エンディングの音(前編)

死にたくなったら読んで下さい。
何か何とか何となく、明日も生きていく事が出来ると思います。

生きていく、死んでいく者たちの恋愛小説。

 「エンディングの音」(前編)

       堀川士朗


 ①2005 桐谷

 桐谷は七時に目が覚めた。アパートの近くを通る幼稚園児の歌声によって。二十人位はいるだろうか。
 「カエルのうた」の大合唱だった。遠足に行くのかも知れない。
 ティーバッグの封を切り湯を沸かし待っている間一服する。一日二箱ちょっと吸う。彼は様々な事を考える。ただ、わんわんとさんざめいていて退屈なほどである。
 ケトルがぴいいいいと鳴く。
 マグカップに湯を注ぐ。 風が吹いている。
 廃品回収車のスピーカーの音が、ゆっくりゆっくり近づいて来る。同業者だ。BGM代わりにその音を聴いたまま紅茶を飲む。

 急に家の電話が鳴る。
 桐谷は出ない。どうせセールスか何かだ。留守番モードになる。

 「もしもしー上園ですけどー。大丈夫ー。大丈夫ー?電話下さーい。はい、上園でしたー」
 電話が切れる。
 上園は数少ない友人のひとりだ。何が大丈夫というのだろう。それにしても早朝すぎる。だから放置する。
 もう一本タバコを吸う。ゆっくりと。肺ガンへとゆっくり着実に紫煙をくゆらす。吸い殻は灰皿に整然と並べる。まるで死体置き場の様に横に四本。
 それから朝食だ。納豆にオクラと鶏卵を混ぜた物と昨日のご飯の余り。一口三十回は噛んで食す。消化の為。薬を飲む。エピリファイ。統合失調症の薬だ。

 「生きた方が良いのかな、それとも死んじゃった方が楽なのかな、それがさあなんか問題だったりすんだよね」

 ふわふわしたテイストに意訳されたハムレットのセリフが何故か出た。
 食後の運動に少し離れたタバコ屋まで散歩する。街路樹にカラスが止まり、どいつもこいつもいやらしい声で鳴いている。タバコの自販機に小銭を入れながら桐谷は思う。

 「死んだらすぐに俺をついばんでくれ。そこら辺のカラス。よろしく」

 朝の光を浴びてカラダが熱を帯びた。この熱は、何だ?生きようとしているのか?迷惑だ。
 車道にはスピード制限無視の車が走っている。
 死にはグラデーションというか濃淡の差があると彼は思う。自動車に突っ込んでの自死は例えばアメリカンコーヒーを更に薄くした事象に過ぎないと思う。
 薄い死。それは望まない。
 浜の真砂は尽きるとも、世に自死の種は尽きまじ。
 毎日毎日毎日数百人以上の日本人が自ら命を絶っている。今もし自分が死んだら何か流行を追っちゃってる感が強くて、ああ俺やっちゃってる感が強くて、それは非常に嫌だった。
 流行を追わない自死。果たしてあるのかなそれ。
 メメントモリ。
 死を想う。
 想いながら自動的に家に着く。

 一時間だけ仮眠をしてから上園に電話し、会社に向かう。
 埼京線に乗る。桐谷は車内でリンプ・ビズキットのサードアルバムをヘッドホンで聴く。爆音。意味欠落な曲だ。でもそこが良い。どうせ世の中のありとあらゆる事は意味欠落なんだからな。
 俺も他の人間も今乗ってるこの電車が脱線事故でも起こせば全て儚いゴミの山と化すのだ。吊革につかまりながらヘッドバンギングする。
 ゴミだゴミだ肉ゴミだ。俺もお前も生まれた時からゴミだゴミだ肉ゴミだ。

 「夭折と失踪こそが本物だ。ジム・モリソン、蛇の背にまたがって死んだ。ジャニスしかりジミヘンしかりシドしかりカートしかり。かまち、感電死」

 彼の独り言で、周囲のサラリーマンが露骨に嫌そうな顔をした。桐谷はそれも無視した。

 こうやって人生は、すり減っていく。


 ②2005 上園

ケータイに内蔵した音で目を覚ます。フォーレの「ピエ・イエズ」。
 曲調と反比例して頭痛がひどい。むくんだ脚がふらついてベッドから起きてよろけた。昨晩の過剰飲酒が原因だと彼女は自覚する。
 朝食前にコントレックスの水を飲む。ユマ・サーマンも飲んでいる奴。イングリッシュマフィンはひとつだけ。ダイエット中だから。
 そして軽めのヨガ。三十分のジョギング。朝早く、まだ通行人は少ない。だからノーメイクだ。彼女は唄う。

 「あんたがたどこさ?死後さ。死後どこさ?」

 こんな替え歌を唄ったのには理由があった。
 上園は今朝夢を見た。桐谷が、ゆあんゆよんと揺れながら今の歌を唄っていた。上園が何唄っちゃってんのと彼を力一杯抱き締める。桐谷は冷たくて砂の粒子みたいに消えた。
 フォーレで起こされた。気分はよくなかった。
 いつもは三十分のジョギングコースを途中で切り上げて桐谷の家電に電話してみた。ケータイだと迷惑がかかるから。まあこれも迷惑か。留守電だった。メッセージを残す。
 頭をマッサージしたが二日酔いの頭痛は治まらなかった。後頭部が重痛い。
今日は祝日で、上園が勤務するテレオペの会社も休みだ。だから調子こいて前夜飲み過ぎた自分をポーズで反省してみた。
 溜まった食器もまとめ洗いする。その途中でケータイの方に着信があった。
桐谷からだった。

 「久しぶりだな」
 「そうだね」
 「まだあそこの部屋住んでんのかよ?」
 「うん」
 「ダルシム元気?ダルマインコの」
 「ああ、ダルシム食べちゃった。嘘。死んだ。去年」
 「そうか…。え何だったのさっき朝早く」
 「あなたタバコやめれば。声しゃがれてるよ」
 「え大丈夫ー?って言ってたのそれだけ?」
 「や違うほら、あれだよ。最近あっちの願望の方とか治ったのかなーと思ってさ」
 「ああ。何が?」
「そのーほら。統合失調症で派生してるあれの件」
 「……ああ。まああれだよな」
 「んん」
 「ああまあ」
 「なら良いんだけど」
 「今日休みなの?」
 「うん」
 「天気良いしな。お出掛け日和とかなんじゃないの。俺は遅番だけど」
 「今何やってんの?」
 「廃品回収」
 「そっかそっか。今度コーヒーでも飲もうよ」
 「ああ。またな」

 電話を切る。
 脱衣場。脱衣婆という概念の化け物を妄想して、上園は悪寒を感じながら服を脱ぐ。
 浴室。天井の青いタイル。壁の白いタイル。床の黒いタイル。あれ、タイルばっかりだ。
 半身浴。たっぷり一時間入る。ドロドロした昨日の酒の汗が出る。ヘチマでカラダを洗う。
はい、シャンプー!お待たせ致しておりまーす。
 はい、リンスー!以下のお話は上園が承りましてございまーす!
 はい、トリートメントー!ではこのまま受話器をお持ちになってお待ち下さいませー。
 はい、コンディショナー!お客様ぁお客様ぁ、頼むからいっぺん死んでくれませんかー?

 もう一度湯浴み。ざあっと、わざと、溢れさす。カラダ、ココロ、遊離する。
 まとわりつく真水に吐息を漏らし、窓を開け、湯気を美しく逃亡させる。
 次第に私という私が消えて無くなっていく。
 湯上がりのコーヒー牛乳爆飲みで疑似銭湯。毒が入っていても構わない。そしてほら、つまむよ、ぽてんとした下腹。

 こうやって人生は、すり減っていく。


 ③収集の仕事

 壊れて音の出なくなったアップライトのピアノを二人掛かりで窓際まで運ぶ。
割と金持ちの依頼者の家は内装の入り組んだ二階建てで、ピアノを入れた後でリフォームで階段を狭くしてしまった。
 玄関から出すのを諦め、外から広い窓を開けてピアノをロップ(ロープの業界用語)で玉掛けにして、屋根にガッツリと固定した耐重量1、5トン用滑車を使っての吊り下げ作業となる。
 先輩で同僚の高松がピアノの置いてあった部屋で、四方を目配せしながら昇降装置のスイッチングをする。
安全装置を外して青の丸いスイッチを押した。

 ゆるゆるゆるゆる。
 黒いピアノが少し揺れながら降りてくる。
 下で、たるんだロップを介錯しながら桐谷は落下を望む。
 頭上には、黒いピアノがその老朽化した構造ゆえ軋みながら揺れている。
 桐谷の、両の腕の筋肉だけがいい加減に動いている。太くて、死にやすそうな腕の血管が美しく浮き上がっている。

 ほら落ちろ。今すぐ俺を血の詰まった皮袋に変えろ。
 ピアノは無事に着地した。彼は舌打ちしてロップをほどきキャリーを使用して4トントラックの荷台に運んだ。
 他に型落ちのソファーセットと冷蔵庫と細かい物もろもろ。依頼者から処分費を受け取り、トラックに乗り込む。
 
「大塚レディースちゃんでした~ん」

 高松が缶コーヒーを桐谷に渡しながら言う。

 「あ、お疲れさまでっす。コーヒーすんません」
 「微糖でいんだべ」
 「はい。あ、今日あと何軒ですか?」
 「終わり。終了」
 「二軒だけじゃ物足りないすね」
 「あ?そうだな。まあそんなんは営業がだらしないから仕方ねんだよな。まぁそんな日もあるよ」
 「何か。何かもっと巨大で危ないもん運びたいです」
 「そんならお前、○○○○○に行けば」
 「それいいですね。メットとハーネス、安全靴なしで。いっそ全裸で」
 「冗談だよ。命知らずか?お前」
 「はい」
 「何でだよ。俺は惜しいな命。一個しかねえかんな。それに家庭あるから俺」
 「何となくそれは、はい」
 「かわいいぞ。娘。五才。超もてる。娘。彼氏三人いるし」
 「それすげえ」
 「俺の子だかんな」

 今日は道が空いている。桐谷は高松の横顔を眺めてから言う。

 「あ、運転代わりましょうか?」

 しばらくして高松はトラックを停止させた。

 「どしたんすか?」
 「お前さあ」
 「はい」
 「明日から来なくていいから」
 「はい?」

 前々から高松の視線は感じていたが、こうまで象みたいだとは思わなかった。桐谷は二の句が継げない。

 こうやって人生は、すり減っていく。


 ④解体の仕事

 半年後。
 備蓄の貯金が完全になくなり、買い置きのチキンラーメンのみが常食になった桐谷はビル・家屋専門解体会社「エンジェルダスト」に勤め始めた。
 朝の朝礼とマンツーマンになっての小学生みたいな装具確認点呼作業がたるいが、仕事内容は簡単だった。
 用済みになった廃屋のあらゆる構造物、ドア・襖・壁材・床材・天井板などを、バールや大型ハンマーや電動ノコギリを用いて片っ端から破壊していくだけだ。
 夏場でも防汚ヤッケを着込み、メット&ゴーグル、二重にしたイボ付き軍手、防塵マスクを装着しての作業。当然蒸れる。
 古いタイプの家やマンションなどは特にそうだが、天井板を破砕するともれなくアスベストの山がドサドサと落下してくる。それがタオルで防護したはずの首元や手首にいつの間にか張りついて絡みついて地獄の様にカラダが痒くなる。
 絶対健康に良い訳がないが仕方がない、これが仕事である。

 昼休み。家で作ってきたごま油たっぷりの海苔弁当を食べ終わり、桐谷はゴミ霞む汚い路上で一服する。汗がにじんでいる。
 防塵用の幌をめくって同じくタバコを吸いに来た主任の落合。落合はしきりに桐谷を褒め称える。
 
「や~。いいねえ兄ちゃん仕事っぷりが。特にハンマー持たせたら十人力だ。容赦がねえ。若いっていいねえ。おじさんもよ、若い内はガンガン働いたもんだ。所が四十を境に体力がグンッ、こうグンッと落ちてよお。グンッ。あれなんてんだっけ?更年期?熟年期?どっちだっけまあいいや。とにかく膝やられて今じゃコンドロイチンを一日千円分もあれだよコンドロイチンを飲んでんだよおじさんは。兄ちゃん、若さは宝だよ。大事にしなきゃいけないよ」

 そう語る落合の顔はススとホコリとアスベストで真っ黒だった。
 昼休みが終わり、さあまた解体の戦場へ。
 桐谷はハンマーを強く握りしめて、無慈悲に精確に目標物に振り落とす。破砕した家具は床板を道連れにした。崇高なグロテスクのオブジェに窯変する。
 破片がゴーグルに間断なくぶち当たる。マスクの奥でその都度ツバを飲み込もうとするが出ない。やがて考えるのを忘れ無感情なマシーンになる。ハカイのレプリカント。アスベストのオアシス。
 エンジェルダストでの解体作業は天職じゃないかと桐谷は思う。

 休日。二人の休みが重なって、上園は桐谷を誘う。新宿中央公園を散歩する。
池のほとりには数匹の鯉が優雅に泳いでいる。その一匹にフリスクを与える桐谷。鯉は一度口に含んだが、すぐにブエッと吐き出した。
 笑う桐谷。

 「やめなよそれ」

 上園が少し怒る。
 驟雨。
 傘を持ってきていないので小走りで公園を離れタリーズでコーヒーを飲む。

 「今度さあ、スマートフォンとか言うのが発売されるらしいわよ、来年辺り」
 「スマ、何それ」
 「ケータイの新しい版なんだって」
 「え。そんなんケータイで充分じゃん、変なの」
 「何かね普通のケータイと違くてボタンが無くなって、画面に指でなぞると電話とかメールが出来るらしいわよ」
 「え何それすげえ。バリ未来じゃん。でもさぁ何か進化し過ぎだよな。人間が馬鹿になるよ。街とか道とか電車ん中でいじってばっかの奴増えるよ」
 「あーなるね多分」
 「あれじゃん日本人略すのが好きだから略すよまた四文字とかで」
 「マフォンとか」
 「スフォン」
 「マトフォ。あ!ヤッバ!これアスパルテームだった!」
 「びくった…何が?」
 「人工甘味料。何だよ教えてくれよー。コーヒーに入れちゃったじゃねーかよー。アスパルテーム超カラダに悪いんだよ。あー蜂蜜入れれば良かったよー」
 「俺も」

 桐谷はズボンを漁り、タバコを取り出して火を点ける。ボブ・マーリーが吸うみたくおっさんテイスト丸出しで美味そうに煙を鼻から吐き出す。

 「ねえ臭いよ。あのさあ。そんなに今から死を望んでるんならさあ」
 「俺なんも言ってねえぞ」
 「前からじゃん、やっぱ直ってないんだよ病気」
 「うっせ」
 「ねえそんなに今から死を望んでるんならさあ、いっそ書いてみたらどう?エンディングノート」
 「あ?何それ」
 「エンディングノートって今ヨーロッパで流行ってんだけど、言わば遺言書みたいな日記みたいなもんなんだよね」
 「めんどっぽい」
 「そうでもないって。私実は書いてるんだ。だって私あなたと逆で、他殺志願者だから」

 桐谷は驚いてコーヒーを派手にこぼす。ズボンにかかる。

 「染みになるよ」
 「や、そんなんおま、あ、おま……知らなかった。お前もあれか?死にたがりだったのか?」
 「種類は違うけど。あなたは自殺したがりちゃんで、私は殺されたがりちゃん」
 「一緒だよ」
 「ねえハンマーって重いの?」
 「え?」
 「解体用のハンマー」
「重いよ」
 「ねえそのハンマーで私を砕いてくんない?頭とか破壊してくんない?」
 「そんな事やったらサツに捕まんだろ」
 「警察来たら拳銃奪ってそんでそれで自殺すればいいよ」
 「……お前何言いたいの?」
 「二人の本当の気持ち、残せたらそれでいいかなって」
 「はあ?」

 二人はしばらく押し黙る。

 「……普通の百均のノートでいいんだろ?」
 「グッド」

 桐谷は、なんかそれJOJOくせーなと思ったが口には出さなかった。
 雨は止んでいた。二人はラブホに行って何となく少しセックスしてから新宿駅の中央改札で別れた。
 自宅に戻った桐谷は百均で買ったノートを一瞥し、最初のページを開いた。何かが既に書いてある様な錯覚がした。
 右手にボールペン。左手にタバコ。そのままで一行も浮かばなかった。まあ初日はこんなもんか。
 腹も減り中断。早めの夕食にした。食後のインスタントコーヒーを飲む。ふと思い出してスティックシュガーの包装紙を見た。アスパルテームと書いてあった。

 こうやって人生は、すり減っていく。

 (エンディングの音 中編に続く)

エンディングの音(前編)

最後まで読んで頂きありがとうございました。
中編、後編と続きます。
小説家になろうさまにも同様に掲載させて頂いておりますので、宜しければどうぞ。

エンディングの音(前編)

自殺志願者の若者、桐谷と、他殺志願者の女、上園の、それでも生きていくあがき小説。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-08-16

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