認めた男
認めた男
真っ昼間からあんなに泣くなんて。しかも声を上げて。
号泣、嗚咽が止まらない。
気づいていた、禿げていることに。
でも否定したかった、認めたくなかった。
だが、観念せざるを得なかった……
うちは父方の祖父も、父も禿頭。
ハゲは遺伝、特に二代揃って禿げている場合は、確率がグンと上がる。確か雑誌かなんかで読んだ記憶があった。
思春期に入り、不安の種はナイーブな心の中で発芽しかけていた。
そんな時、母は決まってこう言った。
「お前は私の家系の血が濃い。じんちゃんを、おんちゃんを、いとこを思い出してごらん。みんなフサフサでしょ?
だからお前は禿げない。私が保証する」
信じた、無理やり思い込んだ、髪の神様にもすがる気持ちで。
事実、二十歳前後はフサフサだった。
調子に乗って、前髪に何度もメッシュを入れ、チリチリパーマを当てたこともある。
当時の頭部は、億千万もの毛髪で埋め尽くされていた。
これなら大丈夫と油断していた。
後悔先に立たず、甘かった。
すでに始まっていた侵攻に気づいたのは二十代半ば、遊びのため上京した際に宿泊したホテルだった。
風呂上りのドレッシングルーム。
実家と比べ断然大きな鏡。前に立ち顔を上げると、映っていたのは、額と生え際の区別がつかないほど、髪の毛が薄くなっている自分だった。
ショックのあまり、立ち尽くしていた。
それから孤独な戦いが始まった。
オシャレな美容室をあえて選び、ない髪をヘアスタイリストに無理やりアレンジしてもらい、体裁を作ろう。
育毛剤も購入し、母にヘアマッサージを頼んだ。
「ごめんね、ごめんね」
頭皮を揉みながらそう繰り返す。
息子の頭部に広がる荒野を臨むたび、罪の意識と哀れみが頭をよぎったのだろう。謝罪は続いた。
しかし抵抗むなしく、後退は進むばかり。
傷ついた時もあった。
同業者の飲み会で、オシャレパーマのメガネ男に髪型をいじられ、大卒新入社員の営業女子にはサラリとこう言われた。
「私、ハゲNG~」
無礼講の席とはいえ、辛かった。
ある夏の日の午後、意を決し妹に尋ねた。
「俺、禿げてる?」
妹は物事の判断に関し、ハッキリかつバッサリな性格。イエスかノーの二択のみ、グレーゾーンは存在しない。
最後の審判を仰ぐにはうってつけの相手だ。
そんな彼女だが、家族への同情からか、答えに躊躇しているようだった。
または、答えた後の反応が目に見えている点が、ためらいを誘ったのかもしれない。
そして張り詰めた空気を切り裂くように、その一言は放たれた。
「うん」
蜘蛛の糸は切れた。
この一件は宣告と同時に勧告にもなった。繕いを捨て地を受け入れる契機へと。
今はこまめに床屋へ通い、三分刈りの坊主頭をキープしている。
中学時代、校則で男子は坊主と定められていたため、家族からは昔に戻ったようだと言われる。
以前は恥ずかしさから、禿げ隠しの役割も担っていた、ベースボールキャップやニット帽の類も、本来の用途であるオシャレの一環として楽しめている。
最近、豊かな髪の男性芸能人がテレビに映ると、母と妹が憎々しげに文句を言い、因縁をつけるようになった。
「こいつ、髪の毛多すぎ!」
当人は気にしていないのに、家族が目の敵にするなんて、おかしなものだ。
少し不思議な気分でいる。
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