魔法の時代
おかのうえの怪人、及び、恋人と上手に別れる方法と、若干のてとりあしとり
学校からの帰り道の丘の上。最近いつもそこに立っているおねえさんと、ぼくは仲良しになった。おねえさんは自分を怪人イリオモテヤマネコ男の娘だとじしょうしている。
イリオモテヤマネコ男は、テレビで放送している『歪曲戦士 ユガミマン』の第三話でユガミマンからわいきょくしたじくうのかなたへたたき込まれてしまった怪人だ。ぼくもそのようすはテレビで見た。
「父のかたきをうつために、本土へやってきたのです」とおねえさんは言う。テレビ局の人と話をつけて、『歪曲戦士 ユガミマン』の第11話で決闘をさせてもらえることになっているらしい。場所はお父さんがじくうのかなたにきえた、いんねんの場所である、この丘だ。おねえさんはその決闘の下見と、イメージトレーニングのために毎日ここへかよっていると言った。
何日かいっしょにいるうちに、ぼくはおねえさんのことをすっかり好きになってしまっていた。決闘なんてやめればいい。ユガミマンのあくどいやりくちには、おねえさんはきっとたちうちできない、とぼくはさいさんうったえかけた。ユガミマンの戦法は、あらかじめいくつか用意しておいた、わいきょく空間に、戦いながら相手をたくみにゆうどうしていくという、いわばつめしょうぎみたいなものだ。ぼくはそれに、まえからあんまりいいいんしょうは持っていない。
おねえさんは「男には勝てないとわかっていても、戦わなければならない時がある、というのが父のくちぐせ……、というかわれわれ怪人の標語みたいなものなんです」となんでもないように言う。
おねえさんは男じゃないじゃないか、とはぼくはあえて言わないでおいた。ぼくたちは毎日くらくなるまで、ユガミマンをどうやってたおすかを話し合った。これもおねえさんには言わないでおいたけど、おねえさんがピンチになったら、近くの草かげからとびだして、ぼくもいっしょに戦おうというつもりだった。
いよいよ明日が決闘という日、おねえさんはぼくに冷たいたいどをとった。なるべく口をひらかないようにしているようだし、たまにひらいても「こどもは家へかえりなさい」とか、つまらないことしか言ってくれなかった。おねえさんのおもわくはぼくにはわかりすぎるくらいにわかった。
それはあんまりかしこい方法じゃないよ、とぼくはおねえさんに言った。わざとぼくにきらわれようとしているんでしょう?
「なぜわかったの」とおねえさんはおどろいた顔をしていた。そりゃわかるよ。でもなんでぼくにきらわれようとしてるのさ?
「だってあなた、明日の戦いをじっと大人しくは見ていられないでしょう」とおねえさんは言う。おねえさんも、ぼくの考えなんかお見とおしだ。「あなた、わたしが危うくなったら、きっと草かげや何かからとび出してくる気でいるでしょう」
だって……、とぼくはこどもらしく口ごもる。
「そうなったら、もし無事にすんでも、あなたは学校でいじめられてしまいますよ。あなたとちがって、こどもたちはふつう、ヒーローの味方なんですから」それは違う。みんなもおねえさんと話せば、ユガミマンよりおねえさんのことのほうがきっと好きになるよ、とぼくは言った。「そういうことにはならないんです。そういうふうに世の中はできていないんです」と、おねえさんはさびしそうな顔で言った。
「あなたはわたしのほんとのすがたを見ても、わたしを好きだって言えますか? あなたをためすようなことは、ほんとうはしたくないんですけど」
言える、とぼくはこたえた。
「これでもですか?」おねえさんが、イリオモテヤマネコ男の娘のすがたになる。それでもぼくは好きだ、と言った。しっぽもみみもチャーミングだし、目もみどり色で、なんだか宝石みたいだ。それにおねえさんのやさしいふんいきは、イリオモテヤマネコ男の娘のすがたになっても、ぜんぜんかわってなんかない。
ぼくはちからをこめてしゃべりつづけた。決闘なんてやめればいい。おねえさんはきれいだから、ふつうにくらしてきっとしあわせになれるよ。おとうさんもかたきうちなんて危ないことはしてほしいなんて思ってない。西表島にかえろう。なんならぼくもいっしょについていってもいいから。
「ありがとう」と、おねえさんはぼくの手をとってそう言った。ネコの手のやわらかいかんしょくがした。「うまくお別れしようと思ったんだけど」そんなのはぼくはわからない。ぼくはまだこどもだから、うまいお別れのしかたなんか知らないんだ。
「あなた、わたしがいなくなったら泣くでしょう?」泣く。よくわからないけど、いつまでもいつもよりたくさん泣くと思う、とぼくは言った。「だから、いっそきらわれてしまおうとしたの。そうすれば、あなたはそのうち、わたしのことなんかわすれて、しあわせにくらせるから」
いやだ。おねえさんがいなくなるのもいやだけれど、おねえさんのことをきらいになって、一年生のときにつかっていた教室に、いまでもおきっぱなしにしている絵の具ばこのことみたいに、ふたりでいたことをわすれるなんてもっといやだ。ぼくはそのとおりのことをおねえさんにつたえた。
「じゃあ、あなたはどうしたいの?」
ぼくはやっぱりおねえさんといっしょにユガミマンと戦おうと思う、と言った。そうするのがいちばんいいような気がする、と。おねえさんはすごくこまったような顔をしていた。「あなたのご両親にもうしわけない」とも言った。ぼくが決めた、ぼくにとっていちばんいい方法なんだから、ぼくのおとうさんとおかあさんもきっとわかってくれるだろうとぼくは思う。そしてそうしなければ、いつかぼくは明日のことを思いだしたとき、ぜったいにいやな感じがするだろう。
戦いは、おねえさんのことばで言うと、とてもしれつなものだった。ぼくもおねえさんもふたりで助け合ってほんとうによく戦った。さいごのころにはテレビのさつえいの人たちも、やじうまのこどもたちも、ほとんどみんながぼくたちをおうえんしてくれていた。でも、さすがはヒーロー。ぼくたちはやっぱりユガミマンには勝てず、わいきょくしたじくうのはざまに足をとられてしまった。
「ごめんね」とおねえさんはきえそうにわらって、ぼくに言った。かまわない、とぼくは思った。自分で決めたことだし、こうなることも、はんぶんは、なんて言うか、わかっていた。大丈夫、とぼくは言った。
でも、ごめんねの意味はちがった。おねえさんはぼくのせなかをおして、わいきょくしたじくうのはざまからもとのせかいへもどした。そういうごめんねだった。いつもの丘が見える。ユガミマンも、テレビの人たちも、やじうまも、みんな、じくうのはざまにのまれていくおねえさんのことをじっと見ている。
ぼくはそんなみんなをいちど見まわして、なんだかむねがいたくなって、ちゅうにうかぶ黒いかたまりにむかっておねえさんのことをなんどもなんども呼んだ。はざまはだんだん小さくなって、そのうちきえてなくなってしまった。じかんがゆっくりすすんだ。
みんなは、おわった、おわった、おつかれさまでした、と言って、丘の上からいなくなっていった。ぼくがいつまでそこにいたのか、そのあとのことはあまりおぼえていない。ただ、おかあさんが「ごはんよ」と言って、むかえにきたのはなんとなくおぼえている。
それからは何日も何日も学校にいかなくて、ぼくは家でずっとねむってばかりいた。てんきがよかった日におかあさんが「おてがみよ」と言って、ぼくにふうとうをわたした。てがみはユガミマンからだった。そとがわにそう名前がかいてあった。ユガミマンにかたきうちをしたら、おねえさんはよろこぶだろうか、とぼくはかんがえた。とにかくよんでみようとしてあけると中にしゃしんがはいっていた。
しゃしんには、おねえさんがうつっていた。いっしょにうつっていたのは、おおきなからだの、ひげのはえた、つよそうなネコの怪人だった。しゃしんのうらには「おげんきですか。わたしたちおやこはこきょうの島で、しあわせにくらしています」とかかれていた。ぼくはわけがわからなくて、それからいそいでユガミマンからのてがみをよんだ。
「拝啓、わたしはヒーローとして憎まれ役にはなれているつもりだが、君への誤解は解いておいたほうが、後々お互いのためになるだろうと思い、筆を取った。同封した写真でご覧の通り、イリオモテヤマネコ男の父子は、西表島で健在である。念のため言っておくが、その他の怪人たちも同様に、わたしが責任を持って、時空の狭間からそれぞれの故郷に送り帰してある。君たち子供には秘密にしてあるが、我々ヒーローと怪人たちは同業者、いわば仲間であり、常人にはわからない深い、特殊な絆で結ばれている。ゆえにお互いを疎かに扱ったりはしない。今回の件は、我々の社会のルールにまだ精通していなかった、イリオモテヤマネコ男の娘の世間知らずさが原因だったと思われる。我々はこの事実を重く受け止め、今後、同じ事態を惹き起こさないためにも、年少者に対する教育を徹底して行っていくつもりである。なお、君がわたしのことを憎く思い、それとまだ幼い心から、わたしの真摯な言葉を信用しないということも予想されるので、西表島行き五泊六日のチケットも同封しておく。日にちの変更は受け付けるが、チケットはなくすといけないので、出発まで保護者の方に預かっておいてもらうように。その他の注意事項としては……」
むずかしい字ばかりで、ぼくはほとんどかいてあることがわからなかった。でもうれしいことがかいてあることはわかった。おかあさん! と、ぼくはひさしぶりにおおきな声を出した。てがみよんで!
グリーン
緑魔法をご存知だろうか? 水辺の生き物達が扱うもので、鯰や一部のへび、川獺などもこの魔法を使う。しかし、なんといっても緑魔法の一番の使い手はカエルたちであろう。カエルたちは大勢集まって簡単な気象コントロールさえ行うことができる。
そもそも緑魔法の始まりは一人の天才カエルによるのである。大陸からやってきた緑色博士という魔術師が、この土地に緑魔法を齎した。緑色博士は当時、カエルたちを襲っていた大蛇をその力でこともなく八つ裂きにしたという。カエルたちの村の聖域に今でも祀られている蓮切の剣はその大蛇の尻尾から出てきたのだそうだ。そして博士はカエルたちに緑魔法を教え、緑魔法は段々と他の生き物たちにも伝わっていった。
性質の悪い魔法使いの友人の悪戯で、カエルの姿に変えられてしまった私を、カエルたちは暖かく迎え入れてくれた。私から事情を聞いた彼らは、「人間達は我々の緑色のものと違って、白と黒との魔法をもっているのですね」と感心している様子だった。そして私に緑魔法を修得し、人の姿に化けることができるようになれば、人間に戻る足がかりになるのではないかと勧めた。川獺は人を化かすと昔からいわれているし、蝦蟇なども人に化けて、人間の血を吸うと何かで読んだことがある。「なるほど」と納得し、そうして私はカエルたちの客となって緑魔法を学ぶことになった。
私とカエルたちとの生活が始まった。彼らは温厚な者たちばかりで、よそ者である私にも親切に接してくれた。私もそんな彼らに徐々に種族を超えた愛着を感じるようになっていった。
カエルたちの生活も常に平和というわけではなかった。敵対する蝦蟇たちや、強大なヘビなどから襲撃を受けることもしばしばだった。そんな時には私もカエルたちへの恩返しの気持ちで微力ながら戦いに参加した。月日が経つとともに私は力を付けていき、後には緑色博士の再来と呼ばれるほどの緑魔法の使い手となり、村の防衛に欠かせない存在としてカエルたちに認識されるようになった。ある大蛇を退治したときなどには、その功績を讃えられ、私はカエルたちの最高栄誉である「グリーン」の称号をも授与された。
私がカエルたちから離れがたい気持ちを感じはじめていたある時、大洪水が村を襲い、私とカエルたちをそこから押し流した。私は生来泳ぎを不得手としていたが、カエルの姿となってもその点は改善されておらず、カエルたちの間でも英雄の弱点として、よく笑いの種となっていた。私はどこまでも水に流されていった。そして気を失って倒れているところを友人である性質の悪い魔法使いに助けられたのである。私は人間の姿に戻った。
その後、この街も開発されていき、水田や池なども少なくなって、カエルたちにはさぞ住みにくい土地になってしまったことだろうと思う。彼らの鳴き声を聞くことも、もうほとんどなくなってしまった。私は眠れぬ夜などによく彼らのことを考える。彼らは今も、どこか違う土地で無事に暮らしているのだろうか。そして洪水で流されたまま、行方知れずになってしまった「グリーン」のことをたまには思い出したりしてくれているだろうか、と。
夏衣
「以前息子がお世話になっておりました。私は先代の夏でございます」
未だ梅雨の明けない7月27日の日暮れ頃、部屋を訪れた老人はそう僕に自己を紹介した。
「はあ……、これといって、そういう記憶は持ちませんが」これは僕の率直な感想だ。
「あなたは幼い頃、春の終わりの、まだほんの小さい夏でしかない息子を、毎年誰よりも早く探し出してくれたものでした。息子はよくあなたのことを私に語って聞かせておりました」
「……でしたっけ?」
「ええ、あなたは憶えていらっしゃらないかも知れませんが、息子は毎年あなたの訪れを心待ちにしておりました。それがある年からあなたは探しに来てくれなくなった。なぜですか?」
「それは……、よくわかりませんが、僕自身も年を取ったということじゃないでしょうか。いつまでも夏を探してばかりはいられないとか、そういう……。というかなぜ僕なんですか。僕以前にも以降にもそんな子供がいたはずでしょう?」
短い間があった。
「夏はお嫌いですか?」老人は僕の問いには直接答えず、逆に質問した。
「好きとか嫌いとか、よく分かりません。夏の思い出というほどのものも、今はなんだか思い出せません。というか思い出って何なんでしょう。僕は思い出って言葉に、どこか胡散くさい感じをもってしまうんです」
「おもしろいことをおっしゃいますね」僕の言葉に老人は寂しい笑いを浮かべたのみで、おもむろに先を続けた。「あなたがちょうど、夏を見つけてくれた最後の世代なのです。時代の移り変わりとともに、我々を探す者も、失われてしまったのです。必然として、息子はあなたのことを何年も待ち続けました。しかし、待つことに疲れてしまったのでしょう。息子は役割を放棄し、姿を隠してしまったのです。このままではもう夏が訪れることはありません」
「姿を隠したって、いったいどこに?」
「あなたはご存知のはずですよ。息子はあなたが過去に経験した夏の記憶のどこかに、身を隠しているのです。我々の一族に古くから伝わっているこの夏の衣を纏って、あなたに過去の夏を繰り返していただきたい。色々な夏があったことでしょう。辛かった夏、悲しかった夏、うれしくてうれしくて涙が溢れてきた夏や、ただ通り過ぎていっただけの夏もあったことでしょう。当時は感情に囚われるままでしかなかったでしょうが、今のあなたであれば、それらの過去の夏全てを包み込み、受け入れることができるはずです。そのどこかに夏は隠れているのです。あなたが過去のものとして否定してしまった、夏のどこかに」
過去の全ての夏の記憶が一瞬、僕の脳裏に蘇ったような気がした。いつからか、僕自身の夏も失われてしまっていたのではなかったか。
「それもいいかも知れませんね、夏を探すのも」と、僕は答えた。「でも全ての夏の記憶の中から、息子さんを探し出すなんて、目隠しの鬼をやっているようなものです。うまく見付けられるんでしょうか?」
「なに、夏のほうでもあなたに見つけてほしいと、本心では思っているはずです。きっとあなたが近くに来れば、遠慮がちにでも手を鳴らして居場所を知らせてくれますよ」老人はこの部屋に来て初めて、屈託なく笑って言った。
夏衣 (冬バージョン)
寒い。死にそうなくらい寒い。これは比喩でなく、事実今にも私が凍死してしまいそうだということだ。
とある冬の高山の頂上付近(おそらく)。仲間からもはぐれてしまい、この吹雪では救助も期待できない。そうなると人間の心は折れやすいもので、私は柔らかな、一見優しげに感じられる、足元の雪に身体を投げ出し、手っ取り早い死の訪れを待った。
ただこの苦痛の時間が一瞬でも短くなればいい、と思った。
「大丈夫ですか!?」そう声を掛けられた……、気がした。たぶん幻聴だろう。タイミング的にそろそろ走馬灯とか見えてきてもいいよな、と私は考えていたのだが、そもそも走馬灯がどういうものなのか把握していないという事実に、今更ながら気付き愕然としているところだったのだ。
しかし幻聴が聞こえたともなれば、いよいよ待ち兼ねた死がすぐそこまで迫っているということだろう。私の期待は俄然高まった。
「大丈夫ですか!?」幻聴もなかなかねばるなと、私は感心した。
「ええ、大丈夫ですよ。ご心配なく。早いとこ終わらしちゃってください」と私は幻聴に催促した。
大半が雪に埋もれてしまっていた、私の身体が揺り起こされた。
「眠ったら、たぶん死にますよ」と、彼は少し皮肉に笑いながら言った。
この場所に自分以外の人間が存在したことだけでもかなりの驚きだが、それ以上に彼の装備の軽さに私は目を奪われた。彼はTシャツにハーフパンツというスタイルなのだ。幻覚、ではないようだ。そのことは非常に信じがたいことなのだが。
「君は寒くないのか?」私はまずそのことを尋ねずにはいられなかった。
「ああ、これ……」とその若者は笑いながら答える。「実は目には見えませんが、僕は『夏衣』というのを羽織っているんです。これを着ていると自分の周りだけは常夏で、どんな場所でも寒さを感じるということがないんです。まぁ、周りと言っても半径1メートルくらいですが」
私は何とも返事のしようがなかったので、ただ黙ったままでいた。私も既にその半径の中に入っており、今では寒いどころではなく、分厚く重ねている衣服を脱いでしまいたい衝動にさえ駆られているのだ。
「じゃあ、下山しましょうか」若者が言った。
道々、『夏衣』と彼自身とについて私は色々と若者に質問した。わかったことは、彼が比較的軽い気持ちでこの雪山を登頂した帰りだった(もっとも登山の経験自体は豊富なようだが)ということと、『夏衣』は天狗を騙して手に入れた、ということだった。
「使いどころが少ない、というか、ほぼ皆無と言っていいので、そろそろ天狗に返してあげようかと思います」若者はそう言って笑う。極地に行く場合か、さもなくば真冬に『夏衣』を着て、屋外でアイスなどを食べ、若干の贅沢な気分を味わうくらいしか使い道がないのだそうだ。
「いいんじゃないかな」と私は答えた。返してやれば、たぶん元の持ち主も喜ぶだろう。
祖母の魔法の時代
別段秘密にしてたつもりもないんだけど、あんたには話してなかったね。そうだよ。確かに私は若いころ魔女をやってたよ。
そもそもは子どもの頃ご近所に御笠川流の魔女のお師匠さんが住んでいてね、そこいらの子供たちはみんなそのお師匠さんから手習いを受けたもんさ。
私はね、生来凝り性だったんだろうと思うね。いつも晩までお師匠さんのとこに入り浸って、何やかんやと質問しながら魔法の練習をやってたね。お師匠さんは煩がるでもなく、自分のお勉めもあるだろうに、莞爾と笑って私の相手をしてくれていたね。
女学校に上がるころには私はいっぱしの魔女になっていたよ。少なくとも自分ではそう思い込んでいたね。若さからくる思い上がりもあったろうと思うけど、お師匠さんからも「あなたは筋がいい、将来必ず御伽噺にでてくるような偉大な魔女になるだろう」みたいなことを言われてたもんだからね。
実際、私の力はそこいらの女学生達とは比べ物にならなかったよ。すぐに県の代表に選ばれちまった。それからは国体の選手になったり、世界選手権で本場の強豪たちと技を競い合ったりしてさ、華々しくも忙しい日々を過ごしたもんだよ。雑誌なんかにも取り上げられてね、『東洋の魔女』なんて呼ばれて当時はちょっとした騒ぎになったもんさ。
おじいさんとはどこでどうして知り合ったのか、その最初のところがいまいち思い出せないねぇ。どうにも学校を出て幾年かしてからのことだろうと思うよ。しかし写真の一枚も残ってないのが口惜しいね。若いころのあの人はね、それはもう目が覚めるような美男子だったんだよ。
あの人は落ちぶれちゃいたけど元々は武士の家系でね、それでちょっと偏屈なところがあったね。新しい物事に対して保守的な態度を取るところがあった。
「魔女なんてハイカラなもんは俺は好かん」ってあの人は言ってね。私もあの人にすっかり夢中になってたもんだから、「はい、じゃあやめます」って、すぐに全部放り出して引退しちまった。魔女の世界に未練がないわけじゃなかったね。それこそ私の人生にはそれしかなかったわけだし、お師匠さんや良くしてくれた周りの人たちにも済まないって気もした。でも、その時もそれから先も、魔法であの人の気持ちをどうこうしようって考えるようなことはなかったね。あの人は何て言うか、私のちゃちな魔法なんかではどうにもできない強さを持ってるように私には感じられたのさ。
私は魔女の世界とはすっぱり縁を切って、あの人と一緒になったよ。それからは色んなことがあったね。戦争が始まってあの人が兵隊に取られたり、そこいら中が焼け野原みたいになっちまったりね。ほんとにあの人が帰ってくるまでの間は、こっちのほうが生きてる心地がしなかったもんだよ。あの人が無事帰ってきて、それから子供ができて、ろくな仕事なんかなかったもんだから、あの人は炭鉱で働いてね、いつの間にかどんどん子供たちが増えていって、あの人も私も年を取って、あのころの歳月は今思えばそれこそ魔法みたいなもんだったよ。
あんたの学校の理事長は私が現役だったころのライバルの一人だよ。私と違って立派な人でね、あの世代の魔女はみんなあの人を姉さんみたいに慕ってたもんさ。
私もあんたに魔女の心得のひとつでも教えてあげたいところだけど、みんな忘れちまったねぇ。あんなに夢中になってたことも、いつの間にか全部忘れちまうんだね。でも後悔はしてないよ。私は私の思うように生きた。あんたも誰に反対されようが、自分の思う通りにやりなさい。それが結局いちばんだと私は思うんだよ。
だるまさんがころんだ
「だ!」と空から大きな声が発せられて、
以来地球をはじめ全ての天体は運行を停止した。
自転すらしていない。
原因や声との関連性は現在調査中。
声についてはどうにか方向を特定できたので後は距離の問題だけだという。
太陽系外からのものであるということまでが今のところわかっている。
わかったところでどうなるということもないかも知れないが、
何もわからないよりは幾分か安心できる、
というかこの状況で何もせずにいることもできないわけだ。
ある物好きな科学者が江戸中期ごろの随筆の中に
「天から『ん~……』という大きな声が三月ほど聞こえてきていた」
という記述を見つけ、声との関連を説いた。
ごく一部の人々はある可能性に思い当たったが、「そんなばかな」とすぐに打ち消した。
しかし似たような内容の文献が諸国にも残っていたらしく、
日本のある遊びの詳細が世界中に、ひそやかにではあるが知れ渡っていった。
そして数週間後、気付くと木星がどこかへ消えていた。
「ばかだな木星、動いちゃったんだな」と人類の大部分が我知らず考えていた。
星屑のドレス
茫洋とした海をもう何日漂ったことだろう。私たちの船が大嵐によって粉々にされ、私はひとり木切れのみを唯一の供に、荒れる海へ放り出された。昼間の情けも容赦も知りはしない太陽の光と、何も見えないにも関わらず、気配だけはそこかしこに充満して感じる夜闇の圧迫感。それに私はもう耐え切ることができなくなり、手っ取りばやい死の訪れを待つようになった。
「大丈夫ですか?」聞き覚えのある誰かの声が聞こえた気がした、たぶん幻聴だろう、とは思ったが、前にも確かこういうことがあったなぁと私は考えていた。
「こんなところで寝てると死にますよ」私の身体を抱き起こして彼は言った。
「君は……?」
「いつぞやは。今回は海ですか」夏衣の青年だ。
「なんでここに?」
「まあいろいろありまして、今しがた星空から帰ってきたところです」
「星空……? それでここに?」
「ええ、落ちたところがまずかったわけです」私がどうにも腑に落ちない表情をしていたからだろう。青年は言葉を続けた。「聞きますか、僕の話?」
「じゃあ……」
彼は最近ある女性に求婚をしていたらしい。非常に魅力的な女性で、ライバルも多く、女性は結婚相手を決めるために求婚者たちに難題をだした。それぞれに蓬莱の玉の枝、火鼠の裘(かわごろも)、燕(つばくらめ)の子安貝などといった宝物をもってくるように言い、無事に持ってきた者と結婚すると約束したという。彼は星屑のドレスを持参するように言われたのだそうだ。
「星空は思った以上に広大でした」彼は感慨深げに言う。
手始めに英雄オリオンの右肩、べテルギウスを手にしたハンマーで打ち砕き、子犬の切なげに鳴く声に心を痛めつつも、大犬の喉を粉々にした。おうし座の昴やしし座のレグルス、こと座のベガや白鳥のデネブなど、目だった星を手当たり次第に砕いてまわり、終わり近くには、くじら座の変光星ミラや、ペルセウスのアルゴルなどマニアックなものにまで手を伸ばしたという。
「それで、集めた星屑はどこだね?」私は尋ねた。
「それがどうも大気圏であらかた燃え尽きてしまったようなんです」彼は空を見上げながらあっさりと言う。
「じゃあなぜ君は無事なんだ?」
私の至極当然な疑問に青年は「さあ、なにかのご加護でしょうかね」と、諦めたように笑って答えた。
そういう次第で彼の結婚の望みは潰え、今回は便利な道具も持ち合わせていないので、まだまだ漂流は続く。しかし話し相手ができたのははなかなかありがたいことだ。
流れ星
今回ばかりは私といえども冷静ではいられない。明日で世界が終わるのだ。
なぜ世界の滅亡は自分一個の死よりも恐ろしく感じるのだろう? 死後が虚無であるのなら、世界の消失もなんら変わらない。自分が認識できない世界などは存在する意味がない。恐怖感の理由を無理やりにでっち上げてみるならば、人類が積み上げてきた歴史といったものに意義を感じているからだ、と言うこともできなくはない。それがドミノのように倒れていくことを恐ろしく思うのだとか何とか(しかしドミノの場合は最終的には倒すことこそがカタルシスをもたらす)。もしくは自分に近しい人々が自分のいなくなった後も健やかに暮らしていくことをやはりどこか願っているのか。それは種を保存するための本能みたいなものと何か関係があるのか。しかしやはり人間の良い行いも悪い行いも全て(意識的にか無意識的にかの些細な違いはあるだろうが)、窮極的には利己や自己愛から出たものに過ぎないのだとするならば、自分が世界に生きたことを記憶する人たちがいなくなる、つまり自分が生きたということが全く証明できなくなるということこそを恐れて、私たちは世界の滅亡を厭わしく感じているようにも思うのだ。
「どうしたんです? あんまり思いつめて考えていると、酸欠で死にますよ」
彼はコントローラーを複雑に操作し、私の所有のパソコンでオンラインゲームとやらをやりながら、その片手間にといった風にして、顔色を変えてテレビを凝視している私に声をかけた。
彼は私の命を何度も救ってくれた言わば恩人で、色々と苦楽を共にしたことや、その他にもなんやかんやがあった末、こうして現在私の部屋に同居している。
「どうしたもこうしたも世界は明日で終わるそうだよ。大きな隕石が地球に向かって飛来しているそうだ。もう今更隠しているのも気が引けるというので、今公式の発表が行われた」
「そうですか」気のない返事だ。確かにまずは疑ってかかるか、そもそも相手にしないというのは、こういった場合には賢明な対処のしかただとは思うが。
しかし私にはこの情報は本当らしく感じられる。少し前から隕石の接近は方々でうわさされていたのであり、政府は何かを隠しているということもまことしやかに言われていた。それに今はウェルズの「宇宙戦争」の時代とは違う。こういった大きな規模の冗談が許されるような時代ではない。
現在の時刻は午前の11時過ぎであり、隕石は几帳面な性格のようで明日の午前0時きっかりに地球に接地するという。残された時間はもはやない。
呆然としたまま時間だけが経過していく。昼食時が近いわけではあるし、私はとりあえず何か食べようかと考えた。しかし、その前にある種の確認のため、一応は聞いてみておくことにした。
「どうにかならないもんかな?」
彼は相変わらず、黙々と(といってもモニターの中でのチャットはさかんなようだ)ゲームを続けている。
「なにがですか?」数分に感じられた長い沈黙の後で、彼は私に聞き返した。
「いや、その、隕石なんだけど」
「まあ、僕も全能ってわけじゃないですからね。できることとできないことがありますよ」
やはり無理なのか。しかし私はそれを聞いて少し安心もしていた。
「でもそうですね」彼が言葉を続ける。「やれるだけのことはやってみようかと思います」
案外どうにかできそうな口ぶりだ。というか何かやれるのか。
「最悪僕ひとりが犠牲になって地球を救うっていう娯楽映画風の展開にもっていきますよ」
「個人の力でどうにかしてしまうっていうのも人としてどうかと思うが」
「その点は大丈夫です。僕4分の1くらいは人じゃないですし」
それは聞かされていなかった。そもそも人じゃないってそんなのありなのか、と私は今更ながらに驚いた顔をしていたのだろう。
「あ、言ってなかったんですかね? 同居する時にはっきり言っとくべきでしたか」
「人じゃないって、じゃあその4分の1は何なんだね?」
「天狗です」
天狗なのか。
「もとをただせばフランス留学中の僕の母が向こうで、同じく留学中だった父と知り合って……」
「じゃあそのどちらかが、天狗と人とのハーフか何かっていうわけか」
「いえ、母も父もどちらも天狗と人とのクォーターでした。そもそもはこれまた天狗と人とのクォーターである洋行帰りの祖父が……」
たぶんこの話を黙って聞いていると、きりがなくなりそうな予感を私は鋭敏に察知した。
「いや、その話はまたこんどゆっくり聞こう。で、いったいどうやって隕石を止めるつもりかね?」
「天狗の起源ってご存知ですか? もともと天狗って今の人たちが想像するような、赤い顔で鼻の長くて、修験者の格好をしてて……、みたいなものとは違ってたんです。そもそもは流れ星のことを天狗、アマツキツネって呼んでたんですよ」
「その話が今重要なのかどうか私にはわからないが、じゃあ天狗たちはみんな流れ星みたいなものなのか……?」
「いえ、現今の天狗たちはわりと普通っていうか、みなさんのイメージ通りなんですが、実は僕の曽祖父が先祖帰りというか、流れ星になることができたそうなんですね。そしてなんと僕は里の古老たちにいわせれば、曽祖父の若いころに瓜二つだという話なんですよ」
つまりどういうことだ……?
「まあ、平たく言えば体当たりですね。それをしかけます。大丈夫、わりと自信はありますから」
「本気で言ってるのか?」
「ええ、本気です」
「無茶だ! 実際にそういうことが可能だとしても、君一人が犠牲になるなんてことがあっていいわけがない! 確かに今かなり絶望的な状況に見えるかも知れないが、世界のどこかで誰かが何らかの解決策をとっているということもありえるし、とにかく……」
「そろそろ行きます。あまり遅くなって地球の近くで爆発しちゃうと元も子もなくなるんで。それに引力圏から早く逃れたいので種子島宇宙センターかどこかに打ち上げで協力してもらわなくちゃいけないんです」
「とにかく、君、死ぬのはなしだよ」私は、聞くに堪えないような情けない声を出していたのだろうと思う。
彼は腰を上げ軽く身体を伸ばし、私のことを、「ほんとうに仕様のない人だなあ」と優しく見守るような、いつものあの笑みを浮かべた。
「自分の時はすごく潔いくせに」
段取りはゴムボールが階段を弾み落ちるようにスムーズに進み、なんと2時間後には彼はありあわせのロケットに搭乗することができた。私も彼が地上にいる最後の時まで付き添っているだけはいようと思い、その場にいた。
彼はどこから用意したのか、古びた狐面を斜にかぶって、「じゃあ」とだけ私に言った。
そのあっさりしたものが私の聞いた彼の最後の言葉となった。
それから数年が経ち、つまるところ地球は無事だ。彼の英雄的行為のことはあまり知られていない。一見何事も起こらなかったので、最終的には誤報だったということにして世界的な合意をみたのだった。
夏の盛りのころ、種子島は数年前から突然催されるようになった天狗の祭りで賑わうのだが、老若男女が狐の面をかぶり、尻尾に見立てた長い布を地面に引きずって島中を踊って廻るこの祭りがなぜ天狗の名を冠しているのか、そのことの理由をはっきりと言えるものは私と他に数人だけしかいない。
毎年、祭りの期間中、私はまるで我を忘れて島中をうろつきまわる。狐の面でわからないだけで、もしかすると擦れ違う人々のうちに、私のずっと探している相手が戻ってきているかも知れない、と願うように思って。
魔法の時代