犬と私
指を折って数える。5,6,7・・・今日は、8日。
家に犬がやってくるまで、あと、10日もある。
思えば、自分が動物を飼ったことは無い。
みさこはまだ幼稚園児だけれど、そんなことを思う。
果たして、本当に大丈夫なのだろうか?
ちゃんと飼うことができるだろうか。
みさこは正直なところ、動物があまり好きではない。
だから、今まで動物に関する話題は
極力振らないようにしてきたのだけども、
いかんせんうちの親は教育熱心である。
私が動物があまり得意ではないということを察すると、
両親は即、自宅で生き物を飼うことを提案してきた。
いや、提案ではなく、もう強制である。
私は動物が嫌いなわけではない。
むしろ見るのは好きな方である。けれども、
飼うとなったら全く話は別である。
生き物には命がある。すなわち、自分の操縦ひとつで
その命を抹殺してしまう可能性があるということだ。
私は死というものが、たまらなく嫌なのだ。
育てるという状況の中に生まれる責任というものが、
大嫌いなのである。
(少々難しい言葉をたくさん使っているが、
これは文章上分かりやすくしているもので、
実際のみさこの頭の中では単純な思考が巡り巡っている。)
溜め息をつかざるを得ない。
動物が苦手という理由だけで動物を飼おうと提案する、
その両親の短絡的思考には毎度のこと辟易させられる。
もう、幾つ寝ると、大人になれるのだろうか。
そうして、早く、両親の手を離れてみたい。
そんなこんなしているうちに、母親が私の部屋のドアをノックして、
「みさこちゃん、昼ごはんできたわよ。」
と、言った。私は素直に母親の言うことを聞いて
リビングのある下の階へと降りて行った。
空腹などになると、親の手を借りざるを得ないのだ。
とても都合のいいことに。
さて、話は元に戻るが、動物には命が宿っている。
そこのところ両親はどう考えているのだろうか。
私の教育道具としてしか、生き物を考えていないのだろうか。
そうであれば、心は冷たく冷え切ってしまう。
だって私ですらも、
両親のただのモノでしかなくなるということなのだから。
それは手段であって、両親の株を上げる役割しか
果たすことができないのだから。
そんな味気ない命なら、私はなかったほうがマシだ。
それで犬が来るという話だが、私が育てるということになっても、
まるで現実感が湧かない。
なにしろ第一に、愛着がないからだ。
犬というものは、第一に、愛着がないと飼っちゃいけないものだと思う。
それか、別に、どうしても一人では生きていけない状況に追い込まれて、
最後の砦として犬を飼うことにすべきじゃないだろうか。
考えて考えて煮詰まるほど考え込んだ挙句、
それでも自分にはこの存在が必要だと感じた時にだけ、
命を預かる権利が生まれるのじゃないだろうか。
そうすると私達一家は、軽率過ぎやしないだろうか。
そこまで考えて、気付けば私は食卓のテーブルの前に腰を下ろしていた。
テーブルを挟み込むようにして、両サイドには
両親が向かい合うような形で座っている。
左側にはお父さん、右側にはお母さん。
私は両親が手を合わせるのを見て、真似るようにして両掌を合わせた。
「いただきます。」
父親がそう言って、食事が開始された。
私は、言うことがあって、父親の顔を見詰めた。
父親はそれに気付いて、ん?という顔をしてこっちを見た。
私は一呼吸おいて、話をし始めた。
「あのね、動物ね。私、買う必要ないとおもうの。」
両親は、目を真ん丸くして、こちらを見た。
どちらとも、ひどく驚いた様子だった。私は、話を続けた。
「だってね。かわいそうじゃない。誰も、愛してないのに。」
両親は、それを聞いて、ビクっと体を震わせた。
何かが、心臓に突き刺さるような感じがしたらしい。
私は一拍置いて、
「あのね。私、動物が嫌いなんじゃなくて、育てるのが怖いの。
殺してしまいそうで。不幸にしたらいやでしょう?
だから、苦手なままでいいから、動物飼うのは、やめにしよう?」
そこまで言って、私は話すのを止めた。
もくもくと箸を動かして、目の前のハンバーグと真剣に向き合った。
私がもくもくと箸を動かす中、両親はその様子を眺めながら、
チグハグな感情で、状況を受け入れることに務めていた。
(いつの間にこんなふうなことを言えるようになったのかしら?)
と、母親は思った。続けて、
(いつの間にこんなに成長したのだろうか。)
と、父親は思った。
両親は意思疎通ができるようで、テーブルの両サイドで
お互いの顔を見詰め合いながら、一度だけコクン。と頷き合った。
父親は無心でハンバーグを貪り食う私に改めて向き合ってから、
「ちょっと、いいかな?」
と、言った。私は箸を置いて、父親の顔を見て静止した。
父親は不自然な感じに微笑んで、
「みさこちゃん。分かったよ、
みさこちゃんの気持ちは、よく分かったから。だからね、
お父さん達も、よく考えることにするよ。」
そうして、息を吐いた後笑って、とても気持ち良さげな顔をしていた。
私は少し固くなって笑って、でも嬉しかった。
母親を見ると母親も笑っていたので、余計嬉しくなった。
その日の昼食は、それから幼稚園の話をして、楽しく終わった。
それからしばらくして、犬が家にやってきた。
実は、父親がどうしても飼いたかったのだそうだ。
けれども私が動物が苦手だということを知っていたから、
どうすればいいのだろうと悩んでいたのだそうだ。
私はそれを、父親の口から、あの日の昼食の後に聞いた。
私は父親から悩みを相談されたことがなかったので、
とても嬉しかった。
それから私の視線の高さまでしゃがみこんだ父親の頭を、
くしゃくしゃと撫でた。
私と父親は、嬉し恥ずかしくなって、笑った。
犬と私