第9話-7
7
傷口を服を引きちぎった布で縛り、ニノラ・ペンダースは配線だらけの小さい部屋でメシア・クライストを見つめた。
ガロの水の弾丸で撃ち抜かれた腕でメシアを抱えながらも、無機質な入り組んだ通路を上下に移動し、ようやく見つけたこの配線だらけの小さな部屋に飛び込んでいた。
部屋の配線はほぼ腐っていたがその中からなんとか使える配線を引き抜き、自らニノラは手当をしていた。
「わたしとイ・ヴェンスが会ったのは隕石が落ちる3日前のことだ」
突然、イ・ヴェンスのことを話始めた。
「お前には知っていてほしい。お前を守って死んでいった人間のことを」
脂汗を拭いながら、黒人青年は喉を一度鳴らしてから、メシアの眼を見つめた。
「あいつはわたしに自分の人生のことを話してくれたよ。現世でのことを。あいつが産まれたのは北朝鮮の田舎だったらしい。未だにあの一族が独裁政権で政治をしている北は、南との合併も中国との関係の進展もなく、あいつはそうとう苦しい思いをして育ったって言ってた。両親ととうとうそれで脱北することを決意して、開通したばかりの北から中国南部につながるリニアモーターカーに潜んで逃げたらしい。だが両親は中国に到着した時の検査で中国税関警察に拘束されてそれからは行方不明だそうだ。1人逃げた時、あいつは10歳だったそうだ。それからは生きるのに必死で、残飯あさり、盗みは当たり前。同じような連中とつるんで強盗まがいのこともしてたらしい。20歳を超えてからはあの身体を生かして、クラブの用心棒とか職を転々としたそうだ。だからだろうな、あいつには生きる力があった。隕石が降る3日前に会った時、あいつは平然と街にパスポートなしで入ったって言ってたよ。ある日の朝、起きたら自分の使命を思い出して、中国から貨物船に乗って密入国したそうだ。あの3日間は忘れられない。あいつは本当に強かった」
そいうとニノラは傷口を押さえ、脂汗の光る顔で笑った。
メシアは彼らがどんな3日間を過ごしたのか想像することしかできなかったが、きっとこれまで生きてきた人生の中で最も密度のある3日間だったのだろうと、ニノラの顔を見て理解した。
その時、部屋の配線に物がぶつかる音がした。
メシアを自らの後ろに隠し、右腕を獣に変化させた。
「心配すんな、俺だよ」
配線をかき分けて入ってきたのは、イラートだった。皮肉にも一番最後にあの無機質な部屋から出たイラートが一番最初に2人を見つけていた。
「この建物は複雑だな。俺はもうさっきの部屋には戻れねぇぜ」
相変わらず小僧のような顔でいう。それにメシアはなんだか変わらない安堵感を覚えていた。
「メシアを頼めるか」
ニノラは腕を黒人のそれに戻し、イラートを見る。
「いいけど、あんたは」
聞かれたニノラは軽く咳き込んだ。グルズの黒い血の影響で細胞が破壊されている最中だった。それでもこみ上げる血だけは飲み込み、
「ここからやつらを遠ざける。少したったらここを出て逃げろ」
そういうとニノラはまだ血が滴る腕で部屋を出ていった。
その背中をただメシアは見つめることしかできなかった。死ぬなという気持ちはあった。でも、ここでそれを言ってしまえば、ニノラに二度と会えない気がしたから、あえて口にはしなかった。
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その部屋は天井に幾何学的な物体がびっしり張り付いており、1つ1つに穴が空いていて、中に入れるようになっていた。
部屋の大きさは2キロ程度のドーム型で、白一色に統一されている。その壁面からは発光しており、壁自体が光源になっていた。
局面の天井にびっしりと幾何学的物体が密集する一方、床には何一つ置かれることなく、なめらかに磨き上げられたような、材質は大理石に近い白い素材で作られていた。
全身に赤と黒の渦巻模様のタトゥをいれた大男。ブソナレロ人のサホー・ジーが中空を飛びながら部屋にまず最初に入った。通路は床から斜め下方に掘られており、飛翔することでしたこの広い空間には入ることができなかった。
次ぐいて赤い巻紙のロベス・カビエデスが入ってきて、最後にアンナ・ゲジュマンが飛び込んできた。
サホー・ジーとアンナは氷の如き澄み切った床に着地したが、ロベスは年齢的なものか、戦いで興奮しているのか、若い笑みをたたえながら空中へ飛び上がると、ドームの天井付近にびっしりと蜂の巣のようにくっついている物体を見上げ、
「これ、なんですかねぇ」
観光客のそれに似た笑みと大声で下方の2人へ叫んだ。
知らん、と言いたげにサホー・ジーは口をへしゃげるほど歪ませ、太い腕を組んだ。
アンナは交互のロベスとサホー・ジーを見比べている。
アンナ・ゲジュマンはもう居ない。前世の姉であったホウ・ゴウと刺し違えた。ここに居るのは、あらゆる種族に肉体を変化させられる、種族独自の進化を果たしたテンゴーホン人のバスケス・ドルッサだ。彼、あるいは彼女と性別も本当の姿も分からず、必ず誰かの姿を仮初に拝借しているバスケスは敵である【咎人の果実】に紛れ込み、敵を内部から崩そうとしていた。
この無機質で何者が住んでいた、あるいは使用していたか、目的がまったく分からない広大な空間で、さてバスケスはどのようにして敵を崩すかそれを思案した。
するとロベスが好奇心の塊になって天井の幾何学物体へ飛んでいく。
これは、と考えアンナの姿をしたバスケスも急激な速度で空中へ飛び、ロベスの後を追う。
幾何学空洞の中は、鏡張りの小部屋になっていた。
ロベスはこんな奇妙な空間を誰がなんの目的で使ったのだろうか? と心中で疑問しながらも好奇心が抑えられず、鏡に映り込む自分を見つめながら、楽しげに室内を視線で物色していた。
そこへ入っていたアンア。
鏡張りの10メートルほどの室内。入ってくれば鏡ですぐに分かる。
「何がここを使ってたと思う」
興奮気味にロベスはアンナに尋ねた。
この2人、メシア・クライストがイデトゥデーションに保護される以前から、この時代にメシアとそれぞれの陣営が移動してくることを知り、先に時代を移動してメシア・クライストを支援する部隊の壊滅を行っていた。つまり親しくなるには十分な時間があったのだ。
しかし以前、アンナはロベスと一緒に同行していたもう1人、ガロ・ベルジーノのことを毛嫌いする発言をしていた。
ロベスはこの行動通り、珍しいものがあれば単独行動で物色に向かう。
ガロは無口で雰囲気がトゲトゲしく、会話することすらも困難であった。
そんな2人に嫌気がさしていた。本物のアンナは。だがここに居るのはアンナ・ゲジュマンではない。アンナの姿をしたバスケスであり、その行動もまたこれまでのアンナとは違った。
興奮するロベスの肩にゆっくりと手を置き、しなやかな指先でねっとりと若い少年の頬を撫でた。
突然のことに驚くロベス。
と、振り返ったロベスの唇に柔らかいものが張り付いた。アンナの唇である。しかも舌は這いずるようにロベスの唇を押し広げ、彼の舌を絡め取る。
よだれの糸を引き、唇を話すアンナ。
「女を知らないんでしょ」
まだ19のロベスは顔を赤くした。
19で女を知らないというのは、もしかすると遅いほうなのかもしれない。けれどロベスの顔を見れば瞬時に分かる。女を知っている反応ではない。
恥ずかしくなったのか、ロベスは唇を腕で拭い、アンナから視線をそらした。
「や、やめてよ、からかうのは」
この時だ。急にロベスが背にしていた鏡が湖面の如く波紋を広げ、表面が隆起した。まだこの事実に気づかないロベス。
隆起した鏡がまるで大蛇の如くはいでてロベスの四肢、首、胴体を締め付け身動きできなくなったところで初めて、自分がなにかの罠に落ちた虫なのだと初めて気づいた。
「ここの鏡は全部、金属成分が多いようだ。簡単に操れる」
ここで初めて、あれだけの時間を過ごしたアンナ・ゲジュマンが別人であることに、ロベスは赤毛を揺らし苦しそうな顔で気づいた。
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身体を文字通り金縛りにされたロベスは、手のひらに光子を集めようとするも、その手すらも鋼鉄の蛇に絡め取られ、能力を発揮することはできない。
「アンナ、嘘ですよね」
額に冷たい汗を流しロベスは鋼鉄の蛇に締め上げられる首から、なんとか声を発した。
「アンナじゃない」
そうアンナの姿をした人物の肉体は表面が液体のようにドロリと溶け、次の瞬間にはロベス・ゲジュマンの姿になっていた。
「生物とは不思議なものですね。生きるためにはいかなる進化もいとわない。植物なのに虫を栄養素とするもの。果実を甘くして動物に食べさせて糞と一緒に種を出させて増殖するもの。動物なのに肉食、草食、雑食に分かれる。宇宙規模になると、わたしの種族デンコーホンのようになるのです。我が種族の祖先は希少な種族でした。知的生命体であるにも関わらず、体内に含まれる希少な塩基を求められ、狩られ、さばかれ、売られた。同じ知的種族にです。だから身を隠した。それでも逃げられないと知った種族は、何百年、何千年もかけて姿を捨てたのです。他者に変化することで自らのアイデンティティを守り抜き、文化を守った。ところがそれを今度は研究しようと我々は追われた。
わたしもそうだったのですよ。家などありませんでした。常に場所を変え、逃げる人生だったんです。もう、わたし以外の種族は残っていませんが」
自分がどうしてこのように変化をし、このような戦いをするのか。その答えが自分たちの種族、逃げてきた生き方にある、とでも言いたげに語り終えたロベスの姿をしたバスケスは、鋼鉄の鏡で作られた拘束具を締め上げ本物のロベスを始末しようとした。
けれども後ろから唐突に声が聞こえた。
「自分語りもいいですが、後ろにも注意しないと」
渦巻き模様が全身に施された大男が分厚い手のひらをバスケスに向けていた。
本来ならばロベスの姿をした人物が2人いる状況に困惑するところなのだが、金属を動かす能力を保持していないロベスが金属製の鏡を動かすことなどできないことを理解するサホー・ジーは、迷うことなくバスケスを狙った。
指先からはすでに炎が溢れている。彼の能力が今にも部屋全体を炎に包む寸前であったのだ。
と、刹那に天井が砕け黒い獣が室内に乱入すると、その落下速度のままサホー・ジーの腹部に爪を突き立てて、一気になめらかな床まで押し戻し、床が砕ける勢いでサホー・ジーの身体を叩きつけた。
ニノラ・ペンダースがどこから現れたのか天井を突き抜け、完全にクマ、狼、ゴリラが混じり合ったような巨大な獣と化して現れたのである。
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ホログラムのマリア像は涙をながさんばかりに苦悶に喘ぎ、十字架の下にうずくまっていた。
周囲の壁が石積みで、床が石畳の教会と思しき場所で退治する【繭の楯】のジェイミー・スパヒッチ、マキナ・アナズ。【咎人の果実】ガロ・ペルジーノ、カロン・カリミ。
4人はにらみ合いを続けつつもいつ暴発してもおかしくない状況にあった。互いに牽制しあってはいるものの、殺し合いをしている。遠慮なく相手を殺していい、仲間を犠牲にしても、敵を1人でも多く殺すことこそが全員の共通目的であった。
やはりその暴発はガロの一撃から始まった。
手のひらに浮遊させていた水滴を弾丸よりも高速で飛ばしたのだ。
マキナがそれをマイクロブラックホールで吸引しようとするも、水滴は通常の弾丸とは違う。まっすぐには飛ばず、空間を湾曲しながら、弾かれたビリヤード球のように移動すると、全方位からジェイミー、マキナを襲う。
これを素早く察知したマキナはマイクロブラックホールを巨大化、周囲に配置された椅子や敷石、壁の石すらもすべて呑み込み、水滴の弾丸を吸引した。
が、マキナの丸い顔が苦悶に歪んでいた。脚に激痛があったのだ。視線を落とすと石の間から導線らしきものが複数はいでて、ミミズの如くマキナの脚に絡み、皮膚を突き刺して皮の下を這い回っていた。
ジェイミーがそれに気づきマキナの脚を一瞥してから顔を上げると、ガロの後ろで黒いレザーマスクで視線は無表情のカロンが石畳に手を当てていた。
表面は石で覆われているがその下には無数の配線、機械類が縦横に走っている。機械、データを操作できるカロンはそれを利用した。
だがカロンの周囲に水蒸気が立ち込め始める。雲だ。それがまるで糸のようにカロンの身体をしばり始めた。
「こういうのもできるんだから」
甲高い声がするが雲に覆われジェイミーとマキナの姿は見えなかった。
水蒸気ならば水。俺の武器になる。心の中で笑ったガロが両手を広げ、全てを刃に変えようとしたその時、マキナの声が雲の中からガロの胸にを貫いた。
「何も変わってないね、お父さんは」
心臓が何度か大きく胸の中で波打つのをガロは感じた。
そう、因縁は再び別の宇宙空間から4人の中に降り注いできた。
第10話『ある宇宙の物語』へ続く
第9話-7