優しさに触れた夢

斎桝 紙樹 作

瞳を開いた時、これは夢だと解った。

***

夏の縁側で太陽の光に晒されることに限界を覚えた英人は、ごろりと室内に転がった所で違和感を感じて瞳を開き、これは夢だと理解したのである。
そしておもむろに手の甲を音が鳴るであろうほど強く叩こうとして、その視線を向けた自分の手が、記憶にある昨日の自分のそれと違うと分かるほどに小さいことで確信を得た。
ここはどこかと自分に問う必要すらもなく、数年前に他界した祖母の家だと分かるほどに、懐かしさに駆られる。
もう今は放置されていて、何年も行っていない、夏の度に来ていた祖母の家。
外から照りつけてくる太陽光が、縁側を通って部屋を明るくする、その向こう、光の届かない奥の壁に掛けられたカレンダーは、紛れもなくいつしかの8月のものが掛かっているのに、どうしても西暦が掠れているように見えなくなっていて、近くまで寄ろうとする。
その背後、太陽が燦々と輝くのが見える庭から、声が飛んできた。

「英人くん?」
上げかけていた腰はそのままに後ろを振り返れば、そこにはいつか遊びに来た時にいた、自身が『鈴子さん』と呼ぶ、まだ子供の様な雰囲気の残る女子高校生が、制服のままで立ち、こちらに微笑んでいた。
「鈴子さん、こ、んにちは…」
何故だか悪い事をしている様な気分になり、徐々に小さくなる声に、鈴子はにっこりと笑って、はい、と返事をする。
「はい、こんにちは。英人くん」
そのまま鈴子が縁側に腰を下ろすので、自分も外を向くことにした英人は、いつしか蝉の声が大きく聞こえて来ていることに気付いた。
それで、と鈴子は続ける。
「それで、英人くんはどうしたんですか?お父さんとお母さんは?」
夢だと知っている英人は、わからないとしか答えようがなく、言葉を紡ごうとして、それでも声が出ず、首を緩やかに横へと振った。
言葉が出ない事が不思議でたまらず、何故こんなにも罪悪感に駆られるのかを思い出そうとして。
直ぐにその理由に思い至った瞬間。
微笑みを崩さない鈴子が言葉を投げかけてきた。

「じゃあどうして英人くんはこんな所に来たんですか?こんな、何も無い所に」
祖母が亡くなるよりも前に死んだ、姉のように慕っていた親戚の、鈴子が。

***

だからといって恐ろしいことは何も無く、ただただ鈴子は昔見せてくれていたような笑顔のままで英人に笑いかける。
「英人くんがここにいるということは、ずばり、何かお悩み事があるということですね?」
何故か答えを当てようとしてくる鈴子に、英人は戸惑いを隠せないまま、狼狽える。
「あれ?もしかして間違ってたりします?」
自分の零した言葉に傷ついたのか、眉を下げて悲しそうにする鈴子に、英人は急いで首を振った。
それはもう、しばらく首を動かしたくないと一瞬でも考えてしまうほどには。

「お悩み事、何ですか?私で良ければお聞きしますよ!」
言っても良いものかと逡巡し、誰にも相談できないことを思い出す。
厳密に言えば、相談できないというか相談するほどでもない、という感じなのだが。
そうして迷った末に、聞きたくなければ聞かなくていいと前置きをして話し出した。
「その、最近年号が変わったんだ」
「年号と言うと、昭和とか、平成とかのあれですか?」
首を傾げる鈴子に英人はひとつ頷きを返すと、そう、と続ける。
「この間まで平成だったんだけど、令和に変わったんだ」
そう言いながら、令和、と指で宙に書く。
万葉集から来ているらしいことと、年号が変わる時のことを簡単に告げれば、へぇ〜!と嬉しそうに驚いていた。
「聞きたくないなんて、そんなことないですよ?とっても楽しいです!でも、どうしてそれで悩んでるんですか?」
「それは…」
言い淀む英人の手をそっと両手で優しく包んだ鈴子は、大丈夫です、と微笑みを投げかけた。
「大丈夫です。この鈴子おねーさんが、どんなお悩みでも解決してみせましょう!…なんて、できるか分からないですけど。聞いてはあげられますから」
その言葉に、ようやく心が決まったらしい英人が、口を開いた。

「何かが変わると思ってた」
「うん?」
「何か…よく分からないけど、それでも何かがきっと変わるんだと思ってたんだ」
でも変わらなかった、と英人は首を振った。
握りしめた両手は見覚えのある大きさにまで変化している。
その事に気付かないまま、英人は言葉を吐き出すように口から零した。
「変わったのは年号だけで、俺は何も変わらなかった…当たり前といえばそうなんだけど。変わったのはプリントとか掲示物の年号くらいかな」
「そうなんですか…」
「何も変わってない。未だに進路を決められていないことも、親に何も言えてないことも」
力が入りすぎて手が少し白くなっていることに、二人とも気付かない。
俺、と英人は絞り出すように言う。
「俺、鈴子さんより、大人になっちゃったよ…」
泣きそうに歪めた顔が鈴子の方を向く。
英人の頭を抱きしめた鈴子は、よしよし、と撫で始めた。
「大丈夫ですよ。大丈夫」
撫でている鈴子の手の感覚など、夢だから伝わるはずがないのに、何故だかその時は温かいと感じた。

「令和は5月からだったんですよね」
ひとしきり動揺した後に落ち着いて、頭を離してもらった英人は鈴子にひとつ、頷きを返した。
「そしたら、平成は一応まだ続いてるんじゃないですか?令和には変わってますけど」
その言葉になんとも言えない英人は首を傾げてみせる。
私の考えですけど、と続ける鈴子の瞳はとても優しかった。
「私の考えですけど、平成でもあり、令和でもあるわけです。今すぐは変化がなくても、後からみたらきっと変化が起きていますよ」
それに、と嬉しそうに言いながら近付いてきた鈴子の顔に、この人はこういう風にいつも元気だった、と英人は懐かしさを覚えていた。
「平成で令和です!つまり、2つ合わせて『平和』の年ですよ!」
その次に出てきた言葉には呆れざるをえなかったが。
「洒落では…?」
「洒落ですけど!でも、そう考えた方が気が楽じゃありませんか?平和だから、きっと大きな変化が、危ないことがないんです。いい事だと思いません?」
そう言って笑う彼女の顔に曇りはない。
「そっか」
「そうですよ」

そろそろ夢から覚めそうな、そんな感覚に陥る。
たとえ夢でも、会えると思っていなかった。
言いたいこと、聞きたいことがあったはずなのに、突然言えなくなってしまう。
そんな英人に、鈴子は最後だと言わんばかりに言葉を紡ぐ。
「もう一度会えて、良かった。最後にちゃんとお姉ちゃん出来ました」
何かを言ったような気もするが、その時にはもう目が覚めていたような気もした。
もう一度寝てもきっと彼女には会えないだろうが、あの笑顔を見れて良かったと思った。

優しさに触れた夢

ギャグを書きたくて、断念しました。最早書きたいとこだけ書いたので、自分でもよく分かりませんが、読んでいただけて幸いです。

web企画「平成31年の夏休み」参加作品

優しさに触れた夢

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-09-01

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