水星、金星、時々木星

月らくだ

水星、金星、時々木星

 僕と深友里(みゆり)は出逢ってから毎日のようにセックスばかりしてきたが、その日のセックスは異常だった。
 彼女は髪の細い、長袖のシャツにチェックのスカートを穿いた女の子を僕の部屋に連れてきた。深友里は、もう夏も終わろうとしているのに下着の上にキャミソール一枚着たきりだった。
 誰?この子、と訊くと、私の友達、と応えた。
「こんなに可愛い顔してるのに、もう百人くらいとやってるんだよ」
「そんなにやってないよ」とその子は照れたように言った。
「この前も、海でナンパされた人達と3Pしてたんだよ」
「あれは、たまたまだよ。偶然」
 僕には何がたまたまなのか全然わからなかったが、とにかく、すごいね、と相槌を打った。
「すごいの。セックスの達人」なぜだか、深友里が自慢げにそう言った。
 僕は誰にも聞こえないように小さく溜め息をついた。それから、それで?と訊いた。
「ねえ、むっちゃん、バック転できる?」
「バック転?できないよ」
「じゃあ、ピアノ弾ける?」
「弾けない」
「巴投げは?」
「巴投げ?なんで巴投げなんて出てくるんだよ」
「できるの?」
「いや、全くできない」
「でしょ?だから私達はこの子にセックスの方法を教えてもらうの」
 何が、「でしょ?」なのか僕にはさっぱりわからなかったが、何か言うのも面倒だったので、「なるほど」とだけ応えた。僕は頭を振った。彼女の友達はまだ照れくさそうに頬を紅らめながら誰にでもなく微笑んでいた。
「でも、セックスの仕方くらい知ってるよ」と僕は言ってみた。
「うん。わかってる。私だってそれくらい知ってるもん。でも、もっと知りたいでしょ?ほら、新しい方法とか。今までやったことのない体位とか」
「まあ、知りたくなくはない。でも、どうするの?僕らがやってるところをこの子に手取り足取り教えてもらうの?」
「うん」と彼女は楽しそうに応えた。
「そんな気分になるには、もっと大人にならなくちゃならなさそうだ」
 目で煙草の箱を探したが、さっきまで吸っていたのになぜだかそれは見つからなかった。
「ほら、だから言ったでしょ?いきなりそんなこと言ったって無理だって」とその友達が彼女に言った。
「だって。何か新しい刺激を考えなくちゃ。私、それで前の彼氏とも別れたし」
「それで前の彼氏と別れたの?」僕はちょっと驚いて訊いた。
「うん、だって、」と彼女は言った。「二人で考えつくことは大体全部やっちゃったし。もう、あんまりすることないねって感じで」
 僕はもう一度溜め息をついた。彼女の今までの恋愛がどんなものなのか想像するのが恐ろしくなった。僕とはそんなにやってないじゃないか、と言うのが精一杯だった。
「まあ、そうだけど。でも、この先、そんな風になってむっちゃんと別れるのは絶対嫌だから」
 そう言われるのは悪い気分じゃなかったが、知らない女の子の見ている前でセックスする気にはなれない。
「無理だよ」と僕は言った。「人前でセックスするなんてさ」
「どうしてもだめ?じゃあ、むっちゃん、この子とセックスして?私、それ見て勉強するから」
 地球が月の周りを回っているのか、月が地球の周りを回っているのか、一瞬わからなくなった。太陽が地球の周りを回っていて、月が太陽の周りを回っているのかもしれない。そういうことだって十分ありうる。ただ、誰も気づかなかっただけで。だから、自分の恋人が知らない女の子とセックスしてと頼むことだって十分ありうる。今まで僕が聞いたことがなかっただけで。
「嫌だと言ったら?」
「きっとむっちゃんは私のこと、愛してないんだと思う」
 驚くべきことに、彼女の口から愛という言葉を聞いたのはそれが初めてだった。僕らはもう三ヶ月付き合っていたが、一度も彼女は僕のことを愛しているなんて言わなかった。僕は時々、愛してると言った。でも、そんなことは全く無意味だった。むしろ二人の住む星の違いを知らしめるようなものだった。
「僕は君のこと、愛してるよ」と僕はかすれた声で言った。「だから、その子とはセックスできない」
「でもね、この子の彼氏は、彼女のことを愛してるから色んな人とセックスするって言うんだって。この子のこと、傷つけたくないから。だから、彼女も色んな人とセックスするの。でも、一番愛してるのは、彼氏だけなんだよ」
 きっと、頭に三日月が刺さったらこんな頭痛がするだろう。
「じゃあ、僕がこの子とセックスしたら、君も違う男とセックスするの?」
「うーん、それは、」
「それは?」
「でも…」
「でも?」
「怒らない?」と彼女は僕を上目遣いで見て言った。
「怒らないよ」
「私、もう、色んな人とセックスしてるの」
 僕はもう一度煙草を探したが、やっぱりそれはどこにも見つからなかった。一刻も早く煙草を見つけないと泣いてしまいそうだった。彼女が前の彼氏と別れた本当の理由がわかり始めていた。僕は前の彼氏に同情した。僕らは友達になれるかもしれないとすら思った。
「君が色んな人とセックスしてることについては僕はなんにも言わないよ」と僕は言った。他に何を言えばいいのかわからなかったと言った方がいい。
「きっと色んな意味で考え方が違うし、恐らく人生の成り立ち方そのものすら違う。僕はもうすぐ三十だし、君はまだ十九だ。いや、年のことなんてどうだっていい。僕は自分の考え方で君を束縛するつもりは全然ないし、君の生き方を尊重するつもりでいる。僕らはお互い自由だ。僕らはその自由の中で、多分、愛し合ってる。君は僕を愛するために色んな人とセックスするし、僕は君を愛してるから他の人とは寝ない。ただそれだけだ」
 彼女はにこにこと微笑って僕の言葉を聞いていた。僕の言っている意味が半分もわかっていないことを僕はよくわかっていた。
「でも、一つだけ教えてくれ」僕はどうしても我慢できなかった。「君は僕とつき合ってから、何人くらいの男とセックスしたの?」
 彼女はちょっと戸惑っているようだった。しばらく考えた後で、「二人」と言った。
「本当は?」
「二…十人くらいかな」
 全く見ず知らずの女が今僕に愛を打ち明けたら、僕は喜んでその女と駆け落ちしただろう。僕は月の裏側まで聞こえるような溜め息をついた。彼女とつき合い始めてから経った日数を頭の中で数えた。九十一日。ちょうど三ヶ月だ。今日は十二月二日。九月二日に僕らは付き合い始めた。僕が彼女に、つき合わない?と言ったのだ。彼女は、嬉しそうに笑って、いいよ、と言った。僕にとって二年ぶりの恋愛だった。僕の中で二日で彼女は天使になった。彼女と会える日は朝から胸がどきどきした。彼女の声が好きだったし、食事の食べ方も気に入ったし、ベッドの上の彼女は目眩がするほどいい匂いがした。僕は恋をしたのだ。三十にもなって本気で恋をするなんて夢にも思わなかった。僕は彼女を見た。まだ少し戸惑いの色を残しつつ、にこにこと笑っていた。二十人。僕はもう一度溜め息をついた。まるで僕を合わせてこの世に二十一人の男しかいないような気分になった。
「わかった。じゃあ、もう一つだけ教えてくれ。その二十人の中で、本当に好きになった人は?」
 彼女はまた少し考えた。
「いないよ」
「本当に?」
「本当に」
 彼女は綺麗にマニキュアの塗ってある自分の指先を眺めた。
「別の誰かとセックスする度、やっぱり私にはむっちゃんしかいないんだって思った。私にとって、他の人とセックスするのは確認作業なの。むっちゃんが一番だってことの。私にとって、むっちゃんが一番大切な人なんだってことの」
 その言葉はきっと本当だった。彼女は涙ぐんでしまうくらい自分の言葉に感動していた。木星あたりにいる僕が、今この部屋にいる僕を見て、心底哀れんでいた。
「その確認作業はいつまで続くの?」と僕は訊いた。
「わからないけど、でも、今日で終わり。この子とむっちゃんがセックスして、私がそれを見てて、それでおしまい。きっと、別の何かが二人に見えてくると思う。むっちゃんがこの子とセックスして、私のことが嫌いになったり、私よりもこの子が好きになっちゃったりしたら、それはそれで仕方ないと思う。きっと私がいけなかったんだ。でも、いいの。この子は私の親友だし、いつもなんでも相談してるし、むっちゃんが好きになっちゃっても仕方ないと思う。とにかく今日で終わりで、新しい毎日の始まりなの。私とむっちゃん、それからこの子、三人で仲良くやっていけるかどうかの大事な日なの」
 彼女は全く真剣だった。彼女の友達は相変わらず彼女の隣で優しく微笑んでいた。水星(彼女)と金星(彼女の友達)は仲が良いけれど、木星(僕)は少し距離が離れすぎている、そういうことなのかもしれない。
 彼女の友達が突然立ち上がった。
「どうしたの?急に」と僕はびっくりして言った。
「先にシャワー浴びてきますね」
 彼女の友達がバスルームに消えると、深友理は僕の前に座ったまま、意味深にじっと僕を見つめて言った。
「ねえ、私のこと、愛してる?」
 僕は機械的に、ああ、愛してるよ、と応えてから、「水星と金星、どっちが太陽に近いんだっけ?」
「知らない」と彼女は興味なさそうに応えた。

水星、金星、時々木星

水星、金星、時々木星

男と女の日常を描いた掌物語です。 (過去作品はこちらから → https://slib.net/a/24408/)

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更新日
登録日 2019-09-29

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