明日、何を。

ちひろ

雲の上で

女の子は一人ぼっちだった。

厳密には“一人ぼっちのような気がする”だった。


明日、起きたら何をしようか。

同じように太陽が昇って、日差しがまぶしくて、心を奇麗に洗ってくれるのだろうか。

窓の向こうではいつものように管理人さんが、廊下の掃除をするのだろうか。


ある日、ベランダに出ると下の方から歌声が聞こえた。
六階にまで響いてくる歌声。

オペラ口調で「あ~あ~た~ら~し~い~」正確には何て言ってるか分からないけど。
まるでオペラ劇団員の歌声を真近で聞いているかのような美しい音色。

女性の歌声にも聞こえるそれは、マンションの管理人さんが歌っていると知ったのはつい最近のこと。

昼間、少し散歩をしに外に出て、ロビーを通って帰ってくる途中、「あ~あ~あ~」となんとも美しい音色が聞こえてきて振り返ったら草むしりをしながら、歌を奏でる管理人さんの姿があった。

その時は、自分の世界に夢中なのだと挨拶をせずに、オートロックを解除してマンションの中に入っていったけど、あのおじさんは最近いつもそうなのだ。

何があったのかは分からないけど。
実は昔、オペラ歌手を目指していて、その歌声をいつも人前で披露してたとか。それが急に恋しくなって最近の日課は、草むしりをしながら12階まであるマンションの一角で、歌を歌うことだとか。

凄く綺麗な歌声だけど、不思議でしょうがない。


そういえば、隣から子供の泣き声が聞こえなくなった。

ベランダに出ると、いつものように子供の泣きわめく声が聞こえたのに。

子供が泣くのは普通なのだろうか?

もちろん、子供がよく泣くのは知ってる。でも、“赤ちゃんは泣くのが仕事”と言う程は泣かないんじゃないか。


仮に隣の部屋で虐待が起きていたとしよう。

私が隣にチャイムを鳴らしに行って、“泣き声が凄いんですが”と言ったら何か変わるんだろうか?
クレーマーが隣に住んでいると思われるんじゃないだろうか。

もし本当に虐待だったら、その親は焦って、子供を泣かせないようにして、その上で痛い思いをさせるんじゃないか。

はたまた、バツが悪くなってさっさと人気の少ないところに引っ越してしまうんじゃないか。
隣に住んでいた子供と家族はもしかしたら誰かにそれを指摘されて、早いうちに引っ越したのかもしれない。


狭い町はすぐ噂が広まる。
嘘でも本当でも、誰かの憶測だけの話でもすぐに広がる。


前にアルバイトしていたコーヒー屋さんでは店長が変態だった。

女の子が控室にある更衣室で着替える時になると、必ず店内から控室に移動してきて、着替えてる間はずーっと控室のパソコンの前から離れないのだ。
勿論、私も女の子だから同じ目にあった。

その店長はいつもこう言ってた。“俺は女遊びできないんだよ。したいけど、できないんだよ。”体がひょろひょろと揺れながら、私の前でよくそう言った。新しい恋人ができてもうすぐ3人の父親になるとも言ってた。


そう言えば前、スナックで一日だけアルバイトした時に優しそうなお客さんが来た。その日はお店のOpen記念日ってことでお祝いに常連のお客さんが多く来てた。その中の一人の、そのお客さんは“ママが好きなんだ”まるで、かけがえのないたったひとつのモノを見るように大切そうにそう言った。それは、それにすがっているようにも見えた。

そのお客さんは、他のお客さんが帰ってもいて、閉店時間になってグラスを洗い始めてもいた。
「宅配の仕事をしているんだ」その視線の先はいつも“ママ”だった。対して綺麗でもないママ。太ってて、金髪でカラコンもしてて化粧も濃かった。私はそんなママを好きなお客さんを、少しの素敵だと思う気持ちと同時に哀れだと思った。
他にもお客さんは沢山いて、“そのお客さん”はそのうちの一人に過ぎなかった。30代前半に見える“そのお客さん”はお店の“ママ”に恋をし、満足そうに決して安くはないお金を払って帰っていった。

その次の日、そのお客さんが朝何を思ったかは誰も知らない。



そういえば、ある日、私が人に優しくできなかったあの日、何かを失ってたんだと思う。それに気づいたのはずっとずっと後で。

明日、何を。

明日、何を。

  • 自由詩
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2019-08-09

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