シロヒメと初めてのハク友なんだしっ♡

「ぷりゅりゅー、ぷりゅりゅー、ぷりゅぷりゅりゅ~♪ ぷりゅりゅー、ぷりゅりゅー、ぷりゅぷりゅりゅ~♪」
 青空に、白馬の白姫(しろひめ)の元気な歌声が響く。
「ぷりゅりゅー、ぷりゅりゅー、ぷりゅぷりゅりゅ~♪ このよははくばのためにある~♪」
「ありませんから『白馬のため』には」
 あきれたようにそうつぶやいたのは、赤褐色の馬・麓華(ろっか)だ。
「ぷりゅふんっ!」
 白姫が不機嫌そうにそっぽを向く。
「あるんだし、白馬のために。シロヒメがかわいいのがその証拠だし。つまんないこと言ってんじゃねーし」
「つまらないのはあなたの歌でしょう」
「ぷりゅぅ!」
 たちまち白姫の目がつり上がる。
 白姫と麓華は――仲が悪い。そのきっかけは騎士同士の勝負で白姫を駆る〝主人〟が麓華の父・麓王(ろくおう)を駆る騎士に勝ってしまったことである。麓王自身は自分たちが負けたことに何の遺恨も持っていない大人な馬だが、その娘である麓華は父を慕う想いが強い分、白姫のことを許せないのだ。
「『つまらない歌』ってなんなんだし! 白姫の美声からつむぎ出されるすばらしい歌に対して!」
「美声? わたしには意味不明な騒音にしか聞こえませんが」
「なんてこと言ってんだし――っ!」
「まーまー、ケンカしない、ケンカしない」
 険悪な白姫たちの間に、青鹿毛の馬・桐風(きりかぜ)が明るい声で割って入る。
 しかし、白姫の怒りは収まらず、
「この子が悪いんだし! シロヒメにひどいこと言うから!」
「悪いのはそちらでしょう。何の前ぶれもなく突然歌い出したりされたら、怒りをかき立てられて当然です」
「そんなわけねーし! 癒やされるし、シロヒメの歌は! ねっ、キリカゼ!」
「その逆ですよね、桐風」
「えーと……」
 同時に詰め寄られ、桐風は困ったような汗を流しつつ、
「まー、でも、白姫ちゃんも『これから歌う』って言えばいいんじゃないかなー」
「仕方ないし。無意識に歌が出るんだし」
 白姫は「ぷりゅふん」と鼻をそらし、
「この子と一緒にいると、すっごいストレスなんだし。そのストレスを吹き飛ばすために自然と歌ってしまうんだし」
「忘年会の酔っ払いですか」
「なんてこと言うんだしーーーっ!」
「だからケンカしないの、もー」
 さすがに疲れたように桐風が言う。
「家でもいつもそうやってケンカしてるの?」
「ぷ……」
「う……」
 沈黙する白姫と麓華。
 家――
 いま白姫と麓華は同じところで暮らしている。それは、彼女たちの主人が同じ屋敷に住んでいるからだ。
 サン・ジェラール島。
 ここに『騎士の学園』こと、島の名前をそのまま取ったサン・ジェラール学園は存在する。
 白姫の主人が学園に通うことになり〝家族〟と共にこの島に引っ越してきたとき、麓華の主人も同じ屋敷に住まわせてもらうことになり、それが現在まで続いているのだ。
 白姫と麓華にとって最悪の日々だった。
「シロヒメ、今日こそヨウタローに言うんだし。この子を追い出すようにって」
「主人以外の方の命令を聞く言われはありませんが」
「なに言ってんだし、イソーローのくせに!」
「それはそちらも同じでしょう」
「ぷりゅりゅりゅりゅ……」
 またもケンカが始まりそうな気配に桐風がため息をもらす。
「なんで仲良くできないの? ご主人様同士は仲良しなのに」
「シロヒメだってシルビアのこと嫌いじゃないし。単純にこの子だけムカつくんだし」
「フン。まったく同じセリフを返してさしあげましょう」
「ぷりゅーっ!」
「あーもー」
 さすがにもう手に負えないという顔に桐風がなりかけた――そのとき、
「白姫ー。麓華ー」
「あっ」
 救い主が現れたというように桐風の表情が輝く。
「アリスちゃーん」
「あっ、桐風」
 駆け寄ってきた桐風を、無邪気に自分を慕っているのだと思ったアリス・クリーヴランドが抱きとめる。
「今日も一緒に帰ってたんですか? 仲良しですねー」
 微妙にそういうことじゃない――とは桐風は言わなかった。
 騎士の学園では、騎士の乗る馬に対しても教育が行われる。桐風たちはそれが終わって帰るところだった。普段はそれぞれの主人と帰ることが多いが、今日は急な用とのことで馬だけで家路についていた。
 そして、馬だけで帰るときは必ず桐風が白姫たちに同行させられた。
 ほぼ必ずと言っていいほどケンカする彼女たちを止められるのは、どちらにとっても友だちである桐風しかいなかったからだ。
 しかし――ここにアリスが現れた。
「アリスちゃん、迎えに来てくれたのー? 優しーねー」
「いえ、そんな……当たり前ですよ」
 桐風の賛辞をまともに受けてアリスがはにかむ。
「じゃあ、後はお願いねー」
 そう言い残すと、桐風は返事も待たずに走り去っていった。
「あっ、桐風……」
 その唐突さにすこしあぜんとなるアリス。確かに桐風の帰る方向はこちらではない。主人が学園の寮に住んでいるため、そこに隣接された厩舎が彼女の家なのだ。しかし、ここまで一緒に来たのだから、あんなに急いで別れなくても――
「ぷりゅーっ!」
 パカーーーーン!
「きゃあっ」
 いきなり白姫に蹴られたアリスは悲鳴をあげて吹き飛んだ。
「な、何をするんですか!」
「ストレス解消だし」
「そんなひどい理由で人を蹴らないでください!」
 そこに麓華が寄り添う。
「大丈夫ですか、アリス様」
「ろ、麓華」
「騎士に手をあげるとは……騎士の馬の風上にも置けません」
「手なんてあげてないし。ヒヅメあげたんだし」
「どっちにしろやめてください、あげるのは!」
「『どっちにしろ』ってなんだしーっ! 大事なことだしーーーっ!」
「きゃあっ」
「それにアリス、騎士じゃないし。従騎士だし」
「ううっ」
 白姫の言う通り、アリスは騎士見習いである従騎士だ。
「だから、ヒヅメあげてもいいんだし。いじめていいんだし」
「なんてことを言ってるんですか!」
 またも声を張り上げてしまう。
「アリス様」
 スッ。麓華が間に入る。
「何を言っても無駄です、このような駄馬に」
「ぷりゅーーーっ!」
「ちょっ……麓華」
 あまりに露骨な悪口にアリスはあわてて、
「あなたもやめてください、そういう言い方は」
「わたしはただ事実を述べただけですが」
「麓華……」
 だめだ。これではケンカにならないほうが無理というものだ。
「くらうしーーっ!」
「くらうのはそちらです!」
「ちょっ、だからこんなところでケンカは……」
 パカーーーーン!
「きゃあっ」
 止めようとするアリスだったがあっさり蹴り飛ばされ、白姫と麓華のケンカはそれから延々続いたのだった。


「白姫」
 夕食後。
 主人――花房葉太郎(はなぶさ・ようたろう)の姿に気づいた白姫は、反射的に顔をそらした。
「シロヒメ、悪くないし」
 葉太郎の苦笑する気配が伝わってくる。
「ぷりゅふんっ」
 そっぽを向き続ける白姫。
 そんな愛馬に、葉太郎は優しく語りかける。
「アリスから聞いたよ」
「ぷりゅっ! おしゃべりなアリスだし! あとでシメるし!」
「シメるとかはしなくていいから……」
 口もとを引きつらせつつ、そこはしっかり言われる。
 そして、あらためておだやかに、
「仲良くできないかな、麓華と」
「無理だし」
 白姫がすぐさま言う。それでも葉太郎は辛抱強く、
「同じ騎士の馬なんだよ?」
「同じじゃないし。シロヒメは騎士の〝白馬〟なんだし。他の馬と違うんだし。島にもシロヒメ以外は白馬いないんだし。特別なんだし」
 事実、島に白姫以外の白馬はいない。騎士の学園のある島だけあって、人と共に暮らしている馬はかなりの数にのぼる。そこで他に白馬がいないのだから、白姫にとって自分が特別と思えるのは当然だった。
「シロヒメには友だちがたくさんいるでしょ」
「いるし」
 得意満面にうなずくも、すぐはっとなり、
「だ、だからって、あの子とは友だちになれないし」
 葉太郎は残念そうに微笑したあと、
「そのたくさんいる友だちは自分と違って『特別じゃない』って思ってる?」
「そんなことないし!」
 白姫はあわてて、
「シロヒメ、友だちはみんな大事だし! みんな特別だし! だから、その、えーと……」
 言葉に詰まってしまう。
 そんな白姫を葉太郎は優しくなでた。
「白姫」
「………………」
「ゆっくり考えてみて。麓華と友だちになれないか」
 白姫は言い返すことができなかった。
 そして――
 葉太郎が去ってしばらく経ったあと、
「っ……」
 戻ってきた麓華を見て白姫は身体をこわばらせる。
 それは麓華も同じだった。
 気まずそうに互いに目をそらす。
 麓華は、白姫のところに葉太郎が来るほんのすこし前、彼女の主人であるシルビア・マーロウにどこかへ連れ出されていた。
 おそらく、葉太郎が白姫にしたのと同じような話を聞かされていたのだろう。
 無言のまま、互いに目をそらしたまま座りこむ。
「………………」
 白姫は思っていた。
 確かに――自分は〝特別〟ではないのかもしれない。
 葉太郎が言うように、白姫は友だちの馬たちより自分が特別などと思ったことは一度もなかった。みんなそれぞれ素敵だと思っていた。
 それでも――
(ヨウタローだけは……特別って思ってくれていいんだし)
 悔しさ混じりにそう思ってしまう。
 葉太郎は自分の主人なのだ。
 なら、言葉だけでも、愛馬に『特別』と言っていいはずだ。
「ぷりゅ……」
 涙がにじんでくる。それを麓華に見られまいといっそう顔をそらしつつ、白姫は自分の寝藁に身をうずめた。

「ぷりゅ!」
 白姫の目が驚きに見開かれた。
 その視線の先に、
「新入生を紹介します」
 馬の教育を担当している女性教官が白姫たちを前に言った。
「マリエッタさんです。今日からこちらでみなさんと一緒に学ぶことになります」
 恥ずかしそうに目を伏せているその馬は白姫と同じ――
 真っ白な毛並をしていた。


「あの子と友だちになるし!」
 訓練途中の休み時間――
 白姫の宣言に、麓華と桐風は驚きの表情を見せた。
「……意外です」
 つぶやいたのは麓華だ。
「傲慢なあなたのことですから『自分以外の白馬は認めない』とばかり言うものと」
「誰がゴーマンだしーっ!」
 悪口にすぐさまキレる白姫だったが、
「ぷりゅ!」
 ぴたり。その動きが止まる。
 余裕の表情と共にヒヅメを下ろし、
「まー、ちょっとくらいの悪口は許してあげるしー。これからいままで以上にシロヒメをうらやましがることになるからー」
「はあ?」
 今度は麓華が険悪な表情になり、
「あなたのことをうらやましいと思ったことなど一度もありませんが」
「ぷりゅふふーん。まー、言ってるしー」
「くっ……」
「ねーねー、白姫ちゃん」
 桐風がたずねる。
「どうしてそんなにごきげんなの?」
「ごきげんに決まってるし!」
 白姫は目を輝かせ、
「二倍になるんだし!」
「は?」
 共に首をかしげる桐風と麓華。
「二倍って……何が?」
「白馬だし!」
 ――沈黙。
「えーと……」
 しばらくして桐風が、
「白姫ちゃんにあのマリエッタちゃんが加わって二倍?」
「そうだし」
「何が……二倍?」
「だから白馬だし!」
 白姫は興奮して、
「白馬はすごいんだし! かわいいんだし! シロヒメとあの子が友だちになったら、そんな白馬の魅力が二倍になるんだし! ううん、そーじょー効果で十倍にも百倍にもなるんだし! すごいんだし!」
「はあ……」
 まだよくわからないというように桐風は首をひねる。
 それはともかく、白馬同士ライバル心を持つことはなかったとわかり、その点はほっとした表情を見せる。
「ぷりゅ!」
 白姫の耳がぴんと立つ。
「あの子だし!」
 白姫の見つめる先――
 他の馬たちから離れ、どこかおどおどした様子でいるマリエッタの姿があった。
「ぷりゅーっ!」
「あ……」
 桐風たちが止める間もなく、白姫は駆け出していた。
「……!」
 びくっ。不意に近づいてきた白姫にマリエッタが身体をふるわせる。
 白姫は構わず、
「シロヒメだし!」
「っ……」
「友だちになるし! シロヒメと!」
 あまりにストレートなその言葉に、追いかけてきた麓華と桐風はあぜんとした顔を見せる。
「もうすこし言い方というものが……」
「白姫ちゃんらしいけど」
 期待のこもった目を向け続ける白姫。
「………………」
 沈黙の後、
「あっ」
 白姫が驚きの声をもらす。
 マリエッタは不意にきびすを返し、そのまま走り去ってしまったのだ。
「なんで……」
 ぼうぜんと立ち尽くす白姫に、麓華と桐風が近づく。
「あなた、何をしたんですか」
「何もしてないし! ただ『友だちになって』って言っただけだし!」
「いきなりすぎて驚いたのかもね」
「そうなの!?」
 桐風の言葉に目を見開く。
「で、でも『友だちになって』って言わないと友だちになれないんだし」
「それはそうかもしれないけど」
「そうなんだし!」
 押し切ろうとするように声を強め、
「シロヒメ、あきらめないんだし! 絶対に白馬を二倍にするんだし! そうすればヨウタローだって特別ってわかってくれるし!」
「えっ」
「あ……な、なんでもないんだし」
 あわてて言うと、白姫はマリエッタの消えたほうへ向かって走り出した。
「友だちになるしーっ!」
「あっ、白姫ちゃん」
 大丈夫だろうか……? そんな顔で桐風は去っていく白姫を見送るのだった。


「ぷりゅー……」
「白姫ちゃん」
 しょんぼりと肩を落とす白姫に、桐風が近づく。
「元気出して。ねっ」
「無理だし……」
 力なく白姫がつぶやく。
「もう一週間だし」
「それは……」
 その通りだった。
 マリエッタがやってきてから今日で一週間になる。その間、白姫による『友だちになって』攻勢がくり広げられたが、彼女に逃げられ続けていたのだ。
「そんなにシロヒメと友だちになりたくないんだし?」
 白姫の目に涙がにじむ。
「そんなこと……」
 ないと断言できないというように桐風が言葉を濁す。彼女にもマリエッタがなぜ白姫を避けるのかわからないようだった。
「あまりにもしつこいからかえって引かれるのでは」
「そうなの!?」
 麓華の言葉に白姫はがくぜんとなる。
「しつこい馬だと思われてたなんて……ショックなんだし」
「いや、そうと決まったわけじゃ」
 桐風がすかさずフォローしようとした――そのとき、
「あっ」
「ぷりゅ?」
 何かを見て驚いた顔になる桐風に、白姫もそちらを見ようと――
「見ちゃだめ!」
「ぷ、ぷりゅ!?」
 小声でするどく言われ、ますます困惑する。
 桐風は声をひそめ、
「いるよ」
「いる?」
「マリエッタちゃん」
「ぷ!?」
 とっさにふり向こうとする白姫に、
「だから見ちゃだめって言ってるでしょーっ!」
 パカーーーーーン!
「ぷりゅぐふっ!」
 するどい後ろ蹴りが白姫を吹き飛ばした。
「キ、キリカゼ、やるときはやる子なんだし……」
「あっ、ごめん、あわててたから」
 あまりすまなさそうでない顔であやまった後、桐風はすぐに真剣な表情で、
「マリエッタちゃん、いるよ」
「ホントなんだし?」
「うん。こっちのほう見てる」
「ぷりゅ!」
 驚きの声をあげかけるも、桐風に目で止められギリギリでそれを飲みこむ。
「ぷりゅー……」
 そっと。ふり返るかふり返らないかくらいの横目でそちらを見る。
「……!」
 いた。
 離れた茂みにひそんでこちらを見ているマリエッタが。
「なんで隠れてんだし?」
「わからないよ、そんなの」
「あなたに何かされると思っているのでは」
 つられてこちらも小声で言う麓華に、
「何かされるってなんだし! シロヒメ、ひどいことなんてしてないし!」
「毎日つきまとうだけで十分にひどいことだと思いますが」
「ぷりゅーっ!」
「ちょちょ、怒ってる場合じゃないよ」
「そうだったし!」
 なんとか白姫は怒りを鎮める。
「とにかくこれはチャンスなんだし」
「チャンス?」
「そうだし。ついに向こうがシロヒメに興味を持ってくれたんだし。このチャンスをものにして絶対に友だちになるんだし」
「けど、いきなり行ったら、またいつもみたいに逃げられちゃうかも」
「ぷりゅ!? どうすればいいんだし!」
「うーん……」
「忍法でなんとかなんないんだし!? キリカゼ!」
 桐風は――忍馬(にんば)である。他の馬にはできない特殊な技を持っている。
 しばらく考えこんだあと、桐風は、
「……わかった」
「キリカゼ!」
 よろこぶ白姫に、しっ、と静かにするよう目で指示し、
「ここは『さりげないフリを装う作戦』で行こう」
「ぷりゅっ! わかったし!」
「まず、白姫ちゃんがチョウチョを見つけたふりをする」
「チョウチョ? そんなのいないんだし」
「だから『フリ』だって。それで白姫ちゃんはそのチョウチョを追っていくの」
「わかったし。追っていく『フリ』をするんだし」
「そうそう。そうやって自然にマリエッタちゃんに近づいていくの。あわてちゃだめだよ」
「わかったんだし!」
「大丈夫ですか」
 麓華が心配そうに口を開く。
「乱暴なことをしてしまうのではないですか、この駄馬のことですから」
「誰がダバだし!」
 たちまち白姫が眉をつり上げる。
「もー、だめだめよ悪口は、麓華ちゃん。まー、確かに白姫ちゃんは乱暴っていうか豪快なとこあるけど」
「乱暴なんてしないんだし!」
 ますます憤慨し、
「シロヒメ、つかまえたらちゃんとチョウチョ飼うんだし。お世話するんだし」
「いや、だからチョウチョは『フリ』だって」
「自分がお世話されている立場で何を言うのか」
 あきれる桐風と麓華だったが、
「まー、とにかくいくよ! 忍法『さりげないフリを装う作戦』!」
「ぷりゅ!」
「あの、いまさらですが、それは忍法とは関係ないのでは……」
「マリエッタもちゃんとつかまえてお世話するし!」
「だから何度も言うけど、チョウチョは『フリ』だって!」
 そんなこんながありつつも作戦は始められた。
「わー、チョウチョだしー」
 わざとらしすぎるくらいのわざとらしさで白姫は見えない蝶を追う芝居を始めた。
「チョウチョー。チョウチョー」
 それを見ていた桐風は、
「いいよ、白姫ちゃん」
「ほ、本当にいいのですか」
 麓華が疑問を口にする中、白姫の芝居は続き、
「ぷりゅー。ぷりゅー」
 蝶に気を取られているふりをしながら徐々に茂みに近づき――
 と、次の瞬間、
「つかまえたんだしーっ!」
「ぷりゅ!?」
 マリエッタが驚きの声をあげるのと白姫が飛びかかったのが同時だった。
「ちょっ……だから強引はだめだよ!」
 あわてて桐風たちが駆け寄る。
 そこでは、
「つかまえたんだしー。これでもう友だちだしー」
「って、そういうことじゃないでしょ!」
 パカーーーーーン!
「ぷりゅっ」
「あ、白姫ちゃんのボケぶりについヒヅメが」
 蹴り飛ばされた白姫が地面を転がる。
 ――と、
「大丈夫ですか!」
 誰より早く白姫に近づいたのは、なんとマリエッタだった。そして、かすかにふるえながらも桐風のことをにらんだ。
「やめてください……白姫さんをいじめるのは」
 あぜんと声をなくす桐風。そして麓華。
「大丈夫だし……」
 白姫が立ち上がる。
「シロヒメ、いじめられたんじゃないから」
「ですけど……」
 と、そこではっとなるマリエッタ。
 白姫に背を向け、あわてて逃げ出そうと――
「待つし!」
「っ……」
 マリエッタの足が止まる。
「シロヒメのこと、嫌いなんだし?」
 白姫の目に涙がにじみ、
「そんなにイヤだったら……もう友だちになってって言わないんだし」
「………………」
 マリエッタがふり返る。
 そして、静かに首を横にふった。
「じゃあ……」
 白姫の目に期待の色が広がっていく中、マリエッタは悲しそうにうつむいた。
「ごめんなさい」
「えっ」
 一転、あたふたとなり、
「や、やっぱりだめなんだし?」
「………………」
 苦しそうな沈黙の後、
「わたし、ずっとあなたから逃げるようなことを……それを申しわけなく思って」
「そんなの気にしてないんだし!」
 そう言いつつ、やはり気になるというように、
「シロヒメのこと嫌いじゃないなら……どうして逃げたりするの?」
「………………」
 重い口を押し開くようにして、
「わたし……」
 マリエッタは――言った。
「実は……馬見知りなんです!」
「ウマ見知り!?」

「知らなかったしー。馬見知りの馬がいたなんて」
「ご、ごめんなさい……」
「あやまることないし。馬は繊細なんだから。後ろに誰か立ったら、びっくりしてパカーンしちゃったりするんだし」
「あなたはそういうことと関係なくいつでもパカーンしていますが」
「なに、よけいなこと言ってるし」
 ぷりゅ。麓華をにらむ。
 一転、笑顔になり、
「だから、マリエッタみたいな馬がいてもおかしくないんだし」
「白姫さん……」
 マリエッタがうれしそうに目を細める。
 あれから――
 おずおずとではあったが、マリエッタは自分のことを語ってくれた。
 小さなときから人見知り――でなく馬見知りであったマリエッタは、生まれた屋敷からほとんど外の世界に出ることなく暮らしてきた。しかし、主人の家の本家筋がどうしてもマリエッタをそばに起きたいと言い出し、それでこの島に来ることになったのだ。
「わたし、こんなに自分以外の馬を見るのは初めてで……どうしていいかわからなくて」
 おどおどと目を合わせないまま、マリエッタが言う。
「なるほどねー」
 桐風は納得したというように、
「確かに他の子と話してるのも見たことないもんねー」
「す、すみません……」
「だからあやまることないんだし。マリエッタは悪くないんだし」
 ぷりゅ。白姫が語気を強める。
「シロヒメ、協力するし。マリエッタの馬見知りを治すんだし」
「そんな……」
 マリエッタはおろおろと、
「何の関係もない白姫さんに……」
「なに言ってんだし」
 ぷりゅ! 白姫はこころもち険しい顔で、
「シロヒメとマリエッタは友だちなんだし。しかも白馬同士の友だちだし。ハク友だし」
「なに『ハク友』って……」
 桐風があきれる一方、マリエッタは目をうるませ、
「友だち……」
「そうだし」
 白姫が胸を張る。
「というわけで馬見知りを治すために……」
 そこで言葉が途切れる。
「………………」
 沈黙の後、白姫は首をひねり、
「何をすればいいんだし?」
「ぷりゅっ!」
 すべりこむ桐風たち。
「ま、まあ、確かに、白姫ちゃんに馬見知りとか縁のない話だもんね」
「繊細さのかけらもありませんから」
「ぷりゅーっ!」
 麓華の悪口にすかさず白姫がいきり立つ。すると、
「あ、あの、あの、ケ、ケンカは……」
 いまにも泣き出しそうにふるえるマリエッタを見て、ヒヅメをふりあげた白姫もそれを迎え撃とうとしていた麓華もはっとなる。
「ケ、ケンカなんてしてないんだし」
「そ、そうです。そのようなことしませんから」
 一緒になってあたふたとマリエッタをなだめようとする。
 そんな白姫たちを見て、桐風がくすっと笑う。
「白姫ちゃんたちのケンカには、マリエッタちゃんの涙が一番いいみたいだね」
 その間にも白姫たちの〝説得〟は続き、
「泣いちゃだめなんだし、マリエッタ」
「でも……白姫さんたちが」
「わたしたちはケンカなどしません。だから、おびえることは」
「おびえているんじゃないんです。わたしのせいで友だち同士がケンカするのが悲しくて」
「「友だち!?」」
「……違うのですか?」
「ぷ、ぷりゅ……」
「それは……」
「やっぱり、わたしのせいで友情にヒビが」
「そういうことじゃないんだし!」
「そうです、そういうことではなくて……」
「そういうことではなくて?」
「ぷりゅー……」
「うぅ……」
「ごめんなさい、やっぱりわたしのせいで何か無理を」
「無理なんてしてないんだし! ねー」
「え、ええ、そうです」
「じゃあ、いままで通り仲良く?」
「いままで通り……」
「仲……良く……」
「やっぱり、もう……」
「そんなことないんだし! シロヒメたち仲良しなんだし!」
「そうです! 仲良しです!」
 そして、
「シロヒメたち、いままで通りずーっと仲良しなんだしーーーーっ!」
 ヤケのようないななきが島の空高くにこだました。


 白姫の『馬見知りを治そう』作戦は始まった。
「ヨウタローだし」
「っ……」
 突然、葉太郎のもとにつれてこられたマリエッタは、知らない人間を前にあきらかにおびえる様子を見せた。
「ぷりゅー。マリエッタは〝人〟見知りなところもあるんだし?」
「す、すみません……」
 マリエッタがうなだれる。
 桐風から「くれぐれも強引はだめ」と釘を刺された白姫は、なら最初は馬でなく人から慣れさせようとしたのだ。
「ヨウタローはいい人間なんだし。優しいんだし」
「はい……」
 白姫の言葉にうなずくも、マリエッタは踏み出すことができない。
 一方、何も知らされていない葉太郎も、
「白姫の友だち……なのかな?」
「そうだし。マリエッタだし」
「は、はじめまして」
「こちらこそ……」
 おびえ続けるマリエッタを前に、どう接していいかわからないようだ。
 そこに、
「何をしているのだ?」
 小さな人影が近づいてくる。
「あっ、マキオ」
「っ……!」
 あらたな人間の登場にマリエッタがびくっとふるえる。
 そんな彼女にマキオ――鬼堂院真緒(きどういん・まきお)は首をかしげる。
「どうしたのだ? 何をそんなにこわがっているのだ」
「この子、馬見知りするんだし。あっ、マキオには人見知りだけど」
「むぅ?」
 真緒が眉根を寄せる。そして、
「あっ」
 驚きの声をもらす白姫。
 真緒がなんのためらいもなくマリエッタに近づき、両手ではさむようにしてその鼻先にふれたのだ。
 突然のことで、マリエッタもただあぜんと瞳をゆらすことしかできない。
 そんなマリエッタの目を見つめ、真緒はにこっと微笑んだ。
「こわくないぞ」
 小さな手が優しくマリエッタの頬をなでる。
「なっ。こわくないだろう」
「………………」
 マリエッタは、
「あっ」
 再びこぼれる驚きの声。
 マリエッタのふるえが止まり、なんと真緒に応えるようにして自分から鼻先をすり寄せていったのだ。
「マキオ、すごいんだし! マリエッタの人見知りを治したんだし!」
 その言葉にマリエッタがはっとなる。
 真緒から離れると、おろおろと瞳をふるわせ、
「わ、わたし、そんな……」
「でも、もうこわくないでしょ?」
「う……」
 おずおずと真緒のほうを見る。
 にこっ。再びあたたかな笑みが向けられる。
 その笑顔に、
「………………」
 マリエッタも微笑みを返していた。


「次はいよいよ馬なんだし」
「は、はいっ」
 マリエッタの声に力がこもる。
「あんまり無理させちゃだめだよ、白姫ちゃん」
 桐風が注意する。麓華も、
「あなたはいつもやることが極端なんです。マリエッタはあなたと違って繊細だということを忘れないでください」
「『と違って』ってなんなんだし! シロヒメも白馬らしく繊細なんだし!」
「それはねぇ……」
 さすがにうなずけないという顔になる桐風。
 と、すぐに話題を戻し、
「それで、どうやってマリエッタちゃんの馬見知りを治すの?」
「そうそう、それだし。ヨウタローに会いに行ったのがヒントになったんだし」
「ヒント?」
 桐風と麓華が首をかしげる。
「これだし!」
「それって……」
 白姫が取り出したものに一同は目を見張った。
「か……仮面!?」


「白姫さん……本当にこれで」
「大丈夫だし。シロヒメを信じるんだし」
「は、はい……」
 仮面をつけたマリエッタを馬たちのいるほうへ送り出し、白姫たちは彼女を見守るため茂みに身を隠した。
「本当に大丈夫かな」
「大丈夫だし。絶対うまくいくし」
 不安そうな桐風に、白姫は力強くうなずいてみせる。
「ですが、奇抜すぎるのでは」
 当然ともいえる麓華のつぶやきに白姫は鼻息を荒くし、
「奇抜とかそんなの関係ないんだし! 仮面にはちゃんと意味があるんだし!」
「どんな意味が……」
「馬見知りということは、つまり恥ずかしがり屋なんだし。仮面をつければ直接顔を見られないんだし。その分、恥ずかしくないんだし」
「顔は見られないけど……」
「仮面そのものが恥ずかしいのでは……」
「そんなことないし。ナイトランサーはいつも堂々としてるし」
 ナイトランサー。
 それは白い仮面をつけた正義の騎士の名前だ。
「それは……どちらかというとそっちのほうがおかしいんじゃ」
「しっ。ほら、マリエッタがみんなに話しかけるし」
 白姫の言葉に、桐風と麓華はあわててそちらへ目を向ける。
「こ……こんにちは」
「ぷりゅ!」
 馬たちが驚きの鳴き声をあげる。
 当然だ。
 仮面をつけた馬が自分たちの目の前に現れたのだから。
「うう……」
 沈黙の中、視線を一身に浴びて、マリエッタはいますぐにも逃げ出したそうに身を縮こまらせる。
 すると、
「どうしたの、白姫ちゃん」
「えっ!」
 仮面の奥の目が見開かれる。
「あ、あの、わたしは……」
 他の馬たちも、
「カッコイイねー、その仮面」
「ナイトランサーごっこ?」
「おもしろそー」
「いえ、その、あの……」
 マリエッタはしどろもどろになるばかりで、何も言うことができない。
 そんな様子を見て、桐風は、
「どうも、白姫ちゃんだとカン違いされてるみたいだね」
「そうなの?」
「聞こえるのですか、あんな遠くの声が」
「唇を読んだの。読唇術だよ」
「さすが忍馬だしー」
「ですが、あの繊細なマリエッタとこちらの駄馬を間違うなんて」
「ぷりゅーっ! さりげなく悪口言ってんじゃねーし!」
「逆にじゃない? マリエッタちゃんが仮面つけたりするなんて誰も思わないでしょ」
「それは、その通りですね」
 麓華が納得する。
 その間にも、馬たちのマリエッタへの話しかけは続き、
「ねー、ナイトランサーっぽいことやってー」
「やってやってー」
「いえ、その、わ、わたしは……」
「ほら、ポーズ。ナイトランサーみたいに」
「ポ、ポーズ?」
「できるでしょー? 白姫ちゃん、なんでもできるもん」
「だから、わたしは……わたしは……」
 遠目にもマリエッタの身体が小刻みにふるえ始めるのがわかった。
「もう見ていられません」
 麓華が身を乗り出す。
「あっ、何すんだし」
「あの子たちを止めます。そして、きちんと事情を説明します。……まあ、説明するにはあまりにも恥ずかしい事情ですが」
「どこが恥ずかしいんだし、シロヒメのすばらしい作戦の!」
「どこもすばらしくありません、あなた自身も含めて!」
「ぷりゅーっ!」
「ちょっ……こっちでケンカ始めないでよ!」
 マリエッタが弱り果てている一方、こちらもこちらで桐風が白姫たちのケンカに手を焼かされるのだった。


「わたし……やっぱり……」
「お、落ちこまないで、マリエッタ」
 涙ぐむマリエッタを白姫があたふたとなぐさめる。
「この前は、シロヒメちゃんが落ちこんでたのにねー」
「そうなんですか?」
 マリエッタが桐風を見る。
「そうだよ。マリエッタちゃんと友だちになれないからって」
「そんな……わたしなんて」
 マリエッタがうつむく。
「わたし、白姫さんがうらやましいです」
「ぷりゅ!?」
「あり得ない……こんなダメ馬のどこが」
「誰がダメ馬だしーっ!」
「そうです、白姫さんはちっともだめなんかじゃありません」
 白姫だけでなくマリエッタも麓華に抗議する。
「さっき、白姫さんにカン違いされたときも思いました。白姫さんは本当にみんなに好かれていると」
「それはそうなんだし。シロヒメ、友だちいっぱいなんだし」
「だから、わたしも……白姫さんのようになりたくて」
「あっ」
 桐風が気づいたというような声をあげる。
「それでなの? 隠れて白姫ちゃんを見つめてたの」
 ぷりゅ。マリエッタが小さくうなずく。
「白姫さんみたいな白馬に……わたしもなりたいって」
「ぷりゅー……」
 弱々しくうなだれるマリエッタを見つめ、何か考えるそぶりを見せる白姫。
 そして、
「一緒に暮らしてみるし?」
「えっ」
 マリエッタが顔を上げる。
「一緒にって……」
「シロヒメとだし」
「ええっ!?」
 驚きの声があがり、麓華と桐風もあぜんと目を開く。
「シロヒメのそばにいれば、シロヒメみたいになれるかもしれないんだし。そうだし、そうすればいいんだし」
「あの、でも、一緒に暮らすということは、わたしも白姫さんのおうちに……」
「もちろんだし。きょーどー生活なんだし」
「ちょっと待ちなさい!」
 声を張り上げたのは麓華だ。
「そのようなこと、馬が勝手に決めていいわけないでしょう!」
「いいんだし。シロヒメはみんなの家族なんだし。シロヒメのお願いならきっと聞いてくれるんだし」
「聞いてくれたとしても、馬が増えるということはそれだけ負担が……」
「問題ないし。トレードするから」
「トレード?」
「そーだし」
 ぷりゅ。白姫はうなずき、
「マリエッタがうちに来る代わりに、この子をマリエッタのおうちに……」
「ち、ちょっと待ちなさい!」
 あわてて麓華が声を張り上げる。
「わたしに出ていけと言うのですか!?」
「出ていくんじゃないし。トレードだし」
「同じことでしょう! シルビア様が許すはずありません!」
「えー、許すと思うけどー。シルビア、こういうおもしろそうなこと好きだからー」
「くっ……」
 思い当たることがあるのだろう。麓華が言葉に詰まる。
「というわけで、トレード決定だしー」
「な、何が『というわけで』ですか! 何も決定など……」
「えー、イヤだって言うのー? マリエッタがかわいそーなんだしー」
「くうぅ……」
「無理なさらないでください。麓華さんがいやでしたら……」
「いえ、その、はっきりいやというわけでは」
「本当に……無理は……」
「あっ、な、泣かないでください、マリエッタ!」
 あわてふためく麓華を見て、白姫がほくそ笑む。
「ぷっりゅっりゅっりゅっ……マリエッタのことだけじゃなくて、あの子も追い出せて一石二鳥なんだし。一石二馬なんだし。シロヒメ、賢いしー」
「悪い顔になってるよ、白姫ちゃん」
「ぷっりゅっりゅっりゅっりゅっりゅっ……」
 白姫がぷりゅりと笑う中、
「あの、その、誤解しないでください、マリエッタ。わたしは、その、こういうことがどうかということを……ああっ、だから泣かないで、マリエッターーっ!」

「ぷりゅーわけで」
 白姫は屋敷の一同を前にマリエッタのことを紹介していた。
「今日からよろしくなんだしー」
「よ……よろしくお願いしますっ」
 それぞれの反応を見せる屋敷の面々。多くを占めているのはやはり戸惑いだ。
「あの、白姫……」
 困ったような笑みを見せつつ葉太郎が前に出る。
「その、麓華と交換っていうのはどうかな? 向こうのうちの人だって驚いてるだろうし、シルビアだって……」
「ウチは構へんよー」
「ええっ!?」
 あっさりOKを出した麓華の主人――シルビア・マーロウに葉太郎が目を剥く。一方、白姫はわかっていたという顔で、
「さすが、シルビアなんだしー。大好きだしー」
「まー、麓華ならどこへ行ってもええ子にしてると思うし。ウチの教育が行き届いてるから」
「そんな……」
 そういう問題ではない――と言いたそうな顔になる葉太郎。
「あの、でも……」
 アリスがおそるおそるというように、
「大丈夫なんですか?」
「大丈夫だし。きっとマリエッタの馬見知りも良くなって……」
「いえ、そこではなくて」
 アリスはその名を口にするのも恐ろしいというように身をふるわせ、
「依子さんが……」
「ぷりゅ!」
 とたんに白姫もふるえあがる。
「そ、そうだし……ヨリコに許してもらわないといけないんだし」
 ヨリコ――朱藤依子(すどう・よりこ)は、屋敷の誰からも恐れられているメイド姿の女性だ。
「ア、アリス、ヨリコの許しもらってくるし」
「なんで自分が!?」
「当たり前だし。こういうときのアリスだし」
「どういうことですか!」
「ヨリコに殺(ぷりゅ)されちゃっても問題ないという……」
「なんてことを言ってるんですか!」
 そこに、
「白姫さん」
「!」
 雷に打たれたようにふるえる。
「ぷりゅりゅりゅりゅりゅりゅ……」
 恐怖のいななきをもらしなながらふり返った――そこには、
「ぷっりゅーーーっ!」
 絶叫。
 冷たい目をしたメイド服の女性――依子は静かにこちらを見つめていた。
 その視線が白姫の隣に向けられ、
「そちらの方は?」
「!」
 マリエッタがふるえる。初対面ながら依子の恐ろしさを感じ取ったのだろう。
「この子は……シロヒメの友だちで……」
 なんとか勇気をふりしぼり、マリエッタをかばうように間に入る。
 しかし、次の言葉が出てこない。
「ぷりゅりゅりゅりゅりゅりゅ……」
 ふるえるいななきばかりがこぼれる。
 すると、白姫の前に小さな人影が立った。
「マリエッタは今日から白姫と一緒に暮らすのだ」
「マキオ……!」
「真緒さん……!」
 白姫とマリエッタが共に目を見開く。
 依子は、静かな表情を崩さないまま、
「どういうことですか?」
「マリエッタの馬見知りを治そうとしてのことだ。白姫は悪くないのだ。いや、いいことをしようとしているのだ」
 依子の視線が白姫に向けられる。
 はっとなり、白姫はあわてて頭を下げた。
「お願いします! マリエッタをここに住ませてください!」
「お……お願いします!」
 あわててマリエッタも頭を下げる。
「………………」
 沈黙の後――依子は、
「あっ」
 背を向けて去っていく依子に白姫が驚きの声をもらす。
 マリエッタは肩を落とし、
「だめ……ということでしょうか」
「それは……えーと……」
 顔を見合わせる葉太郎たち。ここにいる全員の賛成があっても、依子が反対すればそれを実行することは不可能だ。
「ありがとうございました、白姫さん」
「ぷ……!?」
 こちらに向かって頭を下げたマリエッタに、白姫はあたふたと、
「あ、あきらめちゃだめだし! シロヒメがヨリコに……ヨ、ヨリコに……」
「いいんです」
 目じりに涙をにじませつつ、マリエッタは微笑み、
「白姫さんがわたしのためにこんなにがんばってくれただけで……それだけで」
 それ以上は言葉にならないというように、マリエッタはもう一度小さく頭を下げ、白姫たちの前から――
「どこへ行かれるのです」
 感情を感じさせないその声がマリエッタの足を止めた。
「ヨリコ……」
 白姫の声がふるえる。
 依子の手には、白姫がいつも食べる飼い葉の入れられた桶が抱えられていた。
 一つでなく――二つ。
「ヨリコ……それって」
 何も言わないまま、依子が桶を白姫の前に置く。
 そしてもう一つをマリエッタの前に。
「よかったな、マリエッタ!」
 真緒が歓声をあげる。白姫も我に返り、
「そうだし! それを食べていいってことは、ここにいていいってことなんだし!」
「っ……」
 マリエッタの瞳が驚きにゆれる。
 と、依子が、
「みなさんも。そろそろ夕食の時間ですよ」
「わかった!」
 元気に返事した真緒を先頭に一同は屋敷の中に入っていった。
「さっ、食べるんだし、マリエッタ」
「は、はい……」
 さっそく飼い葉桶に顔をつっこむ白姫を見て、マリエッタもおずおずと自分の分の飼い葉を口にし始めた。
「どう? おいしい?」
「………………」
 マリエッタは、
「う……うぅ……」
「ぷりゅ!?」
 しゃくりあげ始めたマリエッタに白姫が目を見張る。
「なんなんだし! そっちのはおいしくなかったんだし!?」
「おいしい……です」
「じゃあ、どうして……」
「初めてだから」
 マリエッタは言った。
「友だちと食べるごはんがこんなにおいしいなんて……初めて知ったから」
「マリエッタ……」
「う……ううぅ……」
 白姫は、あらためて彼女のつらさを感じ取っていた。
 馬はそもそも孤独が苦手な生き物なのだ。なのに馬見知りで他の馬に近づけないというそのつらさは、こちらが想像する以上のものがあったのだろう。
「マリエッタは今日までがんばってきたんだし。偉いんだし」
 身体をすり寄せつつ、白姫は器用にマリエッタの涙をふいてあげた。
 そして、明るい声で、
「さー、食べるし。せっかくのおいしいごはんなんだし。泣いてたら味がわかんなくなっちゃうんだし」
「そう……ですね」
 涙の痕を残しつつ、心からの笑顔を見せる。
 そして、白姫とマリエッタは、並んでおいしそうに飼い葉を食べたのだった。


「馬も歩けば、ぷりゅぷりゅ当たる」
「う、馬も歩けば、ぷりゅぷりゅ当たる」
 白姫に続いてマリエッタが同じ言葉をくり返す。
「働かざるもの、ぷりゅべからず」
「働かざるもの、ぷりゅべからず」
「焼け石にぷりゅ」
「焼け石にぷりゅ」
「あのー……」
 それを見ていたアリスがあぜんと、
「な……なんなんですか」
「ぷりゅ語録だし」
「ぷりゅ語録?」
「そーだし」
 白姫は得意げにうなずき、
「マリエッタはシロヒメみたいになりたいんだし」
「それは……聞いてますけど」
「シロヒメは何でできてるし?」
「はい?」
 唐突な質問に戸惑いつつ、
「何って……白姫は白姫ですけど」
「アホだしー」
「アホじゃないです」
 そこはもちろん否定する。
 白姫は、
「見ればわかるんだし」
 ぷりゅりーん❤ その場で華麗に一回転してみせ、
「シロヒメはかわいさでできてるんだし」
「はあ……」
 ギロリ。
「かわいくないって言うんだし?」
「そ、そんなこと言ってませんけど……」
「だけど、シロヒメはかわいさだけじゃないんだし。賢さもあるんだし。かわいくて賢いんだし。すごいんだし」
「はあ……」
「マリエッタはかわいさは問題ないんだし。とってもかわいいんだし」
「はい、そうですね」
「あと必用なのは賢さなんだし!」
 白姫の声に力がこもる。
「だから、シロヒメ、ぷりゅ語録を教えてるんだし。マリエッタが賢くなるようにって」
「賢く……なるんですか?」
「ぷりゅーっ!」
 パカーーーーン!
「きゃあっ」
 蹴り飛ばしたアリスをさらにギロリとにらみ、
「なんか文句あんだし?」
「いえ、そんな、文句とかは……」
「し、白姫さんっ」
 マリエッタが白姫をなだめる。そしてアリスに、
「ご心配くださってありがとうございます。でも、これはわたしのための特訓です。わたし、がんばります」
「マリエッタは偉いんだしー」
 頭をなでるようにマリエッタに顔をすり寄せる。
「これでわかったし? わかったら邪魔するんじゃねーし」
「邪魔するつもりはないんですけど……」
 やっぱり心配……という気持ちをにじませつつ、アリスは白姫たちに背を向けた。
「じゃー、続きやるしー。明日は明日の風がぷりゅ」
「明日は明日の風がぷりゅ」
(本当に大丈夫でしょうか……)
 後ろ髪を引かれつつ、アリスは屋敷に足を――
「アリスさん」
「きゃあっ」
 いつの間にかそばにいた依子に、アリスは悲鳴をあげて跳び上がった。
「ご実家からお電話です」
「え……?」
 アリスの目が見開かれる。
「そんな……じ、実家って……」
「出られないのですか?」
「!」
 依子の目が細められ、アリスはびくっとふるえる。
 彼女は――こちらの〝事情〟を知っている。
 気持ちは理解してくれているはずだが、それでもわざわざかかってきた電話に出ないということが一体どう取られるか――
「……で、出ます」
 目を合わせられないまま、アリスはそう答えていた。


「山のあなたの空遠く、ぷりゅぷりゅ住むと馬の言う」
 ぷりゅ語録の抗議が続いていた――そのとき、
「白姫さん……」
「ぷりゅ?」
「あ、あの……」
 ためらいつつマリエッタはおずおずと、
「……変えませんか」
「えっ」
「!」
 疑問の声にマリエッタは過剰に反応し、
「違うんです! ごめんなさい!」
「な、なにあやまってんだし、マリエッタ」
 今度は白姫のほうがあわてて、
「マリエッタがあやまることなんて何もないんだし。マリエッタはいい子なんだし」
「白姫さん……」
 感動に目をうるませつつ、マリエッタはすまなさそうにうなだれる。
「……ごめんなさい」
「だから、あやまることないし」
 ぷりゅ。白姫が力強く言う。
 その声に背中を押されるようにして、
「……たいんです」
「ぷりゅ?」
「その……白姫さんと……」
 それでもまだもじもじしていたマリエッタだったが思い切ってというように、
「歌いたいんです」
「えっ」
「あの、その、遠くから白姫さんを見ていたとき、誰の前でも楽しそうに歌えるのがとても素敵だなって。わたしも、その、白姫さんみたいに歌えたらなって。だから……その……」
「ぷりゅぅー」
 白姫はちょっぴり顔をしかめ、そして一言、
「みずくさいんだし」
「え……」
「もー、早く言うし。遠慮なんかいらないんだし」
「ご、ごめんな……」
「あやまっちゃだめ!」
 するどく言ったあと、白姫はにこっと笑い、
「友だちなんだし」
「……はい」
 そして、白姫とマリエッタは声を合わせて歌い始めた。
「はーくばーのかーずだーけー、つーよーくなーれーるよ~♪ ぷりゅふぁるとーにさーく、はなーのーよーに~♪」
「なんですか『ぷりゅファルト』って……」
 そうつぶやきながら、再びアリスが姿を見せる。
「なんだし? またシロヒメたちの邪魔するつもりだし?」
「だから邪魔とかではないんですけど……その……」
 アリスは白姫の耳に口を近づけ、
「すこし、向こうでお話できませんか」
「ぷりゅ? シロヒメとだし?」
「はい……」
「なんだしー? つまんない話だったら承知しないんだしー」
「いえ、それなりに大事な話ではありますから」
「ぷりゅー」
 不満そうな鼻息をもらしていた白姫だったが、
「マリエッタ、ちょっと待ってるし。シロヒメ、ちょっとアリスと話があるんだし」
「は、はい……」
 そして、屋敷の中庭にはマリエッタだけが残された。


(話って……なんだろう)
 マリエッタの胸に不安な気持ちがわきあがる。
(ひょっとして、わたしにいてもらいたくないとか……)
 これまでの癖でついついネガティブな方向に考えが行ってしまう。
 しかし、
『友だちなんだし』
 先ほど見た白姫の笑顔がマリエッタの胸をあたたかくする。
 大丈夫だ。
 彼女は無条件にそう信じることができた。
 と――そのとき、
「あなたですね」
「ぷりゅっ」
 不意に声をかけられ、あわててマリエッタはふり返る。
「……!?」
 そこにいたのは、見たことのない馬たちだった。みな栗毛色の毛並で、それぞれ顔立ちや姿形などがとてもよく似ていた。
 三つ子――
 その言葉がマリエッタの脳裏に浮かぶ。
「あなたですね」
 再び。先頭に立った馬が言う。
 明らかにこちらへの敵意を感じさせる口調で。
「あ……」
 たちまち馬見知りに心をわしづかまれ、マリエッタは一言も口にできなくなる。
 相手はいらだったように、
「あなたなのかと聞いているのです!」
「……!」
 自分でも抑えきれず、四本の脚ががくがくとふるえ出す。
 しかし、しゃべれたとしても酷な質問だ。あなたなのか――これだけ聞かれて何を答えればいいというのか。
「もう、いいです」
 栗毛色の馬がいらだたしそうに頭をふる。
「この屋敷にいる白馬はあなただけと聞いてますから」
「っ……」
 マリエッタは直感した。
 この馬たちもまた自分を白姫とカン違いしている。
「違っ――」
 とっさに言いかけて、しかしマリエッタは口を閉じた。
 もしこの馬たちの目的が白姫なら――
 白姫は、明らかに彼女たちに悪意を持たれている。
 このまま素直に自分が別人、いや別馬だと知られてしまったら、今度は白姫が危険な目にあうかもしれない。
 そんなことはマリエッタには絶対許されなかった。
「さっきから何を黙っているんですか」
 ふるえは止まらない。
 それでも、マリエッタは決然と顔をあげ――
 相手をにらみ返した。
「っ……」
 かすかにひるむ気配が伝わってくる。
 しかし、すぐにそれを押し隠そうとするように、
「その反抗的な目! やはり、話は本当だったんですね!」
(話……?)
 マリエッタが疑問に思う間もなく、
「構わないわ! お嬢様のために!」
「お嬢様のために!」
 馬たちの鳴き声が唱和する。
 自分に向かってきた馬たちに――マリエッタは、
「――!」
 勇ましいいななき。
 黒い雷のごとく飛びこんできた影が、マリエッタに襲いかかろうとしていた馬たちを押しのけた。
「くうっ!」
「な、何者!」
 マリエッタが息を飲む。
「ろ……」
 それは、
「麓華さん!」
 凛々しく立つ。それはアリエッタと〝トレード〟という形でこの屋敷からいなくなっていた麓華だった。
「怪我はありませんか、マリエッタ」
「は、はいっ」
 驚きつつも、あたふたとその後ろに隠れる。
 栗毛の馬たちは突然の新たな馬の介入にいきり立ち、
「何者です、あなたは!」
「名乗る名などありません」
「……!」
「おびえている子に数を頼みに突然襲いかかるような……そんな無礼な馬たちには!」
 びしり! 凛然とした麓華の言葉に栗毛の馬たちがふるえる。
「麓華さん……」
 アリエッタの声もまたふるえる。
「ありがとうございます……」
「お礼など不要です」
 麓華は凛々しい顔のまま、
「お父様なら必ず助けに入っていましたから」
「っ……」
 マリエッタはさらなる想いに瞳をふるわせ、
「立派なお父さんなんですね。麓華さんと同じで」
「……!」
 顔に喜色が広がりかけるも、それをぐっとこらえる麓華。
「当然のことです」
 そう言うと、あらためて栗毛の馬たちをにらみ、
「決して非道は許しません! 偉大なる我が父・麓王(ろくおう)の名において!」
「ぷ……」
 ゆるぎないその雄姿に、栗毛馬たちが後ずさる。
 しかし、その屈辱がばねになったかのように彼女たちは戦意を高ぶらせ――
「ぷりゅーっ!」
 パカーーーーン!
「きゃあっ」
 遠くから聞こえてきたいななきとヒヅメの音、そして悲鳴に、その場にいた者たちすべてが動きを止める。
 と、先頭にいた栗毛馬が、
「お嬢様……」
 ぼうせんとつぶやくと、
「お嬢様―――っ!」
 不意に走り出し、後ろにいた馬たちもそれに続いた。
 突然のことに麓華もマリエッタもあぜんとなる。
「なんなのですか、あの馬たちは……」
「さあ……」
 首をひねるマリエッタだったが、すぐにはっとなる。
 思い出したのだ。あの馬たちの本当の狙いが白姫らしいということを。


「お嬢様!」
 悲鳴混じりのいななきをあげる栗毛の馬。その視線の先には、顔にくっきりとヒヅメの跡をつけられて涙ぐんでいるアリスの姿があった。
 アリスもまた突然現れたその馬に驚きの目を向ける。
「ひょっとして……ミア?」
「お嬢様――っ!」
 ミアと呼ばれた馬が感涙と共にアリスに駆け寄る。続いてきた馬たちも同じようにしてアリスを囲む。
「リアとレイアも。本当にこの島に来てたんですね」
「お嬢様ぁ……」
「ぷりゅぅ……」
 リア、レイアと呼ばれた馬たちも、愛おしそうにアリスに鼻先をすり寄せる。
 そこに、
「なんだし、アリスが『お嬢様』って。意味わかんねーし」
「!」
 栗毛の三つ子馬たちが、その声のしたほうをきっとにらむ。
 直後、驚愕に目が見開かれる。
「ぷ、ぷりゅ……?」
「白……馬?」
「そんな……それはさっき」
 白姫はけげんそうに首をひねり、
「なんだし? なに言ってんだし?」
「だから、この子たちですよ」
 アリスが白姫に近づき、その耳元でささやく。
「ぷりゅぅー」
 白姫が目を細め、
「この子たちがアリスのとこの馬なんだし? アリスとそっくりでアホそうなんだしー」
「ぷりゅ!」
 ミアたちの目がつり上がる。
 アリスはあわてて、
「お願いしたじゃないですか、そういうことを言わないようにって!」
「なに、シロヒメに命令してんだし」
「命令ではなくお願いで……」
「うるせーし!」
 パカーーーーン!
「きゃあっ」
「お嬢様!」
 蹴り飛ばされたアリスにあわててミアたちが寄り添う。
 そして、白姫をにらみ、
「我らのお嬢様になんということを!」
「いいんだし。アリスだから」
「! ひょっとして先ほどの悲鳴も……」
「悲鳴? あー、確かに、なんかアリスがまぬけな悲鳴あげてたし。シロヒメにわけのわかんない命令するから」
「わけがわからなくありませんよ!」
 顔に二重のヒヅメ痕をつけたアリスが立ち上がり、
「だから、自分はお願いしただけです! 自分の家の馬たちが来るかもしれないけど、ケンカしたりしないようにって!」
「それが命令だって言うんだし。シロヒメはシロヒメの自由にするし。シロヒメは自由を愛する白馬だし」
「えぇ~……」
 そこに、
「お下がりください、お嬢様」
 ミアが割って入る。
「お嬢様にこのような暴力をふるう馬……許しておけません!」
「ぷりゅぅー?」
 白姫の目つきも険しくなり、
「なに、いきなり出てきて、シロヒメのことディスってんだし。一体誰なんだし」
「だから、うちの馬たちですよ」
「お嬢様!」
 ミアたちがアリスを守るように取り囲み、
「帰りましょう! クリーヴランドのお屋敷に!」
「ええっ!?」
「そーだし、帰っちゃえばいいしー。アリスなんていらねーしー」
「なんてことを言うんですか!」
 そこに響く地を蹴るヒヅメの音。現れたのは、
「白姫さーーん!」
「ぷりゅ! マリエッタ!」
 マリエッタは青ざめた顔で白姫に駆け寄り、
「大丈夫ですか!? 何かされたりは……」
「? してないけど」
 そこへ、追いかけてきた麓華が、
「マリエッタが襲われたのですよ。あなたとカン違いされて」
「ぷりゅ!」
 白姫の目がつりあがる。
「誰だし、マリエッタを襲うなんて! 許せないんだし!」
「別馬だったのですか……」
「ぷりゅぅ!?」
 ミアのつぶやきに白姫が険しい目を向ける。
 と、その目がにらみ返され、
「あなたですね、白姫という馬は」
「そうだし。シロヒメがシロヒメだし」
「あなたが……」
 ミアたちの目に怒りの炎がちらつく。
「我らのお嬢様を日々酷使しているという……」
「ぷりゅ? こくし?」
「な、何を言ってるんですか!」
 アリスがあわてて、
「自分は従騎士です! お仕えする騎士様の馬の面倒を見るのは当然じゃないですか」
「そうだし、当然だし。だから、いじめていいんだし」
「いじめはやめてください!」
「いじめ……」
 ミアたちがわなわなとふるえ出す。
「もう我慢できません! お嬢様がお屋敷に戻られないというのなら、せめてこの無礼な馬を叩きのめします!」
「ちょっ……ミア!」
「やる気だし!? 望むところだし!」
「って、白姫も!」
「マリエッタを襲うなんて許せないんだし! 友だちにそんなことされて黙ってられるわけないんだし!」
「フン。あなたの友だちというなら、どうせ同じようにろくでもない馬なのでしょう」
「ぷりゅ!」
 白姫の目がさらにつりあがり――
「その言葉は聞き過ごせません!」
 声を張り上げたのは麓華だった。
「そちらの駄馬をどうこう言うのは構いません。事実、駄馬ですから」
「ぷりゅーっ! 二度も『ダバ』って言ってんじゃねーし!」
「しかし」
 麓華は静かに怒りをにじませ、
「マリエッタを……わたしの友だちを『ろくでもない』などと言うことは決して許せません」
「麓華さん……」
 マリエッタが目をうるませる。そして、
「ぷりゅ!?」
「マリエッタ……!」
 白姫と麓華が驚く中、マリエッタは彼女たちに並ぶようにしてミアたちと向かい合った。
「あ、危ないし! マリエッタは後ろに下がってるし!」
「いいえ」
 かすかにふるえながらも、はっきりと首を横にふり、
「これで三対三です」
「でも……」
「白姫さん」
 隣の白姫を見る。
「麓華さん」
 同じく麓華を見る。
「わたしにとってもお二方は友だちです。なら……」
 マリエッタの目にいままで見せたことのない強い決意の光が宿る。
「共に立ち向かうのは……当然のことです」
「マリエッタ!」
「マリエッタ……」
 白姫と麓華が共に感動の息をもらす。
「フン」
 そんな場の空気が気に入らないというようにミアが鼻を鳴らす。
「三対三であろうと同じこと。生まれたときより共にあるわたしたちが負けることなどあり得ません」
「なに言ってんだし。アリスのとこの馬になんか負けるわけねーし」
 再び両者の間で戦意が高まっていく。
 アリスは必死に、
「お願いですからやめてください! 本当に!」
「なんで、アリスの言うこと聞かなきゃなんねーし」
「お嬢様の命令とは言え、こればかりは引くことはできません」
「そんな……」
 おろおろすることしかできなくなるアリス。そして、
「ぷりゅーーーーーーっ!」
 白姫の勇ましいいななきと共に戦いの幕が切って落とされ――
「!」
 シュバッ!
「っ……」
「!?」
 両者の間に手裏剣のように蹄鉄が突き立ち、馬たちは動きを止めた。
「ちょっと待ったーっ!」
 現れたのは、
「桐風!」
 驚いてその名を呼ぶ白姫。ミアたちの表情が険しくなり、
「そちらの味方ですか!」
「ううん、どっちの味方もしないよ」
 即座に首をふった桐風に、白姫たちのほうが驚かされる。
「なんでだし、友だちなのに!」
「卑怯でしょ? 四対三じゃ」
「それは……」
 騎士の馬として卑怯と言われれば引くしかない。
「で」
 桐風はあらためて双方を見渡し、
「こんなところでケンカしたら屋敷のみんなが迷惑するでしょ」
「そのようなこと……」
 関係ない――と言いたそうなミアだったが、
「止められなかったってことで、アリスちゃんが叱られることになるんだよ」
「ぷりゅ!」
 たちまち顔色を変えるミアたち。彼女たちにとってアリスに関わることが何より重要――それを桐風は忍馬らしい観察眼で素早く読み取っていたようだ。
「それにあれでしょ? 決闘にはちゃんと場所を選ばないとね」
「……!」
 決闘。その響きに馬たちが首筋を伸ばす。
「あの……」
 そんなことはしないで――とアリスが言える空気ではとっくの昔になくなっていた。
「ぷりゅぅぅぅぅ……!」
 三対の馬同士は、いまからその日を待ちわびるかのように戦意をたぎらせた。

「アリスと同じでめーわくな馬たちなんだし」
 ぷりゅぷん。ミアたちがいなくなったあとも、白姫は怒りが収まらないというようにヒヅメを踏み鳴らしていた。
「アリス様と同じというところはともかく、迷惑というのは同感です」
 麓華もぷりゅ、とうなずく。
「あ、あの……」
 マリエッタは先ほどの凛々しい姿からまた元のおどおどした様子に戻り、
「あの方たちは、アリスさんとどういうご関係で……」
「だから、アリスんちの馬なんだし」
 それがいっそう腹立たしいというように白姫が鼻を鳴らす。
「家出してきたらしいんだし。アリスに会いたくて」
「はあ……」
 事情がよく飲みこめないというようにマリエッタが首をひねる。
 そこに麓華が言葉を続ける。
「あの三つ子たちは島のみんなにアリス様のことを聞いて、そこでこの駄馬のことも知ったようなのです」
「だから『ダバ』って言うんじゃねーしっ!」
 すかさず怒りを爆発させる白姫だったが、麓華は無視して話を続けた。
 それは――偶然の出来事だった。
 麓華は、たまたま知り合いの馬から、見慣れない三つ子の馬に会ったという話を聞いた。
 三つ子馬たちはアリスのことを聞きまわり、彼女が白姫の世話をしていると聞いて過剰に憤っていたという。
 そこで、麓華は不安を覚えた。思い出されたのは、以前、仮面をつけたマリエッタが白姫とカン違いされた事件だ。相手は白姫の顔を知らない。そのため、素顔であってもマリエッタがまた白姫と間違えられてしまう可能性があるのではないかと。
 悪い予感は的中し、麓華はかろうじてマリエッタが襲われそうになっているところに駆けつけられたのだ。
「ありがとうございました、麓華さん」
 あらためてお礼を言われ、麓華はうれしそうに微笑む。
 が、すぐその表情が引き締まり、
「本当にいいのですか、マリエッタ? あなたが勝負などと……」
「大丈夫だし!」
 白姫が声を張る。
「マリエッタは白馬なんだし。シロヒメと同じでできる子なんだし。間違いないし」
「あなたと『同じ』というところはまったく納得できませんが」
「ぷりゅーーっ!」
「あ、あの、ケンカは……」
 あたふたと白姫たちを止めたあと、マリエッタは不安げにうつむき、
「……大丈夫でしょうか」
「ぷりゅ?」
「わたしが白姫さんたちと一緒に戦うなんて……あのときは夢中でついあんなことを」
「大丈夫なんだし」
 あらためて。白姫は力強く言う。
「でも……」
「シロヒメがいるんだし」
 マリエッタに寄り添うと、その目を見て、
「特訓だし、マリエッタ」
「えっ」
「馬見知りを治そうとしたときと同じだし」
 胸を張って白姫は言った。
「シロヒメ、付きっ切りでマリエッタを特訓するし!」


「宿を提供してくれたことには感謝します」
 ぷりゅ。長姉らしく三つ子馬を代表してミアが頭を下げる。
「でも、勝負でヒヅメを抜くようなことは決してしません。忘れないでください」
「もー、そんなセコいこと考えてないよー」
 険しい目でにらんでくるミアに、桐風はいつもと変わらない飄々とした態度で応える。
「自分からもお礼を言わせてください、桐風」
 アリスも折り目正しく頭を下げた。
「それにしても、学園の厩舎を貸してもらえてよかったです。この子たち、ここに来るまでずっと野宿だったそうですから」
 そう言って、愛おしそうにミアの頭をなでる。
「ぷりゅー」
 心地よさげにミアが目を細める。
「ぷりゅっ」
「ぷりゅぷりゅ」
 自分も自分もというようにリアとレイアも鼻をすり寄せてきて、アリスは苦笑しつつ彼女たちの頭もなでてあげた。
(みんな、本当に大きくなって……)
 しみじみと三つ子馬を見つめる。
 この三姉妹は、アリスが初めて面倒を見た馬たちだった。
 最初は珍しさが勝ったのかもしれない。アリスの家には他にも多くの馬たちがいたが、姉妹でたわむれる三つ子馬はとりわけかわいく見えたものだ。
 もちろんアリス一人で世話し切れるものではなく、使用人たちに大いに力を借りることにはなったが、それでも自分でできることは積極的に手がけた。
 このとき努力したことが、後に夢へ踏み出す勇気をくれた。
 アリスは、そう思っている。
「みんなのおかげなんですよ」
「ぷりゅ?」
 不意の言葉に首をひねるミアたちだったが、アリスは言葉を続け、
「みんなと一緒にいるうちに、みんなの言いたいことがわかるようになったんです」
「ぷりゅー」
「ぷりゅぷりゅ」
 ほめられたというように、ミアたちがいっそううれしげに鼻をすり寄せてくる。そんな三つ子馬たちを、アリスも慈愛の想いをこめてなでる。
 そうだ、みんなのおかげだ。
 三つ子を一緒に相手する大変さを体験していたから――
「だから白姫とも……」
 はっと。ミアたちの身体がこわばるのがわかった。
「あ……」
 失言に気づいて口に手を当てるもすでに遅い。
「もー、アリスちゃんったらー」
 あきれたように桐風がいななきをもらす。
「いやその、自分、白姫にもミアたちをかわいがるような気持ちで接することができたと」
「まー、ある意味、アリスちゃんのほうが『かわいがられ』ちゃってるけどね」
「ううう……」
 ――と、
「お嬢様を責めるようなことは許しません!」
 ミアたちが間に入り、桐風に敵意の視線を向ける。
 アリスは驚きあわてて、
「違いますよ! 桐風は何も悪くなくて……」
 目が自然と伏せられる。
「わ、悪いのは……」
 悪いのは――そこから先が口に出せない。
「………………」
 悪いのは、自分だ。
 ミアたちの気持ちをわからずに家を出てしまった。
 しかも、その力をくれたのがミアたちだなんて――言えるはずがない。
(白姫……)
 思えば、彼女と仲良くしようとしたのも、従騎士としての義務以上にミアたちのことがあったからなのかもしれない。
 いまの自分があるのは、その多くをミアたちに負っている。
 けど、それを彼女たちの前で平然と口にすることは……できない。
「ごめんなさい……」
 言えたのはそれだけだった。しかし、
「お嬢様」
 ミアはきりっとこちらを見つめ、
「お嬢様があやまられるようなことは何もありません」
「けど、自分は」
「ありません」
 くり返す。リアとレイアも姉と同じ迷いのない瞳でこちらを見る。
「みんな……」
 アリスは目を伏せる。
「あれから一年以上ですもんね」
 そうだ。
 自分が変わったのと同じように、彼女たちも成長したのだ。
「ねーねー、アリスちゃん」
 そこへ桐風が、
「ちょっと聞いたんだけど、ミアちゃんたち、アリスちゃんを連れて帰りに来たんだって?」
「それは……」
 つらそうに顔をしかめるアリス。しかし、きっぱりと言う。
「ここから離れることはできません。自分は葉太郎様の従騎士ですから」
 たちまちミアたちの悲しむ気配が伝わってくる。
 アリスは、自分の中にこみあげてくる想いを押しこめ、彼女たちに言う。
「心配させたらだめですよ、みんな。こんなふうに突然家出してくるなんて」
「家出されたのはお嬢様も同じです」
「う……」
 それは、ミアの言う通りなのだ。
 一年とすこし前。アリスは「騎士になる」という夢をかなえるため、生まれ育った屋敷を飛び出した。家族たちに何も言わないままで。
 その家族の中には当然、生まれたときからかわいがっていた三つ子たちも含まれている。
「それにしても、どうしていまになって……」
「お嬢様がこちらにいると聞いたからです」
 こちら――
 アリスがこのサン・ジェラール島に来る前は日本、そしてその前は鳳莱島という太平洋上の島で暮らしていた。どちらもアリスの生家からは遠く離れていて、いくらミアたちの強い想いがあっても行き来することは難しかった。
 しかし、いまいるこの島は同じ欧州圏にある。それでも簡単に来られるような距離にはないのだが、彼女たちのアリスへの想いはその困難を乗り越えたのだ。
「とにかく」
 アリスは話を切り上げようと、やや強引に、
「いまは休んでください。いいですね」
「………………」
 こちらの気持ちを察してくれたのか、ミアたちはそれ以上何も言わず寝藁に座りこんだ。それほどの間もなく、寄り添うようにして眠る三つ子馬たちの寝息が聞こえ始めた。
「ふぅ」
 アリスが吐息と共に肩を落とす。
 そこに、
「一週間後ってところかな」
「えっ」
「しょーぶ」
 勝負――その言葉がアリスの胸に刺さる。
「ほ、本当に勝負なんてしないとだめなんでしょうか」
「だめだと思うよ」
 落ち着き払った顔で桐風が言う。その目を早くも深い眠りに落ちた三つ子馬たちに向け、
「すごいよねー。海を泳いだりもしてきたんだよねー」
「はい……」
 アリスもまたミアたちを見つめ、
「ここに来るまで何かあったりしなくて……本当によかったです」
「そこまでするこの子たちの想いを止められる?」
「それは……」
「何もしないで引き下がるなんて、絶対できないと思うよ」
 言葉をなくす。
 そして、あらためて眠る馬たちを見る。
「………………」
 アリスは――自分がどうするべきなのかわからなくなっていた。


「起きている、レイア」
「っ……」
 深夜。暗闇の厩舎に響いた姉の声に、レイアははっとふるえた。
「ミアこそ……」
 かすかに動揺をにじませつつ、そう口にするレイア。
 すべてわかっている。
 そう言いたそうにミアは微笑し、
「お嬢様のところへ行こうとしたのでしょう」
「……!」
「わかるわよ。あなたは昔から甘えん坊だったから」
「ぷりゅ……」
 すまなさそうな鳴き声がこぼれる。
「ぷりゅんなさい」
「そうね、あやまって」
「えっ」
 厳しい言葉に驚いたようにレイアが顔をあげる。
 ミアはそんな彼女に微笑みかけ、
「わたしでしょう」
「え……」
「妹が会いたいときお嬢様を呼んでくるのは……姉の仕事です」
「ミア……」
 レイアの声がふるえる。
 思い出したのだろう。
 かつて――自分たち姉妹がずっと幼かったころ。厳冬の強い寒風のためか、レイアが体調を崩した。
 使用人たちが付き添って看病し、その中にはもちろんアリスも含まれていた。
 しかし、アリスは屋敷の令嬢である。長時間厩舎にいることは許されず、夜を徹してそばにいるようなことももちろん認められなかった。
 そんな深夜、熱に浮かされたレイアがアリスの姿を求めた。
『ぷりゅー。ぷりゅー』
 力ない鳴き声をあげ続ける幼いレイア。そんな妹の姿にミアは耐えられなかった。
『まってて、ミア』
『ぷりゅ?』
『わたし、おじょうさまをつれてくる』
 そして――
 ミアは屋敷の中に忍びこみ、においを頼りにアリスの寝室を目指した。
 しかし、そんな行為はあっさり使用人たちの見つかるところとなり、抵抗もむなしく外へ連れ出されそうになった。
 そこに現れたのがアリスだった。
『やめて! ミアはレイアのために来たの! ミアはいい子なの!』
 身を挺してミアをかばうアリスに、屋敷の者たちは何も言えなくなる。
 そして、その後ろでまだ小さかったミアは感動の涙で瞳をぬらしていた。
 レイアのことが心配で眠れなかったアリス。そのため、屋敷内の騒ぎにもすぐに気づくことができたのだ。
 結局、その晩は特別ということで、アリスはレイアのそばにいることを許された。
 熱で弱っていた彼女は、アリスがいてくれることをこの上なくよろこんだ。
『ぷりゅがとう、ミア』
『ううん。おれいはおじょうさまにだよ』
『ぷりゅー』
 アリスに鼻をすり寄せるレイア。
 そんな妹を優しくなで返す主人の姿に、ミアはあらためて彼女をつれてこられてよかったと思った。
 それは、自分たち姉妹が愛されていることを確かに感じた夜となった。
「ミア」
 静かに。しかし声に力をこめてリアは言う。
「きっと取り戻そう。お嬢様を」
「ぷりゅ」
 レイアも力強くうなずく。
「リア」
「……!」
 ミアとレイアの間にいたリアの身体がぴくっとふるえる。
「起きていたのよね、あなたも」
「ぷりゅぅ……」
 寝たふりを見抜かれたリアが恥ずかしそうないななきをもらす。
 ミアにはわかっていた。そばにアリスがいたときはその安心感で入眠できた自分たちだったが、未知の場所ではいかに疲労がたまっていようと眠りが浅くなるのは避けられないと。
 これまで旅してきたときもずっとそうだった。姉妹で寄り添わなければ、眠ること自体できなかったかもしれない。それほどに馬は繊細なのだ。
 自分たちをここまで来させることができたのは、ひとえにアリスがいたからだった。
 生まれたときから注いでくれた愛情があったからこそだった。
 と、そのとき、
「ミア」
「……!」
 幻聴だと思った。彼女への想いが自分にそれを聞かせたのだと。
「リア、レイア」
「お嬢様……」
「お嬢様!」
 興奮する妹たちのいななきが聞こえる。そして、生まれたときからずっとそばに感じ、包みこまれてきた明るいお日さまを思わせるにおい。
 幻ではない! 間違いない!
「しっ。静かに」
 歓喜の鳴き声をあげそうになったミアの口を手のひらがそっとふさいだ。
「いまは夜なんですよ。だめじゃないですか、お姉さんなのに」
「お、お嬢様……」
 はっとなり、すまなさそうに目を伏せるリア。
 暗闇の中、妹たちの笑う気配が伝わってくる。
「ですが、どうしてお嬢様が」
「許可をもらって入れていただきました。今晩だけはいいそうです」
 と、彼女もまたすまなげな息をもらし、
「屋敷のみんなには内緒で出てきちゃいましたけど」
「そのようなことをしてまで、どうして」
「みんなのために決まってるじゃないですか」
 アリスは優しくほほ笑み、
「眠れなかったんですよね」
「っ……それは」
「わかりますよ。みんながクリーヴランドの家を離れたことなんて、自分の知る限りでは一度もなかったですから」
 そう言って、首に手を回す。
「ずっと、そんな大変な旅をしてきたんですよね」
「………………」
「……ごめんなさい」
「で、ですから、お嬢様があやまるようなことは」
「あやまらせて」
 そして、アリスは、
「一緒にいさせて」
「……!」
「せめて……今夜くらいはみんなが安心して眠れるように」
「お嬢様」
「お嬢様……」
 リアとレイアが身体をすり寄せてくる。
 お嬢様に迷惑をかけてはいけない! 姉としてとっさにそう言おうとしたミアだったが、久しぶりの主のぬくもりにその声がしぼんでいく。
「………………」
 ミアはあらためて決意していた。
 誰よりも心優しいアリス。そんな彼女のために自分はどこまでも戦おうと。

 その日は来た。
「ぷりゅ誓!」
 快晴の空に白姫の声が響く。
「ぷりゅたちわたしたちは! 正々堂々ぷりゅぷりゅすることを誓います!」
「なんですか『正々堂々ぷりゅぷりゅする』って」
「そのまんまの意味だし」
「いや、そのままではまったく意味がわからないんですけど」
「ドキッ! 馬だらけのぷりゅリンピックなんだし」
「だから、わかりませんよ『ぷりゅリンピック』なんて言われても」
 立て続けにツッコむアリスの声に、しかし、力はない。
「………………」
 ちらり。敵意たっぷりに白姫をにらんでいる三つ子馬たちに目を向ける。
「あの、ミア」
 おそるおそる。彼女たちに近づく。
「あの、まだ間に合いますから、こんなことは」
「問題ありません」
 栗色の毛並をつやつやとさせ、ミアは自信満々に鼻を鳴らした。
「体調は万全です」
「いえ、そういうことを言いたいわけではなくて」
「ぷりゅ!」
「ぷりゅぷりゅ!」
「リアとレイアも……」
 活力をみなぎらせる三姉妹を前に、アリスは続く言葉を見つけられなかった。


「う……」
 猛々しさに満ちた三つ子たちの姿にマリエッタが気おされた表情を見せる。
「わたし、やっぱり……」
「何を言っているんですか、マリエッタ」
 麓華が軽く怒ったように、
「ここまで来ていまさら引けません。何のためにわたしと特訓したんですか」
「シロヒメ〝と〟特訓したんだし!」
 すかさず白姫が声を張る。
 と、その目がやわらいだものになり、
「マリエッタ」
「ぷりゅ……」
「本当にいやなら、やめてもいいんだし」
「えっ」
「あなた、何を……」
 驚いた顔を見せるマリエッタと麓華。
 白姫は優しいまなざしのまま、
「一週間経って、シロヒメ、れーせーになったんだし」
 マリエッタは何も言わず白姫の話に聞き入る。
「もともとはシロヒメが悪いことなんだし。シロヒメのせいであの子たちとケンカになったんだし」
「それは……その通りですが」
 麓華がつぶやく。白姫は話を続け、
「だから、マリエッタが戦いたくないなら、戦わなくていいんだし」
「そんな……」
 マリエッタの目が泳ぐ。
 白姫はいたわりのこもったおだやかな声で、
「マリエッタが戦わなくても、シロヒメ、絶対にマリエッタを嫌いになったりしないんだし」
「………………」
 沈黙のあと――マリエッタは、
「ありがとうございます」
 微笑んだ。
「すこし気持ちが楽になりました」
「マリエッタ……」
「じゃあ……」
「はい」
 うなずくと、おどおどしていた表情が引き締まり、
「戦います。白姫さんたちと共に」
「マリエッタ!」
 白姫がうれしそうに鼻をすり寄せ、マリエッタも笑顔でそれに応える。
「はーい、じゃあ、そろそろ始めるよー」
 場の空気にそぐわない軽い声が青空の下に響く。
 桐風を中央に、白姫たちとミアたちが左右に分かれて向かい合う。
 彼女たちは、島の居住区から離れた場所にある広い草原の上にいた。今回のこの勝負を人目に触れさせて大ごとにしたくないというアリスの意向によるものだ。
 そのアリスは、この場にいる唯一の人間として、はらはらと成り行きを見守っていた。
「い、いいですか? 大きなケガとかは絶対にしないでくださいね」
 そんなアリスの声は、にらみ合う馬たちには届いていなかった。
「三対三のチーム戦でーす。『参った』って言ったほうの負けだからー。お互い、間違っても卑怯なこととかしないようにねー」
 勝負立会人、もとい立会馬の桐風の言葉に、
「とーぜんだし」
「当然です」
 白姫とミアが共にうなずく。そして、
「はじめっ!」
 桐風の合図で勝負の幕は切って落とされた。


 真っ先に飛び出したのは、
「!?」
 単身突っこんできた麓華にミアたちが目を剥く。
「くっ……」
 思いがけない奇襲に反応が遅れるも、いち早く我に返ったミアがそれを迎え撃つ。
「!」
 ドカッ!
「くぅっ……」
 力強い体当たりにミアの身体がゆらぐ。
 さらにそのままじわじわと押しこまれていく。身体の大きさではさほど変わらないが、麓華のまさに馬〝力〟は下手な馬のそれをはるかに凌駕するものだった。
「ミア!」
「ミアっ!」
 次女のリア、三女のレイアが助けに入る。
 それでも麓華の押しこみを止めることはできなかった。
「くぅぅっ……」
 力を合わせて懸命に対抗しようとする三つ子馬たち。
 そこに、
「――!」
 はっとなるミア。彼女の視界の端を何か白いものがよぎった。
 それも、左右同時に。
「しまっ……」
 あわてて妹たちに指示を飛ばそうとしたがすでに遅かった。
「!?」
 ドカッ!
「ぷりゅっ!」
 ドカァッ!
「ぷりゅぅっ!」
 左右から体当たりを受け、リアとレイアが体勢を崩す。
 それに気を取られたミアも、
「ぷりゅくっ!」
 麓華に強く押され、大きく後退させられる。
「ぷりゅぅぅ……」
 悔しそうに顔をあげるミア。
 その目に、誇らしげに並び立つ白馬たちの姿が映る。
「見たんだし!? これがシロヒメとマリエッタの連携技なんだし!」
 連携技――
 ミアはいま自分たちがどういう攻撃を受けたか即座に理解していた。
 つまり、こうだ。
 麓華が正面から突進を仕かける。
 それに気を取られている隙に、白姫たちが左右から息を合わせて攻撃を仕かけたのだ。
「フッ……」
 ミアの口もとに余裕の笑みが戻る。
 白姫がけげんそうに、
「何がおかしいんだし? シロヒメとマリエッタ、特訓のおかげで息ぴったりなんだし。無敵の連携なんだし」
「笑わせてくれますね」
「ぷりゅぅ!?」
「息ぴったり? 無敵の連携? その言葉は生まれたときからずっと一緒だった我ら姉妹にこそふさわしい!」
 ミアは妹たちに、
「行きますよ、リア! レイア!」
 姉のするどい声を受け、彼女たちの目に熱が戻る。
 そして――


「ぷりゅ!?」
 驚きの鳴き声をあげる白姫。
 思いもしなかったことに、三つ子馬たちはそれぞれまったく違う方向へいっせいに跳んだ。
「な、なんだし!?」
 連携というイメージからまったく遠いその動きに、逆に白姫たちは翻弄されてしまう。彼女たちが散ってしまっては、当然こちらも注意を分散せざるを得ないからだ。
「ぷりゅっ!」
「マリエッタ!?」
 悲鳴にあわててふり返ったそこへ、
「ぷりゅっ!?」
 死角からの体当たりに白姫の身体がゆらぐ。
 さらに見ると、麓華も不意をつかれた攻撃に対応できないでいた。
「ぷりゅりゅりゅりゅ……」
 よく見ればそれほどのスピードではない。パワーで麓華におよばないのも明らかだ。
 だが、三位一体になったとき、それは五倍、十倍もの脅威となってこちらを圧倒していた。
 いつの間にか白姫たちは防戦一方となり、追いこまれるようにして一カ所に固まらされていた。
「どうするのですか? このままでは……」
「言われなくてもわかってんだし! つべこべ言ってるくらいなら、自分だけツッコんで玉砕してくるし!」
「なぜ、わたしだけ突っこまなければならないのですか!」
 そのとき、マリエッタが口を開いた。
「わたしたちも力を合わせましょう」
「わかったし。またシロヒメとマリエッタで……」
「違います」
 マリエッタは首を横にふり、
「白姫さんとわたしと……麓華さんで」
「!」
 白姫と麓華の顔が同時に引きつり、お互いを見るや否やすぐに目をそらす。
 連携――
 さっきの攻撃が彼女たちにとってぎりぎり〝連携〟として許せるものだった。しかし、マリエッタが求めているのはそれ以上のことのはずだ。
「無理だし……」
 たまらず白姫がつぶやく。
「こんな子とこれ以上一緒になんて……」
「それはこちらのセリフです……」
 力ないながら、麓華もはっきりと言う。
 白姫も麓華も連携に対抗するには連携しかないとはわかっている。しかし、これまで積み重ねてきた互いへの悪感情がそれを許さないのだ。
「大丈夫です」
 マリエッタが言った。
「わたしが……白姫さんと麓華さんをつなげます」
「ぷりゅ!?」
「えっ」
 共に驚きの表情を見せる白姫と麓華。
「マリエッタがつなげるって……」
「どのように……」
「白姫さんはわたしの友だちです。麓華さんもわたしの友だちです」
「も、もちろんだし」
「何をいまさら」
「そして、今日までわたしを特訓してくれました……」
 マリエッタの目に火がともる。
「わたしとなら白姫さんとも麓華さんとも連携できるはずです」
「……!」
 マリエッタの言いたいことを――白姫も麓華も理解し始めていた。


「行きましょう」
 慎重に妹たちと様子をうかがっていたミアは、反撃してくる気配がないと判断し、攻撃の命令を下した。
 瞬間、三つ子馬たちは、息だけでなく意志までも完全に通じ合った完璧な連携を――
「白姫さん、右です!」
 マリエッタの声を受け、白姫が飛び出した。
「ぷりゅ!?」
 突進を白姫にいなされたリアが驚きの鳴き声をあげる。
「麓華さん、左!」
 麓華がレイアに突っこむ。
「ぷぐっ!」
 その力強い突進を受けたレイアが吹き飛ばされる。
「ぷ……!?」
 妹たちとの連携を崩されたミアが動揺を見せる。そこに、
「白姫さん、麓華さん!」
「ぷりゅーーっ!」
 ぴったりと息を合わせ――正確には白姫も麓華もマリエッタと息を合わせ、それぞれ翻弄していた馬を中央にいたミアに衝突させた。
「ぷりゅっ!」
 左右から妹たちにぶつかられ、ミアも苦悶のうめきをもらす。
「ぷりゅぅ……」
 思わぬ展開にミアは悔しさをにじませる。
 しかし、
(認めるしかない……)
 個々の身体能力においては白姫たちのほうが上だ。
 白姫の先天的とも言っていい身の軽さ、攻防における体裁きのうまさは、姉妹それぞれが単独で相手してはとても対応できない。
 同じく麓華の力強さも、姉妹全員でかろうじて拮抗できるほどのものだ。
 そんな彼女たちが本当に連携したら自分たちは――
「ぷりゅ!」
 はっと目を見開くミア。
 連携したら……つまりそうされなければ自分たちは決して負けない。
 突然あざやかなつながりを見せた彼女たちの要となっているのは、
(あの子ですね!)
 三姉妹の司令塔として立ってきたミアの冷静な観察眼は、連携の中心となっているのがマリエッタだとすぐに見抜いた。
(あの子さえ潰せば……)
 ミアの判断は素早かった。
「リア! レイア!」
 妹たちの反応もまた早かった。
 何をしろと言われなくても、姉の声の響きだけで何をするべきか正しく察するのだ。
 リアとレイアが左右に散る――
 と見せかけ、身体をひねり、中央にいるマリエッタを目がけて駆ける。
 その後からミアも続く。
 三姉妹は一体となり、無防備なマリエッタに向かって――
「!」
 ドカッ! ドカァッ!
「ぷりゅっ!」
「ぷりゅぐっ!」
「リア!? レイア!?」
 妹たちの悲鳴にミアは驚愕し、そしてがく然となる。
「なっ……!」
 左右からはさみ討つようにして妹たちを攻撃したのは白姫と麓華だった。
 牽制されたはずの彼女たちが、なぜこうもすみやかにこちらに攻撃を――
「!」
 ミアは気づく。
 こちらをまっすぐに見つめているマリエッタ。その目には突然の集中攻撃に対する驚きも動揺も見てとれなかった。
「まさか……」
 見抜かれていたのか。
 自分が集中攻撃されると予想して、逆に自分を囮とした。
(でも……)
 どうやって白姫たちに連携の指示を出したのか。
 タイミングがすこしでもずれれば挟み撃ちの効果は激減する。一方が攻撃されたことに気づき、もう一方が防御態勢に入るからだ。
 何か叫んだとしても、その時点でこちらは警戒する。
 マリエッタは――一言も何か口にするようなことはなかった。
「どうやって……」
 疑問が声となってこぼれる。
「わかってましたから」
「……!」
 マリエッタがこちらを見ていた。
「わたしの作戦を……見破っていたと」
「いいえ」
 首が横にふられる。
「守ってくれるって」
「えっ」
「白姫さんと麓華さんが……わたしのことを」
「!」
 信頼――
 自分たち姉妹にも劣らないそれをはっきりと感じ、ミアは悔しさに歯ぎしりする。
(それでも……それでも!)
 三つ子である自分たちは、信頼だけでなく身体的にも完璧な同調ができる。同じであるがゆえのそれは無敵の連携のはずだ。
 それがどうして能力も性格もバラバラの相手に――
「違うからこそ強いのだ」
 はっと顔をあげる。その言葉を口にしたのは、
「ま、真緒……」
 おろおろと一人の少年が近づく。
 そこに立っていたのは、腰に手を当て胸を張っている小さな女の子だった。
 女の子は少年を見上げ、
「そうだろう、葉太郎」
「う、うん……」
 あいまいにうなずく少年。女の子はそれが不満だったようで、
「だって、そうなのだ。似た者同士は確かに動きを合わせやすい。だが、その動きは結局似たようなものになるだけだ」
「!」
 ミアの身体がふるえる。女の子は言葉を続け、
「白姫たちはそれぞれまったく違う。違うからこそ、協力しあったとき、見たこともなかったような大きな力が生まれるのだ。私たち家族と同じだ」
「……そうだね」
 少年は微笑し、女の子の頭をなでた。
 女の子のほうも機嫌を直したというように笑顔を見せる。
「………………」
 ミアはがく然と立ち尽くしていた。
 視線を左右に移す。
 そこには、苦しそうにうめきつつ膝をついている妹たちの姿があった。
 まさに横腹を突かれたのだ。いまも立てないことから、そのダメージはかなりのものであると推し量れた。
 血を分けた姉妹にこれ以上の無理はさせられない。
 ミアの判断はすみやかだった。
「わたしたちの……負けです」
「!」
 はっとなるリアとレイアだったが、やがて姉と同じく力なくうなだれた。


「よーし、勝負あり」
 立ち合い馬である桐風の声が響いた。
「やったんだしーっ!」
 ぴょんっ、とうれしさをみなぎらせて白姫が跳ねる。
「当然だしーっ! シロヒメがいて負けるわけないんだしーっ!」
「はいっ」
 白姫の言葉にマリエッタがうなずく。
 そこへ麓華が近づき、
「立派でしたよ、マリエッタ」
「そんな……」
「いいえ、立派でした」
 麓華はマリエッタの目を見て、
「あなた、声をあげませんでしたね」
「え……」
「あなたが狙われたときです」
 麓華は微笑み、
「あなたがわたしたちに助けを求めていたら、きっと向こうは警戒したはずです。あそこまでの痛手は負わせられませんでした」
「……わかってましたから」
 ミアに対して口にした言葉をマリエッタはくり返した。
 そこに、
「なに、マリエッタと仲良くしてんだしーっ!」
 ドカッ!
「ぐふっ……!」
「し、白姫さん!?」
「マリエッタはシロヒメの友だちなんだし。立派で当然なんだし」
「ぷ……!」
 突然体当たりを受けた麓華はいきり立ち、
「やはり、あなたとの連携なんてこの先一生涯できませんっ!」
「こっちのセリフだしーっ!」
「白姫さん、麓華さん!」
「もー、勝ったほうがケンカ始めないでよー」
 マリエッタと桐風があわてて止めに入るのだった。


「大丈夫ですか、みんな」
「お嬢様……」
 近づいてきたアリスを見て、ミアたちは弱々しく頭を下げた。
「申しわけありません……」
「な、何をあやまっているんですか! みんな、がんばったじゃないですか!」
「クリーヴランド家の馬として、その名を汚すようなことを……」
「そんなこと関係ありません!」
 力強く言い切る。
 そして、アリスはミアたちをまとめて抱きしめた。
「みんな、とてもがんばりました! 立派でした! みんながこんな立派な馬に育ってくれて自分はうれしいです! 誇らしいです!」
「お嬢……様……」
 腕の中でミアたちが涙するのがわかった。
「アリスの言う通りだ」
「っ……」
 ふり返ると、そこにはうんうんとうなずいている真緒と、困った顔でこちらと真緒を交互に見ている葉太郎の姿があった。
「真緒……隠れて見てようって言ったのに」
「なぜだ。隠れなければならないようなことなど何一つないぞ」
「それは……えーと」
 葉太郎があらためてこちらを見る。
「あ……」
 はっとなる。
 彼は――すべてわかっているのだ。
 今回の勝負のことを、アリスは屋敷のみんなや知り合いに秘密にしていた。決闘なんていうことになったその一因が自分にあるという負い目と、なるべく今回のことをおおげさな事件にしたくなかったからだ。
 しかし、葉太郎は気づいていた。
 そして真緒も――
「葉太郎が朝からそわそわしていたのだ」
 真緒が口を開く。
「何かあるのかと聞いたら、白姫たちが決闘をするというではないか」
「う……」
 情けない顔になり、すまなさそうな目をこちらに向ける葉太郎。
 騎士である葉太郎に嘘はつけない。問い詰められて、自分の知っていることを言わざるを得なかったのだろう。それでも、秘密にしていたことでアリスが自分自身を責めると思い、真緒と共に隠れていようとしたのだ。
「アリスは悪くない」
 こちらの思いを察したかのように真緒が口を開く。
「そうです、お嬢様は何も悪くありません!」
 ミアもあわてて声を張る。
「すべてわたしたちが悪いんです! お嬢様の迷惑も考えずに決闘などと……」
「おまえたちも悪くない」
 三つ子馬を見て真緒が言う。
 そして、にっこり笑い、
「よかったな」
「えっ」
「白姫たちとおまえたちは、ぶつかり合うことでお互いを知ることができた。だったら、もう友だちだ」
「真緒ちゃん……」
 思わず目をうるませるアリス。
 そこへ、
「ねー、見てたんだし、ヨウタロー」
 白姫がヒヅメをはずませながらやってくる。
「シロヒメ、強かったでしょー? でしょでしょー?」
「あ……!」
 またもはっとなる。
 今日の決闘のことを知らせたのは、きっと白姫だ。
 もっとも口止めしていたわけでもないので、しゃべられても仕方ないといえば仕方ない。それ以前に、アリスが白姫の『口止め』などできるはずがないのだが。
「う、うん、白姫、強かったよ」
「ぷりゅー❤」
 勢いに戸惑い気味の葉太郎に、白姫はすりすりと頬をすり寄せる。 
「白姫さん……」
「ぷりゅ?」
 ミアと姉妹たちがおずおずと白姫に近づく。
「今回の勝負……わたしたちの負けです」
「ぷりゅ」
 得意げに鼻を鳴らす白姫。
「だから……お嬢様のことはあきらめます」
「ぷりゅ?」
 白姫は首をかしげ、
「なんだし『あきらめる』って」
「だから、お嬢様のことです……」
 ミアは遠くに思いを馳せる目で、
「この勝負に勝ったらアリスお嬢様を連れて帰るつもりでしたが……」
「ぷりゅ!?」
「ええっ!?」
 白姫と共にアリスも驚きの声をあげる。
「な、なんですか、それ! そんな約束してませんよ!」
「約束?」
 今度はミアが不思議そうに首をかしげ、
「当然ではないですか。そのためにわたしたちは来たのですから」
「いや、その、そうなのかもしれないですけど……」
 あたふたとなりつつアリスは、
「まあ、でも、結果的に白姫たちが勝ったからそれは……」
「ぷりゅーっ!」
 パカーーーン!
「きゃあっ」
 突然アリスが蹴り飛ばされ、その場にいた全員があぜんとなる。
「な……」
 アリスは目に涙をため、
「なんでですか! なんで『パカーン』するんですか!」
「『パカーン』するし!」
 白姫は怒りをあらわに、
「失敗したんだし! 負けてればアリスがいなくなったんだし!」
「えええっ!?」
「だって、そうなんだし。アリス、ずっとうっとうしかったんだし。さっさと連れて帰ってくれてよかったんだし」
「うう……」
 アリスの目にあらたな涙がにじみ、
「なんてことを言ってるんですか! 友だちじゃないですか!」
「えー、気持ち悪いしー。ちょっと芸能人に会っただけで友だちとか言っちゃうイタい子みたいだしー」
「ちょっとじゃないですよ、自分と白姫は!」
「やかましーし!」
 パカーーーン!
「きゃあっ」
「ちょっとじゃないから、うっとうしいんだし」
「うううう……」
 立て続けの後ろ蹴りに、もはや涙にむせぶことしかできない。
 と、ミアたちがようやく我に返り、
「お嬢様に何を!」
「だから、アリスが『お嬢様』ってのが意味わかんねんだし。『アホ』って呼ばれるならわかるけど」
「アホじゃないです!」
「お嬢様に暴力だけでなく暴言まで!」
「ぼーげんじゃないんだし。アホはアリスの真実だし」
「真実じゃないです!」
「あらためて勝負です! 今度こそ勝ってお嬢様を連れて帰ります!」
「望むところだし。ただしそっちが負けてもアリスは連れて帰るんだし」
「勝手に決めないでください、そういうことを!」
「行くしーーっ!」
「勝負ーっ!」
「始めないでください、勝負をーーっ!」
 大騒ぎを始める白姫たちを見て、真緒がにこにこと、
「みんな、本当に仲がいいな」
「いい……のかなあ」
 あいまいな笑みを浮かべるしかないという葉太郎だった。

 三つ子馬との決闘から数日が経った――ある日、
「あの、白姫さん」
 並んで仲良く飼い葉を食べていたマリエッタが、おそるおそるというように隣の白姫に声をかけた。
「お願いがあるのですが……」
「ぷりゅ?」
 首をひねる白姫だったが、すぐにむっとした顔になり、
「だから、いちいちそういうのいいんだし」
「えっ」
「シロヒメとマリエッタは友だちなんだし。よそよそしー前置きとかいらないんだし」
「白姫さん……」
 うれしそうに頬が染まる。
「それで、なんなんだし?」
「はい……」
 一呼吸置いて、
「そろそろ……帰ろうと思うのです」
「帰る?」
「あっ、その、カン違いしないでください。ここはとても住みやすいところです。屋敷のみなさんも優しくしてくれますし」
「もちろんだし。みんな、シロヒメの家族なんだから」
 白姫が得意げに胸をそらす。
「わたしも……」
 かすかにうつむき、
「わたしの家族に……会いたいなって」
 白姫の目が丸くなる。と、すぐに微笑み、
「そうだったし。マリエッタにはちゃんと自分のおうちがあるんだし」
「はい」
「でも、またいつでも遊びに来てくれていいんだし。シロヒメもみんなも大歓迎なんだし」
「ありがとうございます」
 マリエッタはにっこり微笑んだ。
 こうして――マリエッタが元の家に戻ることが決まった。


「どこの家なのだ?」
「えっ」
 隣を歩く真緒の言葉に、葉太郎の目が泳いだ。
「だから、麓華が世話になっているおうちだ」
「それは……えーと」
 助けを求めるように反対側を見る。
 麓華の主人である銀髪の彼女――シルビアはしれっと、
「ウチ、知らんけど」
「ええっ!?」
「この島にいるのは間違いないわけやし」
「それはそうだけど……」
 アバウトすぎるというか、そこがシルビアらしいというか――
 しかし、葉太郎のほうも偉そうなことは言えない。自分もまたマリエッタが住んでいた家のことを知らないのだから。突然の『トレード』という成り行きに戸惑い、マリエッタが屋敷になじめるかという心配や三つ子馬たちの襲来もあって、すっかり聞くタイミングを逸していたのだ。
「なんだ、葉太郎も知らないのか」
 やれやれという顔を見せるも、真緒はすぐにうなずき、
「まあ、仕方ない。葉太郎は情けないからな。期待した私がよくなかった」
「う……」
 六歳の女の子の容赦ない言葉に、葉太郎はますます情けない顔になってしまう。
「それにこうしてマリエッタが案内してくれている。問題ないのだ」
「だよね……」
 真緒と共に、仲良く先を行く白姫とマリエッタに目を向ける。
 確かに――たどりつけるのは間違いないだろう。
 しかし、相手がどういう家かはまったくの未知なのだ。不安がないと言えば嘘になってしまう。『トレード』などという非常識なことをされて怒っていたとしてもまったくおかしくないはずだ。
 だから、真緒が「麓華を預かってくれたお礼をする」と言ったとき、あわてて自分もついていくことにしたのだ。
 麓華の主人であるシルビアが一緒に来たのは、ある意味当然のこととは思えたが。
「おお、ここか」
 しばらくして――
 一行がたどりついたのは、自分たちが暮らしている屋敷に劣らない、いやそれ以上の大きさと豪壮さを誇る邸宅だった。
「ここなのか、マリエッタの家は」
「ぷりゅ」
 マリエッタがうなずく。
「すこしここで待っていてください。いま、ご主人様を呼んできますから」
 そう言って、マリエッタは厩舎があるとおぼしき屋敷の裏手へと向かっていった。
「ぷりゅー」
 それほど経たず、白姫がじれったそうな鼻息をもらす。
「なんで待ってるんだし? シロヒメたちが会いに行ったほうが早いんだし」
「まあ、マリエッタがああ言ってるんだから……」
 不安もあって葉太郎は及び腰を見せる。白姫はたちまち不満そうに、
「別に、シロヒメたち、悪いことしに来たんじゃないんだし! なんでこそこそしないといけないんだし!」
「いや、こそこそしてるわけじゃ……」
「行くし! マリエッタのご主人様、見てくるし!」
「あっ、白姫……」
 わがままに引きずられ、葉太郎も彼女の後をついていく。
 と、そのとき、
「どうして帰ってきたんですの」
「……!」
 冷たい声を耳にして、葉太郎は足を止める。
「ぷりゅ……!」
 白姫の表情が険しくなる。
 その視線の先に、
「あなたより、この麓華のほうがとても騎士らしい馬ですわ」
 うなだれているマリエッタ。その前で、真緒と同い年くらいの黒いドレスの女の子が、真緒に勝るとも劣らない堂々とした態度を見せていた。
「あなたったら本当に……」
 黒いドレスの女の子は愚痴めいた言葉を続ける。
「本家にいる唯一の白馬だと聞いたから呼び寄せたのに。なのに、ちっとも騎士の馬らしくないんですもの」
 マリエッタは何も言わずにうなだれ続けている。
 白姫がかすかにふるえ始めたのに気づき、葉太郎はそっと背中に手を置いた。
「抑えて、白姫」
 と、麓華が責められるマリエッタの前に出る。
「なんですの、あなた? この子をかばおうというんですの」
 沈黙のまま静かな目を向ける麓華。
 女の子はいらだたしそうに、
「今日まであなたの面倒を見たのは誰です? そんな私に逆らおうと言うんですの! いいですわ、あなたもマリエッタもいりません! さっさといなくなってください!」
 白姫のふるえが大きくなる。
「抑えて、白姫! 抑えて!」
 そのときだった。
「シエラではないか」
 はっとなる葉太郎と白姫。シエラと呼ばれた黒いドレスの女の子も目を見張る。
「あなた……!」
 女の子の表情が見る見るこれまで以上の厳しいものに変わる。
「ちょっ……」
 葉太郎はあわてて物陰から飛び出した。
 きっと白姫と同じで待ちきれなくなったのだろう。いつの間にかやってきていた真緒は女の子に驚きの目を向け、
「そうか。ここはシエラの家だったのか」
「なれなれしく人の名前を呼ばないでください!」
 女の子が敵意むき出しで声を張る。
「あ、あの、真緒」
 葉太郎はあたふたと、
「知ってる子なの?」
「うむ」
 真緒はうなずき、
「シエラルーナ・ルストラ。学校の友だちだ」
「友だちではありませんっ!」
 またも女の子――シエラが声を張り上げる。真緒はそうでもないようだが、どうやら彼女のほうでは相当こちらを敵視しているようだ。
「そうか。マリエッタはシエラのうちの馬だったのか」
「フン」
 不機嫌さを隠そうともせずシエラがそっぽを向く。
「まったく。役に立たない馬ですわ」
「む?」
「あなたがいつも自分のうちの白馬を自慢するから。だからこちらにも白馬がいることを教えてさしあげたかったのに」
「教えてくれればよかったではないか」
 真緒は不思議そうに、
「私はマリエッタがシエラのところの馬だと知らなかったぞ」
「! どうしてこの子のことを知って……」
「知っていて当然だ。一緒に暮らしていたのだからな」
「えっ!」
 シエラの目がこれ以上なく見開かれる。マリエッタと真緒を交互に見て、
「じゃあ、この子がお世話になってた家って……」
「うむ。麓華も世話になったな」
 真緒が前に出る。手にした小さな包みを差し出し、
「お礼のクッキーだ。依子が焼いてくれたものだぞ。とてもおいしいからみんなで……」
 パシンッ!
「あっ」
 びっくりしたという声がこぼれる。
 シエラの手が横に払われ、クッキーの包みを払い落としたのだ。
「……屈辱ですわ」
 忌々しげにつぶやく。
 その目が、キッとマリエッタに向けられ、
「あなたなんていりませんわ!」
 再度の言葉にマリエッタの瞳がゆれる。
「気が弱くておどおどしていて! ぜんぜん私が望んていた白馬と違った! その上、鬼堂院真緒のところにいたなんて!」
「違うぞ、シエラ。マリエッタはとても強くなって……」
「そんなこと知りませんわ!」
 激しく頭をふる。そしてあらためてマリエッタを指さし、
「あなたは最低な馬です! 騎士の家の馬失格です! 二度と私の目の前に……」
 そのときだった。
「!」
 するどいいななきに、その場にいた者すべてが動きを止めた。
「あ……」
 あぜんとした声をもらす葉太郎。
 白姫だった。
 彼女の生まれたときからそばにいた葉太郎だが、静かながらここまで怒りをたぎらせる姿を見たのは初めてのことだった。
「な、なんですの……」
 シエラの声がふるえる。
 と、そんな彼女をかばうように、マリエッタが前に立った。
「どいてだし」
 静かな表情のまま。白姫が言う。
 弱々しいながら、それでもはっきりとマリエッタは首を横にふった。
「その子はマリエッタを傷つけたんだし」
 落ち着いた口調の中に強い怒りをこめて、
「シロヒメの大切な友だちを傷つけたんだし。許せないんだし」
 何も言えないまま、マリエッタは首を横にふり続ける。
「どくし」
 再び。白姫は言った。
 そして、
「どくんだし!」
 強い声と共に無理やりマリエッタをどかそうと――
「――!」
 マリエッタが身をひるがえした。
「!」
 パカーーーーーン!
 ヒヅメの撃ち出される音が曇り空の下にこだました。

「本当にお世話になりました」
 ぷりゅ。
 港まで見送りに来てくれた葉太郎たちに、マリエッタは折り目正しく頭を下げた。平静を装っているつもりだろうが、そこに元気がないのは明らかだった。
「あの……」
 誰かを探すように、かすかに視線をさ迷わせる。
 しかし、すぐあきらめたようにその目は伏せられる。
 彼女が誰の姿を求めているか、葉太郎には痛いほどわかった。
(白姫……)
 結局、マリエッタは元いた家に帰されることになった。シエラがそう言い出したこともあったが、何より突然暴力をふるうような馬は〝危険〟と判断されたのだ。
 そう――あの日、マリエッタは白姫を蹴った。
 誰より仲良くしてくれた白姫をだ。
 あれ以来、白姫とマリエッタは会っていない。そして、こうして別れの日を迎えてしまったのだ。
「元気でね、マリエッタ」
 葉太郎にはそれくらいしかかける言葉がなかった。
 見送りの一同の中にいた麓華が、
「マリエッタ……」
 何か言いかけるも、それ以上何も言えずにうつむく。
 きっと白姫のことを言おうとしたのだろう。しかし、彼女の名前を出すこと自体がマリエッタを傷つけるととっさに悟ったのだ。
 そんな麓華をフォローするように桐風が前に出る。
「いつでもまた遊びに来てね、マリエッタちゃん」
「でも……お許しがなければ」
「いいっていいって、そんなの。三つ子馬ちゃんたちだって家出してきたんだし」
「……そうですね」
 マリエッタの口もとにかすかに笑みが浮かぶ。
 しかし、それはすぐに消えた。
「それでは、これで」
 ぷりゅ。再び力なく頭を下げ、マリエッタは船に乗ろうと――
「待つのだ!」
「っ」
 そのときだった。
「真緒……」
 ふり向いた葉太郎が見たのは、しかし、真緒だけではなかった。
「シエラ……様……」
 マリエッタの声がふるえる。
 無理やりつれてこられたと言いたそうに、真緒に手を引かれてそこに黒いドレスの女の子が立っていた。
「ほら、シエラ」
「よ、よけいなお世話ですわ」
 そう言ってシエラは真緒の手を払う。
「……!」
 前に出てこられて、マリエッタはとっさに後ずさりそうな様子を見せる。
 シエラは顔をそむけつつ、ぽつり、
「カン違いしないでください。鬼堂院真緒につれてこられなくても……自分で来るつもりでした」
 そして、
「………………」
 気まずそうながらも、シエラはマリエッタの目を見つめ、
「ありがとう」
「!」
「それだけ……言いたかったんです」
 そこに真緒が苦笑しつつ、
「違うだろう、シエラ」
「だっ、だからよけいなお世話だと言っているでしょう!」
 大声と共に頬を染めたシエラは、再びおずおずとマリエッタに向き合い、
「も……戻ってきたください」
 マリエッタが目を見開く。
「あなたが私を守ってくれた姿……とても……凛々しかったです」
「そんな……」
「ごめんなさい」
 あれだけ傲岸さを見せたシエラが頭を下げた。
「あなたのこと、情けないなんて言って。ひどいことをたくさん言って」
「シエラ様……」
 マリエッタの目に涙がにじむ。
「シエラ様は悪くありません……わたしが……」
 むせびながら彼女は、
「うれしかったんです。シエラ様が……こんなわたしを必要としてくれる方がいてくれたことが」
「マリエッタ……」
 涙するその姿にシエラも目もとをゆらす。
「許してやってくれ、マリエッタ」
 真緒が笑顔で言う。
「シエラもこうして反省していることだからな」
「ちょっ……! だから、なぜ、あなたがそういうことを言うんです!」
 さらに顔を真っ赤にして真緒に詰め寄るシエラ。そんな二人を見て、ようやくマリエッタの顔にもじわじわと喜びの色が広がり始める。
 と、そのときだった。
「はーくばーのともはー、いーまーもーとも~♪」
「!」
 全員がはっと顔を上げる。
「ぷりゅとおまえとー、ぷりゅぷりゅぅ~♪」
 のんきなメロディに乗せて届いた歌声。その先にいたのは、
「白姫さん!」
 誰より早くマリエッタが名前を呼ぶ。
 その白い馬影は、なんと彼女が乗るはずの船の甲板上にあった。
 ――と、
「ぷりゅ!?」
 驚きの鳴き声をあげるマリエッタ。
 彼女は――その顔に仮面をつけていた。
「なぜ仮面……」
「意味がわからないところが白姫ちゃんらしいってカンジだよねー」
 麓華と桐風がそんな会話を交わしていると、
「ぷりゅーっ!」
 跳んだ。
 一同が目を見張る中、仮面の白馬は空中で華麗な回転を見せ、そのまま船の前の埠頭へ着地した。
「なんてことを……」
「相変わらず器用だよねー」
「器用という問題ですか、これは……」
 麓華と桐風がそう言い合う中、
「……!」
 白馬が――シエラに近づく。
「っ」
 とっさに彼女を守ろうとするマリエッタ。すると、
「ぷりゅんなさい」
 ぺこり。
 白馬はシエラに向かって頭を下げた。
「怒って、こわがらせちゃって、ぷりゅんなさい」
「………………」
 声をなくすシエラ。
 と、白馬の視線がマリエッタに向けられる。
「っ……」
 あたふたと足踏みをするマリエッタ。そんな彼女に白馬は微笑み、
「また馬見知りに戻っちゃったんだし?」
「………………」
 何も言えないままでいると、白馬は前脚で器用に仮面を取った。
 素顔をあらわにした――そこには、
「シロヒメだし」
「………………」
「シロヒメなんだし。だから……」
 白姫はあらためて微笑み、
「何も怖くないんだし」
「……!」
 マリエッタはの身体がふるえる。
「ご……ごめんな……」
 こらえていたものがあふれるように白い頬を涙が伝う。
「ごめんなさい……白姫さん……」
「マリエッタは何も悪くないんだし」
 つられて白姫も涙ぐむ。
「ご主人様を守るのは、騎士の馬として当然だし」
「でも、白姫さんにあんな……」
「いいんだし」
 あらためて。白姫は力強く言う。
「仲のいい友だちがケンカするのは当たり前なんだし」
「そうですね……」
 マリエッタが微笑む。
「白姫さんと麓華さんもとても仲良しだから……」
「あの子とはそういうんじゃないんだし!」
 あわてて白姫が声を張り上げる。
 くすっ。笑うマリエッタ。
 はっとなった白姫も決まり悪そうに笑う。
 そして、彼女たちはそっと身を寄せ合った。
 笑いながら。涙しながら。


 そして――
 マリエッタは再び島で暮らすことになった。
「もー、シエラはしょーがないんだしー」
 やれやれというように肩をすくめる白姫に、マリエッタが苦笑する。
 久しぶりに屋敷に遊びに来たマリエッタ。そんな彼女から、シエラがまたも真緒にライバル心をむき出しにしているという話を聞いての感想だった。
「シエラも悪い子じゃないんだし。ちゃんとマリエッタの大切さに気づいたから」
「はい」
「だったら、真緒と仲良くしていいんだし。白姫とマリエッタみたいに」
「そうですよね」
 うれしそうにうなずき、マリエッタは白姫と微笑みあう。
 そこに、
「いらっしゃい、マリエッタ」
「あっ、麓華さん」
 麓華がマリエッタに笑顔を見せる。
 と、すぐに険しい目が白姫に注がれ、
「なぜ教えなかったのです。マリエッタが来ていると」
 白姫はしれっと横を向き、
「別に教える必要ないし。マリエッタはシロヒメに会いに来たんだし。シロヒメだけに」
「ぷりゅ!」
 たちまち麓華の目がつり上がり、
「そのようなわけないでしょう! マリエッタはわたしの友だちです!」
「シロヒメ〝の〟友だちだし!」
「「ぷりゅぅー!」」
 顔を突きつけ合い、鼻息を荒くしていく白姫と麓華。
「もー、自分たちこそ仲良くすればいいのにー」
「桐風さん」
 いつの間にか隣にいた桐風に、マリエッタが目を丸くする。
 桐風は先ほどの白姫と同じやれやれ顔で、
「こっちは人間と馬が逆になっちゃってるよねー。ご主人様同士は仲良しなんだから」
「言われてみれば……そうですね」
 いま気づいたというようにマリエッタもうなずく。
 しかし、すぐに心配していないという顔で、
「本当はどっちもいい子ってところも同じですよね」
「それはそうなんだけどねー」
 ため息をつきつつ、ケンカする白姫たちのほうを再び見る。
「だいたい、なんで戻ってきたんだし! ずっと向こうにトレードされてればいいんだし!」
「あなたこそトレードされてきなさい! いえ、トレードなどなしにあなただけ出ていきなさい!」
「なんでシロヒメが出ていかなきゃなんないし! 出ていくならそっちだし!」
「そっちです!」
「「ぷりゅぅぅぅぅぅぅっ!!!」」
 白姫たちはどんどんエスカレートしていく。
「あー、そろそろヒヅメが出るかなー」
「ええっ!?」
 のんきに言う桐風にマリエッタが悲鳴をあげる。
 そして、あたふたと、
「あ、あの、それくらいに……」
「ぷりゅーっ!」
「くらいなさーい!」
「あの、だから暴力は……ケンカは……や、やめてくださーーーーい!」
 パカーーーン! パカーーーン!
「ぷりゅっ!」
「ぐふっ!」
「あああぁっ!」
 またもあがるマリエッタの悲鳴。
 勢いで白姫と桐風を蹴り飛ばしてしまった彼女は涙目になり、
「ごめんなさい! そんなつもりじゃ……」
「マ、マリエッタ、いい蹴り持ってんだし……」
「特訓の成果が出ていますわ……」
 ――ガクッ。
「きゃあっ! し、しっかりしてください!」
 あらたな悲鳴が響く中、桐風はあくまでのんきに、
「もうこれでマリエッタちゃんの馬見知りの心配はないかなー」
「白姫さん、麓華さん! ああっ、わたしなんてやっぱりいなくなったほうが……っていまはそんなことを言ってる場合じゃなくて! 白姫さん、麓華さーーん!」

シロヒメと初めてのハク友なんだしっ♡

シロヒメと初めてのハク友なんだしっ♡

  • 小説
  • 中編
  • 青春
  • アクション
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-08-21

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

Derivative work