが話し出した。
「昨日引っ越してきた人のこと!」
「引っ越し?」
ロンジュンはそのワードにあまりピンとこなかった。
そういえば母さんが朝、挨拶がどうのこうの言っていたような…。いつも朝は半分寝てるから聞いてなかった。

「それがすごいことなの?」
「いや、俺もよく知らないんだけど、その一家を見たやつがすっっっごい美人がいるって騒いでたんだって」
ジェノは噂で聞いたまま素直に強調して伝えた。
「すっごいの?」
「すっっっごいらしい」

小さな街の平凡な毎日では、ちょっとしたことがニュースになる。
誰々さんが結婚したとか、誰々と誰々は仲が悪いとか。みんな暇なんだろう。
ロンジュンはそういう噂に興味はなかったし、友達が話すのを聞いてはいるけど次の日には忘れているような性格だった。
久しぶりの秋の陽光に午後の授業はほとんど寝て過ごし、放課後のチャイムとともに教室を出た。


自転車を引きながら、だらだらと帰り道を歩く。ジェノはまだ謎の引っ越し一家の話しをしていた。
「あ〜気になるなー!ちょっとだけ見に行こうかな?」
「やめなよ、迷惑でしょ」
ジェノの向こう側からジェミンが呆れたように返す。ジェミンも噂に興味はなさそうだ。
「あ、でもロンジュニの家の近くじゃない?」
さらにその向こうから、ドンヒョクが顔を出して言った。
「あ、そうだ!ロンジュニの家の奥のとこだよ。山の麓!」
「ふーん…」
「もうちょっと興味もてよ〜」
ドンヒョクがつまらなさそうに言う。悪かったな。

「…俺今日ジュニの家遊びに行こうかな」
「来んなよ、そんなことのために」

最後まで後ろ髪をひかれていたジェノに別れを告げ、家に帰るために自転車に跨った。
ロンジュンの家は少し高校から離れていて、山の近くにある。噂の一家はさらに奥の山の麓に引っ越してきたというから、少し不便だろうな、といらない心配をした。


家につくなり、母さんが出迎えた。
「ロンジュナいいところに!そのままおつかい行ってきて」
「ええ〜〜」
絶対待ち構えてたろ、と思いながらも、仕方ないので引き受ける。

「これ、新しく引っ越してきた裏の家の人にね。ご挨拶してきなさい。同じくらいの歳の子もいるって話だから、よろしく!」
噂をすれば、だ。
なにやら出かけるらしい母さんはバタバタと準備に走り回っている。あーだこーだいうのも面倒だし、さっさと用事は終わらせてしまおう。

今しがた片付けた自転車をもう一度引っ張り出して、その家へ向かう。
場所もあやふやなまま勘で移動していたが、その家は一発でわかった。不自然に人が集まっているからだ。しかも、訪問するというわけではなく、噂を聞いて一目見たいというやつらがこっそり様子を伺っているような感じだ。
ロンジュンはその視線の間で気まずさを感じながら家の門の前に立った。
家はまさに立派なお屋敷という感じで、ここに麗しの令嬢がいると聞いたら、たしかに興味は湧く、かも。
インターホンから、女性の声がする。
『…どなたでしょうか?』
「あ…こんにちは、近所の家のものなんですが、母が挨拶にいけと…」
ロンジュンは緊張しながら、事実をそのまま伝えた。嫌々感が出てしまったかな。
『そうですか。今行きますね』

しばらくして家のドアが開き、中から綺麗な女性が出迎えた。
女性は門まで出ると、ロンジュンを確認して敷地内へ迎え入れた。玄関まで入り、ドアを閉めてから向き直ってやっと挨拶をした。
「ごめんなさいね。お騒がせをしているようで」
そういった女性はこの家の奥さんなのだろう、すらっとしていて確かに噂になるほどの美人だ。
だがどこか、違和感がある。

「あなたは?」
「あ、っすいません。僕はこの下の家のファンロンジュンと言います。あ、これ母からです」
見とれていたロンジュンは慌てて早口で自己紹介すると、ばっと母からの手土産を渡した。
「あら、わざわざすみません。なにかしら」
女性は包みをあけると、驚いたように感嘆の声をあげた。
「桂花茶…?」
「ご存知ですか?これ母の故郷で作ったものなんです」
「まあ。私たちも同じ国から引っ越してきたんです。こんなところで同郷の方と会えるなんて、嬉しいです。ぜひお母様によろしくお伝えください」
ロンジュンが感じた違和感は、彼女の発音の違いだった。それが外国人だからと気づいて納得した。

「高校生かしら?」
「はい」
「じゃあ、うちの子より年下ね。実は、ここに来てから外にも出たがらないし、元気がないみたいなの。また改めて挨拶させるから、その時は仲良くしてあげてくださいね」




その日は結局、噂の美人には会えなかった。
話を聞く限り、急な引越しだったそうでまだ色々と準備が済んでいないらしい。学校も決まっておらず家から出る必要もないその子は、なかなかロンジュンたちの前に姿を現さなかった。

初めてみんなの前に現れたのは、引っ越してきてから3週間近くが過ぎようとしていた時だった。
ロンジュンが挨拶したあの母親と連れ立って、高校へやってきた。

「わーどれ?ていうかお母さんめっちゃ綺麗じゃね?」
校庭から職員室へ向かう二人を見ようと、生徒が窓から身を乗り出す。
ジェノもその中に混じって、窓際の席のロンジュンにいちいち報告した。

「えっ?あれ?ロンジュナ、お母さんと喋ったって言ったよな?あれ?」
だがジェノから飛んでくるのは疑問符ばかり。
「なんだよ」
「あれ、うそ?そういうパターン?」

てっきり歓喜の声を上げると思っていたジェノたち生徒はどよめき出す。
「いや…背高くない?」
「あれはどうみても…」

「ロンジュナ〜!女の子じゃないじゃん!」

最初の噂が”とんでもない美人”というように伝わってきたから、誰もが美少女だと思っていたのだが、遠目でもわかるほどそれはしっかり男の体格をしていた。

「そうなの?あはは、残念だったね〜」
よくできたオチにロンジュンは笑い転げる。
「なんだよ〜〜この数週間のときめきかえしてくれよ〜」
ジェノはため息をつきながら机にうな垂れた。

この噂もあっという間に全校に広まり、様々な尾ひれを付けてロンジュンの耳に返ってきた。
それによると、彼は外国人で、高校生の年ではないらしいが、言葉を勉強しないといけないため特別に語学の授業を受けるらしい。つまり彼もこの学校に通うということだ。
さらに、美少女ではなかったが美人というのは嘘ではなかったようだ。彼を近くで見た生徒によると
「美しすぎて息が出来なかった!」らしく、生徒の興味はいまだに尽きなかった。



「大変だなあ」
秋も深まり、夜になると肌寒さが感じられるようになった。
日が落ちるのが早くなった帰り道を、いつものようにジェノとだらだら帰る。

「なにが?」
「あの子。転校生?っていうの?騒がれてさ」
「ああ〜。ドンくんね!」
「なにその呼び方」
「ファンの子がそう言ってる。名前なのか苗字なのかわかんないけど」
「ファンて。うわあ」

あれから家に行くこともなく、名前も知らないあの子は週に3日だけ高校に来る。
その度に野次馬が遠巻きに写真を撮ったり話しかけたりとなんだかんだ大変そうだった。

二人がコンビニに寄るためにいつもと違う道を通ると、同じ制服を着た男子学生数人が走って目の前を通り過ぎた。その様子がどことなく不審で、不思議に思った二人は学生たちが来た方向へ行ってみることにした。

この辺りはあまり人が通らない。
ふとジェノが路地裏を覗いて、声をあげた。

「ドンくん!?」

慌ててロンジュンも覗き込むと、路地裏にうずくまったあの子がいた。
「大丈夫!?」
すぐに駆け寄って、そっと顔を覗き込む。
殴られた跡と切れた口端が痛々しい。だがロンジュンがショックを受けたのはそれだけじゃなかった。
乱れた衣服と、鼻につく臭い。なにがあったかなんて聞かなくても、この凄惨な現場を見れば一目瞭然だった。

「最低だな、あいつら…」
ジェノが怒りを含んだ声で言う。
ロンジュンは自分の上着を脱いでその子にかけた。なんて声をかけたらいいんだろう…。

「カハ…ッ!」
なにか言おうと咳き込むその子に、ロンジュンは自分の水を飲むようにと渡した。口に含むと、ゆすぐようにして吐き出した。その行為も遣る瀬なくて見てられない。

『言わないで…』
「え?」

ようやく話した一言が聞き取れなくて聞き返す。
『誰にも、言わないで』
母国語で話す彼を、ロンジュンは理解できた。

「誰にも言ってほしくないって」
「え、ロンジュニわかるの」
「うん。母さんと同じ言葉だもん」

『…もしかして、これ初めてじゃないの?』
ロンジュンは小さな声でそう尋ねた。彼は母国語で尋ねられたことに驚いて、ばっとロンジュンの顔を見上げたがその質問には答えなかった。

『君、言葉わかるの?』
その子は伏し目がちにロンジュンを見ながら、ぽつりと尋ねた。痣や血で気付かなかったが、たしかに美しい顔ときれいな肌をしていた。目が合った瞬間なぜか緊張してしまってロンジュンは目を逸らしながら答えた。
『うん、母さんが同郷なんだ。僕はファンロンジュン』
『…あ、君。桂花茶……』

ロンジュンの名前を聞いて思い出したようだ。
こんな状況なのに、彼の目は透き通ったように綺麗だった。


誰にも知られたくない、という彼をこのまま家に帰すわけにはいかなかった。
ジェノの自転車の後ろに乗せて、ロンジュンの家まで急ぐ。

『うち親帰り遅いから、シャワーして、着替えていいよ』
そう言うと頷いて風呂場へ向かった。どうやらロンジュンのことは信用してくれたようだ。
ジェノは彼をうちまで送り届けると、薬買ってくる!とその足で薬局へ向かった。こういうときすぐ動いてくれるから、ジェノは頼りになる。

しばらくして彼が風呂場から出てきた。だいぶ気持ちも落ち着いたようで、ありがとう、と言うとロンジュンの上着を返した。
『傷、痛いでしょう。いまジェノ──あ、さっきいたやつね──が、消毒とか買いに行ってるから。もうちょっと待ってて』
彼はうん、と頷く。もともと口数が少ない人なのだろうか。
沈黙が続くのも気まずくなって、ロンジュンがわざと明るく聞く。

『あ!そういえば、名前は?君のことあんまり知らないや』
『名前……ドンスチョン』
『スチョン? どうも、初めまして』
『…ふふ』

あ、笑った…

スチョンといった彼は、初めてロンジュンの前で笑顔を見せた。
ロンジュンはその瞬間、心臓がどくんと音を立てて、なにか得体の知れないものにとらわれてしまったような気がした。

スチョンはまだニコニコと、ロンジュンを見て微笑んでいる。
それだけでふわっと花びらが開くような、そんな陳腐な表現では間に合わないほどの美しさがあった。

『ロンジュン?』
『え、あ、うん!なに?』
『他に知りたいことはある?』

スチョンは膝を抱くような姿勢で座って、ぐいっとロンジュンのほうへ顔を寄せる。

『あ、うーんと…じゃあ年は?』
『97年生まれ。丑年』
『じゃあほんとに年上だね。僕は2000年生まれ』
『3つ下なんだ。中学生かと思った』
『え、』

さらっと失礼なことをいったが、悪気はなさそうだ。その証拠に本人はにこにこと楽しそうだ。

『ロンジュン、さっきはありがとう。こうやって話せる人がいたなんて本当に嬉しい』

そういえばスチョンの母親は、急な引越しだったと言っていた。
しらない土地で友達もいないのに、学校では好奇の目で見られて、一人でどんなに辛かっただろう。挙げ句の果てにあんな目にあうなんて。ロンジュンは今日初めて言葉を交わしたスチョンを守ってやらないと、と思った。

『スチョン。これから何かあったらすぐ僕に言ってね。絶対助けるから』
ロンジュンは決意の意味を込めて、スチョンの手を強く握ってそう言った。
『…?ありがとう』

そんな体勢でしばらく見つめ合っていると、ジェノがばたばたと帰ってきた。
「ごめん、遅くなった!ドン君大丈夫?」
「うわっうん、大丈夫っぽいよ」
「なんで手握ってんの?」



それから、スチョンが学校に行く日はロンジュンと一緒に登校するようになった。
ロンジュンが側にいることで変な連中は近づかなくなり、スチョンも以前のように暗い顔をすることがなくなった。それどころか、むしろ今は笑ったり話したりと自然な表情を見せるので、余計に生徒達からの注目度は上がっていた。



秋の終わりになった頃には、スチョンも街もだいぶ変化に落ち着いてきた。
学校とロンジュンから言葉を教わって、スチョンはジェノ達とも少しずつ話せるようになってきた。

彼と過ごす中でわかったことがある。
スチョンは顔に似合わず、意外と男らしいこと。それに伴って、口も少し悪いこと。美人過ぎて近寄りがたいけど、話してみれば年相応の少年ぽさがあること。
そしてあと一つ、ロンジュンにはあまりはっきり気付きたくなかったことがある。


「あ」
木枯らしの吹く道を二人で歩いていると、ふとスチョンが足を止めた。
そして何かを探すようにきょろきょろと見回す。
「どうしたの?」
「これ、この香り」
そういって顔を輝かせる。ああ、その顔かわいい。
香り、というのでロンジュンもいっしょになってクンクンと空気を嗅いでみると、あまい香りが冷たい風に乗ってふわっと漂ってきた。
「あ。これ…」

『桂花』

思い出した!と振り返って言って、目を細めて笑う。
ロンジュンは思わず息を飲んで、スチョンをただ眺めた。

『僕この花の香り好き。君が持ってきてくれたお茶ね、前の場所を思い出してすごく好き』

金木犀が咲くには少し遅い。
季節外れの香りに、後押しされているような気がした。


『僕はスチョンが好きだよ』

感情のままに口から気持ちが滑り出た。
驚きからか笑顔のまま止まってしまったスチョンに慌てて『今のなし!聞かなかったことにして!』と訂正する。顔が熱い。真っ赤になっているのが鏡を見なくてもわかる。

『ロンジュン、』

うわあ、なにも言わないでくれ。

『今のどういう意味?』
スチョンは両腕で顔を覆うロンジュンに近寄って、覗き込みながら尋ねた。

『うう、そのままの意味だよ……』
ロンジュンが気付きたくなかったことは、スチョンへの日に日に増していく好意だった。
伝えてどうにかなりたいわけではない。というか、そんなことまで考えてない。ただ、好きだということ、そしてスチョンにも同じ気持ちでいてほしいと思っていることを、隠しきれなくなってしまった。

『………』
『………』

顔を覆ったまま、あまりに沈黙が続くので、ロンジュンは恐る恐る腕を下ろした。
すると、視界の下からばっとスチョンが飛び出してきた。

「うわッッ!」
『あはは!帰ったと思ったでしょ?』

スチョンはロンジュンに向かって無邪気に笑う。
ちょっと、今そんなことする雰囲気じゃないじゃん。
そうロンジュンが思ったのがわかったのか、スチョンが口を開いた。

『ロンジュン、ありがと』
『え?』
『好きって言ってくれて。 僕もロンジュンのこと好きだよ』
『…え?』

本当に?それ意味わかって言ってる?
ロンジュンはスチョンに何度も確認した。それでもスチョンはロンジュンに好きだと言ってくれた。

『ふふ、手でも繋いで帰る?』
『え!!』

スチョンは思ったより照れないんだ、と夢心地でぼんやり思う。
これからもきっとまだまだ知らないスチョンがいるんだろうな、と思いながら、金木犀の香りのなかを歩いて帰った。

金木犀を連れて

金木犀を連れて

秋の昼下がり。ゆるやかな日差しとあまい香り。異国から来た子。(BLです。自己責任で)

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 青年向け
更新日
登録日 2019-10-07

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