鈴木

稲垣 彁(イナガキ・セイ)

鈴木

 鈴木は毎朝八時過ぎに家を出る。駅まで半マイルほどの道程を、約十分かけて歩く。家と駅のちょうど中間地点で大きな川に古い橋が架かっている。
 その橋を渡りながら、鈴木は「最近、錆がひどくなったな」と思った。何気なく欄干に手をやると、冷たさの中にざらついた錆の感触がする。足元を見ると、アスファルトの舗装のひび割れも目立つ。やはり日を追うごとに劣化している。
「この分だと、そう長くはもたないかも知れない」
 そんな心配をしつつ、いつものように駅に行き、八時一五分の電車に乗って職場に向かうのだった。

 今日は二一〇〇年一二月二九日水曜日。今年最後の出勤日で、さらに二一世紀最後の出勤日でもあった。しかし、だからといって何か普段と違うことがあるわけでもない。いつもと同じように仕事をし、今年最後の作業報告を書いて提出する。午後五時半になると、誰とも言葉を交わすことなく仕事場を後にする。
 来た時と逆方向の電車に乗り、駅から家まで半マイルほどの道程を、約十分かけて歩く。駅と家のちょうど中間地点にある橋を渡る。街路灯に照らされた錆び付いた欄干に、何気なく朝のように手をやると、朝よりも冷たいような気がした。

 翌日からは一月三日まで休暇になるが、鈴木はとくにやることもなく、一人の家で文字通りただ休むだけだった。食べ物や飲み物も、買いたいものは何でも端末から注文すれば自動搬送機が運んできてくれるし、趣味もなく友達もいないので、行くところもない。結局、今回も家からは一歩も出ることはなく、一月四日の朝になった。

 鈴木は響も朝八時過ぎに家を出た。駅まで半マイルほどの道程を、約十分かけて歩く。だが、家と駅のちょうど中間地点にある橋の手前で足を止めた。

 橋が崩れ落ちている。

 そう長くもたないだろうとは思ったが、まさかこんなに早く崩れるとは思わなかった。
 困ったことになった。これでは仕事に行けないではないか。とりあえず、端末から「今日は交通障害のため休みます」というメールを送る。だが、復旧の見込みはあるのだろうか。この橋が通れなければ、鈴木は職場に行けないのである。この道は県道なのでとりあえず県の土木担当に連絡を取ろうとして、手を止める。よく考えたら、連絡をしたところで対応してくれる人は誰もいないのだ。
 今をさかのぼること約八年半。二〇九二年の夏に、鈴木以外の人間は突如全滅してしまったのであった。それでも鈴木はただ一人、これまでの日常をそのまま続けていたのだ。そんな日常もついに終了の危機を迎えてしまった。
「明日からどうしようか…」そうつぶやいて、端末から「明日以降も当分休みます」というメールを送った。送りながら、「もしかすると、これが最後の『日常』になるかもしれないな」と鈴木は思った。

鈴木

鈴木

鈴木という一人の人物のささやかな日常。

  • 小説
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  • SF
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