神茸

神茸


 古文書、「神宮外伝」が1948年にみつかってすでに六十四年が経つ。私が生まれた年だ。その当時、地方紙にほんの小さく報道されたのみで、誰一人として覚えていないだろう。ところが、私の友人で、とある大学の宗教学や民族学を教える教授が、研究を進めていく過程でその存在に気付き、興味を持った。彼は三種の神器を研究しているその世界ではよく知られている人物だ。三種の神器(みくさのかむだから)は天照大神がさずけたという、簡単に言えば鏡、玉、剣である。
 その外伝は伊勢の片田舎のごく小さい古い家の押入れの中から見つかったものである。家の持ち主の老婆は長い間一人暮らしをしており、戦後すぐ、突然亡くなった。百二歳であったときく。生前、自分は朝廷の末裔で、高貴な出なのだとみなに吹聴し、ぼろのような布を十二単として身にまとっていた偏屈な老女であった。今で言うヘルパーさんが出入りしていたが、神社の巫女のようなはかま姿でなければ家に上げなかったという。
 神宮と呼ばれるのは伊勢神宮のことである。内宮と外宮があるが、平たく言うと内宮はお日様の神様、すなわち天照大神、外宮は生活の神さまが祀ってある。
 外伝には内宮に祭られている天照大神と、月神である月読命(つきよみのみこと)の確執がかかれており、誰が書いたものか、いつ頃のものか、全くわかっていない。
 日本書紀の成立が奈良時代すなわち、710年から七十数年間と短い間である。日本書紀を補遺したものともとれるこの外伝の成立は奈良時代末か、平安時代に入ってすぐのものと考えられた。
 内宮の神体は三種の神器の一つ、八咫の鏡(ヤタのかがみ)とされるが、その真偽についてはまだ議論の余地があるようである。
 友人に言わせると、「日本書紀だって、古事記だって、ありゃSFだよ。目玉から神が生まれたり、海を作ったり、まさに、空想の産物、SF大河小説としちゃ大したものだ。その中から、真実をつまみ出さなければならないのだから、歴史学者も大変さ、今だったら、泉鏡花賞をとっていただろうね」ということになる。
 友人は泉鏡花が大好きで、泉鏡花の初版本はもちろん、金沢市が制定している泉鏡花賞の受賞本を全部そろえている。
 その友人が言うには、神宮外伝には異宮(いぐう)の存在が書かれているということである。異宮には夜の神の神器が祀ってあるということで、友人はその在りかを長い間探していた。
 彼は、研究を始める順当な方法として、すでに取り壊されている、神宮外伝が見つかった家の跡地を見に行った。伊勢神宮の外宮と内宮の間に位置するその家の跡には、幾つかの住宅が建ってしまい、名残などは何もなかった。あたりを一応は調べもしたが、大手デベロッパーが開発した住宅街には、歴史の残りなど望むべきものはない。
 彼は幾度も外伝を読み、調べ、いろいろな角度から解析をした。
 外伝を紐解くと、最初に、日神である天照大神に対し、月神である月読命の関係が書かれている。日神は女神であり、最も力の強い神であった、太陽の恵みは余りにも大きい。一方、月は男神であるが、その輝きは、自然との調和には大きな役割をもつにしても、影響力はとても日神に及ぶものではなかった。しかし、月神は周りの神からも尊敬され、女神仲間の間では最も人気のある神であった。当然のこととして、天照大神は月読命を自分に引き付けようとしたのである。月読命は余りにも強い日神をきらい、柔らかな秋風や春風のような女神を自分のそばにおきたかった。
 そのようなことなのだが、天照大神は月読命にいつも自分のそばにいるよう命じたのである。しかし断って夜に逃げてしまった。当然のこと日神のご機嫌がよいわけはない。
 日神は「夜を作らせるな」と夜をなくしてしまった。これには月読命が困った。夜が訪れず、月も上がる事はできないが、一日中太陽が地球を照らし、冬なのに地球上は暑く、植物も動物も多くが死に絶えてしまった。
 これは大変なことと月読命はとある神に手助けを頼んだのである。この神は日本書紀にも出てこない神である。一説には伊勢地方の神であるともいわれたが、北海道や東北のほうに起源があった。決して地表に現れない神で、天の中、地の中、植物の中、動物の中に入り込み、蜘蛛の糸のようなものですべてをつなぐ神とされる。名前はついておらず、彼に言わせるとそれこそ結びの神である。今言う男女を結ぶ神ではない。それと区別すべく彼は絆命大神(きずなのみことおおかみ)と名づけた。絆命大神、現代にも最も必要とされる神様である。
 月の神は鬼蜘蛛をつかわし、絆の命大神に窮状を訴えたのである。絆の神には月の神だけではなく、日照りを嘆く多くの動植物の声がすでにとどいていた。このようにして月の神は絆命大神を味方につけ力を得た。
 絆の神の力は強大で、太陽には次第に黒点が増え、天照大神は岩陰に隠れてしまわれた。それが岩戸の中に閉じこもった本当の理由だそうである。今度は日の照り方が少なくなり、植物も困った。そこは絆命大神である。天照大神と月読命との調停の場を作り、日と夜をほぼ半分ずつ、しかし、春夏秋冬により、その割合に変化をつけるということを提唱したのである。そこで天照大神も月読命も納得し、日本の季節ができたとされる。
 それに感謝した人々は絆命大神を祀る異宮を建立したわけである。その外伝を詳細に、繰り返し読み返した結果、彼は一つのことに気がついた。書き手がいつも伊勢神宮の南西の山を意識していたのである。絆命大神の調停で天照大神と月読命が会合したのは内宮の南西の星の光る場所であった。月読命が使いを頼んだ鬼蜘蛛が飛んで行ったのも南西の方角であった。そこになにかある。
 彼は内宮の西南に線を引き、それらしい神社などを探したが、見つける事はできなかった。そこで内宮と外宮の真ん中から西南に線を引いてみた。ほぼ延長上に、目立つ山と一つの神社があった。鼓ヶ岳の入り口にある養命神社である。
 彼は自分の車で神社にいった。外宮の近くの大きな道路を南方面にかなり走ると、朝日団地があり、その先に鼓ヶ岳に登っていく道があった。その道に入り、ほんの数十メートルほどいくと養命神社があった。鳥居の前で車をとめ、神社に行った。
 急な階段を登ると大きく育った木々に囲まれた広い境内にでる。正面に古びた、だがおごそかな社があった。人はあまり訪れないとみえ、境内には落葉が溜まっている。
 神社の裏にまわると、木に囲まれ茂った草に覆われていたのでわかりにくかったのだが、下に降りる道があった。かなり急な道である。降りていくと、下に池があるようだ。したにつくと、苔むした大きな石に囲まれた池のわきにでた。まわりに茶色の茸がたくさん生えている。見上げると、神社の裏の木が聳え立っているのがみえる。
 池の周りは急な斜面で草に覆われている。いうなれば、そこの深い窪地であり、底には池がある。
 池の水はとても澄んでいて、かなり深そうである。池の前には苔むした石が積み重なっており、その石の隙間から水がしみだし流れ落ちている。池から出て行く流れもないことから、水は地に吸い込まれているのだろう。
 右脇の斜面を見て驚いた。池の脇に大きな祠があり、入口が背の高い草で覆われているので、はじめは気がつかなかった。近寄ってみると、人の高さほどもある穴で、人の背の高さほどの木製の鳥居があった。先に小さな神社がある鳥居にも、神社にも薄汚れた苔がこびりつき、扉の前に古びた蝋燭が何本かたおれている。ちょうど養命神社の真下あたりになるだろう。池のために建てられた分社なのだろう。
 扉を押してみたら開けることができた。彼は中に入ったが、小さな部屋には古そうな木枠の大きな鏡があったということだった。
 彼は養命神社について、神社庁、市役所などいろいろ調べたのだが、その神社には神主はおらず、地元の農家に管理が委託されていることだけがわかった。その農家は古くから地元にある大地主で、氏子代表でもあった。当主は昔から管理をしているので、そうするものと思って、たまに掃除をしに行くだけと言うことだった。本人はそろそろ終りにしたいようなことも言っていたそうである。
 そのような話を彼から聞いて、一月ほどたった頃である。彼は養命神社を夜中に行って調べたのである。
 その日、真夜中に奈良につくように車を走らせた。彼はしのびの姿で養命神社の本殿に忍び込んだ。なにかを盗もうというわけではない、自由に中を調べてたかっただけである。それにしても誰かに見つかったら面倒なことになる。
 ヘッドライトをつけ、神社の本殿の中を見てまわり、最後にご神体としておいてあった鏡を手にとった。青銅を磨いた鏡で直径が五十センチほどもあった。詳しく見ると、八咫鏡に似せたものだが近年のものとわかった。彼はその鏡をもどすと、置いてあった机に眼を留めた。とても厚い板の大きな机である。黒光りする板に頑丈な足がついている。古いものだ。
 彼は鏡をどけ、懐中電灯で照らしながらその机を調べた。そこで机の足に仕組みがあることを見つけた。一つの足を回わすことができた。
 彼はその足を回した。すると表面の板が横にずれた。半分ほど開いた中にも鏡が入っていたのである。とりだして見ると、その鏡も八咫鏡であった、しかし、やはり当時の本当の八咫の鏡ではなかった。予備をいれておいたようだとわかった。結局何も見つけることができず、社屋をでた。池のほとりの小さな社を見るためである。
 境内の裏にまわり池までおり、大きな祠にヘッドライトをむけた。分社のドアを開け、正面においてある木枠に入った大きな鏡をとりだした。これも偽物だろうと思い、光を当て細かく見た。彼の顔色がかわっていただろうと言っていた。
 古い、本物じゃないかだろうか、彼はどきどきしながら、写真を撮った。本当はもって帰りたいくらいだった。伊勢神宮の内宮にあるものはなんだろう。その後、彼は車で東京に戻ったと言うことだった。
 彼は私と会ったときに、そのとき写した写真を見せてくれた。彼はその領域の権威以上に三種の神器については精通しており、自信もあった。間違いはないと言った。私が見てもなにもわからないが、彼の説明で納得し、写真からも雰囲気は感じられた。
 彼は伊勢の内宮に本当に神器があるのだろうか疑った。向こうのほうが偽物なのではないだろうか。当然のこと、伊勢神宮に見せてもらいたいむね申し込んだのだが、すぐには無理ということで、まだ返事はもらっていない。とのことだった。
 それから一月後、伊勢に調査に行くと出かけた。そして真夜中に伊勢神宮の内宮に忍び込むという無茶をした。大学教授という身分などどうにでもなれという勢いだったに違いない。
 伊勢神宮は研究対象であり、建物の中のことは彼の頭の中にたたきこまれている。彼は保安装置をかいくぐり、とうとう神器を見ることができたのである。
 夜中の三時、ホテルに戻った彼から東京の私のところに電話がかかってきた。
 「みつけたぞ、内宮の神器がわかった。とてつもなく厳重な部屋にしまわれてあった。重い扉を開けてその部屋に入ったらあったんだ。神宮外伝にも触れてあったのだが今まで意味が分からなかった。神器は黒柿の台の上に乗っていた。金属の覆いがかぶせられてね、今写真を送るから、一たん携帯を切るぞ」
 そう言い終ると電話が切れ、すぐふたたび携帯が振動した。開くと伊勢神宮の境内の写真と供に、その神器の写真が添付されていた。
 私の携帯の画面の中では、茸が台の上で青白く光っていた。
 着信の振動があった。電話に切り替えると、低い声が聞こえた。
 「どうだ、不思議だろ、茸が神器なんだ、鏡なんか無かった。茸は動物にも、植物にも、地にも、空気にも、菌糸を伸ばし、胞子を飛ばし、つなげていく、絆命大神の化身なんだ」
 「何でできているんだ、光る玉(ぎょく)なのか」
 「俺も蛍石のような蛍光をもつ石だと思って触ってみた、そうしたら硬くないんだ、生の茸にさわった感じだった。だが台にくっついていて、無理に持ち上げようとすると壊れそうだったのでやめた」
 「光る茸か、月夜茸は光るな」
 「そうだな、形は月夜茸ではない。普通の茸の形をしている、松茸みたいな形だ」
 「僕には、その光かたは夜光塗料を塗ったように見えるが」
 「そんな弱いものじゃない、強い光で、まぶしいほどだった、触ってみると、じんじんするくらい熱いんだ」
 僕は何かいやな予感がした。彼は続けて言った。
 「天照大神は、月読命との話し合いのときに、内宮を絆命大神にゆずったんだ。そう、外伝に、『日の神は退き、命を養う神となり、月の神は夜の主となった』とある。その意味がわからなかったんだ、天照大神は養命神社に祀られ、内宮は絆命大神を祀ることになったんだ。だから養命神社の分社に八咫の鏡は本物だったんだ。
 外伝には『天照大神は内宮に神茸(しんじ)を送る』とある。神茸とは青く光る茸のことだったんだ。これは大発見どころではない」
 「だが、黙って忍び込んだことを言うわけには行かないだろう」
 「いや、外伝についての本を書く、それが認められれば、新たに検証することになるだろう。そこで俺の説の正しさが証明される」
 「それはよかったな」
 「そう、酒がうまいよ」
 「もう呑んでるのか」
 「ああ、ホテルの部屋にあった酒はみんな呑んじまった」
 「呑みすぎるなよ、まあよかった、早く寝てくれ、東京に帰ってきたら連絡をくれ、そのとき詳しく教えてくれ」
 「ああ、そうだそろそろ寝よう、おやすみ」。彼は電話を切った。
 それが彼との最後の会話となった。
 次の日、彼がホテルのベッドで死んでいるのを発見された。からだの表面が焼けたただれ水ぶくれができていた。特に手が焼け爛れていたそうだ。強力な放射能を浴びたときに生じる症状だったという話である。ところが、なぜか新聞には心臓麻痺として扱われていた。
 それでも彼の死は警察で調べられていたようである。しばらくして刑事が私のところにきた。放射能を浴びたような状態だったということはその刑事が教えてくれたことである。刑事は彼の研究のことをずいぶんしつっこく訊ねた。
 私は彼が考古学の大家であること、三種の神器の専門家であることなどを話した。特に最近研究が進んだことを喜んでいると言った。
 刑事は彼の写真機や携帯をすべて調べたが、撮った写真がみな真っ黒になってしまっていたと言った。携帯の中の画像もこわれていて、何を写したのか分からない状態だとも言っていた。通信先は特定できたので私のところに来たということであった。
 携帯で私に画像を送ったあとがあったが、何が写っていたのかと聞かれた。それが目的で私のところにきたようだ。私は彼が昼間に写した内宮の写真を彼らに見せた。青い茸の写真はすでに移して消しておいた。刑事はそれ以上追及しなかった。
 「彼は放射能をどこで浴びたのですか」
 私は刑事に聞いた。刑事は、
 「いや、放射能かどうかわかりません、伊勢神宮にはそのような場所は無いので、阿野先生が、どこに行ったのか調べているところです」
 いかん口を滑らせてしまったと言う顔をしていた。
 その後、一度も刑事も来なければ、新聞にそのことが報道される事もなかった。
 ふと彼はただの考古学の研究者ではなかったのではないか、との疑問も湧き出てきたことは否定できない。
 私の携帯にとどいた青白く光る茸の写真はPCに残してある。それを私に送ったあとに、彼の携帯の写真は壊れてしまったのだろう。私はその茸の写真を焼いて額に入れ、自分の部屋にかけてある。神茸、伊勢市とした。だれがどこで撮影したのかそれを見ただけでは分からないだろう。
 そのうちこの写真を、茸の専門家に見せようと思っている。
 放射能を出す茸があるとしたら、どのような使い方があるのだろう。
 

神茸

私家版 第九茸小説集「茸異聞、2021、一粒書房」所収
茸写真:著者: 秋田県湯沢市小安 2017-9-16

神茸

神宮祀られていたものとは、その写真を撮った男はどうなったか。

  • 小説
  • 短編
  • ミステリー
  • 青年向け
更新日
登録日
2019-09-20

CC BY-NC-ND
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