『暁蕣花の咲く処』(ある子竜の物語)第2章〈3〉 ~フラットアース物語②

〈3〉

閉ざしていた感覚器を目覚めさせて、まず、辺りの様子を(うかが)った。
ひんやりとした空気が暗い穴を満たしていて、穴の中に生物達の波動(けはい)は少なかった。最高強度に張っていた結界を少しずつ弱めて、意識を穴の中に伸ばした。

どうやら今は夜で、外は雪の季節になっているようだった。まだ穴の入り口を(おお)うほどではないが、降り積もった雪が、出入り口を半分ほど埋めていた。

感覚を閉ざす前、覚えている季節は夏の盛りだったから、季節は確実に移り変わっていた。この調子で、一体どれだけの時間を費やしたのだろう?
卵の洞窟からここまで、外を見ることが出来ない方が多かったから、正確な時間なんてとっくに分からなくなっていた。けれど、この穴の中で再び雪の季節を迎えようとしている。それは、少なくともここで一年を過ごした、ということだ。

小さな穴の中で、頭をぶつけないように背伸びをしてから、ごそごそと穴の中から()い出した。そして、出入り口近くまで、雪を()き分けながら登っていった。
相も変わらず、外は強い風が吹き付けていて、一歩も出ることができなかった。
でも、これまでの経験から、今が一年の中でも最も風の強い季節なのだと分かって来ていた。外に出るなら夏の初め、小さな虫達がつがいの舞いを舞う、あの夜だと考えていた。あの日の前後なら、風の弱まる時間帯があるはずだ。

(もち)論、それまでの間も(あきら)めたわけではなく、すっと外に出る機会を(うかが)ってはいた。
けれど、来る日も来る日も雪まじりの強風が吹き付けて来て、続く数日で、穴の出入り口はすっかり雪に閉ざされてしまった。

閉ざされた穴の中で待つ時間は、気の遠くなるほど長かった。外の様子を見るために掘った雪の通路を、日に何度も登っていったのは、二度や三度のことではなかった。
だから、(あせ)る気持ちを紛らわせる為に、穴の中にいる小さな生物に変化して、その生活を学ぶことにした。

生物が、大きく二つに分けられるということを知ったのは、その穴の中だった。
一つは、一度変化したことのある、あの茶色の甲を持つ虫達のような、動くもの。それから、この穴の中では大多数を占めている、動かない生物だ。
こちらは、警戒線に触れても逃げない生物だった。それもそのはず、それらは一生をほとんど動くことなく過ごすのだ。

草木や花、それから野菜や果物は動かないものだ。それらは植物と呼ぶのだと言うことは、母から教わって知っていた。けれど、この穴の中の動かない生物とは、ちっとも結びつかなかった。だって、あまりにも違う姿だったからだ。

ここにいる動かない生物達は、冷たく乾いた季節、つまり今の季節は、地中に潜ってじっとしている。動く生物達も、同じように冬は動かずに眠っているけれど、それとは違って、土の中で、まるで小さな枯れ枝や糸の塊みたいな姿をして、冬越しをしているのだ。それらは、雪が解けて地面が湿る春が来ると、枝や糸だった姿が激変して、それぞれの形になった。

それぞれの形っていうのは、地面の上を(おお)う薄い膜みたいなものやら、一枚の褐色の円盤に細かな毛が生えたような形とか、あとは、細長い茎の先に大きな楕円の玉をくっつけた形や筒に似たもの、植物みたいに緑の葉を出して広がっているものもあった。
それ以外にも、まだまだ面白い形のものがたくさんあったけれど、とにかくそれらは、夏の初めに雨が降って、この穴の中に水が入って来ると、一斉に無数の小さな粒子を放出した。
一本か二本の細長いしっぽを持ったその粒子は、雨でできた水溜まりの中を泳いで行って、生まれた場所から離れた所で、またそれぞれの形になった。

それから、雪が解けて冬眠していた虫達が這い出して来ると、動く生物にも変化してみた。と言うより、雪がなくなって外が見えるようになると、ほんの少しの間も落ち着いていることが出来なかったのだ。
一日に何度も外を見に出て行き、落胆して戻って来ては、手当たり次第に目についた生物に変化して、ひたすら待つだけの時間をやり過ごしていた、というのが実情だった。

とうとう穴の中で新しい生物を見つけられなくなった頃、記憶をたどって、試しにヒトの体になれないものかとやってみた。けれど、それはさっぱり上手く行かなかった。ヒトに近い姿になるどころか、身体は少しも変わらなかった。やっぱり定義が言うように、気力を溜めてもっと大きくならないと無理みたいだ。そう思って諦めた。

春が過ぎて、雨の降り続く季節を越えると、一気に大気が熱を帯びた。その頃になると、盛んに穴を出入りする虫達を横目に見ながら、一日の大半を穴の出入り口近くで過ごすことが多くなった。
本当はその先、空が見える所まで出て行きたかったのだけど、夏の陽光は強すぎて、その熱くて鋭い波動に耐えることが出来なかったのだ。だから仕方なく、昼の間は、日差しの入ってこない場所で外の様子を(うかが)った。そして夜は通路の先まで出て、(わず)かに見える空を見続けていた。

外は相変わらずの強い風が吹き付けていたが、この数日、小さな茶色の虫達が、羽を広げて大きさを競っている姿を見ることが増えた。
(もうすぐだ。もう少しで、ここを出られる。)

少しでも風が弱まったら、小さな茶色の虫に変化してここを出ようと考えていた。これまで様々な生物に変化してみて、その姿が一番飛ぶのに適していると分かったからだ。なにしろ、この穴を出ても、安全な場所までどれだけの距離があるのか分からないのだ。もたもた登っていては、途中で風が強まる危険がある。それに虫の姿ならば、少しくらい岩に接触しても、頑強な甲殻が守ってくれるだろうと思った。
(もうすぐ。)
それだけを言い聞かせて、その時を待ち続けた。


そして、蒸すような暑さが幾日か続いたある夕方、辺りが薄暗くなって来ると同時に風が止んだ。それと前後して、穴の奥にいた虫達が、一斉に穴の外を目指して動き出した。ほとんど目の見えないこの小さな虫は、匂いと大気の流れには非常に敏感だった。僅かに風の向きが変わるだけでも、彼らはそれを正確に知ることが出来た。虫達は、穴の出口まで来ると、羽を広げて次々と飛び立って行った。

それを横目に眺めながら、穴の開口部を(さえぎ)るように突き出した大岩の上に登った。
遮るものなく眼下に広がった大地は、まさに今、夕闇の中に溶け込んで行こうとしているところだった。足元の遥か下から広がる黒々とした地面は、反対側の地平で横一直線に連なる山の稜線となって、夕暮れの空を切り分けていた。
その夕闇の底を、途切れ途切れに延びている灰白色の道の先に、ぼんやりとした朱色の明かりが見えた。

それを確認して、茶色の虫の姿に変化した。一瞬、そのままあの明かりの場所まで飛んで行けないだろうかと考えたが、変化してみると、それが無理なことだと分かった。
すぐ眼下に見えている山裾の森までも、飛び続けるにはあまりにも遠かったのだ。その前に風が戻って来てしまう、と茶色の虫の感覚が告げていた。
(とにかくここから出て、風を避けられる所を探さなくちゃ。)
それには少しでも時間があるに越したことはない。そう考えて、すぐさま羽を広げて、岩から飛び立った。

辺りを盛んに飛び回る虫達の間を抜けて、穴のあった岩棚を離れると、辺りは急に静かになった。緩やかに吹き上げて来る山の風を捕まえて、岩壁沿いに、できる限りの速さで飛び続けた。。
虫の姿は、少しくらいの風なら安定して飛ぶことが出来たが、周囲に何も遮る物もない場所で、その小さな体は、あまりにも頼りないように思われた。

その内に、日が落ちて風が戻って来た。避難できる場所はないかと辺りを眺め渡した時、ふと甘い匂いが漂ってきた。そびえ立つ岩壁を見上げると、視界の先に、風に揺れる木々の影が見えた。それに励まされて、強くなってきた風の中を飛んだ。

切り立った岩壁が途切れると、代わりに立ち並ぶ木々が見えた。星影に明るく照らし出された木立の奥から、抗い難いとても良い香りがしていた。
それは、星明かりを受けて夜空に浮かぶ白い(つぼみ)だった。蕾があるのは、木の高さの真ん中あたりだ。幹を()い登るように伸びた(つる)の先端は、暗い夜空に消えていた。

そうやって幹を見上げていると、急に冷たい風がざぁっと吹き寄せて来て、夜空に(きら)めいていた星影が陰った。それから、ぱらぱらと木の葉を叩く音が聞こえた。何かと思うまもなく、音は強まり、すぐに叩きつけるような雨となって降りだした。

小さな虫の体は、たちまちずぶ()れになって、それ以上は飛び続けられなくなった。慌てて変化を解くと、目の前の木の根元に開いた穴に駆け込んだ。穴の中では気配に驚いた小さな生物達が、木の割れ目や土の中にさっと潜り込んで行くのが見えた。

しばらく待っても、雨は止むどころか、ますます強くなっていった。
それにしても、篠突く雨の中だと言うのに、依然として辺りには魅惑的な香りが漂っていた。あの花の香りに心引かれるのは、匂いに敏感な虫の姿に変化している所為(せい)だと思っていたけれど、香りはむしろ、元の姿に戻ってからの方が、より強く感じられた。

それは何だか懐かしい香りだった。と言っても、どこかでその花を見たことがあると言うのではなかった。けれどもその香りは、何となく母を思い出させた。それは具体的な何か、母の使っていた香水の匂いだとか、そんなものではなかった。
ただ、何だか懐かしいものを思い出させる匂いと言うのか。本当に何と表現すればいいのか分からないけれど、それは、ぎゅっと心が締め付けられるような香りだった。

だから雨音を聞きながら、記憶を再生して、母の声を思い出していた。その記憶の中の母の姿は、ぼんやりとした影でしかなかった。それは生まれたばかりで、体を上手く扱うことが出来なかったからだ。
焦点の合わない視界に見えているのは、(うる)んだ二つの大きな黒い瞳だけだったが、母の波動は優しく、喜びに満ちていた。
(帰ったら今度こそ、あの時伝えられなかった言葉を伝えよう。)
そんなことを考えていたら、いつの間にか雨音が止んでいた。

木の(うろ)から顔を出して外を(うかが)ってみると、雲ひとつない中空に、半分になった月が浮かんでいるのが見えた。その冴え冴えとした月の光を浴びて、さっきの白い蕾が一つ、今まさに解けて花開こうとしていた。
その香りに引き寄せられるように穴を出て、木の幹を登って行った。長い年月をこの場所で過ごしたであろう木は、すでにその命を終えていて、その枯れた幹を飾るように取り巻いた(つた)草の緑葉は、雨に洗われて艶やかに月光を映し出していた。

白い花は、顔の大きさほどもある大きなものだった。ゆっくりと花弁が解けて行くにつれて、花の周りに月の光が集まって来るような気がした。それくらい、花の周囲は明るさに満ちていた。
月を見上げるように開いた漏斗状の大きな花弁の上を、すっと一条、玉のような水滴が流れ落ちた。まるで涙みたいだ、と思った時、ふと波動(ひかり)を感じた。

振り返ると、地平線をうっすらと染める白い光と、その光を導くように輝く一番星、女神の宝珠が見えた。花は輝くばかりの光と強い芳香を(まと)い、明けの星を迎えて微笑んでいるように見えた。

不意に、母の歌ってくれた子守唄が耳によみがえって来て、思わず笑い声を上げた。
『おやすみ赤ちゃん、女神の宝珠(ほし)が沈む時、花も小鳥も子ねずみも、みんなお家で眠る時間(とき)。小夜鳴き鳥が歌う時、空のお月も星の子も、今は抱かれて眠る時間……。』
記憶の中の母の声を聞きながら、夢のようなその美しい光景に見()れていた。

花は、東の空に薄明かりが広がるにつれて、その力を失って行った。それはまるで、花が光輝(いのち)を暗い空へと送り出して、天を明るくしているかのように思われた。
やがて、東の地平線に太陽が姿を現した頃には、白い花はすっかり(しぼ)んで、地面に落ちてしまった。

そのまま少しの間、蔦草の絡んだ幹の上から、花の名残を眺めていた。
けれども、すぐに陽光が強くなってきたので、大急ぎで日差しを遮ってくれる道を探した。しかし、その場所から見えたのは、草地をぐるりと取り囲むように立っている木々だけだった。どちらの方向も、それなりに木陰が続いていて、一方が上り斜面になっている以外は、どこへ向いても同じように見えた。

(どっちへ行けば良いのだろう。)
そう思った時、何かひやりとしたものが、体の中を通り抜けた感じがした。それは、直感と言うか、本能と言うのか、天の助けと言おうか。とにかく、後から思い出しても、よくぞそれに気が付いた、と言うほかなかった。

突然、思いもよらない方向から、それは枝も葉もなく見通しの良い枯れ木の上からだった。そこから、ほとんど透明のひらひらした布みたいなものがこちらに(おお)(かぶ)さって来て、とっさに体を預けていた幹を()って、地面に飛び降りた。
相手は、獲物が目の前から消えたことに戸惑って動きを止めたが、それは本当に、ちょっとの間のことだった。視線を背中に感じて振り返ると、相手はくるりと宙返りをして向きを変え、こちらの方へ、文字通り宙を飛ぶ矢となって向かって来た。

一瞬、走って逃げるより飛ぶ方が早いかも、と考えたが、相手のその姿を見て考えを変えた。と言うより、無理だと悟った。
相手の速度が速すぎるのだ。ともかく全力で走って逃げ出した。走り出してから、この風の中では飛ぶのは難しい、ということをようやく思い出した。

何としても追いつかれてはならない、と感じていた。
(あれは結界で阻むことの出来る相手じゃない。僅かだけど、相手の方が気力(ちから)が大きい。)
取りつかれてしまったら、呑まれるのはこちらの方だと、頭の中で声がしていた。

だから、わざと見通しの悪い下生えの中を選んで、木々の間をジグザグに()うように走った。その作戦は功を奏して、相手が障害物を避けるために速度を落としている間に、距離を稼ぐことが出来た。
しかし相手は、姿の見えないはずのこちらの居場所を、正確に察知して追いかけて来るので、なかなか差を広げることが出来ないでいた。

ひときわ繁茂した木立の中を通り過ぎると、視界が急に明るくなった。そこは広い草地になっていたのだ。しまった、と思ったが、もう足を緩める訳には行かなかった。
(どうしよう。強い日差しの下では、痛みで動けなくなってしまう。)

草地を避けて回り込みながら、意識を背後に迫る生物に向けた。
追いかけて来るのは仲間だと、波動を感じる方の視覚()が教えてくれた。仲間と言うのは大雑把な言い方だが、これまでに出会った生物の中で、最も近い生物であることには違いなかった。

(同じような生物なら、相手も強い光が苦手だと良いけれど……。)
と、いう甘い考えは、すぐに打ち砕かれた。こちらが日差しを避けて草むらの中を回り道している間にも、相手は、陽光をものともせずに、草地を突っ切って近付いて来たのだ。

運の悪いことに、草地の奥は急峻(きゅうしゅん)な岩場になっていた。このままでは斜面の方に追い込まれてしまうと思って、わざと足を緩めて相手を引き付けた。
それから、近くの岩陰に飛び込んで、そのまま相手の背後に回り込むように全力で駆け抜けた。

走りながら、横目で追いかけて来るものの姿を確かめると、それはもう一つの感覚が教えてくれていたように、自分と同じく流動体の生き物だった。
その生き物の名前は知らないが、その姿は、原体を少し強くしたものと言えば良いのか。少なくとも原体よりは、はっきりとした実体を持つ生物だった。とは言っても、単純な形をしていたから、恐らくは、原体とそう変わらない生物なのだろう。

その生き物の紡錘型の〈核心(コア)〉の左右には、透明の薄い膜を張ったような三角の翼があって、その中心(コア)の蒼みを帯びた波動が、妙に印象的だった。
体の大きさはこちらの半分程度しかなかったが、こちらが気力(エネルギー)を失って薄くなっている分、相手の方がはっきりとした実体を持っていると言えた。

(あちらから見れば、こっちが原体に見えるだろうな。)
しかし、相手が同じような生物ならば、こうやって逃げ回るのは得策ではなかった。なにしろ、相手が草木や岩の向こう側にいても、もう一つの視覚で正確にその位置を知ることが出来るのだから、後はどちらが先に気力を使い果たすか、というだけのことだった。

勿論、(わず)かとは言え、気力の小さいこちらの方が圧倒的に不利だ、と頭の中の声は言った。僅かな気力の差でも、それを(くつがえ)すことは不可能に近い。だから我々は、接触を避けて結界するのだ。と、こんな時でも淡々と、頭の中の声は定義を読み上げる。
(でもそれならば、取るべき方法はそう多くない。)

同じく流動体で、接触を苦手とする生物を避けるなら、より大きな物質(エネルギー)を盾にすることだ。例えば土や木、それから炎、水、光、何でも良いのだ。こちらがそれに逃げ込むことが出来て、相手がそれを苦手とするもの。
それを壁にして、距離と時間を稼ぐのだ。容易に追跡できないとなれば、よほどの理由がない限り諦めるだろう。

(問題は何を盾にするか、ということなのだけど……。)
近くにあるもの、と周囲を見たが、土や木に穴を掘る能力はないし、光はさっき確かめたように、相手の足を緩めることは出来なかった。炎ならばあるいは壁に出来るのかもしれないが、大きな炎でなければ時間稼ぎにはならないし、生憎と辺りにはすぐに火を付けられそうなものは見当たらなかった。

それならば、と思った時、背後に気配を感じて、横っ飛びに転がった。
どうやら考えに気を取られていて、逃げ足が鈍っていたようだ。相手が急旋回できずにもたもたしている間に、体勢を立て直して走り出した。
目標は近くに見えている紅い花だ。走りながら、そのすぐ側に岩の隙間があるのを見つけたのだ。

穴に駆け寄ると、それが奥まで続いていることを確認して、その中に飛び込んだ。ここでは、相手よりも、身の内に持つ気力が小さいことが有利に働いた。
獲物を捕らえたと言わんばかりの波動が背中に届く、その一歩先に、辛うじて身体を縮め、岩の割れ目を通り抜けられたのだ。そうして奥に広がる洞窟の中へと、半ば落下するように降りて行った。

地面に降り立ってから見上げると、相手はまだ穴の外をうろついていた。しかし、それも無理はないことだ。岩の裂け目は、相手の気力と体の大きさからすれば、ようやく()り抜けられる程度の隙間しかなかった。流動体の生物は、身体への接触を何よりも嫌う。

だから、もしかしたら、相手がその隙間を通ることを嫌がって、諦めてくれるかもしれない、と思った。けれども、ここまでしつこく追いかけて来たことを考えれば、そうでない可能性も充分に考えられる。
(これまでのように広い所を走っていたのでは、こちらに分がない。今の内に距離を稼いでおいて、どこかさっきよりも狭くて……相手が通り抜けられない大きさの岩穴にでも入って、追跡を諦めさせるしかない。)

そう考えて、走りながら、感覚器を総動員して岩壁の隙間を探した。
しかし、手近な高さで奥行きのある、それでいて入り口の狭い穴、という条件を満たすものは、そう簡単には見つからなかった。
そうこうしている間に、相手の気配が、洞窟の中に入り込んで来たのを感じた。

距離は離れていたが、相手の飛ぶ速さは、こちらが全力で走っても、とても振り切れるものではない。なので、すぐさま壁際を諦めて、近くにあった天井の低い通路の方へ足を向けた。
けれど、通路の途中では、低い天井から突き出た岩が、あちらこちらで行く手を遮り、思うように速度は上がらなかった。

(このまま走っていては、追い付かれるのは時間の問題だ。)
だから、そこにそれがいることを期待して、真っ暗な穴の中をもう一つの目で探りながら、奥へ奥へと駆け進んで行った。
(いた……!)
思っていた通りに、探していたものを見つけて、動きが鈍くなるのを覚悟の上で、外縁に気力を集中させた。

そうして通路の先の広い場所に飛び込むと、気配に驚いた〈彼ら〉が一斉に騒ぎ出し、まず数匹がこちらに向かって飛んで来た。それらを、なるべく頭を低くしてやり過ごしてから、また全力で走り出した。
騒ぎはたちまち彼らの群れ全体に広がり、羽毛のない黒い翼の生物達が数十匹、通路のまわりに集まって盛んに飛び回り始めた。後を追って来たものは、その黒い翼の生物に取り囲まれ、困惑して足を止めた。
それを確認して、更に洞窟の奥へと逃げ出した。

『暁蕣花の咲く処』(ある子竜の物語)第2章〈3〉 ~フラットアース物語②

『暁蕣花の咲く処』(ある子竜の物語)第2章〈3〉 ~フラットアース物語②

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-08-19

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