純粋少女は心にパンジーを抱えて

砂糖リリィ

高校二年生の綾川 未稀(あやかわ みき)は、ある秘密を抱えていた。それは、歴史教師の三島 結希(みしま ゆうき)に恋をしていること。誰にも言わず、想いを時分の胸だけに秘めておこうとしていた未稀だったが、とあることがきっかけで三島と親しくなっていく程に、想いは加速していき……?

火曜日と木曜日の三限の時間。それが、私が一週間で一番楽しみにしている時間。 威圧感もなく、軽すぎることも無い丁度いい声。黒くて少しパーマがかかった髪。黒板に増えていく先生の几帳面な字。私が大好きな三島 結希(ゆうき)先生がいる。ただそれだけのこの空間が私は大好きだ。私の席は先生から少し距離があるけど、今はこの距離が私にはお似合いだ。いつもこの時間は、大好きな先生の声をよく聞きながら、先生の広くて大きな背中をぼんやり見つめている。たまにこちらを向いて説明する時のあまり表情を変えない顔が余計先生の綺麗な顔立ちを強調していてすごく好き。  
「綾川、綾川 未稀(みき)」
授業が終わり次の授業の教科書を出す為に机の引き出しを漁っていたら、突然先生にトントン、と机を叩かれた。私は思わず「えっ」と素っ頓狂な声を上げて顔を上げてしまった。
「あ、ごめんなさい! その、気づかなくて…」
「いや、急に声をかけた俺が悪かったから、そんな気にするな。お前、日本史係だったろ? 昼休みに職員室の俺の机に来て資料取ってきてくれない? ご飯食べ終わってからでいいから」
「わかりました。ご飯食べ終わったらすぐに行きます」  
「あぁ。…そうだ。お前、この前の小テストまたクラスで一番だったぞ。大したもんだな」
あ、先生が笑った。先生って真顔が結構お堅い感じなのに意外とフワッとした笑い方をする。先生の優しい一面が垣間見えた気がして私は頬が赤くなるのを必死で抑えた。
「…ありがとうございます。私、実は日本史好きなので普段から自分で勉強しているんです」
そこにそっと「先生のことも好きなんです」と心の中で呟いた。
「おっ、そうなのか! 何? どのジャンルが好き? 綾川はやっぱ戦国か幕末かなぁ」
先生の目がキラリと輝いた。私の返事を早く早くと急かす先生の表情はとても可愛らしくて思わずクスリと笑ってしまった。 
「そうですね…私はやっぱり幕末の新撰組関連が好きです。よく特集番組とかも観てます」
「あ~新撰組は女子は好きだよなぁやっぱ。確かにかっこいいしな。わかる。俺も結構好きだもん新撰組は」
『好き』その言葉が私の中で何度も響いた。私のことを言った訳じゃないのに、勝手に心臓の鼓動が速くなる。私は慌てて平静を装った。
「そうなんですか! やっぱ良いですよね!」
「うん。新撰組はなぁ、特に…」
それからスイッチが入ったのか、先生は新撰組について熱く語りだした。やっぱ先生なだけあって、当たり前だけど私よりも圧倒的に知識があった。好きなことについて夢中で話す先生の表情はいつもの冷静な表情とは打って変わってキラキラしている。あぁ、先生のこういうところが好きだなぁ。と、しみじみ思っていると予鈴が鳴り、先生と私は驚いて時計を見た。 
「マジか‼ もうそんな時間⁉」
「どうやらそうみたいですね…」
私は苦笑いをした。予鈴なんてまだ鳴らなくていいのに。  
「悪ぃ。楽しかったから気づいたら俺ばっかめっちゃ話してたわ。ごめんな」
「いいえ! 私も楽しかったので大丈夫です!」
「あ、それならよかった! ありがとう! じゃ、昼休みちゃんと取りに来いよ!」
「はい!」
先生はそう言って教室を出て行った。  
「嘘でしょ…」
先生が出て行った後、私は今までの緊張感がぷっつりと切れて一気に机の上に突っ伏した。あんなに先生と話したのは初めてだ。日本史を頑張ってきてよかったと心の底から思った。まさか、あんなに
先生が食いついてくるとは思わなかった。先生のあの表情は生徒の中では私だけにしか引き出せないのかなぁなんて、少しうぬぼれてもいいよね、今だけ。もしかしたら、昼休みにあの続きの話が出来るかもしれない。そう思うと自然と顔が綻んでしまいそうになった。
「起立!」
日直の号令により、私は現実に引き戻され慌てて立ち上がった。このまま幸せに浸ったまま机の上に突っ伏すなんて変人だと思われるに違いない。いつものように挨拶をして、着席をしたのはいいものの、これから始まる授業の内容なんか頭に入らない気がした。

「…失礼しまーす」
昼食を、一緒に食べていた友達に驚かれる程の猛スピードで食べ終え、急いで職員室へ向かった。職員室の中へ入ると、私の食べるスピードがあまりに速かったのか、まだほとんどの先生が食事中だった。どれだけ先生に会いたかったんだ、と心の中で苦笑いをした私は一直線に先生のもとへと向かった。案の定、先生もまだお弁当を食べており、私の姿を見て驚いた。
「…お前、ちゃんと弁当食ったか?」
「食べました、一応…。お食事中すみません…」
「いや、いいよ別に。ちょっと待ってて」
先生は口をもごもごさせながら机の周りを漁って、見つけた資料を渡した。
「はい、これ。明日のね。一応裏表印刷になってるか確かめといて」
「はい、わかりました。では、失礼します」
「おう、ありがとな。…おい、綾川」
私が立ち去ろうとすると、ふいに先生が私を呼び止めたからなんだろう、と思い振り返って立ち止まった。
「聞きたいこととかあったら気軽に俺に聞けよ。俺が持ってる資料や知ってる知識はできる限りお前に教えるから」
鼓動が高鳴った。教師として俺を頼れと言っていると分かっているけど、それでも嬉しかった。
「…ありがとうございます!」
私は高鳴る気持ちを抑えながら職員室を出た。
ドアを閉めた途端に私は自然と足取りが軽くなっていた。
「…夢でも見てるのかな、私」
誰にも気づかれないように両手で口を抑えて小さく笑った。こんなに先生に近づいたらそのうち本当に先生への思いが爆発しそう。きっと先生は優しいから、もし私の気持ちを知っても決して私をあしらったりせず、紳士的な対応をしてくれるのでしょう。さすがに今すぐ先生と付き合おうとは思わないけど、まだ。

期末テスト一週間前になった。私は学校の自習室で一番苦手な数学に大苦戦していた。私は典型的な文系頭だから理系科目が本当に出来ないのだが、特に数学は中学の時からずっと私を苦しめ続けている。今もこうして何十分と同じ問題とにらめっこしている。数学の先生に質問に行こうかと思って、席を立った。
いざ職員室の前に貼ってある先生の有無が記入してあるボードを確認すると、肝心の先生が既に帰っていた。
「帰るの早い人だったんだ…」
私はがっくりと肩を落とし、質問は明日することにしよう、とその場を離れた。それから一時間半程勉強をし続け、ふと周りを見渡せば周りの人は既に帰宅しており、自習室には私一人だけになっていた。私もそろそろ帰ろうかな、とぼんやり考えていたその時、
「あれ、綾川まだ勉強してたの」
「…! 先生…!」
三島先生がひょこっと顔を出した。突然の大好きな先生の登場に私はまた素っ頓狂な声をあげそうになった。
「お前、そういやさっき職員室の前にいただろ。誰か先生に用事があったのなら代わりに俺が伝えとくけど」
「あっ、大丈夫です。その、宇藤先生(数学の先生)にわからない問題を質問しようとしただけなんで…」
「あーそっか。そういや宇藤先生は授業が終わったらすぐに帰る人だからなー。よかったら俺がその問題見てあげよっか?」
「えっ、でも先生担当科目が違うし、しかも理系教科だからあまり得意じゃないんじゃ…」
「俺一応国立大出てるから、全部の教科はそれなりに出来るよ。ほら、貸してみ?」
先生は自習室内に入り、私の前の席に座って身体を私の方に向けた。先生と私は向き合う形になり、自然と顔が近くなった。こんなの、自然と顔が熱くなるに決まってる。私はなんとか顔が熱くなるのを誤魔化し、さっき分からなかった問題が載ってるページを開いて先生に渡した。
「ありがとう。あ、ノートも貸してくれない?」
「あ、はい。どうぞ」
先生は私にお礼を言って問題に目を通した。ふんふん、なるほどねー、などぶつぶつ言いながらスラスラと問題を解いていった。さすが先生。当たり前だけど私よりも遥かに賢くて、あっという間に問題を解き終えた。
「はい。出来た」
「わぁ…! ありがとうございます! すごい…! こんな早くに解けるなんて…!」
渡された解答を見て答えを確認すると、勿論完璧に合ってた。私なんかこれに三十分以上かかってたのに。
「合ってた?」  
「はい! バッチリ!」
「そう。…お前、これきちんと公式理解すればすぐ解けるんだけど」
「えっ」
「だってほら、ここなんかこうして…」
先生が自らシャーペンを持って解説を始めた。いきなり二人きりの授業が始まり、私の心臓は一気に跳ね上がった。ヤバい。ちゃんと説明聞かなきゃいけないのに。内心それどころじゃない。こんなの少女漫画で何回も読んだシーンだ。まさか自分が経験することになるなんて思いもしなかった。当たり前だけど先生と私の頭の距離が近い。距離が近くて大好きな先生の声、綺麗な奥二重、男の人らしい私よりも大きい手、先生の性格が出ているような繊細で綺麗な指。距離が近くなり益々分かる先生の美しい容姿と先生のことを好きな気持ち。そして、何よりもこの時間がどれだけ貴重で秘密の時間なこと。私は先生の説明を聞きながら、ほんの短い時間かもしれないけどこの愛おしくて大切な時間を一生忘れたくないと強く思った。
「…で、この答えになる。わかったか?」
「はい! すごくわかりやすかったです! ありがとうございました! 本当に!」
「なら良かった。ちゃんと理系教科も勉強するんだぞ。偏差値に響くからな」
「はい…頑張ります」
先生に痛いところを刺されて私は渋々返事した。私が理系教科の勉強をサボりがちなこと、もしかしたらさっき先生は見抜いたのかもしれない。それはそれでなんか嫌だな…。
「ほら、もうすぐ施錠時間だから早く帰りなさい。 教室は俺が閉めとくから」
先生の言葉に私はチラリと時計を見た。時計の針は施錠時間の七時半になろうとしていた。
「そうですね。じゃあ、帰ります。先生、ありがとうございました! これで前より数学良い点数取れそうです」
「どういたしまして。じゃ、数学も日本史も頑張れよ」
「はい!」
先生は微笑んで私を見送ってくれた。私はそんな先生に軽く礼をして自習室を出た。
帰り道、すっかり街灯が輝いていた街を鼻歌交じりで自転車を漕いでいた。まさか、この前に続いて先生と一対一で話せたなんて…!鼻歌だって自然と出ちゃうに決まってる。いつもよりも街がキラキラして見える。先生に出会ってから毎日ずっとこんな感じ。こんなに良いことが続いちゃったら、これは本当に私のただの自惚れかもしれないけど先生にとって私はお気に入りの生徒ぐらいの存在にはなっているんじゃないか、とか考えちゃう。
たった二回先生と長く話せただけでそんなことを考えちゃうのもどうかと思うけど、それくらい今の私は幸せだった。明日も先生と話せるかなと胸を弾ませながら、夜の美しい街並みの中、自転車を漕いだ。

「未稀、最近三島先生と仲良いね」
「えっ⁉ そ、そうかなぁ?」
いつも共に過ごしている友人の蘭に突然そう言われた。私は誰にもこの恋の話をしていないから、蘭が私の先生に対する気持ちを知っているわけ無いと思うけど、妙に焦った。
「そうだよ。前までは連絡事項の伝達とかだけしか先生と話してなかったけど最近は授業中にもよく未稀の様子を見に来て話しかけたり、廊下ですれ違った時に軽く話したりしてるじゃん。いつの間にそんなに仲良くなったの?」
「え、その…一回先生と授業後話した時に歴史の話で盛り上がって…それから少し話すようになったの。でも、それだけだよ?」
放課後の二人きりの授業のことはさすがに黙っておいた。あの出来事は私と先生だけが知っている出来事にどうしてもしておきたかった。
「へぇ、そんな話してたんだ! いや、あの先生さ、あまり女子生徒に自分から話しかけたりしないからちょっと珍しいなーって思って」
「あ、そっか。そういえばそうだね」
「もしかして、このクラスで三島先生と仲が良いの、未稀ぐらいじゃない?」
「え」
そんなことない。まさか。先生は私を特別扱いするようなことは今まで一言も言ってないし、こんなこと言われたのは蘭が初めてだ。でも、そんなこと言われたらもしかしたら…って期待してしまう自分がいるのも事実。いや、無い。先生がこんな一生徒に恋愛感情を持つなんて思わないし。
「…ま、そんなこと無いか! ごめん! ちょっと気になっただけだから!」
「あ、うん」
私が一人でパニックになっていると、チャイムが鳴ったのを合図に蘭は会話を切り上げて席へと戻っていった。私はホッと胸をなでおろし、席に着いた。あれ以上深く追求されてたら私はどうなっていたんだろう。変にぼろが出てそれを聞いた周りの人に噂を立てられたりしていたら…なんて恐ろしいことを考えたらゾッとした。嫌だ。先生に迷惑はかけたくない。だから何が何でもこの気持ちを先生に伝えるのは卒業式の後にする、と決めている。でも、もし蘭の言う通り、先生が親しくしてくれる女子生徒がクラスで私だけだったら?あの二人きりの授業をしてもらった生徒が私だけだったら?先生が私を特別な生徒だけじゃなくて、一人の女性として特別な人として見てくれていたら───
ねぇ先生、もし私が貴方にこの思いを伝えたら、どんな反応を見せてくれるんですか?

それから私はなるべく先生と話さないようになった。あの日から急に怖くなったのだ。もしかしたら、先生に私の気持ちを勘づかれてしまうかもしれない。もし、それが原因で先生に避けられてしまったら嫌だ。そんな臆病な理由から、授業後に本当に聞きたいこと以外先生に質問せず、廊下ですれ違っても他の先生と同じように軽く挨拶をするだけにした。でも、その行為は本当に苦しかった。本当は前のように、大して用事が無いのに一生懸命それらしい用事を作って先生に話しかけたりしたい。あの優しい微笑みを私に見せてほしい。いつの間にか自ら先生にこんなにも近づいていたなんて。自分の欲がどんどん大きくなっていたことに今更気づいてしまった私は呆れたように笑った。最初は先生を見ているだけで満足だったのに、今では先生の特別な存在になりたいなんて思ってしまった。今だってほら、板書をする先生をこうやってじっと見つめながら先生は恋人にどのように接するんだろう、あの腕に抱きしめられたどんな心地なんだろう、とか本当にいけないことまで考えてしまっていた。
「最低だな、私」
先生が嫌がるかもしれないのに。頭ではわかっているのに心は止まらない。先生が私達の方を向いた瞬間、私は自分の気持ちに蓋をするように大袈裟に下を向いて先生から視線を逸らした。こんなことになるなら、最初から先生なんか好きにならなければ良かったのに。
放課後、下駄箱へ向かおうとすると前から先生が歩いてきた。なんてタイミング。今は授業以外で会いたくなかったのに。私は先生がこっちに気付く前に踵を返して早歩きで来た道を戻り始めた。
「! おい、綾川!」
「! …っ!」
案の定、すぐに気づかれてしまった。ごめんなさい、先生。こんな最低な生徒でごめんなさい。もう先生と余計に距離を近づけたりしませんから。先生と話しただけでいちいちドキドキしたりしませんから。だから、だから、もう私は必要な時以外は先生の前に姿を見せません。これで許してね、先生。
私は先生の呼びかけを無視して、階段を降りるスピードをどんどん速くしていった。これで良いと決めたくせに、目にはなぜか涙がどんどん溜まっていく。こんな思い、捨てなきゃ。捨てなきゃいけないって決めたじゃない───

次の週も予定通り日本史の時間はやって来る。先週は先生の目の前で先生を避けちゃったから正直すごく気まずい。昨夜は、明日先生にどんな顔して会えばいいんだろう、とかもし何か聞かれたらどうしよう、とかあれで嫌われてたらどうしよう、とか色々考えちゃって中々寝付けなかった。当然、私の顔は寝不足で目にはクマがうっすら出来ちゃってそれを見た蘭に心配されちゃった。こんな顔で絶対先生に会いたくないのに…。
チャイムが鳴り、先生が教室の中に入ってきた。今日は一回も先生と目を合わせないようにしよう、と心に決めて私は下を向いて教科書を読んでいるふりをした。当然先生はいつも通り授業を進めていった。それが私は悔しかった。当たり前だけど、先生は私のことを一人の生徒としか見ていなかったことを思い知らされたような気がして、惨めで仕方がなかった。どうせなら、何か先生が私に一言声をかけてくれたなら、私はまだ救われたかもしれない。私の思いが無駄だったと突き付けられた気がして泣きそうになったのを必死に堪えた。こんな時間、早く過ぎてしまえばいいのに。結局私はその時間は一回も顔を上げなかった。
「綾川、放課後四時半頃に社会科準備室に来て」
「え?」
授業後、先生は私にそれだけ言って立ち去った。あまりに突然すぎて私は返事をする暇も無かった。どういう意味? 資料を取りに来るだけだったら昼休みでもいいはず。ならなんで私を放課後呼び出すの? やっぱり先週のことを聞かれちゃうのかな。なら私はどうやって答えればいい? どう答えればベストなの? わからない、わからないよ、先生。
ついに約束の時間が来てしまった。正直、先生に会いたくないという気持ちと先生と久しぶりに二人きりで話せるという喜ぶ気持ちとごっちゃごちゃに混ざっていた。私は一度深呼吸をした後、荷物を持って立ち上がり、教室を出た。一旦社会科準備室に行こう。大した用事じゃないかもしれないし。平常心だ。平常心。
勢いよくドアを開けたのはいいものの、先生はまだ来ておらず、中は誰もいなかった。このまま先生を待ち続けるのは辛い。どうせなら先生が先に来ていてほしかった。ついさっき平常心て言ったくせにもうそれが出来ていない。とりあえずそこら辺の椅子に座って待つことにした。約束の時間まであと少し。特に用も無いのにスマホを見たり、チラチラとドアを見たりそれはそれは落ち着きが無かった。もう、本当に平常心とは?みたいな感じ。早く来て欲しい気持ちとまだ来ないで欲しいという気持ちが入り混じっている。
そして、運命の時が来た。ガラリ、と音を立ててドアが開き、先生が入ってきた。どくん、と心臓の音が大きく鳴る。先生がいつもと変わらない冷静な表情で近づき、近くにあった椅子に座った。
「…こうやってちゃんと話すのは久しぶりだな」
「…そうですね」
普段から饒舌な方では無い先生は、ぽつりと話し出した。教室中に妙な緊張感が漂う。前までは普通に先生と話せたのに。自らこういう状況にしてしまったんだと痛感した。
「…最近どうした?」
「え? …どうしたって?」
本当はその意味が分かっているくせに反射的に聞き返してしまった。
「…お前、最近急に俺のこと避けだしただろ」 「… !」
「今日の授業中もずっと下向いてたしな」
「…」
先生にばれてたんだ。
「…俺が原因なら、その原因を教えて欲しい。特に理由も無しにいきなり人を避けるような真似はしない質だろ? お前」
先生が諭すような口調で私に言い、私の目線に合わせて腰を屈ませて真っ直ぐ私を見つめた。…そんなところで優しくしないでほしい。
「…理由を知ったらきっと先生は私に失望してしまうので、いいません」
「失望って…?」
当然先生は、不思議そうな表情をして首をかしげた。言いたい、言いたくない、もしここで本当のことを言ったら全て壊れてしまうかもしれない。二度と先生と話せなくなるかもしれない。それが怖くてその先を言う勇気が出なかった。
「…失望しないから、言って」
「…なんでそういう自信があるんですか」
「いいから言いなさい。何か犯罪行為でもしたのか?」
『犯罪行為』その言葉に私は一瞬顔をこわばらせた。確かに人によっては私の先生に寄せる思いは犯罪行為かもしれない。でも、この先生を純粋に思う気持ちをそんな風には思わなかった。
「…そういうわけではないです。ただ、言うのが怖いだけです」
「怖い? お前、一体何に怯えているんだ」
先生がますます私を心配した。先生は私と真っ直ぐ向き合おうとしてくれている。なのに、なんで私はいつまでも先生から逃げているんだろう。それって先生に失礼なんじゃないか。先生なら、私の気持ちをきちんと受け止めてくれる。大丈夫。たとえ、どんな結果になったとしても、私は先生を好きだと思った気持ちに後悔は一つも無い。
私は一度深呼吸をして、先生を真っ直ぐ見た。
「…先生のことが、好きなんです」
「…え?」
「…ずっと好きでした。先生の威圧感も無く、チャラすぎることも無い、聴きやすい声や、綺麗な奥二重や、他の男の先生や男子生徒よりも少し高めでスラリとした背や…大好きな先生の優しい笑顔や…」
「うん」
次々と溢れて止まらない先生への思いを次々とぶつけていくと次第に涙があふれてきた。泣くはずなんてなかったのに、苦しくて、切なくて。でも、愛しくて。先生への思いが涙と同時に溢れて止まらない。しゃくりあげながら、途切れ途切れになりながら話す私を、先生は時々頷きながら静かに聞いてくれた。その優しさに私嬉しくなって私益々涙が溢れ出した。
「…先生が私になんでも聞いてって言ってくれた時から、私、舞い上がっちゃって…。最初は先生を遠くから眺めるだけでよかったのに、先生と仲良くなっていく度に私の心はどんどん先生を独占したいという思いが強くなっていって、それで…このまま先生に近づいて、もし先生と私の間に変な噂立っちゃったら、私が今まで頑張って近づけてきた先生との距離が離れてしまうんじゃないかって思って…。それが怖くて避けだしたんです。ごめんなさい。余計な心配をかけちゃって…。たったそれだけなんです」
「…そっか」
先生は私の話を一通り聞き終え、静かに呟いた。その表情は、さっき教室に入った時と何も変わらなかった。
「…失望しました? 私がこんなに最低な生徒で」
私は先生が何を考えてるのか分からなくなって、震える声で聞いた。
「…失望しないよ。俺も最低な教師だから」
「…え?」
先生…? 私は思考が停止した。先生の言っている意味が分からなかった。すると、先生は改めて私と目線を合わせた。視線が交わる。先生と見つめ合う。先生の瞳の奥には、どこか覚悟を決めたような光があった。
「…卒業式まで我慢できるか?」
「…え? それって…」
「俺も綾川のことが好きだ」
「…!」
時が止まる。全ての世界が私と先生の二人っきりになる。自然と涙が溢れる。まさか、まさかこんなことが本当に起きるなんて。
「…そりゃ、最初は他の生徒と同じ存在として見ていた。けど、綾川と関わる機会が増えていく度に、真っ直ぐな性格に惹かれていった」
「嘘でしょ… !」
「嘘じゃない。勿論俺は葛藤したよ。生徒をそんな目で見るなんてもってのほかだろ。自分を責めたりした。ひと時の気の迷いだと自分に言い聞かせたりもした。でも、それが確信に変わった時がお前が俺を避けだした時だ」
「…え? 」
「俺と廊下ですれ違ったり、授業の後になってもいつものようにお前は俺に話しかけなくなった時、心の中に焦っている俺がいたことに気付いた。このまま綾川が離れていくんじゃないかという恐怖が俺の中に現れた。それから、いつの間にか俺の脳内で綾川を占める割合が大きくなっていたことにも気づいた。その時はもう完全にお前のことが好きになっていたんだろうな」
そう言って先生は、ハハ、と笑った。先生も、苦しんでいたんだ。怖かったんだ。なんだ。私と同じだったんだ。結局、先生は私と同じことを考えていたんだ。そう思うと、なんだか嬉しくなって私は自然にクスリ、と笑ってしまった。
「…何がおかしい」
私に笑われた先生は、自分が大胆なことを言ったことに気付いたのか、少し顔を赤くしてそっぽを向いた。照れてる先生を見るなんて初めてだったから、それが可愛くて私はまた笑った。
「いいえ、嬉しくて。先生、ずっと私と同じ気持ちだったんだって分かって」
「…そうか。そうだな。俺とお前は同じ気持ちだったんだな」
お互いに顔を見合った後、私達は嬉しくなって同時に笑った。そして先生は私の頭を引き寄せ、お互いのおでこを合わせた。突然の先生の行動に私は思わず顔を赤くした。誰か見ていないか、とか、ドアはきちんと閉めてたっけ、とか、余計なこととか考えで頭がグルグルした。
「ドアは最初に閉めたでしょ」
「…なんで私の考えがわかったんですか」
「ん? だって俺とお前、考えること一緒だってさっき言ったじゃん」
「っ… ! 先生、それはずるいです」
「ハハ、後、俺、いつもドア閉める習慣あるじゃん」
「あっ、…そういえばそうですね」
「な? 今はここまでしか出来ないけど」
そう言って先生は私の両手をぎゅっと握って、もう一度おでこをこつん、と優しく合わせた。でも、私にはそれで十分だった。
「…これくらいでも十分です」
「…そうか。ありがとう」
そして顔を離した。私達はお互いに両手を繋いだまま見つめ合っていた。
「いいか。綾川は今高校二年生で、俺は今はお前の日本史担当教師だ。この関係の今は、どうしても堂々と恋人らしいことはできない。それは分かるな?」
「…はい」
「だから、あと二年は今までのままの関係で我慢してくれ。こうして手を繋ぐことも、今日だけだ。この教室を出てからは、お前は他の教師と同じように俺に接してくれ。…出来るか?」
先生から告げられたことは私が最初から覚悟していたことだった。所詮私達は世間では、只の生徒と先生の関係。他のカップルと同じように堂々と恋人らしいことなんて勿論できない。でも、先生とならそんな壁は越えられるという不思議な確信があった。私は静かにコクリ、と頷いた。それを見て先生は安心したように微笑んだ。
「そうか。なら良かった。LINEは後で教えるから、連絡したい時はいつでも連絡して。待ってるから」
「ありがとう、先生。…私、幸せすぎてあまり現実味が無いみたいです」
「…お前は本当にいつも言葉は直球すぎる」
「へ?」
ボソッと先生が言ったから私は上手く聞き取れなかった。
「…何でもない。気にするな。…帰るぞ。校門まで送るから」
「…家まで送ってくれないんですか?」
「…あのなぁ、仮にも俺とお前は教師と生徒の関係だってさっき言ったろ? そんなことしたらまずお前の親に怪しまれるだろ」
「あ、そっか。すみません… 」
「いいよ、別に謝らなくても。でも、早く学校を卒業してください」
そう言って先生は私の頭をポン、と撫でた。その撫でる手つきが優しくて、嬉しくなった。
「…はい」
先生と一緒に教室を出て、私達は校門まで並んで歩いた。もちろん手は繋いでいないけど、別に不満は無かった。今の私達にはこれが丁度いい。だって、奇跡を起こしたんだもん。生徒と先生が恋人関係になれるっていう奇跡を。
「じゃあ、また明日」
「さようなら、先生。…あ、最後に一つだけ」
「ん? 何?」
私は一旦周りに誰もいないことを確認してから先生に近づいた。
「先生、耳貸してくれませんか?」
「? …あぁ」
先生は屈み、私は先生の耳元に唇を近づけた。
「先生大好き」
「… !」
それは先生と私にしか聞こえない秘密の言葉だった。勿論、先生は聞いた後驚いてすぐに私から身を離した。顔を見ると、先生は驚き、呆れているのと同時に少し顔が赤くなっていた。
「先生、さようなら!」
先生が喜んだのが分かると、私は先生にそれだけ言って走り去った。嬉しくて嬉しくて幸せで最高の気分でいっぱいだった。最後に先生にちょっといたずらしてみたけど、今は先生の彼女なんだからいいよね。誰もいなかったし。
これから先たとえどんなことがあっても、きっと先生を好きだと思う気持ちは絶対に変わらない。大丈夫。私達なら絶対に。だって、普通じゃ絶対に起こせない奇跡を二人は起こせたんだから。

                           終
                      

純粋少女は心にパンジーを抱えて

このサイトでは、はじめましてですね。砂糖リリィです。普段は、二次創作小説を別名義、別サイトで投稿しています。今回は、生徒と先生の秘密の恋愛を題材に書いた、純文学です。
先生と生徒の恋愛と聞くと、何かいやらしい雰囲気だったり、あまり良くないことだと感じる方もいるかもしれません。しかし、世間では50人に1人は、生徒と先生同士が結婚しているらしいです。そう、それくらい生徒と先生の恋愛は実は身近なんです。立場が違うだけで、蓋を開けてみたらそれはただの男女の純粋な想い合いなんです。今回は、それが読者の皆さんに伝わればいいなと思い、ほぼ初めての一次創作小説ですが、頑張って書きました。
まだ拙い箇所があるかもしれませんが、温かい目で見守っていただけたら嬉しいです。ここまで読んでくださり、ありがとうございました!

純粋少女は心にパンジーを抱えて

高校二年生の女子と、男性歴史教師の恋愛のお話です。女子高生主観で話が進んで行きます。女子高生の淡くも、キラキラした恋を描いています。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2019-09-28

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