非文学少年
絶筆
私は文学少年ではない。
他人の作品は気にくわない。
緻密なものではなく抽象的なものに惹かれる。
難しい言い回しは苦手である。
しかし、物心が付く頃には自由に文字を使えたし
今尚、刺激を受けている。
学生の頃、文芸部だった私は頑なに絵本を読んだ。
私にとっては、想像力の方が必要であった。
あたりまえのように生きている同級生と
長時間居ることに段々と不安が襲った。
私はこの人達に必要なのだろうか。
答えが直ぐに分かった私は自ら相談に乗った。
しかし、やはり終われば頼られることもない。
今頃、幸せに生きていますか。
学生の頃、授業中、休み時間、ひたすらに詩を書いた。
私にとって、それは単なる趣味ではなく生きがいであった。
宮沢賢治、石川啄木、岩手の図書館で目にする度に見つめる、
彼らの作品は興味がない。
人生に好奇心が沸く。
それは、人生をどうしようかと考えるばかりで
私はまだ何も行動できていないからだ。
良い見本でも、悪い見本でも構わない。
感化されやすい私に影響を与えたのは事実だ。
根本的に、人の前に立つのは好きではない、
人ごみの中に居るのも気持ちが悪い。
そもそも、大体の人が私を嫌いだ。
しかし、脈が後何回打つかも分からない。
いつ交通事故に合うかも分からない。
それなら、引き出しから外に出したいと思う。
ある日、文学は頭のおかしい私を肯定してくれた。
ならば、私も文学少年でありたいと思う。
非文学少年