彼女が僕を愛さない理由
僕の彼女には好きな人がいます。
「愛美、愛してるよ。」
「ありがとう。じゃああたし帰るね。」
もう肌寒い9月の明け方の僕と愛美の会話。薄目を開いた僕を横目に愛美は足早に家路へとつく。先に行っておくが愛美は僕の彼女である。決して喧嘩をしているとか別れ話の最中だった訳でもない。僕は愛美を愛してる。愛美は僕を愛してない。ただそれだけの事。愛美が僕の家を出て、少したった頃目覚ましがなる。僕はまだぼやけた目を擦りながら朝の支度を始める。僕は普通のサラリーマン。何が得意とか何が凄いとかそんなのはひとつもなく、ただ普通に平凡に暮らすただの男。即に言う「三平」って奴だと自分では思う。ただひとつ人と違うのは僕は彼女に愛されていないって事。彼女には好きな人がいます。その人が何処の誰だかは僕は知らない。1つ確かなのは愛美は僕ではなくその誰かを愛してるということ。朝の通勤ラッシュで賑わう電車の中で愛美にメールを送るのが僕の日課。付き合い始めた頃からずっと変わらない。それは置いといて付き合う前、愛美と出会った瞬間僕は愛美しか見えなくなった。あえて言っておくが僕はストーカーではない。声を掛けて連絡先を交換したのがすべての始まりだった。今まで何度か女の人と付き合う事はあったが、一目惚れ初めての経験だった。今思い出してもあの瞬間の感覚は残っている。何度かデートを重ねていったある夜だった。
「付き合ってくれる?好きなんだ。」
夜景の見えるレストランで自然に出た言葉。告白する気なんてなかったのにあの時は料理を注文するかのようにごく自然に口から溢れた。この後の愛美の言葉を聞いて愕然とすることもまだ知らずに。
「ありがとう。でもあたし好きな人が居るの。」
顔色も変えず淡々と話す愛美に言葉がでなかった。愛美が自分の事を人間とすら思っていないような気さえした。
「あ、そうなんだ。」
それしか言えない自分が情けなかった。あの時自分がどんな顔をしてたのかと思うだけで鳥肌が立ちそうだ。愛美と別れて家路につく頃僕はなんとも言えない喪失感に襲われていた。しかし不思議なことにそれでもまた会いたいと思う自分が居て、家に帰ってみるとそれでもいいじゃないかと既に立ち直っている自分がいた。今思えば自分を誉めてやりたい位の切り替えの早さだ。そう思ってしまった僕は後日また彼女を呼び出し自分が思ってる事を離した。それでもいいから一緒に居たいと思う、と。
「そこまで言うならあたしは構わないけどあたしはその人を忘れる気はないし、あなたを好きになれるかもわからないよ?指輪だって外す気はないし、全部理解してくれるならあたしは付き合ってもいいよ。」
戸惑った表情を見せながら愛美が答えた。僕の返事は1つしかなかった
お願いします。
11月12日僕と愛美は恋人になった。しかし付き合ってみると予想以上に大変で、親や友達には遊ばれてると言われ、僕は姿の見えないライバルに嫉妬の矛先を向けた。一時期距離を置いた時期もあったが、その時間のが辛すぎて僕には耐えられなかった。かといって別れたくはないのでと、我慢をしているうちにいつの間にかそれが自然になっていった。慣れというのは怖い。恐らくその好きな人に貰ったのであろう指輪さえ今では愛美の一部であって愛しさすら抱いてしまう。だが僕があげた指輪は付けてはくれない。愛美いわく、指輪は1つでいいそうだ。普通の恋人同士なら別れ話にまで発展するだろう。いや、もしかしたら別れてしまうかもしれない。しかし僕らにとっては、それすら自然なのである。
慌ただしい朝の通勤を終えて僕は会社に着く。一日が終わればまた愛美と一緒に過ごせると思うだけで不思議と体は軽くなる。出会って3年。まだ気持ちは一ミリも冷めないまま僕は今日を過ごす。
仕事が終わり、自宅に帰ると愛美がソファーで寝転がっていた。
「おかえりなさい。お疲れさま。ご飯出来てるよ。」
食卓の上には白いご飯に肉じゃがとお味噌汁と魚。愛美の仕事は僕よりも終わりが早いので夕飯は愛美がいつも作っておいてくれる。
「ありがとう。愛してるよ。」
毎晩夕飯を作ってくれる愛美だが一緒に食卓を囲んだ事はない。そうゆう家族じみたことは嫌なのだそうだ。僕は愛美を横目に一人で夕飯にありつく。風呂にも入り、夜1時を過ぎた。
「あたし寝るね。おやすみ。あ、明日あたし休みだから、朝食作る?」
「そうなんだ。お願いできるかな。ありがとう。」
「分かった。おやすみ。」
「おやすみ。愛してるよ。」
「ありがとう。」
愛美が寝室へと姿を消す。僕はぼーっと明日愛美がどう一日を過ごすのかを空想している最中に眠りに落ちた。
包丁のトントントントンという心地よい音で目を覚ました。
「あ。起こしちゃった?おはよう。」
「おはよう。愛美、おいで。」
僕は掠れた目を擦りながら両手を広げた。少したつと愛美の小さい体がそこにはまった。だが決して愛美は腕を回さない。
「愛してるよ。」僕が呟く。
「ありがとう。」
悲しいかな僕が愛してると言うと愛美は決まってありがとう。と言う。それが愛美にとっての精一杯なのか、ただ受け流してるのかは愛美にしか分からないがいつまでたってもそのありがとうには慣れない。
「用意、しちゃえば?」
愛美はそう言うと僕の腕を振りほどきキッチンへと戻った。愛美が作ってくれた朝食を食べながら僕はある事を企んでいた。
優が仕事に出掛けた後、あたしはソファーで寝転がっていた。手を高くあげて指輪を見る。「結婚、しようね。約束ね。」和也のその言葉が忘れられない。優に悪いとは思う。優の事は嫌いな訳じゃないし、和也の事がなかったとしたら今ごろ結婚していてもいいくらい好きになっていたと思う。あたしはあたしで辛いけど、優のが何倍も辛いんだと思うと苦しくなる。あの日、和也に出会わなければあたしはきっとここに居ることすら出来なかった。
8年前のあの日、あたしは何故かぼーっと道を歩いていた。するといきなり知らない男の人にタックルされる。方針状態で空を見上げているとドスの効いた声で気を付けろ!と怒鳴り声がした。その時ようやく理解できた。この男の人はあたしが轢かれそうになってたのを助けてくれたのだと。そんなマンガさながらな出会い方をしたあたしと和也。その間もなくあたしたちは付き合っていた。あの時、こうなりたくて愛美にタックルしたんだよ。と笑う和也が目に浮かぶ。胸が熱くなる気がした。しかしすぐ別れ、一也は他の女の所へ。それでも忘れられずあたしはずっと待ってた。すると一也はいきなり現れてまた戻ろういう。何度も何度もそれの繰り返し。きりがない事くらい分かってるのにそれでも一緒に居たいと思う自分が居た。そんな時、和也がくれた指輪。結婚しようね、の言葉と共に。その一ヶ月後いきなりだった。
「結婚、することになった。」
一也からの突然の告白。頭が真っ白になった。何を言ってるの?そんな真剣な顔して。笑ってよ。ねえ。あたしは言えずにただ涙を流しながら一也に抱きついた。それを振りほどき一也は去った。あれから一也がどうしてるのかも分からないのにまだ忘れられないあたしはただの馬鹿。全部忘れて優と一緒に居れたらそれで幸せなのに。考えてたらまた涙が出てきた。
決して優嫌いな訳じゃない。でもそれでも愛してると言わないのは一也を思い出しそうで怖いから。抱き締めないのは振りほどかれるのが怖いから。けど優はなにも知らない。聞いたら喜ぶのかも悲しむのかも分からない。ただ言ったら何かが崩れそうで怖い。
やっと一日を終えて僕は家路に着こうと思い立った。しかし僕は朝企んでいた事を思い出して、少し寄り道して帰ることにした。
「こちらで宜しいですか?」
家について相変わらずソファーで寝転がっている愛美にただいまと愛してるを言う。いつもなら夕飯を食べるのだが今日は違う。愛美の目を見て言った。
「結婚してくれないか?」
部屋がシーンと静まり返った。喜びとも哀しみともとれないような表情で僕を見つめていた。すると、愛美は出ていった。僕は呆気に取られた。今さっきプロポーズしたはずの女性が目の前に居ない。玄関の閉まる音。悔しいのか悲しいのか分からないが自然と涙が溢れた。僕は何をやってるんだ。図に乗っていた。そう、最近は全てが普通になり日常になった。しかし愛美の中の奴は消えてはいなかった。僕は、帰りに買ってきた婚約指輪のついたネックレスを静かな部屋で握りしめた。もう、終わりだ。耐え難い絶望感。自分のアホさに呆れる。追うことすら出来ない自分がこんなことをする資格なんてさらさらない事は、よく考えれば分かっただろうに。
あたしはパニックだった。ただ溢れる涙を止める術がないかと混乱した頭で考えていた。拭いても拭いても拭いても拭いても拭いても止まらない。とりあえず公園に駆け込んで落ち着く事にした。寒空の下冷たいベンチに腰かけた。そう言えばここ優と来たっけ。あの時優はブランコに乗りなが子供みたいにはしゃいでた。それが今日、いきなりこうなった。いつか言われることは薄々気付いていた。そうなったらどうしようと考えた事もあった。その時はきっと一也を思い出すんだろうと思っていたのにいざ、そうなってみると今の今まで一也を忘れていた。あいつと出会ってから忘れた事なんてなかったのに。あたしは一也を忘れられたの?優を愛してる?自問自答を繰り返した。自分の気持ちを考えれば考えるほど全部が分からなくなる。あたしはどうしたいの?誰と居たいの?何が望みなの?自分の事なのにまるで分からない。ょどうした分からないの?とりあえず、戻ろう。戻って話をしよう。あたしは家へ向かった。玄関を開けると廊下に立ちすくみ目を真っ赤にした優が居た。優はあたしの姿を見て魂が抜けたかのように倒れこんだ。あたしはビックリして慌てて優を抱き上げた。なんかすごく暖かい。心の中の和也の色が少しだけ優に染まった。
愛美が帰ってきて力が抜けてしまった。目を真っ赤にしてネックレスを握りしめてこんなカッコ悪い僕はもう要らないかな?え?あれ?僕は愛美がに抱き締められてた。出会ってから初めて僕は愛美に包まれた。また涙が溢れた。
「ごめんね、ごめん、ごめんね、、、ごめ、、」
最後の方が言葉にならなかった。愛美を傷つけた。僕の勝手な思い込みで。ごめんね、愛美。愛してるんだよ。ごめんね。声にならない。
「少し、話そう?立てる?」
愛しい愛美の声。僕は必死で力を込めて歩いた。
「ごめんね、出てったりして。少しあたしの話を聞いてほしい。」
僕は頷いた。
「出会ってから今まで、ごめんね。何も話さなくて。でもあたし気付いたんだ。さっき優に触れて、結婚してって言われて、スゴい自分勝手だったよね。優はあたしを、こんなあたしを愛してくれてるのに、あたしは忘れられない人が居るってばっかりでちゃんと受け止めようともしなかった。ほんとにごめんね。もっと早くに努力してたらよかった。あたし優が好きだよ。一也よりも全然。いつも一緒に居てくれたのにね。なんで気付けなかったんだろ。ごめんね。ありがとう。こんなあたしを好きになってくれて。けどね、結婚の話はもっとあたしが努力してからじゃ遅いかな?もっとちゃんと恋人らしいことしてからじゃ遅いかな?」
僕はビックリした。愛美が自分にこんな事言ってくれるなんて夢にも思ってなかった。初めて好きと言われた。初めて愛美の気持ちを聞いた。
「僕こそごめんね。愛美を傷つけた。もっと早く愛美の気持ちを聞いてあげてればよかった。ごめんね。全然遅くなんてないよ。何年でも待つよ。」
初めて心が通じた気がした。初めて愛美という人間を見る気がした。嬉しくて幸せで僕は愛美を抱き締めた。愛美の指からはあの指輪は消えていた。
数ヵ月後僕の家には前と変わらない風景があった。
「おはよう。朝ごはん出来てるよ。」
「おはよう。ありがとう。愛してるよ。」
「ありがとう。」
ただ違うのは愛美のありがとうが、愛してるに聞こえる事。
彼女が僕を愛さない理由