冷し猫
奇妙な小説です。縦書きでお読みください。
近頃、動物を可愛がることのできる喫茶店が流行っている。猫カフェができたとき、うちのど汚いぶす猫を膝にのっけて「猫も稼ぐようになったぜ、おまえも働きにでろ」と言い聞かせたものである。
我が家の猫はそんなこと知らん顔で、外に出て野鼠は捕ってくるわ、土竜はくわえてくるわ、蛇も捕ってくる。ともかくやりたい放題のことをして楽しんでいる。仁五郎という雄猫である。
日本で生まれた猫カフェは瞬く間に、世界に飛び火し、カラオケほどではないが、外国の観光地でも見られるようになった。日本はさらにすごい、兎カフェ、梟ウカフェ、爬虫類のカフェ、針鼠カフェ、あらゆる生き物が女給さんたちの職場に進出してしまったのである。
といってもまだ一度も自分としては猫カフェなるものにも入ったことはない。
それがひょんなことから経験することになった。
山梨に山柿市という町がある。新宿から甲府行き特急カイジに乗ると一時間ちょっとのところにある、何にもないところであるが、桃や葡萄の産地でもあり、フルーツ園という果物のもぎ取りが出きる観光を売り物にしはじめているところである。まあ、高台に行けば冨士も見ることができる。
観光関係の会社に勤めていることから、山柿市の観光コースを設定して欲しいと、市の観光局から依頼された。それでまずはめぼしいところを見て歩き、どのような売り方ができるか考えることにした。今年最後の仕事である。暮れも押し詰まった、十二月の二十九日に山柿市に行くことになったのである。寒い時である。
いつもそうであるが、車で行く前に電車で行って、どのような印象をもつか自分で感じて、それから案を練ることにしている。
立川に住んでいることもあり、十二時五十二分発のカイジに乗って一時五十八分についた。まず都内から遠くないことは確かである。電車そのものは問題ない。
ホームにおり立つとまさに田舎の駅である。エスカレーターもなくエレベータもない。こりゃ旅行客にはちょっとつらい。寒々しい。
さて駅前である。ちょっと広くなっておりタクシーが数台とまっているが、ごくごく当たり前の駅前景色で、面白みを感じることはないし、といって田舎の良さの雰囲気に浸れるわけでもない。全く観光を意識していない駅といっていい。
とりあえずタクシーに乗り、丘に広がるフルーツ園にある観光ホテルに向かった。そこで、担当者たちの話を聞くことになる。そのホテルは駅からでも見える綺麗もので、二十年ほど前にできたそうだが確かに目立つ。
タクシーで五分ほどだろうか、駅から歩くのはちょっと大変だ。一時間以上はかかるだろう。高台にあるホテルの入り口に降り立つと目の前に山柿市が一望でき、山並みがきれいに見える。富士山がそこから顔をだしていた。この景色は売り物の一つになる。これが若葉の頃、さらに新緑、そして秋の紅葉時には見事かもしれない。
ホテルに入ると駅には観光客が全くいないのに賑わっている。きれいなエントランスと出迎えは手慣れた従業員が上手に客を捌いているようである。ホテルの印象としては上級部類だろう。
会議室に市の観光課の担当者、ホテルのマネージャー、地域の観光園をやっている人たち、町の商工会議所のメンバーなどが集まっている。
そこで交わされた会話はあまりにも中途半端だった。まずホテルそのものはよいのだが、きっと町そのものに泊まり客は興味を持っていないだろう。車で来て町は素通りというところだ。商工会議所の人たちもホテル経営者とは乖離しているようだ。山梨名物ホウトウの店もフルーツ庭園に行く大きな道沿いには集まっているが、これも、駅からは離れている。
観光コースを造るのはなかなか難しそうだ。駅の改革そのものも必要だ。商店の人々の意識改革が最も重要かもしれない。大きな会社も大学もない。高校は日柿高校というラグビーの名門県立高校もあるがそれだけである。川は笛吹川という情緒のある川がある。これは生かすことができるだろう。
車を持たない人たちを呼び込める駅にしなければならないし、年寄りが駅からちょっと歩いてこれはいいという物がないと観光地にできるかどうかわからない。駅に名物の店が一つもないのはどうしょうもない。
まず意識改革をしなけばいけないと、かなり厳しいことを言って、その場をまとめた。そう言った感想を来年まとめて市に送る約束をして終わりにした。
帰りに駅までホテルの車で送ってもらい切符を買おうとしたところ、特急にはかなり時間があることがわかった。そこでどこぞに喫茶店がないかと歩いたが一軒もなかった。ちょっとした休憩のできる場もない。
これではますます旅行客を呼び込むどころではない。スーパーで聞いたところ、少し前までは一軒あったがやめたということである。さもありなん。観光どころではない。町の人が憩う場所も無い。ホテルが駅にフルーツパーラーでも作って目玉になれば若い子もそれを食べにくるだろう。
などと考えながら、ちょっと歩くとちょっとした川に出た。笛吹川まではかなりあるが、その小さな川までは駅からさほど遠くない。コンクリートの護岸などはなく、昔ながらの河原が広がっている。蛍でも飛びそうな小さな川である。小さな橋がかかっていて重川とある。おもかわなのか、しげかわなのか、わからないが、先で笛吹川に合流するのではないだろうか。これは観光の一つの目玉に出来ないわけではない。
今日は幸い寒くは無いが、それでも冬である。コート襟を立てて川の岸の土手をぶらぶら歩いていくと、同じような形と古さのある建物の集まった場所に出た。皆一様に昭和初めの瓦葺きの住宅で板塀に囲まれている。昔、子供の頃、父親の仕事の関係で名古屋の公務員住宅に三年ほど暮らしたことがある。名古屋城の北側に練兵場が広がり、道をへだてて公務員住宅地があった。皆同じような作りで、まさに今目の前にしているような一戸建ての平屋が整然とならんでいた。土手の上から見ると十軒ほどが集まっている。
懐かしくなったこともあり、石段が目の前にあったので、土手から降りて住宅の間の細い道にはいった。庭が塀の下の隙間から見える。道沿いに門があり看板が立てられている。その家には「猫カフェ」と看板が掛かっている。このような普通の家がカフェをやっている。最近は鎌倉やちょっと洒落た町には、昔ながらの住宅地の一角で、個人でやってるコーヒーショップや、パン屋、ケーキ屋、飾り物を売る店をみる。この家では自分の飼っている猫と遊ばせているのかもしれない。このような場所でこのようなカフェを見つけたということは何かの縁もしれない。入ってみようかと反対側の家を見るると、門のところに、「犬カフェ」とある。そういえば犬のカフェというのは聞いたことがない。向かい合った家で猫と犬のカフェを開いているというのも面白い。兄弟姉妹でやっているのだろうか。
電車の時間までまだかなりある。入るのは後にしてちょっと周りを歩いてみることにした。隣の家の門の前には「梟カフェ」とある。その向かいの家は「兎カフェ」とある。その家を過ぎると道に行き当たり反対側はコンクリート塀の続く工場のようである。道を右に曲がって梟カフェの家の隣にいくとハムスターカフェであった。
ここの住宅は皆なにかしらの動物のカフェである。動物カフェの長屋のようだ。このようなところで動物カフェを開いていて客が来るのだろうか。東京には聞こえてきていない。これが知られると人が集まるかもしれない。駅からさほど遠くはないが、それにしても目立たないところである。
一軒の家からカップルが出てきた。楽しそうに腕を組んで駅の方向に歩いていく。その道では知られた場所なのかもしれない。その家をみると、「針鼠カフェ」とあった。
動物カフェは入ったことがないので、やはりまずは猫カフェに入ろうと思い、最初の家に戻ることにした。今来たところを反対に忠実に歩いて、川岸の角の家まで戻ったのだが、その門には「亀カフェ」とあり、向かいの家は「カメレオンカフェ」になっている。道を間違えたのかもしれないと思い、さっき降りてきた石段を登り土手の上にあがった。十軒ほどと思ったのだが、もっとたくさんの家が集まっていることがわかった。どうも間違えたようである。
土手の先に石段が見える。あちらだったのだろうと思ってそこを降りた。
道にはいり、右側の家の門をみると、「冷やし猫カフェ」とある。ただの猫カフェではない。さっき通ったときに見落としたのだろうか。反対の家は犬カフェだった。だが反対の家の門がない。ということは違う猫カフェのようだ。
時計を見た。あと一時間で電車の時間だ。この店に入って休もうという気になった。「冷やし猫カフェ」とはなんだろう。この寒い時期に「冷やし」という看板はちょっといただけない。もしかすると猫カフェではなくて、「冷やし猫」という名前のコーヒー屋かもしれない。
門柱はあるが門そのものはない。庭先から玄関の前に立った。あたり前の引き戸の玄関でそこにも「冷やし猫カフェ」と書かれた札が下がっている。「お気軽にどうぞ」とも書いてある。
玄関のガラス戸を半分ほど開けて、「こんにちは」と声をかけた。中から暖かい空気が流れてきた。
玄関のたたきの前の部屋で、腰まで髪を伸ばした女性が後ろ向きにかがんで何かをしている。
中にはいると女性がこちらを向いた。細面の色の白い目の細い女性である。
女性はあわてて「いらっしゃいませ」と立ち上がった。黒猫を抱えている。片手にはブラシがあるのでブラッシングをしていたようだ。
ずいぶん背が高い。私と同じくらいだ。私が一八一センチだからスリッパを履いてはいるが百八十はありそうだ。しかも痩せている。真っ黒なセーターに足首が見えないほどの黒いロングスカート、黒ずくめである。
玄関口にでてくると、細い目で私を見るといきなり「猫は飼ってらっしゃいますか」
と尋ねた。
「今飼っています」
「それなら、大丈夫ですね」
女性はやっとにっこりと微笑んで「どうぞお上がりください」と、黒猫を下におろした。
スリッパを履くと待合室らしい部屋に案内してくれた。大きなソファーが向かい合って置いてある。
「そこにどうぞ」女性は私からコートを受け取ると、メニューをもってきた。
「どれもみな八百円です」
メニューにコーヒー、紅茶、ジュース類が書かれている。それをみていると黒猫が私の隣に飛び上がってきた。
黒猫は私を見ると頭を腰のところに擦りつけてにゃあごとないた。頭から腰のところまで撫でさすった。黒猫はおちゃんこをして黄色い目を私に向けた。明らかに興味を持っている。
「猫に好かれる方ですね」
女性はなにを飲むか聞いた。コーヒーと答えて、メニューの最後にある、ホットを指さした。
「それは、猫のメニューです」と、彼女は言った。
よく見ると確かに、そこにはホット猫、常温猫、冷やし猫とある。
「これは何ですか」
「今隣にいるバジルは常温猫です、飲み物と猫をお部屋に持っていきます」
この黒猫はバジルというらしい。
「猫の代金は常温で千円です、ホットで千二百円、冷やし猫は千五百円いただきます、今冷やし猫を頼まれる方はあまりいらっしゃいませんが、部屋を暑くしておくと、気持ちのよいものです」
冷やし猫とはどのような意味があるのだろうか。それに飲み物とは別料金のようだ。
「次のページに猫の写真がありますので、選んでください、それに、ホットか、常温か、冷やしになさるか」
そう言われて写真をみると十六匹の猫の顔が写っていた。
「冷やし猫は、冷とマークしてある猫しかだめですが」
ここまで言われて、なにがなんだかわからなくなった。猫カフェっていうのは、たくさんの猫がごろごろしている中で、あれこれ触ったり抱っこしたりするものと、思っていたが、ここでは相方を決めて、部屋で二人きりになるようだ。猫を選ぶというのも大変である。みんな可愛い。どうしようと眺めていると、女性は「多くのかたは男性も女性も、可愛いか精悍か、どちらかで選ばれますの、でも可愛い方が多いでしょうね」と言った。
「僕も可愛い方がいいな」
「日本猫か外国の猫かどちらがいいかしら、だいたい外国の猫を選ばれます、外国から来られた方は三毛猫を選ばれます」
それは納得できる。写真を見ていたら一匹の猫が目の中に飛び込んできた。
「これにします」
「おや、この娘ですか、まだだれも指名したことのない子です、しかも冷やし猫、にゃもちゃん、日本猫です」
その猫は白と黒の斑で黄色い目をして俯いていた。こっちを見ていない。どの写真もまっすぐにカメラの方を向いているのに、その猫だけは足元を見ている。なにを見ているのだろう、こちらを向いたらさぞかし可愛いだろう」
「それでは冷やし猫の部屋にご案内します」
女性がぼーっと考えていた私を促した。
待合いのような部屋を出ると、廊下が伸びていた。ずいぶん長い。この昭和の復興期にたてられた建物がこんなに広いものとは思わなかった。廊下の両脇には個室がある。まるでカラオケルームのようだ。
「こちらです、八号室」
女性がドアを開けた。六畳ほどの小さな畳部屋だが床の間があって、ちゃぶ台の脇に炬燵がある。部屋の中はとても暑い。なんだかタイムスリップしたような感じがする。
女性が「上着をどうぞ」と手を差し出したので上着を渡した。女性はハンガーに上着を掛けかもいに吊るした。
炬燵の前におかれている座布団の上にあぐらをかくと、
「すぐにコーヒーをお持ちします、お体が温まったあったところで、にゃもちゃんをお持ちします」と出ていった。
本当に暑い部屋でネクタイをゆるめた。
すぐにコーヒーが運ばれてきた。
「今日はマンデリンです、どうですか、少しからだが温まりましたか」
「ええ、汗がでそうです」
「もうしばらくお待ちください、にゃもちゃんを連れてきます」
猫を選んでもうかれこれ十分ほど経っているだろうから、電車まで一時間なので、猫に触れるのは三十分ほどということになる。
コーヒーはたしかに美味しい。喫茶店もない駅前にうんざりしていたので、やっと人心地着いた。しかし小さな部屋で一人でコーヒーを飲んでいるというのも、なんだか奇妙で味気ないものである。しかもずいぶん暑くなって、汗ばむほどになってきた。
そこに戸をたたいて女性が入ってきた。
「お待たせしました、どうぞおこたにお入りください、この寒いときに冷やし猫を頼まれる人はいませんでしたので、少し冷やしたりないかも知れません」
両手で抱えて持ってきたのは丸くなったままの白黒の猫である。寝ている。左前足で顔を隠してしまっているのでどのような目をしているのか分からない。
炬燵に入ると女性は丸くなった猫を炬燵の布団の上にのせた。
「ごゆっくり、時間になったらお知らせに参ります」
猫は顔を上げようとしない。目を閉じたままである。頭を撫でてみた。冷たいどころではない。凍っている。女性に「あの」っと言ったときにはもう女性は部屋にいなかった。
猫の体に触ってみた。冷たい毛が手に触れる。凍っているわけではないようだ。だが動かない。
まさか死んでいるわけではないだろう。
丸くなったからだの下に手を差し入れて持ち上げてみた。ふーっとすずしくなった。そのままの形で持ち上げられた。
顔が見えた。片耳が黒いが顔は真っ白である。目を瞑っている。髭がピクッと動いた。死んでいるわけではない。
ひっくり返してお腹のところを触ると冷たい。炬燵の中に入れ膝の上にのせた。手を握ってみると凍っているように冷たいが動かすことが出きる。ピンクの肉球を押してみると、やはり冷たいがむにゃっと凹みすぐ戻る。尾っぽを触った。動かすことができる。仰向けにして体を伸ばしてみた。そのまま延びて伸びをしている猫そのままである。髭を引っ張ってみる。凍っているわけではないがぴりっと冷たい。
体に耳を当ててみた。自分の耳が凍ってしまいそうだ。ところがごろごろいっている。心臓もときときしている。だが目を開けない。
いったいこの冷たい猫はどうなっているのだろう。
少し擦ってやろう。
手足、背中、お腹、柔らかく擦ってやった。手の平が冷たいが周りが暑いので、ちょっと気持ちがいいくらいだ。夏ならそれなりにいいのだろうが、猫を可愛がりにきているのだから目的が違う。
ふっと腕時計を見ると、あと十分ほどになった。
すると、いきなり猫の頭が動き、大きな欠伸をして目を開けた。ひょいと首を振って私を見た。
くりっとした黄色い目で私をみると、「にゃ」と小さく鳴いた。
炬燵から出てそろりと立ち上がると伸びをして、のぞき込んでいる私の鼻の頭を舐めた。冷たい口だ。抱っこをしてみると、柔らかく丸くなり、嬉しそうにごろごろする。まだ冷やっこいが何とも可愛い。
そこに女性が入ってきた。
「にゃも、起きましたね、熱いコーヒーを持ってきました。外は寒いので、暖まってお帰りください」
「時間がきましたら、猫と一緒にフロントの方においでください」
私は聞いた。
「この猫ちゃんは凍っているように冷たくて、まるで冬眠しているようにみえたのですけど、どうしてこんなに冷たくなるんです」
「冷蔵庫に入れておいただけですわ」
女性は微笑みながらそう言って戻っていった。
冷蔵庫に入れられた猫はさぞ寒かっただろうに、どのくらい入れられていたのだろうか、想像するとぞくっと背筋が寒くなった。
フロントで猫を返し代金を払った。にゃもは大きく伸びをして私を見ると、ニャアゴと鳴いた。なんだか嬉しそうだ。
「にゃもは久しぶりのお客さんで嬉しそう、冷やし猫お気に召されましたか、夏にまたおいでください」
女性の声を背に聞いて外に出た。
寒い。冷蔵庫の猫の気持ちになる。
うちの仁五郎には真似ができないだろう。猫は働かせるべきではない。そう思って駅に急いだ。コートに猫の毛がついていた。
春になり、駅前開発の設計図をもってこの地を訪れた。商工会議所や市の広報の職員に冷やし猫カフェのことを聞いたのだが誰も知らなかった。
「猫を冷やすなんて、できないでしょう、果物じゃあるまいし」
皆が笑った。
「それにね、あの川沿いにそんな住宅ありませんよ、ただの草原だよ、あそこは昔から捨て猫が多くてね、飢えたり寒くて凍って死んだ猫の冷たい死体がよく見られたもんだよ、いまは野良猫がほとんどいなくなったからそんなこともないけどね」
商工会議所の会頭さんもそう言って笑った。
冷やし猫のにゃもの冷たいからだを思い出した。
指名して暖かくなったにゃもの嬉しそうな顔を思い出した。
功徳をしたのかもしれない。
駅前に保護猫を集めた猫カフェを作る提案をしてみよう。
冷し猫