夏のバトル

「隊長、そろそろやばい季節になってきましたね」
「ああ、奴らが土の中から出て来るぞ。斥候を出して様子を見てこい」
「わかりました!」
 副官は返事をすると隊長の元を離れ、斥候ゴキブリの所に向かった。
「お前とお前、今から外に出てムカデが接近していないか偵察して来い」
「アイアイサー」
 敬礼をすると、二匹のゴキブリは台所の床下にある僅かな隙間から外に出ていった。
 床下のひんやりとした空気とは違い、外は蒸し暑く一匹が目眩を覚え、張り付いていた壁から落ちそうになった。
「しっかりしろ、ここから落ちたら粉末殺虫剤にやられてしまうぞ」
 家の周りにはムカデが入ってこないように七センチの幅で薬剤が撒かれていた。二匹が用心深く壁を這って進んで行くと、粉まみれになって死んでいるムカデを見つけた。
「奴らはもう動き出している、隊長に報告だ!」
 二匹は慌てて戻っていったが、この時、丹念に調べていたら、薬剤が不自然に壁に付着していたのに気づいただろう。そう、別のムカデが死骸を乗り越え、既に家の中に侵入しているのだ。
 床下に戻った二匹が「カサカサ」と急ぎ足で走っていると、急に一匹の姿が消えた。
 ふと、後ろを見ると、ムカデの鋭い顎が仲間の体に突き刺さり、顎から出る毒で体が痙攣を起こしていた。
(ひえ、あんな重戦車みたいな奴と戦っても勝ち目はない。逃げろ)
 ムカデはゴキブリの通り道に身を伏せ、待ち構えていたのだった。
「報告! 犬走り上でムカデ一匹の死骸発見。戻る途中で侵入ムカデに遭遇、仲間がやられました」
 これを聞いた隊長は通常走行ルートを変更、ランダムに動いてムカデの待ち伏せを回避するよう伝えた。
「隊長、今年は出てくるのが早いですね」
「そうだな、年々早くなっているからこっちの犠牲も増えるばかりだ」
 これも温暖化の影響だが、ゴキブリにそんな事は分からない。

 その日の夜。
「きゃあ、あなた、ムカデよ!」
 床の上で人間の叫び声が聞こえたと思ったら、「パンパン!」という音が聞こえた。
「逃げられた。やっぱ、ハエタタキじゃだめか」
「もう、何やってるの。殺虫スプレー使えばよかったのよ」
「スプレー持ってくる間に逃げられたらどうするんだ」
 夫婦のなじり合う声が続く中、床下にポトリと何かが落ちた。よく見るとそれはハエタタキの攻撃を逃れたムカデである事が確認出来た。
「総員退避! 危なくなったら飛んで逃げろ」
 隊長が叫ぶと、一斉に姿を隠した。
「隊長、最初に見た奴よりでかいです」
 斥候に出ていたゴキブリが言うと、
「何、それじゃあ二匹侵入しているってわけか。しかしどこから」
 家の周りには粉末殺虫剤が撒いてあり、通風孔も細かい網が被せてあって入れない。
 去年からアルミサッシのレール部分に遅乾性の殺虫スプレーを噴霧して、レールの隙間から侵入してくるムカデを阻止している。人間の防衛策は完璧のように思えた。
「おかしいな」
 隊長は首を傾げながら考えた。
「もう一度、家の周りを偵察して侵入経路を見つけろ」
 命令を受けた斥候は再び外に出て偵察を始めた。
 壁に張り付いて移動していると、ムカデの死骸が増えているのに気づいた。
「今年はかなり多そうだな」
 と思った瞬間、体が凍りついた。
 ムカデが仲間の死骸を乗り越えている。
(そうか、こうやって家の中に入っていたのか。最初にもっと調べるべきだった)
 自責の念に駆られた斥候ゴキブリは意を決したように、もう一匹に言った。
「今から、あのムカデの侵入を阻止する。お前は状況を見定めた後、隊長に報告しろ」
「やめろ、自殺行為だ」
 その声が終わらない内に羽を広げて飛ぶと、ムカデに突進して背後から噛み付いた。不意を突かれたムカデは、身をよじらせながら登りかけていた壁から落ち、粉まみれになりながらも、ゴキブリの体を尖った顎で突き破り、毒を注入した。ゴキブリは痙攣を起こしながら絶命した。ムカデも足の上にある複数の「気門」から薬剤を吸い込んで、のたうち回っている。
 もう一匹のゴキブリは直ぐに戻り、報告した。
 状況を聞いた隊長は直ぐに対応策を打ち出した。
「明朝、部隊を編成してムカデの死骸を排除する。薬剤の影響でこちらにも犠牲が出る。覚悟して作業するように」
 そして、ムカデの死骸は取り除かれ、一時の安穏が訪れた。
「奴らはまた侵入してくるだろう。偵察を怠らず死骸を見つけたら直ぐ排除するように」
「アイアイサー」
 殆どの人間は何故、家の中にムカデが入ってくるのかを知らない。別に人間を襲うために入ってきているのではない。家の中にいるクモやゴキブリを捕食するのが目的なのだ。本来なら、益虫の部類に入るのだが、人間に被害を及ぼす故に、憎しみと恐怖を持って駆除されてしまうのだ。
 暫くして台風がやって来た。激しい雨は犬走りに沿って撒いていた粉末薬剤を洗い流し、防衛ラインを崩した。
 台風が去り、蒸し暑さが戻ると、まるでエイリアンのようにムカデが大挙して侵入し、人間やゴキブリとの間で壮絶なバトルが始まった。
 風鈴の音は、双方の死を悼むかのように「チリンチリン」と鳴り続けた。

     おわり
           

夏のバトル

人間に被害を及ぼさなければ、ムカデも益虫扱いされていたと思うのですが。

夏のバトル

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-10-22

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