少年時代
初恋
秋です。
山には、栗や、桑の実、あけび、しいの実がいっぱい実っています。
「たけちゃん、まつやまへ行かないか。」
「だめだよ、恵子先生に怒られるよ。」
「たけちゃん、桑の実食べたくないか、今頃あけびがまん丸の口あけて待ってるよ。なっ、行こうよ。」
「うっ、うん」
「ようーし。」
そういうと、たけちゃんとター坊は、幼稚園の裏の塀をくぐりぬけて、
まつやまへ、ウキウキ、イソイソと出かけて行きました。
お昼前、幼稚園ではおおさわぎです。
恵子先生、こずかいの中野さん夫妻が、たけちゃんとター坊がいないことに気付き、
てんてこ舞いでさがしていました。
ちょうどお昼を過ぎたころ、まつやまへつづく道を、桑の実のついた小枝を肩に担いで、
手に持ったあけびを、口いっぱいにほおばっては、プウーと種を飛ばしながら、
たけちゃんとター坊が、下りてきます。
それを見つけた、恵子先生はものすごい怖い顔で、駆けてきました。
「あなたたち、どこへ行っていたの。」
ター坊が、
「まつやまだよ、ほら、みんなにもおみやげ持ってきたよ。」
「なにがおみやげですか、黙って幼稚園抜け出して、みんなに心配かけて。」
恵子先生は、泣きながら怒っていました。
たけちゃんは、
「先生ごめんなさい」
そう言って、泣き出してしまいました。
ター坊は、
「なんだよう、恵子先生の怒りんぼ、鬼ババ。」
「なによ、先生がこんなに心配しているのに。」
そういうと、恵子先生はター坊の腕を引っ張って、廊下の端にある、
おもちゃをしまう倉庫へ、ター坊を入れました。
「ここにしばらくいなさい。」
暗い倉庫の中で、ひとりぼっちになったター坊は、
こころぼそくなって、小さな声で泣きました。
でもそのうちに、まつやまで遊んだ疲れのためか、
眠ってしまいました。
そして、夢を見ました。
それは、やさしくて、きれいな恵子先生に抱っこされて、眠っている夢です。
ター坊は、へそまがりなんです。
大好きな恵子先生なのに、いつも怒られるようなことばかりしてしまいます。
ゆらゆらと揺れる振動で目がさめました。
そうっと、目を開けると、そこは恵子先生の背中です。
恵子先生は眠ってしまった、ター坊をおぶいひもで背中に背負い、
自転車に乗ってター坊の家に向かっていました。
ター坊は、心臓が破裂しそうなほどうれしかったんです。
背中にあてた、小さな耳から、恵子先生の鼓動が太鼓の音のように心地よく、
響いてきます。
恵子先生のお化粧のにおいが、甘い春風のように流れてきます。
ター坊は、小さなこえで言いました。
「先生ごめんね、先生大好きだよ。」
恵子先生の目から大きな涙がひとつ、流れ落ちました。
朴と僕
「にいちゃん、またやられたんか、しょうがねえな、
よーし俺がしかえししに行ってくる。」
そういうと、ター坊は、頭には鍋をかぶり、おなかには座布団をくくりつけ、
手には竹ぼうきを持って、おうちを飛び出して行きました。
「やーい、朴、チョウセンチョウセンぱかするな、お尻ペンペン、出てこーい。」
ター坊の家から少し離れたところに、朝鮮から来た人たちが住んでいる長屋がありました。
そのころ、朝鮮から来た人たちはちゃんとした仕事に就くことが出来ず、
鉄くずやあきびんなどを集めて、それを売って生活していました。
朝鮮の人達は、日本の人達から差別されていました。
だから、朝鮮の子供達は、日本の子供が憎らしかったようです。
「おうチビ、来たな。」
「チビじゃねぇ、ター坊だ。」
朴と、その仲間とター坊は、ヘトヘトになるまでけんかしました。
しまいには、ター坊はみんなに殴られ伸びてしまいました。
帰り道くやしくて泣きました。シャツはビリビリに破け、
顔や手足はすり傷だらけです。
少しヒリヒリしたけど、ケンカに負けたことのほうが、
何倍もくやしかったんです。
夕飯どき絆創膏だらけのター坊を見て、とうちゃんが、
「また、ケンカしたのか。」
「うん。」
「それで、勝ったのか。」
「引き分け。」
「引き分けか。」
「ケンカは、負けたけどしかえしはした。」
「どんな。」
「水飲み場におしっこかけてきた。」
とうちゃんは、急にター坊の手をつかんで、朝鮮の人達の長屋まで、
連れて行き、長屋のリーダーである、朴のとうちゃんに土下座して、あやまりました。
「すまんことしました、大切な水飲み場汚しちまって、今から掃除させてください。」
そう言って、とうちゃんは何度も何度もあたまを下げました。
帰り道
とうちゃんは、朝鮮の人たちのことを教えてくれました。
無理やり連れてこられた知らない国で、差別とういういやがらせを受けていること、
同じ人間同士仲良くしないといけないこと、
そんな話しを聞かせてくれました。
翌日、長屋の入り口で朴が、ひとり立っていました。
ター坊が通り過ぎようとすると、近寄ってきて、
「おまえのとうちゃん、いいひとだな。おれのとうちゃん言ってたよ、日本人が、
みんなあのひとみたいだったら、いいのにってよ。おれもそう思う、これからは、親友だな。」
「うん。」
ター坊は自分が褒められたよりも、何倍もうれしかったんです。
それから、ター坊と朴は、毎日いっしょでした。
「朴、はらへったな。」
「ター坊、稼ごうか。」
「ター坊、まかしときんしゃい。造船所へ行こうぜ、あそこはお宝がいっぱいだからな。」
朴は、鉄くずがお金になる方法を知っていました。
特に、アカと呼ばれる銅線が、高く売れることも。
朴とター坊は、一生懸命ひろい集めました。
そして、集めた鉄くずを、同級生の洋子ちゃんのおうちのぼっこやさんに売りました。
そうすると、200円になりました。
それを持って、佳代ちゃんのおうちの駄菓子屋に行き、やきそばを食べ、ラムネを飲みました。
「ター坊うまいな。」
「こたえられませんねぇ。」
それから、ずっと朴と僕は、親友のはずでした。
でも中学を卒業して、朴は、横浜の朝鮮学校へ行ってしまいました。
イチゴジャム
「もっちゃん、イチゴジャム食べたことあるか。」
「ううん。」
「おれよ、このあいだ島田のにいちゃんのおつかいでよ、イチゴジャムのパン買いに行ったんだ。
それでよ、お駄賃だってんでイチゴジャムのパン一切れもらったんだよ。
それがさ、うめぇのなんのって、あれが本当の、ほっぺたが落ちるってやつだぜ、おれイチゴジャムはらいっぺぇ食ってみてなぁ。」
そう言いって思い出しながらニヤニヤしていた、ター坊であったが、急に正気に戻ったように、
「そうだ、もっちゃん集合だ、みんなを集めてくれ。」
「えっ、なんでさぁ。」
「いいからいいから。」
「みなさん、よく集まってくれました。」
するとひろ坊が、
「おれ、おっかぁに見つかるとやばいよ。」
「なんで。」
「だって、ター坊は、いつも悪さばかりする子だから、あんな子と遊んだらろくなもんにならんから、
遊ぶんじゃないって、おっかぁが言ったんだ、おれじゃねぇよ。」
「そうか、おっかぁが言ったんなら正しいかもな。
まっ、どうせろくでもない世の中です。今日はひとつこらえてくれて、おれに力を貸してくれ、
よろしくたのみます。」
まるで、町内会長の作蔵じいさんのような演説です。
それからしばらく、作戦会議を開いたあと、松月堂へ出陣です。
店に入るなり、子供たちはちりじりにお菓子の箱やケース棚のケーキをのぞきこんだり、
松月堂のおやじさんは、気が気でなりません。
「おまえら買うのか、店のもんひとつでも盗みよったら、げんこつ10発くらわして、親のところへ連れて行くからな。」
するとター坊が、
「おやじさん、そりゃないですよ、小学生といえどもお客はお客、大切にしてください、将来お得意さんになるかもしれませんよ。」
「何を言うか、おまえ清蔵さんとこの悪たれ次男坊じゃねぇか、おまえがいちばんあやしいんだよ。」
そのときです。ほかの子供たちが、ワーと叫びながら店を飛び出して行きました。
松月堂のおやじさんは、そのあとを必死の形相で追いかけました。
店には、ター坊ひとりになりました。
ター坊は、ケース棚の裏の作業台の上にある、お目当てのイチゴジャムの入った
ガラス瓶を脇に抱えて、その瓶の中に手を突っ込んで、ペロペロ舐めはじめました。
「うめぇ、やっぱりこのくらい豪勢に舐めないと、本当の味はわかりませんねぇ。」
そこへ、松月堂のおやじさんがなにやらぶつぶつ言いながら、戻ってきました。そして、店の中でおいしそうにイチゴジャムをほおばるター坊を見つけて
「あちゃー、やられた。」
そういって、ター坊の首根っこを押さえて、約束どうりげんこつで10発なぐりました。
それから、ひきずるようにしてター坊のうちへ連れて行きました。
「清蔵さんどうしようもないなぁ、おたくの子悪く言いたかないが、こりゃだめだよ。
これ見てくれよ、店の品物台無しだよ。」
「すいません、さっそく弁償させてもらいますんで。」
そう言ってとうちゃんは、何度も何度も松月堂のおやじさんにあたまを下げていました。
ター坊は、松月堂のおやじさんから10発、とうちゃんから10発、合わせて20発の代償を払い、
次の日から一週間ほど、イチゴジャムを食べることができました。
でももうこりごりです、げんこつはやっぱり痛いので、お金を出して買うことにしようと思いました。
キー坊とター坊
子供たちの遊び場はいつも、ぐでぇ寺と呼んでいるお寺の境内です。
秋の彼岸のころ
「ター坊物が来たよ」
「そうか、場所たしかめようぜ。」
「ええと二列めの右から五番目確認しましたぁ。」
「ようーし!各自持ち場で待機。」
「伝令!敵はただいま物をお供えしたまま退散しました。」
「それでは、各自突撃。」
「ター坊やっぱり彼岸はおはぎですな。」
「あたぼうよ。」
「でも!仏さんにあげたおはぎ食べてバチがあたらないかなぁ。」
「ばーか!仏さんはな、貧しくて腹をすかしたこどもの味方さ、バチどころかおれたちがありがたくいただくことで大喜びしているよ。だからおれたちだって、もらうときは手をあわせてるじゃねぇか。」
「そうか!ター坊はなんでも知ってるんだな。」
けっして褒められた事ではないが、この時期子供たちは、彼岸参りの供物を盗んでいたのである。
「ようしおなかもいっぱいになったことだし、腹ごなしに空手道場でもやるか。」
「ター坊!あれはまずいよ、和尚さんに見つかったらたいへんだよ。」
「今日はだいじょうぶなのです。和尚は朝から檀家回りでいないのです。」
「さぁ行くぞ。」
ワラワラとこどもたちは、本堂の裏にかけて行きました。朴ときんちゃんが、本堂の縁の下にもぐり瓦をひきだしてきました。
「ター坊このくらいあればいいかい。」
「うん!それじゃおれが手本みせるからな。」
そういうと、ター坊は空手の真似をして、大きな気合を入れて足で瓦をふみつけました。すると瓦はみごとに粉々に割れました。それを見ていたこどもたちは。
「わぁー、すっげぇな!ター坊千葉真一みたいだな。」
そんなこどもたちの騒ぎ声が、ちょうど檀家回りから帰ってきた和尚さんの耳にとどきました。
「こりゃこりゃなにをそんなに騒いどるのか。」
そういいながらやってきた和尚さんに気がつきこどもたちは、蜘蛛の子を散らすように四方へ逃げました。
しかし、ター坊だけはまだ空手の真似をしています。
「こらぁ、おまえかいつも寺の瓦を割ってるのは。」
そういって、和尚さんは、ター坊の襟首をつかんで本堂へ引きずって行きました。
「しばらくここで正座をしとれ。」
そういうと、和尚さんはどこかへ行ってしまいました。しばらくして、とうちゃんが汗をふきふきやってきました。
「和尚さんせがれがまたなにか。」
「いいからキー坊もそこへ座りなさい、おまえら親子はこの寺になにかうらみでもあるのかねぇ。親子して寺の瓦をだめにしよって。」
「いえ!そんな、感謝こそすれお寺さんにうらみだなんて。」
そういってとうちゃんは、なんどもなんども床にあたまをこするつけていました。でも、ター坊はおかしいなと思いました。自分が寺の瓦を割ったのに、なんでとうちゃんが寺の瓦を割ったっていうのか。
「あのう!お取り込み中ですみませんが、瓦を割らしていただきましたのはおれなのになんでとうちゃんが割ったことになるんでしょうか。」
「ばか!おまえはだまっとれ。」
「ほう!不思議じゃのうせがれのおまえが割ったのにとうちゃんも割ったといわれてはなぁ。」
「和尚さんそればっかりは。」
「いいやおまえら親子は、お釈迦さんの前で一度清めねばならん。実はなおまえのとうちゃんもな、おまえぐらいのときにすずめのひなをつかまえるといってな本堂の屋根瓦をひきはがして割ってしまったんだよ。」
「へぇ!おれの悪たれはとうちゃんゆずりなんだ。遺伝とゆうのは恐ろしいもんですね、なんまいだなんまいだ。」
そういって、ター坊は、本堂のお釈迦様に手を合わせました。それを真似てキー坊んも手を合わせました。
その親子のすがたを見て、和尚さんはクスッと笑ってしまいました。
帰り道。
「とうちゃんキー坊って呼ばれてたんだ。」
「ばかやろう、そんなことよりター坊悪さばっかりしてるけど、ひとを傷つけたらいかんぞ。それと、正直に生きなきゃならんぞどんなに悪さしてもその責任はター坊がとらなきゃな。」
「うん!わかったよキー坊」
「このやろう親に向かって」
少年時代