茸の暗殺

茸の暗殺

茸不思議ミステリー小説です。縦書きでお読みください。



 久しぶりにアメリカ大統領が日本を訪れた。珍しく二日も滞在し、しかも高尾山に登るということで話題になっていた。そのため新宿を初めとして、物々しいどころの警戒ではなかった。新宿駅もご他聞に洩れず、制服姿の警官がヘルメットをかぶってあちこちで立っている。特に、高尾山に通じる京王線や中央線の警備は大変なものであった。
 まだ勤め人の帰宅時間には早いせいで、新宿から乗った京王線の特急には空席があった。電車の中にも私服、制服関わらず、何人もの警備関係者が乗り込んでいる。
 私は本を読み始めた。向かい側では若い女性が足を組み、夢中になって携帯をあやつっている。
 本に集中しようとしていたのだが、誰かに見られている、と感じ、字面しか読めない。めったにないことで、警察官の目が気になったのかもしれないと、思いを振り払おうとしたがだめである。周りを見渡しても誰も私の方などは見ていない。それどころか警察官らしき人もこの車両には見当たらない。
 斜め向かいに長靴を履いた腰の曲がった爺さんが、ドアの外を眺めている。竹で編んだ大きなかごを背負っている。かごはこっちを向いているが、中に見えるのは新聞紙だけである。空いている席があるのに、遠慮しているんだろう。
 反対側の左の方にアベックが座っているが、話に夢中で、私の方など向いてもいない。
 だが、誰かに見られている気がする。
 おかしなこともあるものである。
 乗り換えの駅に着いた。高幡不動である。ここで各駅停車を待つ。僕を含め何人かがホームに降り立ち、五分後に来る各駅電車を待つ。
 そこでも、やはり、誰かに見られている感じは消えなかった。
 同じ車両から降りたアベックは立ったままにこにこしながらなにやら話している。ふと後ろを向くと、あの老人が竹の籠を担ぎながら並んでいた。老人は曲がった腰をさらに屈めて、下を見ている。
 背中の竹籠の中の無造作に丸められた新聞紙の間から見えるのは、茶色っぽい茸である。新宿で乗ったということは、どこからか仕入れてきたのだろう。
 各駅停車がきた。私が乗り込むと、待っていた人々も皆乗り込んで、思い思いに腰をかけた。
 今度は爺さんも籠をおろすと私の前の席についた。籠の中には、名前を知らない地味な茸がたくさん詰まっている。きっと旨い茸なんだろう。料理屋か弁当屋に持っていくのではないだろうか。
 高幡不動から隣の南平まで遠くない。スピードを出していた電車が急にゆっくりになる。南平についた。私の家がある駅である。私が立ち上がって、ドアの方に向かったとき。爺さんがあわてて両手をを広げた。その時、私はすでに南平のホームに降りており、まだ開いているドアから、爺さんが立ち上がるのが見えた。鼠ほどの大きさの茶っぽいものが閉りかけのドアから転がり出てきた。
 そいつは、ぴょこっとホームの上に立つと、とっとことっとこ、エスカレーターのところで、一番最後に並ぼうとしていた私の方に駆け出してきた。僕はそのときエスカレーターの上にいた。そいつもエスカレーターにポンと乗っかった。誰も気がついてはいない。
 そいつは茶色の松茸に似た茸であった。
 茸はぴょよこぴょこと私の後をついて、改札口をでた。
 人が僕とすれ違っても茸には気がつかない。
 信号が赤で立ち止まると、茸も止まった。信号が見える訳はないので僕が止まったからだろう。などと考えていたのだが、もっと理性を持ってすれば、茸が歩くことがおかしい。
 しかし、付いてくるのだからしょうがない。
 交差点をわたりちょっとした住宅地を抜けると、熊野神社の石段に行き着く。石段を登り始めると、茸もひょいひょいひょいと石段を登ってきた。途中で斜面の笹の中をのぞき込んでいる。立ち止まってしまった。
 おかしなことに、僕が茸に声をかけていた。
「なにかあるの」
 そうすると、茸はこちらをふりかって「網笠茸がいる」と言った。
 そういえば、そこには一昨年たくさんの網笠茸がでたところだ。たくさん採って食べた記憶がある。
 僕はうなずくと熊野神社の入り口に足を踏み入れた。振り返ると、茶色い茸があわてて追いかけてくるのが見える。
 家の門を開け、玄関の扉を開けると、追いついた茸が勢いよく玄関にかけ上がり、居間のテーブルの上にのぼった。まるで飼い猫みたいだ。一人暮らしだからまだいいが、同居人がいて、茸が飛び跳ねているのを見たらなんと言うだろう。
 僕が自分の部屋にカバンを置いて、着替えをしてから、居間に戻ってみると、茶色い茸はテーブルの上をまだ駆け回っている。うちの猫のジンが不思議そうな顔をして追い回している。だが、いっこうにつかまる気配がない。
 「これこれ」と声をかけると、ジンはあわてて外に駆け出していった。茸はまだぴょんぴょこテーブルの上を跳ねていた。
 「何で跳ねているんだ」
 「嬉しいんだ、こういうところで暮らしてみたかった」
 茸は振り向きもせず、テーブルの上を駆けている。
 「こういう所ってどういう所だ」
 「ほどほどの家だ」
 確かに僕の家は上等でもなければ、崩れそうな家でもない」
 「俺は、京都の生れよ、だが、山の中の朽ちかけた家の床から生れた」
 「それで、どうしたんだ」
 「その家は三百年前の、ある公家さんの隠れ屋だったんだ、誰も住まなくなって二百八十年もの間ほっとかれた。贅沢なつくりの家もほっとかれりゃ、我々の世界だ。その家の床の木はその当時としてはごくごく珍しい南米の木だった。名前は知らんよ、誰かが貴族に献上したのだろう、その公家は、隠れ家を立てるときにその木を使ったって分けよ。おいらたちは、その木にくっついてきた茸の胞子から生れたってわけだ」
 「それじゃ、アルゼンチンかブラジルから来たのか」
 「アマゾンの流域のどこかだ」 
 「外にはでなかったのか」
 「ああ、その床の木しかだめだったのだ」
 「それで、あのお爺さんがみつけたのか」
 「そうだ、あの爺さんは京都の大きな園芸屋の社長だった人で、茸のことにとても詳しい。山に入って、茸がりに来たときに、俺たちのあばら家を見つけたってわけだ、最初は二、三本とって、もって帰ったが、昨日また来た」
 「どうしてだ」
 「我々が日本にはない茸で、おかしな毒をもつことが分かったからだ」
 「茸の研究でもしてるのだろうか」
 「茸の研究も楽しんでいたらしいが、あの爺さん、おいらたちを使って、何かをくわだてる気なのだ」
 「まさか、電車の中で竹籠を背負っていた爺さんじゃないだろうな」
 「そうだよ、あの爺さんが、朝早く、京都で我々を採ると、新幹線でやってきたんだ」
 「だけど、何に使うのだろう」
 「明日の朝になって、テレビをつけてのお楽しみといったところだろうか」
 茸はぴょんとテーブルから飛び降りると、台所の方に走っていった。僕があわてて追いかけて台所に行くと、茸はどこかに入ってしまったようで、見あたらなかった。
 そういえば、この木のテーブルは洋材でできている。南米のものかもしれない。茸にとって木心地よかったのだろう。
 なんだか夢を見ていたようで、その日の夕食は、炊いてあったご飯に、昨日の残りものですませ、程々で寝た。

 明くる朝テレビをつけた。いつものように、天気予報が終わると、ニュースが始まった。突然大きな見出しが目を襲った。
「アメリカの大統領、日本で死亡」
ショッキングな出来事である。高尾山に観光にきたアメリカの大統領が茸の毒にあたって死んだのだ。茸を少し食べた奥さんや子供、おつきの者まで、茸の毒にあたった。死んだのは彼だけであったようだ。
 ニュース解説者は、大統領が高尾山の上で、神社のあたりをお供に囲まれて散策中、お爺さんが売っていた茸を見て、これを食べたいと、自分から買ったそうである。元々、大統領は茸が好きで詳しかったそうだ。形は違うが、爺さんの茸は杏の香がして、美味しい茸であると自分で判断したようだ。一本三千円とかなり高いものであるが、お付の者に数本か買っておくように言って、その場を離れたそうである。従者も、その爺さんに毒見をさせてくれと言い、その場で、一本をかじった上で買ったそうである。その後、全く買った従者には影響がなく、ホテルにもどって、ホテルでの付き添いに渡したということであった。
 晩餐の後に、ホテルに戻った大統領は、付き添いの者に、買った茸をバター炒めにするように言いつけ、それを肴に、日本の総理大臣から送られた、日本酒を楽しんだとのことである。茸を食べた数時間後には亡くなったということで、日本酒や茸が徹底的に調べられた。茸は日本ではまだ知られて無い新種であることがわかり無毒であったことも判明した。日本酒にも茸にも毒が混入していた跡はなかった。その後の調査で、アルコールと一緒になると猛毒に変身する物質が茸に含まれている可能性が指摘され、その線で調べが進められているということである。その物質はまだわかっていないようだ。大統領の体の具合のためだった可能性も指摘されている。
 売っていたお爺さんはそのあたりに住んでいる者ではないということがわかり、何処から来たのかまだ明らかにされていない。テレビでも申し出るように言っているが、まだ現れていないようである。
 僕が驚いていると、ひょっこりと茶色い茸が台所のゴミ捨て用のかごから顔をのぞかせた。
 テーブルまで飛び跳ねてくると
 「ほら、驚いたろう」
 ぼくがうなずくと
 「もっと驚くことがまっている」
 と言った。
 「どんな?」
 と聞いたが、それには答えることはしなかった。茸はテーブルから飛び降りると、台所の隅に消えていった。どこに入り込んでしまったのかわからなかったが、それ以来顔を出さなくなった。
 アメリカ大統領の死は、いくらかの日本への非難もあったが、あれだけの警備が行われていたのにも起きたことと、大統領自ら欲した茸に当たった可能性があるということで、偶然の事件として片づけられた。茸を売っていた老人を見つけだすことができなかったのはかなり奇妙なことであり、警察としては面目が潰れてしまったことであろう。あれだけたくさんの人たちが老人を見ていたにも関わらず、似顔絵も描くことができなかった。
 アメリカはもちろん、あらゆるところから調査の手が伸びたのであるが、なにもでてこなかった。騒ぎが静まったのは、半年後である。

 私も茸としゃべったことなどすっかり忘れていた。ところが、どうしても思い出さざることが起きた。
 アメリカの大統領選挙が行なわれたのである。亡き大統領の後にどのような人が選ばれるのか、世界中の話題をさらっていた。あまり適当な人材がなかったせいでもあるが、亡くなった大統領のライバルが選ばれたのである。
 世界的に大きな食材会社を経営している白人で、でっぷりと肥った貫禄のある人物である。確かに経営者としては裸一貫からその地位まで上り詰めた大変な能力を持つ人物だろう。日本で言えば還暦になり、人は良さそうだが、果たして政治の手腕はどうだろうかという印象の男性であった。
 彼は、大統領に選ばれた後のインタビューで、「日本とも仲良くなります」と日本語で言うなど如才ないところも見せた。アメリカでの反響は高かった。これで不況から脱出できると皆期待したのである。
 それから2日後のNHKのアメリカ駐在員による新大統領へのインタヴューがテレビで放映された。これは異例のことでもあろう。他の国にはこのような場を設けていない。前の大統領が日本で客死したこともあり、配慮されたことかもしれない。
 記者は緊張の面もちで彼の私邸に入っていった。
 自宅の公務に使っていると思われる新大統領の居間である。どっかと椅子に腰掛けて、その脇に奥さんと思われる女性が立っている。細い顔立ちで彫りの浅い日本人のような顔をしている。NHKのインタビュアーが奥さんを紹介した。
 「奥様は日本人のお父さんをもつ二世です」
 なるほど、そんなことがあって新大統領は日本語を口にしたのか、と僕は納得した。
 大統領の三人の娘たちも愛嬌のある顔して大統領の周りにいる。その後ろに、小柄な男性の老人がいて、子どもたちの肩に手をかけている。ちょび髭を生やして色の白い顔に笑みを浮かべている。カメラがスパンして子どもたちの顔がクローズアップされた。隣の老人の顔もはっきりと映った。日本人だ、大統領の奥さんのお父さんだろう。顔の雰囲気は大統領夫人に似ている。
 とそこに、台所のこまごまといろいろ置いてあるものの隙間から、茶色い茸が飛び出してきた。ぴょこんと、テーブルの上に乗ると僕に話しかけた。
 「しばらくぶり」
 茸は生意気な口を利いた。
 「どこかで見たことがあるだろう」
 「だれを」
 「ほら、大統領夫人のお父さんだ」
 「ああ、あの人は日本人そのものだ」
 「会ったことがあるだろう」
 「知らないなあ」
 僕は思い出そうとしたがでてこない。
 「俺や仲間を、運んだやつだ」 
 僕はテレビの画面に目を凝らした。
 「あの時の爺さんか、でもあの爺さんは色が黒くてしわくちゃの顔をして、腰がまがっていた」
 「演技だ、たいした爺さんだ」
 「そういえば、似ている」
  色を黒くして腰をかがめればああなる。
 「しかし、どうして」
 「そりゃ、娘の亭主をアメリカの大統領にしたかったのさ」
 辻褄が合わないわけではない。
 「分かったかい」
 そういって、さらに、「俺を食うときには酒と一緒はだめだぜ」と、言って、茸はキッチンの隅に昼寝をしに行ってしまった。
 高尾山のアメリカ大統領の茸中毒死。これが殺人であることを知っているのは僕と、今一緒に住んでいる茶色い茸だけである。きっと未来永劫わかることはあるまい。
 

茸の暗殺

茸の暗殺

日本に来たアメリカ大統領が茸を食べて亡くなってしまった。その茸とはどんなきのこだったのだろうか。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-10-04

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