作品、ってなんだっけ。

佐々木菜々子

ときどきわからなくなる。

‪わたし、私の話が気持ち悪くて、本当にはありえないだろうなと筆を折り「共感を得られるかもしれない心の叫び」ばかりを書くようになっている。‬

‪最初に小説を書いた小3の時「もう私は小説を書かないだろうな」と思った。‬
‪高校生の時「詩集を出すの?w」と半笑いにされて「詩集を出すのは恥ずかしいことなのか」と本を作るのをやめた。‬

‪そう、わたしが同人誌をつくりたいのは「みんなでわたればこわくない」からかもしれない。
1人なら攻撃されても仲間がいれば攻撃されない、と考えているのかもしれない。‬

そんな卑怯なわたしの作品として生まれている「この文章」さえも可哀想になってくる。

可哀想だ。わたしの作品として生まれてくるなんて。
「わたしの子どもとして生まれる人が可哀想だから」という理由で子どもを生まない方がいいかもしれないと考えている。
「わたしと話す人が可哀想だ」という理由でなるべく私からは連絡しないようにしている。
(特に会社の人はそうだ……仕事中は我慢して話してくれているのかもしれないけど、仕事の時間以外でまで私と話さなくてはならないなんて申し訳ない、とつい考えてしまって連絡ができないのだ。)

私の作品として生まれるのは可哀想ではないのか?

「何を言うかより誰が言うか」という言葉もある。
「最初は売れる話を書け。本当に書きたい話は売れっ子になってから書け」という言葉もある。

私と同じ発想をする人はごまんといるだろう。
何者でもない「私」の作品として書かれるより、売れっ子作家の作品として書かれる方が広く読まれて作品にとって幸せではないか?

ずっと温めてきたアイデアとよく似た話を見つけた時は泥のような疲労感とともに「これでいいのだ」と作品にとっての幸せを考える。

(間)

こう、つらつらと「考えていること」を書いた文章が
にこさんからお勧め頂いた本「結ぼれ」(R.D.レイン)に似ていることに気がついている。

村上光彦訳のこの本は(乱暴にも)一言で言って仕舞えば(もちろんそんな乱暴は「『この文章』を書いている今」だけのものだけども)……
「統合失調症患者の思考を整理したら詩になった」というものである。

詩として読めば詩となるこれらの文章は、不思議と《静》の印象を私に与える……
深いところに沈んで、鏡面のように凪いでいる心の奥底の湖を覗き込むような……
時折、私の額から汗なのか涙なのかわからない雫が落ちて……表面を波うたせる。その、広がる波紋を……波が消えるまで……眺めている。
そんなイメージが浮かんでくる。

以上、にこさんからお勧め頂いた本「結ぼれ」の感想でした。
(まだ全部読み終わっていないから読み終わったら加筆するかも。)

作品、ってなんだっけ。

作品、ってなんだっけ。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 冒険
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2019-08-09

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