ソラ

さんかい

  1. 1 ひねくれものの後輩君、ちょっと変わった先客さん
  2. 2 鬼婆様
  3. 3 中庭 side,僕
  4. 4 中庭で side,私
  5. 5 中庭で side,おれ
  6. 6 中庭で side,わたし

Dear かのんせんぱい&まほ
ところどころアレンジしております。しばらく見覚えのある光景が続きますが、見捨てないで見てあげてください。私が飛んで喜びます。

1 ひねくれものの後輩君、ちょっと変わった先客さん

まだ梅雨の香りも抜けきらない7月某日。その日の天気は僕の心をまるでそのまま映したみたいで、やけに気味の悪い雲が立ち込めていた。
コンプレックスの小さな背はきっちりと車椅子の中に収まっている。別に機嫌を悪くする必要もないことにこれほどまでに苛立っているのは、やはり心の不具合が原因だろうか。

下を向いているから、すれ違う人たちの顔が見えない。
足下しか見えていないから、見えない。
だから他人の気持ちなんて知らない。知りたくもない。

僕は、なぜこんなところにいるのだろうか。
僕が、一体何をしたっていうんだろうか。

……わからない。
では誰が悪いのだろう。

わからない。
僕は何も覚えていない。
気がついたら病院にいて、家族がいて、そしてなぜか僕は、身に覚えのない怪我をしていた。

いわゆる、PTSDってやつらしい。よくわかんないけど。

僕は、交通事故に遭ったらしい。学校帰りに、家の近くの交差点で。
だけど何も覚えていない。
事故の記憶どころか、その日1日の記憶が、すっぽり抜け落ちたように忘れている。

もうひとつわかることは、僕が物凄く運がよかったということ。

だって、僕は足の骨折くらいしか怪我をしていない。
いや、本当はもっと大怪我してたっておかしくなかったのだ。生きてたことすら奇跡だというのに、これだけで済んで本当によかった。
その割には意識不明の状態が長く続いていたから医者も心配したらしいけど、まあ起きたんだし、結果オーライだろう。

……結果オーライ、なんだけどね。

忘れてはいけないことを忘れている。
忘れたくなかったことを忘れている。
それが何だったかは覚えていない。だって忘れているんだから。

なんだかそれが、どうしようもない罪のようで。

誰だ、空はきれいだ、なんていったやつ。こんな空っぽな空洞の、一体どこがきれいだというのだ。
……ダメだ。全然関係ないものにまで当たり散らしてしまう。

「ほら着いたよ、あんたの病室」
お手本みたいな妄想の世界から唐突に引き戻される。
目の前に、白い扉が待っていた。

「へえ、ホタル君っていうんだ!私はソラ、河野ソラっていうんだ!よろしくね!」
私は満面の笑みに余りあるほどの喜びをおもいっきり弾けさせた。
当然だ。ここで喜ばずして一体いつ喜ぶというのだろう。

「……北村ホタルです。よろしく」
彼は下を向いてボソボソと呟くように言った。
相も変わらず無愛想な態度を呈していたが、それにも勝るほどに喜びは大きかった。

しかし、お姉さんのほうはそんな弟の態度を許容できなかったらしい。
「こらホタル!!あんたはまたそんなんで、これからお世話になる方に対して失礼でしょ!?」
「うっせーな、お世話ってったって入院すんの二週間とかそこらじゃん」
「だからって……あーもう、しゃあないな。ごめんねソラちゃん、初っぱなから騒がしくして」
「ああいえいえ、お気遣いなさらず!この病室にも騒がしい子いますし、そういうの慣れてるんで」
お姉さんは一瞬、呆気にとられたような表情になったが、次の瞬間にはニッコリ笑って「面白い子」と言った。
はて、私、なんか変なこと言ったかな。

「ホタルはそんなに重病って訳じゃないんだけど、見ての通り車椅子状態で。それにこの子、昔っから身体が弱くて、体調も崩し気味でさ。まああれだ、念のためってやつ。ああ、言ってなかったけど、私は北村シグレ。よろしくねソラちゃん」
「おお、シグレさんっていうんですか!めっちゃかっこいい名前ですね!」
「あはは、そんなこと言ったの、あなたが初めてだよ」

私たちが女子トークを展開している間も、ホタル君はムスッとした表情を崩そうとしない。
うーん、なんとかして話とか……。

「そうだソラちゃん、この病室って4人部屋なんだよね?ほかのお二人は?」
「あ、ああ、おばあちゃんは今日はリハビリでしょ、それからえっと、コウちゃんの方は……」
病院抜け出して裏山行ってます、なんて言えるはずない。なんと言ってごまかそうか……。
と戸惑っている間に、シグレさんは何か察してくれたらしく、納得したような様子だった。

「さあて、どうしよっかな。ほかの方にも挨拶しときたいんだけど、これからゼミあるんだよね」
「僕が代わりに挨拶しとこっか?」
「……いや、あんただとちょっと心配なんだけど。いや、ちょっとどころじゃないな、めっちゃ心配」
「はあ?なにそれ、僕だって挨拶の一つくらいできるし」
「開幕からコミュ症むき出しにしてた奴がなにいってんのさ」
「は?」
「あ?」

おっと、まさかのここで姉弟ゲンカ再発。ぶっちゃけこれ止められる自信ないんだよなあ。二人とも意地っ張りみたいだし。
まあ姉弟のことに部外者が首突っ込むのもあれだし、こりゃしばらく放置するしかないかなあ。
じゃあまあ、ここでしばらく様子見でも……。

バァン!

蝶番もろとも扉をぶっ壊しそうな勢いで開ける猛者。私の知るなかで、そんなことをしそうな人物は一人くらいしかいない。
「あっ、ソラ姉!ちょっ、隠れさせて!」
ああコウちゃん、あんたまた見つかったんだな。
で、ここに逃げてきたってことは……

……あ。
コンコンコン、とノックが響く。
ああヤバい。鬼婆様の参上だあ。

2 鬼婆様

コンコンコン、と無機質な音が鳴り響く。コウちゃんは「来たぁ!」と叫んで自分のベッドの下へ潜り込む。
と同時にカラカラと引き戸が横に滑り、白いナース服に身を包んだ看護師さんが現れた。愛想よさげにニコニコと微笑んではいるが、取って付けたであろうその表情の下には、般若の形相が隠れているに違いない。

「えっと、どうされたんです?」
事情を何も知らないシグレさんが看護師さんに訊ねた。
その質問は実にごもっともなものだった。そりゃいきなり病室に知らない男の子が飛び込んできて、その直後に示し合わせたかのように看護師さんが入ってきたのだ。うんうん、普通はそう訊くだろう。

しかし事情を知っている私とコウちゃんにとっては、それはあまりにナンセンスなものだった。
「ああ、大したことじゃないんですけどね?」
いや、病院側からしたら大問題だろう。
「この病室に、さっき男の子が入ってきませんでした?小学2年生くらいの、これくらいの背の子なんですが」
「あ、そんな子ならさっきここに」

「きっ、来ませんでしたよ!」
慌てて叫ぶ。我ながらかなり苦しい言い訳だと思ったが、既に言い放った言葉をどうにかできるはずがない。私には、ニコニコ笑ってなんとか誤魔化すことしかできない。
ベッドの下から怯えまくったコウちゃんの雰囲気がめちゃくちゃ伝わってくる。
いや、私も正直そうしたいんですけど。場所とか関係なくどっかに隠れて、縮こまってガタガタ震えて、「ひいぃっ……」なんて言ってたいんだけど。
現に鬼の如く微笑む看護師さんを見て、全く関係ないはずの蛍君ですら冷や汗を垂らしている。

「そうですか?おかしいですねえ、確かにここに来たと思ったのだけれど」
いやわざとらし過ぎるだろ。もうこれ絶対気付いてるよね?気付いててそんなこと言ってるんだよね?
……悪趣味かよ。やめてくださいよ心臓に悪いから。

「河野さん、本当に見てないんですよね?」
「い、いやいやいや見てないですよ!コウちゃんなんて入ってきてないし!」

……ああ、つくづく私は嘘を吐くのが苦手なようだ。
グッバイ人生。お前はいい奴だったわ。

しかし予想に反して、看護師さんはそれ以上追及しようとはしなかった。
あれ、これもしかして生還できる?
「まあ、そこまで言うのならもういいですよ。河野さん、お姉ちゃんがわりとしてよく指導しておいてくださいね」
「は、はいぃ……」
よかった、運がよかった。いや本当に。
背筋を伝った嫌な汗も、もう心配はないかな。

「ああそうそう河野さん、最後に一つだけ」
ひいっ、まだなんかございますか。
もういい加減にしてください泣きわめきますよ。

「私は一言も『白垣晃太』さんなんて言ってないですよ。『小学2年生くらいの男の子』とだけ言ったと思うんですが、どうだったかしら」

失礼しました、そう言って看護師さんは出ていった。無駄に緊迫した雰囲気から解放され、ドッと疲労感に襲われる。
うん、いや取り敢えずよかったよかった。怖かったけど、雷は食らわなかったし。うんうん、結果オーライってやつじゃない?
「な、なあ……あんた大丈夫か?」
「え〜、大丈夫デスヨ〜」
言ってて悲しくなる。おそらく今の彼の目には、死んだ魚のような目をした女の子が映っていることだろう。
その惨めな姿を想像しただけで、私は本当にどっかに隠れて、縮こまってガタガタ震えて「ひいぃっ……」なんて言って、ついでにしくしく泣きたくなるのだった。

3 中庭 side,僕

「なあ、おい待てって!」
意気揚々と中庭へ出ていく彼女を追いかける。しかしあの奔放な少女が律儀に僕の意見を聞くはずがなく、呑気に鼻歌を歌いながら歩いていく。もちろん返答はない。

「あー、もう……」
しょうがなく、僕もそのあとを追う。
夏日の正午前、既に気温はそれなりのものだった。カゲロウ立ち揺らめく……とまではいかないけれど、とにかく暑いもんは暑い。
それにプラスして、僕は今慣れない松葉杖を使っている。元々運動が得意な方ではないけれど、いつも以上に体力を消費しているのは事実だ。

「さあホタル君、ここで問題です!」
「いやいきなりだね⁉何の前振りもなし⁉」
「え?だから問題出すって言ったでしょ?」
「そういうことじゃなくてさぁ……いや、もういいようん。で?問題って何?」
「よくぞ訊いてくれたっ!」
「いやあんたが……」
僕の言葉をまたしてもサラッと無視、人差し指を得意気に立てて見せた。
……人の話はもうちょっとよく聞いた方がいいと思うよ。

「問題!ここに私は、一体何をしに来たでしょーか?」
それ僕が訊きたい。

「制限時間は10秒〜!もし答えられなかった場合、今日のお昼ご飯のおやつのプリン、私が頂きま〜す!」
「病院食のおやつにプリンなんてあったっけ……」
「問答無用!ほらほら時間がどんどんなくなるぞ〜。5〜、4〜……」
「10から6までどうした⁉」
「4、3!2〜〜……」
また返答なし。
あのねソラさん、マジで人の話聞く癖はつけた方がいいよ。将来恥かいても僕は知らないからね。
というか数えかた不安定かよ。ホントにそういうカウンターあったら嫌だなぁ……。

「にぃ〜〜……いぃ〜〜……ほらほら時間なくなるよ、ホタル君?」
「だあぁ‼わかったわかった‼えーっとえーっと……遊びに‼そう遊びに来たとかでしょ‼」
合ってようが外れてようがどうでもいいや。外れたらペナルティとかは言われて……ないね。うん。
「ん〜外れてはいないけど……漠然としすぎてるからやだ。私は断定が好き」
「好みかよ‼」
「まあ、そういう訳でホタル君不正解〜。残念だったねホタル君」
煽るようにニヤニヤと笑う彼女。いたずらっぽい、からかうようなその顔に、若干の苛つきを覚える。

「……で?結局何をするんだよ」
ぶっきらぼうに言ってやった。
彼女はニッと笑って答える。ニヤニヤ笑いじゃなくて、純粋に楽しそうな笑顔だった。

「正解は、“かくれんぼ”でした!」

中庭の一角の茂みのなか、息を潜めて隠れる僕がいる。具体的に言うと、中庭にいくつかあるベンチの裏に隠れてる。
背後にはそのベンチ、周囲はそれなりの数の低木で囲まれていて、その向こうには、ぽつんぽつんとそびえ立つ、それなりの高さの無数の木。そんなThe・自然のなかで、ここだけは秘密基地のように空間が開けていた。
僕はその芝生の上に適当に松葉杖を放り、足を投げ出し、相変わらず不安定な数えかたのあの子の声を聞いていた。
松葉杖がこんなにダイレクトに放ってあれば、見つかってしまう可能性が高いだろう。しかし構わない。どーせすぐ見つかるだろうし、そもそもかくれんぼをガチでするつもりもない。

「20~10っ!嘘19!18ー17ー16、15、じゅう~よんっ!」
お願いだから普通に数えて。小さな子どもたちにあの子が笑われてる幻影が見えた気がする。
……あれ、でも外に子どもいたっけ?僕、子ども見たっけ?
きっと皆、病室に引きこもってゲームでもやってるんだな。あーあ、現代っ子って恐ろしい。僕もだけど。

ところで、あの子の声がやけによく聞こえるのは、単にあの子の声がデカいからだ。間違ってもこの中庭が狭いとかそういう理由じゃない。むしろ広い。
しかしそれでも「どーせすぐ見つかる」と思ったのには理由がある。それもまた簡単な理由で、隠れ場所と言えるような場所が限られているからだ。
死角も少ないし、あの子は1分と経たないうちに僕を見つけられるだろう。



かくれんぼをやろう。
そうあの子が言ったときは、心底「はあ?かくれんぼなんてなに言ってんのこの子。ホントに同い年の中学生かこいつ」と思ったものだ。
が、話を聞くと、どうやら骨折中の僕のことも少なからず考えてくれているようだ。

「ていうかなんで『かくれんぼ』なのさ」
「なんでって、ちょっとちょっとホタル君、君はその足で『おにごっこ』でもするつもり?無理に決まってんでしょ」

その点、かくれんぼなら隠れる方はほとんど動かなくていいというわけか。なるほど、さすがに考えてある。
……だけど、二人でかくれんぼってのもどうよ。

「あのさぁ、にしたって二人でするもんでもないでしょ?あいつ誘えばよかったじゃん、あのちっちゃい……なんていったっけ」
「コウちゃんのこと?誘ったんだけど、今日はパスだってさ」
「へぇ、そういう遊び好きそうなのに。意外」
「いや普段はOKしてくれるんだけどね。だけどさぁ、ほら、前あの子、脱走したじゃん?」
「あーなるほど。それで外出禁止令でも喰らってんのか」
「いや違うけどさ」

違うんかい。

「ただ、まあ……あんまり走らせることはしたくない、と言いますか。あんな生意気っ子だけど、実はコウちゃん喘息なんだよ。入院してる理由もその発作らしいし」
「……」
「だけどまぁ、さすがに懲りたんじゃない?大人しくしてるっしょ、あと五日は」
「……あのさぁ、あの子ってもう脱走常習犯なの?」
「当たり!で、今日は次に向けて作戦を考えるんだって。おばあちゃんと」
「それちっとも懲りてないじゃん……。喘息なんでしょ、あんたも止めろよ」

「無理‼」
「なんで⁉」

「いやぁ、私も昔はよく脱走してたからさぁ。止めにくい、と言いますか」
「……えぇっとじゃあ、おばあちゃんと、っていうのはどういう意味で……?」
「おばあちゃんも脱走に協力してるって意味だけど」
「サラッと言うけどそれかなりの爆弾発言だよ?ていうか揃いも揃ってなんで……?」
「うーん、おばあちゃんの方はよくわからないけど……だけど昔っから肯定的だったよ」

どうやら、僕はやばい病室に入ってしまったらしい。

「まーそういうわけでホタル君!二人かくれんぼしましょう!」
「なにそのどこぞの都市伝説みたいな名前」
「最初の鬼は私ね。隠れる範囲はこの中庭。病棟のなかとかは禁止でーす。30数えるから、その間に隠れてくださーい!」



……というそんなこんながあって今に至る。
こちらの怪我のことを考慮してかくれんぼを選んでくれたのはわかる。さらに中庭という限られた範囲を選ぶことで、お互いの負担を減らそうと図ってくれたこともわかる。
うんうんわかるよ。こっちのことを凄く気遣ってくれてるのはめっちゃわかるよ。

……ただそれを考慮した上で、失礼を承知で物申すよ。
それくらいなら病室で遊びましょうよ。なにもわざわざ外に出て遊ばなくていいよね。というかそもそもかくれんぼって病室でもできるでしょーが……あぁ、そこは病室で作戦を練るっていうコウへの気遣いか。

って、そういう風に考えると「病室で遊ぶ」っていう選択肢自体が消えちゃうじゃん。
あ~ぁ、最初っから道はここしか残ってなかったのかなぁ……。

……。

……。

……ねぇ、あの子遅くない?

いやいやいや、やっぱ遅いよね?遅すぎないあの子?
なに?あの子この中庭のなかで迷子になるほど方向音痴なわけ?
時計なんか持ってないから時間なんてわからないけど、もうかれこれ20分は待ちぼうけしてる気分だよ?否、実際は5分も経っていないんだろうけど、にしたって5分も見つからないもんなの?

いや見つかるだろ普通。見つけてくれよ早く。
……かくれんぼなのに見つけろ、だなんておかしいけどさ。

……なんて、脳内で一人イライラ処理をしていたとき、



「あ!おにーさん見ーつけた!」

「ぎゃあああぁぁぁ‼」



突然、背後、つまりベンチの方から声をかけられた。
おかげで久々に大絶叫してしまった。

「びっっっくりしたぁ‼なに⁉なんなのあんた⁉」
「なにって、おにーさんと同じ人間ですけど?」
「くっそうぜぇ‼」
振り返ったそこにいたのは、紛うことなき「白垣晃太」だった。
ベンチの背もたれにのせた手を組み、その上に顎をのせている。口元はいかにも悪戯好きそうに三日月形に歪んでおり、こちらの無様な姿を嘲笑しているようで、無性に腹が立った。
そしてこの大絶叫により、絶賛中庭でお散歩中のおじいさまおばあさまから注目されてるんだけど。ほら、向こうのベンチに座る二人のご高齢のお方なんてクスクス笑ってるんだけど。
もう勘弁してよ。僕、今までも充分目立ってきたじゃないか。
しかし目の前のこいつにそんな視線を気にしている様子は全く見られない。
それどころか、「おにーさんって隠れんのヘッタクソだね~」となどと身も蓋もない超失礼な発言をぶちかます始末。
わざとか。それとも無自覚か。どっちにしたって悪質極まりない。
いや、自覚があるならまだマシだ。無自覚ほど恐ろしいものはない。

「つーか、なんでお前がここにいるんだよ。部屋で作戦考えるんじゃなかったの」
出来る限り声を抑えて聞く。さすがにここで普段の調子で喋れるほど、僕も鈍感じゃない。
しかしこいつは、まぁさすが小学生と言うべきか、ただ単にKY(空気・読めない)なのか、普通の声の大きさで話し始めた。
「えー、だって病室にいるの飽きちゃったし、おばあちゃん昼寝し始めちゃったし、ソラ姉からはかくれんぼの相手頼まれたしさ」

……ん?
お願いされた?かくれんぼの相手を?

「……なんで?」
「いやなんか今日、ソラ姉『検査』があったんだって。で、それをサボろうとしてたことが鬼婆さんにバレたらしくて。で、たまたま鉢合わせしたおれが、おにーさんの相手を押し付けられたってわけ」
……そうか。
あの子も入院しているということは、それなりに抱えているものがあるのだろう。あの子の能天気な態度を見ているとつい忘れがちになってしまうけど。

……ていうかあの子、その検査サボろうとしてたわけ?
やばくね?
ホントにもー……検査が必要な状態なのにサボるとかバカじゃないの。

……そういえばあの子、昔はこいつと同じように、よく病院から抜け出してたんだっけ。まさか、その延長で検査を……?
……コウ、お前は将来は大事な検査をすっぽかしたりするなよ。

「で、おにーさんどうするの?かくれんぼ続ける?」
「いや続けないよ。大体、かくれんぼ自体あの子が言い出したことだしさ」
「まぁそりゃそうだよね。おにーさんもう中学生なんでしょ?それなのにこんなガキくっさい遊び(かくれんぼ)しよ~とか言い出したらこっちが引くよ」
「お前が言うな。あとそれ、遠回しにあの子ディスってるでしょ」
「あの子ってソラ姉のこと?いいんだよ、ソラ姉だから」
「……」

……やっぱあの子変だわ。

4 中庭で side,私

「もういーかい」は言わない主義だ。
だって、「もういーよ」って相手が答えちゃったら、声で場所ばれちゃうじゃん。そんなのつまんないもんね。

初夏。
私は新人のホタル君と一緒に、この中庭で、かくれんぼという名の隠密任務の訓練を遂行していた。
本当はおにごっこがしたかったんだけど、そのホタル君が松葉杖状態ではできない。よって、仕方なくかくれんぼで我慢してあげた。

するりと風が空回って、ざわりと木の葉が揺れた。

「さぁてさて!そろそろ30経ったかなぁ?」
途中から数えるのに飽きて目分量に頼り始めてしまったので、正直、今何秒経ったのかなんて正確な時間はわからない。
が、しかぁし‼そんな細かいことにいちいちこだわるのは馬鹿らしい!
……あ、ちなみにこれは私の座右の銘だ。ルーズな私らしいでしょ?
あんたが言うな、そう思ったそこの君。気にするな。

「どーこーにー居ーるーかーなー?」
中庭、なんて格好つけた名前が付いてはいるが、ぶっちゃけここはそれほど広くない……と思う。
よその病院の中庭なんて入ったことがある筈がない。だけどおばあちゃんが昔「ここの中庭はうちの庭よりも狭いんだねえ」とか言ってた気がするから、きっとそんなに広くはないのだろう。
……まあ、おばあちゃんの家がとんでもない大豪邸とかっていうんなら話は別だけどね。

まぁ狭い広いに関わらず、どのみちここは隠れられる場所が限られている。
私がよっぽど見つけることが下手か、ホタル君がよっぽど隠れることが上手でなければ、きっとすぐ見つかるだろう。
……なんて言ったあとだけど、たぶん前者はありえないな。だって私、コウちゃんともよくかくれんぼしてるし。

「あれ?ソラちゃんかい?」
「はいはーい?」
突然誰かから名前を呼ばれて振り返る。この病院には長い……というか出たり入ったりを繰り返しているので顔見知りの人は多い。
よって別に驚きはしなかったが、一体誰だろうか。

私の後ろにあったのは、この中庭内にいくつかあるベンチ。
そこに座っていたのは、眼鏡を掛け、難しそうな顔をしたおじいちゃんと、杖をついた優しそうなおばあちゃん。
その老夫婦に、私は見覚えがあった。

「あ、あぁー‼こないだの!」
「そうそうこないだの。あらー、随分久し振りに感じるねぇ」
そのご老体お二人は、私の顔見知りの方々だった。
二人が検診に来たのは、つまり初めて会ったときは、確か一週間ちょっと前。たまたま私が暇だったときに、この中庭で一緒に話をしたのがそのときだった。

「今日も定期検診ですか?」
「いや、今日は孫の顔を見にね」
「へぇ、お孫さんいらっしゃるんですか!いくつの子ですか?」
訊きながら、私も隣に腰を下ろす。コミュニケーションをとることは得意分野だ。
かくれんぼのことなど、もはや脳内から吹き飛んでいた。とにかく喋りたかった。
……重症かもしれない。
「さぁ、もういくつになるのかねぇ……もう、ここのところ会ってないから」
「今日も?」
えぇ、と頷いて、おばあちゃんはどこか遠くを見る目をした。
「私の娘もろくに会えてないって」
「娘さんっていうと、その子のお母さん?」
「そう」
はぁ、と呆れたような困ったような溜め息が聞こえた。

「反抗期なんだろう」
おじいちゃんがしゃがれた声でそう言った。
「こんな狭っ苦しい場所に押し込められて……あんな小さな子なのに、可哀想に」



「……あの、その小さな子って……」



──「こんなところに居ましたね、河野さん」
……背後から恐ろしい雰囲気とともに、とっくに聞き慣れてしまった鬼婆様の声がする。

あぁ、漫画でいう「雷に打たれた感じのあれ」って、きっとこういう感じなのだろう。
嫌な汗が背中を伝う。
冷水を浴びせられたかのような感覚がして、身体の芯から冷えていく気がした。その気味の悪い感覚に、思わず身震いをする。
ギギギ、と効果音の鳴りそうなくらいぎこちなく首を回し、背後で微笑む彼女を見る。
それは天使の微笑のようにも、悪魔の嘲笑のようにも見えた。
ヒュッと思わず息を呑む。

本当のかくれんぼの鬼は私じゃない。私だって逃げていた側だったのだ。
現実と、この鬼婆様から。

……ゲームオーバーだなぁ。
ぼそっと呟いて、もうしょうがないや、と心のなかで両手を上げて諦めた。

ごめん!ホタル君。
いつまでも、逃げれる訳ないし。

「河野さん、私、昨日言いましたよね?明日は検査があるから忘れないようにって」
「はい……」
鬼婆様……もとい沢渕さんの叱責がぐさぐさと心に突き刺さる。
否、完全に私に非があることは重々理解しているけれども。
「まさか忘れていたわけではありませんよね?今朝も言いましたし。なぜサボろうとするんですか。私だけじゃなくて、看護士ほぼ総出で探していたんですよ」
「返す言葉もございません……」
心配してくれているということは、充分過ぎるほど伝わってきた。
だからこそ己のエゴでサボってしまったことに、また罪悪感を覚えてしまう。
……これももう、何回目だ。
ちなみに検査を受けるのは、これが初めてではない。そして検査をサボろうとしたのも、また同様に初めてではない。
行きたくなかった理由は簡単。また結果を教えてもらえないことが怖いからだ。

「ったくもう、これで何回目だと思ってるんですか。えー?」
「んっとえーっと、二、二回目、くらい……?」
「六回目です。……まぁ、」
気持ちはわからなくはないですけど、と言って溜め息を吐く沢渕さん。
……呆れられてる。まぁ六回目ともなればしょうがないか。
この後悔の気持ちも変わらない。前も、その前も全く同じことを思って、結局繰り返してきた。もう、何を言っても意味がないのだろうと思われていることだろう。
……結局はエゴか。

つかつかと歩く沢渕さんの背中を追いかける。急いでいるのだろうか、結構な早足だ。
……理由は言わずもがな、私がサボっていたからだと思うが。本当にごめんなさい。
曲がり角を曲がったところで、トンっと誰かと肩が当たった。
「っと、気をつけてよ……あれぇ、ソラ姉?あのおにーちゃんと遊ぶんじゃなかったの?」
ぶつかったのはコウちゃん。天然パーマのくるくる髪がふわっと揺れて、上目遣い気味にこちらを見てきた。
……相変わらず生意気な雰囲気だ。まぁ、私も大概だとは思うけどね。
「コウちゃんこそ、病室に居るんじゃなかったの?」
「え、あ〜いや〜まぁ……い、色々あったの!」
こういうとき、コウちゃんの嘘は下手くそだ。
「で、ソラ姉は?」

「あ〜私?私はちょっとその〜、検査をさぼろうとしてたことがばれまして」
「けんさ?」
「そうそう、で、ホタル君とのかくれんぼを中断して……あ」
やばい。完っ全にホタル君のこと忘れてた。
「……まさかソラ姉、おにーちゃん置いてきたとか?」
「……ソノマサカデス」
はぁ〜〜っと深すぎるほどの溜め息を吐くコウちゃん。
……私、年下の子にも呆れられてる。
「しょうがないなぁ、ソラ姉は。じゃあ、おれが代わりにおにーちゃんと遊んであげるよ」
「ほんと⁉あ〜助かった、お願いしていい?」
「いいよ別に……ところで、鬼婆さん待ってるけど」
「へ?」

「こ〜う〜の〜さ〜〜ん?」
……背後からとんでもない殺気が伝わってくる。
きっと今、私の後ろには、般若の形相の沢渕さんが立っていることだろう。コウちゃんが沢渕さんを「鬼婆さん」と呼んだのが何よりの証拠だ。

「わわわ、ごめんなさいごめんなさい!すぐ行きま〜す!」

5 中庭で side,おれ

「あ〜ぁ、つまんないつまんないつまんない! 外で思いっきり遊びたーい!」
ベッドの上にごろんと転がり、飽きもせずじたばたと暴れるおれは、現在進行形で暇で暇でしょうがない。

窓の外から中庭を覗く。
小さなガキんちょよりも杖をついたじーちゃんばーちゃんの方が多い。
くそ、これだからこの頃のガキときたら。
どうせ外で遊びもせず、毎日毎日、病室でゲーム三昧の生活を堪能しているのだろう。
ちくしょうめ。おれにもやらせろ。

「ねぇおばあちゃーん、暇ー」
「なんですか、今日は作戦を立てるんじゃなかったの?」
苦笑するおばあちゃんは、今日も陽光を浴びながらのんびりと本を読んでいる。
綺麗な白く長い髪を後ろでまとめて、読書中だけ掛ける銀縁の眼鏡を掛けて。
「だぁって思い付かないんだもん。おばあちゃん、なんかいいアイディアないの?」
「わたしはもうボケたおばあちゃんですからねぇ。若い晃太のように、ぽんぽん何かを思いついたりなんてできませんよ」
少しムッとする。
なんだそれ。つまりおれが若くないって言いたいのか。失礼だな、まだピッチピチの小学2年生だわ!
……この台詞だけは、ちょっと曲がり角過ぎた人っぽいかもしれないけど。

夏日の正午前、外はまぁまぁの夏日和らしい。
「らしい」と語尾に付けたのにはわけがある。実際に外で暑さを体感してないからだ。
「あ〜ぁ、本当なら今頃、外で沢山遊んでるはずだったのになぁ」
「遊びたいなら遊んでくればいいではありませんか」
「あのねぇ……」
脱走したのはついこの前だ。きっと看護師のおばちゃんとかは、前科を大量に持っているおれをマークしているはず。
脱走は、看護師のおばちゃんたちが忘れた頃にやる。そして、それまでに上手く逃げられるような作戦を練る。
それがいちばん脱走に最適なベストの方法だと思うんだけど、そんなことをおばあちゃんに長々説明したって良案が生まれるわけでもないし、きっとおばあちゃんは説明中に寝てしまう。それじゃあ結局、時間の無駄だ。

……だがしかし、おれが今こうして考えている時間も、きっと同じように無駄なのだろう。
考えても考えても、これといった名案は浮かばない。
思い付いた作戦なら全て使い尽くしてしまった。もちろんいずれも失敗に終わっている。
おれは自分を、まるで果汁が全て出てカラカラになったレモンみたいだな、と思っていた。
搾って搾って搾り尽くしても、美味しいレモンジュースは出てこない。ついに果汁を出しきって、いくら搾っても1㎎だって出やしなくなる。
まさにカラカラ。つまりネタ切れ。もうダメだ。

……だけど、ここで諦めたら軟弱者だ。
おれだって男だもん。自分のしたいことくらい自分で叶える!

……まぁ、いくら意気込んでもアイディアは思い付かないわけだけど。

「ていうかおばあちゃん、さっきからなに読んでるの?」
いつもはおれが喋ってばっかりだから、たまにはおばあちゃんの話も聞いてやろう。
少しは気分転換になるかもしれない。
「これはねぇ、『中庭』っていう本ですよ」
「どんな本なの?」
そう問うと、おばあちゃんは意地悪そうに「どんな本だと思います?」と聞き返してくる。
「わかるわけないじゃないか、読んでもないのに」
「ふふ、そうよね。わかるわけない」
ニコニコと微笑み、おばあちゃんはお茶を濁すように曖昧に答えた。
おれの問いに答えようとはしない。
このままだとはぐらかされたまま会話が終わりそうだったので、ちょっと追及してみることにした。
「どういう本なの、答えてよ」
「さぁ……それはわたしにもわかりません」
「はぁ?」
「これはね、読む人によって内容が変わるのです。魔法の本なんですよ」
「うっそだぁ、そんなわけないじゃん。もったいぶらないで教えてよ」
「もったいぶってなんかないですよ。全部本当の……」

そこまでおばあちゃんが言ったとき。
コンコンコン、とドアがノックされた。

「あ〜ぁ、つまんないつまんない!つまんないったらつまんない!」
ひとり病室を飛び出してきたおれは、ついさっきも喋ったらようなことを言いながらぶらぶらと当てもなく院内を放浪していた。
時折、ツンと鼻をつくのは病院特有の薬の臭いだ。おれは昔からこの臭いも病院も嫌いだった。
今でこそ良い子に「患者」なんてやってるが、入院し始めたばっかりのときは夜となく昼となくギャーギャー騒いで、鬼婆さんからほぼ毎日拳骨を喰らわされたものだ。
まぁ、今でも別の理由でたまに拳骨を喰らうのだけど。

病室に家族が来た。
クソジジイとクソババアとふたりして、「元気なの?」だの「ご飯食べてる?」だのと心配しているふりをして。おれのことなんかどうでもいいとか思ってるくせに。
親は子供を舐めすぎだ。何にも知らないとでも思っているのか。
だからおれは「さっさと帰れ」って言って飛び出してきたのだ。おれは悪くない。
……はず。

どこへ行くともなく1階の廊下を歩いていると、不意に中庭が目に入った。
木々の緑は鮮やかで、暑苦しい夏をものともしていないようだ。
むしろ「もっと暑くなれよー!」とどこぞの誰かのように叫んでいるような気さえする。
止めてくれ、おれは暑いの嫌いなんだ。寒いのも嫌いだけど。
「中庭」。
さっきばあちゃんが言っていた不思議な本のことを思い出す。
読んだ人によって内容が変わるなんて、普通に考えて有り得ない。本が意思を持っているわけでもあるまいし。バカバカしい。
おばあちゃんが少し変なことを言うのは、別に今に始まったことじゃない。妖精がどうの、妖怪がどうのと言う人だから、慣れてるソラ姉なら、今更魔法の本なんて言われても「へぇそうなんだ、ところでさ」で切り返せる。
ていうか、ソラ姉じゃないと切り返せない。
おばあちゃんの一言一句は、何て言うか妙に説得力があるんだ。バカバカしい話でも、「いや、もしかしたら」って思っちゃう雰囲気というか。とにかく凄く真面目にそういうこと言うから、毎回毎回話に引きずり込まれてしまう。
おばあちゃんの魔法の話術が効かないのはソラ姉だけだ。
……そういえばソラ姉、新人のおにーちゃんと中庭でかくれんぼするって言ってたな。
おにーちゃん骨折してるのに……かわいそ。
しかし窓から中庭を覗いて見ても、ソラ姉らしき人影は見えない。骨折してる様子の人も居ないし……どうしたのかな。
ま、ルーズなソラ姉のことだ。どうせ当初の予定のかくれんぼのことなんて忘れて、どこかでおにごっこでもしているのだろう。
……いや、おにごっこはないか。おにーちゃん骨折してたし。
どっちにしたって、そういうことに巻き込まれてしまうおにーちゃんはつくづく不運だと言うしかない。強く生きて。
窓から目を背け、再び廊下を歩きだす。
ナースステーションや受付を通り過ぎ、楽しそうに話す入院患者とその見舞い客を一瞥する。
……羨ましい、とか思ってないし。

俯きながら曲がり角を曲がると、トンッと誰かとぶつかった。
誰だよまったく、ちゃんと前見て歩けっつの。
「っと、気をつけてよ……」
上目使いに睨みながらその人物を見上げると……
「あれぇ、ソラ姉?あのおにーちゃんと遊ぶんじゃなかったの?」
短くて、おれと違う真っ直ぐストレートの髪の毛、どこか青っぽい瞳。
見紛うことなきソラ姉だった。
中庭で遊んでいるんじゃなかったのか。
「コウちゃんこそ、病室に居るんじゃなかったの?」
うっ、と声が詰まる。
こういうときは、自分の嘘のヘタさ加減を呪うことしか出来ない。
おれは正直者の小学生だから、咄嗟に嘘を吐くのが苦手なのだ。
「え、あ〜えっとその〜……い、いろいろあったの!で、ソラ姉は?」
若干キレ気味に返答する。
ソラ姉に怒っているんじゃない。嘘下手なおれに怒っているのだ。
「あ〜その、検査をサボろうとしてたことがバレまして」
「けんさ?」
周りのガキ共よりかは、一歩先をいくくらいの知識と経験とを得ている自信はある。
しかし所詮は小学生。知識の高が知れている。
「それで、ホタル君とのかくれんぼを中断して……あ」
そこまで言って、ハッと何かに気付いたような顔をするソラ姉。
……まさか。



「まさかソラ姉、おにーちゃん置いてきたとか?」

「……ソノマサカデス」



はぁ〜〜〜っと、肺のなかの二酸化炭素を全て吐き出すくらいの勢いで溜め息を吐く。
……おれと会話している目の前の彼女は、本当におれの五つ歳上なのだろうか。
「しょうがないなぁ、ソラ姉は。じゃあ、おれが代わりにおにーちゃんと遊んであげるよ」
「ほんと⁉あ〜助かった、お願いしていい?」
ちょうど暇してたところだ。なにも断る理由はない。
お世話になってるソラ姉には、ちょっとくらい時間を割いてやろう。
そしてそろそろ会話を切り上げよう。ソラ姉の背後からとんでもない殺気を放つ沢渕さん、もとい鬼婆さんの笑顔が怖い。
「いいよ別に……ところで、鬼婆さん待ってるけど」
「え?」
くるりと後ろを見やったソラ姉は、例に違うことなく蒼白な表情になった。
……めっちゃ殺気醸し出してたけど、気付いてなかったのかな。
本当に気付いてなかったとしたら、それはもう呆れとかそういう感情を全部通り越して尊敬に値する。
「こ〜う〜の〜さ〜〜ん?」
「わわ、すみません!すぐ行きま〜す!」
いよいよ言葉を発した鬼婆さんに半ば連行される形で引きずられていくソラ姉。
もちろん周囲の好奇の目の的である。

よし離れよう。
何だろう、知り合いと思われたくない。

「よろしくねー‼」というソラ姉の声が聞こえてきた気がするが、もちろん無視する。
だってここは病院だ。
もう一度言う。病院だ。
ストレートに言う。黙れソラ姉。うるさい。

知らん振りを続けて早数分。
見えてきた中庭への扉。
狭い中庭だ、どうせ隠れられる場所なんて限られている。
ざわざわと風が木の葉を揺らす。
「暑くなれよー!」なんて騒がないでくれ木の葉っぱどもよ。おれは暑いの嫌いなんだ。
「さて、どこに隠れているのかな」
かくれんぼなんて久し振りだ。鬼役なんてもっと久し振りだ。

……ちょっと楽しくなったのは、おれのなかだけの秘密である。

6 中庭で side,わたし

「中庭」は、とても不思議な本です。
あの子には……晃太には「読む人によって内容が変わる」なんて話をしましたが、あれはあながち間違っていないのです。
確か空にだけは、一度だけ話したことがありましたね。
人間の心理とは不思議なものです、本当に。「同じ」内容の物語だとしても、「違う」内容に見えてしまうのですから。
いわゆる、目の錯覚というやつかしら。……ちょっと違うかもね。

……そんな話を晃太のご両親にしてみたのですが。
「まぁ、大変興味深い話ですね」
……まぁ、そうですよね。
というか、それが当たり前の反応ですよ。わたしのこの話を真剣に聞いてくれたのは、空と夫だけでしたから。
真に受ける方がどうかしているのです……おっと、これはふたりには失礼ね。
とにかく、「はい、そうですか」とあっさり受け入れてくれる方が稀なのです。これが普通の反応。
普通の人が見れば、「そんな馬鹿げた話があるか」と思われるのも当然のこと。
わたしたちは「普通」ではありませんから。

話を逸らすように「暑いですねぇ」とわたしが言えば、「ホントですよ」と帰ってきた。
こんな会話もまた、夏の風物詩ってやつなのでしょう。

……さて、そろそろ頃合いでしょうか。
「それでは崎原さん、そろそろ私たちは……」
「はい。大変面白いお話をありがとうございました」
……やっぱりね。
「えぇ。またお会いしましょうね」
「はい」
「それでは、また」
お互いに薄っぺらい社交辞令を並べ立てながらさよならをする。

パタン、とドアが閉まった途端、わたしは言い様のない疲労感に襲われました。
ずっとわたしにまとわりついていた緊張と、虚偽と、その他諸々から、一気に解放された瞬間でした。
室内には、誰もいません。
蛍さんと空は遊びに出ていますし、晃太も先ほど飛び出していきました。
それにしても、あの子には本当に困ったものです、素直になれないのですから。
親子は信頼しあえる関係でないといけないのに……まぁ、先の親御さんの様子を見れば、その気持ちもわからなくもありませんけれど。
……わたしも、人のことは言えませんけどね。
「それにしても……心にもないことで会話を続けることは、難しいことですよ」

外から侵入してきた蝉の声は、4人分の病室を満たし、やがて室内は夏で飽和状態になりました。
……暑いですねぇ。こんな日に遊び回れる子供たちが羨ましい。
運動は、昔から大嫌いでした。しかし夏は、昔から大好きでした。
この騒がしさというか、煩さというかを耳にしていると、生きた心地になるのですよね。
幼い頃から病弱であった在りし日のわたしに、この蝉たちの声は、わたしに勇気を与えてくださったのです。
もちろん今も、たくさん元気付けられていますよ。

「希代の天才作家・崎原マキエ」と呼ばれたいつかのわたしはもういない。
かつてはちょっと目にかけていただけたりしましたが、それでも年をとれば、他の彼らと同じように世話されるだけの置物になる。
ヒットしたのも随分昔の話ですしね。先程の晃太のご両親がおそらくギリギリ世代でしょう。今の若い方たちは、きっと名前を聞いても誰だかわからないでしょうね。
時代とはそんなものです。よほど有名な作品や人──例えば芥川龍之介さんで「蜘蛛の糸」など──でなければ、後世まで残るものなどありません。
わたしごとき一時の者のことなど、時代の荒波に揉まれて忘れられていくのです。……いや、もう既に忘れられているかもしれませんね。
しかしそれでもいいのです。かつての先人たちがそうであったように、わたしもその例に倣うまでです。

……まぁ空だけは、そんなわたしの考えを否定していましたけどね。

あの子は本当に変わらないというか、ぶれないというか。あの年にしてはとてもしっかりとした「己」を持っているのです。
そして折れない。何があっても決して自分を曲げない。羨ましいくらい。
きっと彼女の生い立ちにも原因があるのでしょうが、それにしたって凄いことですよ。才能です。きっと私よりも、彼女の方が作家に向いているでしょうね。

……あら、誰かの声。
こちらに近づいています。看護士さんでしょうか……。
「かくれんぼしないんだ。意外」
「だからしないってば。君にとって僕は何才児なの」
……違いますね。
この声は、晃太と……蛍君でしょうか。

「おばあちゃーんただいまー」
「はい、おかえりなさい」
挨拶をして戻ってきたのは晃太、不慣れなぎこちなさを漂わせてその後ろをついてきたのは蛍さん。
やはりこのふたりでしたか。

「……あら」
しかし、そのなかに空がいないのが不思議でした。
てっきり、出ていった晃太が中庭に行って、そこで遊んでいた空と蛍さんと合流して戻ってきたのだとばかり。
「晃太、空は?」
「ソラ姉なら『けんさ』だってさ。ねーホタル兄ー」
「誰がホタル兄だっての」
まぁ空ったら……また検査をさぼろうとしていたのね。あとでしっかりお説教しなければ。
……ま、逃げ出したくなる空の気持ちもわからなくはありませんけれど。

「それにしても『ホタル兄』ですか……。晃太、随分と蛍さんと仲良くなったのですね」
「へ?あ、いやそういうわけでは」
「うんおばあちゃん!すっごく仲良くなったよ!」
「おいコウ⁉」
「ホタル兄あっかんべー!」
「コウー‼」
こっこまーでおーいでー!と言って逃げる晃太を、蛍さんが追いかけます。しかし晃太は身軽くピョンピョンと逃げ回り、蛍さんをかわしていきます。
こうやって見ていると、まるで猫と鼠ですね。
なにげに蛍さんも晃太のことを「コウ」と呼んでいましたし、案外、満更でもない心境なのかもしれません。本当に仲良くなりましたこと。



……しかし、だからと言って室内を走り回るのはよくありませんね。



「晃太、蛍さん?」
そう言うと、ふたりは動きをぴたりと止めてこちらを振り向きました。ふたりとも呆けたような顔をしています。
あらあら、そんな穴が空くほど見つめなくても。少し恥ずかしいです。
わたしは照れ隠しにこほんとひとつ咳払いをして、演説でもするかのように声を張りました。

「お行儀が悪いですよ。それに、病室は安静に休む場所です。静かにしていなさい」

諭すように、本当の孫に教えるようにそう言いました。
……どうも、昔からそうなんですが……わたし、実は叱るのがとても下手なんですよ。
怒ることが苦手と言いますか……。なのでこれが、わたしの精一杯です。

ふたりは素直に「はい……」と言いました。
うん、素直なことはとてもよいことです。晃太も蛍さんも良い子ですね。

「ところで、ふたりはなぜ戻ってきたのです?外では遊ばないのですか?」
なるべくやさしい声音を心がけて言いました。
叱ったあとですからね。あまり引きずらないように、いつも以上に気をつけます。
「あー、それならホタル兄のせいだよ」
「いやせいってなんだよ。ちょっと僕が『将棋やりたいなぁ』って言ったら君が引きずってきたんじゃないか」
まぁ、蛍さんは将棋をするのですね。
最近の若い方は、囲碁も将棋も花札もなさらない方が多くいらっしゃるから、少なからず驚きました。
もちろん、空も晃太もやりません。今までこの病室でそういう遊びをするのは、わたしだけでしたから。

……となると……。
「蛍さん」
「……はい?」



「将棋、わたしと勝負しませんか?」



わたし、こう見えても賭け事が好きなのです。
最近は勝負ごとをしてませんでしたから。久しぶりに血が騒ぐわ。

わたしが貴方の「刺客」になりましょう、蛍さん。
まぁこんなに堂々と宣戦布告しておきながら、「暗殺をする者」なんて可笑しいですけどね。

驚いたような顔をした蛍さんを見て、わたしはにっこりと微笑むのでした。

ソラ

ソラ

『完璧なものはまるで山の稜線のように凹凸で不平等。そうでないものはまるで海の水平線のように平らで平等である。……ならば、空は?』 夢の中で、誰かからの問いを聞いた気がした。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2019-08-19

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