冬子抄
冬子は窓の近くに座って抹茶シガレットを食べていた。
昨日、駄菓子屋で普通のシガレットより少し高い抹茶味を買った。
冬子は抹茶が好きだから。
俺にしては珍しい気遣いだったのに、冬子は、不味い、と一言言って、ビー玉みたいな飴玉を口の中に放り込んでしまった。
「やっぱり、シガレットはココア味に限るよ」
「お前、抹茶が好きだったじゃないか」
俺はムッとして冬子を睨んだ。
けれども冬子はカラカラ笑って、だけども真剣な声色で言った。
「じゃあ、和馬はミカンが好きだとする。ミカンのジューシーさが大好きである。ところがある日ミスドでミカン味のドーナツが出た。食べるのか?和馬は」
俺は頭の中でミカン味のドーナツをイメージしてみた。
イチゴはともかく、ミカン味のドーナツなんて、不味いに決まっている。
「食べない」
「だろ?つまり抹茶シガレットはミカンドーナツと同じ理由で不味いんだ」
それは屁理屈だろう、と言いたかったが止めておいた。
また、内側で何か黒いものを溜め込んでしまうかも知れないから。
「最近、学校はどうなってる?」
「お前の事ばっかりだよ」
「嬉しいなぁ、有名人だ」
笑い事じゃ、ないんだけどな。
「でも、友達とか、お見舞いに来てくれるかと思ってたけど、結構来ないもんだね」
「そりゃ、あれだけの事をすればな、みんなドン引きだよ」
病室に冬子の笑い声が響いた。
ベッドの上で腹を抱えて、笑っている。
「和馬、結構、ストレートに言うね。ハハッ、私の友達より、ずっと好きだよ」
好きだよ、という言葉に少し反応してしまったが、冬子は気づいていなかった。
全く、中学生にもなって、男子に好きだよ、なんて気軽に言っちゃいけないのに。
「俺にあるのは、罪悪感だけで...」
「ん?なんか言った?」
「何でもない」
俺は改めて冬子の首に巻かれた包帯を見つめた。
「これ、かっこいいでしょ。漫画のキャラクターっぽいよね」
「そこ?っていうか、痕いつまで残るの?」
どこまでも能天気な冬子に些かの心配を抱いてしまう。
あんな事を起こしたばっかりなのに、全部嘘でーす、と言っているようだ。
「一年くらいかな。体質にもよるとかなんとか」
「そんなに?」
「太宰さんは一年残ってたって」
太宰?太宰治?何で会話に太宰が入ってくるんだよ。
「...なあ、もしかして、俺のせいか?」
冬子は突然真剣になった俺の表情に少しポカーンとしていたが、すぐに笑い出してしまった。
「和馬、お前、思い上がりすぎだろハッハハッ、グハッ」
「...俺、真剣に聞いてるんだけど」
「私は真剣に話してるよ...ッハハハハ」
冬子は笑える分笑い終わった後、急に寂しそうな顔になって言った。
「まぁ、それもあるけど」
ああ、やっぱり。
俺があの時、冬子の好意を軽く見てしまったから。
『そういうの、ちょっと分かんない』
『学生カップルなんて上っ面だけの軽いものなんだよ』
あれは言い訳だったんだ、本当は怖かったんだ、なんて伝えても、もう遅い。
「...病院から出たら、付き合おう?」
俺の口からそんな言葉一生出ないと思っていたが、実際、出てしまった。
「...ふられた奴と同情だけで付き合うなんて嫌に決まってるだろ。それに、大体は友達のせいだから。...気づかなかったろ?女子って裏社会並みの黒さなんだよ」
友達。
確かに気づかなかった。冬子は周りの友達と仲が良さそうに見えたが...。
「そんなの、友達じゃないだろ。そんな奴ら友達止めろよ」
「私がぼっちになるじゃないか。男子のぼっちは気楽でも女子のぼっちは惨めなんだよ」
突然頭に血が上った。
下らない。そんなことで...。
「俺がずっと居るからぼっちじゃねえよバーーーーーカ!」
ハッと気づいたときにはもう遅かった。
俺は少女漫画並みの恥ずかしい台詞を叫んでいた。
冬子は驚きの表情のまま固まっている。
やがて、冬子がゆっくりと右手を上げた。
その手の中には...ボイスレコーダー。
『俺がずっと居るからぼっちじゃねえよバーーーーーカ!』
「何でだよ!消せよ!」
「高田さん。面会終了時刻となっております」
毎日学校が終わった後面会に来る少年。
何やら、進展があったようだ。
看護師は先刻病室の中から聞こえた恥ずかしい台詞を忘れたことにして中には居る少年に声をかけた。
「あ、はい。スミマセン」
案の定少年は顔が赤い。
青春だな。と看護師は思った。
「あ、ちょっと待て、和馬」
「何?」
冬子は近くの机の上から一枚のチラシを取り、和馬に渡した。
そのチラシにはミカンドーナツ新登場と書かれている。
「もうまともだって言ってるのに自殺未遂者は外も歩かせてくれないんだよ。だからあげる」
「マジか」
明日はドーナツを持ってこよう、そう思った。
ここで作者は筆をおいて考えた。
最初考えた趣旨と全く異なる展開になっている、と。
私は純文学を描いていたはず、目指すは第二の斜陽だったはずなのに。
いっその事、この二人を心中させればよかったのか。
書き直すか、と思ったが幸せそうなので止めておく事にした。
冬子抄