甲板のギター少年
塾へ通ったり、子供らしく居なさい……そうは言われない我が家のちょっとした小旅行の物語。
第一話 : ホログラムの宇宙
人の運命や人生は、生まれてきた家庭で既に決まっている。このぼくも、こうして今まで生きてきた。これは、ぼくと家族のルーツである故郷へ行った時の物語……
昭和の時代を思う頃、
世の中の不平不満を思いながらの暮らしの中で、稀にホログラム生成機のスイッチを押したかの様に頭の中で鮮明に昔の記憶が蘇ることがある。それは遠い昔の体験で、当時の空気も匂いも人の顔も、はっきりと目の前に現れることがある。
ぼくが生まれた年、その二ヶ月前にアポロ11号が人類初の月面着陸に成功したと知る。
生まれた年の生まれる前の出来事を知るのは、大昔の偉人が歴史に残る事や事件の記録として後から勉強して知るのと同じなので関心がない。
その宇宙船の名前を聞いて身近で思い出すものは、ストロベリーとチョコレートを合体させて形も飽きさせない女性ウケするアポロという名のお菓子が美味しい事くらいだ。
宇宙とお菓子はどういう繋がりがあるかわからないけど、夢のあるお菓子なのかもしれない。
多分、帰還した時の小型船の形を真似たからその名前を拝借した程度だろう。
"人間にとっては小さな一歩だが、
人類にとっては大きな飛躍た。"
人類最初に月面を踏み、そう言ったアポロの船長の言葉だが、ぼくにも名言がある。
"宇宙は広すぎる、
この地球の海は深すぎる……"
今年の夏初めに、海水浴場で溺れかけたのだった……あの時は焦った。
海は行きたい時には近くにある、宇宙は遥かに遠いし自力では行けない未知の世界。加山雄三が海の男と呼ばれるのなら、ぼくは宇宙の男と呼ばれたい。
月夜の晩には夜空をずっと見上げているほど宇宙は好きだ。未知の世界のものには惹かれるし、夜なのに月の灯りで自分の影が出来る事、これを自然の当たり前の現象とは思えないからだ。
真夜中の時間に生家の庭で、空を見上げると銀河系やら何とか〜星雲が目の前に現れて渦を巻き正面から流れて背中の方へ消えていく夢を何度も見る。夢の中ではどこでも、必ず前から後ろへこの壮大で神秘的な光りの風景が流れてゆく、地上で眺めているのにフワフワ浮いて居る様だ。何度も見るこの夢は、何の意味を暗示しているのかぼくにはよくわからない。
たまに、陽が沈んだばかりの廃校になった二階建ての建物らしき教室から窓の外を眺め田畑を挟んでまだ夕焼けが残る星空と、影絵になった山の向こうで砲弾が飛び交い着弾して爆発している、近くの戦場を見ている夢もある。きっとこれは現実で、遠い昔にある場所であった事実が夢に出てきたに違いないと信じている。決して目の当たりにはしたくない体験と光景だけど、夢でタイムスリップをしているだなぁと思うと……すげぇ!と、感じる。
こんな思考になったぼくの教材は、すべて青い猫型ロボットのマンガがバイブルだったからだ。
それと、空が一面雨雲に覆われどんよりとしたその下で、防波堤が高い海の近くでこれも古い建物の中に居て、たぶん旅館らしき部屋から浴衣姿で窓から海を見ていると、荒れ始めた白波が増えていき突然大波となり飲み込まれる瞬間に目が覚めたりもする。無口なぼくは、誰かと会話している夢は少ない、いつも大自然相手だ、カナヅチではないけれど、水の夢は怖いなぁと思う。
どれも、幼い時からの精神的にパンクしそうな時に見た夢なんだろうと自覚している、高いところから飛び降りて地面に着く瞬間に目覚め飛び起きる大人が見る夢と同じかな?
まだ記憶にある昔の夢は、鮮明に覚えているくらい現実には夢が無い暮らしだったのかも知れない、ぼくが物心をつく初めての夢だったからよく覚えて忘れられないでいるのかな?
物心をつき始めた無意識の頃は、
物理的なおもちゃより目に見えない音や掌に残らない光に興味を持つのは男の子の定めで、手に入れられないものを欲しがる心は、草陰で獲物を待ち続ける狐の真似をしている様だ。
獲物とは、気に入った音と光を独り占めをして記録として確保できるきっかけを人の代わりに可能にしてくれる機械の事だ。人はとかく忘れやすい動物だから、これで弱点を克服できる、文明万歳!と叫びたくなる。
待ち続けるとは、親がいつかは買ってくれるだろという子どものほんの一握りの希望の時間、現実になるか否かは親のお財布と気分次第、子どもの人生はギャンブルに近い。
待っている気持ちを悟られないように毎日、気にせずに装い過ごす生活の中が草陰になる、心の半隠れと言ったところかな?
その頃は、テレビのアニメやらバラエティ番組を記録するものなどぼくたちの様な一般庶民には無かった、貧乏だったからということもあるが。光とは四角い枠に投影される記録した映像の事だ。それは技術的にも、この幼い頭ではその機械を手に入れたとしても何も出来ないだろうから、せめて音だけでもとそれまでに何度か録音出来るものを手に入れたくて親に頼み倒していた。何十回お願いしたか覚えてはいないが、ようやく買ってくれたのが簡単なテープレコーダーだ。子どもでも使えそうなシンプルなもの。子どもには贅沢なおもちゃとは知っている、でもこの世界がとても気になるし大のお気に入りなのだ。
それまでは毎週その曜日、その時間のたった一度だけの楽しみを長い一週間を待ってその瞬間だけの喜びを噛み締めていたが、この機械のお陰で勉強や宿題ではやらなかった復習と繰り返しの作業が可能となったからだ。
何度も何度も、そのためだけに耳を傾け時間を費やす。そしてまた一週間がやってきて新しい音とお馴染みのお気に入りの音を記録し再生する快い時間が過ごせる。
特別にマイクを接続して音を拾ったりはしなかったので、機械が来る前と同じ状態の家族の会話も入ってしまったが、それも失敗とは思わず次なる成功材料となってそれをヒントにDJにも挑戦した。ノリが悪くない姉のお陰でラジオ番組の真似事を一緒にして、後から聴きそれを笑っている時間も増えた。
そんな中、毎年恒例の夏休み帰郷の日がやって来る。
帰郷と言っても実家では無い、
血の繋がった父の兄弟の家に遊びにゆく。物心をつき始めてもあまり意識はしていなかったが、親戚と言えども他の地に暮らす他人の家。
自宅には無い珍しい物や変わったもの……大人にはドライブと帰郷になるが、子どものぼくにとっては古い地図を片手に宝島へ向かう船上にいるようだった……
ヨーソロォーーッ!
つづく
第二話 : 宝島は桑畑
ここは静岡県だ、ぼくの生まれも育ちもおんなじだ。目指しているゆく先の宝島は群馬県だ!父親の生まれ故郷らしい、その兄弟の在住してる地だ。因みに、母親は静岡県。
わざわざ群馬から静岡まで来た訳や、何の縁で一緒になったのかわからない、ぼくも深く追求はしない、自白するまで待つとしよう……。
翌朝一番からのんびりと、帰郷の空気を満喫出来るように眠い目を擦って夜中に発つ。そして車が揺れること……船の帆を張り羅針盤を見つめて追い風を探し宝島を目指すこと、三時間ちょっとで目的地だ。
旅をするコロンブスの気分だけど、舵をとる手の海賊の人間も居るが。
宝島までの道のりの半分は高速道路で、
あとは下道2時間半ほどで到着予定だ。
毎年、父親の仕事の都合でぼくの夏休みか冬休みに合わせて出かける。
途中のドライブインの駐車場で、大人には酒のつまみのモツ鍋を簡素な屋台でおでんも食べて夜食を済ませる、
航海はこの先まだまだ長い……。
大人の真似して爪楊枝を咥え再出発、県境を越え埼玉県の芋畑が見えてきたらひたすら真っ暗でとても狭い、国道とは思えない道をひたすら北上する。
道は狭いし、父親の運転技術が乏しいので大きなトラックとすれ違う度の文句が聞こえてくる。
ぼくは、バンの後部座席を倒して布団を敷き自宅と同じ様な就寝スタイルで横になっている。目を瞑るが、この文句の声とカーブで揺れながら寝れるわけがない。
大海原で途中からの天候悪化になり船酔い寸前の状態だ、母親が気を利かせて、おばあちゃんの知恵で家から梅干しをいくつか持ってきていたので一つ貰ってジュースで喉を潤すとだいぶ楽になった。
出発してから休憩停車以外、一度も起きず高いびきの隣で寝ている姉を羨ましく思う。きっと、図太い根性の持ち主だろうな。
ドライブインも開いていない夜中、正確にはもう朝方の時間。
背中の方から薄明るくなって来るのをムズムズ感じながら、真っ暗な林道を進み山をいくつか越え、どこかわからない寝静まった商店街の冷たく灯る街灯を通り、芋畑も田んぼに変わりだだっ広い青く現れた田園を、国道から県道の標識に進み宝島を目指す。
流れる田園を通る道路を暫く進み、日の出の光で大人の膝丈ほどの稲が揺れる緑色に変わってくる。
揺れる緑の間に高くて茶色の一本道、ローカル線の線路と並行な道を進むと、遮断機の無い踏切を渡る。舵とりの父親が運転姿勢を直し"もう直ぐだぁー"と呟くと民家の瓦屋根が見えてきた集落が現れる、すると父親が独り言を言い出す。
「あの山、
"赤城の山もぉー今宵限り……
かわいい子分のてめぇーたちともぉー
別れ別れになるぅーかどでだぁー……
おっ親分ッ!"
……って国定忠治は知ってるかぁー
左の山がその赤城山だぞ?」
「 …………。」
助手席の母親は、ずっと夜中じゅう隣で起きていてナビと父親が眠らないように気付薬の役目で疲れ果て、口を開け上を向き寝ていた。
ぼくは横になったまま布団を被り起きていたが今更相手にはしなかった。散々文句を言いながら舵を取っていたから、ぼくは熟睡も出来なかったから腹いせだ。
姉は相変わらずで、この車が事故をしても、爆弾が落ちてきても起きない状態だった、イビキは小さくなったがよく寝ている。
父親の一言の返事が無いまま、そのあと静まり返った車内でウィンカーの音だけが響く。
カッチ、カッチカッチ、カッチ……
面舵イッパーイッ!
民家の間に、青々しい桜並木が続くと父親は徐に右へ曲がり用水路の上の鉄板が敷かれた民家の入り口を入っていった。
滑らかなアスファルトから、砂利道の悪路になり、ここでやっと姉は目を覚ました。車中泊とはこういう事か?と納得する。
「着いたぁーー!」バタンッ
バタンッ、バタンッ
父親の雄叫びが、裏山と畑にこだまする。ぼくも両手をバンザイして背伸びする。
降り立った父親は徐に、家族のために遠慮していたタバコを取り出し火を点ける。
ここへ着く前に、一人時代劇をしたけど、この地と住んでいる静岡との共通点はそれなんだぁ、と一つ納得する。
父親の知らなかった面も、タバコ好きも、静岡へ移り住んでまたここへ旅しに来ている事も、父親のルーツなんだなぁと父親の歴史の勉強ツアーをしてある様だ。
もっともお土産と言えば、ここの他にも訪問する宝島へ行けば、お小遣いは必ず貰えたが、話し下手の父親の事を関心出来るのはこの旅の時間だけだろうと思った。
群馬の地に一歩を踏む。
ぼくの中では、目的地の港へ停泊、
何週間ぶりかに甲板から地面に変わった瞬間、両足で飛び降り大地を踏む。次の旅に備えて食糧と水を調達しなければ……と言う心境だ。
ここは、父親のお兄さんが営んでいる。養蚕農家と呼ばれ、蚕を飼育し繭を採り糸を生成する養蚕業だ。
詳しくはこちら↓
"養蚕業(ようさんぎょう)は、カイコ(蚕)を飼ってその繭から生糸(絹)を作る産業である。遺伝子組み換えカイコを用いた医薬素材の生産や、カイコ蛹を利用して冬虫夏草(茸)を培養するといった新しいカイコの活用も進んでいる。"
(Wikipediaより冒頭の一部を抜粋)
農家らしい土間のある平屋の大きな和風建造の家の隣には、蚕を卵から飼育する大きな倉庫の様な古屋と、庭を挟んだ真ん前には蚕の源の餌となる桑の木が一面に広がる桑畑がある。
つづく
第三話 : 宝探しの巻
山近くの農地の早朝は明るく、そこに暮らしている農家はとても早起きだ。養蚕業農家の叔父の家もまた同じでぼくらが早朝に到着したのに、玄関の引き戸がもう開いている。
黒光りが色褪せた、高くて厚い玄関の敷居を跨ぎながら父親が言う。
「おはようー!おーい、来たよぉー!」
すると、土団子の様にテカテカした土間の奥ばった通路の奥から伯父の奥さんが玄関に向かって歩いて来る。
「はーい……あ、あーあーいらっしゃい!待ってたよぅ早かったねーさぁ、上がんなぁー遠くからぁー、疲れたべぇ?ほれ上がんな!」
「うん、はいこれ!お土産ね。」
父親は、手土産に持ってきた静岡の新茶が入った紙袋をそのまま伯父の奥さんへ渡す。
その瞬間、どうしても早朝の一人時代劇を父親がした場面とルーツを理解してしまったぼくには、親分との契りの盃を交わしている様に見えたし、本物の親分の場所の空気と入り混じってその時代に居る感覚がする、おばさんの真っ白なかっぽう着がまさにそれだった。
「おじゃましまーす」
ぼくら家族は、玄関を入って直ぐ左側の十畳ほどの和室へ案内された。
土間から和室の入り口には、墓石を横にした様な段差の沓脱石で靴を脱ぎ、い草の匂いが漂う広間に重そうな一本木の無垢の座卓を囲んで用意されていた分厚い座布団に座った。
暫くすると、おばさんが来て、
「道、混んでなかったぁ?何もねぇけどお茶でも飲んでぇ、ハイ。兄さんなら組合行っててもう直ぐ帰るがら、それまでなーんも無いけど寛いでってぇ」
「ねえさん、ありがとう」
「ありがとうーおばさん!」
ぼくら家族は一服する、長旅の休みをとることにした。
ぼくも何だか気が抜けて、急に脱力感に襲われて分厚い座布団が今のぼくにはちょうど良い高さの枕になり、身体が軽くていい気持ち。姉の元気な声とおばさんの大きな声の会話も気にせずそのまま寝てしまった。
寝た子を起こすなという事だったのかどうかはわからないが、お昼も過ぎて目が覚めると午後三時だった。
やけにお腹が空いておかしかったわけだ。
伯父さんとおばさんの声が聞こえる、
夕飯にはまだ早いがお昼抜きでは何も出来ない。おばさんが気を利かせ、少ないながらもお昼に皆が食べたらしい素麺を用意してくれた。食べ始めたが直ぐに終わってしまう、空きっ腹が少し満たされておやつ代わりになってしまった。
「おや?よーぐ寝でだねぇー、
ご飯も食べだしぃ山行ぐが?ん?」
おばさんのお母さんがぼくに話しかけてきた。
「うん、行く行くぅー!!」
これも今回の航海、旅の目的だ。
去年、同じ時期に来てカブトムシやクワガタムシをたくさん捕まえた。
もっともそのまま逃してあげた、
"また来年会おうなッ"と言って。
今年は再会できるかな?!
大人にはただの夏の昆虫でも、子どものぼくらにとっては生きた宝石、お宝だ!お腹も収まって、静岡から持ってきた虫カゴを車へ取りに行き、おばあちゃんの後を付いてゆく。
おばあちゃんは、手拭いと鎌を片手に
玄関を出て真っ直ぐにある広い桑畑の真ん中の道を行く、取り残されない様に付いてゆく。歳はいくつかわからないけれど、足腰丈夫なおばあちゃん。
軽快にドンドン進んでゆく。
山道に差し掛かると、何やら見つけ様だ。この時に採れる山菜だった、軽く摘んで鎌でカッと切る。大事そうに無言で手拭いに巻腰へぶら下げる。
数メートル歩いてまた止まり同じように鎌で切る、この繰り返しが何度か続いた。静岡の管理された山道とは違って、おばあちゃんの山の道は獣道と呼ばれるのに近い荒れた道。
足元を見ながらではないと転げ落ちそうになるから慎重に歩くのが速いおばあちゃんのあとに付いてゆく、すると少し太い大きな木があって見上げると、居た居た!ハサミが大きなクワガタムシだ。
おばあちゃんの手慣れた山菜採りの様にぼくも真似して捕まえ虫カゴに入れる。暫く虫カゴに入ったクワガタムシを眺める、茶色なのか黒なのかよくわからないツヤツヤした黒光ったおたからがモゾモゾ動いている。
ニヤニヤしながら、おばあちゃんと少し離れてしまったので早歩きして追い付く。この日捕まえたのはカブトムシの雄雌二匹とクワガタムシの雄一匹雌二匹だった。
そんなに高くない山の山頂付近に差し掛かると、おばあちゃんが立ち止まって言う、
「今年はなぁーこの反対側の部落にクマが出たらしいから、お前も気をづけて歩けぇ?」
え、えっ?
おばあちゃん?!
それを早く言おうよ……
山のど真ん中でのおばあちゃんの一言、急に山の暗い所が怖くなっておばあちゃんの速さ並みに歩いていった。
やがて下山の道になった頃、道幅も広くなり人里が見えてきた。
山道もここで終わりなのか、砂利道となりアスファルトよ道路も見えてくる。どれくらい歩いたんだろう?空を見上げると陽が、赤城山へ隠れる途中だった。民家の間を通り田んぼが見えてきた、その角にお店らしい建物がある。
「何がぁ、買ってくがぁ?
お菓子屋さんあるぞ、ごご……」
このおばあちゃんの一言は、山中でクマが出ると言った事を見事に解消した。ぼくは遠慮なく、
「うーんッ!」
と、今までになく大きな返事をした。
ぼくらの所より田舎らしく店構えもとても古くて圧巻だ、全てが木造、トタン屋根、お菓子のケースもガラス以外は全て木で、お店の中は独特の初めて来たのに懐かしい匂いがしている。
地元でもお馴染みのお菓子はあるが、このお店はおもちゃが豊富で見たことのない物ばかりだ。目移りして時間がかかりそうなのでいくつか決めて、最後に癇癪玉も買い店を出る。
アスファルトを見つけるなり直ぐにその癇癪玉で遊んでみる。
"パーンッ"
静岡なら、危ないとかうるさいからといつも買えなかったし遊べなかった癇癪玉。二、三個やって止めてしまったけど、久しぶりだったので満足だ。
品定めで遅くなってしまい、帰り道は近道だとおばあちゃんの後を田んぼの畦道を選んで歩いた。陽が落ちて、段々と周りが暗くなる空を見上げると赤城山が影絵になっていた。周りの田んぼも、今朝到着する前の風景に戻っていた。昼間の緑色から青くなる途中の畦道、青い田んぼのど真ん中に居る。昔話の影絵の紙芝居の中にいる様な錯覚で、目の前を歩くおばあちゃんもカクカク動いてる様だった。
そう思いながら伯父さんの家を目指した、昼間は朝から寝てしまったけど今日一日は、色々な宝探しで歩き疲れて本当のお腹は空いてるけど気持ちのお腹は満腹だ。
夕陽も夜に切り替わる青色に押されて車道の電灯も点き始めると、伯父さんの家の前に到着。
玄関前には、車が数台増えている。
この日に合わせて、伯父の親しい友達も招いて宴の準備をしていた。
「ただいまー」
と、疲れ切った声で敷居を跨ぐ。
ぼくら家族も宴に呼ばれて、家族はもう和室の反対側の洋間に集合していた。ぼくも帰ってきて早々に席に着く。腹ペコだぁー、昼間のおやつ代わりの昼ごはんの素麺だけだったから無理もない。席の真ん前に、ちょっとカッコいいお兄さんが座っていた、伯父さんの息子さんだ。大学で家を離れてを卒業してからそのまま帰省し父親の養蚕農家をやってるらしい、伯父さんの後継ぎだ。
宴も始まり、ぼくも親戚じゅうの人に紹介されたり挨拶したり、子どもにはこう言う場所は似合わないなと思いながら、料理の殆どは大人用のお酒のつまみを選んで食べられそうなものを口へと運ぶ。お腹も満たせたところであのお兄さんがトイレへ行くと、その座っていた後ろにはぼくの目を引くものが置いてある……あれは、もしかして?!
とても複雑な構造で、子どものぼくには理解不能。見るからにとても重くて大きな存在、黒光りの光沢と手で掻き鳴らす部分に鼈甲をあしらった様なカバーが貼り付けてある。
"君にはまだ早いしー
ちょっと無理かなぁー?"と、
無言で話しかけてくるコイツは、
加山雄三やベンチャーズが使ってそうなエレキギターだ。
宴の場に無造作に立て掛けてある。
エレキを目の当たりにし、触れる距離に遭遇したのはこの時が生まれて初めてだった。
親たちはたわいも無い話で盛り上がっている、一年ぶりの帰郷で土産話に花が咲き、再会の祝い酒がすすむ。
山でおばあちゃんが採った山菜の天ぷらも美味しそうだ!
つづく
最終話 : 帰港、ヨーソロォーッ!
伯父の家で歓迎の宴の中、また宝を探してしまったぼくはそのお宝にロックオン!もう、他には何も見えない。
伯父の息子さんがトイレへ離席している隙に、その席へ近寄る。
"すげえー、本物だぁー!"
実物は、こんな目の前にしたことは今まで無かったので感動と驚きだった。
そこへ、トイレから帰って来たお兄さんがまじまじギターを見ているぼくに気が付くと、
「それはーエレキギターって言うんだよ、見たことあるかい?」
「ううん、初めて見たー」
「そうかぁー……」
関心がある訴えは出来たけどそれっきりでほぼ、怖いもの見たさ触りたさで、その場は終えた。
お兄さんの居ない時、少し弦を弾いたが、テレビで観るのとは違う音。
放っておいたので調弦されていなかったのだろう、不快な音が指先に伝わった。
席へ戻ったぼくは、もうお兄さんの方へは行かないし見ない様にした。逆に、お兄さんはぼくを、気にしている様だった……。
この家の飼い猫が近寄って来たので、父親たちのつまみで皿の上に乗っていたスルメをあげたり撫でたりして遊んだ。
やがて、宴も終わり親戚や伯父さんの友達たちは帰って行く。
子どもの時間はもうおしまい、
お風呂の時間だと言われ持ってきた着替えを用意して母親に入らされる。
壁から風呂釜から、全て小さな四方径で青系の色のタイルで覆われたお風呂だ。
湯沸かしの燃料は、ぼくが昼間に歩いた山から採ってきた薪で沸かしている。
自宅のお風呂とは全然違い、薪の焼けた匂いとちっちゃなタイルの肌触りが新鮮でとても気持ちよかった、家にも欲しいくらいだ。
お風呂から上がると、テレビをさっきの宴の洋間で少し観た。この時間は週末のバラエティ、国民的な番組だった。ぼくが一つのお気に入りにしている番組だ。これがきっかけで、今夜の様な宴の時は真似して悪ふざけで披露する。今日はそんな元気は無かったし、目の前に立て掛けてあるギターが気になってお披露目芸どころではなかった。母親は、その場のいつもの元気の無さに気が付いたのかやたらと声をかけていた、それにしても、んー……また目の前に黒光りしたコイツが居る。
テレビ番組も終わり就寝時間、到着してぼくが寝てしまった広間へ行くと、蚊帳を被り布団が敷いてあった。この蚊帳も静岡ではあまり体験しないので大はしゃぎ。
あまり暴れると暑くなって寝られなくなるから、と母親に怒られた。もちろんここにはクーラーなど無い。案の定、はしゃぎ過ぎて暑くなってしまったから母親に言う。
「少し涼んできてもいい?」
「あ、うん。あまり遠くへ行かないでよ!」
「わかったー!」
沓脱台で靴を履き、玄関の敷居を飛び越え外に出た。真っ暗だ……
電灯のある方を目指して、伯父さん家まえの道路の前、田んぼしか無いけれど、蚊帳の中よりとても涼しい。
遠くには、町の明かりが薄っすら浮かんでる。
すると青白い光が上から下へ、
「おっ、流れ星ッ?!」
そう思って願い事を頭に浮かばせる。
勿論、気になっている今、近くの洋間にあるギターの事しか浮かばないから、
"ギターが欲しい、
ギターが弾きたい、
ギターギターギター……"
と目を瞑りお願いした。
ところが、目を開けても青白い光は流れて消えずにまた上に上がる。
「あれ?また違う流れ星かな?!」
そう思って、また願い事をする。
あまりに不思議に思って。こんどは目を開けて光を見つめてお願いする、すると消えるどころかフワフワ揺れている。それどころか、違う青白い光が増えてゆく、10コが30コ50コ……
おかしい。
絶対おかしい!と思って、道路を渡りその光に寄れる所まで近づいた。
よく見ると田んぼの中から、次々と蛍が舞い上がっていた。涼むのも忘れて、とても柔らかい明るさの光を見つめる、暫く我を忘れてボーッと見ていた。
これも、自然のお宝かな?
田んぼに舞い降りる蛍は、まるで海の上に自由に浮かぶ光るブイ。電灯より柔らかい灯りだけど負けてない。本当の夜の港にいる様だと思った。あまり長い事、この蛍に魅了され見ていたので母親が探しにやってくる。
薄っすらぼくの名前を呼ぶ声も、近くに来ると静かになった。
母親も、隣に来て立ち止まり暫く一緒に眺めていた……。
母親は何も言わずに肩を叩き、ぼくも何も言わずに蚊帳の布団に戻って行った。
翌日、陽が昇ると同時に起こされ帰船の準備を始める我が一行。
伯父さんちも朝早くに起きて仕事だった手を休めてお見送りの時、
「また年末か、来年だなぁー
おい、小僧。これ持ってけ、大事に育てろやぁ?」
伯父さんが手渡しくれたもの、
それはちっちゃな蚕の幼虫だった。
おばあちゃんと山歩きして帰ってきて早々に捕まえたクワガタムシやカブトムシを放して、そのまま玄関の脇に置きっぱ放しにして忘れていた、そのカゴへ餌の桑の葉と一緒に入れてくてあった。
その後直ぐに、あのお兄さんがでっかい荷物を持ってぼくのところへ近寄って、
「これ、もう使ってないからやるわ!」
そう言って茶色い縦長のバッグを手渡した。形は見覚えあるけど検討がつかない、重かったので代わりに父親が受け取り車へ入れた。
それより、蚕をちゃんと飼って育てられるか心配だったので、父親が伯父さんと離れた場所で話している隙に桑畑へ行き、虫かごの中の蚕を放してやった。母親にそう伝えると、あとで放した事を電話をしてくれると言ってくれた。
「じゃあ、またねー
ありがとう!
バイバーイ!!」
伯父さんとお兄さんにおばさん、おばあちゃん。伯父さん家と桑畑、クマが出る山、流れ星が舞い上がる田んぼ、国定忠治親分の赤城山、見つけた宝のギター……どれもこれもこの夏の思い出よ、さようなら。
伯父さんたちと、伯父さん家が見えなくなるまで、ありがとう!と思いながら手を振り続けた。
帰省の船は、赤城山を後にした……
行きと帰り、車の中の狭さが気になる。面倒なので、行きに寝ながら来た敷きっぱなしの布団のまま。
一人分の茶色い物体の荷物が増えていた。あー、帰り間際にお兄さんがくれた大きなバッグだった。
中身はわからなかったので、舵をとる海賊の父親に聞いてみると、
「あーそれか?
なんか、飲んでる時にお前が欲しがってたみたいだし、使ってないからお土産にくれたギターだろ?お前、弾けるかなぁー??」
「おーーッ!
す、すげぇーーーッ!!」
早速バッグから狭い車内にも関わらずギターを取り出した。
現状のままでも、初めて見かけた時の埃は綺麗にしてくれてあったが、指で弾くと同じ音だった。ギターの事は何も知らないぼくは、じっと見て眺めて指で一本一本弾いてみた、
船が港を出る汽笛の音にも聞こえた。
狂った音は、帰宅してから舵を取っている海賊に直してもらおうと思いながら、バッグへ戻して家に着くまで離さず抱えていた。
帰路に向かう車内の空気は、養蚕農家の伯父の宝島へ向かっていた真夜中のそれとは違う世界。父親は、お気に入りのビル・エバンス・トリオのカセットテープをかけていた、名曲でもないこのジャズの音、今も未だ耳に残っている。
酒に酔う度に、口癖のように自慢話を始めるといつもこの名前と、上京してバンドマンとして下積み時代にドリフターズの前座をした時の事を話していた。本人は、酔い潰れて寝てしまうから覚えていないだろうな、父親の青かった時代の自白として今でも黙っているけれどさ……。
こうして、
旅の船上から始まったギター弾き。
あれから四半世紀も過ぎ趣向としては今も健在だ。プロも目指した頃もあったが……色々な事情で挫折した。
学生時代に同じ様な音楽を聴いて居た友人も、ぼくの影響でギターを買い、弾き始め、友として仲間としての絆も深まってゆく。
特技など何も無いぼくだが、継続は力なりと実感して言えることがある。
それは唯一、調弦が必要な時に音叉などの道具がなくても調律ができるほどの絶対音感の耳に鍛え上げられた事ぐらいかな?
あの時の、狂った音のままでお兄さんから譲ってもらったお陰で指にはずっと伝わって染みていたからだと思う。
幼く遠い記憶の思い出は、お気に入りの音と思い出の狂った音。
そしてこの歳になっても、これから命尽きるまで、お気に入りの音を探す旅へ自ら舵をとっている……
ヨーソローーッ!
おわり
甲板のギター少年
感覚のルーツは、物心をついた時に決まっていた。