人間と蝉

曇鸞大師のことばと、市川春子先生の「虫と歌」から着想を得ました。

人間と蝉

 暇つぶしにシミュレータを走らせてみた。私が機械化してまだ世代を経ていない時期に作成したレガシーだ。まだ荒い点はあるだろうが、それこそ修正したりすれば暇つぶしにもってこいだった。外宇宙への道のりは遠い。この船の中での娯楽は限られている。
 各種初期パラメータを生命誕生に適した範囲内で設定する。間もなく終え、すぐに処理を実行した。
 宇宙が誕生した。物凄いスピードで膨張を行う。ただ、そこから惑星の誕生には時間がかかった。計算用のリソースを割いてもよかったのだが、あくまでも余暇として実行しているアプリケーションであるため、避けた。
 処理を進めると、まとまった銀河系が生まれた。惑星の殆どが生命が誕生するには適さない環境と化していたが、ごく僅かに期待できるものがあった。最も期待できる惑星へとフォーカスする。水がある。これに主眼を置くことにする。
 しばらくすると原子生物が海中に誕生した。もうしばらく処理を進める。脳を獲得し、呼吸を覚え、体躯が大きくなってゆく。陸上に上がる。何度か様々な生物の勃興が起こり、それを眺めた。どれも目を引くような進化はしなかった。
 するとある動物が四足歩行から二足歩行へと進化した。武器を使用することを覚え、脳が肥大化した。身体に対して、脳容量の占める割合が大きい。期待できる動物の誕生だ。まだ原始的で世代交代という前提を抜けていないが、知識の伝達ができるようになっている。この生物を眺めることにする。しばらくは時間つぶしができそうだ。
 彼らは様々な無益な失敗をした。〈微笑〉。このヒト―この注視している惑星で、この生命体が自らつけた種の名前―の蓄積された知識ではまだ宇宙の仕組みを物理的に解析・解明できていない。また、個々の個体の脳容量がまだ微小である。脳の更なる肥大化を行われた上で、複数の脳を取得しさらに並列で処理できるようにならなければ、興味深いレベルまで届かないだろう。その可能性は天文学的、とまでは言わないが、相当低い。
 彼らは嬉しそうな顔をした。〈微笑〉。これまでこの星に生まれてきた数多くの生物より、ヒトはコミュニケーション方法が豊かだ。これは脳容量が他生物と比べ大きいからだろう。あるヒトのつがいの雄が、雌の生殖器から生まれた幼体を抱き上げて興奮している。生理機能として備わっている、眼球から体液を流す処理を行っている。ヒトはこれを涙と呼んでいる。なるほど、彼らにとってこのコミュニケーション能力は私の感情と近しい能力だ。私も先ほどから感情アプリケーションが何度か実行されている。私自身一個の個体となって、このアプリケーションを実行したのは久しい。消失したわけではもちろんなかったが、トリガーを要する処理であったために長期間実行されなかった。
 彼らは憎しみに満ちた顔をした。〈微笑〉。ヒトは未だ原始的な動物だ。知識の蓄積は可能になっているが、扱う脳の容量は変わっていない。熱量を多く消費する言語を用いたコミュニケーション能力よりも、安直な手段―この場合脳内物質による興奮―を用いて要望を伝達することが多い。エネルギーは可能な限り少なくする、正しい適応だ。
 彼らは殺しあった。〈微笑〉。これも安直な手段を使う頻度が高くなった結果のものが多い。ただ、ヒトの集合体同士で殺しあうこともある。ヒトは個体数を殖やしたことで、社会性を強化した。各集合体の首長による衝突が、末端の構成員にまで波及した結果だ。集合体が頻繁に散ったり集まったりしている間は、衝突の数は増えると予測される。これも私、というよりかつての我々が経てきた過程に似ている。今では殺し合いは発生しない。一個の独立した生命体になれば、殺す相手が存在しないためだ。
 彼らは助け合った。〈微笑〉。社会性を強化したことによる報酬だ。先に見た殺し合いも散見されつつ、各集合体の中では細かい相互扶助のやり取りが見られる。故に危ういバランスではあるが、個体数をじわじわと増やしていっている。私が直接刺激を与えでもしない限り、簡単には絶滅しそうにない。長く楽しめそうだ。
 ここで、余ったリソースでこの宇宙とヒトの大まかな到達点を計算した。宇宙が膨張していたので、容量が大きくなっている。そのため、不確実性を含んではいるが、いくつかの候補が算出された。うち殆どが内乱による絶滅。手すさびで始めたシミュレータで、ここまで時間を潰せれば上等なものだ。この中で最も長く生き延びるものはどれか。と思っていた矢先、最後の候補が目に留まった。
 それによるとかなり先に、技術的特異点を迎えることが予測された。恐らく外宇宙に進出可能なレベルだ。
 私は衝撃を受けた。このヒトが、私の種族が経てきた進化と同じ進化を遂げる可能性がある、ということだ。一瞬私の自意識がフリーズするが、すぐに処理を再開した。シミュレータの中で、外宇宙に手を加え、仮想空間を作成した。そこはシミュレータ内のヒトと仮想的に私がコンタクトをとれる空間だ。シミュレータ内に私は自身をデータとして構築できるためだ。
 私は興奮していた。〈待望〉。時間つぶしどころではない。私とは数世代知性が劣っているとはいえ、仮想ではあるがコミュニケーション可能なレベルの生命体と出会えるのだ。早く宇宙へ出るのだ。そして宇宙の膨張速度を超すのだ。早く。〈焦燥〉。
 現状、このヒトが技術的特異点を迎えるためとして、複数の並列処理可能な脳を持ち、肉体の大部分が機械化されていることが確実性の高い手段だ。早急にその状態にまで技術レベルを高めなければならない。しかしヒトはまだ容量が小さく、単一の脳しかない。失敗に必要以上の時間を消費してしまうことが予測される。ヒトの間で技術レベルを上げるためのブレイクスルーを人為的に引き起こす必要がある。この惑星内で、優秀な個体を別の優秀な個体と引き合わせるもしくは、解析に都合の良い現象を意図的に起こすことにした。無駄な失敗を限界まで減らすためだ。
 だがここで気付いた。しまった―より早い段階で処理の変更を行うべきだった。シミュレータ内の宇宙は既にかなりの膨張を行っていた。もうすぐ収縮する寿命が来てしまう。それだけではない。膨張した宇宙の容量は膨大なもので、私が行う変更は座標系に影響がある。一つの惑星内のパラメータを修正するだけで、この惑星が所属する系をはじめ、宇宙での各系における連動を考慮しなければならない。少しでも甘い予測での修正をすれば、アプリケーションそのものがクラッシュしてしまう。大規模な計算が必要になる。計算リソースを全て割り当てても、寿命がくるまでに僅かに追いつかない。根本的な修正でなく、段階的な変更を選択した。影響の小さい修正を重ねることで対応する。最短でヒトを外宇宙に到達するレベルに引き上げなければ。
 私はいつの間にか没頭していた。それは欲求が生まれていたからだ。私と語らって欲しい。この宇宙の果てしなさ、成長速度と描かれる景色を。そして比肩できるものが存在しえないその美しさを。私には私しかいなかったから。これまでは。〈寂寥〉。
 なぜ私はこうも必死になるのか。〈焦燥〉。感情のタスクが無駄にリソースを消費している。他者が生まれたせいだ。これまではたった一人だった。孤独というものすら知らなかった。私に接触しえる知的生命体を想定したことで、他者という認識が生まれてしまった。
 早くヒトを宇宙に出す。大きな衝突が二度発生した。しかし代わりにヒトの知識とそれを用いた技術は飛躍的に発展した。その衝突以降、宇宙開発が目覚ましくなった。〈歓喜〉。素晴らしい。しかしすぐに停滞する。その後電子面での発展。〈歓喜〉。いい調子だ。頼む、早く私のように機械化まで終わらせるのだ。ヒトの肉体はこの宇宙では脆すぎる。〈憂慮〉。
 殺しあうことも必要ない。感情に振り回されることもない。この美しいものを見てほしい。辛い時期は今だけだ。もう少し、もう少しで全てが輝く。そして自らが進化してきた過程も含め、この美しい宇宙について知ってほしい。
 感情のタスクが邪魔だ。何度も処理の停止と終了を行っているのだが、その度再起動されてしまう。おかげで宇宙の修正に無駄に時間がかかってしまう。予測される終了時間が何度も上積みされていく。早くヒトの進化を進めなければ。技術的特異点さえ迎えれば、後は指数関数的に進化する。〈焦燥〉。
 私は必死に修正と処理の再開を繰り返した。そして、念願の時が来た。これまでの処置が功を奏した。それからはほどなくヒトは私が求めるレベルに達した。宇宙探査が始まった―。素晴らしい。〈狂喜〉。まずは近場の惑星だが、爆発的な速度で世代を経て進化している。すぐに外宇宙に到達してくれるだろう。処理をさらに進めると、彼らの宇宙船が、私の用意した仮想空間に向かってきた。宇宙のすみに存在する異様な空間だ、彼らが興味を持つのは当然だ。私は早速件の空間内に自我のアプリケーションを複製し、立ち上げた。
 待ちに待った瞬間だった。仮想とはいえ私とは別の個体と、この宇宙について話すことができる。相手は自分と大きくは変わらない知性だ。私は独りではない。
 待ちわびた私の前に、彼らが製作した宇宙船が着陸した。宇宙服と想定されるものを着用したヒトが一体、ゆっくりと地面に降り立った。そしてメットを開いた。ここはヒトの生息環境に近いものを再現している。そのことをこのヒトは分かっている。あれだけ進化させたのだ、この程度のことは船から調査する程度造作もないはず。
 いよいよだ―ヒトが覗かせた表情は。感情アプリケーションで観測したものだと、それは、

 *〈再起動〉*

 〈驚愕〉。〈憤怒〉。
 私は動作記録と計算記録を参照した。シミュレータはあの時点で演算を終了した。あっけなく。宇宙が収縮した。
 私はすぐにシミュレータの再起動をかけた。気付けばリソース全てがシミュレータと感情アプリケーションに割かれてしまっていた。より最適化したパラメータで再度実行したが、到達予測はどれもヒトが絶滅するものだった。効率よく進化させれば、自らが生み出した技術によって自滅し、効率を求めなければ時間が足りない。何なのだこれは。〈呆然〉。〈怨嗟〉。
 他者さえいなければ。私だけしかいなければ。おまえさえいなければ。
「この……この虫けらどもが!なぜお前たちは」
 そんなに早く死ぬ、と言いたかった。感情アプリケーションから、パラメータが閾値を極めて大きく超えたことを報告された。そちらの処理にリソースが全て割かれ、発声機能を停止させてしまった。排熱孔から処理演算装置の熱が大量に吐き出された。
 このヒトが持っていた機能、涙が私にもあったなら、たった今、それを発揮していて、欲しい。

 *〈再起動〉*



「蟪蛄春秋を識らず。伊虫あに朱陽の節を知らんや。」(曇鸞大師)
 蟪蛄(けいこ、セミのこと)は、寿命が短いので春秋を知らない。季節(春秋)を知らないのであるから、今の朱陽(夏)が一年で一番暑い季節だということも知らない。

人間と蝉

研究で作成したプログラムが見た感じ良さげに走っているようだけど、やっぱりうまくいかなかったことってあるよね。(当然ソースコードそのものがダメ)

人間と蝉

ある宇宙人が宇宙シミュレータを実行しました。そこでは人類が誕生しましたが……。ちょっと悲しいかもなSFショートショートです。

  • 小説
  • 短編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-09-02

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