お寺
人々に、
坊主が屏風に……
"お彼岸のお墓参りも済み、時間もあったのでお寺で和尚さんと雑談した。
「……と言うことだ。だから、人というものは、実にまぬけな生きもので小動物たちの様に、ごく自然に当たり前に暮らせず、いつも自分の事しか考えず、その欲に対しての行動力には頭が下がるものばかりだ。言うことを聞かないものたちの戒めに、法と言う泣く子も黙るもので裁かれたり罰を与えたりするがそれもわからないものも居る。
野放しの小動物よりタチが悪いので、檻に入れて飼育し直すが、素直と正直さ、良心が戻るもまた野放しにすれば悪事を働く、仕方がなく黙りもしないので殺処分、これは昔から変わらない。」
そう話す和尚さんに疑問が浮かび、
小動物たちより脳ミソが大きいのに何故だろう?と、聞いてみる事にした。
「何故ですか?」
「それはな、君……
何故、私達僧侶が丸坊主なのか?という事と同じだよ。欲があって、自分のことを良く思われたくて着飾って装い、髪型一つでも随分と見た目が変わるだろ?
この坊主頭は特別でも何でもない、貧乏だから散髪出来ないし、他に一般には居ないから良い意味で目立つだろう?
それに、少し賢くて有り難くも見える。一般にはあまり受け入れられないからだよ。」
「ふーん。
じゃあー、お経やお墓の意味はあるんですか?」
「それはある。
お経は、寿限無って言う落語を知ってるか?あの延長で、極楽浄土の有り難く思える漢字をただ並べて覚えやすくしただけだよ。あんなもの、写経を毎日していればどんな人間でも覚えてしまうんだ。
あと、お墓の意味はな?
人は、マヌケだろ?
良い事も悪い事も、自分の都合の良い事だけ覚えて他は忘れてしまう。
死んだ人の事なんて特にだ、この世に居ないと分かればもうその存在が無いから頭を働かせなくなってしまう。そのために、亡くなったあとに忘れないために四十九日やら何回忌とか色々な儀式を作って、儀式が無くなっても、お彼岸とお盆とかで思い出す様にするために作り上げたんだ。
家にある、仏壇でさえ忘れている人たちも居る。ご先祖様の供養とか死んだ人のためではないんだ、今この世に生きてる人たちへの鞭みたいなものだな、はははっ」
何故か和尚さんの話に納得してしまった。そこで最後に質問してみた、
「ねぇ和尚さんは人ですか?
それとも昔は人だったんですか?」
「私か?わたしやわたし達僧侶はいつでも人だよ。ちゃんと欲もあるし、人としてマヌケに生きているからな。
わたしたちのことを世間では、仏に使える身と言うだろ?
そもそも"仏"と言う字は、人を黙らせると書くんだ。"ム"とは無言の"む"だな、はははっ
あー、それと、
ここだけの話だが、元々神様なんて居ないんだよ。あれは全て嘘の造物、捏造だ。
神でも造らない限り、人のマヌケさは計り知れないから人、人類が自滅しないように仕組んだものなんだ。わたしたちもそれを聞かされた時にはたまげてねぇーはははっ
動物界で一番愚かでマヌケなのは人だよ。
仏の道なんて無い、人を如何に黙らせる事が出来るかがわたしたち動物の仕事だな。」
動物?また不思議に思ったけれど、そろそろ家に帰らないといけなかったのでお寺をあとにした。
そうかー、もうそこまで言い伝わっているんだぁ、あの和尚さんもぼくたちと同じ人とは仮の姿だったんだぁと、動物界の最高司令部へレポートを提出することにした。
でも、和尚さんにはお線香の原料が、本当はマリファナだとは言えなかった……"
以上、今期の調査報告でした。
神を創った動物寺 より
お寺
坊主頭を流行らせよう。