彼方(あっち)の岸

架空の世界


そして世界に平和が訪れ、僕達兄弟は元の世界へ帰ることになった。

「ありがとう、小さな英雄達よ」と喝采する人々の声が、世界を繋ぐ扉に入った後もいつまでも聞こえてきた。

「ね、私の言った通り、異世界を冒険してみて良かったでしょう?」姉が言った。

「うん。色々勉強になったよ」と、僕。

「楽しかったね」弟は無邪気に笑っていた。

「あんな大冒険をしちゃったんだもの、これからしばらくは元の世界で何があっても私達きっとへっちゃらね」姉がそう言って微笑んで、僕達は笑い合いながら家に戻った。


その後、予想に反して僕達はうまく現実に適応できなかった。異世界で培われた全能並びに優越感、選民意識的なもの、それから不屈の精神などが、不適応の因子となったようだ。

母は何も知らなかったが、僕達のおかしな兆候にいち早く気付き、僕らをカウンセラーの許へ通わせることにした。そしてその数日後、弟が逃げ出した。弟の残したメモには「あっちの世界へ帰る」とだけ記してあった。

弟の失踪は誘拐事件として扱われた。母は心労で倒れ、以来入退院を繰り返すこととなった。弟の行方について不可解な言動を繰り返す僕と姉は、大人達の厳重な監視下に置かれ、異世界への入り口には近づくこともできなかった。

母の状態が悪くなり、もともと父親もいなかったため、僕と姉は別々の親戚へ引き取られることになった。

以降、僕達の子供時代は失われた。


姉は成人後、働きながら母の面倒をみている。僕は結婚をして、母と姉の居る故郷の街へ戻った。街は昔の面影を失っていて、僕には異世界への入り口がどこだったかもわからなくなってしまっていた。

街に戻ってきてから、僕はよく弟のことを思い出すようになった。弟は向こうの世界で巧くやっていけてるんだろうか。案外、弟が当時ひそかに憧れていたあの男のように、世界に対する大逆を犯して、辺境の孤島にでも追いやられてしまっているのかも知れない。

姉は、僕が弟の話を持ち出すと、「あなた以外にも、私には弟がいたんだっけねぇ」と、焦点のぼけたような目をして、曖昧に話を打ち切ってしまう。姉にそんな風に言われると、僕まで実際に自分には弟なんていたんだろうかという気になってくる。

弟も、あの世界も、本当に存在したんだろうか。もしかすると、すべては僕と姉が幼かった頃、自分達にしか見えない画用紙か何かに映し出した、空想の虚像だったのかも知れない(もし真実その通りなら、僕達家族は救われるのだろうか、それとも逆に全くもって救われないのか)。

しかし事実、母の部屋の仏壇には、何時からか弟の遺影が飾られているのだし、姉はやはり、僕と弟を冒険に連れ出した自分を、未だ責め続けているようだ。

そして何より僕はあの頃からずっと、異世界からの使者が訪れて僕にまた「世界を救ってほしい」と請うのを、待ち呆けて日を暮らし続けているような、そんな気持ちのままでいるのだから。

怪談


 今日はほんとに楽しかったですね。水族館なんて子供のころ以来だったけど、あんなにすばらしいところだなんて……。でもおもしろいですよね。水族館で魚を見てるときも、やっぱりみんな「おいしそうだな」って言わずにはいられないみたいなんですもの。まあ、私たちも他の人のことをどうこう言える立場ではないですよね。後でしっかり海鮮料理を頂いちゃったんだし。おいしかったなぁ、お魚。

 なんだか楽しみ過ぎちゃったみたい。すっかり薄暗くなっちゃいましたね。私の中で今日のメインはこの神社だったんですよ。赤間神社、ここのいわれとかご存知ですか? 壇ノ浦の合戦は知ってますよね。源氏と平家の。その合戦の際に御入水された安徳天皇がここには神様として祀られているんです。前から一度来てみたかったんですよね。私、あんまり信心深い人間じゃないんですけど、敬意を払うことは大事だって思ってます。

 まだ社務所には神社の方がいるみたいですね。境内も新年のライトアップが終わってないみたいでけっこう明るいですよ。薄明かりに照らされているからこそ、淡い光の作り出した物陰なんかがやけに闇の黒さを感じさせるんですけどね。でも、まだまだ丑三つ時には程遠いですし、私もついてます。だからそんなに気味悪がらなくても大丈夫。

 耳なし芳一ってご存知ですか? ここはあのお話の舞台、阿弥陀寺でもあるんです。むかし、芳一さんという盲目の琵琶の名人の方が阿弥陀寺にはいらっしゃったそうで、なんでも「鬼も涙を流す」というほどの腕前だったとか。それである日芳一さんのところに武者が訪れて、さる高貴なお方のために琵琶を演奏しに来てくれと頼まれたそうなんですね。で、そのまま大きなお屋敷のような所に連れて行かれ、大勢の人たちの前で琵琶を弾いたんです。演題は「平家物語」。さる高貴なお方やそのほかの方々は、芳一さんの演奏を聞いてすっかり感無量って感じで、それから芳一さんは毎晩、引率の武者に連れられてお屋敷に琵琶を演奏しに行くことになるんです。

 でも、ちょっと考えてもらっていいですか。結局このさる高貴なお方やその他の方々っていうのは、安徳天皇や平家一門の亡霊なんですが、「平家物語」ってよくわからないけど平家の滅亡までのシナリオをもの悲しく語ったものですよね。それを聞いて、「××さん、あの時のあんたは勇ましかった!」とか、「あの時はほんと辛かった。今更ながら、何度思い出しても泣けてくるなぁ」とか言って毎夜毎夜嘆いたり何たりしてるんだったとしたら、どれだけセンチメンタルでノスタルジックな人たちなんだろう、ってちょっと呆れてしまいませんか? 私はちょっと呆れたんですけど。

 閑話休題ですね。そんな芳一さんの様子を不審に思ったのが、確か芳一さんの兄弟子の人。ある晩後をつけていって、芳一さんが墓場かどこかで鬼火やなんかに囲まれながら憑かれたように琵琶を弾き語っているのを見てしまいます。兄弟子さんは阿弥陀寺の和尚さんにそのことを報告するんです。で、和尚さんは「このままでは芳一がとり殺されてしまう」ってことで、芳一さんの身を亡霊たちから見えないようにすることにしたんです。有名な、体中に経文を書き込む例のあれです。

 でも、ちょっと待ってください。そんな中途半端な方法では何の解決にもなりませんよね。たぶん芳一さんを誘いに来た武者は、阿弥陀寺に芳一さんの姿がなければ「芳一のやつ、約束の時間に姿を隠しているとは憎いやつめ。また明日来てこらしめてやろう」的な感じで普通に怒って帰って行くだけだと思うんですよね。いくらなんでも、経文を書き込んだ状態でずっと暮らしていくわけにはいかないでしょうし、それでは昔話のパターン的にもいつか破綻が訪れてしまいそうです。

 しかも和尚さんたち、その大事な日にはどこかで法事を行わなくちゃならないとかで、芳一さんだけ残して寺を空けてしまうんですよ。なんだか薄情じゃないですか。そりゃ法事もなおざりにはできないでしょうけど、色々とやり方はあったはずですよ。

 最終的に耳に経文を書き忘れるという和尚さんの致命的なミスによって芳一さんは酷いことになってしまうわけなんですけど、法力もあり、たいそう徳も高そうな和尚さんが、そんな単純なミスを犯すでしょうか。武者も「耳だけ証拠にもらっていこう」みたいなことを言っていたそうですが、それでは主である例の高貴なお方には全く申し開きができませんよね。逆に「仕事のできないやつ」と思われてしまいそうです。

 私は、わざと書かなかったんだと思うんです。和尚さんはきっと耳だけを残しておいたんですよ。そして法事というのもきっと嘘で、どこか物陰から彼らの様子をずっと窺ってたはずなんです。少しは芳一さんに対して後ろ暗い気持ちを感じながら。それにこんな出来事が起こることを知っていながら、それを見ずに過ごすなんてことは、好奇心を持つ人間にとって、いくら修行を積んだとしても不可能だとも思いますし。

 代償ってあるじゃないですか。例えばお守りって自分に降りかかる災難を肩代わりしてくれてるわけですよね。犬張子とか呪術的な感じで代償として使われるものはけっこう色々とありますよね。

 耳は代償として取らせたんだと思います。和尚さんの力を以ってしても、芳一さんの命を救うにはそうするしかなかったんだと。亡霊たちを納得させ、退散させるためには、それだけの代償を持っていかせるしかなかったんじゃないでしょうか。芳一さんは、すぐにかどうかはわかりませんが、治療をうけて命を取り留めたんだそうです。そしてその後、亡霊たちは芳一さんの許に姿を現さなくなるんです。


 向こうの小道、真っ暗だけど遠くに蝋燭の明かりが見えますね。確か案内図によると芳一堂と平家塚があちらにあるはずなんですけど。

 行ってみません? 大丈夫、私がついてますから。

無限回廊


 時が止まってしまってからも、人々は暫くの間、あたかも限られた時間の中で精一杯生きている、というようなふりを続けていたが、やはり虚しさはみなそれぞれに感じていたようで、なにせ(地球の反対側に住んでいる方々には申し訳ない話だが)太陽はいつでも頭上に輝いていて、姿を隠すことがないのだし、眠りに誘われることもなければ、空腹を感じることもない。時計は進んでいくのだが、肝心の時間は進んでいない。老いもなければ誕生もない。社会のシステムなどはとっくに放棄して、僕達は時間が止まってしまったあの日、あの時の中でただ短絡的に生き続けている。

 そんな終わらない春休みに暇を持て余した僕らは、この異変の中心なのではないかとも、まことしやかに噂されている「無限回廊」の探索に乗り出すことにする。

 街中に突如入り口を出現させたこの地下回廊は、無限に続いていると言われている。もし、時が正常に機能していた頃であれば、これは確かめる方法がない。例え、一個人の人生程度をささげたとしても、無限に続く回廊の終わりに辿り着くことはできないし、そもそも終わりがないことを無限というのだし。確かめる術がないので無限なのかそうでないのかもわからないが、人間にとって無限とほぼ無限はある程度同義なのかも知れない。

 そんなこんなを同道巡りに話し合いながら、文字通り、疲れ知らずの僕達は回廊を歩き続ける。一日中、いや一週間だって歩き続けていられるような気がする。もっと言えば一年でも、百年でも、あるいは永久にでも。

 ただ、段々と飽きてくる。友人達は、ひとり、またひとりと脱落していく。ついには僕一人だけになる。戻ったところで何になるというんだ、と思う。もう新しいことは何もない。未知の部分が残されているのはここだけだ。

 僕は歩き続ける。実際どうなのかわからないが、もうずいぶんと長い間歩き続けているような気がする。友人達と一緒にいたのが、遠い過去のことのように思える。もしかすると外の世界では時間が動き出しているかも知れない。そんな疑念も浮かんでくる。これは全くありえない可能性というわけではない。

 余計なことを考えないですむように、僕は思考を一点に絞ることにする。ひとつの物語に。ずっと前から考え続けてきた、長い長い物語に。

高い高い塔


 その孤島の波打ち際に流れ着いた私は、パブロという男に助け起こされた。
 水が引いたのか、ここがかなりの高所なのか、人類を襲った未曾有の大洪水の波も、この島には上がってはこないようだった。
「ご無事で何より。屋根のあるところに案内します」パブロがそう言って、私に肩を貸してくれた。
「ここはどこですか?」非道く痛む喉から声を、水と一緒に絞り出す。
「私にもわかりません」パブロが悲しげに首を横に振る。
「日本ですよね。というかパブロさん日本語上手ですね」
「いえ、私はスペイン語以外全く喋れませんが」彼の言葉の意味を私は理解しかねた。「どうやら、我々の言語は統一されたようなんです」
 霞んだ空気の向こうに段々と巨大なシルエットが見えてくる。近づくにつれてそれは直線的でなく、ごつごつと不恰好な形をした高層の建造物だということがわかってくる。
「無事な建物があるんですね」
「無事、というか、何と言いますか」パブロが答えあぐねる。「おそらく、ご自分の目で見てもらってからのほうが話が早いでしょう」
 私たちは建造物の外観を眺めるのに都合の良い距離で足を止めた。パブロの説明によると、その塔は大洪水の波で世界中から漂い集まった、様ざまな物によって構成されているそうだ。
 モン・サン・ミッシェルやエトワール凱旋門、ピサの斜塔や自由の女神、パルテノン神殿やメテオラ(断崖付き)、アンコールワット、ピラミッド、その他の有名な建築物や歴史的遺産などが、あるものは(天地無用ではあるが)そのままひとつの階層を成し、またあるものはその面影を塔の壁面に偲ばせながら、恐ろしく雑多に、一塊にされて、高く、高く、空に続き、そしてその外壁には万里の長城が昇り回廊として巻きつけられている。
 およそ人の手に成るものとは思われない、この特別製のフルーツパフェは、視認はできないが雲の上にまで続いているように思われた。
「もしかして、これってバベルの塔なんですか」と私。
「少なくとも私はそう呼んでいます」パブロはなにやら確信ありげに答え、そして私に提案する。「あなたの体力が回復したら、我々も塔を昇りましょうか。ここには他にも流れ着いた方が数名いましたが、皆さんすでに塔を昇っていきました」
 その言葉を聞き流し、だらしなく口を開けっ放しにしたままで、私は長いこと塔を見上げ続けた。

無限回帰


 長い長い物語を考えながら、忘我の極み、といった状態で歩いているうちに、気付くと恐ろしく高い塔の頂上に辿り着いてしまっていた。

 地下の回廊を歩き続けていたはずなのに、なぜこんなところにいるのだろうと、しばらく僕は自分の置かれた状況を飲み込めずにいた。

 眼下には雲海が広がっていて、目線より上の空は、もちろん雲ひとつなく真っ青だ。

「ここが無限回廊の終わりなのかな」なんとなく僕は独りごちた。

「ええ、ここが無限の少し先です」驚いたことに、背後からそれに答える声がする。

 振り返ってみると、塔の屋上部分の一角に、観光客向けに誂えられたような、据え置き式の、大きな望遠鏡があり、その横に木造りのベンチが設置されていた。声の主であるその女性は、ベンチに行儀良く腰掛けて、こちらに視線を送っていた。

「あなたは?」

「私はここの管理人のようなものです」女性のこのあっさりとした答えに対しては、なんだか深く追求しないほうが良いように僕には思われた。

「無限の少し先って、何なんですか?」僕は当たり障りのなさそうなほうの質問を選んだ。

「言葉の通り、無限を少し超えた地点です」女性は立ち上がって微笑んだ。

「じゃあ僕は、無限回廊の終わりに到達した、ってことですよね……?」

「そういうことになりますね。つまり、あなたは無限に回帰し続ける宿命から開放されたのです」

「無限に回帰し続ける宿命?」ここまでよくわからない状況に置かれているのだから、二回に一回くらいはオウム返しに質問してもかまわないだろうと、僕は自分に譲歩する。

「あなた方が生まれ変わりだとか、輪廻だとか呼んでいるものにたぶん近いと思います」女性の顔から微笑が消え、良くも悪くもない夢を見ている時のような、半ば虚ろな表情に変わった。「太陽がほんの一瞬輝いている間の、かりそめの生命。それが私たちです。私たちはその瞬間の永遠の中で何度も生と死を繰り返し繰り返しして、魂の純度を高めます。全ての生命は、この星の中心にある、ゼリーのような、魂の海から掬い取られた微細なその一部分の集合です。かつて植物として生きた魂が、海に戻り、今度は人の魂の一部として生まれ変わり、人として生きた魂が、動植物の魂の一部に生まれ変わり、そうして延々と循環していくのです」

「その循環から僕は解放されたってわけですか?」

「そうです。しかし永久に解放されるというわけにはいきません。ごく稀に、あなたのように無限の先に辿り着く程、異常に高純度な魂が生成されることがあります。そういった魂は今後、思ったように成果が上がらない時のためにストックしておくのです」女性は再び微笑を取り戻して、そう言った。

「ストック……?」

「はい。次回以降のために……」

「え、いや……、次回があるんですか? というかそれって何の……」

「星も繰り返しを行っているのです。この星の原初へ回帰し、全てを繰り返しています。そのために、この世界の時間を、折り返し地点で静止しました。後は、今まで生成していた魂を使って星の原初に回帰する、その準備段階に入ります」

「星の原初……」

「まず星全体をかき混ぜます。平均純度の魂は、この時点でたいてい海に還元されます。それから船を遣わしたり、塔を建てたり……。本来、高純度の魂たちはそうした段階でここにやってくるのですが、それに先立って、あなたのように回廊を踏破してくるような人はほんとうに稀ですね」

「はぁ……」

「集めた魂を使って、原初への回帰を行うわけです。太陽の許での、幸福な幼年期に立ち返り、それから天地を造り、次の世代のあなたたちを徐々に繁栄させていくのです。この星は、そうして同じ一瞬の中を何度も何度も繰り返し生き、星自体の生命の純度を高めています。全ての星たちが、規模の大小はありますが、同じようにこの行為を繰り返しているのです」それから後を、その女性は僕の耳元に顔を寄せ、内緒の話でもするように小声で続けた。「では最終的に、集められたものはいったいどこに還元されるのでしょうね。それを知りたい気持ちは私にもあるのですが、それを知ることは私に与えられた仕事ではありません。もちろんあなたもその役割にはないのですが……。それはともかく、あなたはしばらくの間、ゆっくりとお休みになってください。もしかするとすぐに仕事に駆り出されるようなこともないとは言い切れないのですけれど……」

 無数の、赤く光るゼリーのような小さな粒が、僕の体から空中に零れ出していく。魂たちはいつまでも僕という人の形を取っていることの無意味さに今更ながら思い至り、どうやら元の形に戻ろうとしているようだ。それから空も、雲も、塔も、女性も、ベンチも、望遠鏡も、だんだんと背景に滲んでいく。すべてが溶けきってしまった頃、どこか、空間の隔たりもその方向もわからないような彼方かすぐ近くから、あの女性の声が聞こえた。

「そしていつか、本当の無限の先でまたお会いできるといいですね」

四月のばか


三月「四月、なんで死んじゃったの……。四月……、四月のばか……」

 呼び鈴。扉が開き無遠慮に五月が部屋に入ってくる。

五月「落ち込んでるわね。また四月くんのこと考えてたんでしょう」
三月「だって……」
五月「わかった。じゃあ、行ってみましょうか」
三月「どこに……?」
五月「根の国へ四月くんを連れ戻しに」


 紺地に白く『根の国』と染め抜かれた暖簾を潜り、室内に入る。

四月「いらっしゃい」
三月「四月……?」
四月「お前ら、なんでここに……?」
五月「この子があんまり泣くから、あんたを連れ戻しに来たのよ」
四月「連れ戻しに、って言ったって、おれ根の国の食べ物口にしちゃったし、もうすっかりここの住人になっちゃったんだよね……」
五月「あんた、偉大な先人たちの失敗から少しは学んどきなさいよ」
三月「やっぱり、だめなんだ……」
四月「ごめん、おれが悪かったって。泣くなよ」

 前掛けで手を拭いながら、根の国の主が厨房から出てくる。

主 「誰? 彼女さん?」
四月「あ、すみません。何かおれを連れ戻しに来たみたいで……」
主 「あー、じゃあ80年だけね。そのころには忙しくなってるから、遅れないように戻って来てね」
四月「……ありがとうございます」
五月「……いいの?」
四月「うん、いいって……。じゃ、帰るか」


 帰途。四月を最後尾にして三人は歩く。

五月「三月、これ、セオリー的に絶対振り返っちゃダメだからね」
三月「わかった……。私、枠からはみ出せないタイプだからたぶん大丈夫」
五月「あ……」
四月「どうした?」
五月「お店に電話忘れてきたみたい……」
四月「電話なんていつ使ったんだよ?」
五月「たぶん呼び止められてから、まかない頂いてるときに……」
三月「どうするの……?」
五月「後向きに歩いて戻れば、おそらく……」
四月「え、いや、ほんとに戻るの……?」
五月「ごめん。先に行ってて」


 あれからもうすぐ一年が経つ。彼女は未だに帰ってこない。

ハウス・フル


 宇宙世紀00883。人類が宇宙にその居住圏を拡大してから幾時代かが過ぎた。
 サイド22にて地球連邦政府からの独立を宣言した、祇園公国を名乗る武装テロ組織は、新開発のMS(物見櫓スーツ。物見櫓を究極まで発展させた、大型の戦闘用ロボット)『火男』で地球の各都市に対して無差別に攻撃を加えた。
 地球連邦政府もそれに対抗すべく高性能MSを開発し、各都市の防衛に充てた。


 (オープニング)


 グラース家の居間。J.Dがソファーに座りテレビを見ている。そこへバーティが帰宅する。

バーティ「ただいまJ.D。いい子にしてたかい?」
J.D   「パパ、お帰りなさい」
バーティ「皆はどうしたんだ?」
J.D   「たぶん、おじさんたち、スティーブとミチルを連れて買い物に行ってるんだと思うわ」
バーティ「君は行かなかったのか」
J.D   「ええ。ホッケーの試合が近いから、チームメイトと居残って練習してたの。わたしが帰ってきたら、もうみんな出掛けた後だったわ」
バーティ「そうか。じゃあパパがおいしいドーナツでも作ってあげようか?」
J.D   「それよりパパ、今度の授業参観のこと、ちゃんと憶えてる?」
バーティ「ああ、もちろん憶えてるさ」
J.D   「ほんと? いつもそういって来てくれないんだから。絶対に来て、約束よ!」
バーティ「ああ、J.D。約束だ」


 (インタールード)


 別の日、バーティが授業参観に出席するべく街を歩いている。

老婦人「あら、グラースさん。いつも見てますよ」
バーティ「ありがとうございます」
老婦人「テレビで見るよりも男前ね」
バーティ「ええ、よくそう言われます」
老婦人「ニュースキャスターって大変なお仕事でしょう」
バーティ「ええ、まあ。どんな仕事でも苦労はありますよ」

 バーティの携帯電話の呼び出し音が鳴る。

バーティ「失礼、じゃあこれで。娘の授業参観なもので……。これからも夜のニュースをよろしく。……もしもし」
相手  「バーティ、1115番街に火男が現れたわ。街を破壊してる。早く局に来て」
バーティ「これから娘の授業参観なんだ……」
相手  「ご愁傷様」
バーティ「どうにかならないかな。現場には誰か別の人間に行ってもらうとか……。火男のパイロットに事情を説明して今日はお引取り頂いてもいい」
相手  「バーティ……」
バーティ「わかってる。でも娘はほんとに楽しみにしてるんだ。これまで何度も何度も、僕はすっぽかして……」
相手  「バーティ、これはあなたにしかできない仕事なのよ」
バーティ「わかってる……。ああ……、すまないJ.D」

 テレビ局のロビー。

相手  「バーティ、急いで!」
バーティ「準備は?」
相手  「とっくに、よ。足りない荷物はあなただけだわ」

 二人は地下へのエレベーターに乗り込み、格納庫へ。そこでは一体の白いMSがバーティの搭乗を待っている。

バーティ「じゃあ、行ってくるよ」
相手  「現場からの中継にはあなたの映像を合成しておくわ」
バーティ「ああ、それでいい。僕はテロリストの脅威に翻弄される、しがないニュースキャスターの役だ。世間的にはそれでいい」
相手  「バーティ、気をつけて……。いってらっしゃい」


  ●


 J.Dは先生が止めるのも聞かずに、校舎の屋上へと上り、遠目に見えるMS同士の戦闘を、いまいましげに眺めていた。先ほど現れた、この地区を守る白いMSが、火男を圧倒していた。きっとパパはニュースキャスターとして、MS付近の危険な場所から中継をしているのだろう。約束したのに……。大事なお仕事だということはわかってる。でも……。
「大嫌い……」
 白いMSが相手を粉砕する轟音が鳴り響いた。
「パパなんて大っ嫌い!」


  ●


 その夜。再び、グラース家の居間。

バーティ「J.D……」
J.D   「……」
バーティ「J.D、すまなかった。」
J.D   「パパの嘘つき……」
バーティ「J.D、本当にすまない。でも、わかってほしいんだ。パパには仕事がある。みんなに、今世界で何が起こってるかを伝える仕事だ。それはみんなが自分の身を守る役に立つかも知れないし、もしかするとこの街の平和に繋がるかも知れない大事な仕事なんだ。僕は……、J.D、君たちに平和な世界で育っていってほしい。その平和な街の実現に関わることができる、この仕事をパパは誇りに思ってるんだ」
J.D   「ごめんパパ。ほんとはわかってるつもり……。でもひとつだけ聞かせて。仕事とわたしたちと、どっちが大事?」
バーティ「……今はわからないかも知れないが、J.D……、いつかわかってほしい。僕はいつでも君たち家族のことを何より大事に思っているよ」
J.D   「ごめんなさい。わたし、パパにひどいこと言っちゃった!」

 J.Dが泣きながら、バーティに抱きつく。

バーティ「いいんだ、J.D。……いいんだ」

 キッチンから二人の様子を恐々と覗いていた、その他のグラース家の面々が、いっせいに居間へ飛び出してくる。大団円。賑やかな雰囲気の中、いつものエンディングが流れはじめる。

夢のあと


数人の仲間とともに、とんでもなく邪悪な存在を倒すべく旅をしている。
そんな夢を見ていた。
次の街を目指して行く、その途上。
のどかな、鳥の声や、木々のざわざわ、自分達が地面を、木の葉や、落ちた枝を踏みしめる、小気味よく乾いた音に混じって、聞きなれた不愉快なベルの音が、だんだんと僕の頭に響いてくる。
「どうした?」僕の様子がおかしいことに気付いた、仲間の一人が声をかける。
「まずいことになったよ」と僕。
「まさか……」
次の街へ辿り着くまでは僕の睡眠が破られることはないと、そういう前提の行軍だった。
「非常に申し訳ない」
自分としても不本意である。夢の時間のペース配分は、相変わらず難しい。
「こればかりはどうしようもないからな」仲間は残念そうに呟く。既に現実の僕の手は、半覚醒の状態で、目覚まし時計を探し求めている。今にも夢が破れそうだ。「あとは我々、夢の世界の住人だけで何とかするよ」
「気をつけて。なるべく早く戻るから」
「ああ、心配……な。ほんとに……君……ずっと、夢の世界に……ってくれれば……そう願わずには……ないんだが……」
交信は次第に途切れていき、僕は完全に覚醒する。
目覚まし時計のアラームは、いつの間にか止まっていた。僕はしばらくの間、夢の余韻を反芻する。今日の夜まで、彼らが無事でいてくれればいいが、と考える。
うす暗い部屋の中で、身を起こす。見廻すと体中に、まだ残っている夢のあとが青く淡い燐光を放っていた。

天国への階段


「いいもの買ってきたよ」
こぼれそうな笑みをかみ殺すのに、いつものように失敗しながら、君が言う。
経済観念のしっかりした彼女のことだから、役立つものか、おいしいもの、もしくはよほど彼女の気に入った、かわいいものに違いないと思う。
「何を買ったの?」
「これ」彼女はレジ袋から品物を取り出す。
「何それ?」
「天国への階段。前からほしかったの」
予想を外されたことに僕は若干の戸惑いを覚える。
「けっこう値が張ったんじゃない?」
「セールの広告に出てたから」

じわじわと、テンションが上がってきている自分に気付く。

天国への長い長い階段を、君とジャンケンしながら、グリコ、チョコレート、パラシュートと、昇っていくのもいいかもと思う。

ありがちな話


 さっきまで降っていた雨が、空に大きな弓を張る。

「矢はつがえられてないんですね」
「一度だけ見たことがありますよ。月がつくった弓に向けて、雨の弓矢が放たれるのを」
「届いたかどうかは不明とか、そういう風なお話ですか?」
「ええ、そういった風な話です」

彼方(あっち)の岸

彼方(あっち)の岸

「こっち」っぽくない短い読み物をいくつかまとめています。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-09-28

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 架空の世界
  2. 怪談
  3. 無限回廊
  4. 高い高い塔
  5. 無限回帰
  6. 四月のばか
  7. ハウス・フル
  8. 夢のあと
  9. 天国への階段
  10. ありがちな話