嘘
それは嘘から始まっていた。
腰痛の治療から帰ってきたはずの父が、入院をすると
いう。確かに祖母の葬儀以来、父はひと月近くも腰の痛
みに悩まされてはいた。数日前から医者へも掛かり、そ
れで今帰ってきての言葉が、入院。医師の云うには、腸
閉塞を起こしているのだ、と。
生まれて初めて入院を体験する父は、やはり動揺して
いた。着替え程度の僅かな荷物を揃えるだけで、それが
いちいち大騒ぎになる。母は昔から自分自身が病気慣れ
しているせいか、そんな様子にいい加減うんざりしてい
るようにも見えた。父と母との夫婦仲は、まず、良い方
ではない。面倒なことは全て嫌うような母だったが、そ
れでも、その日から付き添いとして病室に泊まり込むと
言った。
腸閉塞。昭和の今上も、同じ診断で手術を受けて恢復
されている。僕は父にそのことを言い、「閉塞なんだっ
たら、切ればすぐなんじゃない」と簡単に付け加えた。
その時は僕自身、そんな風にも思っていた。
最初の嘘は母がついていた。ただ、それを嘘と言えば
母は怒るかもしれない。後になって母は、こう言った。
「先生には、そう云われたけれど、お母さんには何だか
信じられなかったんだもん・・」。癌、のひとことを、
母は僕にも言わなかった。
入院した近所の病院では手術が難しいとのことで、父
は別の総合病院へと移されることになった。搬送の救急
車のスプリングは意外に硬く、道路の継ぎ目や段差のた
びに父は苦痛を訴える。母はその間、父の差し出した手
を黙って握り続けていた。
今でも思う。あの時に父が浮かべた涙、あれは何だっ
たのだろうか、と。僕はまだその時にも、父の病名はた
だの腸閉塞なのだと信じ込んでいた。
病院を移り、すぐに閉塞の手術もした。直後の説明で
は身体状況が悪いものの、特別に問題はないようなこと
も云っていた。だが繰り返し輸血を受ける父の状態は、
徐々に悪化しているようにも見える。やがて二週目も過
ぎた辺りだったと思う。病院から帰ってきた母が、明日
は担当の医師から詳しい説明がある、と言った。
翌朝、母は先に家を出た。僕も指定された時刻に合わ
せ、病院へ向かう。駅からの道を歩きながら、僕は、こ
れから医師の告げるはずの言葉を、半ば予感していた。
多分、父は死ぬ。何の根拠もなかったが、僕にはそう思
えて仕方なかった。
その日、初めて気がついた。通い慣れてしまったアス
ファルトの道に、不審なほどに眩しい光が躍っている。
なぜそんなに季節が進むまで、気づかなかったのだろう
か。いつの間にか、並木の銀杏が黄葉していた。秋から
冬へ季節は移り、散り始めた扇形の葉が、金色の光に揺
れている。銀杏の葉の眩しい輝きに、僕はただ下を向い
て歩いた。
担当の医師の告げる、その〈二週間程度〉という無味
な数字が、父の命の期限を示していた。
母はそう聞いても、それでも何だか妙に白けた顔をし
ていた。思えば考えるまでもないことだった。どんな手
術をするにしても、家族の同意書は必要になる。結局、
母は初めから知っていたのだった。気づかない僕の方が
どうかしていた。
その頃の父は肩の静脈に差し込まれた高栄養チューブ
と心電図モニターに繋がれ、ベッドからは一歩も動けな
い状態になっていた。回診時の慌ただしい医師とのやり
取りだけでは、自分の病状に納得の行かないこともあっ
たのだろう、ベッドに縛り付けられたままの父は、母と
僕とが持ち帰る説明の結果だけをじっと待っていた。
「おう、どうだったよ」。気短かに問う父に、母は相
変わらず面倒臭そうに、いかにもぞんざいな受け応えを
していた。母の話し方は要領を得ない。けれども父は、
要点を追おうとする気力自体を失ってしまったように、
そんな母の話しを黙って聞いている。ただ、僕は困って
いた。
「お父さんさ、永いこと大酒呑んでたからさ、肝臓が
弱ってて、それで回復が遅いんじゃないの」。我ながら
情けなかった。そんな意味もなく、訳の分からないこと
を言うしかない。そうして僕も、その日から嘘をつく側
に回ることになった。
父はそれでも、開腹手術中の医師の行動を「左のここ
んとこを切ったんだけどよ、なんか右の奥の方を診てん
だよなぁ」と何度も不審そうに呟いていた。それにも僕
は、嘘の判断をつけ加える。一度そうなると後は、来る
見舞い客までも巻き込まざるを得なかった。ただ、僕に
は不思議だった。誰もが〈癌〉と病名を告げると、途端
に呑み込み顔に頷く。それどころか、病室では後日を約
束する話しまでもがされていた。そんなこともやはり、
父への気遣いだったのだろうか。
父は確実に弱っていった。血小板が大量に失われ、唇
のささくれ程度の傷が治らず、いつまでも出血をする。
術後の縫合は当然塞がらなかった。看護婦が父の目を遮
りなが取り替えるガーゼには、いつも夥しい血液が染み
ていた。やがて父は見舞い客も欝陶しがるようになり、
花瓶に活けた花も、目に入ると疲れるから片付けろ、と
言い始めた。そうして一日、一日が過ぎていった。
来てくれた見舞い客を、母がエレベーターホールまで
送って行った時だった。何気なく父が言った。「お母さ
んと良く相談するんだぞ」。僕は銀行での用事をしに、
病室を出ようとしていた。「え?」。ベッドで上を向い
たまま、重ねるように父は言う。「良く相談しなよ」。
たまたま、そうなっただけなのだろう。けれども重ねて
言うその時の父の言葉が、僕にはどうしても、遺言のよ
うに聞こえた。「うん、わかってるよ」。ゆっくりと、
僕はそっぽを向きながら応えていた。
人の体が生きながら死んでゆく。父は徐々に死体へと
近づいていった。血液の運ぶ栄養と酸素は、全身に転移
した癌細胞が貪欲に消費している。もうどんな傷も治る
ことはない。鼻の粘膜からも出血し、口の中は幾ら濯い
でも歯茎を覆うように血が浸み出していた。
来るべき時は確実に来る。けれども奇妙なことに僕の
記憶にその日の日付はない。ただ、父の顔には死相と名
づけることのできる様相が、その日、浮かんでいた。
夜遅くなって母と一緒に家へ戻ってから、僕は出来る
だけ静かに、けれども確実に母にその意味が届くよう、
ゆっくりと言った。母は言う。「そうかねえ・・」。
それまでの何度かの経験で、母は僕の感覚が確かなこ
とを承知していた。その感覚がどうして身についたのか
は分からない。ただ、罰当たりにも、それまで僕は人の
寿命を指定して外したことはなかった。死の隣にいる人
は、いつも同じ匂いをさせている。僕には、つまらない
自信があった。翌日いつもより早めに家を出た僕は、病
院へ着くとすぐに、母から医師の言葉を聞いた。「呼ぶ
人は呼んでおくように、だって」。
父は眠っていた。だが、呼吸は極端に浅い。母はまだ
医師の言葉に納得がいかないように、病室を何度も出入
りしている。「電話したほうが良いかねえ・・」と相手
が誰かも言わずに、思ったままをただ口にする。そうし
て迷っている間にも、僕には父の様子が少しずつ悪化し
てゆくように思えた。それは秒針が時を区切るように、
確実に進んでゆく。父の体の中で、何事かが起こってい
た。
「お母さん、やっぱり、連絡した方が良いよ」「でも
さあ、さっきまで起きて話しをしてたんだよ」。そう言
いながら母は、のろのろと電話のあるロビーへと歩いて
ゆく。
鼻からの酸素の管を嫌う父のために、僕はマスク代わ
りの紙コップを手で持ちながら、ぼんやりと父の白髪を
見ていた。もうその時にはなぜか、父の体は僕の目に、
ただ横たわる物のように見え始めていた。
「遅いねえ・・」。電話をして戻ってきた母が、その
日に見舞いに来る予定の兄夫婦のことを、愚痴るように
言った。「車で来るなって言ってるのにねえ」。それか
ら今度は言い訳でもするように、「それじゃ、みんなが
来ないうちに、しておこうかね」と意味もなく呟き、僕
の視線を避けるように背を丸め、向かいの乾燥室へ入っ
てしまった。
さっきから母は、まるで自分の居場所がないかのよう
に振る舞っていた。僕は開けっ放しの病室のドアから、
眠っている父の顔へ、また目を戻した。その時に、ふっ
と胸が騒いだ。洗濯物なんか後にすればいい、と母を止
めるべきだった。何か自分が、取り返しのつかないこと
をしてしまったような、そんな気がしたのだった。父の
浅い呼吸は、徐々に速くなってきている。そのことを、
僕は母に言いそびれていた。
こどもの頃から思い返しても、母と父とのタイミング
はいつもそうだった。どうしてか、肝心なときの呼吸が
合わない。はっきりと厭な予感がした。僕は一人でいる
のが急に不安に思え、父に呼びかけた。「お父さん」。
眠っている父は簡単には動かない。「息が苦しいの?お
父さん」。反応はなかった。背筋が粟立つのを感じた。
「苦しい?お父さん」。父がほんの少しだけ動いた。そ
の時の父の眼を、僕は一生忘れられないだろう。
父の眼はもう焦点を結んでいなかった。虹彩からは色
が抜け、灰色がかった薄い緑に見えた。それでも父には
僕が分かったと思う。何かを言おうとして声を上げた。
「お、う、お、う、お、う」と、三度、同じように言っ
た。焦点の合わない眼が母を探していた。そして、目を
閉じた。息が速い。その時、鎮痛剤を投与しにきた看護
婦が父の異状に気づいた。コールボタンを押してナース
センターへ報せ、すぐにまた慌てて出てゆく。今しかな
い、と僕は思った。「お母さん、来て、はやく」。乾燥
室から母を連れ出すのと、看護婦が戻るのとが一緒だっ
た。走ることを戒められているはずの医師が、遠くから
白衣を翻しながら素晴らしい速さで走ってくる。母を先
にやった僕は、反射的にカーテンの蔭のモニターに目を
走らせた。
今でも、それを見なければ良かったと思う。そこには
もう、心臓のパルスも波形を描くグラフもなかった。
看護婦が父の意識を確認する声が聞こえ、母の声が聞
こえた。父はなぜか、両目を見開いていた。
母が呼ぶ。「お父さん、どうしたの」。もう一度、呼
ぶ。「お父さん」。父の眼に、もう魂はない。瞼だけが
ゆっくりと閉じてゆく。やがて駆けつけた医師が父の上
に跨ると、凄まじい勢いで心臓マッサージを始めた。小
柄で痩せた医師だったが、それでも全体重を両掌に乗せ
て押すと、父の肋骨が派手に鳴った。看護婦の一人が急
に気づいたように、母と僕を病室から追い出す。それは
多分、看護婦の家族への思い遣りだったのだろう。僕た
ちは二人して、病室の向かい側の通路の手摺りに背中を
預けた。
「だめそうだねえ」「うん、だめみたいだね」。それ
ぞれが、お互いに独り言のような会話をする。僕はその
時に、ぼんやりと考えていた。父の声。あの言葉になら
なかった最後の声は、確かに僕に向いていた。では、父
は一体、何を僕に言いたかったのだろう。
僕は思った。もしかしたらあれは、「お母さん、を、
頼むぞ」と、そう言ったのではなかったか。僕はその三
つの音を、そこへ置いてみた。母と意味のない会話を続
けながら、それを何度も繰り返してみる。そうして次第
に僕は理解していった。やがて、全てのことが胸に落ち
る。そう、たしかにそうなのだと思う。
前を向いたまま、僕は母に言った。「でもさ、良かっ
たよ、お母さん。お父さん、お母さんを見てから、目を
瞑ったよね。先生が来た時に心臓のモニターを見たら、
なんか動かなくなったからさ、きっとあの時に死んだん
だよね」。母は、ふっと息をついた。「そうだねえ、お
母さんの声を聞いて、それで安心したのかねえ・・」。
「うん」。僕は頷いた。「そうだよ、きっと」「うん、
そうだね・・」。
最後の嘘は、僕がついた。
父は早くから、末期の癌だということを知っていたの
だろう。それでも母は、父には死ぬまで覚らせなかった
と言う。
正直に言えば、僕は父が好きではなかった。もちろん
母も。だから最初は、自分の心に何が起きているのかが
分からなかった。だが父が逝き、それから一年近くも過
ぎてから、僕は初めて自分の心の底を知ることになる。
僕は、自分自身にも嘘をついていたのだった。
それはただの銀杏の葉でしかない。けれども、列車の
窓の外を流れた一瞬の金色の光に、僕は不意に軽い吐き
気を覚えた。過ぎてゆく景色を眺めながら、何だろう、
と思った。しばらくすると、また同じことが起きる。
どこにでもある銀杏だった。いつもの秋の、いつもの
黄葉でもあった。けれどもその色を見るだけで、なぜか
吐き気を覚える。目の隅に眩しい輝きが映り込むと、僕
の胃は浮き上がるように反応した。慌てて窓から目を逸
らす。俯いて、しばらく吐き気に堪え、それからようや
く、僕にも分かった。
それまで見ようとしなかった場所、僕自身が隠してい
た無意識の心の奥に、吐き気の答えは潜んでいた。僕は
父の死から一年近くも経って、初めて涙が溢れてくるの
を知った。
秋は必ず巡ってくる。銀杏の黄葉はその都度、僕の頭
上に被さった。そうして胃の腑が抱える違和感が微かな
ものになるまで、何年もかかった。
嘘