陽炎の日

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陽炎の日

小六の夏休みの途中、ジェノの縄張りの公園にその子は突然現れた。
公園の隅にうずくまっていたから、はじめはいることに気づかなかった。
後ろから見ると首が取れてしまったのかと思うほど両足の間に顔を落として、ずうっと地面を見ている。

ジェノはただなんとなく気になって、丸まった背中に「何してるの」と声かけた。
ぶかぶかの野球帽をのせた頭が持ち上がり、まるい瞳と目が合った。

「蟻ってこんなに小さいくせに一匹一匹に命があるなんて不思議だよね」

その子はそう言うなり、足元の蟻の行列にまた視線を戻した。
ジェノはどう反応していいかなんて分からなかった。そんなの当たり前じゃない?と思いつつもその子の隣にしゃがむと一緒に蟻を見た。

蟻たちはその子の指に妨害をされながらも、せっせと巣穴に餌を運んでいた。
ジェノは横目で隣の真剣な眼差しを見ながら(ああこの子は変わった子なんだなあ)とぼんやり思った。

夏真っ盛りの暑い日だった。
ジェノはその日、首の後ろを真っ赤に日焼けして帰った。






「ジェノー!あれやってよ、バク転!」
「わ!見たーい!」


高校の体育教師は時間通りに来ない。
教室棟から離れた場所にある体育館で授業があるときはなおさらだ。
暇を持て余した男子生徒がジェノに突然余興を振ってきた。

今日は女子も体育館らしい。ジェノがバク転すると聞いてわらわらと集まってきた。

ジェノはどうしようかと悩むふりをしながら、取り巻きの向こうに視線を投げた。
そこには体育館の隅にぽつんと座るジェミンがいた。
ジェノを見ているのかいないのか、とにかく視線はこちらを向いている。

ジェミンが見てるなら。

ジェノの動機はそれだけだった。
軽くストレッチをしてから、感覚だけを頼りに床を蹴った。

世界がぐるりと回る。

宙に浮いているほんの一瞬、ジェノは音も時間も止まってしまったかのように感じる。
ジェノはいつも、この瞬間自分はワープしていて、顔を上げたら別の世界になっているんじゃないか、なんて有り得ないことをちょっと考えてしまう。

両足が着地して、顔を上げる。
両眼は真っ先にジェミンを探す。

あれ?

たった一瞬目を離しただけのはずなのに、ジェミンは先ほどの場所から忽然と姿を消していた。

まさか本当にジェミンのいない別世界に来てしまったのだろうか。

なんてジェノが一瞬本気で心配しかけたとき、体育館の入り口に向かってのろのろと歩くジェミンを見つけた。

なんだ。見てなかったのか。

周りの男子の盛り上がる声も女子の黄色い声も、ジェノには聞こえていなかった。




小学6年の夏休み明けに転校してきたジェミンは、不思議なことにそれからずっとジェノと同じ学校、同じクラスだった。

初めて公園で会ったあの時から、ジェノはずっとジェミンが気になっていた。あの日以来、夏休み中に公園で見かけることはあっても、ふたりがちゃんと話すことはなかった。ジェノはジェミンの名前を転校初日の黒板で知った。

ジェノは昔から何もしなくても人を引き寄せるタイプで、いつも自然とクラスの中心にいた。対してジェミンは大人しく、自分の世界を持っていたからクラスでは地味な方だった。
そんな棲み分けなんか関係なく、気になるなら仲良くすればよかったのに、思春期のジェノにはその隔たりが越えられなかった。

そうこうしているあいだに時間は流れ、ふたりは高校1年生になった。ジェミンがどこの高校を受けるのか、ジェノは聞けなかった。
だから高校の入学式で、人混みに流されるジェミンを見つけたときは嬉しさのあまり声をかけた。
「あ!ジェミナ!」
まるで今まで友達だったかのように親しげに名前を読んだ後、ジェノはあっと後悔した。ジェミンはジェノのことなんて、認識してないかもしれないのに。
案の定振り返ったジェミンは首を傾げて、それでも「ジェノ?」と聞いた。名前を知っていた!ジェノはそれだけでその日は良い日だと言えるくらい嬉しかった。
これをきっかけにもっと話せるようになれば、と思ったのだが、そうすんなりとはいかなかった。
やはりジェノは目立って、新しい環境でもあれよあれよと人気者になった。運動神経が良いことがバレると、あちこちの部活から助っ人に頼まれるようになった。
はじめの頃こそ一緒に下校していたのに、いつのまにかジェミンは先に教室を出るようになった。



試験期間が始まって、部活も休みに入る。
ジェノは単語帳を広げながら、昼下がりの道をバス停に向かって歩いていた。ふと目線をあげると、既にひとり学生の先客がいた。
ジェミンだ。
イヤホンを付けてこちらには気付いていない。ジェノは手前で足を止めてしまった。

どうしよう。ふたりきりだ。話しかけたい。なんて?試験勉強どう、とか?そんなつまんない会話したくない。どうしよう。ジェミンだ。ジェミンだ。

「ジェミナ」

あれこれ悩み続ける脳を置いて、口からは勝手に一番呼びたかった名前が飛び出していた。

ジェミンはイヤホンですぐには気づかなかった。呼ばれたような気がする、といった顔で振り返った。ジェノに気付き、意外だったのか目を丸くする。

「ひ、ひさしぶり」

出まかせに頼った言葉はあんまりだったが、ジェノは言いながらジェミンの横に立った。ジェミンはイヤホンを外してジェノを見る。なにか特別な話があるのかと思っているのかもしれない。話したい気持ちはたくさんあるのに、どこから始めていいかわからない。いつもどうやって話してたっけな?
ジェノが話出さないのを見てか、ジェミンが口を開いた。

「このまえ、バク転すごかったね」
「え? 見てたの?」

絶対見てないと思ったのに。
ジェノはジェミンを覗き込むように勢いよく聞いた。それにすこし驚きながらジェミンはうん、と頷く。

「そうなんだ… あ、別にすごくないよ。練習すればジェミニだって出来るよ」
「おれが?無理でしょ」

ジェミンがすこし下を見ながら笑った。
ジェミンをこんなに近くで見るのは入学した頃以来だろうか。ジェミンが横で笑っているなんて夢みたいだ。ジェノは話したいことがどんどん出てきて、バスが来てもバスの中でも話し続けた。



ふたりは降りるバス停も同じだった。
ジェミンは生物部に入ったけどあまり顔を出してないこととか、バイトがしたいだとかぽつぽつと自身のことを話した。

「ねえジェミナ。初めて会ったときのこと覚えてる?」
「ん?」
「ジェミニが転校してくる前、公園で会ったでしょ。ジェミナ、蟻がどうこう言ってた」
「あ〜〜〜〜。覚えてない」

ジェミンはパッと顔を明るくして思い出したかのような顔をしたのに、笑いながら覚えてないと言った。

「覚えてないのかよ〜。俺、すごくよく覚えてるのに。変な子だなあ〜って思った」
「ふふ」


「俺は、そのあと何も言わずに一緒に蟻見てるジェノが変な子だと思ったよ」
「ん!? なんだ覚えてるじゃん!」

ジェノはジェミンの言うことに翻弄されて思わずため息が出る。
ジェミンはふふ、と楽しそうに笑ってジェノを少し下から見上げる。

「転校して、クラスに見たことあるやつが居て嬉しかったけどジェノはなんか…人気者だったから」

ジェノは思わず足を止めた。
ふたりが分かれる道もすぐそこまで来ている。

「ほんとう?」
振り返るジェミンをジェノが食い入るように見つめる。

「俺、ずっとジェミンとこうやって話したかった。ジェミニは俺なんか覚えてないかと思ってた」
「あはは。なにそれ。ずっと同じクラスだったでしょう。俺も話したかったよ」

ジェミンがころころと笑う。
笑うと細まる目にジェノは見とれた。みんなとは違うものを映すその大きな目がきれいだと思う。

ジェノは一歩足を踏み出して、ジェミンに近づいた。
ぐっと一気に縮まった距離に、ジェノ自身も内心たじろいだ。

だけど気づくとジェノはジェミンの手を握っていた。
ジェミンは驚いた顔でジェノを見る。

「これからもっと話そう。明日から一緒に登校しよう。今まで話せなかったこと、いっぱいあるもん」

ジェミンは目を丸くしたまま、うん、と頷いた。
ジェノのまっすぐな目線に圧倒されてなにも言えなかったけど、かろうじて握られた手を握り返した。



ふたりの距離が手のひらよりも近くなるのは、もう少しあとの話。

陽炎の日

陽炎の日

ボーイミーツボーイ

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • 青年向け
更新日
登録日 2019-10-07

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